事務所の襲撃から戻った俺は、ジュンの前に立っていた。
「報告します。事務所内にいた人間は確認できた範囲で六人。武器も複数確認しました。襲撃後、元同僚の一人と遭遇し、交戦の末に始末しました」
「お前が殺したのか?」
「はい」
ジュンは俺の顔を見た。何を考えているのか、表情からは読み取れない。
「そうか。ご苦労だった」
それだけ言うと、ジュンは書類に目を戻した。
ひとまず、これ以上の追及はなさそうだった。
「それと、お前を若衆として扱うことにする」
思わず顔を上げかけたが、すぐに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「勘違いするな。信用したわけじゃない。使えるかどうか、これから見極める」
「承知しています」
予想していた言葉だった。
黒雲会に入れてもらえたからといって、命の保証が得られるわけではない。役に立たなければ、いつでも切り捨てられる。
それでも、何の後ろ盾もない八級フィクサーだった頃よりはましだ。
「案内役に従え。若衆としての扱い方は、そいつから聞け」
「はい」
部屋を出る前に、もう一度頭を下げた。
今は従順でいればいい。
余計な野心を見せるのは、もう少し先でいい。
入れ墨を入れる部屋は、静かだった。
案内役の男に腕を出すよう言われ、俺は袖をまくった。
「動くなよ」
彫師が道具を手に取る。
針が肌に触れた瞬間、鋭い痛みが走った。腕に力が入りそうになるのを、どうにか抑える。
黒い線が少しずつ形を作り、雲の模様になっていく。
「元の事務所を売った奴が、もう若衆か」
壁際にいた男が呟いた。
「ジュン様も、ずいぶん物好きだな」
聞こえていないふりをした。
反論したところで、相手の評価が変わるとは思えない。今は黙って、仕事で結果を出す方がいい。
やがて彫師が手を止めた。
「終わりだ」
腕には黒雲会の印が刻まれていた。
「これでお前も若衆だ」
案内役の男が言う。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
この印があれば、少なくとも黒雲会の人間として仕事を受けられる。だが、同時に逃げることも難しくなる。
それでも構わなかった。
今の俺には、ここ以外に頼れる場所がない
若衆になってからの数日間、俺は雑用や簡単な仕事をこなしていた。
荷物の運搬、使い走り、拠点の見回り。危険の少ない仕事が中心だったが、周囲の態度は変わらなかった。
「おい、新入り。これを持っていけ」
「分かりました」
「返事だけはいいな」
笑い声が聞こえた。
俺は何も言わず、渡された荷物を受け取った。
ここで反発しても得はない。相手に逆らえるだけの実力も、味方もいないのだから。
その一方で、俺は周囲の人間を観察していた。
誰が他人に命令する立場なのか。誰がよく外出するのか。誰が話好きで、誰が必要以上に他人を警戒するのか。
小さなことでも、覚えておけばいつか役に立つ。
三日目の夕方、ようやく自分の部屋に戻ると、俺は短剣の手入れをした。
剣の腕は、すぐには上達しない。
なら、せめて道具の扱いと逃げ道の確保くらいは怠らないようにしよう。
そう考えていた翌朝、案内役の男が俺を呼びに来た。
「ジュン様がお呼びだ」
俺は短剣を腰に差し、立ち上がった。
「荷物の回収だ」
ジュンの机には、倉庫の場所を記した地図が置かれていた。
「数人の若衆と一緒に向かえ。指定された荷物を回収して戻る。それだけだ」
「分かりました」
「現場で勝手な判断をするな。問題があれば、荷物を優先して持ち帰れ」
俺は地図を確認した。
倉庫まではそう遠くない。指定された荷物の量も、数人いれば運べる程度らしい。
「承知しました」
ジュンの部屋を出ると、同行する若衆が待っていた。
「お前が新入りか。足を引っ張るなよ」
「はい。よろしくお願いします」
俺は穏やかに頭を下げた。
今回の仕事は、今までより少しだけ責任がある。
失敗すれば、せっかく得た居場所が遠のく。
だからこそ、慎重に動くつもりだった。
しかし、倉庫に到着した俺たちを待っていたのは、予想していなかった相手だった。
扉の向こうにいたのは、刀を携えた剣士たち。
その姿を見た同行者の一人が、低く呟いた。
「……剣契か」
次の瞬間、相手が刀を抜いた。
「黒雲会の連中か。ちょうどいい」
刃がぶつかり、倉庫の中に怒号が響き渡る。
俺も短剣を抜いた。
だが、目の前で繰り広げられる戦いを見て、すぐに理解した。
これは、俺が正面から戦ってどうにかできる相手ではない。
剣契の剣士が一人、黒雲会の若衆を斬り伏せる。別の剣士が間合いを詰め、こちらの攻撃を軽々とかわしていく。
「おい、新入り! 何をしている!」
声が飛んできた。
俺は短剣を握りしめたまま、周囲を見た。
入口は危険だ。正面から抜けるのは難しい。倉庫の奥には、回収するはずの荷物が置かれている。
そして、その近くには裏口があった。
戦闘に気を取られている今なら、荷物を持って逃げられるかもしれない。
俺は木箱の陰に身を隠し、音を立てないように移動した。
背後から仲間の怒声が聞こえる。
それでも、振り返らなかった。
荷物を見つけ、抱え上げる。裏口へ向かおうとしたとき、近くで誰かが倒れる音がした。
一瞬だけ足が止まった。
だが、すぐに動き出した。
ここで立ち止まれば、自分まで斬られる。
裏口を抜け、倉庫から離れたところで、ようやく息を吐いた。
荷物は確保できた。
あとは戻るだけだ。
そう思ったとき、建物の脇から呻き声が聞こえた。
「……おい……」
壁際に倒れていたのは、黒雲会の若衆だった。
倉庫で戦っていた男の一人だ。
「お前……逃げやがったな……!」
男は俺を睨みつけた。
「俺たちが戦ってる間に……一人で逃げたのか!」
「声を抑えてください。まだ剣契が近くにいるかもしれません」
「黙れ! ジュン様に全部話してやる……お前が仲間を見捨てたってな……!」
俺は黙った。
この男が戻れば、俺の報告は崩れる。
荷物を持ち帰ったことは事実だ。しかし、奮闘したという説明はできない。仲間を置いて逃げたことが知られれば、若衆としての立場も危うくなる。
「……分かりました。まずはここを離れましょう」
俺は荷物を置き、男に手を差し出した。
「肩を貸します」
「誰がお前なんかの手を……」
男が身体を起こそうとした瞬間、俺は短剣を抜いた。
短い抵抗のあと、男の手が俺の服から滑り落ちた。
俺は動かなくなった男を見下ろした。
また一人、殺した。
「……悪く思わないでください」
呟いてから、短剣を収めた。
男に聞こえているはずもなかった。
荷物を拾い上げ、俺は黒雲会の拠点へ向かった。
### 第9話「報告」
「戻りました」
ジュンの前に荷物を差し出す。
彼は中身を確認してから、俺に視線を戻した。
「ほかの若衆は?」
「剣契と遭遇し、戦闘になりました。こちらも応戦しましたが、相手の剣技が予想以上で……全滅しかけました」
一度、息を整える。
「俺では戦線を維持できないと判断し、せめて荷物だけでも回収して撤退しました。ほかの者とは戦闘中にはぐれ、安否は確認できていません」
ジュンは黙っていた。
「お前は奮闘したのか?」
「できる限りは。ですが、俺の腕では剣契を止められませんでした」
嘘をつくのは、これで二度目だった。
「……そうか」
ジュンは荷物に目を落とした。
「荷物を持ち帰ったことは評価しておこう。下がれ」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げ、部屋を出た。
追及されなかったことに安堵したが、疑いが晴れたとは思わなかった。
ジュンは、簡単に人を信用する男ではない。
俺の話を信じたのか。それとも、今は追及する必要がないと考えただけなのか。
答えは分からない。
ただ、これで終わりではないことだけは確かだった。
俺は腕に刻まれた雲の入れ墨を見つめた。
若衆になったばかりだというのに、すでに二人の人間を自分の手で殺している。
それでも、生きている。
今はそれでいい。
生き残って、次の仕事を得る。
そして、いつか誰かに簡単に切り捨てられない立場になる。
そのためなら、俺はまだ嘘をつくことになるのだろう。