会合前から図書館への転移まで、都市疾病について主人公が思い出す場面も組み込んで、最初から通してまとめたよ。
その日は、別地区に拠点を置く黒雲会との会合が予定されていた。
俺たちの組織とは別の黒雲会だ。縄張りも構成員も異なるが、同じ黒雲会を名乗る以上、完全に無関係というわけではない。
今回の会合には、組長であるジュンが出席することになっていた。
俺が若頭に昇格してから、他地区の組織と顔を合わせるのは初めてだった。
「余計なことはするな。聞かれたことだけ答えろ」
出発前、ジュンからそう言われた。
「分かりました」
「お前はまだ顔を知られていない。周囲を見ておけ。誰が誰と話しているか、何を警戒しているか。それだけでいい」
「はい」
俺に求められているのは、交渉ではなく観察だった。
副組長が一人、若頭が三人、若衆が五人。ジュンを含めて十人で向かう。
移動中、俺はほとんど口を開かなかった。
他の若頭二人は、今回の会合について何度か話していた。片方は他地区の組織との関係を気にしており、もう片方は親指との繋がりについて話していた。
「最近、親指の動きが妙らしいな」
「どこも同じだ。下の組織まで締め付けが強くなっている」
「余計な口を挟まなければ問題ないだろう」
俺は会話に加わらず、窓の外を眺めていた。
会合の場所は、別地区の黒雲会が管理する建物だった。
周囲には見張りが立ち、入口には武器を携えた構成員がいる。こちらの姿を確認すると、すぐに中へ通された。
建物の中も、外と同じように警戒が行き届いていた。
案内された部屋には、すでに数人の男が集まっている。その中でも、ひときわ目立つ男がいた。
この地区の黒雲会を率いる組長だ。
ジュンが入ると、男は軽く視線を向けた。
「遠いところ、ご苦労だったな」
「呼ばれたから来ただけだ」
短いやり取りだった。
俺たちは指定された場所に立つ。副組長と他の若頭はジュンの近くに控え、俺は少し後ろに下がった。
会合は、地区間の仕事や縄張りについての話から始まった。
大した内容ではなかった。互いの仕事に干渉しないこと、必要な場合には情報を共有すること。どれも以前から続いている取り決めの確認に近い。
ただ、途中から話題が変わった。
親指についてだった。
「最近、親指の要求が増えている。こちらの仕事にまで口を出してくるようになった」
別地区の組長が不満を口にする。
「親指の意向には従っておいた方がいい」
ジュンは淡々と答えた。
「それで、いつまで従えばいい? 向こうの言うことを聞いていれば、いずれ自分たちの縄張りまで奪われる」
「無用な衝突を避けるためだ」
「お前たちはそれでいいのかもしれないな。だが、俺たちは違う」
その言葉に、部屋の空気が少し変わった。
俺は周囲を見た。
別地区の構成員たちは組長の言葉に反応している。賛同する者もいれば、顔を伏せている者もいた。
一方、ジュンは表情を変えなかった。
「ここで話しても仕方がない。親指との関係をどうするかは、お前たちの組織で決めればいい」
「そうやって逃げるのか」
組長の声が強くなる。
ジュンは返事をしなかった。
そのとき、部屋の入口に立っていた構成員がこちらへ近づいてきた。
「親指から使者が来ています」
会話が止まる。
別地区の組長は、少しだけ眉を動かした。
「通せ」
数人の男が部屋に入ってくる。
その先頭にいた男は、親指の使者だった。後ろにはソルダートが数人控えている。
使者は部屋を見回し、別地区の組長へ視線を向けた。
「先ほどの話、聞かせてもらった」
「盗み聞きか?」
「聞こえてきただけだ」
使者は淡々と答えた。
「親指の意向に従うつもりがないということだな」
「こちらにも事情がある。親指の都合だけで動けると思わないでもらいたい」
周囲の空気が凍りつく。
使者の後ろに控えていたソルダートたちは、誰一人として表情を変えなかった。ただ、視線だけが組長へ向けられている。
「その発言、後悔することになるぞ」
「脅しか? なら好きにすればいい」
ジュンは何も言わなかった。
俺たちは会合に付き添っていただけだ。別地区の組長が何を考えているのかも、親指とどんな関係を築いてきたのかも詳しくは知らない。
ただ一つ分かったのは、あの発言が取り消せるようなものではないということだった。
使者たちが去ったあと、会合に参加していた組織の人間は慌ただしく動き始めた。組長の周囲に集まる者もいれば、外の様子を確認しに走る者もいる。
ジュンは副組長と若頭たちを集め、短く指示を出した。
「ここを出る準備をしろ。長居する理由はない」
「分かりました」
俺も頷き、部屋を出た。
その途中、廊下の奥にある小部屋が目に入った。人の出入りはほとんどない。扉も半開きになっている。
中を確認すると、机の上に書類が散らばっていた。特に価値のありそうなものはない。だが、その隅に一通だけ、妙に目立つ封筒が置かれていた。
白い封筒だった。
宛名らしいものは見当たらない。差出人の名前もない。表面には、見慣れない模様が描かれている。
何となく気になり、手に取った。
中には一枚の紙が入っていた。
丁寧な文字で、文章が綴られている。
『親愛なるゲストへ:
私儀、あなたを公式に図書館へとご招待いたします。図書館の本は、あなたが求めるすべての知恵、富、名誉、そして力を与えてくれることでしょう。
しかし、図書館では過酷な試練があなたを待っています。もしこの試練を乗り越えられないのであれば、あなた自身が1冊の本へと姿を変えることになるでしょう。
— アンジェラ、招待状にて』
その下には、名前を書くための空欄が設けられていた。
「図書館……?」
聞き慣れない名前だった。
知恵、富、名誉、力。それらを与えるという一方で、試練に失敗すれば自分自身が本になるという。
冗談にしては悪趣味だ。
それに、図書館という名前には少し覚えがあった。
最近、都市疾病に認定されたものの中に、図書館に関係する話があったような気がする。
都市疾病。
都市で起きる異常な事件や現象の中でも、危険視されるものに付けられる分類だ。
詳しい内容までは知らない。噂や断片的な情報を耳にした程度で、図書館という名前と結びつくかどうかも確信はなかった。
だが、もし同じものなら、この招待状はただの悪趣味な冗談では済まない。
「何を見ている」
背後から声がした。
振り返ると、ジュンが立っていた。
「これが机に置いてありました。招待状のようですが……」
ジュンは紙を受け取り、文章に目を通した。
「差出人は?」
「アンジェラと書いてあります」
「聞いたことはないな」
「俺もです。ただ、図書館という名前には少し覚えがあります」
「何だ?」
「最近、都市疾病に認定されたものに、図書館に関係する話があったような気がします。詳しいことは分かりませんが」
ジュンはもう一度、招待状に目を落とした。
「都市疾病か……」
その表情に大きな変化はなかったが、先ほどよりも慎重に文章を読み返していた。
「本当に関係があるなら、放置できるものではないな」
「はい」
ジュンは紙を裏返し、封筒も確認する。名前を書く欄にも目を留めたが、それが何を意味するのかまでは分からないようだった。
「妙なものだな」
そう言って、招待状を俺に返した。
そのときだった。
外から、何かが激しくぶつかる音がした。
続いて、短い悲鳴。
「親指だ!」
誰かが叫んだ。
廊下の向こうから足音が押し寄せてくる。直後、銃声が響いた。
俺は窓の外を確認した。
黒い服を着た集団が、建物を取り囲んでいる。見間違えるはずもない。親指のソルダートだった。
「全員、武器を取れ!」
副組長の声が飛ぶ。
別地区の黒雲会の構成員たちも、慌てて武器を手に取っていた。しかし、外から聞こえる銃声は途切れない。入口からはすでにソルダートが侵入しているらしい。
「どうして、もう来ている……!」
若衆の一人が声を漏らした。
会合が終わってから、まだ大して時間は経っていない。使者たちが戻って報告したとしても、これほど早く部隊を動かせるものなのか。
いや、最初から準備していたのかもしれない。
どちらにしても、ここに残るのは危険だった。
「ジュンさん、どうしますか」
若頭の一人が尋ねる。
ジュンは廊下の奥を見た。逃げ道を探すように視線を巡らせているが、外からは次々と足音が近づいてくる。
そのとき、俺の手にある招待状が目に入った。
「これを使うしかないかもしれません」
「本になると書いてあったぞ」
「ここに残っても、ソルダートに殺される可能性があります」
「……そうだな」
ジュンは招待状を受け取った。
改めて文章を確認する。
図書館。試練。本になる。
どれもまともな話ではない。だが、少なくともこの紙には、どこかへ行くための手掛かりが記されている。
「名前を書く欄がありますね」
俺が指摘すると、ジュンはそこに目を向けた。
「これを書けばいいのか?」
「分かりません。ただ、招待状なら名前を書くものなのかもしれません」
確証はなかった。
名前を書いたところで何も起きないかもしれない。あるいは、本当に危険な場所へ連れていかれるのかもしれない。
それでも、ここに残るよりは可能性がある。
廊下の向こうで扉が破られる音がした。
「ジュンさん、急いでください!」
副組長が叫ぶ。
ジュンはペンを取り出した。
「全員、俺の近くにいろ」
そして、名前を書く欄に自分の名を記した。
一瞬、何も起きなかった。
「……駄目か?」
ジュンがそう呟いた直後、紙面が淡く光り始めた。
書き込まれた文字が揺らぎ、招待状全体から白い光が溢れ出す。
「何だ、これは……!」
若衆の一人が後ずさる。
ジュンも驚いた様子で紙を見つめていた。仕組みを知っていて行動したわけではない。ただ、他に手段がなかったのだ。
「全員、離れるな!」
その声を最後に、視界が白く染まった。
床の感触が消える。
誰かの声が聞こえた気がしたが、それが誰のものなのかも分からなかった。
そして、気がついたときには、俺たちは見知らぬ場所に立っていた。
背後にあったはずの建物も、銃声も、ソルダートの姿もない。
目の前には、巨大な建物がそびえ立っていた。
「……ここが図書館か?」
ジュンが呟く。
俺は手元を確認した。
招待状は、もうなかった。
助かったのかどうかも、まだ分からない。
ただ、俺たちは自分たちの意思で、あの場所からここへ来たのだった。