あと最後が、長くなりそうなので分けることにしました。
部屋が静まり返っていた。
教皇の使者を名乗る少女の突拍子もない発言に、誰もが言葉を失っていた。ただ一人、当の少女を除いて。
「えっ……と。すまない。その、世界を救うというのはいったい……」
冗談を聞いている暇はないと、今すぐ踵を返したい感情を噛み潰し、口を開く。
「あっ! ごめんなさい。まず自己紹介が先でしたね。領主様、私はイリア。教皇様から預かった杖の『継承者』を探してここにきました」
慌てたように彼女は傍らに置いていた白い布の包みから杖を取り出し、見せた。
その杖は、何らかの樹木から作られているようだった。細長い柄は不規則にねじれ、先端には青緑色の宝石が浮かんでいる。宝石の周囲を、黒い枝のようなものが取り囲んでいた。
「継承者……?」
「はい。教皇様がこの杖を扱えるものを探せと。そして多くの国を見て回り、最後の最後にこの街に来て、貴方を見つけることができたんです!」
嬉々として語るイリア。
それはまさに長年の苦労が報われたというような目をしており、僕は少し戸惑ってしまった。
「あー継承者というのも気になるけど、まず先にその杖について聞かせてほしい。その杖はいったい……」
「これは『ティクーンの杖』と呼ばれています。聖槍教会に伝わる聖遺物で、教皇様だけに扱えました。そして世界を救う力があると」
──聖遺物!!
深緑色の宝石がついた杖に目を落とす。
金銀などの華美な装飾はないものの、先端に浮かぶ宝石と奇妙にねじれた枝が、普通の杖ではないことを物語っている。
ただ……。
(世界を救える、か……。とてもそんな代物には見えないけどな)
『ティクーンの杖』とやらが実際にそれほどのものであるのか。それを知るすべも余裕も今はない。
話を次に進めなければと、疑問を脇におく。
「次に継承者について教えてほしい。それは、先程君が言った世界を救うという話と繋がっているのか?」
「はい」
「ならばなぜ教皇自身で世界を救おうとしない。君のいうことが真実なら、今のこの世界を、教皇は救えるんじゃないのか?」
若干の苛立ちも混ぜて問い質す僕に、イリアは悲しげに目を伏せた。そして何度か話すべきかどうか悩むように口を開いては閉ざした。
それを見てあまり時間をかけてはいられないと「話せないことなら構わない」と言おうとした瞬間。彼女は顔をあげた。
「教皇様については……申し訳ありません。詳しい事情をお話しすることはできないのです。ただ、自身にはもう、これを扱うことはできないと。だから、継承者を探せと。そう私に指示を出されました。それが話せる全てです」
「……そうか」
杖が使えなくなった教皇。
事情は話せず、教皇が今どのような状態にあるかも外部には話せない。
(亡くなったか。それとも病に倒れたか)
いずれにせよ、教皇自身が動けない事情があるのだろう。
そして、イリアが教皇について話せないことにも納得はできる。
ただでさえ世界を襲う『厄災』に魔女の『呪い』にと、問題が起こっているのだ。
そこへさらに上乗せするように教会の教皇まで亡くなったなどと知れ渡れば、世界の混乱はより加速してしまう。
秘密など、どこから漏れるかわからない。
相手が領主であり、継承者といっても会ったばかりだ。そんな相手に教会内部の事情を話せないのは当然だ。
「すまない。無理に聞こうとしてしまった」
「いえ、大丈夫です。当然の疑問ですから」
眉根を寄せ、悲しい顔を見せるイリアに、謝罪する。
身なりはともかく、教皇の使者に選ばれたのだ。聖槍教会でも相当に彼女の地位は高かったか、教皇に信頼されていたはずだ。
なにせ、彼女曰く『世界を救うことのできる杖』を託されるほどなのだから。その信頼の高さは相当なものだ。
「最後に一つ。なぜ僕が継承者だと?」
「貴方をみた時、光を見ました。とても優しく、世界を包み込んでくれるような温かな光を」
その時の情景を思い出すかのように目を瞑り、胸に手を当てるイリアとは反対に、僕は困惑することしかできない。
「光って……。僕にそんな特別な力なんてないんだけどな。さっきも、アイリスを置いて逃げてきたくらいだし」
「アイリス……?」
ふと、口をついて出てしまった後悔にイリアの疑問が出ると同時に、コンコンとドアが鳴った。
「領主様、お話中失礼します」
「どうした」
「ご命令にあった救助隊の編成が終わったとのことです。いつでも出られます」
「わかった。すぐに向かう。隊長にもそう伝えてくれ」
「はっ」
兵士からの報告に短く答える。
(これでアイリスを助けに行ける)
すぐさま立ち上がる。
勢いに押された椅子が、床を擦って鈍い音を立てた。
「イリア、申し訳ないが火急の用件があるので、続きは帰ってきた後にさせていただきたい」
「それは、構いませんが。領主様、それは先程慌ただしく帰ってきたのと何か関わりが?」
僅かに、イリアに事情を話すべきか逡巡する。
彼女は部外者だ。それも使者としてやってきただけの。だが、すでに何事か重大な事が起こっていることは悟られている。
恐らく、イリアは僕が街に戻ってきたところを見かけたのだろう。だからこそ、こうしてすぐに訪ねてきたのかもしれない。
──そして、継承者となってもらうべく訪ねてきた。
ならば、下手に隠してあれこれと疑われるよりも、正直に話した方がいいか……。
「実は町外れの森で従者が僕を逃がすため魔女を相手に残ってしまった。僕は彼女を助けに行かなければならない」
杖のことや教皇のことなど、聞きたいことはまだあるが、今すぐやるべきことはアイリスを助けに行くことだ。
暴れる魔女相手にどこまでできるかはわからないが、アイリスを見捨てることはできない。
「でしたら領主様、よろしければその救助隊に私を同行させて下さい。それからこの杖も。教皇様の言う通り、この杖に世界を救う力があるのならきっと、何かの役に立つと思います」
差し出された杖を前に、僕の手が止まる。
これを受け取れば、教皇が担ってきた使命まで背負うことになるのだろうか。
世界を救う。
そんな大それたことが、自分にできるとは到底思えない。
(アイリス……)
今も森の中で戦っているかもしれない彼女の姿が脳裏をよぎる。
世界を救えるかどうかなんて、今はわからない。
(それでも、アイリスを助けられる可能性が少しでも上がるのなら!)
僕は差し出された杖を握った。
「よし、行こう。だがイリア、君は部外者だ。できるだけ守るようにするけど、危険だと感じたら離れてくれ」
「心配いりません。私は魔女です。自分の身は自分で守れます」
「……魔女?」
一瞬、聞き間違いかと足が止まる。
だが、イリアは冗談を言った様子もなく、こちらを真っ直ぐに見つめていた。
魔女……つい先ほどまで自分たちを襲っていた存在。
そして教会が魔女狩りをしている相手。
教皇……魔女……使者に世界を救う杖……。
彼女に聞きたいことは山ほどある。
だが、今はそれどころではない。
「……わかった。なら、頼りにさせてもらう」
僕はイリアを連れ、部屋を後にした。
窓の外では、雨雲が広がりつつあった。
*
ポツポツと、雨が降り始めていた。
領主様を逃がすため、森で1人残った私は呼吸を乱しながら魔女の放つ矢を防いでいる。
「ッ!」
森の中を走る私に、矢が3つ、立て続けに飛んでくる。
正確に体を狙うそれを、一本は体を捻ることで躱し、残る2本を剣で斬り払う。
そして再び走り、魔女から逃げる。
(やはり、彼女の矢が尽きる気配がない! 魔女の力で増やしている……!)
戦闘を始めてから、すでに百本以上の矢が放たれている。
どれも木の幹を貫くほどの威力を持ち、しかも、矢が尽きる気配はない。
視線を左右に走らせると、あちこちに撃ち抜かれた木々があった。
「くっ……やはり、逃げられそうにないか」
矢に限りがあったなら、そのストックを切らせるまで粘るか、そうでなくても矢が減った時点で逃げようとすれば見逃す可能性は十分にあった。
誤算だったのは、魔女が矢をその場で生み出せたこと。
そして、思った以上に魔女がしつこかったこと。
相手が矢の補充をする僅かな時間。
そのごく短い合間に、木に隠れ、息を整える。
(領主様を逃がしてからどれだけ経った。流石にもう、森から出ることはできたはず……)
息を切らしながら、汗と雨に濡れた顔を上げ、魔女の姿を窺う。
森の奥で、枝葉を踏みしめながら、こちらを探している。
考える。
このまま戦闘を続け、逃げることは可能だろうか。或いは、勝利できる余地はあるか。
放置した場合の……領主へと刃を向ける可能性についても。
(この魔女はしつこい上に、領主様を見ている。街へ戻ったと知れば、追ってくるかもしれない)
ここで逃げたところで、脅威が消えるわけではない。
ならば、今ここで仕留めるしかない。
その脅威を推し量り、領主へと思いを馳せる。
いつだって領民の安寧と幸福を願ってきた優しい人。
そして、私が敬愛と恋慕を向ける大切な人。
彼のためなら命さえ惜しくはない。
そう思えるほどの相手。
(この魔女を、領主様へと刃を向けた人間を生かしておくことはできない。例え相打つことになろうとも!)
覚悟を決め、疲労を感じる全身に力を込める。
全身を満たすのは魔女の力。
感情のまま力を暴走させる魔女とは違い、私は理性で力を抑え込んでいる。その分、引き出せる力は遥かに小さい。
矢を放っている魔女の半分にも満たないだろう。
だが、それでも使えば並の兵士以上の力を扱うことができる!
戦う準備を整え、タイミングを計っていた自分の耳に、ジリとひときわ強く枝葉を踏む魔女の足音が聞こえた。
見つかった──。
そう思うと同時に聞こえてきたシュッとした音。
雨粒の音を縫って聞こえた、矢が放たれた音だ。
その風を切り進む音を聞いた瞬間、隠れていた木から飛び出した。
渾身の力を込めて蹴った地面が弾け、後方へ飛んでいく。
背後でつい一瞬前まで隠れていた木を射抜いた弾けるような鋭い音を置き去りにする。
突風のように駆け抜ける先は──魔女の元!
「!?」
矢を射終え、次の矢をつがえようとしていた魔女の目が見開いている。
森を駆け抜けながら、向かってくる矢を斬り、時に乱立する木々を盾としてひたすらに逃げ回っていた私が突然向かってきたからだ。
(おいかけっこはもう終わり。この一撃で仕留める!!)
一歩地面を踏みしめるたびに身体からミシミシと、筋肉が軋む音がする。
ただでさえ逃げ続けたことで疲弊した体に、使い慣れない魔女の力を流し込んだせいだ。
もう、同じ戦術は取れない。それを知らせる音。
(一回限り。だけどそれで十分! もう……距離は詰めた!!)
魔女が矢をつがえ終え、こちらに照準を向ける頃にはもう、両手に握る剣が届く距離に近づいていた。
「はぁああああっ!!」
「ゔっっっ!?」
上段に振り上げた剣を振り下ろす。
その剣が彼女の肩口から斜めに胴体を切り裂こうとしたその瞬間だった。
突然、地面が爆発を起こした。
「なっ!?」
その爆発に飲み込まれるように、吹き飛ばされる。
木々の間を飛ぶ身体は何度か地面に打ち付けながら、やがて引きずられるように止まった。
(な………なにが…………)
激痛と魔女の力を使った反動から震える体を動かし、魔女がいた方向へ視線を向ける。
立ち込める土煙の向こうに、魔女の姿は見えなかった。
(まさか、地面に爆弾を仕込んでいた……?)
違う……と、痛みに耐えながら否定する。
(あの時、剣で斬られそうになった瞬間……魔女は矢を私ではなく地面に向けた)
あれは爆弾ではない。
矢に込めた魔力を、一気に解放したのだ。
(まさか、あんな方法で危機を逃れるなんて……)
完全に想定外の方法。
恐らく、魔女としてもしたくはなかったはず。
「至近での爆発……相手だけ無傷なんてありえない。相当なダメージが……すぐに追撃を──痛っ!」
動かそうとした体に激痛が走る。
同時に視界が赤くなる。
額が切れ、目に血が入ったようだった。
「はぁ……はぁ……まずい。身を……隠さないと……」
身体が動かない。
このままじゃ、狙い撃ちにされる……!
そう内心で吐き出し、ズリズリと地面に跡を残しながら木に隠れる。
肩で息をしながら樹木に背を預け、激痛から気を失いそうになる意識を必死に押しとどめる。
胡乱な目で周囲を見渡し、そして──泥だらけになってしまったドレス風の騎士服に意識が向いた。
(領主様から頂いた服。汚してしまった。ここまで傷ついてしまったら、もう、着れないでしょうね)
魔女の矢に切られ、穴だらけになってしまった服。
領主の従者となったその日に贈られた命と同じぐらい大切にしてきた服。
「はぁ……あの頃も、こんな雨に打たれて、泥だらけだったなあ……」
もうこの服は着られない。その事実に泣きそうになりながら、頬を打つ冷たい雨を感じ、顔を上げる。
暗く、淀んだ灰色の空は、従者となる前に見上げたものと何も変わらない。
まるで、お前には何の価値もないのだと、あの頃の絶望を思い出させるようだ。
(雨が降ると、その度に思い出す。父が私を教会に売った、あの日のことを……)