花と風車の国から   作:XX

3 / 3
 
 念のため名前は出しませんが、評価してくれた方、ありがとうございます。とても嬉しかったです。


あなたのために

 私は、フラン公領のごく普通の家庭に生まれた。

 裕福ではなかったが、暮らしに困るほど貧しくもない。そんな、どこにでもある家だった。

 

「アイリス、ありがとうね」

「お母さんのお手伝いをしたのか。頑張ったじゃないか」

 

 父はよく働き、母はそんな父を支えていた。

 私も時々母の手伝いをしては、二人に褒めてもらった。

 

 もっとも、幼い頃のことだ。記憶はひどく曖昧で、今となっては朧げにしか思い出せない。

 

 2歳か、3歳か。

 ようやく言葉を理解し始めた頃までは……。そう、幸せだったと思う。

 

 それが壊れたのは私が物心ついた頃。

 母が男を作って出て行ってしまってからだ。

 

「──どうして?」

 

 そんな問いに答えてくれる人はいなかった。

 父は荒れて、仕事もせず溺れるように酒と博打に熱中するようになった。

 

 家事をしてくれていたはずの母がいなくなり、家は当然のようにどんどん汚れていった。

 

 父が酒と賭博に費やす金は増える一方で、家に残る金は減っていくばかり。

 やがて、私たちは住み慣れた家を追われ、みすぼらしい家へと移り住むことになった。

 

「働いてこい」

 

 ある程度話せるようになると、短く、父はそう言って私に仕事をさせるようになった。

 と言っても、子供のできるような仕事だ。大したお金なんて稼げない。

 

 せいぜいがその日1日の食費になるかどうか。それも、切り詰めてだ。

 だがそのお金のほとんども、父の賭博に消えた。

 

──ドンドンドン!!

 

 乱暴にドアが叩かれる。

 私の歳が10を超えた時のこと。

 父が何処からか借りてきた借金を取り立てるために、男たちがやってくるようになった。

 

「──さん。そろそろ払うもの払ってもらわないと」

「すみません。すみません! あと少し。あと少しだけ待ってください。お願いします!」

 

 父が私の頭を掴む。

 床に頭をつけるような姿勢となって2人して男たちに頭を下げる。

 それを見て、大きなため息を吐いた男たちは「もう次はない」と、警告をするように父に告げて出て行く。

 

 去り際、彼らの目が私に向けられていたことを、よく覚えている。

 

 値踏みするような視線。

 薄汚れた子供が、どれだけの『価値』になるかを測るような、そんな目だった。

 

──命の価値。

 

 誰にでも、どんな命だって大切なのだと。

 幼い私が小さな虫を捕まえて遊んでいたとき、母が教えてくれたこと。

 

 綺麗事を信じていた私が、そのことに疑問を持ったのはこの時だろう。

 

──私の価値は……父から見た私の価値はどれくらいなんだろう。

 

 男たちの視線から、そんな考えが頭に浮かぶようになった。

 仕事をしていても、家で荒れた父の怒鳴り声に耳を塞いでいる時も。

 その疑問が消えることはなかった。

 

 きっと、まだ愛されているのだと信じたかったのだ。

 

 頑張っていればいつか。

 また、父と母。元の、昔のような幸せで温かだった生活に戻れると。

 

 それが御伽噺であったと気付いたのは、それから暫く経ってから。

 以前と同じように、乱暴にドアを叩かれた日。

 

 借金を取り立てるため、入ってきた男たちを見て、この生活の終わりを感じた。

 これまでの何度か見てきた、乱暴ながらもまだ話し合いに応じてくれる。そんな甘い気配など微塵もない。

 

 彼らは無言のまま、父に視線を向けて借りたものを返さないことを悟ったあと、冷たいその目を私に向けた。

 

「薄汚い子供でも、買う奴はいくらだっている」

 

 男の視線が私の体を這う。

 まともな食事などできていない。

 薄く、骨ばった身体。

 

 それでも彼らにとっては子供というだけで価値はあるようで。

 

「こい」

 

 短くそう言った男の手が私の腕を掴む。

 何処に連れて行こうとしているのか。扉の先に何が待っているのか。

 何もわからずとも、その先には絶望しか待っていないことだけはわかった。

 

 だから、抗った。

 これ以上ないくらい全力で。

 

「離してっ!!」

 

 突然、空腹で限界だったはずの身体に驚くほどの力が湧き上がった。

 男の腕を振りほどき、力任せに突き飛ばす。

 壁に叩きつけられた男は、あっけないほど簡単に気を失った。

 

「えっ……?」

 

 気を失った男を見て、自分の手を見る。

 信じられなかった。

 

「アイリス、今のは……その、力は……」

 

 後ろで父が驚いているのがわかった。

 そして壁に叩きつけられた男を見て「魔女だ」と呟く男たちの声も。

 

──魔女!

 

 大して学のない自分でも知っている。

 世界中で恐れられている存在。

 

『魔女は、感情が爆発した時に生まれる』

 

 何処かで聞いたその話を、この時の私は思い出していた。

 

 血が沸騰するように熱い──。

 この力があれば!

 

「父さんは逃げて。こいつらは私がなんとかするから」

「ひィっ!」

 

 父が、裏口から逃げて行く。

 それを追うものはいない。男たちの興味はもう、私1人に向いていた。

 

「ぁあああああ!!!」

 

 そこからの記憶は、あまり覚えていない。

 とにかくがむしゃらだったのだけは覚えている。

 

 気がついたら男たちはいなくなっていて、家には私だけが残されていた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……ふ、ふふ。ふふふふふ!」

 

 尽きることのない力への全能感と、父を逃がせたことへの達成感に、思わず笑みがこぼれる。

 今ならなんでもすることができる。この力があれば、なんでもできる。きっと、今の生活だって……!

 

 だが、そんな甘い考えはすぐに裏切られることになった。

 

「──どうして?」

 

 家の入り口に、教会の騎士たちがいた。

 その後ろには、父が歪んだ笑みを浮かべて立っている。

 下を向く視線の先には、とても大事そうに握られた小さな革袋。

 

 中身はきっと、数枚の金貨……それが私の価値。

 父の目は、私を映してはいなかった。

 

「──どうして?」

 

 同じ疑問が口をついて出る。

 溢れていた力が萎んでいく。

 全能にも思えた力はもう、見る影もなかった。

 

「捕らえよ!」

 

 教会の騎士の一喝した声。

 家に上がり込んできた騎士たちが怖くて、私はただ必死に逃げた。

 

 逃げて、逃げて、逃げ続けて。

 自分が何処を走っているのかもわからないほど、遠く逃げ続けて──気がつけば、見たこともない道を歩いていた。

 

「はぁ…はぁ…ぅぁああっ」

 

 空腹と疲れで道に倒れ込む。

 朦朧とする意識は、受け身をとらせることもできず、全身に重たい衝撃が響いた。

 

「雨……」

 

 いつから降っていたのか、身体を打ち付ける雨に気づき、視線だけを空へ向ける。

 

 灰色の雲が、空を覆っていた。

 

 天に手を伸ばそうとした腕は、力なく地面に落ちた。

 冷たい雨に命を奪われるように、指の先から力が抜けて行く。

 

(ここまでか……私は、何のために生まれてきたんだろう)

 

 小さな革袋に入る程度の金貨。

 それだけの価値しかなかったのだろうか。

 それっぽっちのお金を父に渡すために、私は生まれたのだろうか。

 

 絶望と、処理しきれないほどの悲しみに、私は一言呟く。

 

「生まれてくるんじゃなかったな……」

 

 意識が遠のいて行く。

 薄れゆく意識の狭間、近づいてくる馬蹄の音がした──。

 

 

*

 

 

「ん……」

 

 目が開く。いつの間にか閉じていたらしい。

 

(ここは……そうだ。私は魔女と戦ってそれで……)

 

 ぼんやりとしていた意識が、少しずつ現実へと引き戻されていく。

 

 だが、体が動かない。

 意識もまだぼんやりとしており、立ち上がる気力も湧いてこない。

 

 そんな状態だからだろうか。

 魔女と戦うことよりも、倒れた後のことを思い出してしまうのは。

 

『助けられて良かった。僕はこのフラン公領の領主。君の名前は──?』

 

 あの雨の日、倒れていた私を拾ってくれたのは領主様だった。領主様は、私が魔女であると知っても、態度を変えることはなかった。

 

 ただ一言。

 

『魔女であろうとなかろうと。君は僕の領民だ。好きなだけ、ここにいるといい』

 

 そう……言ってくれた。

 行く当てのない私を館に迎え入れ、やがて従者として仕えることまで許してくれた。あの方がいなければ、今の私はここにいない。

 

 あの方のもとへ、帰らなければ。

 

「こんなところで、倒れているわけにはいかないっ」

 

 ギリと奥歯を噛み締め、地面に投げ出されていた剣へと右手を伸ばす。

 悲鳴を上げる体を無理矢理起こし、剣を杖代わりにして立ち上がった。

 

 そして木の陰からそっと顔を出す。

 

(いない………)

 

 覗いた場所に、魔女の姿は見えなかった。

 

(逃げたのか……いや、隠れているだけと言う可能性も……)

 

 魔女がまだ近くにいるのなら、再び戦うことになるかもしれない。私は傷の具合を確かめた。

 

 全身が軋む。骨が折れているかどうかまではわからないが、少なくとも右腕は動かせそうだった。

 

 無理をすれば剣を振るくらいできるだろう。

 一番の問題は右脚が上手く動かせないことか。

 

(戦うにせよ逃げるにせよ。片足が不十分な状態では……)

 

 青黒い痣が広がる右脚を見て、思わず顔をしかめる。

 少し力を込めると、ずきりと痛みが走った。

 

「ぃっ……これは、ダメね。動かせないわ」

 

 痛みを訴える右足を押さえ、さてどうしようかと考えていた矢先、『パキリ』と枝が折れる音がした。

 

「──魔女っ!」

 

 音の方へサッと振り返る。

 木陰の向こうから、魔女がふらつきながらも真っ直ぐに、こちらに向かって歩いてきていた。

 

「……魔女も足を引きずっている。まあ、地面を爆発させればそうもなるわね」

 

 視線を下げると、彼女の手には弓が握られている。が、矢はつがえられていない。

 だらりと下げられたもう片方の手に、血塗れた矢が握られている。

 

 魔女も浅からぬ傷を負っているらしい。

 

「こちらに向かっていると言うなら、引き付けて斬る。これしかない」

 

 自分も相手も満足に動けないなら取れる選択肢は自然と少なくなる。

 走れない私が、弓矢から逃げ切れるとは到底思えなかった。

 

 じっと、木の陰に隠れて機を待つ。

 呼吸を整え、静かに魔女の力を身体中に巡らせ、剣の範囲内に入る時を待つ。

 

 一歩……二歩……三歩……。

 

 降り続ける雨がやけに冷たく感じる。

 

 ザク……ザク……と、魔女の足音がゆっくりと近づいてくる。

 

(もう少し……!)

 

 耳を澄ませずとも足音が聞こえるほど、魔女が近づいてきた。

 剣を握る手に力がこもる。

 

(足音が……止まった!?)

 

 一定間隔で鳴っていたはずの足音が急に聞こえなくなったのだ。

 

(何が……まさか、隠れているのに気づかれた? いや、気づいているならもう射っているはず)

 

 見つからないように、そっと木から顔を出す。

 魔女は少し離れた場所で立ち止まり、顔を森の入り口の方へ向けていた。

 

(魔女、一体何を見て…………あれは──!)

 

 魔女の見ている方へ視線を移す。

 森の中でも少し開けた空間に、幾人もの兵士たちに守られた領主様の姿があった。その隣には、見覚えのない少女が険しい顔で魔女を見ていた。

 

「領主様!!」

 

 その姿を見たことで、思わず大きな声を出してしまった。

 

「アイリス……!」

 

 私の姿を認めた領主様が、安堵の表情を浮かべてこちらへ駆け寄ろうとする。その後ろを、黒髪の少女が追った。

 

「隊長、魔女を逃がすな!」

「隊長さん。領主様は私が守ります!」

「わかった。イリア殿、領主様を頼む! 全員、魔女を包囲しろ! 決して不用意に近づくな!」

 

 隊長の号令とともに、兵士たちが左右へ展開していく。

 その間にも領主様は私のもとへ駆け寄り、肩を支えてくれた。

 

「アイリス、大丈夫か!」

「領主様……申し訳ありません。魔女を仕留めることができず……」

「そんなことはいい。まずは君の傷を見せてくれ」

 

 領主様が私の傷を見ていく。

 痛ましげに傷を見つめる領主様の視線に、申し訳なさと、どこか恥ずかしいような気持ちが込み上げた。

 

「酷い傷。早く治療しないと」

「ああ。イリア、力を貸してくれ。まずはアイリスを安全な場所へ移そう」

「はい!」

 

 イリアと呼ばれた少女がもう片方の肩を支えようとする。

 それをそっと押しとどめ、私は弓矢を持つ魔女へと視線を向けた。

 

 魔女は周囲を取り囲もうとする兵士たちから逃げようとし、しかしその足の状態からうまく動けないでいた。

 

「領主様、私のことは大丈夫です。それより、そちらの方は」

 

 黒い長髪に琥珀色の瞳をした少女。

 白を基調とした服を身にまとい、その左肩には黒い装飾が施されている。

 

「彼女はイリア。教皇からの使者だ。詳しいことは街に帰ってから話すよ」

「……わかりました」

 

 詳しく聞きたい気持ちはあるが、今はそれどころではない。

 

「ここなら大丈夫だ。アイリス、少し待っていてくれ」

 

 領主様は私を支えながら安全な場所まで移動させたあと、近くにいた兵士を呼び止め、私の手当てを命じた。

 駆け寄ってきた兵士は、私の右脚を見るなり顔をしかめた。

 

「これは……無理に動かさない方がよさそうですね」

 

 兵士は持参していた鞄から包帯を取り出すと、手際よく応急処置を始めた。

 

「……っ!」

「痛みますか?」

「気にしないで。それよりも領主様、魔女は手負いです。ただ、まだ抵抗はするかと。捕縛するなら、気をつけてください」

「ああ。イリア、来てくれ」

 

 こくりと頷くイリアを連れて領主様が離れていく。

 それを見ながら、その隣に立てないことへの悔しさに目を瞑る。

 

「領主様……ご武運を……」

 

 小さく呟き、私は体から力を抜いた。

 空を見上げれば、あれほど降り注いでいた雨が、ぽつりぽつりと弱まっているのがわかった。

 

 もうすぐ雨が止む。

 じきに、森に光が差し込むだろう。

 

 薄れゆく意識の中、私はただ、領主様の無事を祈り続けた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。