閃光のような速度で、矢が飛んでくる。
眉間を狙ったその矢をイリアが斬り払った。
「させませんよ」
「──っ」
僕を狙った一撃。
魔女は口元を歪め、再び矢を放った。
「何度射ようと同じです。もう、貴女に私たちを突破して領主様を殺す力はありません」
2度目の矢。
それを止めたのはイリアではなく、僕を守る兵士の1人。
彼の持つ鋼鉄の盾が、その矢を防いでいた。
「投降しなさい。貴女に勝ち目はありませんよ」
イリアの圧に押されるように、魔女が後ずさる。
息を荒げ、周囲を見渡す彼女に兵士たちが矢を向けていた。
「詰みだね」
「はい。いくら魔女でも、あそこまで疲弊していては逃げられません。投降せずとも、このまま消耗させていけばじきに捕まえられるでしょう」
僕の呟きに、イリアが反応する。
「心配なのは、彼女の傷の深さです。下手をすれば、捕縛した時には死んでしまうかも知れません」
「……」
抵抗を続けようとする魔女を見る。
血に塗れたその姿は、思わず目を背けたくなるほど痛々しかった。
大きく束ねられたオレンジ色の髪も、今は泥と血に汚れている。
それでも、その目だけは死んでいなかった。
周囲の兵士たちを睨みつける目は血走り、今なお激しい殺意を宿している。
弓を握る手は震えていた。立っていることさえ辛いはずだ。
勝ち目などないはずだ。それでも彼女は、弓を手放そうとしない。
「なぜなんだ。なぜ、あそこまで抵抗する」
「彼女が魔女だから」
「……どういうことだい」
魔女であることと、勝ち目のない抵抗を続けること。その繋がりが、僕にはわからなかった。
「魔女は強い感情をきっかけに目覚めるということは知ってますか?」
「ああ。それは知っているが……」
「裏返せば、一度目覚めた魔女は感情に支配されやすいんです。制御できないほど強い感情に呑まれれば、魔女の力も相まって自分で止まることができないの」
魔女に悲しみの視線を向けるイリア。
同じ魔女として、思うところがあるのかもしれなかった。
「つまり、あの魔女は理由はわからないが自分で止まれないぐらい強い殺意を持ってるってことか。止める方法は」
「ない。けど、もしかしたら……」
イリアが諦めたように首を振る。
しかしそのあとすぐ、僕の手の中の『ティクーンの杖』を見て、「その杖なら可能性はあるかも」と言った。
「領主様、いつでも撃てますが、どうしますか」
彼女につられ、杖を見る僕の横から声がかかる。
右手を上げ、兵士たちにいつでも合図を打てるようにしている隊長が僕の指示を待っていた。
「撃たなくていい。魔女は……できれば助けたい」
敢えて捕縛という言葉は使わなかった。
獣の唸り声とよく似た声を発しながらこちらを睨み続ける魔女に同情したためだ。
こちらを見る隊長の目が「甘いですね」と言いたげに細められている。
否定することはできそうになかった。
「イリア、この杖はどう使えばいい」
「教皇様はなにも……ただ、教皇様はいつもその杖に向かって祈ってました。人々を心から信じ、愛せる者だけがその力を扱うことができると」
雨脚が弱まる中、彼女の言葉がやけに強く聞こえた。
「これは──」
手の中が熱い。
杖の先にある深緑色の宝石が淡い光を放っていた。
まるで、杖が彼女の言葉を肯定しているようであった。
「領主様……杖が……!」
驚くイリアをよそに、僕の中には確信が満ちていく。
まだこの杖がなにをできるのかはわからない。
だが、杖が光を放っているのなら、きっと何かを起こせる。
抵抗を続ける魔女を見て、僕は彼女に近づく覚悟を決めた。
「隊長、なんとか彼女のそばまで近づきたい。少しでいい、動きは止められないか」
「難しいですね。手負いの獣ほど、よく暴れます。死なせず無力化するとなると」
「……それなら、私が動きを押さえましょう」
悩む僕と隊長に、イリアが腰から剣を抜いた。
「私の力で一気に取り押さえます。大勢でやるよりも、まだ抵抗は少なく済むと思います」
魔女の力を解放したのだろう。彼女の細身の剣が、みるみるうちに真紅に染まっていく。
「わかった。イリア、頼む!」
「はい。行きます!!」
魔女を取り囲む兵士の後ろから、イリアが飛び出す。
そのすぐ後ろを僕は追いかける。
「死ィィィネェぇえええっ!!」
近づいてくるイリアを脅威と見た魔女が弓を引き絞る。
最後の力を振り絞るかのように魔女の力を込められた矢は、真っ赤に染まり、これまでの比ではない威力を予感させた。
「イリア!」
「このまま走って!」
前を走るイリアの足は止まらず、むしろその速度を上げて魔女に近づいていく。
数秒もあれば彼女の剣の間合いに入るだろう。
だがその前に、魔女の一撃の方が早い。
魔女にたどり着く一歩が、やけに遠く感じた。
──ビシュゥッ。
赤い光の尾を引きながら、矢が放たれる。
イリアに向けられていたであろう矢は、地面を抉り取りながら進む。
──避けられないっ……!
一瞬、脳裏に走った走馬灯に足が止まりそうになる。
「させないっっっ!!」
前に立つイリアの剣が、弧を描く。
赤と紅。魔女とイリアの一撃は刹那、衝突し、混じり合った。
風圧から顔を守りながら、待つ。
一瞬が、10秒にも20秒にも感じた。
「っ………うぅ──はぁぁあああ!!」
気合い一閃。
振り抜いたイリアの剣が魔女の矢を──断ち斬った。
激しい炸裂音が響き、衝撃が周囲に広がった。
その中を、すかさず僕とイリアが走る。
驚いて目を見張る魔女のもとへ。
「!?」
魔女が傷ついた足で後ずさりながら、次の矢をつがえようとする。だが、その時にはもう遅く、イリアは剣の間合いまで踏み込んでいた。
「逃がさない!」
距離を取ろうとする魔女より先に、イリアが剣を振り上げる。
剣は魔女の弓を捉え、空高く弾き飛ばした。
武器を失った魔女に、すかさずイリアが勢いよくぶつかり、その身体を押し倒す。
彼女は暴れようとする魔女にのしかかり、その動きを強引に押さえこんでいた。
「領主様、今です!」
「ああ!」
すぐさま魔女のそばに駆け寄り、膝をつく。
彼女に向けて、杖を突き出す。
──ティクーンの杖。叶うなら、彼女を助けてくれ!
しかし、突き出した杖は淡い光を放つばかりで、何も起こらない。
「なに!?」
驚き、もう一度杖を魔女に突き出す。
だが、杖は淡く光るのみであり、殺意に塗れる魔女には何も変化が起こらなかった。
「なにも……起こらない!?」
「そんな…………はっ! 領主様、すぐに離れて!!」
「ぁ゛ぁ゛ァアアアっっ!!!」
杖が反応しないことに、呆然としたのか、イリアの手が一瞬緩んだ瞬間、魔女が片腕を伸ばした。
「がぁっ……ッ!」
魔女の手が僕の首を掴む。
万力のような力で首を絞められ、息が詰まる。視界の端がじわじわと暗くなっていった。
「許……さない……死ねぇっ!」
もうほとんど残されていないであろう体力で、ありったけの殺意と怒りが魔女の手に乗っている。
彼女の指先から、その怒りの深さが伝わってくるようであった。
「この、離しなさいっ」
足で体重をかけ、起き上がれないようにした魔女の手を、イリアが必死に引き離そうとする。
しかし、魔女の力が強いためか、多少指先を開かせるだけで僕の首から離させることはできないようだった。
『領主様っ!!』
遠くで聞こえた。兵士たちの声。
すぐに、僕の元へやってくるだろう。
「まず……い。どう、すれば……」
だが、下手をすればその前に僕が死んでしまう。
呼吸もままならない状態で思考する僕の脳裏に、一つの映像がよぎった。
『我々少年騎士団の入団希望者か。名前は?』
『ガルム……あたいは、ガルムだ』
知らない少年と少女がいた。
少女は自分のことをガルムと名乗り、少年少女たちで構成された騎士団に入っていた。
それは知らない記憶。
僕のものではない。誰かの記憶だった。
視界の端で、杖が光っているのが見えた気がした。
(ガルム……まさか、この魔女の名前──!)
知らない記憶が、次々と頭の中へ流れ込んでくる。
『あたいもここまでか……皆は、大丈夫かな』
少年騎士団への入団と仲間の裏切りによる遠征先での敗北。
独房で処刑の時を待つだけだった少女は山賊たちと出会った。
『強くあれ。強く生きろ』
復讐心を抱く彼女に語りかける、山賊の頭領の言葉。
少女はその言葉を胸に、山の民として生きていく。
かつてすべてを失った少女が、再び得た仲間たちに囲まれ、笑っていた。
『穢れた魔女を討伐するのだ!』
再び現れた裏切り者によって、ようやく手に入れた居場所が奪われていく。
何年もの出来事が、ほんの一瞬で僕の中を駆け抜けていった。
流れ込んでくる記憶を辿りながら、僕はこれが魔女の記憶であると確信する。
そして、それが杖によるものであることも。
「──」
意識が戻ってきた。
目の前には変わらず僕の首を絞める魔女と、その手を離させようとしているイリアの姿があった。
──そうか……だから、君は……!
彼女が憎悪に囚われ、暴れている理由。
それは、杖が教えてくれた。
そして、もはや敵味方の区別すらできていないことも。
思い出していたのは、森の道中で射抜かれていた山賊の遺体。
山の民として迎え入れられた彼女にとって、彼らは大切な仲間だったはず。
だが、彼女はそんな仲間たちまで、騎士と見境なく射殺してしまった。
それほどまでに感情に呑まれているのなら、なおさら彼女を助けてあげたい。
だが、今更それがわかったからなんだというのか。
何が足りないのか。淡い光を放ちながらも杖は反応せず、意識は遠のくばかり。
『教皇様はいつもその杖に向かって祈っていました』
薄れゆく意識の狭間、イリアから聞いたことを思い出す。
(祈る……祈るとはいったい……)
「くっ、仕方ありません。もう、斬るしかっ」
首を絞められ、今にも意識を失いそうになる中、イリアが剣を構えるのが見えた。
(ダメだ。それは……それでは、彼女が死んでしまう!)
「領主様!!」
兵隊長たちが駆け寄ってくる。その目には魔女への敵意があり、イリアがしなくても彼らが魔女にとどめを刺すだろう。手遅れになる前に……。
(頼む……杖よ……ティクーンの杖よ。なぜ、反応しない。光ったのは、彼女を助けるためじゃないのか!?)
懇願するような問いかけに、しかし杖は反応せず、先ほどと変わらない淡い光を発し続けている。
(頼む。お願いだ。僕の祈りを、聞いてくれ。怒りと悲しみに呑まれてしまった彼女を、助けたいんだ!!)
縋るように、両手で杖を強く握る。
その瞬間、深緑色の光が眩いほどに輝いた。
「ティクーンの杖が……!」
イリアの驚く声。
煌々と輝きを放つ杖を、魔女に向ける。
途端に、光が魔女を包み込んだ。
「ぁっ…………頭……領……」
光に包まれた魔女は一度大きく目を見開き、手を緩ませた。
僕に殺意を向けていた彼女の目は、今はもう、僕ではない『ナニカ』を見ていた。
「かはァっ……はぁ……はぁ……」
自由になった体に思いっきり空気を取り込む。
雨に湿った空気が何よりも美味しかった。
「領主様、ご無事ですか」
「……ふぅ。大丈夫だ」
魔女の手から離れたことで自由になった身体を追いついた隊長が後ろから支えていた。
「魔女は……」
「どうやら、気を失ったようです」
兵士の1人が、気を失った魔女に触れる。
全身から血を流す魔女は動く様子はなく、彼女からはもう、危険な雰囲気も感じなかった。
「領主様、先程の光は……」
「隊長、その話は後にしよう。僕にもわからないことが多い。それより、急いで彼女に応急処置を。街へ連れて帰ろう」
「はっ!」
隊長が兵士たちに指示を飛ばす。
気を失った魔女のもとへ兵士たちが駆け寄るのを見届けてから、僕は杖を高く掲げた。
「皆、よく戦ってくれた! 戦いは終わった。僕たちの勝利だ!」
その言葉に応えるように、兵士たちが一斉に歓声を上げた。
森の中に、勝鬨が響き渡る。
「イリア。今回はありがとう。君がいなければどうなっていたことか……イリア?」
歓声を上げる兵士たちから振り返ると、イリアが目を丸くしていた。
そして茫然自失としながら剣を落とし、次いで感極まったように僕の手を取った。
「ずっと探してた。やっぱり君が継承者。世界を救う人なんだね!」
「イ……イリア……?」
これが彼女の素なのか。敬語も忘れた様子で嬉しそうに涙を流す彼女に、僕の頬が緩む。
「さあ、帰ろう。アイリスのことも心配だしね」
「ええ。帰りましょう!」
涙を拭き取ったイリアが森の入り口へ歩き出す。
雨が止んだ雲間から差し込む光の中、彼女の後を追うため僕も歩き出した。
その瞬間、視界がぐらりと揺れた。
「……あ……れ?」
足から力が抜ける。
「領主様!!」
誰かの叫び声を聞きながら、僕はドサリと地面に倒れ込んだ。
(何が…………)
駆け寄ってくるイリアたちの姿が、ぼやけていく。
何が起きたのかもわからないまま、僕の意識は闇の中へと落ちていった。