ハリーに憑依したらライバルが女の子だった件 作:TSドラコファンクラブ終身名誉会長
階段下の物置は、蜘蛛の巣と埃の匂いが立ち込めていた。暗がりの中、額の鋭い痛みに顔をしかめながら目を覚ました瞬間、脳裏に流れ込んできたのは「自分は平凡な現代人だったはずだ」という強烈な違和感と、そして――自分がハリー・ポッターという少年になってしまったという信じがたい現実だった。
映画の記憶が頭を駆け巡る。巨大な城、空飛ぶ箒、魔法の杖。そして、背筋を凍らせるような蛇のような顔の男――ヴォルデモート。
(嘘だろ……映画は観たことあるけど、原作小説なんて読んでないぞ……!?)
映画ですら過酷を極めた戦いだった。生き残るためには、そして映画と同じ、いやそれ以上の完璧なハッピーエンドを迎えるためには、これから訪れる試練のすべてを、血を吐くような努力で乗り越えなければならない。
けたたましい金切り声と、物置の扉を激しく叩く拳の音が、冷酷な現実を突きつけてきた。
「起きなさい! さっさと起きるのよ!」
「すぐに行きます、伯母さん!」
叔母のペチュニアの声、そしてバタバタと階段を乱暴に駆け下りる振動が頭上に響く。ダドリーの重たい足音だ。今日は従兄のダドリーの誕生日であり、一家で動物園へと向かう悪夢のような一日が始まろうとしていた。
物置の中で小さく息を吐き、映画の知識を頼りにダドリーの機嫌を損ねない立ち回りを考えながら、すぐさまキッチンに向かい朝食の準備に取り掛かる。
フライパンから漂ってくるベーコンの焦げる匂いが、居間に充満する。
「おい、ボーイ! ベーコンを焦がすんじゃないぞ! ダドリーの特別な日なんだからな!」
居間の方から響く伯父の威圧的な怒鳴り声。
映画の記憶通りなら、ここでボロを出せばさらに冷遇されるだけだ。まずは体力をつけ、機転を利かせ、魔法界へ足を踏み入れるその日までダーズリー家をやり過ごさなければならない。運命の歯車が、いま静かに軋みを上げて回り始めていた。
額の傷をそっと押さえ、今後の生存戦略を素早く頭の中で整理してからドアを開ける
映画の記憶では、この動物園のイベントが魔法使いとしての自覚の第一歩だったはずだ。しかし、怒鳴り散らすバーノン伯父とヒステリックなペチュニア伯母の機嫌を損ねれば、食事すら抜かれかねない。まずは大人しく従順な居候を演じ、体力を温存するのが最善手だった。
物置の軋むドアをそっと押し開けて台所へ足を踏み入れると、すでに不機嫌そうな顔をしたバーノン伯父が新聞から視線を上げ、豚のような目でこちらを睨みつけてきた。
「のろのろするな! ベーコンの火加減を見ろ。一枚でも焦がしたら、お前の取り分は抜きだからな!」
「ああ、愛しのダドリーちゃん! お誕生日おめでとう! プレゼントは居間にぜんぶ並べてあるわよ!」
金切り声でダドリーを甘やかす伯母の横を抜け、フライパンへと向かう。ジュージューと音を立てるベーコンの脂が跳ね、手首にちくりとした熱痛が走るが、顔には一切出さずに手際よく裏返す。その時、居間の方から甲高い不満の声が上がった。
「……三十六個? 去年よりふたつ少ないじゃないか!」
「まあ、ダドリーちゃん、マージ叔母さんの大きなプレゼントを数えてないわ! ほら、あそこにあるでしょう?」
「それでも三十七個だ! 去年は三十八個だったんだぞ!」
地団駄を踏み、今にも癇癪を起こしそうな巨大な従兄の姿。映画で観たあの理不尽な光景が、現実の強烈な質感をもって目の前で繰り広げられていた。
ダドリーの癇癪が爆発し、テーブルを揺らすほどの勢いで喚き散らす横で、一切の感情を殺してフライパンに意識を集中させた。ジュワリと音を立てる豚肉の脂。絶妙なタイミングで裏返し、縁がカリッと黄金色に染まったところで、一枚の焦げ目もなく皿へと滑り込ませる。
「ふん!まぁまぁだな、おいダドリー、出かけたら新しいのをふたつ買ってやるからな! それでいいだろう?」
「……じゃあ、三十九個?」
「ええ、もちろんよ、可愛いダドリーちゃん!」
完璧な焼き加減の皿を音もなくテーブルに置くと、伯父は文句のつけようがない朝食を前に小さく鼻を鳴らしただけで、理不尽な怒声を浴びせてくることはなかった。息を潜め、壁際に徹して空気のように溶け込む。
その時、けたたましく電話のベルが鳴り響いた。ペチュニア伯母が受話器を取り、しばらくして青ざめた顔で戻ってくる。
「あなた、大変よ……フィッグさんが足を折ったんですって。今日はあの子を預かれないって!」
「なんだと!? じゃあどうするんだ、このろくでなしを車に置いていくわけにもいかんし、家に残せば何を仕出かすか……!」
夫婦の冷たい視線が、部屋の隅に立つこちらへと突き刺さる。映画の筋書き通り、動物園への同行が決まろうとしていた。
動物園の爬虫類館では、映画の記憶を総動員して危機を回避した。ガラスにへばりついて蛇を威嚇するダドリーの背後には近寄らず、蛇が目配せをしてきても極力感情を揺らさないよう平静を保ったのだ。おかげでガラスが消える怪奇現象も起きず、ダドリーが檻の中に落ちることもなく、何事もなく平穏に帰宅を果たしていた。
夕闇が下りた階段下の物置。蜘蛛が隅を這う埃っぽい暗がりの中、硬いマットレスの上に背を預け、一人静かに思考を巡らせる。
映画の展開通りなら、もうすぐ11歳の誕生日に向けて大量のホグワーツ入学許可証が届き、やがてハグリッドが迎えにやってくるはずだ。そこからダイアゴン横丁へ向かい、ホグワーツ特急に乗り、魔法魔術学校での生活が幕を開ける。
だが、現実は映画のスクリーンの中の物語ではない。肌で感じる痛み、理不尽な悪意、そしていずれ対峙しなければならないヴォルデモートの脅威は本物だ。生き残り、誰も死なせない完璧なハッピーエンドを掴み取るためには、人一倍どころではない努力が必要になる。基礎体力の向上、呪文の修練、そして――誰を味方につけ、どう立ち回るか。
(……入学前のダイアゴン横丁で、まずは教科書を徹底的に読み込む時間を確保しなきゃならない。それに、人間関係だ。映画だと確か、マルフォイが最初に絡んできて敵対したはずだが……)
ふと、記憶の中の生意気な白金ブロンドの少年の姿が頭をよぎる。しかし、この世界で待ち受けている運命の細部は、映画の知識だけでは計り知れない変数を孕んでいた。