SPIDER-MAN 作:戦士
「僕は、どっちも救う」
そう宣言したピーター・パーカーに対して、黒いスパイダーマンは拍手を送った。
『それでこそ、スパイダーマンだ』
そして。
『――かつての僕と、まったく同じだ』
その言葉を最後に、黒い人影は屋根の向こうへと消えた。
ピーターは、しばらく窓の外を睨みつけていた。
やがて、深く息を吐く。
「……オーケー」
両手で頬を叩いた。
「考えろ、ピーター。考えるんだ」
現在の状況を整理しよう。
まず、僕は過去に戻っている。
正確には、過去とよく似た別の世界かもしれない。
そして、この世界では七日間の何かが起こる。
一日目。
ネッドが死んだ。
二日目。
ベンおじさんが死ぬ予定らしい。
しかも、助ければメイおばさんが死ぬという。
「……そんな馬鹿な話があるか」
ピーターは机に向かった。
ノートを開く。
ペンを握る。
そして、最初のページに大きく書いた。
『誰も死なせない方法』
その下に、思いつく限りの対策を書き始めた。
強盗事件を未然に防ぐ。
ベンおじさんを家から出さない。
メイおばさんも家から出さない。
二人を安全な場所に避難させる。
警察に通報する。
最悪の場合、二人を抱えてニューヨークから脱出する。
「……よし」
ペンを置いた。
「完璧だ」
数秒後。
「……いや、全然完璧じゃない」
ピーターは頭を抱えた。
何しろ相手は、運命そのものを操っているらしい。
鍵をかければ火事が起こるかもしれない。
家から出なければガス爆発が起こるかもしれない。
逃げた先に飛行機が墜落するかもしれない。
「……最悪だ」
だが。
ひとつだけ、確かなことがある。
相手がどれほど強大でも。
どれほど理不尽でも。
僕には、やるべきことがある。
ピーターは立ち上がった。
「……まずは、朝ごはんだな」
「ピーター、今日は学校でしょう?」
メイおばさんが、フライパンを片手に振り返った。
「うん。でも、今日は休もうかなって」
「どうして?」
「えっと……家族との時間を大切にしたくて」
メイは目を丸くした。
そして、嬉しそうに笑った。
「あら、まあ」
「……何?」
「あなたがそんなことを言うなんて」
「そんなに変?」
「変というか……」
メイは、キッチンの向こうにいるベンへ視線を向けた。
「ベン! ピーターが学校を休んで、私たちと一緒にいたいんですって!」
「何だって?」
新聞を読んでいたベンおじさんが顔を上げる。
「お前、何か悪いことでもしたのか?」
「してないよ!」
「学校で問題を起こしたとか?」
「違う!」
「女の子を妊娠させたとか?」
「ベン!!」
メイが叫んだ。
ピーターは顔を真っ赤にした。
「ちょっと! 僕まだ十五歳なんだけど!?」
ベンは豪快に笑った。
「冗談だよ、冗談」
「笑えないって!」
「そうか? 私は結構面白かったぞ」
「僕の人生を何だと思ってるの!?」
いつもの朝。
何でもない会話。
くだらない冗談。
ピーターは、その光景を見つめた。
そして。
思わず、笑ってしまった。
「……はは」
ベンが首を傾げる。
「どうした?」
「……いや」
ピーターは、二人の顔を交互に見た。
「なんか、いいなって」
「何が?」
「こういうの」
メイは微笑んだ。
「そうね」
彼女はピーターの前に、焼きたてのパンケーキを置いた。
「家族って、そういうものでしょう?」
ピーターは、フォークを握る手に力を込めた。
「……うん」
絶対に守る。
今度こそ。
この二人を。
午前十時三十五分。
クイーンズの住宅街。
ピーターはベンとメイを連れて、近所の公園に来ていた。
表向きは家族での散歩。
実際には、周囲の警戒である。
ピーターのスパイダーセンスは、常に周囲を探っていた。
不審者。
暴走車両。
落下物。
危険な建物。
すべてに注意を向ける。
「……ピーター?」
メイが声をかけた。
「何?」
「さっきから、ずいぶん周りを見ているけど」
「え?」
「何か探してるの?」
「……鳥」
「鳥?」
「うん。珍しい鳥がいないかなって」
ベンが笑った。
「鳥なら、あそこにいるぞ」
彼が指差した先には、一羽のハト。
「……ハトだね」
「ああ、ハトだ」
「珍しくないね」
「ニューヨークのハトは、なかなか図太いぞ」
「それは知ってる」
三人は笑った。
そのとき。
――チリッ。
頭の奥に、警報が走った。
ピーターの表情が変わる。
「……!」
道路の向こう。
一台のトラックが、猛スピードで交差点に進入してきた。
運転手はハンドルに突っ伏している。
意識を失っているのだ。
そして、進行方向には。
横断歩道を渡る親子がいた。
「……くそっ!」
ピーターは駆け出した。
「ピーター!?」
メイの声を背に、全力で走る。
普通の十五歳ではあり得ない速度。
一瞬で道路に飛び出す。
トラックまで残り五メートル。
三メートル。
一メートル。
「止まれええええ!!」
両手を突き出した。
ドゴォン!!
凄まじい衝撃。
アスファルトが砕ける。
ピーターの靴が地面を削る。
それでも。
トラックは止まった。
横断歩道の親子まで、わずか数十センチ。
「……っ、はあ……!」
ピーターは荒い息を吐いた。
「……間に合った」
周囲から歓声が上がる。
「すげえ!」
「何だ、あの子!?」
「素手でトラックを止めたぞ!」
ピーターは慌てた。
「え、えっと……火事場の馬鹿力?」
誰も納得していない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
親子は無事。
運転手も生きている。
誰も死んでいない。
「……よし!」
ピーターは拳を握った。
その瞬間。
ポケットの携帯電話が震えた。
画面には、短いメッセージ。
『運命変更を確認』
続いて。
『代償を再計算中……』
「……何?」
ピーターの笑顔が消えた。
そして。
背後から、悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああっ!!」
振り返る。
公園のベンチ。
そこに座っていた老人が、突然倒れたのだ。
「……!」
ピーターは駆け寄った。
脈を確認する。
呼吸がない。
心肺蘇生を開始する。
「誰か! 救急車を!」
胸骨圧迫を繰り返す。
一回。
二回。
三回。
「頼む……!」
数分後。
救急隊が到着した。
ピーターは後ろに下がった。
救急隊員たちが処置を続ける。
そして。
「……死亡確認」
その言葉が聞こえた。
ピーターは、動けなくなった。
「……また?」
携帯電話が震える。
『代償処理完了』
『死亡者:一般市民一名』
『ベン・パーカー:生存』
『メイ・パーカー:生存』
ピーターは画面を見つめた。
「……ふざけるな」
誰かを救えば。
誰かが死ぬ。
それが、この世界のルールなのか。
「……だったら」
ピーターは携帯電話を握りしめた。
「誰が、そんなルールを決めたんだよ」
午後二時二十分。
ピーターは、自宅の地下室にいた。
ベンとメイには、疲れたから休むと伝えてある。
だが、休んでいる場合ではなかった。
机の上には、古いパソコン。
分解された電子機器。
そして、ノートに書き殴られた数式。
「……時間の巻き戻しじゃない」
ピーターは呟いた。
「少なくとも、普通のタイムトラベルじゃない」
一日目。
ネッドが死んだ。
しかし二日目には、生き返っていた。
世界が巻き戻ったのか。
それとも、世界そのものが作り直されたのか。
「……もし、後者なら」
ピーターはパソコンに数式を入力した。
並行世界。
量子状態。
因果律。
時間軸の分岐。
かつて、ドクター・ストレンジから聞いた話を思い出す。
「マルチバース……」
そう呟いた瞬間。
背後から声がした。
「正解」
ピーターは振り返った。
地下室の暗がり。
そこに、黒いスパイダーマンが立っていた。
「……お前」
「やあ、ピーター」
「どうやって入った?」
「窓」
「地下室に窓はない」
「じゃあ、ドア」
「鍵がかかってた」
「細かいことを気にするなよ」
黒いスパイダーマンは、肩をすくめた。
ピーターは拳を握った。
「……あの老人を殺したのか?」
「違うよ」
「嘘をつくな!」
「僕は何もしていない」
黒いスパイダーマンは、静かに言った。
「彼は、死ぬ運命だったんだ」
「……何?」
「君がトラックを止めなければ、あの親子が死んでいた」
「……」
「君が親子を救ったから、代わりに老人が死んだ」
「そんなの、おかしいだろ!」
「おかしい?」
黒いスパイダーマンは首を傾げた。
「君は今まで、何人救ってきた?」
「……何?」
「百人? 千人? もっとかな?」
「それがどうした!」
「その中に、本来死ぬはずだった人間は何人いた?」
ピーターは答えられなかった。
「君が救った人たちは、その後どうなった?」
「……」
「彼らが生き延びたことで、別の誰かの人生が変わったかもしれない」
「……だからって」
「君はずっと、世界を変え続けてきたんだよ」
黒いスパイダーマンは、ゆっくりと歩き始めた。
「でも、君は一度も考えなかった」
「……何を」
「自分が救った命の、その先を」
ピーターは歯を食いしばった。
「……救わなければよかったって言いたいのか?」
「いいや」
黒いスパイダーマンは、立ち止まった。
「救うことは、間違いじゃない」
その言葉は、意外だった。
「……だったら」
「ただし」
黒いスパイダーマンは振り返った。
「すべてを救えると思うことは、傲慢だ」
ピーターは黙った。
「君は、自分が何者だと思ってる?」
「……」
「神様?」
「違う」
「救世主?」
「違う!」
「じゃあ、何だ?」
ピーターは、真っ直ぐに彼を見た。
「……スパイダーマンだ」
黒いスパイダーマンは、動きを止めた。
「僕は、スパイダーマンだ」
ピーターは続けた。
「神様じゃない。救世主でもない」
「……」
「ただ、困っている人がいたら助けたい」
「……」
「目の前で誰かが死にそうなら、手を伸ばしたい」
「……」
「それだけだ」
黒いスパイダーマンは、しばらく黙っていた。
やがて。
「……そうか」
小さく呟いた。
「やっぱり、君は僕なんだな」
「……?」
「何でもない」
彼は背を向けた。
「ところで、ピーター」
「……何だよ」
「君は、ミゲル・オハラを覚えてる?」
その名前を聞いた瞬間。
ピーターの脳裏に、奇妙な光景が浮かんだ。
赤と青のスーツ。
巨大な体格。
鋭い爪。
未来都市。
そして。
無数のスパイダーマンが集う、巨大な施設。
「……ミゲル?」
知らない。
はずだった。
だが、なぜか。
その名前を聞いただけで、胸がざわついた。
黒いスパイダーマンは、ピーターの反応を見て笑った。
「……まだ思い出せないか」
「何の話だ?」
「君は一度、彼に会っている」
「……そんな記憶はない」
「そうだろうね」
黒いスパイダーマンは、指を鳴らした。
すると。
地下室の壁に、巨大な映像が浮かび上がった。
そこに映っていたのは。
赤と青のスーツを着た、筋骨隆々の男。
スパイダーマン2099。
ミゲル・オハラ。
彼は、誰かに向かって叫んでいた。
『キャノン・イベントを壊すな!』
映像が切り替わる。
崩壊する世界。
消えていく建物。
逃げ惑う人々。
そして。
その中心で、泣き叫ぶ一人の少年。
赤と黒のスーツ。
マイルス・モラレス。
『僕は、どっちも救う!』
ピーターは息を呑んだ。
それは。
つい先ほど、自分が言った言葉と同じだった。
「……マイルス?」
黒いスパイダーマンは頷いた。
「彼は、運命に逆らった」
「……」
「君と同じように」
「……それで?」
「彼は、世界を救おうとした」
黒いスパイダーマンの声が低くなる。
「でもね、ピーター」
映像が変わった。
そこには、崩壊したニューヨークが映っていた。
赤い空。
倒壊したビル。
そして。
無数のスパイダーマンの死体。
「運命を壊した先に、何があると思う?」
ピーターは、何も言えなかった。
黒いスパイダーマンは、ゆっくりと告げた。
「……何もないんだよ」
午後五時四十五分。
ピーターは、自宅のリビングにいた。
ベンおじさんが、テレビを見ている。
メイおばさんは、夕食の準備中。
何でもない光景。
しかし。
携帯電話の画面には、赤い文字が浮かんでいた。
『死亡予定時刻:午後六時十二分』
残り二十七分。
ピーターは、ベンの隣に座った。
「……ねえ、おじさん」
「ん?」
「ちょっと、聞いてもいい?」
「もちろんだ」
ピーターは、しばらく言葉を探した。
「……もしさ」
「うん」
「誰かを助けようとして、別の誰かが死んだら」
ベンは、テレビの音量を下げた。
「……どういうことだ?」
「例えば、の話だよ」
「うん」
「目の前に、二人の人がいる」
「……」
「どっちも危険な目に遭ってる」
「……」
「でも、片方しか助けられない」
ピーターは俯いた。
「……どうすればいいと思う?」
ベンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……難しい質問だな」
そう答えた。
「……うん」
「私にも、正解はわからない」
ピーターは顔を上げた。
「……おじさんでも?」
「ああ」
ベンは微笑んだ。
「大人だからって、何でもわかるわけじゃない」
「……」
「ただ、ひとつだけ言えることがある」
「……何?」
「選ばなかった方の命を、軽く考えてはいけない」
ピーターは黙った。
「助けられなかった人にも、家族がいる。友達がいる。大切な人がいる」
「……」
「だから、どんな選択をしても、きっと後悔するだろう」
ベンは、ピーターの肩に手を置いた。
「でもな、ピーター」
「……うん」
「後悔するからといって、手を伸ばすことをやめてはいけない」
ピーターの目が見開かれた。
「……おじさん」
「大事なのは、結果だけじゃない」
ベンは続けた。
「自分が何を信じて、どう行動したかだ」
「……」
「それでも救えなかったなら、悲しんでいい。泣いていい」
「……」
「だが、自分が生きていることまで、罪にしてはいけない」
ピーターの目から、涙が零れた。
「……っ」
ベンは驚いた。
「お、おい、どうした?」
「……なんでもない」
「ピーター?」
「……ごめん」
ピーターは、ベンに抱きついた。
「……ごめん、おじさん」
ベンは、何も言わなかった。
ただ、静かに抱きしめ返した。
そのとき。
携帯電話が震えた。
『死亡予定時刻まで、残り五分』
ピーターは顔を上げた。
「……おじさん」
「ん?」
「今日は、絶対に外に出ないで」
「……何?」
「お願いだ」
ベンは、真剣な表情になった。
「……何かあったのか?」
ピーターは、答えられなかった。
そのとき。
キッチンからメイの声がした。
「ベン! ちょっと手伝ってくれる?」
「おう、今行く!」
ベンが立ち上がる。
ピーターも、立ち上がった。
その瞬間。
――チリッ。
スパイダーセンス。
今までにないほど、強烈な警報。
「……っ!?」
窓の外。
一台の黒い車が、猛スピードでこちらへ向かっていた。
運転席には、誰もいない。
「……嘘だろ!」
ピーターは叫んだ。
「二人とも、伏せて!!」
ドゴォォォン!!
車が、家の壁を突き破った。
爆発。
炎。
崩れ落ちる天井。
ピーターは、反射的に二人を抱えた。
そして。
窓を突き破り、外へ飛び出した。
ズガァァァン!!
背後で、家が崩壊する。
ピーターは地面を転がった。
ベンとメイを庇いながら。
「……っ、はあ……!」
息を整える。
二人を見る。
ベンは無事。
メイも無事。
「……よし」
ピーターは、笑った。
「……やった」
二人とも、生きている。
「……やったぞ!」
初めて。
初めて、運命に勝った。
そう思った。
そのときだった。
「……ピーター?」
メイの声。
「……何?」
「ベンが……」
ピーターは振り返った。
ベンおじさんが、胸を押さえていた。
「……おじさん?」
ベンは、苦しそうに息を吐いた。
「……すまん、ピーター」
「……何?」
「……ちょっと、胸が……」
そのまま。
彼は倒れた。
「……おじさん?」
ピーターは駆け寄った。
脈を確認する。
弱い。
呼吸が浅い。
「……嘘だろ」
心臓発作。
強烈な衝撃と恐怖が、引き金になったのだ。
「……やめろ」
ピーターは胸骨圧迫を始めた。
「やめてくれ……!」
メイが泣き叫ぶ。
「ベン!!」
ピーターは、必死に蘇生を続けた。
「……頼む」
一回。
二回。
三回。
「……お願いだ」
だが。
ベンの心臓は、止まった。
午後六時十二分。
予定されていた、その時刻に。
外側
「……どうして」
ピーターは、ベンの身体を抱きしめていた。
「……どうしてだよ」
目の前には、泣き崩れるメイ。
燃え上がる家。
遠くから聞こえるサイレン。
「……僕は、助けたのに」
声が震えた。
「……ちゃんと、助けたのに」
そのとき。
背後から声がした。
「だから、言っただろ?」
黒いスパイダーマン。
彼は、燃え上がる家を背に立っていた。
「運命は、変えられない」
ピーターは、ゆっくりと立ち上がった。
「……お前」
「ベン・パーカーは、死ぬ」
「……」
「それが、この世界のキャノン・イベントだ」
「……黙れ」
「君が何をしようと、結果は変わらない」
「黙れ……!」
「だって、彼の死がなければ――」
黒いスパイダーマンは、静かに告げた。
「スパイダーマンは、生まれないんだから」
ピーターの拳が震えた。
「……だったら」
「ん?」
「スパイダーマンなんて、いらない」
黒いスパイダーマンの動きが止まった。
「……何?」
ピーターは、涙を拭った。
「おじさんが死ななきゃ、スパイダーマンになれない?」
「……」
「だったら、ならなくていい」
「……ピーター」
「誰かの死が必要なヒーローなんて……!」
ピーターは、叫んだ。
「そんなもの、僕は認めない!!」
その瞬間。
空が割れた。
巨大な亀裂。
世界全体が、軋み始める。
黒いスパイダーマンが、ゆっくりと空を見上げた。
「……ああ」
彼の声が、初めて震えた。
「……やっぱり」
ピーターは、拳を握った。
「……何だよ」
黒いスパイダーマンは、静かに言った。
「その言葉を、待っていた」
「……え?」
黒いスパイダーマンは、自分のマスクに手をかけた。
そして。
ゆっくりと、脱いだ。
そこに現れたのは。
ピーター・パーカーの顔だった。
ただし。
今のピーターより、ずっと年老いていた。
顔には無数の傷。
片目は白く濁っている。
髪には、白いものが混じっていた。
そして。
その瞳には、底知れない疲労が宿っていた。
「……君は、僕だ」
男は言った。
「でも、別の世界の僕じゃない」
ピーターは、息を呑んだ。
「……じゃあ」
「僕はね、ピーター」
男は、寂しそうに笑った。
「君が、何千回もこの七日間を繰り返した、その成れの果てなんだ」
「……何千回?」
「そう」
男は頷いた。
「ベンを救おうとした」
「……」
「メイを救おうとした」
「……」
「ネッドも、MJも、グウェンも」
「……」
「みんな、救おうとした」
男の声が震えた。
「でも、救えなかった」
「……」
「何度やっても」
「……」
「何万回、やり直しても」
ピーターは、言葉を失った。
男は、ゆっくりと手を差し出した。
「だから、僕は決めた」
「……何を」
「運命を変えるんじゃない」
黒いスパイダーマンは、空の亀裂を見上げた。
「運命そのものを、殺すんだ」
その瞬間。
空の向こうから、巨大な影が現れた。
無数の赤い糸。
それらを束ねる、巨大な蜘蛛のような存在。
そして。
世界中の人間の頭上に、細い糸が伸びていく。
ベンにも。
メイにも。
ネッドにも。
MJにも。
そして、ピーター自身にも。
黒いスパイダーマンは、静かに言った。
「紹介するよ、ピーター」
「……何を」
「僕らの、本当の敵を」
巨大な蜘蛛が、ゆっくりと目を開いた。
その瞳は、無数の宇宙を映していた。
「――運命を紡ぐ者」
黒いスパイダーマンは、その名を告げた。
「マスター・ウィーバー」
ピーターは、空を見上げた。
そして、ようやく理解した。
自分が戦っている相手は。
強盗でも。
怪物でも。
別の世界のスパイダーマンでもない。
すべてのスパイダーマンの人生を、蜘蛛の巣のように織り上げてきた存在。
そのものだった。