SPIDER-MAN 作:戦士
「――マスター・ウィーバー」
黒いスパイダーマンが、その名を告げた。
空には、巨大な蜘蛛がいた。
いや。
それを蜘蛛と呼んでいいのか、ピーターにはわからなかった。
八本の脚。
無数の眼。
身体から伸びる、数え切れないほどの赤い糸。
その一本一本が、どこか別の世界へと繋がっている。
そして、その糸の先には。
誰かの人生があった。
「……あれが、運命?」
ピーターは呟いた。
隣に立つ黒いスパイダーマンが、静かに頷く。
「正確には、運命を織る者だ」
「……織る?」
「蜘蛛の巣を想像してみろ」
男は空を指差した。
「一本の糸が切れたところで、蜘蛛の巣は壊れない。周囲の糸が、その穴を埋める」
「……」
「でも、中心を支える糸が切れたら?」
ピーターは空を見上げた。
「……全部、崩れる」
「そうだ」
黒いスパイダーマンは頷いた。
「スパイダーマンの人生にも、中心となる糸がある」
「……ベンおじさんの死?」
「そのひとつだ」
男は続けた。
「愛する人との別れ。取り返しのつかない失敗。守れなかった命」
「……」
「そういう出来事が、僕らをスパイダーマンにする」
ピーターは拳を握った。
「……そんなの、おかしい」
「わかってる」
「誰かが死ななきゃヒーローになれないなんて……!」
「わかってるんだよ、ピーター」
黒いスパイダーマンの声が、少しだけ強くなった。
「だから僕は、何度もやり直した」
男は、自分の手を見つめた。
「ベンを救った。メイを救った。グウェンを救った」
「……」
「ネッドも、MJも、トニーも。僕が失った人間を、全員救おうとした」
「……それで?」
男は、笑った。
ひどく疲れた笑顔だった。
「……世界が壊れた」
その瞬間。
空に浮かぶ巨大な蜘蛛が、こちらを向いた。
無数の眼が、一斉に開く。
そして。
世界中に、声が響いた。
『――異常個体を確認』
ピーターは身構えた。
「……喋った?」
『因果律への干渉を検知』
巨大な蜘蛛の脚が、ゆっくりと動き始める。
『対象:ピーター・ベンジャミン・パーカー』
赤い糸が、ピーターの身体に絡みついた。
「うわっ!?」
引き剥がそうとする。
しかし、糸はびくともしない。
『規定された物語からの逸脱を確認』
「……物語?」
『修正を開始する』
次の瞬間。
ピーターの視界に、無数の光景が流れ込んできた。
ベンおじさんが撃たれる。
グウェンが落下する。
メイおばさんが息を引き取る。
トニー・スタークが指を鳴らす。
MJが自分を忘れる。
何度も。
何度も。
何度も。
「……やめろ」
ピーターは呻いた。
「……見せるな」
しかし、光景は止まらない。
『これらは必要な出来事である』
「……違う」
『喪失は英雄を形成する』
「違う……!」
『犠牲なき英雄は存在しない』
ピーターは、顔を上げた。
「――違うって言ってるだろ!!」
その瞬間。
赤い糸が、一本だけ切れた。
巨大な蜘蛛の動きが止まる。
『……?』
黒いスパイダーマンも、目を見開いた。
「……まさか」
ピーターは、荒い息を吐いた。
「……僕は」
拳を握る。
「誰かが死んだから、スパイダーマンになったんじゃない」
赤い糸に、亀裂が走る。
「ベンおじさんが死んだから、人を助けるようになったんじゃない」
「……ピーター」
「僕は、ずっと……!」
ピーターは叫んだ。
「誰かを助けたいと思ってたんだ!!」
バチンッ!!
赤い糸が、砕け散った。
巨大な蜘蛛が、初めて後退した。
『……理解不能』
ピーターは、ゆっくりと立ち上がった。
「だったら、覚えておけよ」
空を見上げる。
「僕は、ピーター・パーカー」
そして。
「親愛なる隣人、スパイダーマンだ!!!」
「……驚いたな」
黒いスパイダーマンが呟いた。
ピーターは振り返る。
「何が?」
「僕には、できなかった」
「……何?」
「あの糸を切ることだ」
黒いスパイダーマンは、自分の腕を見せた。
そこには、無数の赤い糸が食い込んでいた。
まるで、皮膚の下に根を張っているかのように。
「僕は何千回も繰り返した」
「……」
「何度も運命に逆らった」
「……」
「でも、結局は同じ結末に辿り着いた」
ピーターは、男の腕を見つめた。
「……どうして?」
「僕が、過去に囚われていたからだ」
男は、静かに言った。
「失ったものを取り戻すことしか、考えていなかった」
「……」
「だから、何度やり直しても、同じだった」
ピーターは、何も言わなかった。
男は、ゆっくりとマスクを被り直した。
「……ピーター」
「何?」
「ひとつ、謝らなきゃいけないことがある」
「……?」
「ネッドを殺したのは、僕だ」
空気が凍った。
「……何?」
「一日目。オズコープの研究施設」
「……」
「君の父親の姿をした怪物を、あそこに送り込んだ」
ピーターは、ゆっくりと拳を握った。
「……お前が?」
「ああ」
「……なんで」
「君に、わかってほしかった」
「……何を」
「運命を変えることの、恐ろしさを」
ピーターは、男の胸ぐらを掴んだ。
「……ふざけるな」
「……」
「ネッドは、お前の実験道具じゃない!!」
男は抵抗しなかった。
「……わかってる」
「わかってるなら、どうして!!」
「……僕も、同じことをされたからだ」
ピーターの動きが止まった。
「……何?」
黒いスパイダーマンは、静かに続けた。
「僕も、最初は君と同じだった」
「……」
「誰も死なせたくなかった。全員救いたかった」
「……」
「でも、何度やり直しても、誰かが死んだ」
男は、空を見上げた。
「そして、気づいたんだ」
「……何に」
「僕を苦しめていたのは、運命じゃない」
男の声が震えた。
「……僕自身だった」
ピーターは、何も言えなかった。
「救えなかった自分を、許せなかった」
「……」
「だから、何度でもやり直した」
「……」
「でも、どれだけ繰り返しても、過去は変わらなかった」
男は、ゆっくりとピーターを見た。
「だから、君には違う答えを出してほしかった」
「……」
「僕が辿り着けなかった、答えを」
ピーターは、男の胸ぐらから手を離した。
「……だからって」
「……ああ」
「ネッドを殺していい理由には、ならない」
男は頷いた。
「……その通りだ」
そして、静かに言った。
「だから、僕を許さなくていい」
その言葉には、嘘がなかった。
ピーターは、しばらく男を見つめた。
やがて。
「……ひとつ、聞いていい?」
「何だ?」
「……ネッドは、また生き返るんだよね?」
男は頷いた。
「三日目になれば、世界は再構築される」
「……ベンおじさんも?」
「ああ」
「……メイおばさんも?」
「そうだ」
ピーターは、深く息を吐いた。
「……だったら」
拳を握る。
「次こそ、誰も死なせない」
黒いスパイダーマンは、微笑んだ。
「……やっぱり、君は僕だ」
その瞬間。
世界が、再び白く染まった。
三日目の朝
「ピーター! 朝ごはんよ!」
聞き慣れた声。
ピーターは、ゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。
机の上のパソコン。
壁に貼られた科学雑誌。
「……三日目」
時計を見る。
午前七時。
窓の外は、いつもと変わらないニューヨーク。
しかし。
何かが違った。
「……?」
机の上に、一枚の写真が置かれていた。
昨日までは、なかったものだ。
そこには、二人の少年が写っていた。
一人は、ピーター。
そして、もう一人は。
黒人の少年。
赤と黒のスーツを着た、若いスパイダーマン。
「……マイルス?」
その瞬間。
背後から声がした。
「やっと起きた?」
ピーターは、勢いよく振り返った。
窓際。
そこに、一人の少年が座っていた。
黒いパーカー。
赤いスニーカー。
首にはヘッドホン。
少年は、こちらを見て笑った。
「よっ」
ピーターは、目を見開いた。
「……マイルス・モラレス?」
少年は、首を傾げた。
「え?」
「……君、マイルスだよね?」
「そうだけど」
「……どうして、ここに?」
マイルスは、しばらく黙っていた。
そして。
「……それ、こっちの台詞なんだけど」
「……え?」
マイルスは、ゆっくりと立ち上がった。
「ピーター」
「……何?」
「君、誰?」
ピーターの動きが止まった。
「……は?」
「いや、だから」
マイルスは、真剣な表情で言った。
「君、誰なんだよ」
「……ピーター・パーカーだけど」
「……嘘だろ」
マイルスの顔が青ざめた。
「……何?」
「だって……」
彼は、震える声で言った。
「ピーター・パーカーは……」
そして。
「……昨日、死んだはずなんだ」
「……死んだ?」
ピーターは、呆然とした。
マイルスは頷いた。
「そうだよ」
「……誰が?」
「ピーター・パーカー」
「……僕が?」
「そう」
ピーターは、しばらく考えた。
そして。
「……オーケー」
両手を広げる。
「ちょっと整理しよう」
「うん」
「僕は、ピーター・パーカー」
「そう言ってるね」
「君は、マイルス・モラレス」
「そうだよ」
「そして、僕は昨日死んだ」
「うん」
「……でも、今ここにいる」
「そうなんだよ!」
マイルスは頭を抱えた。
「僕も意味がわかんないんだって!」
ピーターは、深く息を吐いた。
「……マルチバースか」
「……何?」
「別の世界から来たんだろ?」
マイルスの表情が変わった。
「……どうして、それを?」
「僕も、似たような経験がある」
「……」
「それに、君のことも知ってる」
ピーターは、マイルスを見つめた。
「スパイダーマン」
マイルスは、黙った。
そして。
「……やっぱり、君も?」
ピーターは頷いた。
「うん」
「……じゃあ」
マイルスは、ゆっくりと手を差し出した。
「改めて、よろしく」
ピーターは、その手を握った。
「こちらこそ」
二人は、少しだけ笑った。
そのとき。
マイルスが、真剣な表情になった。
「……ピーター」
「何?」
「僕、君に伝えなきゃいけないことがある」
「……?」
「この世界は、もうすぐ消える」
ピーターの表情が変わった。
「……何?」
マイルスは、窓の外を指差した。
そこには。
青空に走る、小さな亀裂があった。
「僕の世界でも、同じことが起きた」
「……」
「最初は、小さな亀裂だった」
「……」
「でも、どんどん大きくなって」
マイルスは、拳を握った。
「……最後には、全部消えた」
ピーターは、息を呑んだ。
「……全部?」
「うん」
マイルスは、俯いた。
「街も、人も、家族も」
「……」
「全部」
ピーターは、何も言えなかった。
マイルスは、静かに続けた。
「僕は、みんなを救おうとした」
「……」
「でも、救えなかった」
「……」
「だから、君にお願いがある」
マイルスは、ピーターを見た。
「僕と一緒に、世界を救ってほしい」
ピーターは、しばらく黙っていた。
そして。
「……もちろん」
そう答えた。
マイルスの顔が明るくなる。
「本当!?」
「うん」
ピーターは、笑った。
「だって、僕らはスパイダーマンだろ?」
マイルスは、嬉しそうに笑った。
「……そうだね!」
二人は、拳を合わせた。
その瞬間。
ピーターの携帯電話が震えた。
画面には、赤い文字。
『DAY 03 / 07』
続いて。
『本日の死亡予定者:
マイルス・モラレス』
ピーターの笑顔が消えた。
「……え?」
そして。
さらに一文が表示された。
『救済条件:ピーター・パーカーの死亡』
ピーターは、画面を見つめた。
マイルスが首を傾げる。
「……どうしたの?」
ピーターは、ゆっくりと顔を上げた。
「……なんでもない」
そう答えた。
だが。
その手は、震えていた。
窓の外。
遠くのビルの屋上。
黒いスパイダーマンが、こちらを見つめていた。
そして。
小さく、呟いた。
「……さあ」
「今度は、どうする?」
午前九時。
ピーターとマイルスは、ニューヨークの屋上にいた。
二人とも、スパイダーマンのスーツを着ている。
ピーターは赤と青。
マイルスは赤と黒。
「……それで?」
マイルスが聞いた。
「どこから調べる?」
ピーターは、街を見渡した。
「まずは、オズコープだ」
「オズコープ?」
「この世界の異変は、あそこから始まった」
「……なるほど」
マイルスは頷いた。
「じゃあ、行こう!」
彼は、屋上から飛び降りた。
「ちょっ、待って!」
ピーターも慌てて飛び降りる。
二人のウェブが、ビルに伸びた。
カシュッ!
カシュッ!
ニューヨークの空を、二人のスパイダーマンが駆け抜ける。
「うおおおおっ!!」
マイルスが叫ぶ。
「やっぱ、最高だな!」
ピーターは笑った。
「何が?」
「こうやって、誰かと一緒に飛ぶの!」
「……そうだね」
ピーターは、隣を飛ぶ少年を見た。
若い。
まだ、十五歳か十六歳くらいだろう。
自分と同じくらいの年齢。
なのに。
その背中には、すでに多くのものが背負われている。
ピーターは、携帯電話の表示を思い出した。
『救済条件:ピーター・パーカーの死亡』
……僕が死ねば。
マイルスは助かる。
そういうことなのか?
ピーターは、唇を噛んだ。
「……ねえ、マイルス」
「ん?」
「ひとつ、聞いていい?」
「いいよ!」
「……もしさ」
「うん」
「自分が死ねば、誰かを救えるとしたら」
マイルスは、少しだけ黙った。
そして。
「……それ、誰かに言われたの?」
ピーターは驚いた。
「……え?」
マイルスは、真剣な表情でこちらを見た。
「僕も、同じことを言われたことがある」
「……」
「僕が運命に逆らえば、世界が壊れるって」
「……」
「だから、誰かを見殺しにしろって」
ピーターは、黙った。
「でも、僕は嫌だった」
マイルスは、前を向いた。
「誰かを救うために、誰かを犠牲にするなんて」
「……」
「そんなの、ヒーローじゃないだろ?」
ピーターは、目を見開いた。
マイルスは、笑った。
「だから、僕は決めたんだ」
「……何を?」
「両方救うって」
ピーターは、思わず笑ってしまった。
「……はは」
「何?」
「いや」
ピーターは、空を見上げた。
「……僕と同じこと、考えてるなって」
マイルスは、にやりと笑った。
「そりゃそうだろ」
そして。
「僕ら、スパイダーマンなんだから!」
二人は、再びウェブを放った。
そのとき。
――チリッ。
ピーターのスパイダーセンスが鳴った。
同時に。
マイルスも、顔を上げた。
「……ピーター」
「……うん」
二人の視線の先。
オズコープ研究施設。
その屋上に。
巨大な赤い蜘蛛の紋章が浮かび上がっていた。
そして。
施設の周囲に、無数の人影が現れた。
赤と青。
黒と赤。
白と黒。
様々なスーツを纏った、蜘蛛の戦士たち。
「……嘘だろ」
ピーターは呟いた。
そこには。
何百人ものスパイダーマンがいた。
その中心に立つ、一人の男。
赤と青の未来的なスーツ。
鋭い爪。
巨大な体格。
「……ミゲル・オハラ」
スパイダーマン2099。
彼は、ピーターとマイルスを見上げた。
そして。
低い声で告げた。
「……ようやく見つけた」
マイルスが身構える。
「……ミゲル」
ミゲルは、ゆっくりと腕を上げた。
その背後で、何百人ものスパイダーマンが構える。
「ピーター・パーカー」
「……何だ?」
「お前は、存在してはいけない」
ピーターの表情が変わった。
「……は?」
ミゲルは、静かに続けた。
「お前が存在する限り、すべての世界が崩壊する」
「……」
「だから」
彼は、鋭い爪を伸ばした。
「ここで、お前を消す」
その瞬間。
何百人ものスパイダーマンが、一斉に飛び出した。
ピーターは、拳を握った。
マイルスも、身構えた。
二人は、顔を見合わせる。
「……ピーター」
「……うん」
「これ、ヤバくない?」
「……かなりね」
「どうする?」
ピーターは、笑った。
「決まってるだろ?」
そして。
二人は、同時にウェブを放った。
「――逃げる!!」
「だよねええええええ!!」
ニューヨークの空に、二人の悲鳴が響いた。
その背後から。
何百人ものスパイダーマンが、追いかけてきた。
「待てえええええ!!」
ミゲルの怒号が響く。
「待てって言われて待つ奴がいるかあああ!!」
マイルスが叫び返す。
「マイルス! 挑発しないで!」
「先に怒鳴ったの向こうだろ!?」
ピーターは、ビルの間を飛び回った。
右。
左。
上。
下。
無数のウェブが飛んでくる。
「うわっ!?」
ピーターは、間一髪で回避した。
「……これ、何人いるの!?」
マイルスが叫ぶ。
「数えてる暇ない!」
「百人くらい!?」
「もっといる!」
「二百!?」
「数えるなって!!」
二人は、必死に逃げ続けた。
そのとき。
ピーターの頭の奥で、強烈な警報が鳴った。
――チリチリチリチリッ!!
「……っ!?」
振り返る。
ミゲルが、目の前に迫っていた。
「逃がさん!!」
巨大な爪が、ピーターの胸を狙う。
「ピーター!!」
マイルスが叫んだ。
次の瞬間。
彼の身体から、黄色い電撃が迸った。
バチィィィッ!!
「ぐあっ!?」
ミゲルが吹き飛ぶ。
ピーターは、マイルスを見た。
「……今の、何!?」
「ヴェノム・ブラスト!」
「……便利だね!?」
「だろ!?」
二人は、再び飛び出した。
しかし。
その先に。
一人の女性が立っていた。
白いフード。
黒と白のスーツ。
優雅な身のこなし。
「……グウェン?」
マイルスが、目を見開いた。
スパイダー・グウェン。
彼女は、静かに二人を見つめた。
「……マイルス」
「……グウェン!」
マイルスが笑った。
「よかった! 助けに来てくれたんだろ!?」
しかし。
グウェンは、動かなかった。
「……ごめん」
その声は、震えていた。
マイルスの笑顔が消える。
「……え?」
グウェンは、ゆっくりとウェブシューターを構えた。
「……今回は、助けられない」
「……グウェン?」
彼女の目から、涙が零れた。
「……ピーター」
ピーターは、彼女を見た。
「……何?」
グウェンは、震える声で言った。
「……あなたは、もう死んでいるの」
ピーターは、息を呑んだ。
「……何?」
「本当のピーター・パーカーは、七日前に死んだ」
「……」
「今、ここにいるあなたは……」
グウェンは、唇を噛んだ。
そして。
「……死んだピーターの記憶から作られた、偽物なの」
その瞬間。
ピーターの視界が、揺れた。
「……偽物?」
グウェンは頷いた。
「……そう」
「……じゃあ」
ピーターは、自分の手を見つめた。
「……僕は、何なんだ?」
誰も答えなかった。
そのとき。
背後から、あの声がした。
「……ようやく、そこまで辿り着いたか」
黒いスパイダーマン。
彼は、ゆっくりと歩いてきた。
「……お前」
ピーターは、振り返った。
「……全部、知ってたのか?」
黒いスパイダーマンは、頷いた。
「……ああ」
「……じゃあ、教えろ」
ピーターは、拳を握った。
「……僕は、誰なんだ?」
黒いスパイダーマンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……ピーター」
静かに、告げた。
「君は、僕が作った」
「は?」
「僕が、何千回も繰り返した七日間」
「……」
「その中で、どうしても救えなかったもの」
「……」
「それが、君だ」
ピーターは、言葉を失った。
黒いスパイダーマンは、ゆっくりと続けた。
「君は、僕が失った希望そのものなんだよ」
その瞬間。
世界が、激しく揺れた。
空に、巨大な亀裂が走る。
マスター・ウィーバーの声が響いた。
『――異常個体、排除を開始』
無数の赤い糸が、ピーターに向かって伸びる。
ミゲルが叫んだ。
「全員、退避しろ!!」
しかし。
遅かった。
赤い糸が、ピーターの胸を貫いた。
「っ!?」
マイルスが叫ぶ。
「ピーター!!」
ピーターは、自分の胸を見下ろした。
そこには、赤い糸が突き刺さっていた。
そして。
身体が、ゆっくりと透け始めた。
「……ああ」
ピーターは、小さく呟いた。
「……そういうことか」
彼は、ようやく理解した。
自分は、過去に戻ったわけではない。
別の世界に来たわけでもない。
誰かが作り出した、存在しないはずのピーター・パーカー。
それが、自分だった。
だが。
ピーターは、笑った。
「……それでも」
顔を上げる。
「……僕は、僕だ」
赤い糸を掴む。
「たとえ、偽物でも」
力を込める。
「誰かが作った存在でも」
糸が軋む。
「僕が、誰かを助けたいと思う気持ちは……!」
そして。
ピーターは、叫んだ。
「――本物だろうがあああああ!!」
バチィィィィン!!
赤い糸が、砕け散った。
マスター・ウィーバーが、咆哮する。
『――理解不能!!』
ピーターは、空へと飛び上がった。
マイルスが、笑った。
「……そうこなくっちゃ!」
グウェンも、涙を拭った。
「……まったく」
ミゲルは、拳を握った。
「……あり得ない」
そして。
黒いスパイダーマンは、静かに呟いた。
「……ありがとう」
その声は、誰にも届かなかった。
ただ。
彼の頬を、一筋の涙が伝っていた。