商店街の入口には、新しい照明がついていた。
まだ日が高いので、灯ってはいない。支柱の根元に、寄贈した団体の名前が小さく記されている。
ホークスはその名を携帯へ打ち込んだ。
資料で見た会社と、同じ住所だった。
「明るくなりましたよ、夜」
隣の店から、店主が声をかけてきた。
ホークスは顔を上げた。帽子はかぶっているが、隠せるほど顔を変えたわけではない。背中に羽がなくても、気づく人は気づく。
「そうですか」
「前は十時も過ぎると、駅まで歩くのが怖かったんですけどね。見回りもしてくれるし」
店主が通りの奥を指した。
制服姿の警備員が二人、停めてある自転車を端へ寄せている。持ち主らしい子供が頭を下げ、片方の警備員が何かを言って笑わせた。
ホークスはその様子を見た。
「警察への届け出も減ったって聞きました」
「ええ。前に倉庫が摘発されたでしょう。あれから、変な連中も来なくなった」
情報を渡したのは、オール・フォー・ワン側だった。
摘発したのは、警察とヒーロー。
照明を設置し、警備会社を紹介したのは、支援団体。
店主は、その三つが繋がっているとは知らない。
「ところで、商店会の会計をされてた方について、少し」
名前を告げると、店主の顔から笑みが薄れた。
「辞めましたよ」
「今、どちらにいらっしゃるか、ご存じですか」
「奥さんが、療養だって」
「辞める前に、何か話してませんでした?」
店主は店内を見た。
客はいない。
「会費が上がるとか、契約がどうとか。そういう揉め事はありましたけどね」
「何の契約です?」
「警備をまとめて頼むことになって。それに反対してたんです。要らないって」
ホークスは、さっきの警備員へ視線を戻した。
「入らない店があっても、巡回はするんですか」
「さあ。そこまでは」
店主は言い、少し声を落とした。
「でも、前よりいいんですよ。そこは、本当に」
「分かりました」
ホークスは答えた。
分かったことと、納得したことは違う。
今は、前者だけでよかった。
*
会計担当の男がいなくなる前夜、商店会の事務所に車が来ていた。
通りの防犯カメラには映っていなかった。
新しい警備会社へ管理が移った際、一部の機器に不具合があったという。
だが、向かいの惣菜店は、自分の店のカメラをそのまま使っていた。
店の女性が、裏口で映像を見せてくれた。
男は歩いて車へ乗っていた。両側に人がいる。腕を掴まれてはいないが、逃げ道もない。
「これ、警察に渡してもらえます?」
女性が小さな記憶媒体を差し出した。
「もちろん。ただ、元の映像は消さずに残してください」
「もう、別にも取ってあります」
ホークスは頷いた。
「前より売上が増えたって、皆言うんです」
女性は、表の通りを見ずに言った。
「うちも増えました。夜にお客さんが来てくれるようになったから。でも、あの人が何を言ってたか、なかったことにしていいわけじゃないでしょう」
「何を言ってたんですか」
「最初の一年は安い。辞めるときには、設備の費用を一括で払わなきゃいけない。そんな契約を、説明もしないで皆に判子を押させるなって」
女性は記憶媒体から手を離した。
「それで、連れていかれるようなことですか」
「いいえ」
ホークスは即答した。
「映像は、受け取った時点でこちらにも責任があります。何かあれば、すぐ連絡をください」
連絡先を渡す。
それだけで安全になるとは言えなかった。
彼女も、そうは思っていない顔だった。
それでも、紙を受け取った。
*
男が見つかったのは、二日後だった。
郊外の、静かな療養施設にいた。
家族は所在地を知っていた。ただ、施設から、環境を変えずに休ませた方がいいと説明され、面会を控えていたという。
妻が警察と一緒に訪ねると、施設は入室を拒まなかった。
ホークスが着いたとき、男は妻にお茶を勧めていた。
「来るなら、先に言ってくれればよかったのに」
穏やかな声だった。
妻は、その顔を見たまま座っている。
机に契約書の写しを置くと、男は目を通した。
「これは、見たことがありますね」
「訂正を求めていたことは?」
「私が?」
「記録が残っています」
男は困ったように笑った。
「細かいことを言いすぎたんでしょうか。昔から、そういうところがあるので」
妻が息を吸った。
ホークスは質問を続けた。
商店会の事務所。車。乗ってきた男たち。施設へ来るまでの道。
どれも、はっきりしなかった。
男は説明できないたび、自分の頭の具合を気にした。
記憶の欠落。
また、それだった。
妻が、机の下で鞄を握りしめた。
「家族の顔は覚えてるから、心配しなくていいって」
男が妻を見る。
「ここへ来る前に、電話でそう言われました。仕事のストレスがなくなれば戻るって」
「誰からですか」
「施設を紹介した方です」
妻は名刺を出した。
照明を寄贈した団体の名が、そこにもあった。
*
施設から連れ出すことについて、男は反対しなかった。
家へ帰れるなら、それでいいという。
警察が手配した車へ乗る前、妻がホークスのそばへ来た。
「思い出さなくても、本人が楽なら、それでいいんでしょうか」
ホークスは、車の中の男を見た。
窓越しに、妻へ手を振っている。
「今すぐ思い出すよう、無理をさせる必要はありません」
妻が、少しだけ息をついた。
「でも、何が起きたかは調べます。ご本人が後から知りたいと思ったときに、分からないままにはしたくない」
彼女は頷いた。
「前は、腹を立ててたんです。自分だけの問題じゃないって。あんな顔、家でも久しぶりに見ました」
声が小さくなる。
「あの人、余計なことをしたわけじゃないですよね」
「ええ」
ホークスは答えた。
「必要なことを言ったんだと思います」
妻は目元を押さえ、車へ戻った。
ドアが閉まる。
ホークスは、動き出した車を見送った。
人を一人、取り戻した。
それなのに、取り戻せていないものの方を、見せつけられた気がした。
*
公安へ戻ると、施設の資料が揃い始めていた。
表向きの運営に、露骨な違法性は見つからない。療養を担当していた医師は、男が運ばれてきた時点で、既に記憶の障害があったと説明した。
誰がそうしたのか。
そこへ届く書類は、まだない。
ホークスは調査担当へ、玻璃の関与を確認するよう依頼した。
返答は、その日のうちに来た。
個別の依頼内容には答えない。
あの弁護士を通した、短い返事だった。
ホークスはそれを読んで、携帯を置いた。
勝手に触らない。
あの伝言は、自分に向けたものだった。
ほかの誰に対してもそうするとは、彼女は言っていない。
「施設からの移送は、別の会社が担当していました」
担当者が、新しい一覧を広げた。
医療機関を巡回する車両の運行記録だった。療養施設だけではない。検体を運ぶ。医療機器を運ぶ。患者を送迎する。
その中に、雄英高校の名前があった。
ホークスは指を止めた。
「ここ、何を運んだんです?」
「臨時の検査機材ということになっています。ただ、学校側は、その日時には受け入れていないと」
「発注元は」
「こちらも確認中です」
ホークスは、添付された依頼書を開いた。
再検査の対象者が、一人だけ指定されていた。
緑谷出久。
骨折歴と、個性使用時の負傷。診療情報の写しまでついている。
学校側が照会をかけたことで、検査は止まった。
書類の一部は、本物だった。
*
塚内へ連絡すると、電話口が数秒、静かになった。
「その資料は、限られた担当者だけで扱ってくれ」
「理由を伺っても?」
「直接話す。オールマイトにも来てもらう」
ホークスは、手元の名前を見た。
体育祭で見た少年だった。
力を使うたび、自分の身体を壊していた子。
玻璃が最初に登録を受けた施設と、失踪した協力者たちの診療窓口。
壊理から作られた薬。
緑谷出久の診療情報。
まだ、繋がり方は分からない。
ただ、同じ男の手が届くところに並んでいた。
*
会議室へ入ってきたオールマイトは、ホークスが知っている姿ではなかった。
痩せた身体。
頬の落ちた顔。
大きすぎる服の袖から、細い手首が出ている。
ホークスは立ち上がりかけ、その途中で止まった。
オールマイトが片手を上げる。
「驚かせてすまない」
声は、知っている声だった。
隣に緑谷がいた。
少年は硬い顔で会釈し、オールマイトの座る椅子を少し引いた。手伝われることに慣れていない者同士の、短いやり取りがあった。
ホークスは、その手元を見てしまった。
自分も、病室で同じように椅子を動かしてもらった。
「オール・フォー・ワンとの戦いで負った傷です」
塚内が言った。
「公表していません」
「……そうですか」
ホークスは座り直した。
簡単な返事しか出てこなかった。
街で笑い、誰よりも速く駆けつけていた人間が、その身体で何をしていたのか。
聞く前から、少し分かってしまった。
オールマイトが、緑谷へ目を向ける。
少年は頷いた。
「私の個性は、継承できる」
ホークスは顔を上げた。
「力を蓄え、人から人へ渡していく個性だ。ワン・フォー・オールという」
初めて聞く名だった。
だが、聞いた瞬間に、もう片方の名を思い出した。
「オール・フォー・ワンと、関係が?」
「起源が同じだ」
オールマイトは説明した。
奪って与える兄。
力を渡すだけの個性を持っていた弟。
そこへ与えられた、力を蓄える個性。
二つが混ざり、引き継がれてきたこと。
「私が八代目だ。そして今は、彼が持っている」
緑谷は机の下で手を握っていた。
ホークスは、その手が少年自身のものより大きな役目を持っているように見えて、目を逸らした。
「じゃあ、今のあなたの力は」
「残っているものを使っている。使えば、減る」
「どれくらい、残ってます?」
オールマイトは少し黙った。
「前ほど長くは、動けない」
答えにくい数字を、無理に聞くことはしなかった。
だが、これは知っておかなければならないことだった。
一人の少年を守る話と、一人のヒーローが街を守れる時間の話が、同じところに繋がっている。
*
「僕は、前は無個性でした」
緑谷が言った。
「身体を鍛えて、受け継いで。でも、まだ使い方が」
そこで止まり、言い直す。
「敵に狙われる理由を、先にお伝えした方がよかったと思います」
「君が決めて、誰にでも話していいことじゃないでしょう」
ホークスは返した。
緑谷が顔を上げる。
「俺に気を遣って言ってるなら、そこはいいです。今、何を防ぐかを考えましょ」
「はい」
オールマイトが、机へ手を置いた。
「ワン・フォー・オールは、持ち主の意思に反して奪うことはできない。奴は長く、それを狙ってきた」
ホークスは、その一文を書き留めた。
持ち主の意思。
自分の指に力が入った。
「なら、記憶を扱う個性に接触させるのは、特に危険ですね」
緑谷の顔が強張った。
「目盛、という人ですか」
「はい。名前を知っているなら、直接触れさせないでください。読まれるだけとは限らない」
「本人の気持ちを作り変えることも?」
「起きていないことを、記憶として作ることはできないそうです。でも、判断の材料を抜くことはできる」
ホークスは紙から顔を上げた。
「何を忘れたら、誰を信用するようになるか。そこまで確実に操れるとは思いません。ただ、安全だとは言えない」
玻璃の声が頭をよぎった。
啓悟のは、抜いてないよ。
自分に対する約束を、少年の安全の根拠にはできない。
「彼女に、先代たちのことを読まれる可能性はありますか」
塚内が尋ねた。
ホークスは首を横に振った。
「本人が覚えていないものまで読めるという報告はありません。継承した個性の中に何があるかは、彼女の能力とは別に確認が必要です」
緑谷が、少し迷ってから口を開いた。
「夢で、人影を見たことがあります。体育祭でも、一度」
オールマイトが頷く。
「継承者に関係する現象だと考えている。ただ、私自身にも、全てが分かっているわけではない」
ホークスは書き込んだ。
分かっていないことがある。
そこを、向こうも探っているのかもしれない。
*
打ち合わせの終わりに、緑谷が鞄から小さな封筒を出した。
「通形先輩から、会えるなら渡してほしいと」
ホークスは受け取った。
壊理の写真だった。
机の前に座り、スプーンを持っている。目の前には小さな器がある。
「ゼリーを、自分で選べたそうです」
ホークスは写真を見た。
あのとき、腕の中で動かなかった指。
何かを掴んでいいと、少しずつ分かっていく途中なのだろう。
「ありがとうございます。先輩にも、礼を伝えて」
「はい」
緑谷は頷き、少し迷うように立ち止まった。
ホークスは待った。
「僕も、守ります」
その声に、思わず笑いそうになった。
この少年まで、誰かを守る方へ行こうとする。
今、自分が何から守られているかを説明されたばかりなのに。
だが、笑う話ではなかった。
「じゃ、まず自分が無事でいてください。君がいなくなったら、困る人が多いらしいんで」
緑谷は真剣な顔で頷いた。
オールマイトも、同じ顔をしていた。
ホークスは、受け取った封筒を鞄へ入れた。
まだ、向こうに渡してはいけないものがある。
それが一人の少年の腕の中にあると知って、安心したわけではない。
ただ、抵抗する理由が減っていないことは、はっきりした。
*
偽の検査を手配した会社には、既に人がいなかった。
机と電話だけが残っていた。
だが、運転手は見つかった。通常の医療搬送だと説明され、仕事を請け負ったという。
彼の端末には、目的地が残っていた。
学校で少年を乗せ、指定された建物の地下駐車場へ運ぶ。
診療所ではない。
その先を調べると、個性関連の検体を扱う研究所へ繋がった。
ホークスは捜査に必要な情報だけを担当者へ渡し、緑谷の秘密は伏せた。
研究所へ踏み込んだ部隊は、稼働中の装置と、処分しきれなかった試験記録を押さえた。
人を奪う前に、一つ止めた。
そういう報告ができた。
ただ、押収した記録の表題を見たとき、ホークスは背中を冷やした。
個性因子の活動抑制。
不可逆的な損傷に至る前の作用時間。
八斎會の薬と、共通する処理。
壊すための薬を、壊しきらずに使う研究だった。
「回復薬の開発に必要な検証だという説明も、成り立ちはします」
資料を読んだ医師が言った。
「ただ、目的は一つとは限りません」
ホークスは、自分の左肩へ手を置いた。
あのとき、羽が動かなくなった。
意識はあった。
何を守りたいかも、何をしていたかも、覚えていた。
個性だけが、働かなかった。
ワン・フォー・オールが奪われないのは、持ち主が渡したくないと思うから。
その意思を守っているのも、個性の作用だとしたら。
「これ、至急で共有したい相手がいます」
ホークスは言った。
医師が頷く。
彼は塚内へ電話をかけた。
奪われない。
それが今まで本当だったことと、これからもそうであることは、同じではない。
*
オールマイトとの再協議は、その夜になった。
薬物の研究だけで、ワン・フォー・オールを奪えると断定することはできない。資料には個性名も、成功例もなかった。
だが、緑谷を狙った移送計画と、同じ経路にあった。
「守り方を変える必要があります」
ホークスは言った。
「個性を奪われるかどうか以前に、薬で使えなくされる。その状態で連れ去られたら、こちらが何を頼りに救出すればいいかも変わる」
オールマイトは資料を見ていた。
それから、ゆっくり頷いた。
「彼の力だけに任せてはいけないな」
「ええ」
「君にも、引き続き力を貸してもらいたい」
ホークスは顔を上げた。
オールマイトは、背中を見なかった。
机に広げられた、会社と施設を結ぶ図を見ていた。
「奴がどこまで入り込んでいるのか。私には見えていないところが多い」
「俺にも、まだ全部は見えてません」
ホークスは答えた。
「だから、調べます」
声が、自然に出た。
励まされたのではない。
必要な仕事を、頼まれた。
そのことが、今日はありがたかった。
*
帰りの車で、商店街の前を通った。
照明が灯っていた。
店の前に人がいる。自転車を押す親子。食事の袋を持つ会社員。警備員に挨拶をして、角を曲がる学生。
明るくなった。
それは本当だった。
ホークスは窓越しに、惣菜店の看板を探した。
まだ開いている。
映像を渡してくれた女性が、客へ袋を差し出していた。
調査担当へ、彼女の周辺の警戒を続けるよう連絡する。
それから、会計担当だった男の保護状況を確かめた。
一人ずつだった。
街全体がよくなったという数字の下から、消されたものを一つずつ拾う。
車が信号で止まった。
携帯に、新しい情報提供の受領通知が来た。
また、あの窓口からだった。
ホークスは画面を開いた。
読まないという選択を、相手が自分にさせないことは分かっていた。
それでも、今度こそ相手に届く記録が混ざっているかもしれない。
彼は、最初の頁から読んだ。