神野の翌朝、ホークスは、玻璃の部屋に何分いたかを説明していた。
「送迎車を降りてから、次に業務端末が動くまで五十三分。合っていますか」
「たぶん。それを数えながらお茶飲んでたわけじゃないんで」
「室内で何をしました?」
「照明の電球を交換して、麦茶を一杯」
「接触は」
「ありました。右の手首に。十秒以下」
向かいの職員が顔を上げた。
「記憶の閲覧ですか」
「ええ。俺が昼間に見た店について」
「作戦とは無関係の?」
「場所は神野。売ってたガラスを見たいと言われました」
職員は、しばらく黙って記録を取った。
この沈黙に余計な弁明を足すと、かえって長くなる。ホークスは膝の上で両手を組み、続きを待った。
敵連合の二つの拠点は空になっていた。
突入前の監視では、大人数の移動も、大型車両の出入りも確認されていない。爆豪の証言と合わせれば、逃走には黒霧のワープが使われた可能性が高い。
分からないのは、なぜ逃走を始めたかだった。
外の監視に気づいた可能性はある。どこかで警察の動きを拾ったのかもしれない。あるいは、最初から、救出作戦そのものを知っていたのか。
内部から漏れたと決めつけるには早い。それでも確認は必要で、作戦に関わった者は順番に事情を聞かれていた。
玻璃も、別室にいる。
「閲覧範囲を指定しましたか」
「店の場面だけ、と」
「実際に範囲内だったと保証できますか」
「できませんね」
「それでも許可した」
「はい」
職員がまた何かを書いた。
ここで、彼女はそんなことをしません、と言える男なら楽だった。
言えない理由を、玻璃との付き合いの長さが増やしているのが、我ながら少し嫌になる。
彼女は欲しいものがあると素直に欲しがる。嫌なものは顔に出る。その一方で、何を見たかをいちいち全部説明する人間でもない。
仕事だって同じだ。
報告書に載ったのは、彼女が見た記憶のうち、尋ねられたことに関係すると判断した部分だけだった。
「二人の関係についても確認します。現在、交際は?」
「してません」
「過去には」
「それもありません」
職員が資料を一枚繰った。
逆さに見えた書式に、覚えがあった。
育成課程の面談記録。共同講習の配置。対人関係を利用した協力態度の維持。
ホークスは、口元だけで笑った。
「そこ、まだ使うんですか」
「参考資料です」
「その調整、やめてくださいって俺から言いましたよね」
「記録されています。理由を、今の言葉で確認したい」
昔の自分の判断を、大人の机の向こうから質問される。
同じ時間に授業が入る。課題が組になる。互いの待ち時間が重なる。
当時だって、偶然だとは思っていなかった。それでも、彼女に会える回数が増えるのは嬉しかったから、しばらく黙って利用した。
相手側も、それくらいは承知していたはずだ。
「俺と仲良くすれば仕事を続ける、って見立てが、そもそも違ったんじゃないですか」
「彼女はあなたには協力的だった」
「俺の頼みでも、嫌なことは嫌って言いますよ」
「例えば?」
「昨日なら、ガラスを壊すなって。俺は、人がいたら救助を優先すると答えました」
職員が一度、ペンを止めた。
「その会話は、訪問の申告に追加してください」
了解、とホークスは頷いた。
言われると思った。
だからこそ、最初から話した。
*
玻璃が廊下へ出てきたのは、その二十分後だった。
薄い手袋を着け直しながら、ホークスの隣に座る。壁際の長椅子は二人で使うには十分広いのに、置いてあった鞄を押され、彼は膝へ引き上げることになった。
「長かった」
「俺も」
「買ったものの明細まで聞かれた。あの人、ガラスって全部同じ値段だと思ってない?」
「高いのもあるって説明した?」
「した。分かってなさそうだった」
玻璃は靴先を揃え、背もたれに頭を預けた。
通信履歴、購入履歴、外部との接触。調べる側が知りたいのは価格の妥当性だけではない。
誰かに金を出してもらっていないか。自分の収入では買えないものが、いつの間にか部屋へ運び込まれていないか。
ホークスは、昨夜のガラスの柱を思い出した。
運び方はともかく、購入先と支払いが確認できれば、まずはそれで一つ片づく。
「啓悟、何聞かれた?」
「お前んちで何してたか、とか」
「電球」
「うん。あと、付き合ってるかどうか」
「また?」
玻璃が、目だけをこちらへ向けた。
「そんなに付き合わせたいのかな」
「今のは、そういう質問じゃないでしょ」
「ふうん」
興味を失うのが早い。
昔の資料を出されたせいで少しばかり嫌な気分になっていたのが、馬鹿らしくなる。あちらはまだ手袋の指先を引っ張り、縫い目の位置を直していた。
「店の記憶を見たこと、話した?」
「話したよ。時間も」
「私も。中身は言葉で説明したけど」
玻璃は廊下の奥を見た。呼ばれる気配はない。
「こういうとき、私の記憶も誰かに見せられたら楽なのにね」
ホークスは、少しだけ返事を遅らせた。
彼女がどこで誰に会ったか。昨夜、彼が帰ったあと、何をしたか。
同じ能力を持つ人間がもう一人いれば、調べる側は確実にそうしたがる。
「楽かな」
「いちいち説明しなくていいじゃん」
「見たいとこだけ、見てくれるとは限らないよ」
「啓悟なら?」
こちらへ向き直った顔に、困った様子はなかった。
「俺でも。今の俺なら、隠してることがないか確かめたくなる」
玻璃は一度瞬きをした。
それから、口の端を上げた。
「正直」
「そこをごまかしてもね」
廊下の向こうで扉が開いた。
「目盛さん。午後の確認に入れますか」
玻璃はすぐ姿勢を戻した。
「はい。どちらの方ですか?」
数秒前までの退屈そうな顔が、相手を待つ顔に変わる。
ホークスも立ち上がり、鞄を肩へかけた。
彼女を調べる作業と、彼女を使って調べる作業は、同時に進んでいた。
*
対象になったのは、公安の職員だった。
保護協力者の移送や、機密に関わる車両の手配を担当している。今回も後方の移送計画に関わっていて、決行前夜、申告されていない私用の外出があった。
神野の結果が伝わったあと、本人は事情聴取中にひどく取り乱したという。
今は医療担当の判断で休ませている。
ホークスが資料を読み終えると、玻璃が隣から聞いた。
「何を確認すればいいですか」
「外出先と、接触した相手。作戦情報を誰かに伝えていないか」
調査担当はそこで区切り、続けた。
「それ以外でも、情報漏洩に関係するものが見えたら報告を」
「分かりました」
彼女は手袋を外した。
ホークスはその手と、眠っている男の顔を見た。
知っている顔だった。
子供の頃、遠方の訓練施設へ移るたびに、車を手配していた。話をした回数は多くないが、同行する子供が眠るとラジオを小さくする男だった。
今は頬に髭が伸び、薄い布団の上で指を丸めている。
玻璃がベッド脇に座った。
「始めます」
男の手を取る。
昨夜の運び屋に触れたときと、変わらない手つきだった。
数分の沈黙のあと、彼女が眉を寄せた。
「……電話。女の人です」
「相手は誰ですか」
「待ってください。声だけ。早く来てほしいって言われてる」
調査担当が、机の上にある時刻表へ指を置いた。
「外出直前の通話ですね」
「多分。車は……途中で停めてます。その先は歩いてる」
「誰かと合流を?」
「建物へ入ってます。消毒の匂い。受付……あ、病院」
男の指がわずかに動いた。
玻璃は握り直さず、掌を下から支える位置へ変えた。
「会ってるのは、お母さんですね」
ホークスは顔を上げた。
「母親?」
「うん。……はい。入院してて、急に呼ばれたみたいです。呼吸の音が大きい。何か、言おうとしてるけど」
玻璃の言葉が途切れた。
調査担当が、もう一度時刻表を見た。
「家族との接触を申告しなかった理由は?」
「この人、前にも面会の予定を取り消してます。仕事で。今回も言ったら止められるって思ってる」
誰も、すぐには何も言わなかった。
ホークスは男の顔を見た。
やましいことがなければ話せるはずだ、と言うのは簡単だった。彼自身も、初めて見る相手なら、そう判断したかもしれない。
ただ、この男は、自分の車を病院の駐車場へ入れることさえ避けていた。
「面会中に、作戦の話は出ていますか」
「出てないです。仕事のこと、聞かれてもない。お母さん、あんまり喋れないみたいで」
玻璃は少し俯いた。
「帰らなきゃって、ずっと時計を見てる」
ホークスは壁の時計へ目をやりかけ、やめた。
調査担当が受付の様子や病室の位置を確認する。その質問には必要があった。彼女の言葉だけで、病院へ行ったことも、誰に会ったかも確定はできない。
照合できる情報を出し、別の職員が確かめる。それで初めて、疑いを一つ減らせる。
「病院を出てから帰宅までを、続けてください」
「はい」
玻璃の声に、労わりはなかった。
だからこそ、そのあとも質問は進んだ。
道を戻る。車へ乗る。駐車場で電話をかけようとして、やめる。家へ帰り、翌日の移送経路をもう一度開く。
資料に並ぶ車両番号と、待機場所。
男が何度も同じ箇所を読み返していたらしく、玻璃も途中で眉間を押した。
「ここ、同じことが繰り返し出てきます」
「読み返した内容に不審な点は?」
「分かんないです。家族を乗せる車と、拘束した人を乗せる車を間違えないようにって。それから、前に担当した家族のことも……今回と混ざって見える」
ホークスが資料を閉じた。
「接触相手の確認が先でしょう。仕事の記憶まで遡ると、範囲が広すぎる」
「帰宅後に誰かと連絡していないかは」
「そこは確認してもらう。昔の移送先は、今回の不審点と関係が見つかってからでいいんじゃないですか」
調査担当は少し考え、頷いた。
「目盛さん、帰宅後の外部とのやり取りに絞ってください」
「はい」
玻璃は顔を上げずに答えた。
閲覧は、それから七分続いた。
病院への確認で、面会の事実は裏づけられた。
連絡を入れたのは病院の職員で、男が申告した相手とも一致している。ほかの通信や移動については、引き続き調べることになった。
少なくとも、あの外出だけを根拠に、敵連合との接触を疑い続ける理由はなくなった。
ホークスが調査室へ戻ると、机には既に次の対象者の資料が置かれていた。
「目盛さんの体調は」
「今日は、ここまでにした方がいいでしょうね」
彼は答えながら、さっきの男の資料を取り上げた。
「こっちの人も。確認が済んだら、医療担当に引き継いでください」
「継続して経過を見てもらいます」
「お願いします。……面会に行けるかどうかも、本人が起きたら聞いてやって」
担当者が頷いた。
ホークスは資料を返した。どこまで実現するかは、あとで確かめる。
今、自分にできるのはそこまでだった。
休憩室では、玻璃が紙コップを両手で持っていた。
背を丸めている。扉を開けた彼を見ると、目だけが上がった。
「終わり?」
「今日はね」
「よかった。頭、重い」
「何か食べた?」
「食べてない」
彼も食べていなかった。
思い出した途端、胃のあたりが縮む。
「帰りに食ってく? 俺もまだなんだよね」
「今日は帰る」
「そっか」
玻璃はコップを口へ運びかけて、止めた。
「明日ならいいよ」
「明日もこの調子かもよ」
「じゃあ、終わったら連絡して。遅かったら先に食べる」
「了解」
ホークスは自分にも水を注ぎ、少し離れた椅子へ腰を下ろした。
白い紙コップの縁が、玻璃の親指で浅く潰れている。
ガラスを持つときとは違う。扱いが雑というほどではないが、傾け方にも、置く場所にも、あの慎重さがなかった。
「さっきの人、知ってた?」
彼女から聞いてきた。
「昔、世話になったことがあるよ」
「車の人?」
「うん」
「やっぱり。小さい啓悟の顔が出てきた」
ホークスは水を飲む手を止めた。
「……どの辺まで?」
「車に乗せるところ。お菓子、買うか迷ってた」
「あの人が?」
「うん。渡していいのか、分かんなかったみたい」
そんなことを考えていたとは知らなかった。
覚えているのは、長い移動と、眠る前に小さくなるラジオの音だけだ。
玻璃が、空のコップを見下ろした。
「それも言った方がよかった?」
「いや」
答えてから、ホークスは彼女を見た。
「そういうの、ほかにも見えるんだよね」
「見るよ。探してるとこへ着くまでに、違うのが出ることもあるし」
「見えたものを、全部は報告してない」
「全部言ってたら終わんないじゃん」
玻璃は少しだけ眉を寄せた。
「聞かれたことは答えてるよ」
「うん。そこを責めてるんじゃない」
報告されたことは、別の情報と照らし合わせればいい。
報告されなかったことは、存在したとさえ分からない。
質問を細かくすれば、その穴が全部埋まるわけでもない。聞く側には、彼女が見たものの見当がつかないのだから。
「俺のことが出たなら、それはあとで追記しといて」
「お菓子も?」
「関連する記憶が出た、ってだけでいい。内容は必要になったら」
玻璃は小さく息を吐いた。
「仕事、増やす」
「ごめんね」
「ほんとに思ってる?」
「思ってるよ。明日の飯、俺が出す」
「じゃあいい」
返事が早かった。
ホークスは笑って、残りの水を飲んだ。
さっき名前が出たことに、少し安心していた。彼女は、言わなくてもよかったことを、自分から一つ口にした。
だからといって、ほかにも全部言っている証拠にはならない。
その程度の区別をつけるのに、いつもより気を遣っている。
そこは認めておいた方がよさそうだった。
玻璃を帰したあと、ホークスは自分の聞き取り記録に追記した。
神野の店についての閲覧。
玻璃からの、建物を壊してほしくないという要望。
その後、彼が部屋を出た時刻。
彼女の帰宅後の行動について、彼自身が保証できる部分はない。
書き終えると、閲覧権限を持っていた者の一覧を開いた。
目盛玻璃の名前は、まだそこにある。
ホークスは、確認の済んだ項目だけに印をつけ、次の資料へ進んだ。
*
「黒霧、遅い」
玻璃がそう言ったとき、時計の針は約束の時刻を六分過ぎていた。
リビングの空いている床に、黒い霧が広がっている。
玻璃はソファから起き上がり、霧が棚の脚にかからないことを見届けてから、出てきた相手へ近づいた。
「申し訳ありません。死柄木弔から、確認したいことがあると」
「また弔」
「今回は、すぐに済みました」
「すぐじゃない。六分」
黒霧は言い返さず、持ってきた包みをテーブルへ置いた。
「お食事は?」
「まだ」
「では、こちらを。温かいうちに召し上がってください」
「先生のところ行くんじゃないの?」
「お食事を済ませてからで構わないと、先生から承っています」
玻璃は包みを見た。
それから黒霧の方を見る。
「食べてる間、帰らない?」
「ええ。こちらでお待ちします」
それならいい。
玻璃は椅子へ座り、包みを開けた。蓋を持ち上げると、温かい匂いがした。
公安の部屋では飲み込むのも面倒だった水が、今は普通に飲める気がした。
「弔、まだ怒ってる?」
「何についてでしょう」
「あの子、返したこと」
「ご本人に尋ねてください」
「やだ。うるさいもん」
黒霧は、黙って箸を差し出した。
食べながら、玻璃は棚を眺めた。
啓悟が替えた照明は、今日もちゃんと点いている。赤い羽根の入った瓶には触らず、その隣の小さな器に目を留めた。こちらは少し奥へ置いた方がよかったかもしれない。
いや、今のままの方がいい。
「黒霧」
「はい」
「明日、買い物行ける?」
「死柄木弔のご予定を確認しなければ」
「私が先に言ったのに」
黒霧は静かに、食事が冷めますよ、と言った。
*
先生の部屋には、機械の音がしていた。
玻璃はその音に慣れている。
黒霧に連れられて入ると、奥から声がした。
「お疲れさま、玻璃。今日は大変だったね」
「長かった。私が漏らしたんじゃないかって、いっぱい聞かれた」
「君だけ聞かれない方が不自然だ。よく答えられたかな」
「ちゃんとやったよ。調べたいものも、調べさせたし」
差し出された手へ、自分の手を重ねる。
昼間、公安で見たものを、順番に見せていく。
病院の受付。眠る母親。その隣で何度も時計を見る男。
車内の暗さ。帰宅後に開いた資料。車両番号。連絡先。現在の仕事に混ざって浮かんだ、以前の保護対象たち。
どこが先生の欲しいところなのか、玻璃には分からないものも多い。
だから、こちらでは省かない。
先生が手を軽く動かしたところで、見せるのをやめた。
「十分だ。よく覚えていたね」
「これくらいなら」
玻璃は隣の椅子へ座った。
一斉捜査の前にも、こうして見せた。
公安で受けた配置の説明。突入するヒーローたち。待機場所。始まる時刻。
ついでに、窓を壊されるかもしれない店も見せた。
先生は最後のそれを、面白そうに見ていた。
「店、割れなかったよ」
「そうか。それはよかった」
「啓悟が写真くれた」
携帯を取り出し、昨夜の写真を開く。
先生は見ることを急かさず、玻璃が器の部分を拡大し終えるまで待った。
「あの子を帰してもらえてよかった。黒霧も捕まらなかったし」
「弔には不満が残ったようだけれどね」
「断られたんでしょ? なのに返したら怒るんだもん。変なの」
「欲しい働きをしてくれるとは限らない。それを知ることも必要だよ」
玻璃は、ふうん、と答えた。
携帯の中の器は、やはり実物を見ないと決められそうにない。
「次は、保護されている人たちについても知りたい」
先生が言った。
玻璃は顔を上げた。
「今日の人が覚えてた?」
「一部はね。どんな相手から守られているのか、そのために何を制限されているのか。担当者が普段どんな説明をしているかも」
「またあの人に触らないと」
「機会があればでいい。無理に仕事を増やす必要はないよ」
その言い方なら、嫌ではなかった。
仕事中に見えたものを、あとで先生にも見せる。今までしてきたことと、ほとんど変わらない。
「その人たち、どうするの?」
「役に立つ人間は、安心して働ける方がいい。彼らの安全を、誰が用意できるかという話さ」
玻璃は少し考えた。
「脅かしてる方を、やめさせるってこと?」
「それも、選べる方法の一つだね」
先生の親指が、玻璃の手の甲を一度撫でた。
「君は、欲しかったガラスの家のことを考えておいで」
「……家?」
「まだ欲しいんだろう?」
玻璃は椅子から身を乗り出した。
「窓が大きいだけの家じゃなくて?」
「君が欲しい形を、まず見せてほしい」
壁も、屋根も。
棚を置かなくても、どこを見てもガラスがある家。
考えたことなら、何度もあった。透明な板の重なる角まで、頭の中にある。
けれど、口で話すと大抵の人は笑った。暑そうだとか、外から見えるとか、掃除が大変だとか、聞いていないことを言う。
先生は、見せて、と言った。
「床も?」
「見てから考えよう」
「約束して。全部、透明なのがいい」
玻璃は握り直した手から、今度は自分の記憶を見せ始めた。
何度も眺めた建築写真。店で触れた厚いガラスの縁。昼の日差しが、水槽の底に届くまで。
先生が知りたがるものを見せるのも嫌ではないけれど、自分の好きなものを見てもらう方が、ずっと楽しかった。