ガラスは赤い羽根を閉じ込める。   作:an-ryuka

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第2話 見せる相手

 

 神野の翌朝、ホークスは、玻璃の部屋に何分いたかを説明していた。

 

「送迎車を降りてから、次に業務端末が動くまで五十三分。合っていますか」

「たぶん。それを数えながらお茶飲んでたわけじゃないんで」

「室内で何をしました?」

「照明の電球を交換して、麦茶を一杯」

「接触は」

「ありました。右の手首に。十秒以下」

 

 向かいの職員が顔を上げた。

 

「記憶の閲覧ですか」

「ええ。俺が昼間に見た店について」

「作戦とは無関係の?」

「場所は神野。売ってたガラスを見たいと言われました」

 

 職員は、しばらく黙って記録を取った。

 

 この沈黙に余計な弁明を足すと、かえって長くなる。ホークスは膝の上で両手を組み、続きを待った。

 

 敵連合の二つの拠点は空になっていた。

 突入前の監視では、大人数の移動も、大型車両の出入りも確認されていない。爆豪の証言と合わせれば、逃走には黒霧のワープが使われた可能性が高い。

 

 分からないのは、なぜ逃走を始めたかだった。

 

 外の監視に気づいた可能性はある。どこかで警察の動きを拾ったのかもしれない。あるいは、最初から、救出作戦そのものを知っていたのか。

 内部から漏れたと決めつけるには早い。それでも確認は必要で、作戦に関わった者は順番に事情を聞かれていた。

 

 玻璃も、別室にいる。

 

「閲覧範囲を指定しましたか」

「店の場面だけ、と」

「実際に範囲内だったと保証できますか」

「できませんね」

「それでも許可した」

「はい」

 

 職員がまた何かを書いた。

 

 ここで、彼女はそんなことをしません、と言える男なら楽だった。

 言えない理由を、玻璃との付き合いの長さが増やしているのが、我ながら少し嫌になる。

 

 彼女は欲しいものがあると素直に欲しがる。嫌なものは顔に出る。その一方で、何を見たかをいちいち全部説明する人間でもない。

 

 仕事だって同じだ。

 報告書に載ったのは、彼女が見た記憶のうち、尋ねられたことに関係すると判断した部分だけだった。

 

「二人の関係についても確認します。現在、交際は?」

「してません」

「過去には」

「それもありません」

 

 職員が資料を一枚繰った。

 

 逆さに見えた書式に、覚えがあった。

 育成課程の面談記録。共同講習の配置。対人関係を利用した協力態度の維持。

 

 ホークスは、口元だけで笑った。

 

「そこ、まだ使うんですか」

「参考資料です」

「その調整、やめてくださいって俺から言いましたよね」

「記録されています。理由を、今の言葉で確認したい」

 

 昔の自分の判断を、大人の机の向こうから質問される。

 

 同じ時間に授業が入る。課題が組になる。互いの待ち時間が重なる。

 当時だって、偶然だとは思っていなかった。それでも、彼女に会える回数が増えるのは嬉しかったから、しばらく黙って利用した。

 

 相手側も、それくらいは承知していたはずだ。

 

「俺と仲良くすれば仕事を続ける、って見立てが、そもそも違ったんじゃないですか」

「彼女はあなたには協力的だった」

「俺の頼みでも、嫌なことは嫌って言いますよ」

「例えば?」

「昨日なら、ガラスを壊すなって。俺は、人がいたら救助を優先すると答えました」

 

 職員が一度、ペンを止めた。

 

「その会話は、訪問の申告に追加してください」

 

 了解、とホークスは頷いた。

 

 言われると思った。

 だからこそ、最初から話した。

 

     *

 

 玻璃が廊下へ出てきたのは、その二十分後だった。

 

 薄い手袋を着け直しながら、ホークスの隣に座る。壁際の長椅子は二人で使うには十分広いのに、置いてあった鞄を押され、彼は膝へ引き上げることになった。

 

「長かった」

「俺も」

「買ったものの明細まで聞かれた。あの人、ガラスって全部同じ値段だと思ってない?」

「高いのもあるって説明した?」

「した。分かってなさそうだった」

 

 玻璃は靴先を揃え、背もたれに頭を預けた。

 

 通信履歴、購入履歴、外部との接触。調べる側が知りたいのは価格の妥当性だけではない。

 誰かに金を出してもらっていないか。自分の収入では買えないものが、いつの間にか部屋へ運び込まれていないか。

 

 ホークスは、昨夜のガラスの柱を思い出した。

 運び方はともかく、購入先と支払いが確認できれば、まずはそれで一つ片づく。

 

「啓悟、何聞かれた?」

「お前んちで何してたか、とか」

「電球」

「うん。あと、付き合ってるかどうか」

「また?」

 

 玻璃が、目だけをこちらへ向けた。

 

「そんなに付き合わせたいのかな」

「今のは、そういう質問じゃないでしょ」

「ふうん」

 

 興味を失うのが早い。

 

 昔の資料を出されたせいで少しばかり嫌な気分になっていたのが、馬鹿らしくなる。あちらはまだ手袋の指先を引っ張り、縫い目の位置を直していた。

 

「店の記憶を見たこと、話した?」

「話したよ。時間も」

「私も。中身は言葉で説明したけど」

 

 玻璃は廊下の奥を見た。呼ばれる気配はない。

 

「こういうとき、私の記憶も誰かに見せられたら楽なのにね」

 

 ホークスは、少しだけ返事を遅らせた。

 

 彼女がどこで誰に会ったか。昨夜、彼が帰ったあと、何をしたか。

 同じ能力を持つ人間がもう一人いれば、調べる側は確実にそうしたがる。

 

「楽かな」

「いちいち説明しなくていいじゃん」

「見たいとこだけ、見てくれるとは限らないよ」

「啓悟なら?」

 

 こちらへ向き直った顔に、困った様子はなかった。

 

「俺でも。今の俺なら、隠してることがないか確かめたくなる」

 

 玻璃は一度瞬きをした。

 それから、口の端を上げた。

 

「正直」

「そこをごまかしてもね」

 

 廊下の向こうで扉が開いた。

 

「目盛さん。午後の確認に入れますか」

 

 玻璃はすぐ姿勢を戻した。

 

「はい。どちらの方ですか?」

 

 数秒前までの退屈そうな顔が、相手を待つ顔に変わる。

 ホークスも立ち上がり、鞄を肩へかけた。

 

 彼女を調べる作業と、彼女を使って調べる作業は、同時に進んでいた。

 

     *

 

 対象になったのは、公安の職員だった。

 

 保護協力者の移送や、機密に関わる車両の手配を担当している。今回も後方の移送計画に関わっていて、決行前夜、申告されていない私用の外出があった。

 

 神野の結果が伝わったあと、本人は事情聴取中にひどく取り乱したという。

 今は医療担当の判断で休ませている。

 

 ホークスが資料を読み終えると、玻璃が隣から聞いた。

 

「何を確認すればいいですか」

「外出先と、接触した相手。作戦情報を誰かに伝えていないか」

 

 調査担当はそこで区切り、続けた。

 

「それ以外でも、情報漏洩に関係するものが見えたら報告を」

「分かりました」

 

 彼女は手袋を外した。

 ホークスはその手と、眠っている男の顔を見た。

 

 知っている顔だった。

 子供の頃、遠方の訓練施設へ移るたびに、車を手配していた。話をした回数は多くないが、同行する子供が眠るとラジオを小さくする男だった。

 

 今は頬に髭が伸び、薄い布団の上で指を丸めている。

 

 玻璃がベッド脇に座った。

 

「始めます」

 

 男の手を取る。

 昨夜の運び屋に触れたときと、変わらない手つきだった。

 

 数分の沈黙のあと、彼女が眉を寄せた。

 

「……電話。女の人です」

「相手は誰ですか」

「待ってください。声だけ。早く来てほしいって言われてる」

 

 調査担当が、机の上にある時刻表へ指を置いた。

 

「外出直前の通話ですね」

「多分。車は……途中で停めてます。その先は歩いてる」

「誰かと合流を?」

「建物へ入ってます。消毒の匂い。受付……あ、病院」

 

 男の指がわずかに動いた。

 玻璃は握り直さず、掌を下から支える位置へ変えた。

 

「会ってるのは、お母さんですね」

 

 ホークスは顔を上げた。

 

「母親?」

「うん。……はい。入院してて、急に呼ばれたみたいです。呼吸の音が大きい。何か、言おうとしてるけど」

 

 玻璃の言葉が途切れた。

 

 調査担当が、もう一度時刻表を見た。

 

「家族との接触を申告しなかった理由は?」

「この人、前にも面会の予定を取り消してます。仕事で。今回も言ったら止められるって思ってる」

 

 誰も、すぐには何も言わなかった。

 

 ホークスは男の顔を見た。

 やましいことがなければ話せるはずだ、と言うのは簡単だった。彼自身も、初めて見る相手なら、そう判断したかもしれない。

 

 ただ、この男は、自分の車を病院の駐車場へ入れることさえ避けていた。

 

「面会中に、作戦の話は出ていますか」

「出てないです。仕事のこと、聞かれてもない。お母さん、あんまり喋れないみたいで」

 

 玻璃は少し俯いた。

 

「帰らなきゃって、ずっと時計を見てる」

 

 ホークスは壁の時計へ目をやりかけ、やめた。

 

 調査担当が受付の様子や病室の位置を確認する。その質問には必要があった。彼女の言葉だけで、病院へ行ったことも、誰に会ったかも確定はできない。

 照合できる情報を出し、別の職員が確かめる。それで初めて、疑いを一つ減らせる。

 

「病院を出てから帰宅までを、続けてください」

「はい」

 

 玻璃の声に、労わりはなかった。

 だからこそ、そのあとも質問は進んだ。

 

 道を戻る。車へ乗る。駐車場で電話をかけようとして、やめる。家へ帰り、翌日の移送経路をもう一度開く。

 資料に並ぶ車両番号と、待機場所。

 

 男が何度も同じ箇所を読み返していたらしく、玻璃も途中で眉間を押した。

 

「ここ、同じことが繰り返し出てきます」

「読み返した内容に不審な点は?」

「分かんないです。家族を乗せる車と、拘束した人を乗せる車を間違えないようにって。それから、前に担当した家族のことも……今回と混ざって見える」

 

 ホークスが資料を閉じた。

 

「接触相手の確認が先でしょう。仕事の記憶まで遡ると、範囲が広すぎる」

「帰宅後に誰かと連絡していないかは」

「そこは確認してもらう。昔の移送先は、今回の不審点と関係が見つかってからでいいんじゃないですか」

 

 調査担当は少し考え、頷いた。

 

「目盛さん、帰宅後の外部とのやり取りに絞ってください」

「はい」

 

 玻璃は顔を上げずに答えた。

 

 閲覧は、それから七分続いた。

 

 病院への確認で、面会の事実は裏づけられた。

 連絡を入れたのは病院の職員で、男が申告した相手とも一致している。ほかの通信や移動については、引き続き調べることになった。

 

 少なくとも、あの外出だけを根拠に、敵連合との接触を疑い続ける理由はなくなった。

 

 ホークスが調査室へ戻ると、机には既に次の対象者の資料が置かれていた。

 

「目盛さんの体調は」

「今日は、ここまでにした方がいいでしょうね」

 

 彼は答えながら、さっきの男の資料を取り上げた。

 

「こっちの人も。確認が済んだら、医療担当に引き継いでください」

「継続して経過を見てもらいます」

「お願いします。……面会に行けるかどうかも、本人が起きたら聞いてやって」

 

 担当者が頷いた。

 

 ホークスは資料を返した。どこまで実現するかは、あとで確かめる。

 今、自分にできるのはそこまでだった。

 

 休憩室では、玻璃が紙コップを両手で持っていた。

 背を丸めている。扉を開けた彼を見ると、目だけが上がった。

 

「終わり?」

「今日はね」

「よかった。頭、重い」

「何か食べた?」

「食べてない」

 

 彼も食べていなかった。

 思い出した途端、胃のあたりが縮む。

 

「帰りに食ってく? 俺もまだなんだよね」

「今日は帰る」

「そっか」

 

 玻璃はコップを口へ運びかけて、止めた。

 

「明日ならいいよ」

「明日もこの調子かもよ」

「じゃあ、終わったら連絡して。遅かったら先に食べる」

「了解」

 

 ホークスは自分にも水を注ぎ、少し離れた椅子へ腰を下ろした。

 

 白い紙コップの縁が、玻璃の親指で浅く潰れている。

 ガラスを持つときとは違う。扱いが雑というほどではないが、傾け方にも、置く場所にも、あの慎重さがなかった。

 

「さっきの人、知ってた?」

 

 彼女から聞いてきた。

 

「昔、世話になったことがあるよ」

「車の人?」

「うん」

「やっぱり。小さい啓悟の顔が出てきた」

 

 ホークスは水を飲む手を止めた。

 

「……どの辺まで?」

「車に乗せるところ。お菓子、買うか迷ってた」

「あの人が?」

「うん。渡していいのか、分かんなかったみたい」

 

 そんなことを考えていたとは知らなかった。

 覚えているのは、長い移動と、眠る前に小さくなるラジオの音だけだ。

 

 玻璃が、空のコップを見下ろした。

 

「それも言った方がよかった?」

「いや」

 

 答えてから、ホークスは彼女を見た。

 

「そういうの、ほかにも見えるんだよね」

「見るよ。探してるとこへ着くまでに、違うのが出ることもあるし」

「見えたものを、全部は報告してない」

「全部言ってたら終わんないじゃん」

 

 玻璃は少しだけ眉を寄せた。

 

「聞かれたことは答えてるよ」

「うん。そこを責めてるんじゃない」

 

 報告されたことは、別の情報と照らし合わせればいい。

 報告されなかったことは、存在したとさえ分からない。

 

 質問を細かくすれば、その穴が全部埋まるわけでもない。聞く側には、彼女が見たものの見当がつかないのだから。

 

「俺のことが出たなら、それはあとで追記しといて」

「お菓子も?」

「関連する記憶が出た、ってだけでいい。内容は必要になったら」

 

 玻璃は小さく息を吐いた。

 

「仕事、増やす」

「ごめんね」

「ほんとに思ってる?」

「思ってるよ。明日の飯、俺が出す」

「じゃあいい」

 

 返事が早かった。

 

 ホークスは笑って、残りの水を飲んだ。

 さっき名前が出たことに、少し安心していた。彼女は、言わなくてもよかったことを、自分から一つ口にした。

 

 だからといって、ほかにも全部言っている証拠にはならない。

 

 その程度の区別をつけるのに、いつもより気を遣っている。

 そこは認めておいた方がよさそうだった。

 

 玻璃を帰したあと、ホークスは自分の聞き取り記録に追記した。

 

 神野の店についての閲覧。

 玻璃からの、建物を壊してほしくないという要望。

 その後、彼が部屋を出た時刻。

 

 彼女の帰宅後の行動について、彼自身が保証できる部分はない。

 

 書き終えると、閲覧権限を持っていた者の一覧を開いた。

 目盛玻璃の名前は、まだそこにある。

 

 ホークスは、確認の済んだ項目だけに印をつけ、次の資料へ進んだ。

 

     *

 

「黒霧、遅い」

 

 玻璃がそう言ったとき、時計の針は約束の時刻を六分過ぎていた。

 

 リビングの空いている床に、黒い霧が広がっている。

 玻璃はソファから起き上がり、霧が棚の脚にかからないことを見届けてから、出てきた相手へ近づいた。

 

「申し訳ありません。死柄木弔から、確認したいことがあると」

「また弔」

「今回は、すぐに済みました」

「すぐじゃない。六分」

 

 黒霧は言い返さず、持ってきた包みをテーブルへ置いた。

 

「お食事は?」

「まだ」

「では、こちらを。温かいうちに召し上がってください」

「先生のところ行くんじゃないの?」

「お食事を済ませてからで構わないと、先生から承っています」

 

 玻璃は包みを見た。

 それから黒霧の方を見る。

 

「食べてる間、帰らない?」

「ええ。こちらでお待ちします」

 

 それならいい。

 

 玻璃は椅子へ座り、包みを開けた。蓋を持ち上げると、温かい匂いがした。

 公安の部屋では飲み込むのも面倒だった水が、今は普通に飲める気がした。

 

「弔、まだ怒ってる?」

「何についてでしょう」

「あの子、返したこと」

「ご本人に尋ねてください」

「やだ。うるさいもん」

 

 黒霧は、黙って箸を差し出した。

 

 食べながら、玻璃は棚を眺めた。

 啓悟が替えた照明は、今日もちゃんと点いている。赤い羽根の入った瓶には触らず、その隣の小さな器に目を留めた。こちらは少し奥へ置いた方がよかったかもしれない。

 

 いや、今のままの方がいい。

 

「黒霧」

「はい」

「明日、買い物行ける?」

「死柄木弔のご予定を確認しなければ」

「私が先に言ったのに」

 

 黒霧は静かに、食事が冷めますよ、と言った。

 

     *

 

 先生の部屋には、機械の音がしていた。

 

 玻璃はその音に慣れている。

 黒霧に連れられて入ると、奥から声がした。

 

「お疲れさま、玻璃。今日は大変だったね」

「長かった。私が漏らしたんじゃないかって、いっぱい聞かれた」

「君だけ聞かれない方が不自然だ。よく答えられたかな」

「ちゃんとやったよ。調べたいものも、調べさせたし」

 

 差し出された手へ、自分の手を重ねる。

 

 昼間、公安で見たものを、順番に見せていく。

 病院の受付。眠る母親。その隣で何度も時計を見る男。

 車内の暗さ。帰宅後に開いた資料。車両番号。連絡先。現在の仕事に混ざって浮かんだ、以前の保護対象たち。

 

 どこが先生の欲しいところなのか、玻璃には分からないものも多い。

 だから、こちらでは省かない。

 

 先生が手を軽く動かしたところで、見せるのをやめた。

 

「十分だ。よく覚えていたね」

「これくらいなら」

 

 玻璃は隣の椅子へ座った。

 

 一斉捜査の前にも、こうして見せた。

 公安で受けた配置の説明。突入するヒーローたち。待機場所。始まる時刻。

 ついでに、窓を壊されるかもしれない店も見せた。

 

 先生は最後のそれを、面白そうに見ていた。

 

「店、割れなかったよ」

「そうか。それはよかった」

「啓悟が写真くれた」

 

 携帯を取り出し、昨夜の写真を開く。

 先生は見ることを急かさず、玻璃が器の部分を拡大し終えるまで待った。

 

「あの子を帰してもらえてよかった。黒霧も捕まらなかったし」

「弔には不満が残ったようだけれどね」

「断られたんでしょ? なのに返したら怒るんだもん。変なの」

「欲しい働きをしてくれるとは限らない。それを知ることも必要だよ」

 

 玻璃は、ふうん、と答えた。

 携帯の中の器は、やはり実物を見ないと決められそうにない。

 

「次は、保護されている人たちについても知りたい」

 

 先生が言った。

 

 玻璃は顔を上げた。

 

「今日の人が覚えてた?」

「一部はね。どんな相手から守られているのか、そのために何を制限されているのか。担当者が普段どんな説明をしているかも」

「またあの人に触らないと」

「機会があればでいい。無理に仕事を増やす必要はないよ」

 

 その言い方なら、嫌ではなかった。

 仕事中に見えたものを、あとで先生にも見せる。今までしてきたことと、ほとんど変わらない。

 

「その人たち、どうするの?」

「役に立つ人間は、安心して働ける方がいい。彼らの安全を、誰が用意できるかという話さ」

 

 玻璃は少し考えた。

 

「脅かしてる方を、やめさせるってこと?」

「それも、選べる方法の一つだね」

 

 先生の親指が、玻璃の手の甲を一度撫でた。

 

「君は、欲しかったガラスの家のことを考えておいで」

「……家?」

「まだ欲しいんだろう?」

 

 玻璃は椅子から身を乗り出した。

 

「窓が大きいだけの家じゃなくて?」

「君が欲しい形を、まず見せてほしい」

 

 壁も、屋根も。

 棚を置かなくても、どこを見てもガラスがある家。

 

 考えたことなら、何度もあった。透明な板の重なる角まで、頭の中にある。

 けれど、口で話すと大抵の人は笑った。暑そうだとか、外から見えるとか、掃除が大変だとか、聞いていないことを言う。

 

 先生は、見せて、と言った。

 

「床も?」

「見てから考えよう」

「約束して。全部、透明なのがいい」

 

 玻璃は握り直した手から、今度は自分の記憶を見せ始めた。

 

 何度も眺めた建築写真。店で触れた厚いガラスの縁。昼の日差しが、水槽の底に届くまで。

 先生が知りたがるものを見せるのも嫌ではないけれど、自分の好きなものを見てもらう方が、ずっと楽しかった。

 

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