ガラスは赤い羽根を閉じ込める。   作:an-ryuka

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第9話 届くところまで

 

「原料は、人間です」

 

ナイトアイが机の上へ写真を置いた。

 

小さな靴だった。

 

足の大きさが分かるように、横へ定規が添えられている。次の写真には、使用済みの包帯が写っていた。

 

ホークスは椅子へ深く座り直すのをやめた。

 

「薬から血液と細胞組織が検出された。運搬に関わった男の供述、それと本拠地への出入りを確認した結果、組長の孫にあたる少女が利用されている可能性が高い」

 

「生きてるんですね」

 

「現時点では」

 

ナイトアイは言葉を切った。

 

「繰り返し、原料を採取していると考えられる」

 

会議室に、紙をめくる音がした。

 

ホークスは自分の指先を見た。今、手元に置いた資料の何頁目を読もうとしていたのか、一瞬分からなくなった。

 

人間の個性を、薬にする。

 

使って、なくなれば、また作る。

 

原料は生きていた方がいい。

 

「少女の名前は、壊理。個性の詳細は不明だが、肉体そのものに作用するものと推測される」

 

写真が切り替わった。

 

遠くから撮られた、白い髪の子供。大人の脚の陰で、片腕だけが見えている。そこにも包帯があった。

 

隣に立つ若い男が、膝の上で拳を握った。

 

通形ミリオ。ナイトアイのもとで活動する、雄英の三年生。

 

「連れ出したあと、すぐに治療を受けられるようにします」

 

ホークスは言った。

 

「飛ぶのが危険な状態なら、地上の搬送を優先する。それと、救出後に何を聞くにしても、俺らの都合で急がせんように」

 

ナイトアイは頷いた。

 

「同意する。君には救出経路の確保と、保護対象の搬送を頼みたい」

 

「了解です」

 

机の向こうで、相澤が資料を閉じた。

 

今日は、白雲の写真を持っていなかった。

 

互いに一度だけ目を合わせる。どちらも、玻璃の話はしなかった。

 

今は、この子を連れて帰る。

 

そこには、全員の意思が揃っていた。

 

*

 

捜査には十日かかった。

 

渡された情報を、そのまま作戦図にはしなかった。取引先を押さえ、運搬車両を追い、薬物の被害者を探した。

 

裏づけを取るたびに、最初の封筒が正しかったことが増えていった。

 

その一方で、渡されていない情報も見つかった。

 

薬を試された人間が、治療を受ける前に別の買い手へ引き渡されている。

 

売られていたのは、薬だけではなかった。

 

ホークスは売買の記録を追う担当者へ、オール・フォー・ワンとの接点を調べるよう依頼した。少女の救出に必要な情報と、情報提供者を追うための材料を、同じ書類から拾っていく。

 

向こうの狙いどおりに動いている部分がある。

 

それでも、調べる手を止める理由にはならなかった。

 

突入の前夜、事務所から電話があった。

 

翌週の取材についての確認だった。子供向けの企画で、飛行時にどんな景色が見えるのか聞きたいらしい。

 

ホークスは予定表を見た。

 

「時間、短くしてもらえます? 無理なら別日に」

 

延期になるかもしれないと伝え、電話を切った。

 

窓の外には、低い雲があった。

 

雲の上へ出るだけなら、すぐだ。

 

少し迷って、やめた。

 

明日は、早い。

 

*

 

「この人、もう帰したら?」

 

玻璃は寝台から手を離した。

 

白衣の男は眠ったままだった。研究者だと紹介されたが、玻璃には見覚えがない。ドクターのところへよく出入りする人間とも違った。

 

「もう、必要なところは見終わったのかい」

 

先生が尋ねる。

 

「たぶん。途中から、同じことばっかり」

 

「では、それを見せてくれるかな」

 

玻璃は先生の手へ触れた。

 

白い部屋。冷蔵庫。細い注射針。

 

薬液の量を変え、結果を書き込み、別の試料を用意する。大人の声が、何度も同じ数字を読み上げる。

 

そこに、子供の腕があった。

 

玻璃は、男の記憶から見つけた工程を順に見せた。先生は途中で質問を挟んだ。いつの記憶か。同じ場所に何人いたか。完成品はどこへ運ばれたか。

 

覚えていないものは、分からない。

 

ガラス玉を作るときと同じだった。中身を勝手に足すことはできない。

 

手を離すと、頭の奥が鈍く痛んだ。

 

「お疲れさま」

 

「先生、薬の中に人が入ってるのって、嫌じゃない?」

 

「君は嫌なのかい」

 

「中、濁るじゃん」

 

透明な容器に入っていても、薬液は綺麗ではなかった。沈殿したものを振って混ぜる場面など、何度も見たくない。

 

先生は少し黙り、それから頷いた。

 

「そういう意味では、好ましくないね」

 

「でしょ」

 

玻璃は水を飲んだ。

 

今度の部屋には、ちゃんとガラスのコップがあった。

 

先生はドクターへ通信を繋いだ。薬の作用について話し始める。個性を抑えているのではない。因子そのものに損傷がある。時間が経てば戻るものと、戻らないものでは、処理が違う。

 

玻璃は、半分ほどしか聞いていなかった。

 

「戻す薬も考えていたようだね」

 

先生のその言葉に、ドクターが何か答えた。

 

実験途中。

 

安定しない。

 

製造工程の続きが要る。

 

玻璃はコップを持ったまま、寝台の男を見た。

 

「じゃあ、また読むの?」

 

「今日は休んでいい」

 

「明日?」

 

「必要になれば、頼むよ」

 

玻璃は嫌な顔をした。

 

それから、コップを照明へかざした。縁が少し厚い。ここの食器は、好きなものを自分で選びたい。

 

「先生、買い物行きたい」

 

「今はまだ、控えなさい」

 

「黒霧が一緒なら大丈夫でしょ」

 

先生は返事をする前に、通信へ顔を戻した。

 

「資料は保全してくれ。八斎會の設備は、明日以降使えなくなる可能性が高い」

 

玻璃は、コップを下ろした。

 

また聞いてない。

 

でも、もう一度言うと、今日は駄目だと決められそうだった。

 

明日、黒霧に頼もうと思った。

 

*

 

突入から八分で、地下の図面は役に立たなくなった。

 

壁が動く。

 

通路の幅が縮み、床が持ち上がる。人を押し潰すようにではなく、必要なところだけを離し、別の場所へ繋げていく。

 

ホークスは羽を通気口へ送り込んだ。

 

奥から、子供の声は聞こえない。

 

聞こえるのは、靴音と、息と、壁の軋み。

 

「右、三人。武器あり」

 

無線へ伝える。

 

そのうち二人の手首を、角の向こうで羽が押さえた。残る一人は床へ伏せる。逃げる方向を読んで、足元へ一本回す。

 

相澤が横を抜けた。

 

捕縛布が、羽で止めた男たちをまとめて引き寄せる。

 

「行け」

 

ホークスは床を蹴った。

 

先行するミリオの姿は、もう見えない。壁を抜けて、奥へ向かっている。少女の位置を見つけ次第、連絡を寄越す手筈だった。

 

羽が、人の呼吸を拾った。

 

近い。

 

「左の部屋、二人。片方、呼吸が浅い」

 

そこへ向かうと、扉の内側に棚が倒されていた。

 

羽を隙間へ入れ、棚ごと浮かす。中には縛られた男と、床に座った女がいた。二人とも、ヒーローを見てもすぐには動かなかった。

 

「外へ出ます。歩けますか」

 

女性が首を振る。

 

ホークスは二人を羽で支え、後続へ渡した。

 

その分、背中が軽くなった。

 

もう何本出したか。

 

数える必要はない。どの羽がどこで、何を持っているかは分かる。

 

今はまだ、分かっていた。

 

*

 

ミリオから連絡が来たとき、ホークスは地下の中央通路にいた。

 

「少女を確保! 若頭が追ってきます、床に触らせないで!」

 

直後、足元が突き上がった。

 

床が割れ、白い尖端が何本も伸びる。

 

ホークスは天井すれすれへ逃れ、後ろの警察官を羽で引き上げた。一本が防護服を掠める。身体には届かない。

 

角の向こうからミリオが飛び出してきた。

 

胸元に、白い髪が見える。

 

包帯の巻かれた細い腕が、彼の首へ回っていた。

 

その後ろに、鳥の嘴のようなマスクをつけた男がいた。

 

床へ伸びた手が、止まる。

 

通路の反対側に、相澤が立っていた。

 

「今だ!」

 

ミリオが少女を抱えたまま滑り込んでくる。

 

ホークスは両腕を出した。

 

「預かる」

 

少女は離れなかった。

 

ミリオの服を、指が白くなるほど握っている。

 

「大丈夫。この人、すごく速いんだ」

 

ミリオが言った。

 

「君を外へ連れていってくれる」

 

少女の目が、ホークスへ向く。

 

怯えた目だった。

 

自分がヒーローだと分かれば安心してくれる、そんな目ではなかった。

 

ホークスは手を伸ばしたまま、待った。

 

後ろで、男の怒声がした。

 

「壊理!」

 

少女の体が縮む。

 

その瞬間、ミリオが彼女をホークスへ渡した。

 

「お願いします!」

 

「任せて」

 

受け取った体は、思っていたより軽かった。

 

軽いのに、抱えた腕の内側がひどく狭く感じた。

 

ここから落とせない。

 

背中で翼を開き、ホークスは通路を戻った。

 

*

 

出口までの道は、途中で折れていた。

 

先ほど通った場所に、斜めの壁がある。別の部隊が迂回路を確保していたが、天井の支えが不安定だった。

 

ホークスは羽を上へ回した。

 

崩れかけた配管を持ち上げる。落ちれば通路が塞がる。

 

背中から、また数本が離れた。

 

「もう少しね」

 

少女へ声をかける。

 

返事はない。

 

顔を肩へ押しつけたまま、息を止めるようにしている。

 

「苦しくない? 腕、痛いところ触ってない?」

 

小さく、首が動いた。

 

どちらの意味か分からなかったので、抱え方を少し変えた。

 

少女の指が、ジャケットを掴み直す。

 

「……戻った方が」

 

耳元で、声がした。

 

「戻った方が、みんな」

 

ホークスは足を止めなかった。

 

「戻らなくていいよ」

 

「でも」

 

「痛いの、嫌でしょ」

 

少女の指が動かなくなった。

 

「嫌でいいんだよ。だから、外へ行こう」

 

前方に、地上の明かりが見えた。

 

その手前で壁が軋んだ。

 

ホークスは少女の頭を抱え、身体を横へ傾けた。壁が通路へ倒れ込む。後ろに続く負傷者と搬送員へ、残った大きな羽を走らせる。

 

持ち上がる。

 

二人とも、下敷きにはならない。

 

壁の向こうに、空洞があった。

 

そこにいた男が、銃を持ち上げた。

 

こちらを見ている。

 

いや。

 

腕の中の少女を見ている。

 

ホークスは、男の手首へ羽を向けた。

 

間に合わない。

 

銃口が跳ねた。

 

少女を胸へ押し込み、左肩を前へ出す。

 

衝撃は、思ったほど強くなかった。

 

痛みより先に、音が消えた。

 

*

 

耳が聞こえなくなったのかと思った。

 

違う。

 

目の前で壁が砕けている。その音は聞こえる。誰かが叫んでいる。無線も鳴っている。

 

消えたのは、廊下の奥だった。

 

配管を支えている羽の、重さ。

 

負傷者を抱き上げた羽の、震え。

 

外の空気に出ていた羽の、風。

 

全部が、一度に分からなくなった。

 

背中へ命じる。

 

持ち上がれ。

 

動かない。

 

足が床を離れていた。

 

落ちる。

 

ホークスは少女の頭を胸へ押さえ、身体を捻った。

 

肩から床へぶつかった。翼が下敷きになる。骨の奥で、嫌な音がした。

 

少女の体が跳ねる。

 

腕だけは、離さなかった。

 

頭上で配管が落ちた。

 

誰かがそれを受け止めた。金属が鈍く鳴り、怒鳴り声が続く。

 

「こっちや! 下がっとれ!」

 

ファットガムだった。

 

別の通路から合流してきた大きな身体が、瓦礫と人の間へ入る。

 

赤い羽が、空中を落ちていた。

 

一枚が、少女の髪へ触れた。

 

動け。

 

ホークスはその羽を見た。

 

動けよ。

 

羽は、肩から床へ滑り落ちた。

 

「ホークス!」

 

ミリオの声がした。

 

銃を持っていた男が蹴り倒される。駆けつけた警察官が、その両腕を押さえた。

 

ホークスは返事をしようとして、息が詰まった。

 

左肩が熱い。

 

背中は、もっと痛い。

 

少女が腕の中から顔を上げた。

 

「わたし」

 

ホークスは、その口が次に何を言うか分かった気がした。

 

「違う」

 

先に言った。

 

声が掠れた。

 

「君のせいじゃない」

 

ミリオが膝をつき、少女へ腕を伸ばす。

 

彼女は、ホークスのジャケットから指を離さなかった。

 

ホークスは右手で、その小さな手を包んだ。

 

「この人と、外へ」

 

指を一本ずつ外す。

 

少女は泣いていなかった。

 

それが、かえって怖かった。

 

何かを諦める顔を、させたくなかった。

 

「俺も行くから」

 

ミリオが少女を抱き上げた。

 

ホークスは右手を床についた。

 

脚は動く。

 

なら、立てる。

 

背中の重さに引かれ、膝がもう一度床へ落ちた。

 

*

 

地上へ出るまでの記憶は、途切れていなかった。

 

誰が腕を貸してくれたかも、途中で何度足を止めたかも、覚えている。

 

いつもなら自分が先に持ち上げる担架へ、座らされたことも。

 

翼の下へ、畳んだ毛布を差し込まれたことも。

 

「動かさないでください」

 

医師に言われた。

 

ホークスは頷いた。

 

動かせない、とは言わなかった。

 

救急車の扉が閉まる前に、無線から報告が入った。

 

若頭を拘束。

 

少女の身柄を確保。

 

押収物の確認中。

 

ホークスは目を閉じた。

 

よかった。

 

そこは、ちゃんと思えた。

 

思えたあとで、もう一度、背中へ命じた。

 

動かなかった。

 

*

 

「試作品では、時間の経過とともに個性の働きが戻った例が確認されています」

 

医師が言った。

 

ホークスはベッドの端に座っていた。

 

左肩には処置がされている。背中は固定され、楽な姿勢が見つからなかった。

 

「今回使用された薬が、同じものかどうかは、まだ確認できていません」

 

「完成品ってやつかもしれない」

 

「その可能性も調べています」

 

机の上に、採取した検体についての書類があった。

 

医師は、断言を避けている。

 

戻るとも、戻らないとも。

 

ホークスはその慎重さをありがたいと思った。同時に、今すぐどちらかを言ってほしかった。

 

「羽の方は」

 

「落下の際の損傷があります。まずはそちらを治療します。個性の状態とは、分けて考える必要があります」

 

「分かりました」

 

分かることばかりだった。

 

何を先にするかも。

 

検査に時間がかかることも。

 

調べていないものを決めつけてはいけないことも。

 

全部、分かっていた。

 

医師が退室したあと、ホークスは机の上の携帯を見た。

 

少し遠い。

 

いつものつもりで、そこへ意識を向けた。

 

何も起きなかった。

 

手を伸ばす。

 

背中に痛みが走り、途中で止まった。

 

ベッドのそばにいた職員が、黙って携帯を取った。

 

「ありがとうございます」

 

ホークスは受け取った。

 

画面には事務所からの連絡が並んでいる。

 

取材の延期。担当するはずだった警戒業務の引き継ぎ。容体を気遣う、短い文面。

 

上から順に返事をした。

 

最後に、少女の状態を確認する。

 

大きな外傷はない。診察を受けている。安全な場所で休ませる予定。

 

その返信を、しばらく見ていた。

 

彼女は外へ出た。

 

ホークスは窓へ目を向けた。

 

病室は上階にあった。向かいの建物の屋根が見える。

 

あの高さなら、ほんの一息で。

 

そこまで考えて、やめた。

 

*

 

報せを受けたとき、玻璃は棚の位置を決めていた。

 

黒霧が箱を置く場所を尋ねたので、窓際を指した。

 

「違う、もうちょっと右。そこだと、午後に」

 

そこで、先生が名前を呼んだ。

 

玻璃は振り返った。

 

画面に、病院の外観が映っていた。ニュースの映像だった。

 

死穢八斎會への一斉捜査。

 

少女を保護。

 

負傷したヒーローの名。

 

「啓悟?」

 

「薬を撃たれたようだ」

 

玻璃は先生を見た。

 

「昨日の?」

 

「同じ系統だろうね」

 

「じゃあ、飛べないの?」

 

「今のところは」

 

玻璃は画面へ戻った。

 

担架の映像は遠かった。赤い羽が見える。動いていないのは、怪我をしたからか、薬のせいか、映像だけでは分からなかった。

 

黒霧が箱を床へ置いた。

 

いつもなら、音が大きいと文句を言うところだった。

 

玻璃は気づかなかった。

 

「病院、行きたい」

 

「今は難しい。君の姿を見せられる場所ではないよ」

 

「黒霧なら行けるじゃん」

 

「君が行けば、彼の立場を悪くするかもしれない」

 

玻璃は口を閉じた。

 

言い返しかけて、もう一度画面を見る。

 

啓悟は、自分が行っても喜ばない。

 

それは分かった。

 

分かったのに、箱を開ける気にならなかった。

 

「……見るだけでも」

 

先生は答えなかった。

 

玻璃は、棚に置いた小瓶へ目を向けた。

 

赤い羽は、綺麗なままだった。

 

中庭で抱えられたとき、啓悟は何を感じていたのだろう。

 

怖いとさえ思う前に、部屋の外へ出ていた。黒霧の方へ戻りたくて、あのときは空なんて見ていなかった。

 

もう頼まない、と言ったのは、自分だった。

 

玻璃は瓶に触れず、もう一度、病院の映像を見た。

 

今、何を考えているのか。

 

触れれば分かるはずなのに、行って、触って、確かめるところを想像すると、指が動かなかった。

 

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