第一話 勇者の死、幽者の始
生きるということは、背負うということ。
道半ばに斃れた仲間の想い、願いを背負い、進むということ。
生きるということは、苦しむということ。
生きている限り、離別と喪失の苦しみは際限なく襲ってくる。
理不尽や不条理の苦しみも、命ある限り決して終わらない。
生きるということは、奪うということ。
進む道を阻む者の命、希望、心を踏み躙り、断ち切り、奪い取る。
この世に生きる者は皆何かしらを奪い、骸の上に生きている。
苦しむ心を。責任を。全てをかなぐり捨てることができたら、どれだけ楽だっただろう。
何も感じない心を持っていれば、どれだけ楽だっただろう。
狂ってしまえれば、どれだけ楽だっただろう。
今までに、どれだけ苦しんだだろう。
これから、どれだけ苦しむのだろう。
そんなことを考えながら、俺は目を閉じた。
☆☆☆
一筋の閃光が、華奢な身体をした少女を通過する。
一瞬の間を置いて、鮮血が噴き出し大地を濡らした。
「やっと、届いた」
無数の得物が突き刺さり息も絶え絶えの青年が、小さく言葉を漏らす。
その瞳からは光が消えかけているが、強い意志を内包している。
刺し違えてでも殺してみせる、という不退転の意志である。
その想いを込めた一閃が、何重にも築かれた親衛隊の防壁を貫き、首魁たる幼子を穿った。
青年の覚悟が実を結んだ瞬間であった。
「いいものを、みせてもらいました…!」
口元から血を流し、力なく倒れた少女は親衛隊の腕の中でそんな世迷言を吐いた。
いいものってなんだ。これは見せ物ではない。殺し合いじゃないのか。
そう吐き捨てたくなるふざけた物言いだが、生憎こちらも深手を負っている。そんなことを言う余裕は無かった。
「メリちゃん様ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!!」
天地を揺るがす怒号にも似た絶叫が、其処彼処から上がる。
暴力的な叫びが全身をしたたかに打ち据えた。
正直言ってとても辛い。しかし、何故か彼らから実力行使はされなかった。満身創痍なのだから一息に殺せるだろうに。
それだけ
ここまで攻め込まれた時点で最悪の事態は想定して然るべきだと思うのだが。
薄れゆく意識の中で苦言を呈す。
しかし、悲しいかな。死に体の勇者の放つボソボソ声では誰にも聞こえない。
尤も、聞かせるつもりで喋ってなどいないのだが。
「ーーーー!」
聖女が必死に突き刺さった武器を抜き、声を掛けている。が、霞んだ視界では表情は窺えない。
命が抜けていく感覚と共に、勇者は目を閉じた。この時ほど命の危険を感じた日は、他にたった一度しかない。
後に、彼はそう述懐したという。
☆☆☆
曇天の空から降り注ぐ豪雨が乾いた大地を潤す。その中を一人の青年が歩いていた。
精気の抜けた顔は雨とも涙ともつかぬ液体で濡れ、その眼差しは深淵のごとき闇を湛えている。
誰の目に見ても悲惨な出来事があったのだと想像させる姿であり、事実、彼にとっては世界に絶望するに足る悲劇があった。
麻布に覆われた《何か》を大事そうに抱き抱え、当もなく彷徨う旅人は、この世界に希望など抱いてはいなかった。
「…滑稽だな。俺も、貴女も」
人のために戦い、傷つき、癒し。その結果が護りたかった人々からの痛罵とは。
端から見返りなど求めていなかったが、こうも堂々と非難され、手のひらを返されては呆れることすらできなかった。
寧ろ、その結末を見抜けなかった自分の眼の節穴具合に嘆息するばかりだ。
「貴女は良かったのか?こんな終わり方で」
麻布を捲り、顔を露出させる。その表情からは、彼女の後悔がありありと感じられた。
「俺は…嫌だな…」
勇者は聖女の亡骸を強く抱きしめ、声無き嘆きを上げた。
☆☆☆
血に染まった晩餐会は、主催者の悲鳴を以って幕を閉じる。穢された思い出は消えることなく、記憶を蝕み続ける。
「なんでだよ…クソッ…。なんで、アンタたちは…」
過去に裏切られた勇者は、両の手に握られた剣を持つことを忘れ地面に蹲る。
ズキズキと痛む頭を抱えながら、眼前の地獄を記憶に残す。
物言わぬ肉塊となった王と宰相らが、この国の運命を告げている。動乱に呻く時代を示している。が、そんなことはどうでもよかった。
ただただ苦しかった。あれほど輝かしかった思い出は、どす黒い悪意に塗れて心を蚕食していく。
目の前の光景が現実なのだという事実が、どうしようもなく辛かった。
「…はは…はははははは…!ははははははははっ………!!!」
残酷な現実から逃れるべく、勇者はひたすらに笑う。世界に翻弄される愚者たる自身を嘲る。
その日、勇者は死んだ。そして、その抜け殻たる虚ろなる者、幽者が生まれた。
傍らに転がっていた聖剣は黒に染まり、深淵の如く淀んだ光を湛える。
戦争を終結させ平和を齎した聖剣は今、冥剣へと堕ちた。
この忌まわしき記憶は決して、消えはしない。