魔法少女の才能がないと言われた私、禁忌の魔法で最強になる 作:いーる
「つむぎ!」
勢いよく教室の扉を開けた美咲が、まっすぐ私の机へと駆け寄ってきた。
「ねえ、聞いた!? さっき近所で怪異が出たんだって!」
「へえ」
「『へえ』って……!」
こちらの拍子抜けするような返事に、美咲は目を丸くする。
「結構危なかったらしいよ! でも、誰かが一瞬で倒してくれたんだって!」
「そうなんだ」
「『そうなんだ』じゃないよ! あそこ、つむぎの家からすぐ近所でしょ!?」
「ああ、そうだね」
確かに家から目と鼻の先の場所だ。
もし怪異が我が家へ向かっていたら、少しくらい面倒なことになっていたかもしれない。
もっとも、もう消滅した以上、考えるだけ時間の無駄なのだが。
「……つむぎ?」
不意に美咲の声が小さくなり、顔から明るさが消えた。
私の顔を、まるで未知の生き物でも見るかのようにじっと伺っている。
「どうしたの?」
「いや……その……怖くなかったの? もしつなぎちゃんが巻き込まれてたらとか……」
「怪異は倒されたんでしょ?」
「そうだけど……」
「なら、よかったじゃない」
ふわりと微笑んでみせる。
災厄は去り、誰も死んでいない。
だったら喜ぶべきだ。わざわざ起言もない恐怖に眉をひそめる意味が分からない。
美咲は何も言わなくなった。
ただ息を呑み、静かに自分の席へ戻っていく。
背中に向けて首を傾げつつ、私は弁当箱の蓋を開けた。
甘さを抑えた出汁巻き卵を口に運ぶ。……うん、美味しい。
その時、机の上のスマホが短く震えた。
画面を開くと、魔法少女管理局からの公式通知。
『本日発生した怪異討伐について、確認事項があります。指定の窓口までご連絡ください』
(おっ……)
思わず口元が緩む。
討伐報酬の振込口座の確認か、あるいは特例での魔法少女登録の打診だろうか。
どちらにせよ、まとまった金が手に入るなら文句はない。
ふと、頭の中にひとつの「思考」が芽生えた。
――もっと強い怪異が出てきたら?
今朝の怪異は、あまりにも手応えがなさすぎた。
もっと巨大で、もっと危険な怪異なら、討伐報酬も桁が変わるはずだ。
そうすれば、つなぎにもっと美味しいものを食べさせられる。
望む服も、欲しい教材も、全部買い与えてあげられる。
(……いいね)
強くなろう。もっと、誰も追いつけないほどに。
妹の笑顔を買い取るためなら、どれほど強くなろうと構わない。
代償? 人間性?
そんなもの、つなぎの幸せに比べたら何の価値もない。
――本当に?
脳裏の片隅で、弱々しいノイズのような声が聞こえた気がした。
けれどその声は、思考の海に一瞬で溶けて消えた。
私は気にせず、最後の卵焼きを口に運んだ。
◇
放課後。
夕暮れの住宅街を、美咲は一人で歩いていた。
頭から離れないのは、昼間のつむぎの表情だ。
いつも通りの穏やかな笑顔。いつも通りの優しい声。
――なのに、恐ろしいほど『冷たい』。
昔のつむぎなら違った。
怪異が出たと聞けば真っ先に顔を青くし、「つなぎは大丈夫かな」と携帯を握りしめてパニックになっていたはずなのだ。
自分のことには無頓着でも、妹のこととなると誰よりも臆病になり、誰よりも必死になる。
それが、美咲の知る白門つむぎだった。
今日の彼女は違った。
妹のすぐそばで殺戮が起きていたかもしれないのに、他人事のように笑っていた。
まるで「自分がいるから絶対に安全だ」とでも知っているかのように。
「……気のせい、だよね」
立ち止まり、スマホを開く。
メッセージ画面に『大丈夫?』と打ち込んで――指が止まり、文字を消去した。
不合格のショックで、無理に明るく振る舞っているだけかもしれない。
踏み込みすぎるのは良くない。
美咲は自分に言い聞かせるように呟いた。
「つむぎが……無理してなきゃいいな」
それが親友としての祈りだった。
だがその祈りが、やがて切実な「悲鳴」へと変わることを、今の美咲はまだ知らない。
◇
「お姉ちゃん、おかえり!」
「ただいま、つなぎ」
玄関を開けると、飛び出してきた妹がつむぎに抱きつく。
その無邪気な姿を見た瞬間、胸の奥の冷たい空洞に、すっと光が差し込む感覚があった。
無事だ。怪我もない。
それだけで、今日という一日に生きる価値があった。
「ねえねえ! 魔法見せて!」
「ふふ、そうだね。約束だもんね」
居間に入り、つむぎはそっと右手を掲げた。
――事象改変。
指先から溢れ出た銀の粒子が、一匹の光の蝶へと形を変える。
蝶はつなぎの周りを可憐に舞い、パッと弾けて無数の『銀の花びら』へと変わった。
「わあぁぁ……っ! きれい……っ!」
舞い散る光を追って、はしゃぐ妹。
その姿を眺めながら、つむぎは機械的に微笑む。
(……綺麗だな)
そう思う。思うけれど、かつて胸を打ったような熱い愛おしさは、もう湧き上がってこない。
まるで、完成された美しい絵画を客観的に眺めているような感覚。
それでもいい。妹が喜んでいる。それが全てだ。
もっと強くなろう。
怪異も、世界も、理不尽な貧困も。つなぎを脅かす全てを粉砕できる力を。
「つなぎ」
「なーに?」
「お姉ちゃん、もっと強くなるからね。つなぎを……絶対に守るから」
優しく、どこまでも平坦な声。
つなぎはきょとんと首を傾げ、少し困ったように笑った。
「……お姉ちゃん、つなぎは大丈夫だよ? だから、そんなに頑張らなくても……」
「大丈夫。お姉ちゃんは絶対に負けないから」
妹の気遣いすら、いまのつむぎの耳には届かない。
妹を幸せにする。そのためなら世界そのものを書き換えてもいい。
それが彼女の《希望》。
そして――それ以外の全てを失い続けていることこそが、彼女の《絶望》。
本人がその絶望にすら気づかないまま、銀の花びらが静かに消えていった。
◇
深夜。
消灯した廊下。白門つなぎは、姉の部屋のドアの前に立ち尽くしていた。
扉の向こうからは、静かな寝息だけが聞こえる。
昼間見せてくれた魔法は綺麗だった。
頭を撫でてくれた手も、いつものお姉ちゃんだった。
……なのに、どうしてこんなに胸がザワつくのだろう。
お姉ちゃんは、いつだって自分のことを後回しにしてきた。
弱音も吐かず、全部一人で背負い込んで。
「……無理しないでね、お姉ちゃん」
ドア越しに、届かない呟きを落とす。
つなぎの願いはシンプルだった。
貧しくてもいい。お姉ちゃんと一緒に、二人で笑って暮らしたい。
けれど、いまのつむぎが抱く願いは違う。
自分の命も、心も、人間性すらどうなってもいい。妹さえ幸せなら、世界を敵に回しても構わない。
似ているようで、決定的にすれ違う二人の願い。
妹は「姉と一緒に」幸せになりたかった。
姉は「自分を捨てて」妹を幸せにしようとしていた。
暗闇の中、つなぎは寂しげに自分の部屋へと戻っていく。
そのすれ違いの果てに生まれたのは――
誰よりも強く、誰よりも優しく、そして誰よりも狂った魔法少女。
少女が自らの『欠損』に気づき、絶望する日は――まだ、遠い。