魔法少女の才能がないと言われた私、禁忌の魔法で最強になる   作:いーる

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第六話 私の希望、君の絶望

 

 

――『黒冠』。

 

その名を冠する怪異は、まるで夜そのものが質量を持って受肉したかのような姿をしていた。

 

全身を覆う漆黒の甲殻。

頭部からは王冠を模した歪な角が幾本も穿たれ、その奥で二つの赤黒い光が凝視している。

 

姿形は人型。

しかし、人間に似ているなどとは到底思えなかった。

 

ただそこに存在するだけで、周囲の空間が軋み、削れていく。

空気が粘着質に重い。

呼吸をするたび、肺胞がすり潰されるような痛みが走る。

 

魔法少女管理局・中央管制室の空気は凍りついていた。

 

『対象の魔力反応、依然として上昇中! 周辺結界の許容量、限界値を突破します!』

『そんな……災厄級が、どうして封鎖区域内に現れるのよ……っ!?』

 

飛び交う悲鳴混じりの報告。

鳴りやむことのない過小評価の警報音。

 

そして、メインモニターの中心に映し出された一人の少女。

銀色の髪を夜風に揺らしながら、白門つむぎは黒冠と対峙していた。

 

『九条さん! 対象との交戦を確認! 至急、第零部隊に救援要請を――』

 

「間に合わないわ」

 

玲奈は即座に吐き捨てた。

救援部隊の到着まで、最短で三分。

 

――だが、あの怪物相手に『三分』を持ちこたえられる魔法少女が、この世に何人存在するだろうか。

 

そもそも『災厄級』という指定は伊達ではない。

単独討伐など最初から想定されていない、歩く天災。

上位魔法少女の一個大隊が総力を挙げ、命を削り合ってようやく討伐の糸口が見える――それが災厄級という絶望だ。

 

「白門さん……っ!」

 

玲奈はモニターを睨みつける。爪が手のひらに食い込む。

なぜ、彼女があんな地獄の渦中にいるのか。

なぜ、たった一人で踏みとどまっているのか。

 

そして――。

 

「あなた……一体、何と契約したの……?」

 

問いかけに答える者は、誰もいなかった。

 

◇

 

「……ふふ、あはっ」

 

つむぎは、可憐に唇をほころばせた。

 

「なるほど。これは……少し想像以上ですね」

 

黒冠が、ただ無造作に腕を振るった。

意図すら感じられないその一動。

 

直後、つむぎの足元の空間ごと地面が爆ぜた。

 

「くっ……!」

 

咄嗟に張り巡らせた三重の防壁が、ガラスのようにあっけなく砕け散る。

衝撃波に打ち上げられ、つむぎの華奢な体が瓦礫の山へ激突した。

 

肺から無理やり空気が吐き出される。

視界が明滅する。

 

けれど――彼女は、何事もなかったかのように立ち上がった。

 

「うわぁ……。今の、普通に痛いです」

 

制服の袖は破れ、白皙の頬には一筋の朱が走っていた。

つむぎはそれを細い指先で拭い、赤く染まった肌を見つめる。

 

そのまま、不思議そうに首を傾げた。

 

「……あれ? 私、ちゃんと『痛い』って思えるんですね」

 

呟いた言葉は、ひどく歪んでいた。

 

痛覚はある。

肉体が生命の危機を警告していることも理解できる。

 

なのに――怖くない。

 

目の前にいる怪異が、自分を容易く殺し得る存在だと知っているのに。

心のどこを捜しても、『逃げたい』という感情の破片すら見つからなかった。

 

――まあ、いっか。

 

思考を打ち切る。

今は目の前のゴミを片付けるのが先だ。

 

「それじゃ……次は、こちらの番です」

 

右手がかざされる。

 

途端、極彩色の現象が爆発した。

紅蓮の炎が咲き、絶対ゼロの氷塊が萌芽する。

紫電が走り、鎌風が渦巻き、光と闇が互いを貪り喰らいながら交錯する。

 

本来なら干渉し合い、即座に自爆を引き起こす反発属性――それが、矛盾の一切を置き去りにして、たった一つの魔法陣に綺麗に収束していく。

 

管制室に狂乱の悲鳴が上がった。

 

『火、氷、雷、風、光、闇……全六属性の同時展開!? 馬鹿な、魔力の相互干渉が……起きていない!?』

 

「そんな理論はどうでもいいわ!」

 

玲奈の叫びすら、画面の向こうの『異常』にかき消された。

 

黒冠が、動く。

 

怪異はつむぎが紡いだ極彩色の幾何学模様を一瞥し――片手を軽く、払った。

 

それだけで。

常識を置き去りにしたはずの大魔法が、泡のように消滅した。

 

「……え?」

 

つむぎの口から、間抜けた声が漏れる。

 

直後、黒冠の姿が消失した。

いや、速さの次元が違う。視神経が認識を拒否したのだ。

 

気づいた時には、黒冠の拳がつむぎの小柄な腹部に深々とめり込んでいた。

 

「がっ……は……っ!?」

 

身体がくの字に折れ曲がる。

物理法則を無視した衝撃で宙へ跳ね飛ばされ、そのまま見えない質量に押し潰されるようにアスファルトへ叩きつけられた。

 

粉砕された瓦礫が舞い上がる。

分厚い土煙が現場を覆う。

 

数秒の静寂。

 

煙が失せると、そこには片膝をつき、肩で息をする少女の姿があった。

 

「……あは、あははっ」

 

つむぎは笑っていた。

けれど、その笑顔からは完全に余裕が削ぎ落とされている。

 

呼吸は荒く、細い指先が激しく震えている。

何より――彼女の周囲を守るように浮かんでいた魔法陣の破片が、一つ残らず擦り切れるように消え去っていた。

 

管制室が、静まり返る。

 

『魔力反応、急激に低下……!』

『白門つむぎの魔力残量、危険域に突入します!』

 

玲奈の顔から血の気が引いていく。

 

あの全属性魔法は、一体何だったのか。

常識を凌駕した圧倒的な力。だが同時に、異様なまでの『底の浅さ』を感じさせた。

まるで、魔法少女という枠組に収まる限界量だけを、力ずくで引き出していたかのような――。

 

そして今、その器すら砕かれようとしている。

 

「白門さん、逃げて……! お願いだから逃げて!!」

 

玲奈の痛切な叫びは、当然届かない。

 

モニターの向こう側で、つむぎはゆっくりと、折れそうな脚で立ち上がった。

 

「……困りましたね」

 

服についた土をぱっぱと払い、彼女は黒冠を見上げる。

 

「これ、まともに戦ったら勝てないじゃないですか」

 

黒冠は答えない。

ただ、品定めをするように赤黒い眼光を注ぎ込んでいる。

 

「うーん……」

 

つむぎは、首をこてんと傾けた。

 

逃げるべきだろうか。

けれど、ここで私が逃げたら、あの怪異は街へ向かう。

 

たくさんの人が死ぬ。

……つなぎと一緒に暮らすあの部屋も、跡形もなく吹き飛ぶかもしれない。

 

それは、嫌だ。

絶対に、嫌だ。

 

つなぎが悲しむのは嫌だ。

つなぎが傷つくのも嫌だ。

私のいない場所で、つなぎが一人で泣くなんて――そんなの、耐えられない。

 

「……あ」

 

つむぎの表情から、一切の感情が消えた。

 

「そっか。出し惜しみなんて、最初からする必要なかったんですね」

 

――その瞬間。

 

世界から、すべての『音』が消え失せた。

 

風が止まった。

舞い上がっていた瓦礫が空中で静止し、崩れ落ちるビルの破片すらも時間ごと凍りついたように固定される。

 

黒冠が、初めて明確な反応を示した。

赤黒い眼が、驚愕に細められる。

 

つむぎは胸元に、優しく手を当てた。

 

そこにあるのは、どこにでもいる華奢な少女の心臓。

――だが、その深淵の奥底には。

 

世界の理すら易々と踏みにじる、絶対的な『不条理』が眠っている。

 

これまで使っていた力など、その威光のほんのさざ波に過ぎない。

無意識のうちに己へ課していた『魔法少女』という枠組みの制限。これ以上踏み込めば人間性を損なうという、魂の生存本能。

 

けれど――もう、どうでもよかった。

 

だって、自分には『希望』があるから。

何よりも大切で、かけがえのない、ただ一つの宝物があるから。

 

あの子の明日を守れるのなら。

この身体がどうなろうと、魂が何に摩耗しようと――最初から、知ったことではないのだ。

 

「――少しだけ、本気をだしますね」

 

銀色の瞳に、冷たい神性が宿る。

 

◇

管制室の巨大モニターが、一瞬で純白に染まった。

 

『な、何ですかこれ……魔力数値、計測不能!!』

『測定器の基幹システムが焼き切れました! こんなの、あり得ない……!』

『エラー! エラー! 領域内の物理法則が書き換わっていきます!!』

 

狂ったように鳴り響く警告音。

だが、誰一人としてそれを止めようとはしなかった。

画面の光に呑まれながら、誰もが言葉を失っていたからだ。

 

つむぎの周囲を、膨大な魔法陣が埋め尽くしていた。

 

赤、青、白、黒、紫、黄金――。

属性という概念すら超越した紋様が、重なり合い、世界を覆い尽くしていく。

 

数百、数千、数万。

天を遮り、地を穿つ魔法の陣列。

 

炎が咲き誇る。氷が芽吹く。

雷が世界を裂き、光と闇が混ざり合って『未知の概念』へと昇華されていく。

 

それらすべてが、ただ一人の少女の意志に従い、呼吸するように躍動していた。

まるで、世界そのものが彼女の足元に平伏し、次の命令を焦がれて待っているかのように。

 

そして。

静寂の中、少女の朗らかな歌のような詠唱が響き渡った。

 

『――I have known the silence before the dawn.』

(夜明け前の静寂を、私は知っている)

 

『I have watched a thousand stars fall into the deep.』

(幾千の星々が、深淵へと堕ちていく様を見届けてきた)

 

『My hands are empty, yet my will remains.』

(この手には何も残らずとも、私の意志だけは潰えない)

 

『Every flame shall fade. Every kingdom shall fall.』

(如何なる焔もいずれ潰え、如何なる王国もいつか滅びる)

 

『I ask for no crown. I seek no salvation.』

(王冠など要らない。救済など乞わない)

 

『Let the world take all that I am.』

(世界よ――私のすべてを奪うがいい)

 

つむぎの足元に、新たなる幾何学が描かれた。

 

それは空を覆う無数の魔法陣とは、根本から異なっていた。

色もない。輝きもない。

ただ、繊細な銀の線だけで刻まれた、あまりにも簡素で美しい紋様。

 

――だが、それが顕現した瞬間。

 

災厄級『黒冠』が纏っていた異様な威圧感が、音もなく消滅した。

怪異が一歩、後ずさる。

 

人類の歴史上、初めてのことだった。

災厄と呼ばれる存在が、明確に『死の恐怖』に戦慄したのは。

 

つむぎは、可憐に微笑んだ。

 

『But one hope shall never be taken.』

(――けれど。たった一つの希望だけは、絶対に渡さない)

 

世界のすべてを塗り替えるような銀光が、弾けた。

 

『My heart may break. My name may disappear.』

(たとえこの心が砕け散ろうとも。この名が世界から消え去ろうとも)

 

『Still, I shall give everything for her tomorrow.』

(それでも私は、あの子の明日のために――すべてを捧げよう)

 

空を覆う数万の魔法陣が、一斉に逆回転を始める。

 

炎と氷。光と闇。生と死。

相反する世界の理が、たった一つの『破滅』へと統合されていく。

 

その絶対の中心に立つ少女は、もはや魔法少女などではなかった。

 

人の皮を被った、ナニカ。

世界の法則をすべて理解した上で、それをゴミのように踏みつぶす異質の存在。

 

つむぎは最後の一句を、愛おしそうに紡いだ。

 

「――【My Hope, Your Despair】」

(――私の希望、君の絶望)

 

世界が、反転した。

 

 

 

 

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