魔法少女の才能がないと言われた私、禁忌の魔法で最強になる 作:いーる
黒冠が咆哮した。
それは獣の叫びであり、同時に世界そのものを拒絶する、切実なまでの抗いだった。
漆黒の壁が幾重にも展開される。
空間そのものが歪み、つむぎの魔法を削り取ろうと狂ったように軋みを上げる。
――それでも。
銀色の光は、止まらなかった。
あらゆる属性が、黒冠を叩きのめす。
極彩色の炎が呑み込み、凍てつく絶対零度が四肢を縫い止め、天を割る雷が外殻を撃ち抜く。
逃げ道を奪う風の刃。闇を焼き払う無慈悲な光。
黒冠が抗うたび、新たな魔法陣が空間を埋め尽くした。
一つを防げば、十が襲う。
十を防げば、百が迫る。
百を防げば――千の天災が、その上から容赦なく降り注ぐ。
圧倒的。
あまりにも理不尽な、一方的な蹂躙。
数分前までつむぎを地面に這いつくばらせていた死の象徴が、今や指先一つ分すら彼女に届かない。
黒冠が死に物狂いで腕を振るう。
だが、その動きは銀の光に触れた瞬間、運動エネルギーごと停止した。
黒冠が全魔力を解き放ち、自爆覚悟の衝撃波を放つ。
だが、その力はつむぎの周囲に浮かぶ魔法陣に呑み込まれ、何事もなかったかのように別の属性へと変換されて消え失せた。
どこにも逃げ場などない。
この空間の「ルール」そのものが、すでに彼女の手の中にあった。
「……あはっ」
つむぎは、心底楽しそうに微笑んだ。
「すごいですね、これ。こんなことまでできちゃうんだ」
自分の振るう力だというのに、まるで他人の手品でも鑑賞しているような呑気さだった。
目の前で起きている奇跡と崩壊を、興味深そうに観察している。
「これなら……今月の報酬、かなり期待できそうですね」
ふふっ、と可憐に呟きながら、つむぎは右手を軽く払った。
その指先の動きに追従し、空を埋め尽くす無数の魔法陣が一斉に黒冠へと照準を合わせる。
「それじゃあ、終わりにしましょうか」
世界から色が消える。
炎も、氷も、雷も、風も。
光も闇も、概念すらも――すべてが一つの光球へと収束していく。
つむぎの指先の上に現れたのは、手のひらに収まるほどの、小さく淡い銀色の光。
けれど、それが何を意味しているのか。
黒冠は、本能で理解してしまった。
怪異が、最期の力を振り絞る。
漆黒の外殻が狂った脈動を打ち、赤黒い怨嗟の魔力が噴き上がった。
封鎖区域を覆う巨大な結界が、内側からの圧力に悲鳴を上げる。
だが、つむぎの眉一つ動かない。
「大丈夫ですよ」
誰に向けた言葉なのか。
きっと、彼女自身すら分かっていない。
「あなたが何を頑張ったって――私、絶対に負けませんから」
パチン、と。
指先がかすかに跳ねた。
銀色の光が放たれる。
音はなかった。
衝撃波も、爆発すらも存在しない。
ただ、淡い光が静かに黒冠を包み込んだ。
次の瞬間、災厄の漆黒が、乾燥した砂のように崩落していく。
赤黒い眼光は儚く揺らぎ、怪異の巨大な巨体が、端から銀色の粒子へと還元されていく。
抗うことすら許されない。
黒冠は最期まで、彼女の影を踏むことすら叶わなかった。
――そして、光が収束したとき。
そこには、最初から何も存在しなかったかのような静寂だけが残されていた。
◇
『…………』
管制室は、呼吸の音すら凍りつくような沈黙に支配されていた。
誰も、言葉を出せない。
災厄級怪異。
国家規模の戦力を投入し、複数の上位魔法少女が命を捨てて挑むべき絶望。
それを、たった一人の少女が。
道端のゴミでも拾って捨てるような気軽さで、世界から消し去った。
『……た、対象の魔力反応、完全に消失』
オペレーターの震える声が、静寂を破る。
『災厄級怪異【黒冠】……討伐を確認。消滅しました……!』
玲奈は、モニターに映る無の光景を見つめたまま、金縛りに遭ったように動けずにいた。
ほんの数分前まで、彼女はつむぎの死を覚悟していた。
惨死する少女の姿を思い描き、絶望に胸を締め付けられていたのだ。
それなのに。
「……何なのよ、あなた……」
掠れた声が、玲奈の唇から零れ落ちる。
強い、なんて言葉では到底足りない。
魔法少女という概念の枠組みに押し込めていい存在ではない。
あれほどの超常の概念を書き換える力。
それを、何の代償もなく行使できるはずがないのだ。
そして玲奈の脳裏に、ぞっとするような寒気とともに思い浮かぶ。
つむぎが契約した、あの異質な魔法名。
【私の希望、君の絶望】。
――あの少女は、いったい何を対価として差し出した?
何を削り、何を失うことで、あの理不尽を手に入れたというのだ。
「……白門さん!」
耐えきれず、玲奈は狂ったように通信回線を開いた。
「聞こえる!? 白門さん、応答して!」
『はいはーい? 聞こえてますよー』
スピーカーから返ってきたのは、拍子抜けするほど軽やかな声だった。
いつもの、少し呑気で無防備な少女の声。
『えっと、黒冠でしたっけ? 無事に倒せました。あ、それより特級討伐の特別報酬って、いつ頃振り込まれますか?』
「……あなたね」
玲奈は強く額を押さえた。頭痛が視界を眩ませる。
「今、自分がどれだけの異常を成し遂げたのか分かっているの!?」
『え……? 頼まれた怪異を、普通に倒しただけですけど……』
心底不思議そうな、何の嘘もない声。
玲奈は息を呑み、絶句した。
この少女には、畏れという感情がないのか。
己の振るう神のごとき力への恐怖も、世界を救った実感すらも。
……いや。
彼女はすでに、「人間として大切な何か」を喪失しているのではないか。
「……とにかく、直ちに帰還しなさい。本部で直接、話を聞かせてもらうわ」
『分かりました。報酬の件も、前向きによろしくお願いしますね!』
「……ええ。善処するわ」
『やったぁ。つなぎにおいしいケーキでも買って帰ろうかな』
プチッ、と通信が切れる。
玲奈は受話器を握りしめたまま、眩暈に耐えていた。
世界が救われたというのに、恐怖で全身の毛羽が立つ。
あの少女の頭の中にあったのは、どこまでも――妹のことだけだったのだから。
◇
誰もいなくなった封鎖区域。
つむぎは、かつて黒冠が存在していた空間を見つめて首を傾げていた。
「うーん……」
ほんの少しだけ、罪悪感めいたものが過る。
「ちょっとだけ、やりすぎちゃったかな?」
地面にはクレーターのような大穴が開き、周囲のビル群は余波だけで半壊していた。
もう少し加減して戦うべきだったかもしれない。
けれど、過ぎたことを悩むのは時間の無駄だ。
「まあ、いっか。帰ろ」
つなぎが家で待っている。
そう思った瞬間、つむぎの足取りは羽のように軽くなった。
帰ったら、まず手洗いうがいをさせて。
夕食は何にしよう。
今日は奮発して、つなぎが大好きなハンバーグと、あの店のイチゴショートを買っていこう。
軽やかな足取りで歩き出すつむぎ。
その背後――
黒冠が消滅した爆心地の真ん中に、指先ほどの黒い欠片が『一つだけ』遺されていることにも気づかずに。
◇
静まり返った廃墟。
残された砕けた黒い欠片が、かすかに、ピクリと脈打った。
それは怪異の肉片などではない。
まるで、この世界の崩壊と少女の力を完璧に観察・記録するために遺された――『不気味な瞳』。
カチリ、と亀裂が入る。
そして、瓦礫の隙間から、誰の耳にも届かない声が零れ落ちた。
『……あぁ』
それは、世界の底から響くような、擦り切れた怨嗟の声。
『そうか……お前も、すでに捧げ尽くしていたか……』
パリン、と黒い欠片が粉々に砕け散る。
『ならば……いずれ訪れるだろう』
最後の言葉は、風に溶けて誰にも届かない。
けれど、残された呪いだけは、確実に空間に刻みつけられた。
『――お前の抱くその【希望】も、絶対に【絶望】へと変わる』
静寂が戻る。
何事もなかったかのように、夜の冷たい風が街を吹き抜けていく。
その頃、つむぎはすでに、大好きな妹の待つ家へと足を急がせていた。
今日も、つなぎは「おかえり」と笑ってくれる。
今日も、つなぎは温かく自分を抱きしめてくれる。
そのためなら。
自分の感情が壊れてもいい。
世界がどれだけ狂ったって構わない。
――その一筋の純粋すぎる願いが、いつか自分自身の存在すら完全に破滅させるのだとも知らずに。