シュピーゲル0 ~ 名無しの暗殺者と名有りの少女 ~   作:氏家まさら

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【第5話】原初の始動の赤

 煤煙(ばいえん)まみれの灰色の雪が舞う路地裏には、四つの死体が転がっていた。それはさながら道端に打ち捨てられた塵(ゴミ)のように、無機質な塊と化している。

 

 その凄惨な塵(ゴミ)溜めで、二人の人間が相対していた。

 

 一人は黒い外套に身を包んだ男――物言わぬ塊となった塵の傍らに立ち、呆けたように宙を仰いでいる。

 

 ぽた…ぽた…。

 

 その右手には血の滴る剣が握られ、剣先からは塵から溢れた空虚な赤(シミ)が滴っていた。

 

 ぽた…。

 

 もう一人は、まだ年端もいかぬ少女だった。彼女は肩を小さく震わせながら尻餅をつき、目の前の惨状を呆然と見つめている。

 

 少女は黒に近い茶髪を肩まで伸ばし、パフスリーブのブラウスを着て、厚手の木綿のスカートを履いていた。

 しかし今では、衣服も身体も元(・)主(・)の返り血で全身べったりと染まっている。

 

 首には、アイゼンシュタイン領で打たれたであろう、重厚で無骨な鉄の首輪――。本来は繋がれていたはずの鎖は無く、数節分だけが首元で揺れていた。

 

「……へ、へへ…、アンタ助かったぜ…」

 

 少女が肩を揺らし、声を掠れさせながら男に話しかけた。

 声をかけられた男――ジャックがゆっくりと視線を落とした。

 

「お、おかげで、このデブを殺れたよ…」

 

 声を震わせながら、物言わぬ肉塊となった元(・)主(・)を顎でしゃくる。

 

「…立てるか?」

 

 ジャックが、座り込んだ少女に右手を差し出した。

 

「…む、無理。腰が抜けた」

 

 少女は右手を左右に振り、苦しげにそう告げた。

 

「主を殺るとは、奴隷失格だな」

 

 ジャックが、目の前の惨状を他人事(ひとごと)のように眺め、平然と言った。

 

「…へん!知るかよ。勝手に向こうが奴隷扱いしてただけだ。私にそのつもりは無いよ」

 

 少女は言葉を紡いだが、身体は小刻みに震えたままだ。

 

「さっきだって、私が鎖を外したからって路地裏(ここ)に連れ込みやがったんだ…!…ぺっ!」

 

 彼女は、物言わぬ肉塊と化したハンスに向かって、唾を吐き捨てた。

 

「…」

 

 ジャックは、少女の姿を改めて観察した。

 

 この大陸では珍しい、黒に近い髪と瞳。鉈のように尖った目尻、一文字に結ばれた口元、ツンと上を向いた鼻先。返り血に濡れてなお、その目だけは妙にぎらついていた。

 

 その振る舞いには色気を感じないが、モノは悪くない。月並みな表現をすれば――磨けば『良い女』になりそうな予感がした。

 

 ビュン…!

 

 ジャックは剣についた血をを払いながら、少女へと語りかける。

 

「…口減らしに家族にでも売られたのか?」

 

 自分でも妙なことを訊いたと思った。

 

「…け!…そうだよ!」

 

 少女は地面に尻餅をついたまま、吐き捨てた。

 

「私は元々、此処じゃない炭鉱の村の出身(で)でさ――」

 

 どこか遠くを見るような視線で語りだした。

 

「そこで、実の両親(おや)と仲良くやってたんだ。…だけど、数年前に父ちゃんが鉱山の事故で死んじまった。それから後を追うように、母ちゃんも病気であっさり逝っちまったよ」

 

 少女は淡々と語っているが、目が僅かに潤んでいた。

 

「その後は、心(・)優(・)し(・)い(・)親戚に引き取られたんだけどさ――」

 

 少女の口調が切り替わった。

 

「そいつらの歓迎が熱烈でよ。私だけ馬小屋(こしつ)で寝泊まり、飯は下町のドブみてえなスープ、洗礼名(よびな)は『おい、コラ、てめえ』と来たもんだ。な、まるで神(じつ)の子(こ)みてえな扱いだろ?」

 

 小気味の良い身振り手振りを交え、スラスラと言葉を紡ぎだす。

 

「…ふ」

 

 ジャックは不覚にも少し笑いそうになった。

 

「そんである時、馬小屋(こしつ)で寛(くつろ)いでた私に、従兄弟(あにき)が因縁を付けてきやがったのさ」

 

 少女は眉間に皺を寄せ、不快そうに毒づく。

 

「お淑やかな私も、最初は穏便に済まそうと思ったんだがな――だが、従兄弟(あいつ)が私の両親(おや)のことを悪く言いやがったんだ」

 

 一瞬、先ほどまでの冗談めいた調子が消えた。

 

「気づいた時にゃ、ソイツをボッコボコにぶちのめしてたよ。……そしたら3日後には、もう奴隷商人の馬車の上さ」

 

 語り終えると、少女は元の口調に戻り、両手を左右に広げた。

 

「それは相手が不憫だな」

 

 ジャックが僅かに表情を崩して言うと、少女は視線を逸らした。

 

「…うるせえ」

 

 そして、不貞腐れたようにジト目を返す。

 

「まあ、炭鉱街(こっち)に来てからも、私は大人気(モテ)すぎて参ったけどな。あのデブ、連日私を分からせようと迫ってきやがって……!」

 

 眉間に皺を寄せ、唾を吐き捨てる仕草を見せる。

 

「しかも、パッと目立たねぇとこばっか叩(はた)いてくんのさ。へっ!あんなん、母ちゃんのビンタに比べたら屁でもねえっつうの!」

 

 少女は地べたに座ったまま腰に拳を当てて、座りながらの仁王立ちを決めた。

 

「いつか叩き斬ってやろうと思ってたところだったんだ。んな時に丁度アンタが来たってわけよ」

 

 少女は笑みを浮かべ、ジャックを横目で見つめた。

 

「……」

 

 ジャックはもう一度、目の前の少女をまじまじと見つめた――可愛らしい奴だ。それにどこか懐かしい雰囲気がする。

 

「お前、こっちに来るか?」

 

 気づいた時には、そう口にしていた。

 

「…へ?」

 

 少女が間の抜けた返事をする。

 

「これも何かの縁だ。仕事を紹介してやる」

 

 ジャックは悠然と少女を見下ろした。

 

「……それは良いけど、売春婦(うり)じゃねえだろうな?」

 

 少女は座り込んだまま、射抜くような疑いの視線を向けてくる。

 

「売春婦(そっち)の方がマシかもしれんぞ?」

 

「はあ?冗談だろ…」

 

 少女は呆れたように返した。冷たい静寂の中で、二人の視線が交錯する。

 

 やがて少女が大きく溜め息をついた。

 

「はあ…分かったよ。乗るよ。アンタには借りがあるし――。それにあのデブよりはマシそうだ」

 

「決まりだな」

 

 ジャックは腰を落とし、改めて少女に右手を差し出した。

 

「『俺』はジャックだ」

 

 少女もまた不敵に微笑み、迷うことなくその右手を伸ばした。

 

「『私』はカレン」

 

 パシッ!

 

 二人の手が固く握られた。冷え切った街で、互いの体温が初めて通い合う。

 

 時は教皇歴928年―――ジャックが17歳、カレンが14歳の時の事だった。

 

 

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