シュピーゲル0 ~ 名無しの暗殺者と名有りの少女 ~ 作:氏家まさら
その凄惨な
一人は黒い外套に身を包んだ男――物言わぬ塊となった塵の傍らに立ち、呆けたように宙を仰いでいる。
ぽた…ぽた…。
その右手には血の滴る剣が握られ、剣先からは塵から溢れた空虚な
ぽた…。
もう一人は、まだ年端もいかぬ少女だった。彼女は肩を小さく震わせながら尻餅をつき、目の前の惨状を呆然と見つめている。
少女は黒に近い茶髪を肩まで伸ばし、パフスリーブのブラウスを着て、厚手の木綿のスカートを履いていた。
しかし今では、衣服も身体も
首には、アイゼンシュタイン領で打たれたであろう、重厚で無骨な鉄の首輪――。本来は繋がれていたはずの鎖は無く、数節分だけが首元で揺れていた。
「……へ、へへ…、アンタ助かったぜ…」
少女が肩を揺らし、声を掠れさせながら男に話しかけた。
声をかけられた男――ジャックがゆっくりと視線を落とした。
「お、おかげで、このデブを殺れたよ…」
声を震わせながら、物言わぬ肉塊となった
「…立てるか?」
ジャックが、座り込んだ少女に右手を差し出した。
「…む、無理。腰が抜けた」
少女は右手を左右に振り、苦しげにそう告げた。
「主を殺るとは、奴隷失格だな」
ジャックが、目の前の惨状を
「…へん!知るかよ。勝手に向こうが奴隷扱いしてただけだ。私にそのつもりは無いよ」
少女は言葉を紡いだが、身体は小刻みに震えたままだ。
「さっきだって、私が鎖を外したからって
彼女は、物言わぬ肉塊と化したハンスに向かって、唾を吐き捨てた。
「…」
ジャックは、少女の姿を改めて観察した。
この大陸では珍しい、黒に近い髪と瞳。鉈のように尖った目尻、一文字に結ばれた口元、ツンと上を向いた鼻先。返り血に濡れてなお、その目だけは妙にぎらついていた。
その振る舞いには色気を感じないが、モノは悪くない。月並みな表現をすれば――磨けば『良い女』になりそうな予感がした。
ビュン…!
ジャックは剣についた血をを払いながら、少女へと語りかける。
「…口減らしに家族にでも売られたのか?」
自分でも妙なことを訊いたと思った。
「…け!…そうだよ!」
少女は地面に尻餅をついたまま、吐き捨てた。
「私は元々、此処じゃない炭鉱の村の
どこか遠くを見るような視線で語りだした。
「そこで、実の
少女は淡々と語っているが、目が僅かに潤んでいた。
「その後は、
少女の口調が切り替わった。
「そいつらの歓迎が熱烈でよ。私だけ
小気味の良い身振り手振りを交え、スラスラと言葉を紡ぎだす。
「…ふ」
ジャックは不覚にも少し笑いそうになった。
「そんである時、
少女は眉間に皺を寄せ、不快そうに毒づく。
「お淑やかな私も、最初は穏便に済まそうと思ったんだがな――だが、
一瞬、先ほどまでの冗談めいた調子が消えた。
「気づいた時にゃ、ソイツをボッコボコにぶちのめしてたよ。……そしたら3日後には、もう奴隷商人の馬車の上さ」
語り終えると、少女は元の口調に戻り、両手を左右に広げた。
「それは相手が不憫だな」
ジャックが僅かに表情を崩して言うと、少女は視線を逸らした。
「…うるせえ」
そして、不貞腐れたようにジト目を返す。
「まあ、
眉間に皺を寄せ、唾を吐き捨てる仕草を見せる。
「しかも、パッと目立たねぇとこばっか
少女は地べたに座ったまま腰に拳を当てて、座りながらの仁王立ちを決めた。
「いつか叩き斬ってやろうと思ってたところだったんだ。んな時に丁度アンタが来たってわけよ」
少女は笑みを浮かべ、ジャックを横目で見つめた。
「……」
ジャックはもう一度、目の前の少女をまじまじと見つめた――可愛らしい奴だ。それにどこか懐かしい雰囲気がする。
「お前、こっちに来るか?」
気づいた時には、そう口にしていた。
「…へ?」
少女が間の抜けた返事をする。
「これも何かの縁だ。仕事を紹介してやる」
ジャックは悠然と少女を見下ろした。
「……それは良いけど、
少女は座り込んだまま、射抜くような疑いの視線を向けてくる。
「
「はあ?冗談だろ…」
少女は呆れたように返した。冷たい静寂の中で、二人の視線が交錯する。
やがて少女が大きく溜め息をついた。
「はあ…分かったよ。乗るよ。アンタには借りがあるし――。それにあのデブよりはマシそうだ」
「決まりだな」
ジャックは腰を落とし、改めて少女に右手を差し出した。
「『俺』はジャックだ」
少女もまた不敵に微笑み、迷うことなくその右手を伸ばした。
「『私』はカレン」
パシッ!
二人の手が固く握られた。冷え切った街で、互いの体温が初めて通い合う。
時は教皇歴928年―――ジャックが17歳、カレンが14歳の時の事だった。