シュピーゲル0 ~ 名無しの暗殺者と名有りの少女 ~   作:氏家まさら

6 / 6
【第6話】地獄への門

 日の暮れた執務室の天井に、男の怒声が響いた。

 

「…ふざけてんのか!?オメエは!」

 

 ドン…!

 

 執務机の上に右拳が叩き落とされる。

 拳を振るった男――キャスパーの目の前には、今しがた『仕事』を終えて帰還したばかりのジャックと、彼に連れられた少女の姿があった。

 

 ジャックは左肩に浅い切り傷を負っており、それを手当もせずに放置していた。

 傍らに立つカレンは、返り血こそいくらか拭われていたものの、血糊の跡がべったりと残っていた。

 二人とも追い剥ぎにでも遭ったかのような風体だ。

 

 奥の机では、この組織を束ねる団長――クラウスが、神妙な面持ちで視線を落とし、静かに葉巻をくゆらせていた。

 時折、手元のショットグラスに注がれた強い蒸留酒を喉へ流し込む。その落ち着き払った佇まいは、さながら嵐の前の静けさを思わせた。

 

「手傷を負って帰ってきたと思ったら、道端で拾った奴隷を仲間に入れたい、だと?頭湧いてんのか――ええ!?」

 

 キャスパーの怒りは収まらない。まくし立てるように怒声が響く。

 

「無茶(バカ)を言っているのは分かっている」

 

 ジャックはごく淡々と答えた。

 

 カレンは、怒り狂う男と石のように冷淡な男が織りなす見事な対比(コントラスト)の華麗(うつくし)さに当てられ、その乾いた視線を何往復もさせていた。

 

「いいや、分かってねえよ……!ウチはなジャック、教会の養護施設じゃねんだよ……!その肩口から慈愛の精神でも溢れちまったか…?『切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)』さんよ」

 

 キャスパーは青筋を浮かべて、目を見開きながら凄んだ。半ば顔が痙攣している。

 

「……ああ、『切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)』ってアンタだったの?なんか、思ったより普通だな」

 

 カレンが平然とした口調で話しかけた。

 

「てめぇは黙ってろ!ガキィ……!!」

 

 キャスパーが、怒声を上げた。

 日の暮れた執務室がビリビリと振動するほどの音量が炸裂する。

 

「…へいへい。……おー、こわ」

 

 カレンは両手をひらひらと左右に振って降参の姿勢(ポーズ)を取り、素直に折れてみせた。

 

「見込みはあると思う。何しろ今回ハンスを殺ったのは、コイツだ」

 

 沈黙を守っていたジャックが、会話に割って入った。

 

「……何が『ハンスを殺ったのは、コイツだ』だよ。自分(てめえ)で言ってて恥ずかしくねえのか?それでも掃除屋か?掃除屋が奴隷に掃除させんなよ…舐めてんのか?」

 

 キャスパーはさらに額の青筋を隆起させ、ジャックに詰め寄った。

 

「それは面目次第もない」

 

 ジャックは反論することなく、素直に己の非を認めた。

 

「……ぷ」

 

 そんな二人のやり取りを目の当たりにしていたカレンが、思わず吹き出しそうになり、咄嗟に顔を背けた。

 

「…あ?」

 

 キャスパーが、燻ぶった火種のような目を見開き、カレンを鋭く射抜いた。

 

「……失敬」

 

 カレンは肩を小刻みに揺らし、左手で口元を押さえながら、ひょいと頼りなげに右手を上げた。

 

「しかし、見込みがあるのは本当だ。コイツは初めてなのに躊躇なく刺した。磨けば光ると俺は思う」

 

 ジャックはそう言って、キャスパーの燻るような視線を遮るように、カレンの前にすっと割って入った。

 

「それに組織(ウチ)には女の刺客は少ない。使い方によっては仕事の幅が広がるだろう」

 

 ジャックは、平然とした口調で語り出した。

 

「おめえなあ……」

 

 キャスパーが眉間に皺を寄せた。ジャックの熱弁に対して、さらに言葉を紡ぎかける。

 

「……もういい」

 

 これまでずっと、奥の机で神妙に葉巻をくゆらせていた団長クラウスが、静かに言葉を発した。その一言だけでキャスパーの喚き声はピタリと止まり、室内の全員がクラウスへと視線を向けた。

 執務室内に、肌を刺すような空気が流れる。

 

「そこまで言うなら、ジャック。お前が面倒を見ろ」

 

 クラウスは、手元のショットグラスに視線を落とした姿勢のまま、静かにジャックを見やった。

 

「親父…!」

 

 キャスパーが食い下がろうとしたが、クラウスはただ黙って右手を突き出し、息子の言葉を制止した。

 

「ただし、猶予は三ヶ月だ。それまでに使えるように仕込め――分かったな?」

 

 クラウスは有無を言わせぬ冷徹な表情で、ジャックと、その後ろに佇むカレンを見つめた。

 

「承知した」

 ジャックは即答した。

 

「…なら、行け。仕事が入ったら、また連絡する」

 団長クラウスは、手元のショットグラスに視線を落としたまま、退出を促した。

 

「…行くぞ」

 ジャックはそう言って、隣に佇む少女について来るように促した。

 

「ああ」

 カレンが短く応じた。

 

 ジャックが踵を返し、扉に手をかけた。

 

 ガチャ…。

 

「……ジャック」

 不意に、背後からクラウスの低い声が彼を呼び止めた。

 

「……面倒だけは起こすなよ」

 冷めた視線で、ジャックを射抜く。

 

「…分かっている」

 彼もまた、背後の団長に向けて、静かに視線を返した。

 

 バタン…。

 

 二人が執務室を退出する。

 

 ふー……。

 

 クラウスが葉巻の紫煙を吐いた。

 

「……良かったのかよ?親父」

 キャスパーが半眼で問いかけた。

 

「……好きにさせろ。最初(ハナ)からあんな小娘に期待なんてしてねえ」

 クラウスは、更に蒸留酒を一杯呷る。

 

「ただ、この所アイツは働き詰めだったからなぁ。丁度良い息(・)抜(・)き(・)ぐらいにはなるかもしれん」

 

「そういやアイツ、女がいる気配もねえな…」

 

 キャスパーが、視線を宙にやりながら漏らす。

 

「それに、使(つか)い物(モン)にならなかったら、また売っぱらえばいいだけだ。今度はオレらの陣地(シマ)でな。モノは悪くねえし、幸い傷物にもなってねえようだ」

 

 クラウスが冷徹な表情で、二人が去った入口を射抜く。

 

「…ちげえねえ」

 

 キャスパーも一応納得はしたように頷いた。

 

 ふー……。

 

 クラウスの吐き出す紫煙が、静まり返った執務室の天井にゆっくりと立ち上っていった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。