キセキと子持ちトレーナー 作:Lagavulin
「キセキの分、これで足りる?」
床へ広げた新聞紙の上で、悠が芋を分けていた。太いものを選んでは片側へ置き、残った山と大きさを見比べている。
「十分だと思う。こんなに掘ったのか」
「こっちも、ぼくが見つけた」
土の残った芋を持ち上げ、トレーナーへ見せた。祖母の家から持ち帰った袋は、出かけるときの倍ほどの重さになっていた。
「キセキ、いつ来る?」
「そのことなんだけど。悠、少し話してもいいか」
息子の隣へ座ると、悠は芋を置いた。
「パパは、キセキと結婚したいと思ってる。この家で、3人で一緒に暮らしたいんだ。悠は、どう思う?」
悠は父親を見た。すぐには返事をせず、少し考えてから、階段のほうへ顔を向ける。
「キセキのお部屋に、戻ってくる?」
「うん。あの部屋で、また漫画を描けるようにしたいと思ってる」
「今度は、いつまで?」
トレーナーは、息子の顔を見て答えた。
「今度は、ずっと。キセキの家も、ここになる」
悠の口元が緩んだ。何か言いかけて、もう一度父親を見る。
「パパ、ママと結婚してたのに?」
「そうだよ。ママのことも、今も大好きだ」
悠は膝に手を置いた。
「キセキも?」
「うん。キセキも好きなんだ。一緒にいて、笑ったり、話したりして暮らしたい」
息子は黙って聞いていた。トレーナーは急がずに待った。悠が顔を上げ、自分の部屋のあるほうを指さす。
「ママの絵、あのままでいい?」
「もちろん。パパも、あの顔を見たいから」
そう答えると、悠はようやく大きく頷いた。
「ぼくも、一緒がいい」
声が、少し明るくなった。
「キセキがいると、お風呂の話、いっぱいできる。描いた漫画も、すぐ見せられる」
「そうだな」
「でも、描いてるときは待つんだよ。前にも言われた」
トレーナーは笑った。
「それは、パパも同じだな」
悠が芋の山へ戻った。キセキに渡す分をもう1つ増やし、袋を広げる。
「今度来たら、これ、一緒に食べよう」
「うん。そう伝えよう」
袋を押さえてやると、悠は慎重に芋を入れ始めた。
*
その日の夕方、彼から電話が来た。
話したよ、という声を聞いて、キセキはペンを置いた。悠が何と答えたのか、1つずつ聞く。ずっとなのかと確かめたこと。母親の絵を、そのまま置いておきたいと言ったこと。
「……はい」
キセキは頷いた。電話の向こうには見えないと分かっていても、何度も頷いた。
「一緒がいいって言ってくれた。次に来たら、自分でも話したいらしい」
「あたしも、悠くんと話したいです」
「うん。それと、芋をたくさん用意して待ってる」
キセキは笑った。胸がいっぱいになっていたところへ、悠の顔が浮かんだ。
「お腹空かせて行きます」
「そのほうがいいと思う」
電話を切ったあと、キセキは机の脇の写真を見た。城で撮った、3人の写真だった。
青いドレスの自分と、赤いマントの悠。その隣に彼がいる。
今度は、間違われて嬉しがるだけではなくなる。
キセキは写真を少し手前へ寄せ、続きを描くためにペンを持った。
*
次に家を訪ねると、悠は玄関で待っていた。
「キセキ、パパから聞いた?」
「うん。お電話でお話ししたよ」
「今度は、ずっといるんだよね」
キセキは鞄を置き、悠の顔が見えるようにしゃがんだ。
「うん。あたし、ここに引っ越してきたいんだ。悠くんと、トレーナーさんと、一緒に暮らしたい」
悠は嬉しそうに頷いた。それから、キセキの鞄を見た。
「今日は、これだけ?」
「今日はまだ、お話をしに来たの。本も机もあるから、準備しないとね」
「ぼくも運ぶ」
「ありがとう。じゃあ、折れないように絵を運んでもらおうかな」
悠はすぐに引き受けた。立ち上がるキセキの手を取り、リビングへ連れていく。
台所から、トレーナーが顔を出した。
「いらっしゃい。もう説明は始まってるみたいだな」
「絵を運ぶ係が決まりました」
「それは頼もしい」
悠が胸を張った。
テーブルの上には、3人分の皿が並んでいた。昼食の最後に、悠の掘った芋が出てきた。中を割ると湯気が立ち、黄色いところを見て悠が嬉しそうにする。
キセキは少し冷ましてから食べた。
「甘い。すっごく美味しい!」
「それ、ぼくが掘ったやつ」
「おかわり、してもいい?」
悠は頷き、まだ割っていないものをキセキの皿へ載せた。トレーナーが多すぎないかと聞くと、キセキは大丈夫だと答える。
「今日は、いっぱい食べるつもりで来ましたから」
彼も笑って、自分の分を割った。
食事のあと、3人で借りていた部屋へ上がった。キセキは机の前に立ち、原稿を広げるところをもう一度確かめる。
「ここ、もう少し大きい机を入れたいです」
「君が使ってるのを運ぼうか。横の棚を動かせば入りそうだ」
「本も増えちゃうんですけど」
「置き場所を考えよう。俺の本も整理しないといけないし」
悠が、机の横へ椅子を持ってきた。
「ぼくのも置ける?」
「来てくれたときは、ここで一緒に描こうか」
「毎日来てもいい?」
キセキは笑って頷き、それから手元の原稿を指さした。
「でも、描くのに夢中だと、すぐにお返事できないときがあるんだ。そういうときは、少し待っててね」
「パパも待つんだって」
後ろでトレーナーが笑った。
「言われてたか」
「じゃあ、2人ともお願いしますね」
キセキは2人を振り返った。悠が椅子の位置を決め、彼が机を置く場所の幅を測り始める。
壁際に置くキャリーケースの場所ではなく、これから使う机の場所を決めていた。
*
結婚と引っ越しの準備を進めるあいだも、原稿の締切はやってきた。キセキが持ち込みへ行く日には、彼が夕方に感想を聞いてくれた。彼の仕事が遅くなる日には、短いメッセージだけを送り合った。
本棚を見に行った帰りに、夕食を食べた。手をつないで駅まで歩き、それぞれの家へ帰る。少しずつ箱が増え、キセキの部屋の本棚が空いていった。
婚姻届を出した翌週、荷物を運ぶ日が来た。
最初に運び込んだのは、原稿とペンだった。机は彼と2人で、向きを変えながら部屋へ入れた。悠は約束どおり、絵の入ったファイルを両手で持ってきた。
「どこに置く?」
「その棚に、立てておいてくれる?」
悠が慎重に並べる。城の写真とリレーのメダルも、机のそばへ置いた。
服の入った箱は、今度は彼と使う寝室へ運んだ。空いていた引き出しに、自分の服をしまっていく。途中で手が止まり、キセキは隣にある彼の服を見た。
「足りそうか?」
振り返ると、トレーナーが入口にいた。
「はい。まだ、大丈夫です」
「足りなくなったら言ってくれ。半分ずつにしよう」
言われて、キセキは笑った。少し遠慮して端へ寄せていた服を、もう少し広く置き直す。
彼がそばへ来て、手のひらに小さな鍵を載せた。
この前、返した家の鍵だった。
「今度は、返さなくていい」
キセキは鍵を見たあと、彼を見上げた。
「……はい」
彼が笑った。キセキは鍵を握ったまま、空いている腕を彼の背中へ回した。
肩へ頬を寄せると、彼も抱き返してくれた。顔を上げたところへ、短く口づけられる。
「これから、よろしく」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
言い終わる前に笑ってしまった。何年も一緒にいた人へ、こんなふうに挨拶をする日が来るとは思っていなかった。
階下から悠に呼ばれ、2人で返事をした。
*
夜、悠が寝たあとに、キセキは別のファイルを持ってリビングへ下りた。
トレーナーはソファで本を読んでいた。表紙を見せると、本を閉じて隣を空けてくれる。
「続きを、描けたのか?」
「はい。少しだけ」
キセキは隣へ座り、最後のページを開いた。
女性の手に、男の手が重なっている。空白にしていたコマでは、男がその手を握り、自分のほうへ引き寄せていた。男は女性の目を見ていた。もう伏せずに、何を言うか決めた顔で。吹き出しには、一緒に生きていきたいと書いた。
トレーナーはそのページを読み、少し戻ってから、もう一度続きを見た。キセキは横で待っていた。
「……この顔、描くの、難しかっただろ」
「何度も描き直しました」
彼の指が紙の上で止まった。
「でも、今は描けます。トレーナーさんが、言ってくれたので」
彼は顔を上げた。キセキを見る目が柔らかくなったので、その顔も覚えておこうと思った。
「読ませてくれて、ありがとう」
「はい。……最初に見せたときも、最後まで読んでくれて、ありがとうございました」
彼は紙を丁寧にファイルへ戻した。閉じてから、キセキの手を取る。
もう紙を間に置かなくても、手をつなげた。
キセキは彼の肩へ寄りかかった。彼が、少し身体をずらして座りやすくしてくれる。
「今日、疲れた?」
「ちょっと。でも、まだ寝たくないです」
「俺も」
2人で小さく笑った。
窓の外は暗かった。いつもなら、電車の時間を確かめる頃だった。机の片づけも、残りの箱も、明日にできる。
リビングの棚には、妻の写真があった。昼間、悠がその隣へリレーの写真を持ってきた。誰も隠れないように並べ直したのは、彼だった。
キセキがそちらを見ていると、彼も顔を向けた。
「あのリレー、3人ともいい顔してるな」
「頑張りましたから」
「うん。頑張った」
彼の親指が、つないだ手を撫でた。
「また、出ような」
「もちろんです」
キセキは顔を上げた。彼がこちらを見て、笑った。
*
一緒に暮らし始めて数日が経った朝、悠がキセキの部屋を覗いた。
朝食の前に少しだけ描こうと思っていた原稿は、予定より長くかかっていた。キセキは悠に気づき、ペンを置く。
「おはよう。どうしたの?」
「見てほしいのがある」
持ってきた紙には、ドラゴンと勇者が描かれていた。山の頂上で、2人が遠くを見ている。空には星がたくさんあった。
「登れたんだ」
「うん。飛ばないで、登った」
「ほんとだ。足のところ、泥がついてる」
悠は嬉しそうに頷いた。机の横へ立ったまま、キセキが最後まで読むのを待っている。
「次は、どこに行くの?」
「まだ決めてない。……ねえ、キセキ」
「うん?」
悠は紙の端を指で押さえた。
「キセキのことも、ママって呼んでいい?」
キセキは、持っていた紙をゆっくり机へ置いた。
悠は顔を上げて待っていた。キセキは椅子を離れ、悠の前にしゃがんだ。
「うん。呼んでくれたら、すごく嬉しい」
悠は少し照れたように笑った。それから、いつもより小さな声で呼んだ。
「ママ」
「……なあに」
返事をすると、胸の奥が温かくなった。笑ったつもりだったのに、目元まで熱い。悠はキセキの顔を見てから、机の上の絵を指さした。
「星、1個塗って」
「いいの?」
「うん。いちばん大きいやつ」
キセキは悠を隣の椅子へ座らせ、色鉛筆を出した。黄色と、少し濃い金色を並べると、悠は迷ってから金色を選んだ。
はみ出さないように、ゆっくり塗った。描くときよりも緊張した。塗り終えて紙を返すと、悠は両手で持ち上げ、光にかざした。
「光ってる」
「うん。綺麗だね」
入口で声がした。
「朝ごはん、できたぞ」
トレーナーが立っていた。悠が紙を持って駆け寄る。
「見て、パパ。ママが塗った」
彼は息子とキセキの顔を順に見た。キセキは少しだけ頷いた。
「そうか。よかったな」
悠が先に階段を下りた。キセキも色鉛筆をしまい、彼のところへ行く。
何か言おうとしても、まだ声がうまく出なかった。彼が手を伸ばし、キセキの指を握った。
キセキはその手を、優しく握り返した。
*
午後、キセキは画材を買いに出かけた。
原稿用紙とインクを選び、帰りに3人分のおやつを買う。悠の好きなものを1つ、彼の好きなものを1つ。それから、自分が食べたいものも袋へ入れてもらった。
家の近くまで戻ると、鞄のポケットから鍵を出した。電車の中で考えた次の場面を、早く描いてみたかった。彼にも、今日の話を聞いてほしい。
鍵を回し、扉を開ける。
廊下の向こうから、トレーナーが顔を出した。
「おかえり、キセキ」
その後ろで、悠もこちらを向いた。手には、まだ描きかけの漫画を持っている。
キセキは買ってきた袋を持ち上げ、2人へ笑った。
「ただいま」