自然豊かな川は心を休めるにはいいところだ。
川底の石が透けるほど澄んでいて、ときどき魚の動きが見える。
近くに家はなく、車道も車が通らないからか、水の流れる音と虫の声だけが耳に鳴り響く。
月明かりだけの外は星が近くにあるように感じる。
ここが心霊スポットなんて到底信じられなかった。
「川に引きずり込まれた」「遊んでいる子供がいた」「夜中に声が聞こえる」
ネットで噂を調べ続け、あの化け物みたいなのが出るらしい場所を探していた。
確証はないが口コミとなんとなくここかもしれないと思った、自分の直感を信じた。
まあダメでもともと、怖い話のネタになれば十分だ。
そんな気分で来てみた。
幸い夏だというのに、川の近くは涼しい、来なければよかったとは思わなそうだ。
川沿いは砂利や石が多く歩くと小さい音を立てる。
風が吹けば水面が揺れ、草が音を立ててなびく。
風に揺れる水面を見ていると、幼いころ家族で川に遊びに行った記憶がふとよみがえった。
思い出を振り返っていると、前のほうにひとりの子供らしき人がいた。
月明かりだけではよく分からないが、しゃがんでいる高さ的に小学生のように感じる。
水に手を入れその場でかき混ぜるように動かしている。
それを見た俺の足は止まった。
普通に考えれば、夜中に子供が1人でここにいるはずがないからだ。
音を立てないように少し近づくと違和感が確信に変わる。
その子供には影がなく、水面にも姿は映っていなかった。
まるで影そのものが形を成しているような黒い体だった。
俺は体に鳥肌が立ちながらも口角が上がる。探し物が見つかった。
写真を撮ろうと携帯を取り出しシャッターを押した時、そいつの顔らしきものがこっちを見た。
目が合った。
いや厳密にいえばそいつに目なんてない、マネキンのように形だけしかない。
それでも直感的にそう感じる。
まるで笑っているかのようなそいつはゆっくり俺に向かって歩き始めた。
こいつは一体何をするんだろうと考えてきたとき、「ぽちゃん」「ぽちゃん」と水音が切り返し響いた。
なんだと思い横目で確認すると、川からいくつもの小さい手が伸びていた。
気づいた瞬間にはもう遅かった。
そのいくつもの手はもう俺の左足を掴んでいた。
掴まれたから分かったが、この手のようなものは見た目とは裏腹にとても力強く、まるで水のように冷たい。
そんなことを思っていたら俺を川に引きずり込もうとしているのか、引っ張られ始めた。
必死に踏ん張ろうとするが、いとも簡単に左足が地面を離れ、バランスを崩し転倒する。
痛みを感じたときにはもう川の中だった。
ろくに呼吸をせずに入ったせいで息が苦しい、ここは川が深いのか足が底に着いたところからでは水面に出られない。
水面の方向が分からず、恐る恐る目を開ける。
すると、周囲の水中にさっきの影の子供たちがいくつも浮かび、こちらを見ているようだった。
そんな光景を目にし、恐怖のあまり悲鳴を上げたつもりが、泡が口から漏れるだけだった。
さらに苦しくなった俺は急いで水面に顔を出した。
「はぁぁ!はぁぁ!」
必死に呼吸をしながら、逃げるように岸に向かって泳いだ。
だが、水面を破って出てきたのはあいつらも同じだった。
俺を取り囲むように、水面から顔の部分を出している。
来なければよかった、後悔は後を絶たない。
どうすればいいか頭を回していると、「ばしゃん」という音と共にバスケボールくらいの水の塊が俺の顔に迫っていた。
避けることなんかできずに、もろに食らった。
鼻が折れたかと思うほどの痛みが走る。
水で視界が奪われたと思った瞬間、後頭部からも同じ衝撃がやってきた。
最初の一撃を合図にしたように、四方から水の塊が次々と叩きつけられた。
まるでサンドバックだ、理由もなく、容赦なく水が襲いかかってくる。
時々足を掴まれて水中に引きずり込まれたりもした。
もはや化け物の恐怖よりも、死ぬかもしれない現実のほうが重くのしかかってきた。
そこからどのくらいたったのだろうか、3回くらい水中に引きずり込まれた辺りから俺は諦めが少しずつ出てきた。
川から上がろうにも水の塊が耐えられない、潜って泳ごうにも足を引っ張られる。
どうしようもない状態だった、俺はこのまま死ぬのかもしれない。
もうどうなってもいい、せめて一矢報いてやりやろうと俺は潜り川底に沈んでいた石を掴んだ。
「ふざけるな!」
叫びと同時に石を投げつける。
石は子供の影に当たった瞬間、子供の影はぐにゃりと歪んだ。
川が静まった。
さっきまで四方から飛んできていた水の塊が、ぴたりと止まる。
周りを見ると子供の影たちが動きを止めてじっとしている。
俺の周辺だけ、水面がわずかに揺れている。
影たちが上流側に集まり始めた。
まるで元の姿に戻るよう混ざり合って膨らむ。
そんな奇妙な光景を俺は眺めていた。
逃げたかったけど、体にいつの間にか巻き付いた影がそれを許さなかった。
影たちがすべて混ざった大きさは、川から出ている部分だけでも2メートルくらいはあった。
水の塊の威力が単純に倍以上になる。
避けられない現状も合わさってもう笑えてきた。
影がゆっくりと動き始めたせいで、恐怖の時間がいやに長く感じられた。
腕を引くかのように片腕が後ろに伸びる。
覚悟を決めようとした時、影で押さえつけられて動かなかった腕が動かせるようになった。
体に巻き付いていた影は、1か所だけ紙が裂けるようにちぎれ、その欠片が水中を漂った。
なんでかはわからなかったが急いで川に潜った。
直後に頭の上に「バッシャァン!」という大きな音が響いた。
と思った瞬間、川の中にも正面から水圧が襲ってきた。
なすすべなく流される。
でも今はこれでいいのかもしれない、影から距離が取れて下流に行けば浅瀬になるかもしれない。
俺は水の流れに身を任せた、途中岩や石に体が当たったがさっきまでの水の塊と比べたらどうってことはなかった。
流されて、ようやく浅瀬に足がついた。
水深は腰ほどで、ここなら走れば上がれる。
岸に向かって走りだした時だった。
川の水面が、月明かりを吸い込むように黒く染まる。
その黒い染みがゆっくりと盛り上がり、目の前に子どもの背丈ほどの影たちが立ち上がった。
なんで……。
離れていたんだ、すぐに追いつけるはずはないと考えたが、相手は人ではない。
勝手に追いつかれないと思った俺が悪かったのだろう。
そんなことを考え、止まっていた俺の目の前に1人やってきた。
近いせいか顔の部分がはっきりと見えた。
やはり目や口はない、なんなら髪や爪などもないただ人の形をしているだけだ。
それでも、そいつは俺と目が合っているような気がする。
観察なんかしていたせいだろうか、そいつは抱きつくように両腕を広げてきた。
逃げようと足を動かしたが、疲れ切った体は急には動かなかった。
子どものような影の手が体に触れた。
冷たくも温かくもない、わかってはいたがこいつは人でも死体でもないようだ。
そんなことを考えた直後、子どもがしがみつくような力で俺を抱え込み、そのまま川の中へ引きずり込んだ。
水で濁った視界でも真っ暗な川にたくさんいる子供の影を見ることができた。
振りほどく力なんて残っていない。
こいつらが飽きて離してくれるのを期待するしかなかった。
溺死って苦しんだっけ、嫌だな。
もう諦めて目を閉じるようとした時だった。
俺を掴んでいた影が別の影に捕まれていた。
頭、首、胴体、手足にまるで逃がさないと言わんばかりの無数の針のような影が刺さっている。
周りの影は逃げるように離れていった。
俺はその影から目が離せなかった。
水の中の視界では確信はできない、でも俺を襲った子供の影よりも光を吸い込むように黒いこの影を、どこかで見たような気がした。
もっと近くではっきりと見たい、しかし俺の息はもう続かなかった。
そのまま意識が遠のいて、気づいた時には、俺は川の岸にいた。
写真を撮り見つかった場所だった。
引き込まれたときに落とした携帯が目の前に落ちてる。
もしかして気絶をしていたのかと思ったが、地面に倒れている俺の服は濡れていた。
なにより体のいたるところからくる痛みが、あれは現実だと教えてくる。
唯一違うことは、今俺の体を太陽の光が照らしている。
山からわずかな光がさしている。
さっきまでとは違い、虫の声よりも鳥の歌声が鳴り響いていた。
俺は逃げきることができたのだろうか。
しかし、どうしてここに戻ってきたのか、まったく分からなかった。
なんで助かったんだろう。
考えるたび頭にズキっと痛みが走る。
考えるのをやめ、逃げるようにその場から離れることにした。
家に帰り、お風呂の鏡に映る俺の姿は全身青あざだらけだった。
頭もなんだか痛い。
あれは夢ではなかった、その事実と恐怖、生きて帰った安堵を抱き気絶するように眠った。
次の日、寝ても頭が痛かったため病院でレントゲンを撮ると頭蓋骨の一部にひびが入っていた。
幸い軽度だったから安静と薬で済むことになった。
俺は化け物をなめていたのだろう。
死ぬ思いをして、あれには関わってはいけないものだと理解ができた。
携帯に映る写真には、あの日見た子供のような影がはっきりと映っていた。
もう行かないようにしよう。
しかし、死ぬ思いをしたからか、化け物の理不尽さを知ったせいなのか。
話を作る俺の手は進む、語る俺の口はなめらかに動く。
カフェでもお客様に褒められることが多くなり、今では俺の名前を覚えて話を楽しみにしてくれる人もいる。
昔なら考えられない、2か月たっても話は作り続けられた。
でも時々ひびのせいか、頭が痛むときやぼうっとすること、気が付いたら無意識に話を作っていることが起きるようになった。
早く怪我が治ってほしい。