氷獄の天災   作:tomoccchan

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この章終わったら原作に入ろうと思います。


マフィア×センメツ×オネダリ

永久凍土の大陸。

吹雪の止んだ白銀の世界に、クリシアはひとり立っていた。

見渡す限り、雪と氷。

空は静かに澄み渡り、遠くに連なる氷山が淡い光を反射している。

かつては荒れ狂う吹雪に閉ざされていた大陸も、今では不気味なほど静かだった。

「……さて。これからどうしよっかな」

クリシアは頬に手を当て、ぼんやりと考える。

ずっとここにいるのも、少し飽きてきた。

外の世界には、まだ知らないものがたくさんある。

どんな場所があるのか。

どんな人間がいるのか。

どんな景色が見られるのか。

「ちょっと見に行くくらい、いいよね」

気まぐれにそう決めると、クリシアは大陸の中心にある建物を振り返った。

ここを完全に放っておくわけにはいかない。

大切な人たちが眠る場所。ルミエ族の故郷。

しばらく考えたあと、クリシアは自分の念を分けた。

淡い氷晶の光が集まり、やがて自分と同じ姿をした分身が現れる。

「ここ、任せたよ」

分身は静かに頷いた。

「何かあったら対応して。あの子たちのこともよろしくね」

クリシアは建物の方へ一度だけ視線を向ける。

「じゃ、行ってくる」

そうして彼女は歩き出した。

最初は、見慣れた雪原だった。

足元で雪がかすかに鳴り、冷たい風が髪を揺らす。

遠くには、かつてルミエ族が暮らしていた土地の名残があった。

焼け落ちた集落。

崩れた建物。

雪に埋もれた道。

クリシアはそこを通り過ぎる。

懐かしさがないわけではない。

けれど、立ち止まって何かをする気にもなれなかった。

「……また今度、かな」

誰に向けたわけでもない呟きは、静かな雪原に溶けていく。

さらに進むと、景色が少しずつ変わり始めた。

白い平原は途切れ、巨大な氷壁が立ちはだかる。

その間を縫うように、細い谷がどこまでも続いていた。

クリシアは谷を抜け、凍った湖を渡り、いくつもの雪山を越えていく。

時には氷の柱が林立する場所を通り、

時には雪に覆われた大地を見下ろす高い崖を歩いた。

どこまで行っても、白い世界。

それでも、同じ景色ばかりではなかった。

氷の下を泳ぐ魚影。

雪原を横切る見知らぬ生き物の群れ。

空を旋回する巨大な鳥。

クリシアはそのたびに足を止め、興味深そうに眺めた。

「へえ……こんなのもいるんだ」

気に入ったものがあれば、しばらく観察する。

飽きれば、また歩き出す。

急ぐ理由はない。

この大陸は広い。

そして、クリシアには時間を気にする必要もなかった。

どれほど歩いただろう。

やがて、遠くに見えていた山脈が背後へと移り、地形は緩やかに低くなっていった。

吹き抜ける風に、かすかな潮の匂いが混じる。

クリシアは足を止めた。

「……ん?」

前方には、雪原の終わりが見えていた。

その先に広がるのは、どこまでも続く海。

ようやく、大陸の端にたどり着いたのだ。

クリシアは水平線を眺め、少しだけ目を細める。

「……海かぁ」

目の前に広がるのは、どこまでも続く大海。

水平線の向こうには、まだ見ぬ世界がある。

「さて……どうやって渡ろっかな」

少し考えたあと、クリシアは海へ向かって歩き出した。

正確には、歩くような動作をしながら、念で自分の進む先に氷を生み出している。

実体のない彼女に、体重はない。

海面に足をつける必要もなければ、氷に乗って身体を支える必要もない。

ただ、進む先に氷を作り、それを道として利用しているだけだった。

「おー、いい感じ」

透明な氷が海面を伸びていく。

クリシアはその上を、気ままに進んだ。

潮風が銀色の髪を揺らし、氷の下では魚影がゆっくりと泳いでいる。

「へえ。海の中って、こんな感じなんだ」

しばらく進むと、遠くに船が見えた。

帆を張った船が、波に揺られながらこちらへ向かっている。

クリシアはその進路を眺め、ふと首を傾げた。

「……あれ、私の氷に当たったら大変だよね」

船が氷に衝突すれば、壊れてしまうかもしれない。

乗っている人間たちも危ない。

「止めなきゃ」

クリシアは海を見渡し、

念を流した。

次の瞬間――

大海が凍りついた。

彼女の周囲から広がった氷は、瞬く間に海面を覆っていく。

波が止まり、うねりが閉じ込められ、青かった海が白銀へと変わった。

凍結は船の周囲だけでは終わらない。

水平線の向こうまで。

見渡す限りの大海が、巨大な氷原と化していた。

船は氷の上で動きを止める。

甲板から、乗員たちの叫び声が響いた。

「海が凍ったぞ!」

「船が動かねえ!」

「いったい何が起きたんだ!?」

クリシアは船を眺めて、満足そうに頷いた。

「これなら、ぶつからないね」

少し間を置いて、凍りついた海を見渡す。

「……あれ。全部凍っちゃった」

けれど、特に困った様子もない。

「ま、いっか」

クリシアは再び歩き出した。

海は凍ったまま。

船も氷上に取り残されたまま。

彼女は異常事態を気にすることなく、白く広がる大海を進んでいく。

やがて、水平線の向こうに陸地が見え始めた。

「お。もう着くかな」

クリシアは目を細める。

海を凍らせたことが、どれほど大きな騒ぎになるのか。

ハンター協会がどんな反応をするのか。

そんなことは、まだ知らない。

「次はどんなところかなー」

気まぐれな声を潮風に乗せて、クリシアは新たな大陸へ向かっていった。

海を渡りきったクリシアは、陸地へ向かって進んでいた。

目の前には砂浜が広がっている。

その先には、緑の森と見知らぬ景色。

「やっと着いたー」

クリシアは軽い調子で、陸地へ踏み込んだ。

その瞬間。

足元の地面が、凍りついた。

砂浜を覆うように氷が広がり、草木の根元まで白く染まっていく。

近くの岩には霜が走り、地面から冷気が立ち上った。

「……ん?」

クリシアは足を止める。

海を凍らせた時とは違う。

自分が意識して念を使ったわけではないのに、氷が勝手に広がっていた。

彼女は自分の周囲に目を向ける。

身体の輪郭にまとわりつく、禍々しい念の気配。

普段は気にも留めていなかったそれが、今ははっきりと感じられた。

「……あー、これか」

クリシアは小さく息を吐く。

どうやら、陸地に触れたことで、無意識に漏れ出していた念が周囲へ影響したらしい。

このままでは、歩く先々を凍らせてしまう。

「それは、ちょっと困るね」

クリシアは目を閉じた。

自分の内側に意識を向け、身体の周囲に漂う念を少しずつ引き戻していく。

散らばっていた気配を、外へ漏らさないように。

冷気も、氷晶も、禍々しい念の残滓も。

自分の内側へと押し込める。

やがて、周囲を覆っていた冷気が薄れていった。

砂浜の氷はそのまま残ったが、それ以上広がることはない。

草木を凍らせていた霜も、そこで止まった。

クリシアは目を開ける。

「……よし。これで大丈夫かな」

禍々しい気配はこれで抑えられただろう。

彼女は足元を確かめるように、もう一歩進む。

地面は凍らない。

「うん。いけそう」

クリシアは満足げに頷き、森へ向かって歩き出した。

今度は、周囲を凍らせることもなく。

ただの旅人のように、知らない世界へと足を進めていった。

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ーーーーーーーーー

森の小道を、クリシアは気ままに歩き続けた。

木々の間から差し込む光が、少しずつ傾いていく。

鳥の声も、風に揺れる葉の音も、いつしか当たり前のように耳に馴染んでいた。

しばらく歩いた頃。

ふと、木々の隙間から見慣れない景色が覗いた。

「……ん?」

クリシアは足を止める。

森の向こうに、街が見えた。

遠くまで続く建物の屋根。

街を行き交う人々。

高く伸びる塔や、道沿いに並ぶ店。

永久凍土の大陸にはなかった、人間の営みがそこに広がっていた。

クリシアは目を細める。

「へえ……街かぁ」

森の中から眺めるだけでも、かなり大きな街だと分かる。

人の気配が、あちこちから感じられた。

彼女は少し考えた。

人間は嫌いだ。

けれど、街という場所には興味がある。

知らないものがたくさんありそうだし、見て回るだけなら悪くない。

「……ちょっと寄ってみよっかな」

クリシアは森を抜け、街へ続く道を見つける。

その先には、まだ知らない世界が広がっている。

彼女は軽い足取りで、街へ向かって歩き出した。

街の喧騒の中、クリシアは店先に並ぶ品物を眺めながら歩いていた。

見慣れない食べ物。色鮮やかな布。小さな装飾品。

どれも珍しくて、つい足を止めてしまう。

そんな彼女に、ひとりの男が声をかけた。

「おい、嬢ちゃん」

クリシアが振り向く。

男は路地の入口に立っていた。身なりは整っているが、目つきは鋭く、周囲を窺う仕草にも隙がない。

そして何より、彼はクリシアを見ていた。

普通の人間には見えないはずの彼女を。

「……あたしが見えるんだ?」

「見えてるぜ。お前、何者だ?」

「んー? クリシア」

「名前じゃねえ。何の能力者だ?」

「能力者、ねえ」

クリシアは男をじっと見つめた。

男の念は、隠しきれない欲と野心を帯びている。

私は無意識に口が動いた。もしかしたらもう一人の私と混ざった影響かもしれない。

「ねえ。あたしに憑依されてみる?」

「……憑依?」

男が眉をひそめる。

「そう。あたしがあんたの中に入るの」

「何のために?」

「そしたら、あんたはあたしに命令できるよ」

男の目が、わずかに見開かれた。

「命令だと?」

「うん。あんたの言うこと、聞いてあげてもいいよ」

クリシアは楽しそうに首を傾げる。

「その代わり、あたしのオネダリも叶えてくれる?」

オネダリ?なんだろうと思いながら流れにみを任せる

「オネダリ?」

「そう。あたしがお願いするの。叶えるかどうかは、あんたが決めていいよ」

男は数秒、クリシアを見つめた。

命令できる。

つまり、使いようによっては強力な戦力になる。

その程度の条件なら、たいしたことはない。

「……いいぜ。お前の頼みも聞いてやる」

「ほんと?」

「ああ。俺の命令を聞くならな」

クリシアは、にっこりと笑った。

「じゃあ、憑依していい?」

「好きにしろ」

その返事を聞いた瞬間、クリシアの姿が淡く揺らいだ。

彼女の存在が、男の身体へと入り込む。

男は一瞬、身体の奥に何かが流れ込むような感覚を覚えた。

「……っ、なんだ、これは」

『入ったよ』

声が、頭の内側から聞こえた。

男は驚きながらも、すぐに笑みを浮かべる。

「なるほどな……。こいつは使える」

『それで? 命令は?』

男は薄暗い路地の奥へと視線を向けた。

そこは、長年激しい抗争を続けてきた敵対マフィアの縄張りだった。自分たちのシマを荒らし、幾度となく商売の邪魔をしてきた忌々しい連中。男の胸の奥で、どす黒い殺意がふつふつと煮え繰り返る。

男は隣に立つ少女、クリシアを振り返り、低く冷酷な声を絞り出した。

「敵対組織の連中を、一人残さず殺せ」

クリシアは、そのあまりにも血生臭い命令を、まるで「買い出しに行ってきて」と言われたかのような平然とした面持ちで聞いていた。彼女の持つ異能の力を思えば、人間を屠ることなど造作もないことなのだろう。

(まあ、どのみち救いようのない悪人どもだ……)

クリシアは内心でそう割り切ると、小首をかしげて微笑んだ。

『はーい』

その返事は、これから行われる凄惨な虐殺を予感させないほど、あまりにも軽かった。

その後、男はクリシアを自らの組織のアジトへと招き入れた。重厚な扉の向こう、煙草の煙が立ち込める部屋で、男は上層部への報告を素早く済ませる。一息ついたところで、クリシアが退屈そうに机に肘をついた。

『で? その敵とやらはどこにいるの?』

「この地図を見ろ」

男は古びた羊皮紙の地図を机の上に広げ、指先で一点をトントンと叩いた。「俺たちが今いるのは、この『氷の大陸』から少し離れた場所にある島だ」

クリシアは身を乗り出し、興味深そうに地図のあちこちを指でなぞる。

『へえ……氷の大陸って、思っていたより結構小さいんだね。その横にある、この横に長くて大きな大陸は何?』

「ああ、そこだ。そこに根を張っている組織こそが、俺たちの本当の敵だ」

『へー、なるほどね。あの大陸を牛耳ってるわけか』

クリシアの瞳に、うっすらと好奇心の色が浮かぶ。しかし、男の表情は険しいままだ。彼はクリシアの目を真っ直ぐに見据え、念を押すように告げた。

「ここからは俺が案内する。お前の仕事は、そこにいる人員を一人残さず根絶やしにすることだ。敵の規模はざっと100人から200人。……それだけじゃない。厄介なことに、超常の力を操る『念能力者』が5人から10人ほど潜んでいる」

常人であれば、その数を聞いただけで足がすくむだろう。ましてや「念能力者」が相手となれば、一国の軍隊すら警戒するレベルだ。しかし、クリシアは睫毛をわずかに揺らしただけで、事も無げに頷いた。

『うん。大丈夫、できるよ』

その絶対的な自信に、男は微かに息を呑んだ。

「……よし。案内する、ついてこい」

重苦しい空気の中、二人はアジトを後にした。

命を刈り取る旅路の始まりだった。港へ向かった二人の前には、夜の闇に紛れるようにして漆黒の船が佇んでいる。

「船に乗るぞ」

初めて間近で見る巨大な鉄の塊に、クリシアは少女らしい純粋な声を漏らした。

『へえ、船ってこんな感じなんだ。』

波を切り裂き、闇を進む船。船内に流れる沈黙は、これから始まる地獄の序曲のようだった。数時間の航海を経て、船は静かに敵の大陸の港へと滑り込む。湿った潮風が二人の肌をなでた。

上陸後、男の案内で、見知らぬ街の薄暗い路地裏を進んでいく。外灯の光も届かない、悪臭の漂う隘路。足音が不気味に響く中、しばらく歩いたところで、男が唐突に足を止めた。

男は壁の影に身を潜めながら、路地の先にある闇を顎でしゃくった。

「ここを真っ直ぐ歩いた先だ。そこにそびえ立つでかい建物がある。……そこが、奴らのアジトだ」

クリシアは男の視線を追うように、路地の奥を見つめる。その瞳は、すでに獲物を捉えた肉食獣のように冷たく澄んでいた。

『ん。わかった』

静まり返った路地裏に、クリシアの小さな靴音が響き始める。それは、組織の破滅を告げるカウントダウンの始まりだった。

 

ーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーー男が示した建物の前に、クリシアは一人で立っていた。

そこは街の闇に溶け込むような、灰色のがっしりとした5階建てのビルだった。コンクリートの壁からは、マフィア特有の血と硝煙の入り混じった禍々しいオーラが、隠しきれずに漏れ出している。

『じゃあ、行ってくるね』

肉体を持たない精神体であるクリシアは、男の身体から一時的に意識を切り離し、自ら具現化した依代としての「氷の少女」に憑依していた。彼女は振り返ることもなく、正面の重い鉄扉へと歩みを進めた。

男は、ビルの敷地から何十メートルも離れた、街灯の届かない遥か遠くの路地裏に身を潜めていた。これほど離れていてもなお、ビルの窓から漏れ出るマフィアたちの怒号や、複数の「念能力者」が放つピリピリとした不穏なオーラが肌を刺すように伝わってくる。男は双眼鏡を握りしめ、痛いほどの心音を刻みながら遠くの少女の背中を見つめていた。

だが、男の心配は、最初の数秒で完全に吹き飛ぶこととなった。

――ドンッ!!!

爆音が夜の街に響き渡った。

クリシアがただ、軽く右手をドアに触れさせただけだった。それだけで、頑丈な鉄扉は一瞬凍りつき、ガラス細工のように粉々に砕け散って奥へと吹き飛んでいった。

「な、なんだぁ!?」

「敵襲だ! 出ろッ!!」

建物内から怒号が上がり、瞬時に数十人の男たちが銃を手に飛び出してきた。容赦のない銃撃の嵐が、狭いエントランスにいたクリシアへと浴びせられる。鉛の弾丸が雨あられと降り注ぎ、激しい火花と硝煙が彼女の姿を覆い隠した。

遠くで見守る男は息を呑んだ。さすがに蜂の巣にされたか――そう思った瞬間、硝煙の向こうから、信じられない光景が浮かび上がった。

『うん、やっぱり人間の武器って、この程度なんだね』

クリシアは無傷だった。

彼女の身体の表面には、薄く、しかし絶対的な密度を持った不可視の氷の層が展開されていた。

――「永劫の氷棺(エターナル・コフィン)」。

本気で発動している間、どんな攻撃も突破できない絶対防御の氷。全身を厚く覆えば自由な行動は制限されるが、彼女はその高密度の氷を、自分の前方に「部分展開」させていた。攻防を完全に両立したその防御壁の前に、何百発という銃弾は触れた瞬間にベキベキと平らに潰れ、床へと虚しく転がり落ちていく。

「化け物め、死ねッ!」

一人の男が恐怖を紛らわせるように突撃してくる。クリシアは退屈そうに、ただ人差し指をその男に向けた。

『バイバイ』

彼女が小さく呟くと同時に、空中へ無数の巨大な氷の槍――が具現化された。鋭利に研ぎ澄まされた極寒の刃が、凶悪な風切り音を立てて殺到する。

グサァッ! ズブズブズブッ!!

突撃してきた男は、叫ぶ暇さえなく胸を巨大なアイスランスに貫かれ、そのまま後ろの壁へと縫い付けられた。それだけではない。廊下にひしめき合っていた十数人の構成員たちも、容赦なく放たれた氷の槍の雨に身体を次々と串刺しにされ、壁や天井へと無惨に固定されていく。

それは戦闘ではなかった。ただの「作業」だった。

クリシアが廊下を歩くたびに、彼女の足元から奔流のような冷気が広がり、部屋に隠れていた者たちを足元から瞬時に凍らせていく。

「ひ、ひぃっ……! 足が、動か……」

恐怖に顔を歪めた男たちは、叫び声をあげる途中で全身がカチカチに凍りつき、物言わぬ氷像へと変えられていった。彼女の手の一振りが、一歩の踏み込みが、すべて命を奪う極寒の凶器となっていた。

そこへ、建物の奥からこれまでとは明らかに違う、濃密で禍々しいオーラをまとった男たちが現れた。敵の切り札――「念能力者」たちだ。

「おいおい、大層な化け物が乗り込んできたな」

まず前に出たのは、岩のような筋肉を持つ巨漢だった。その全身から、文字通り燃え盛るような『堅』のオーラが立ち上っている。彼は【強化系】の能力者だった。自身の肉体を極限まで強め、シンプルゆえに防ぎようのない破壊力を叩き込む、前線の一流武闘派。

「俺の拳は鋼をも粉砕する。ガキめ、骨も残さず砕け散れ!」

巨漢は床のコンクリートを陥没させながら跳躍した。拳の一点に、全身のオーラを集中させる。念能力の応用技――『硬』。車をも一撃で粉砕するほどの破壊エネルギーが、クリシアの脳頭骨へ向けて真っ直ぐに振り下ろされる。

しかし、クリシアは避けるどころか、身構えさえしなかった。ただ、退屈そうに左手をすっと上げ、その巨大な拳を手のひらで受け止める。

彼女の左手に「永劫の氷棺」が局所的に展開されていた。

ズゥゥゥン……ッ!!!

激しい衝撃波が周囲のコンクリートを粉々に砕く。だが、クリシアの足元だけは、タイルのひび一つ入っていない。絶対防御の氷で覆われた彼女の華奢な腕は、強化系の全力を前にしても、ピクリとも動かなかった。

「な……ッ!? 俺の『硬』を、完全に受け止めるだと……!?」

巨漢の顔が驚愕で引きつる。

『ねえ、それが君の全力?』

クリシアがふっと微笑み、受け止めた拳から一瞬にして冷気を流し込んだ。

――「永久凍土の神格(エターナル・ペルマフロスト)」による超低温が、巨漢の拳から腕へと瞬時に伝播する。強化系の分厚いオーラの防御すら、その圧倒的な「冷気」という絶対的な物理現象までは遮断しきれない。

パリパリパリッ!!!

「ぎゃあああああああああッ!!?」

一瞬で細胞ごと凍結し、脆い氷塊と化した巨漢の腕。クリシアがほんの少し指先を握り込むだけで、その太い腕はガラスのように容易く雑にねじ切られ、凍りついた肉と骨が砕ける嫌な音が響き渡った。

「ガハッ……ば、化け物……ッ」

「退け! 距離を取れ!」

背後にいた具現化系や放出系の念能力者たちが、冷や汗を流しながら一斉に独自の能力を発動しようとした。

一人は、不気味な形をした長大な弓を空間から生み出す。【具現化系】の能力者だ。その弓から放たれる矢は、一度標的を定めれば、相手の心臓を貫くまで絶対に追尾を止めない必中の念弾。

もう一人は、自身の影から泥のような黒いドッペルゲンガーを三体呼び出す。【放出系・操作系】の能力者。その分身に触れられた者は、影を通じて神経系をジャックされ、肉体の自由を奪われる。

二人の念能力者が、それぞれの絶技を同時にクリシアへと放った。追尾する光の矢が死角から襲い、同時に三体の泥人形が彼女の四肢を拘束せんと飛びかかる。

クリシアはそれを冷ややかに見据え、今度は空間に十数本もの巨大な氷の槍を放射状に具現化させた。

「いけ」

鋭い号令とともに放たれた氷の槍は、迫り来る必中の矢を正面から叩き潰して粉砕し、そのままの勢いで三体の泥人形を容赦なく刺し貫いて床へと固定した。さらに、操作系の能力者が驚愕に目を見開いた瞬間には、その胸元に極大の槍が深々と突き刺さっていた。

ガハッ、と血を吐いて崩れ落ちる能力者。

『もういいや。まとめて片付けるね』

クリシアが小さく息を吸い、その場にただ「佇んだ」。

次の瞬間、彼女の身体から、これまでの比ではない絶大なオーラが解き放たれた。それはオーラそのものが絶対的な冷気の暴風となり、周囲の空間を強制的に氷結させていく。

ドサドサドサッ!!!

部屋にいた残りの念能力者たちは、彼女が放つ「永久凍土の神格」の冷気によって、抗う間もなく足元から一瞬でカチカチに凍りつき、指一本動かすことができなくなった。どんなに優れた念能力を持っていても、発動する前に肉体そのものを完全に凍結させられてしまえば、成す術はない。

「馬鹿な……ッ! 氷の出力が違いすぎる……!!」

生き残った具現化系の能力者が、恐怖でガタガタと歯を鳴らしながら、完全に凍りついた自身の身体を見つめて絶望する。

『一人残さず、だよね』

クリシアがパチン、と指を鳴らす。

瞬間、建物全体を包み込むような全方位への超巨大な氷の結晶が、内側から爆発的に具現化した。

轟音と共に、五階建ての堅牢なビルが、内側から突き破る巨大な氷の棘によって完全に破壊されていく。コンクリートも、鉄骨も、そしてそこにいた200人の人間も、すべての存在が均等に凍てつき、美しく冷徹な塵へと還されていった。

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーー

静寂が戻った。

遥か遠くの路地裏で、男はガタガタと小刻みに震えながら、双眼鏡越しにその光景を見ていた。

かつて自分たちを苦しめ、街を牛耳っていた巨大マフィアのアジトは、跡形もない、きらきらと輝く氷の瓦礫の山へと変わっていた。生存者は、文字通りゼロ。わずか数分の出来事だった。

あまりの恐ろしさに息を呑んでいると、冷たい夜風がふわりと男の頬を撫でた。

『終わったよ。じゃあ、戻るね』

男の目の前にあった氷の少女の依代がふっと霧のように消え去ると同時に、遥か遠くにいたはずのクリシアの冷たい精神体が、男の肉体の奥深くに一瞬で滑り込んできた。

頭の中に直接響く彼女の無邪気な声に、男は胃のあたりが凍りつくような錯覚を覚えながら、その圧倒的な存在にただ平伏するししか書けなかった。

数時間の過酷な航海ののち、男はようやく自らの組織が構える安全なアジトへと帰り着いた。

重厚な鉄の扉を閉め、内側からいくつも鍵をかける。煙草の煙と安物の酒の臭いが立ち込める見慣れた室内に足を踏み入れ、男はようやく、肺に溜まっていた熱い息を吐き出した。どさりと革張りのソファに深く身体を沈め、恐怖で冷え切った両手を激しく擦り合わせる。

「……終わった。これで、あの忌々しい連中は全員マフィアごと消えた。俺たちの勝ちだ」

男が安ッドと安堵を噛み締めるようにそう呟いた、その瞬間だった。

男の身体の奥底から、すうっと煙のように冷たいオーラが抜け出し、目の前の空間で結実していく。

光を反射してきらきらと輝く、どこか非現実的で美しい氷の少女。

実体を持たない精神体であるクリシアが、再び具現化した依代をまとって男の前に現れたのだ。彼女はテーブルの端にちょこんと腰掛け、退屈そうに小さな足をぶらぶらと揺らした。

『うん、お疲れ様。ちゃんと言われた通り、一人残さず片付けてあげたよ?』

「あ、ああ……信じられない強さだった。感謝する」

男は本心から言った。クリシアはそんな男の様子を面白そうに眺めると、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。その瞳の奥に、ぞっとするような冷徹な光が宿る。

『ねえ。私は君の「敵を殺せ」って命令をちゃんと聞いたよね? 悪人相手ならいいか、って私の意志で、君を助けてあげた。……だからさ、次は私の番だよね』

男も、そしてクリシア自身も、彼女に宿る念能力の正確な「縛り」をまだ何も知らなかった。

ただ、マフィアを滅ぼした圧倒的な力と、言葉を交わすことで生まれる奇妙な主従関係だけがそこに存在していた。

『ねえ、おねだりしてもいい?』

少女の無邪気な声が、男の耳元で酷く重々しく響いた。

男は本心から怯え、ごくりと唾を飲み込んだ。彼女が何を要求してくるのか分からない。だが、クリシアの瞳には拒絶を許さない圧倒的な圧があった。

「……あ、ああ。言ってみろ。俺にできることなら、な」

男は必死に声を絞り出した。クリシアは人指し指を顎に当てて、少し考える仕草をした後、ぱっと顔を輝かせた。

『じゃあ、最初のおねだり。……君の所属してるマフィアの人間、全員殺してきてよ』

男の思考が一瞬、完全に停止した。

「……は? な、何を言っているんだ……?」

『だって、あいつらも悪人でしょ? 君の敵と同じ。だから、君の手で全員殺してきてよ。今すぐにさ』

冗談を言っている風ではなかった。

仲間を、自分をここまで育ててくれた組織の人間を全員殺せというのだ。そんなこと、一介の構成員にすぎない男ができるわけがない。返り討ちに遭うのがオチだ。

「ふざけるな! そんなことできるわけがないだろう! 断る!」

男は激昂し、思わず声を荒らげて拒絶した。

(拒否:1回目)

その瞬間、室内の空気がぴりりと震えた。

クリシア自身も、自分の胸の奥で何かが冷たく脈打ったのを感じた。だが、それが何を意味するのかはまだ分からない。

『えー、ダメなんだ。じゃあ、次のオネダリね』

クリシアは少しつまらなさそうな顔をしたが、すぐに別のことを思いついたように、さらに残酷な笑みを浮かべた。

『じゃあ、君たちのボスの首を獲ってきて。今すぐボスの部屋に忍び込んで、殺してきてよ』

男の顔から、一気に血の気が引いた。アジトの室温が急激に下がり、男が淹れたばかりの珈琲の表面にパキパキと薄い氷が張り始めていく。

「な……にを、言って……。ボスを殺せるわけがないだろう……!」

組織のトップたるボスは、当然のように複数の念能力者を護衛につけている。男一人が逆立ちしたところで、近づくことすら叶わずに消されるのは明白だった。物理的な意味で「実行可能」ではあっても、それは確実な死を意味していた。

「狂っている……! 死ねというのか! 誰がそんなことするか、絶対に断るッ!!」

男は恐怖のあまり立ち上がり、ソファを蹴り飛ばして叫んだ。

(拒否:2回目)

ガタガタと部屋の窓ガラスが鳴動した。

男の脳裏に、敵マフィアのビルが丸ごと氷漬けになり、アイスランスで串刺しにされたあの光景がよぎる。こいつは怪物だ。言う通りにしていればいつか確実に殺される。

「お前なんかとこれ以上一緒にいられるか! 俺はもう行く!!」

男は狂乱状態でアジトの扉へと走り、鍵を乱暴に開けて外へと飛び出そうとした。

『待ってよ、まだ3つ目のおねだり言ってないよ?』

クリシアの声が、男のすぐ耳元で聞こえた。

振り返ると、いつの間にか氷の少女が、目の前の扉を塞ぐようにして立っていた。その瞳には感情がない。

『じゃあ、最後のオネダリ。……君の心臓、自分で抉り出して私に頂戴』

それは、あまりにもえげつない、直接的な死の要求だった。

男のプライドが、そして生きようとする本能が最大の拒絶を叫んだ。

自分で自分の心臓を掴み、引きずり出すなど、正気の沙汰ではない。この化け物の言うことなど、もう一言も聞きたくなかった。

「狂ったガキめ……! 誰がお前に心臓なんかやるか! 二度と俺に話しかけるな、断るッ!!!」

男は全力を込めて、クリシアの身体を突き飛ばそうと両手を突き出した。

(拒否:3回目)

その瞬間――世界から、すべての音が消えた。

「――あ?」

男の動きが、完全に停止した。

突き出そうとした両手は宙で止まり、彼の目から急速に光が失われていく。

苦痛の叫びすら上がらない。男の体内で循環していた生命エネルギー――「念」のすべてが、一瞬にして爆発的な冷気へと変換され、彼の五臓六腑を内側から完全に凍結させていた。

ボトッ、と男の肉体が崩れ落ちる。

床に当たった拍子に、凍りついた彼の身体はガラス細工のように、静かに、中心からあっけなく粉々に砕け散った。

そこには、肉体を持たないクリシアの精神体だけが、ぽつんと残されていた。

『あ……死んじゃった』

クリシアは、アジトの床に砕け散った男の破片を見つめた。

その瞬間、男の肉体と魂が消滅したことで、彼女の精神世界に強烈な「ルール(制約と誓約)」の概念が明確な形となって流れ込んできた。

――「三度目の願約(スリー・ウィッシュ)」。

命令を受け入れること。オネダリをすること。

相手が実行できる要求(※自分の手で殺す、自殺するなど)を3回連続で拒絶した者は、例外なく、システムによって命を刈り取られるということ。

『なるほど……。これが、私の力なんだ』

クリシアは自分の透き通った両手を見つめ、静かに微笑んだ。

すべてを凍らせる圧倒的な氷の力に加え、自分には「言葉」を用いた絶対的な死のルールが備わっている。それを完全に理解したのだ。

『3回、断っちゃダメなんだよ? ……ふふ、今度は誰におねだりしに行こうかな』

主(依代)を失った薄暗いアジトで、実体のない少女の笑い声だけが、冷たく響き渡っていた。

 

 

 

――あれから、3年の月日が流れていた。

かつて一都市の武闘派組織が忽然と消滅したあの事件は、いまや世界の裏社会を震撼させる伝説となり、その脅威度はいまや国家レベルの警戒事態へと跳ね上がっていた。

「……また一組織、完全に消滅した。これで今月に入って3つ目だ」

大陸を横断する巨大マフィア・コミュニティーの最高幹部たちが集まる密室。煙草の煙がどんよりと立ち込める部屋で、一人の男がガタガタと震える手で最新の報告書と、数枚の「現場写真」を机に叩きつけた。

3年という歳月は、正体不明だった「氷の怪異」の情報をマフィアたちに嫌というほど蓄積させていた。世界中の闇ネットワークに流れるその情報を統合し、最高幹部たちは今、かつてないほどの危機感を持って机を囲んでいる。

「改めて、世界中のマフィア、暗殺ギルドに通達する。……奴の目的は、未だに一切不明だ。世界中を積極的に狩り回っているわけではないことだけは分かっている。ただ、何の目的があって世界各地を徘徊しているのか、強力な力を持ちながら何を企んでいるのかは、我々の情報網を以てしても完全に闇の中だ」

チーフ情報官が、青ざめた顔でプロジェクターの画面を切り替える。そこに映し出されたのは、あまりにもリアルで凄惨な、アジト崩壊直前の防犯カメラの静止画だった。

画面に映っていたのは、かつて強大な武力を誇った国際マフィアの幹部の姿だ。

彼は、敵を全滅させてくれたはずの「氷の少女」の前に膝をつき、溢れ出る涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、狂ったように自身の頭を床に打ち付けていた。衣服ははだけ、恐怖のあまり失禁した跡が床を汚している。その口元は、「死にたくない、死にたくない、シニタクナイイイイッ!!!」と、この世の終わりを告げるような悲鳴を上げて発狂している瞬間を、生々しく切り取っていた。

「これが、奴から突きつけられた理不尽な『オネダリ』の前に、完全に精神を崩壊させた人間の末路だ」

情報官の声が、密室に冷たく響く。

「身内を殺せ、ボスの首を獲れ、自分の心臓を自分で抉り出せ……。どれも意味不明で残忍な要求ばかりだ。そしてそれを3回連続で断れば、例外なく身体が凍りついて粉々に砕け散る。死の恐怖に直面した身内が発狂し、生き延びるために本当に身内の仲間を殺し回り始め、結果として内側から狂って全滅する」

情報官はさらに資料をめくり、一枚の奇妙な現場写真を幹部たちの前に提示した。

「だが……ごく稀に、本当にごく稀にだが、組織が全滅する中で『たった一人だけ五体満足で生き延びた者』の報告が上がっている。その生存者の証言によって、さらに理不尽な事実が判明した」

その写真に写っていたのは、崩壊した氷の瓦礫の真ん中で、虚脱状態で座り込む若い構成員の姿だった。彼の前には、不自然に転がる「泥まみれの丸い小石」が一つだけ残されていた。

「奴――あの氷の少女は、完全に自らの主観と気分だけで動いている。そして、戦闘中や会話の中で奴が『気に入った』と判断した相手に対しては、そのオネダリの内容が拍子抜けするほど超簡単に変化するらしい。この生き残りの男は、身内を殺し回るような地獄の要求を覚悟し、恐怖で失神寸前だった。しかし、奴がそいつをじっと見つめた後、『あ、君なんか面白いからいいや! じゃあね、そこの落ちてる綺麗な石ころを私に頂戴?』と、子供のおままごとのようなおねだりをしてきたという。男が泥まみれの小石を震えながら手渡すと、奴は『わーい、ありがとう!』と無邪気に笑い、去っていった。……おねだりの難易度すら奴の気まぐれ一つ。奴に気に入られるか否か。それだけで生死が分かれるのだ。だが、そんな万に一つの奇跡に賭けるなど愚の骨頂だ」

画面が切り替わり、そこにはマフィアたちの間でこの3年間で徹底されるようになった、血の「鉄の掟」が映し出された。

『もしも抗争中、周囲の気温が急激に下がり、氷を操る美しい少女が現れたら、どれほど優勢であっても武器を捨てて全力で逃走しろ』

『指一本触れるな、言葉を交わすな。もし身内の誰かがそいつに敵の殲滅を「命令」してしまったら、オネダリが始まる前に、命令した身内ごとそいつを即座に射殺しろ』

「いいか、絶対にあの力を利用しようとするな。奴が何を望んで世界を徘徊しているにせよ、我々にとっては『決して触れてはならない禁忌の死神』だ。関われば、組織がどれほど巨大だろうが、一晩で凍土の塵に変わるぞ……!」

ボスも、幹部たちも、誰もが背筋に冷たい刃を突き立てられたような沈黙に陥った。机の上の「死にたくない」と発狂する男の写真が、彼らの恐怖をよりリアルに引き立てていた。3年経った今、世界中のマフィアたちはその「底知れない目的」と「予測不能な気まぐれ」への恐怖も含めて、クリシアに対して極限の警戒を強めていた。

世界中の闇がどれほど勝手に怯え、リアルな写真まで回して自分を最悪のテロリストか何かのように警戒しているかも知らず、精神体の少女クリシアは、今夜もどこかの街の美しい夜景を眺めながら、気まぐれな旅の歩みを進めている。彼女にとっては、ただの楽しい世界旅行にすぎないというのに。

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