立派やな、公務員なんて。他にやることなかったんか。
一人暮らしやから十分やろ。
アンタはこの子の何やねん。
可愛い甥っ子を甘やかして何が悪いねん。
この子らアンタの子どもやないで。アンタもちゃんと子ども育てたらどうや。
分かっとるよ姉さん。
これ以上思い出したくなくて、無理やり意識を現実に引き戻す。
今では見慣れた天井を見詰めながら大きく息を吐く。
「あー久しぶりに見るとしんどいなぁ」
いや、もっとひどいことも言われたが。
思い出したのはまだ序の口だ。それだけが救いだった。
あの姉はホントに人を機械だとでも思っているのだろうか。
のろのろとベッドから起き上がり水を飲む。
「あーまだ4時前か」
壁掛け時計を見ると随分と早い時間に起きてしまったようだ。
「このテンションで仕事するんか私?ええか。休も」
今日は一日横になっていよう。どうせしばらくやることもないし。
◇◇
あの忠犬オタ公の放送からしばらく、梢さんはいつものようにツクヨミにログインしては他のプレイヤーに追いかけられて、屋上やら壁やらを走り回って撒くという行動を繰り返した。
最初は楽しかったらしいが、今ではもう飽きたらしくログインを控えて大人しくしている。
今は真実と一緒に食べ歩きをしたり、オタ公に絡みにいったりしているそうだ。
オタ公さんもここまでの騒ぎになるとは思ってもみなかったと謝罪したそうだ。
「…真実とばっかりじゃなくて私とも遊んでくださいよ」
ソファに力なくもたれかかり、半分寝ているような梢さんの髪を三つ編みにして遊びながら芦花が言う。
今日は随分と眠そうだ。
「あー前にコンシーラーか何かの説明聞いたやん」
「途中で寝てましたよね」
眠そうに欠伸をかみ殺す梢さん。
今日は有給を使って一日家にいるというので、皆で遊びに来た。
「化粧はなぁ彩葉とかにしてあげればええねん。もっと綺麗になれるで」
目を開けることもせず、私がいるあたりを指差す。
私に話題を振らないで欲しい。最近、高そうなシャンプーを譲ってもらったばかりで気が重いのだ。
いや、芦花からもらって試供品をそのまま私に横流ししただけらしいが。
「私は梢さんと遊びたいんですよ」
「彩葉も入れて4人でどっか食べにいく?」
無言でお菓子を頬張っていた真実が口を開く。
「いいね。今度皆で行こうよ」
「梢さんは強制参加だからいいとして。彩葉は?」
「私は時間は何とか作るけど」
また睡眠時間を削れば何とかなるか?
「顔半分でいいんで化粧しません?寝てる間に済ませますよ」
「この前なんか塗ったやん。あれじゃいけんのか」
「あれは前段階の乳液だって説明したじゃないですか」
この二人結構会ってるのかな?
「あれだけでええよ。何か次の日肌が元気やった気がするし」
「あれの後に色々やるんですって。リップとか塗りませんか?結構似合いそうなのが出てましたよ」
「…口紅とか邪魔やないか?リップクリームでええわ」
どうやら、リップと言われて一瞬リップクリームのことだと思ったらしい。
「保湿も大事ですけどね。折角綺麗な肌してるんですからもっと磨いてみてもいいと思うんですよ」
三つ編みを終えた芦花は、今度は梢さんの顔の横に回り込み、前髪を弄りだした。
「何か積極的だねえ。確かに綺麗な梢さんはちょっと見たいかも」
「私は今のままでも十分だけど」
今のふにゃふにゃな梢さんも結構面白いからいいと思う。
「取り敢えず前髪止めたんで、痛かったら言ってくださいよ」
「んあ?化粧するんかいな」
「いえ、保湿です」
攻め手を変えてきたぞ。
「保湿ならそこの何か箱に入ってるやつあるよ。200円くらいやけど」
その箱を真実が無言で引っ張り出し、蓋を開ける。
中に入っていたのは、百均で売っているような保湿クリームだった。
…怒るぞ芦花。
「梢さん。ちょっと頭動かしますね」
おお、膝枕しだした。
「うっわ。面倒な予感が」
「右側から行きますねー」
どうやら静かに怒っているようだ。
まぁ、あれだけ試供品だの何だのと渡しておいて、出てきたのが百均の保湿クリームだ。
私だって怒るかもしれない。
「あんまベタベタやらんというてや。気持ち悪うなるから」
「速乾性のいいやつもありますって。渡したやつは?」
「仕事場の休憩室に置いてたらあっという間になくなったで」
その発言を聞いて芦花の動きが一瞬止まる。
「あちゃー」
「梢さん。酷いよそれは」
「私が使わんもん持ってても仕方ないやろ。って、冷たいな!何それ」
梢さんが思わず目を開ける。その隙に、芦花は無言で何かを塗りたくった。
芦花の目を見て抵抗する気が失せたのかゆっくりとまた目を閉じる梢さん。
「いややわぁ。30過ぎの女を綺麗にして何が楽しいねんな」
「割と楽しいですよ。どんどん肌艶良くなりますし」
…そうか?
いや、芦花のいうことだから正しいのだろう。
「ね。どうせなら動画撮ってupしようよ芦花」
「それもいいけど。それやってまた梢さんがツクヨミ入るの嫌がったら面倒だからね」
ある程度塗り終えた芦花は、手を拭いてから鞄の中を探り、また何かを取り出した。
「今度は頬あたりに塗りますね」
「なぁ。右側だけって話やなかった?」
「気のせいですよ」
「…そうかなあ?」
割と顔面エステみたいな絵面になってきたな。
「なーまだ終わらんの?かれこれ20分はやってない?」
「今、目元のライン整えてるんで黙っててください」
「ウッソやろ芦花ちゃん。私の顔やで?」
今、確実に主導権を握っているのは芦花だ
大人しく綺麗になってください梢さん。
「最初より頬の色も整ったし、眉も綺麗になったね」
「…分からん」
私もそういうの興味ないというかする暇ない人間なんで細かいこと言われても分からん。
いや、最低限の化粧はするが。
「彩葉。せめて何か曲でもかけるか、何か話して。くすぐったくて眠れもせん」
「動かないでください」
「ひっど。喋るんもあかんのか」
手を上げて抗議する梢さんを半ば強引に無視して、筆を動かす芦花。
「えっと。何話せば?」
「今日何食べたいとか。明日はこうしたいとか」
「あ、それなら私ラーメン食べたい!」
速攻で乗ったな。流石グルメインフルエンサーの真実。
「ラーメンええねー。お昼ラーメンにしよか」
「次首のあたり触りますよ」
私にはシミ一つないように見えるけど、モデルの芦花には気になるところがあるらしい。
「なー完成形は何処なん?顔気持ち悪いから洗ってきてええ?お湯で落ちるん?」
「ええい堪え性のない人だな。化粧って時間かかるんですって」
多分、お湯じゃちゃんと落ちないんじゃないかな。
「私は味噌にしようかな。彩葉は?」
「え、じゃあ醤油かなあ」
「私塩がええ」
「口元動かすと皺になるんであんま喋らないでください」
「うっそやろ芦花ちゃん」
確かに完成形が分からないのに喋るなは辛い。
「芦花ちゃん的には、今どれくらいなん?」
「…大負けに負けて60で」
「ほんなら100でええやろ。よく頑張ってくれました」
小さく拍手を送る梢さんに眉を寄せる芦花。
「…普段、お風呂上りとか何されてます?」
「前言ったやん。適当に涼んでおしまい」
あ、眉が吊り上がった。
「…そういえば固形石鹼派でしたね梢さん」
「頑張れ芦花。多分、何言っても変わらないと思うけど」
真実の声援に、芦花の眉がさらに寄った。
「なー。もうそろそろ起きてええ?」
「…後10分ください」
「まだかかるんかな。あー分かった。もう喋らん」
圧でも感じたのか口を閉じ、芦花に身を任せる梢さん。
「長引きそうだねー。先に注文してくるよ」
んしょと軽い掛け声をして立ち上がり、スマホ片手にキッチンに向かう真実。
「彩葉。ちょっと梢さんの手握ってくれる?絶対いらないことする」
信用が底を抜けたなぁ梢さん。
いや、化粧というか美容関係はどうもならないか。
芦花に言われて、膝立ちになって梢さんに近付けば。
「うっわ。綺麗になったね梢さん」
「ん?」
思わず呟いた私の言葉に反応するように顔を向ける。
「あ、その角度いいですね。そのままジッとしててください」
顎のあたりに何やら塗り込む芦花。
嫌そうに手をワキワキさせる梢さんの手を優しく包み、ゆっくりと撫でる。
「目元、青系にしたんだ」
「うん。本人の肌色からして合うかなと思って」
「良く似合ってるよ」
こちらが褒めても一向に反応せず、ただじっと終わるのを待っている。
…この人こんなに静かになれたんだ。
芦花はふうと大きく息を吐き、少し離れた。
「はい。大体完成です」
「ホンマか!ならはよ落としてくれんか。何か気持ち悪いねん」
折角綺麗になったのにもったいない。
「梢さん。一枚写真撮らせて」
「あ、構わんけど。何で化粧落とすんにこんなに種類あんねん」
「こっち使えば簡単に落ちますよ。今持ってるのは軟膏です」
梢さんは芦花が持ってきた瓶の説明を流し読みしながら、必要なものを探している。
その様子を写真に撮り、真実に送る。
「あー疲れた」
ぐったりとソファにもたれ、先ほどより疲弊した様子の梢さん。
「何で化粧落とすだけであんな時間かかんねんな。おかしいやろ」
「今はだいぶ手軽になったて聞きましたけどねー」
たっぷり化粧が出来て嬉しいのだろう。笑顔で話す芦花。
「あ、もう落としたんだ。実物見たかったなぁ」
写真を送ると、真美はすぐに戻ってきた。どうやら実物を見たかったらしい。
「もうやらんからな」
嫌そうに眉をしかめる梢さん。
「ちなみに写真見る?綺麗に撮れてるよ」
「いらんなぁ。けど芦花ちゃんが頑張ったんよなぁ」
妙に律儀な人だ。
梢さんの言葉を聞いて嬉しそうに顔をほころばせる芦花。
「定期的にやりません?割と肌質も素直ですから色々試せますし」
「まだやるんかな。真実ちゃんはもうやってもらったんか」
「はい。結構な回数やってもらってますよ」
梢さんの写真に夢中なのか、真実は生返事だった
真実の携帯が震える。
視線をやれば、配達が届いたとのこと。
「ん。アンタお金どうしたんや」
「え、気にしないでいいですよ。面白いもの見れたし」
「アカンなぁ。友達でもお金の扱いは大事なのに私他人やで」
さっさと席を立ち、商品を受け取りに行った真実を追いかける梢さん。その背中を見送る。
「多分、梢さんが全部払うんだろうなぁ」
「社会人だしねー。そこらへん気にしなそうなのに」
割と生活が苦しかったのもあってそこらへんの線引きはしっかりしていると思う。
玄関の方からいい匂いがしてきて、小さくお腹が鳴る。
「もー私が払うって言ったじゃないですー」
「何が悲しくて姪っ子の友達に奢られなアカンねんな。あぶく銭はこういう時に使うもんやろ」
あ、やっぱり梢さんが払ったのか。
岡持ちをそれぞれ手にした二人が戻ってくる。私はテーブルを空けるために立ち上がった。
「塩に醤油に味噌にっと」
「餃子も頼んだから皆食べて食べて」
テーブルの上に、まだ温かい料理が並ぶ。
「真実、私はどれ取ればいいの?」
「芦花の好きなのでいいんじゃない?適当に注文したし」
芦花と真実が話している間に梢さんにこっそり代金を払おうと近付くと容赦なくデコピンが飛んでくる。
「何が悲しくて一番金のないアンタから貰わんといけんねんな。心配せんでも大丈夫や」
いや、あのですね。私が納得できなくて。
「オタ公から結構な額入ったねん」
…あのニュースそんなにウケたのか。
「ほれ、気にせず食べよ」
自分の取り分を確保し、席に着く梢さん。
それにつられて器を取り、麺を啜る。
うん。美味しい。
いつか、私もそれなりに稼げるようになったら恩返ししよう。
◇◇
「今回はご迷惑をおかけしました」
オタ公はツクヨミ内にある喫茶店の一角で、深々と頭を下げた。
突然この場に呼ばれたコズエさんは目を白黒させながら、首を傾げる。
「…あーあの追いかけっこか。結構楽しかったで。最終的に30人くらい来たけど」
「あ、映像見ましたよ。指一本触れさせませんでしたね」
あの映像のお陰でまた知名度が上がったのだこの人は。
「まぁ、途中から飽きてきたから、最近ツクヨミ入ってへんかったんやけどな」
「うっ。ま、まあ。その件で少し謝罪をですね…」
もう一度頭を下げる。
よかれと思った行動が往々にしてうまくいかないことは多いが、今回の件は明らかに失敗だ。
何せ折角面白そうな人が現れたというのに危うく失ってしまうところだった。
「何やそれか。それならヤチヨからも何かもらったで」
ヤチヨの名前に反応して顔を上げるとしかめっ面をしながら、空中に指を滑らせるコズエさん。
「…これか?これか。これやな」
何度も確認するように頷き、こちらに向かって指を振る。
私の目の前にヤチヨからコズエさんに贈られたDMが映る。
「え、これって私見ていいやつですか?」
「ええんやないか?ヤチヨも別に困らんやろ」
いや、あのプライバシーとかですね。
口ではそう言いつつも、気になって文面を追う。今回の件で、しつこく追いかけていたプレイヤーには警告を送ったと書いてある。
「これで終いやろ」
もう終わったことだとばかりにお茶を飲み、カステラを頬張る。
「…私の気が済まないって言ったらどうします?」
「勝手にすりゃええんやないか?私が受け取るかどうかは私次第やけど」
コズエさんはずずずとお茶を啜り、満足したのか息を吐く。
よく味覚も実装されてないのに美味しそうに食べられるものだ。
「そうや、オタ公。ちょっと気になってたんやけどな」
「お、何ですか。何でも聞いてください」
身を乗り出してコズエさんの顔を見る。
「何かツクヨミ内で食べられる料理とか、実際に配達してくれるサービスがあるって書いとるやん」
「あーありますね。私もたまに利用しますよ」
これが結構美味しいのだ。
いい値段するが、それも必要経費だと思えば安いものだ。
「ほお。なら後でおすすめのリスト送ってや」
「それはもういくらでも」
後で私のおすすめを送っておこう。
「食べるの好きなんですか?」
「割と好きやね。お腹いっぱい食べたら幸せになるから」
「お、いいですね。天ぷらとかも美味しいですよ」
コズエさんに送るリストを頭の中で考える。
「ええねえ。長崎のカステラが美味しいって話前に職場で聞いたから配達できへん?」
「カステラですね。探しておきます」
ほお。長崎のカステラとはまた美味しそうなものを。
「お金はどうします?現金でもふじゅーでもいけますけど」
「ふじゅーでええやろ。何かヤチヨか運営の人か知らんけどDM送られてきたし」
先ほどと同じように画面を操作し、私に共有するコズエさん。
コズエさんの顔を見て確認を取り、画面の文章を目で追う。そこには、公務員であるコズエさんが得た副収入、つまりふじゅーの取り扱いについて書かれていた。
これ私が見ていいやつじゃないな。
「こういう大事なものは人に見せないでくださいよ!」
「え、説明めんどいからこれでええのに」
ええい。やっぱこの人色々大雑把だな!
「ま、簡単にいえば普通に使っても大丈夫やってことやろ。そりゃウチの上司もプレイヤーやってるらしいから、チマチマ小遣い稼ぎしてたの一律廃止。没収てわけにはいかんやろうし」
何でもないことのように言うけど、結構大ごとでは?
いや、ツクヨミの規模考えたら結構な公務員の人が利用しているのは当然だろう。
実際、自衛隊員もSNSで発信しているそうだし。
「分かりました。取り急ぎリストをまとめておきますね」
「ゆっくりでええよ。どうせしばらくのんびり観光しとるだけやから」
貴方ののんびりは信用できませんがね。
もう用は済んだとばかりに立ち上がり、出口に向かうコズエさん。
その後ろ姿に声をかける。
「また連絡くださいねー」
「ん。覚えてたらな」
犬耳好きなんすよ
多分、書かないけど梢さん昔大学で付き合った彼氏との間に子供作って、それを彼氏に言ったら捨てられたって過去があります
次は多分、本編入ると思います