雪山の娘 作:雪山派外姓弟子
連れ去られた姉
姉は、途中までと言った。
私は途中がどこかを聞かなかった。聞かなければ、少し先まで一緒に行ける。陳絮に頼まれた荷を手に、長刀を背へ回した。十六になってから結び方を変え、今では下ろさずに抜ける。ただし、姉は私が失敗した頃の話を、いつまでもやめてくれない。
「今日は店の天井に引っかけないでね」
「あれは店の方が低かったのです」
「では、天井に謝らせようか」
姉が笑って戸を閉めた。私は差し出された手を取った。十九の姉は、少し前から私に顔を近づけて話す必要がなくなっていた。それでも帯のねじれを見つけると自分で直し、袖口を折り、ここはまだ短くしなくていいと言う。
門の下で待つ第三香は、私を見るなり姉の顔を見た。
「陳さんの使いも、私の約束の一つになったのかな」
「途中で別れます。今日はちゃんと」
姉は答え、私の手を握り直した。
私はわざと荷を高く掲げた。第三香はその荷の大きさを見て、鼻で笑った。
笑いが消えたのは、曲がり角で男が一人、道を塞いだからだった。
「夏侯蘭だな」
姉は返事より先に私を後ろへ押した。
男のほかに、男女が一人ずついた。三人とも旅装だった。第三香が前へ出ると、正面の男がその肩越しに姉へ手を伸ばした。
第三香の剣が抜かれた。
「誰に手を出している」
男は避けた。姉も剣を抜き、横へ回り込もうとする女の腕を払う。私は荷を捨て、背の柄を握った。
抜き放った刀を、姉と男の間へ下ろした。
男が一歩退いた。切先がその袖を裂き、石を叩いた。握りが揺れたが、両腕で引き戻す。融雪真訣の内息を刃まで通すと、刀が重さのままには沈まなくなった。私は足を踏み替え、今度は手首を狙った。
姉をつかむ手さえ落ちればよかった。
横から女の掌が刀の腹へ当たった。
鋼が鳴り、刀は狙いの外へ押し出された。慌てて抗った私の方へ、柄の端が跳ね戻る。次の一撃を受けるため踏み直した足が、もう遅かった。
肩を打たれ、背中から道へ転がった。
「晴!」
姉が振り返った。
正面の男が姉の剣を止めた。もう一人の男が第三香へ入る。第三香はそちらを退けたが、その一瞬で胸を打たれた。息が潰れる音がして、道の端へ膝をつく。
「やめて! 何の用、話があるなら――」
姉は腕を取られたまま男を蹴った。靴の先がすねへ当たった。男の顔がわずかに動いたが、手は緩まない。
私は起きた。口の中に砂がある。刀を持っていた。今度は腰を低くし、姉に当てない側から斬り上げた。
女が私の腕に触れた。
何をされたか分からなかった。刀が空を向き、右脚から力が抜けた。指は開かなかったので、私は刀ごと地面へ落ちた。
「布衣、行くよ」
女の声だった。
その名を知っていた。画面の向こうで英雄たちの話を読んだ私は、こんな姿の姉を見たことがなかった。顔を殴ろうとして、両手とも止められ、足先だけで必死に地面を探していた。
「妹がいるの! 離して、晴を置いていけない!」
「今は来てもらう」
男はそれだけ言った。
姉は私を呼んだ。呼ぶ声が、曲がり角の向こうへ引きずられていく。
私は刀を杖にして立った。第三香も立とうとしていた。すれ違いざま、彼が私の腕をつかみ損ねる。
「一人で、行くな……!」
私は答えず、走った。
*
山道の先には、いくつもの足跡があった。
朝の市へ向かう人、荷を運ぶ人、山へ戻る門人。どれも姉ではなかった。女を見なかったかと尋ねると、皆が違う方を指す。三人に囲まれていたと付け足すたび、さっきの方じゃなかったかと言い直された。
私は道を戻り、また下った。
同じ荷車の男に二度尋ね、さっきの娘かと怒鳴られた。
「よく思い出してください。見たと言ったでしょう」
「若い女が二人、男が二人。そう言っただけだ。顔まで知らん」
「では、その荷を」
私は荷車の先へ回った。男が止まる。
刀の柄へ手を置いた。刀は鞘に収まっていたが、それだけで男の目が変わった。私のことを、姉を捜す子供ではなく道を塞ぐ厄介者として見始めた。
「先へ行く前に、考えてください」
私はもう一度言った。
荷の陰に子供がいた。父親の背へ隠れ、私の刀を見た。それでも手をどけなかった。姉の方角を得るまでは、この人たちが困っていてもかまわなかった。
男は細い道を指し、そっちへ行ったのを見たと吐き捨てた。
私は走った。
夕方、その道の先で行商の一団に追いついた。女が二人、男が二人いた。姉はいなかった。
日が落ちてから、町へ戻った。
泊まらないかと声をかけた宿の者に、私は姉を知らないかと尋ねた。食事はと言われても、同じ説明をした。最後には、その宿の者が入口へ椅子を出し、私を座らせた。
椀の中に米が浮かんでいた。私は箸を持ち、冷めるまで置いた。
眠る前に戸を二度叩いた。
返事は来なかった。
*
二日後、川沿いの宿で窓の留めが曲がっているのを見た。
四人連れの女が、夜中に外へ出ようとして壊したという。顔を引っかかれた男が弁償した。宿の者は、喧嘩するなら外でしてくれと言ったと、まだ腹を立てていた。
私は部屋の窓へ手を置いた。
姉がここにいたのだと思った途端、立っていられなくなった。床へ膝をつき、窓の下を探した。何も落ちていなかった。姉の髪も布の端もない。
「渡しへ行ったよ」
宿の者が言った。
私はまた走った。
舟は対岸にあると言われた。次の往復は朝だという。川へ出ている舟を目で探し、見つからないので、岸へ上げられた小舟を指した。
「あれを出してください」
「あれは駄目だ。船底を直してる」
「直します。いま、見せて」
「明るくなってからでも半日かかる。あんた、何を聞いてるんだ」
言われていた。聞いていた。
それなのに舟さえあれば、姉の足跡の続きへ渡れる気がした。私は船頭の襟を取った。後ろで棒を持つ人が立ち上がる。
「金は払います」
「金で沈まない舟になるか。離せ!」
腕を払われ、私は反射で柄へ触れた。
その手を、菊がつかんだ。
「抜いてみな。あたしが川へ捨ててやる」
私は振り返った。
菊は馬を引いていた。自分も泥だらけで、髪がほどけかけている。私の手を柄から外すと、船頭へ今出た舟の客を尋ねた。
四人は昨日の朝に渡っていた。
私は今日の昼だと思っていた。
宿を出た時刻と、私が宿へ着いた時刻が、頭の中で同じになっていた。
「違う。そんなに」
「晴、座れ」
「昨日なら、その前の宿へ戻って――」
「戻ったろう! あんた、今朝もあの宿へ行った。昼にも行ったって、番頭が呆れてたよ!」
菊の声が川向こうまで響いた。
私は記憶を辿った。今朝、留め金を見た。昼も、同じ窓を見たのかもしれない。姉がそこから出ようとしたところを、何度でも見直したかった。
菊が私を土手へ押し座らせた。
「あたしの問いには答えな。食った?」
「姉さまは」
「寝た?」
「第三師兄は、何を」
「まだ胸が痛む。あんたは、あたしが、聞いてるんだよ!」
私は菊の手を振り払った。彼女も腹を立て、私の肩を強くつかみ直す。
「私の姉です。放してください。菊さんが戻るなら一人で戻ればいい。誰も頼んでいません!」
菊の顔が止まった。
次の瞬間、私の両肩が揺れた。
「あたしだって行きたいよ! あたしだってあの馬鹿を引っぱたいて、帰れって怒鳴りたい! あんたの姉なら、あたしにはどうでもいい女だとでも思ってんのか!」
私は何も返せなかった。
菊も息を切らしていた。私の靴を取ると、血で踵が張りついていた。乱暴に引きかけた手が止まり、今度は水をかけて剥がした。
「……ここで潰れるんじゃないよ。捜す手まで減らすな」
私は彼女の肩越しに川を見た。
舟が帰ってくる気配はなかった。
*
菊は翌朝の舟へ捜索の者を乗せた。
私は戻された。馬の上で何度も振り向いた。曲がり角を越えれば川が見えなくなる。その手前で下りたいと言い、菊に無視された。
山へ戻ると、第三香が寝床で待っていた。私の姿を見るなり、何をしていたと言いかけた。私も同じことを言った。
菊が間の机を叩いた。
「文句は蘭を取り返してから一緒に聞く。今は、見たことだけ言いな」
私は宿の名を書いた。日付を間違え、菊に直された。第三香は机へ近寄り、窓の留めをどちらへ曲げていたか尋ねた。
「外へ逃げたかったのでしょう」
「それは分かる。部屋のどっちだ」
私は図を描いた。言葉だけでは同じ所へ戻ってしまうが、床と窓なら描けた。
第三香は地図を一枚持っていった。
仕事場では、陳絮に最初から持ち帰りの仕事を断られた。
「明日、物を放り出さないとは言えんだろう」
言えなかった。
一日のうちに終わる手伝いだけを受けた。荷車の割れた板を外し、傷んだ柄を替える。腕と足が動いている間は、声をかけられたことに気づけた。だが依頼主が旅人だと分かると、仕事を忘れて顔へ食いついた。
陳絮が怒鳴った。
「客の荷より先に、客の旅を直すな!」
私は手を戻した。終われば、また尋ねた。
外を歩いてくる足音に戸へ出る癖は直らず、戻った机で同じ傷を二度調べた。代を受け取ると大半を消息を運ぶ者へ渡した。真偽を確かめるためにも金がかかり、間違いだった知らせは捨てられず、寝床の脇で厚くなった。
夏の暑さが引き、夜は上着が要るようになった。
四人に、口論ばかりする別の男が加わったという便りが来た。
私は生きていると書かれた箇所をなぞった。
生きていても、ここにはいなかった。
第三香が出立する朝、私は旅の荷を持って門へ行った。
彼は私の足を見た。もう皮は塞がっていた。
「一人の方が早い」
「私も戦えます」
「そういう話をしていない。追いつくたびに倒れられたら、蘭を連れてどう帰る」
私は柄を握った。男として働いていた頃の声で言い返そうとして、今の自分が何を言っても、彼にとっては連れていけない妹なのだと分かった。その扱いへの屈辱と、実際に同じ宿へ三度戻った事実が、喉の同じ所へ詰まった。
第三香は、私が用意した地図を受け取った。
「帰りは、川下の宿で知らせる。そこまでは出てきていい。蘭を待たせるな」
命令だった。
従えば姉に会えるという言い方だった。
私はうなずいた。宿を変えないでください、とだけ言った。
その夜、私は二人分の寝床を宿へ頼みに行った。
女将は、いつからだと聞いた。分からないと答えると困った顔をしたので、先に金を渡した。
予約の札に姉の名が書かれるのを、横から見ていた。
帰ってくる人の名が、そこにあった。
私は札を一度裏返し、また表へ戻した。女将に呼ばれてようやく手を離し、まだ帰っていない姉のために、窓から遠い寝床を選んだ。