OVERLOAD[Pseudepigrapha] 作:設定ナンカイ
『――後は任せたぞ。お前なら、皆と一緒に作ったこのナザリックを守っていける。……じゃあ、さよならだ』
そう言って忽然と姿を消してしまった自らの造物主の姿を、ムササビは未来永劫忘れられないだろう。
万物を超越し、死という絶対をも支配する偉大なる御方。
その姿を思い起こすたびに、彼は歓喜し、絶望する。
あまりにも重大な責務を、こんなちっぽけな両腕に託されたことに、恨みにも似た感情さえ湧いてくる。
この感情を抱くのが不敬であるとは分かっていた。
至高なる41人の造物主たちが遺していったこのナザリック地下大墳墓を、畏れ多くもシモベ風情が任されたのだ。
栄誉なことだ。
ナザリック内に存在する全てのシモベに聞いても、その誉を否定する者はいないだろう。
だが同時に、それがどれだけ困難な任務であるかと、誰もが震える筈だ。
もはや、彼らの頭上に偉大なる造物主たちは存在しない。
ムササビの直接の造物主である御方も含め、41人すべてがシモベには計り知れぬ場所へと去ってしまった。
故に、この巨大な神域を守るのは、後に遺されたシモベたちのみ。
その中でもムササビは、十階層からなるこのナザリック地下大墳墓に存在する全てのシモベたちを統率して、その任を全うしなければならない。
いわば、代理の船頭だ。
それも能力的には前任者たちよりも遥かに劣る、ハリボテの船頭だ。
確かに、偉大なる造物主はムササビに御自身と同じ力を与えられた。
外見を除き、種族、
だが、それはあくまでも数値化出来る部分での話だ。
同じ力を与えられたとしても、使いこなす中身の脳次第で幾らでも齎される結果は変化する。
何より、至高の41人の纏め役であった自らの造物主が持っていた支配者たるに値する器を、ムササビは持っていない。
シモベたちの統率者としてもギリギリというところだろう。
これでは、到底造物主の代役など務まるわけがない。
しかし、そんな弱音を吐いたらそれこそ配下たちからの失望と反感を買ってしまう。
端的に言って、ムササビのストレスは常に限界だった。
アンデッドの身であることに、これほど感謝したことはない。
もしそうでなければ、とっくに心が壊れていただろう。
「……朝か」
資料を読み込んでいると、時間が経つのはあっと言う間である。
ふと何気なく見た時計で現在時刻を把握したムササビは、即座に今日のスケジュールを思い起こして椅子から立ち上がる。
現在彼がいるのは、造物主に与えられた私室に用意されたベッドルームだ。
とはいえ、アンデッドである彼には睡眠は必要ない。
にもかかわらずこんなところに籠っているのは、単純にここであれば他のシモベの視線を意識しなくて済むからだ。
護衛にしろメイドにしろ、ここまで入ってくることはない。
そういう風に命令を下して、一人の時間を確保している。
そのうえでわざわざ机と椅子を持ち込んでまで、こうして簡単なタスクをこなしつつ休息を取っているわけだ。
ただあまり籠りきりでは仕事に差し支える上に配下たちからの反感を買う恐れがあるため、使用するのは一日二時間までと決めていた。
正直、丸二時間休むというのも内心では葛藤があるので、その時間を使い切ったことはないのは、ムササビの密かな自慢だったりする。
無論休もうという発想自体が不敬であることは承知しているので、そんなことを他のシモベに対して言ったことはないが。
「――おはようございます、ムササビ様」
「ああ。おはよう」
ベッドルームを出ると、待ち構えていた一般メイドたちに入念なドレスアップをされる。
これも、造物主に大量の装備を与えられたために成立することだ。
それも光栄なことと理解しているが、毎度毎度こうも着飾る必要があるかどうか、彼自身は疑問に思っていた。
とはいえ、仮初であれど支配者である以上はそれに相応しい服装をする必要があるのだろう。
またメイドたちにベッドルームへの立ち入りを禁止した手前、その主張を跳ねのけることが困難だったということもある。
彼女たちも含め、シモベたちは所詮ムササビを仮の支配者として扱うようにと命令されているから従っているだけなのだ。
その機嫌を損ねて無用な衝突の火種を作るようなことは、厳に慎まなければならない。
「私共の仕事は終了いたしました。本日も大変麗しく存じます」
「……そうか。ご苦労だった」
造物主より与えられた容貌が美しいこと自体は、ムササビにも全く反論がなかった。
何しろ、この外見は複数の至高の存在がデザインしたものなのだ。
その手腕を疑うことはあり得ない。
白い髪。
白い肌。
側頭部から生えた山羊の角。
青く澄んだ瞳を横長に分ける瞳孔。
左半身に広がる大きな火傷跡。
黒い毛に覆われた足の先にある蹄。
ローマ神話のフォーンをベースに、アンデッドらしく焼死体の要素を組み合わせて作られたこの身体こそ美の極致と言う他ないだろう。
なお、左目は火傷の影響で白く濁っているが、視力自体は十全に存在する。
その視力を以て鏡に映る自分の姿を観察するが、いつも通り問題はなかった。
メイドたちの手腕も流石と言ったところだろう。
これならば他のシモベたちと顔を合わせても大丈夫と、確信を得たムササビはさらに歩みを進める。
目的地は執務室だ。
幾つかの部屋を横切ってそこに到着すると、既に最初の会議のメンバーが揃っていた。
大悪魔にしてナザリックの防衛責任者たるデミウルゴス。
そして、現在の状況下で最重要視されている情報部門の責任者たるレンプウだ。
別にムササビが遅刻したということではない。
彼らはムササビを支配者として扱い、その行動に先回りして手間を減らすことが仕事なのだから、これが正常なタイミングだ。
ただ、やはりどこかプレッシャーのようなものを感じてしまうのは、自分が弱いからなのだろうかと彼はいつもの悩みに胸を刺された。
が、そんなところで止まっていては何も始まらない。
ムササビは内心の懊悩を押し殺して、着席した。
その間に口々に挨拶を述べるシモベたちに対しても、着席を促す。
少しだけ手間取ったが、最終的に全員が着席して会議が始まった。
議題は、ナザリック内外を問わず収集された情報の共有と今後打つべき手の模索と言ったところだ。
現在、ナザリック地下大墳墓は未曽有の事態に直面している。
最後に残った至高の御方が遂に姿を消したということも重大ではあるが、更に問題なのはその直後に起きた未知の現象である。
ナザリック地下大墳墓が存在する位置そのものが、本来のグレンデラ沼地とは全く異なる場所に変化してしまったのだ。
では、ヘルヘイムのどこか、或いは他に存在するとされる八つの世界のどこではないかと当初は考えられたが、現在は違った見方が強まりつつある。
つまり、ほとんど未知の世界に飛ばされたという説だ。
ただここで厄介なのが、ムササビを含めてシモベたちの誰もがナザリックの外に出たことがないという点である。
実際に外に出たことがないため、至高の存在から伝え聞いた内容や図書館などに保存されている情報をもとに判断するしかない。
そのため判断に慎重にならざるを得ず、ここまでは判断材料となる情報の収集に専念していた。
しかしながら、いつまでも判断を先送りにすることが出来ないことは、この場にいる全員が承知していた。
何故なら、そもそも外部の異変に気付いた理由が、ナザリック地下大墳墓の維持費の確保という切実な問題に端を発しているからだ。
今はまだ、至高の41人が遺された莫大な財によって何とかなっている。
だが、それが尽きてしまえばギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点たるこのナザリックは消滅するだろう。
そんな事が許されていいだろうか。
否、断じて否である。
故に、自らの造物主を見送った直後に、ムササビは外の状況を調査するべくシモベを派遣した。
外は至高の存在ですら死亡することがあるという魔境だ。
財を稼ぐと言っても、簡単にいくわけがない。
故に、造物主の帰還が絶望的であることを知っている自分こそが決断しなければならないと、ムササビは知っていた。
出来る限り早期に、まだリソースに余裕があるうちに安定的に必要な量の外貨を確保する道筋をつけなければならない。
そうして、反対意見を押し切って結成された調査部隊だったが、彼らが持ち帰ってきた情報こそ新たな混乱を生む元凶だった。
周辺に広がっているのは、沼地ではなく単なる草原だったのだ。
またその環境にせよ生息する生物にせよ、脅威度という面において全てがムササビたちの想定を遥かに下回っていた。
何かが起きている。
そう確信したムササビ他ナザリックの首脳陣は、更なる調査及び地上に露出しているナザリック地下大墳墓の入り口の隠蔽に乗り出した。
隠蔽工作自体は幻術を含めた様々な魔法により無事に完了し、未だに現地の個人、勢力にナザリックの存在を感知された形跡はない。
問題は、やはり情報収集面だった。
既に調査範囲は草原の周囲に広がる巨大な森林の半分近く、そして森林の縁に沿って点在する人間と思しき種族の村落複数にまで及んでいる。
だがここまで調べてもなお、やはり伝え聞くユグドラシルの環境とはまるで違うと考えざるを得なかったのだ。
「――ムササビ様。このナザリック近辺に存在する下等な人間種の村落などを調べる限り、やはりここはユグドラシルではないと結論付ける他ないのではありませんか? 無論、今までの検討でも俎上に乗せられた通り、ユグドラシルのそれと一致する種族、魔法、
「私もデミウルゴスに同意見です。確かにユグドラシルと類似する点はありますが、それ以上に違いが大きすぎます。またナザリック内の証言を集めても、これほど巨大な変化が発生する際はウンエイなる存在から何らかの通達があると、至高の御方方も仰っていたそうです。何より、あの日のモモンガ様の御発言を踏まえると、ユグドラシルには何らかの形で終焉が齎されている筈。つまり、ここは滅びを免れたナザリックの新天地なのではないかと」
デミウルゴスとアルベドの発言には、ムササビも頷けるところがあった。
どうやら覚悟を決めるしかないのだろう。
新天地で、ナザリックを守り維持していくということを。
不安はあるが、今まで集めた情報を踏まえるとそこまで悲観的になる必要もない筈だと、彼は自分を鼓舞する。
「――そうだな。ボクたちがいるこの世界は、どうやらユグドラシルではないようだ。判断に遅くなった分、このことは、全てのシモベに早急に通達するように」
一斉に返ってくる了承の声を聞きながら、ムササビは軽く溜め息を吐きかけて堪える。
こうした決断の一つ一つに内心の葛藤が生じるのは、いい加減慣れなくてはならないのだろう。
そして吸った息を誤魔化すように、この場にいる三体目のシモベに声をかけた。
「それでレンプウ。君たちの調査では、やはりこのナザリック周辺に目立った脅威は確認できていないと?」
「ハッ。確認できている中で最もレベルが高い者でも、恐らくは60レベルに満たない程度かと。この者に関しては、アウラ様と共に実際に拙者も戦闘の様子を確認しておりますので、間違いはない筈です。また当該個体の配下と思しき者たちに関しては、平均して20レベル半ば相当と言ったところでした」
暗い忍者装束を纏ったシモベが、粛々と返答する。
灰色の髪に、糸目。
口元は布で隠しており表情は窺い知れないが、声色は生真面目そのものだ。
なお、普段の彼はカンサイベンなる方言を使うらしいが、ムササビの前でその態度になることはない。
上司の前では切り替えるタイプだということだろう。
そんな彼こそが、レンプウ。
第八階層桜花領域守護者、オーレール・オメガの配下にして彼女を護衛する忍者軍団の頭領だ。
とはいえ、現在はナザリックに対する直接の外敵が確認されていないので、どちらかというと新設された情報部門のトップという立場の方が強くなりつつある。
隠密活動に優れた彼と彼の配下のニンジャ系のシモベたちは、情報収集という任務に対してあまりも有用だったからだ。
「確か、その個体はトロールだったかな?」
「ハッ。ウォー・トロールと思しき個体でした。十数体のトロール他オーガやゴブリンなどを率いて群れを形成しています。とはいえ、先ほどの平均は直接の配下らしきトロールたちに関してのもので、その他の配下に関してはレベル的な意味で大きく劣るかと」
「……フム。その程度なら、ナザリックに対する攻め手としては怖くないか」
「仰る通りで御座います。そのような汚らわしき者共が攻め寄せてきたところで、第一階層の一割も突破できないでしょう」
デミウルゴスの自信ありげな言葉は、確かに真実なのだろう。
ムササビの知る限り、このナザリックが60レベル相当のトロールとその配下に対して揺らぐことはあり得ない。
かつて数々のギルド対抗戦を勝ち抜き、難攻不落と謳われたこの巨大なダンジョンがある限り、輝かしき遺産は安全に守られる。
問題は、そのナザリックを維持するための費用が馬鹿にならないということだ。
可能な限りローコスト化するために様々な命令を出しているが、それでも楽観視することは出来ない。
ムササビの造物主ですら、一人しか残っていない状況では収支をプラスにすることは叶わなかったのだから。
「……その通りだ、デミウルゴス。今のボクたちにとって問題なのは、どうやら外敵の強さではないらしい。真の問題は、刈り取るべき麦の不作だ」
「まさしく。パンドラズ・アクターの報告では五年以内に深刻な財政苦境に陥る可能性が高いとのことです。ナザリック内外を問わず資財をエクスチェンジボックスに入れることでユグドラシル金貨を獲得できることは分かりましたが、あまりにも効率が低いのが問題です。早急に、新たな安定財源を見つけなければ」
アルベドの発言に、デミウルゴスが微笑んだ。
ムササビは嫌な予感がしたが、彼の発言を止めることは出来ない。
「それならば、簡単な話でしょう。このナザリックを維持するために、ナザリック内の財を擦り減らすことなど言語道断。必要な分は、外から調達するべきです。具体的に言えば、恒久的に財をナザリックに集められるシステムを、外部に構築するといったところでしょうか」
そのシステムがどういったものか、ムササビは説明されるまでもなく理解できた。
同僚として、デミウルゴスの性格は把握している。
情け容赦なく、最大効率でナザリック外の資源を未来永劫搾り取るようなシステムを作り上げてしまうだろう。
それが悪いことだとは、ムササビも思わない。
ナザリックを維持するという点において、デミウルゴスのやろうとしていることは正解だ。
しかし、それに反発する者もシモベの中に少数だが必ず存在する。
アルベドにセバスやペストーニャ、ユリなどだ。
そして、それぞれの造物主たちにそうあれと作られた彼らの想いを押し殺させることは、出来ればやりたくはなかった。
ムササビの理想は、このナザリックを在りし日の姿のまま永久に保存すること。
シモベ同士の間に亀裂が走ることは、その願いとは矛盾する。
「――確認ですが、そのシステムの構築は武力の行使を前提としたものですか?」
だが、今まさに冷たい視線をデミウルゴスに向けるアルベドを前に、その理想はあまりにも難しいものなのではないかと、ムササビは自問した。
アルベドがデミウルゴスの言動に反感を抱いていることは、ムササビも把握していた。
しかし、それがこうも早く表面化するとは思っていなかった。
とはいえ考えてみれば、ここで主導権を握らなければ今後のナザリックの方針はデミウルゴスの提案に沿って決定されるだろう。
デミウルゴスには、それだけの能力がある。
如何に同等の知性を持つとされるアルベドでも、多数派の意見を代表したデミウルゴスの計画を後から修正することは難しい筈だ。
故に、仕掛けるのならばここしかない。
遅まきながらその事実に気づいたムササビは、暗澹とした気持ちをより色濃く覚える。
やはり自分に彼らを統率するのは不可能なのではないかという想いだ。
「……フム。君が何を懸念しているのかは理解しかねるが、武力の行使は当然必要になる場面もあるだろう。低能な輩相手でも、力というのは分かりやすく作用する。まさか、その小さな犠牲にも目を瞑れないとでも言うのかね?」
「犠牲の大小は関係ありません。重要なのは、それが必要な力の行使かという点です。まだ外の世界に関して私たちが分かっていることはあまりにも少ない。最初から武力を前提に話を進めれば、余計な亀裂を生みます。そこから生じる衝突など、それこそ無駄というものでしょう」
「なるほど。では、一度君のプランを聞いておこうか。一応言っておくが、平和的な交易で必要な財を稼ぐなどとは言わないだろうね? それとも、私たちに財を分けてくれなどと懇願するとでも? どちらにせよ、将来性という点で大きく問題がある」
「私はそうは思いません。我々にとってはいらない資源や技術でも、外の世界にとっては十分価値のある可能性は十分にあります。例えば我々が提供できる治癒魔法などを材料に交渉を行えば――」
「――ナンセンスだ。欲望というものは適切な躾をしなければ際限がない。どうせ回数を重ねるごとに連中は我々の与える恩恵に麻痺し、要求を吊り上げる。一度それに応じてしまえば、後は取り返しがつかないだろう。君は最終的に、同胞を売り飛ばすことになる。その時になって後悔しても、文字通り後の祭りだ」
「では、貴方はどうすると? 力の差を背景に一方的な搾取をすれば、彼らは間違いなく反発する筈です。その心をどう封じ込めると言うのです? 今はいいかもしれません。ですが、いつまでも絶対的な力の差が続くと考えるのは、あまりにも楽観的です」
「続くとも。技術の発展も、種としての進化も、その他の不都合な事象も、徹底的な管理の下でコントロールできる。必要なのは、君のような甘さを排除して作業することだ」
議論を聞きながら物思いに耽っていたムササビだったが、このままでは延々と二人の議論が続きかねないと口を開く。
「――ボクは、ひとまずデミウルゴスの意見に賛成だ」
反射的に此方を向いた二人の発言を抑えるために手を挙げ、続く言葉を述べる。
「だが、軽率な武力行使を含め、外の世界の住人の反発を招きかねない行動を可能な限り控えるべきだというアルベドの意見にも、頷ける部分は多い。よって、現状は情報の収集と並行して外部に設置する組織の形を模索するべきだと思う。デミウルゴスの言うシステムがどんな形であれ、まずは外の世界への足掛かりを用意しなければならない。それも、出来る限り平和的な形でだ。まだ、この世界にナザリックにとっての脅威が存在しないと決まったわけじゃないからね。争いの火種は、少なければ少ないほどいい」
その後、細かい検討事項を含めて話し合いは続いたが、ムササビの折衷案が覆されることはなかった。
そして、改めて全ての階層守護者を集めて行われた会議で、これらの方針が正式に決定・通達される。
第一に、ナザリックは維持費を稼ぐために外の世界に進出する。
第二に、進出の際は可能な限り現地の存在との衝突を避ける。
そしてその方針に従って各階層守護者には新たな任務が任され、ナザリックはいよいよ本格的に動き出そうとしていた。
しかし、その前に一つの報告が入ってきたことにより、彼らの一歩目は思わぬ形へと変化することになる。
××
ガゼフ・ストロノーフ。
移民の身でありながら、大国リ・エスティ―ゼの老王ランポッサⅢ世の腹心にまで上り詰めた傑物である。
だが、世間が彼の立身出世を称える一方で、陰ではその所業を悪し様に罵る者も多い。
年老いて猜疑心の強くなった主君の命令に従い、ガゼフがその手を血で染めてきたというのが、主な理由である。
ある者はガゼフの実行してきた粛清により、国が強くなったと言う。
一方で、ある者は彼を血も涙もない出世欲の権化と蔑んだ。
そんな男は今、護衛に囲まれた馬車に乗ってリ・エスティ―ゼ王国領内の道のりを南下していた。
ここから港湾都市エ・ランテルを経由し、その後は船でさらに南のローブル聖王国を目指すという計画だ。
しかし、多少リ・エスティ―ゼ王国とその周辺勢力との関係を知っている者であれば、この計画に違和感を覚えるだろう。
現在、北方の雄であるリ・エスティ―ゼは、南方に直接隣接するカルサナス都市国家連合と緊張関係にある。
一応表向きは休戦状態ではあるが、ここ数年は小規模な武力衝突が頻発しているのだ。
それもこれも、ランポッサⅢ世が武力を背景にした南下の野心を剥き出しにしているからである。
最終的にはかの王が都市国家連合の先、ローブル聖王国やバハルス帝国すらも吞み込もうとしているというのが、知識人たちの見方だった。
そして、ここで重要なのがエ・ランテルの立ち位置である。
数十年前までは、確かにエ・ランテルとその周辺の住人はリ・エスティ―ゼ王国に帰順していた。
だが、ランポッサⅢ世が血を分けた実の弟と王位をかけて争った十一か月戦争以降、エ・ランテルの都市長は一方的に王国を離脱。
それから今に至るまで、この港湾都市はカルサナス都市国家連合の一翼を担ってきた。
つまり、今からガゼフが向かおうとしているのは、紛れもない敵地なのである。
ガゼフ自身が、都市国家連合との武力衝突に参加したことはない。
彼の戦場は常に王国の中だった。
王に叛意ありと見做された勢力、或いは個人を、ただひたすらに刈り取ることで彼は出世してきた。
とはいえ、彼個人に恨みがないとしても、彼の肩書を思えばエ・ランテルの人々が隔意を抱くのはごく自然なことだろう。
勿論、ガゼフ自身もそのリスクは承知している。
それでも彼がこの馬車の中にいるのは、ひとえにそうする以外に選択肢がないからだった。
王の命令であるからという話ではない。
彼自身、こうしなければ己の命がそう長くないだろうことを確信していた。
ガゼフは、端的に言って死にかけていた。
とある貴族が主催した狩猟大会に参加した折、突如出現した極めて危険度の高いモンスターから癒えない傷を負わされたのだ。
モンスター自体はガゼフ自身が討伐したものの、死に際の呪いというのは強力である。
並大抵の信仰系魔法詠唱者では解呪することが出来ず、こうしている今も傷口からは血が溢れ続けている。
最後の頼みの綱が、ローブル聖王国に存在しているという第八位階にまで到達した神官だった。
ランポッサⅢ世は、最終的にローブル聖王国とエ・ランテル側が提示した条件を呑んだ。
しかし、それが必ずしも自身の命を優先した判断だと考えるほど、ガゼフは王に対して楽観的ではなかった。
それだけ、ガゼフは王の傍に長くいた。
人を信頼できず、何もかもに期待しない人間であると、ガゼフは王のことをそう評価していた。
故に、ランポッサⅢ世はたとえガゼフが道中に不慮の死を遂げたところで、惜しむだけだろう。
別に、そのことを寂しく思いはしない。
問題は、そういう王の心理を知っている者が、自分以外にもいるということだ。
彼らは、ここぞとばかりにガゼフの座っている椅子を奪いに来るだろう。
或いはガゼフが殺した者の縁者が復讐に来るか。
何にせよ、ガゼフを殺したい人間なら数えきれないほどいる。
「――誰に命じられた?」
「……」
だから、目の前で無言のまま剣を構える兵士たちを見て、ガゼフは決して驚かなかった。
ガゼフの味方は王都から連れてきた直属の部下5名。
それ以外の護衛の兵士たちは、此方側を完全に取り囲んだ上で殺気を飛ばしてきている。
馬車が止められた時点でもしやと思っていたが、どうやら悪い予感は当たったらしい。
いや、最悪馬車ごと魔法で吹き飛ばされるかと覚悟していたので、それよりはましかもしれない。
恐らく、ガゼフの生死を確実に確認するようにと言われているのだろう。
その手間を掛けてくれたお陰で、まだ希望はある。
「生憎と、俺もただで殺されるような真似はしない性質だ。かかってくるようなら命の保証はしないぞ。まあ、既にそこに二人転がってるから、それくらいのことは分かっていると思うがな」
そう言って、ガゼフは足元に倒れている兵士を足で小突く。
先ほどガゼフの乗っている馬車に押し入ろうとして、逆に刺し殺された二人だ。
挑発の意味もあって嗤って見せた結果、兵士たちの表情がより強張る。
此方にとってはいい傾向だ。
出来れば、このまま会話で時間を稼ぎつつ相手の激情を引き出したいところだ。
しかし、流石に相手もこれ以上時間をかける気はないらしい。
会話に応じる気配もなく、一斉に斬りかかってくる。
仕方なく、ガゼフも部下たちと共に剣を手に迎え撃った。
この世界は色々と原作と違うところが多いです。