拓真との関係は、未だに不明瞭だったが関わる時間が増えた。
昼休みだ。
あれから空き教室にて、一緒に昼食をとるようになったのである。
もちろん、アプリのミッションをこなすのにちょうどいいと判断してだが。
朝と同じく、ぽつぽつと会話しながら食事をし。
その後昼休みが終わるまで、その場で二人思い思いの過ごし方をするようになった。
大抵、真希はスクワットなど軽めの運動をこなし。
拓真は勉強をしていた。
ちなみにその様子を見て、空き教室の鍵を借りるための耳障りのいい建前じゃなかったのかと驚愕していたことは余談である。
「そういえば、お前毎日ここに来てるけど大丈夫なの」
「んー? なにが?」
「いや、そっちの友達とか。部活のやつと飯食ったりしないのかって」
拓真の疑問に、ああと納得する。
「別に大丈夫よ、私いつも一人で食べてたし」
「それは…」
さらりとしたボッチ飯発言に、何とも言えない表情を浮かべる少年だが。
余計な発言は控えた。
彼女が自分のような日陰者でないことはよく知っているからだ。
彼女が陸上部のエース的な存在であることは周知されているため、周りの生徒には一定の評価をされている。
実際去年は全国大会に出場し、優勝こそ逃したが十分賞賛されるべき結果を残した実績を持っている。
が、しかし。
彼女が教室の端にいるような日陰者でないことは確かだが、かといってクラスの中心人物というわけでもなかった。
何かしらのイベントに積極的に関わるわけでもなければ。
付き合いがいいわけでもない。
正直に言って、同じ陸上部以外でクラスに友人と呼べる存在はいないだろう。
遊ぶ相手も、親しく話す相手もいない。
それでも周りに一目置かれている。
言葉にして、彼女を褒め称えることこそないだろうが。やはりどこか尊敬されている。
孤独というより孤高という感じの存在。
それが佐川真希という少女だ。
そのことを彼はよく知っている。
「いつもどこで食ってたんだ?」
「部室」
理由を尋ねてみれば、食事をした後周りを気にせず運動できるから。…だそうだ。
しかし教室から遠いことだけがネックだったため、最近は距離の近いココに入り浸っているとの事。
「…まあ、そんなとこだろうと思った」
「何が?」
「別に‥‥」
そのようなやり取りを交しつつ、お互いに自由に過ごす。所謂ガラパゴス飲みのような状態が彼女らのお決まりになりつつあった。
真希の柔軟が終わり、拓真がペンを置いたのはほぼ同時。
そして同じタイミングで壁掛け時計を確認したところ、昼休みはあとわずか。
「‥‥」
「‥‥」
互いに何かを確認することもなく、退出するために身支度を整え始める。
「あっ」
と、その時。
真希が思い出したかのように声を上げた。
「ごめん、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「…何?」
こんな前置きをされたことは今までなかった。
そのことに違和感というか、妙な胸騒ぎを覚えた拓真は眉を顰め。猜疑的な視線を向ける。
「今度の日曜、空いてる?」
しかし、そんな少年の警戒を受けても事も無げに彼女は言った。
そのあっけらかんとした言葉を受け、しばし思考が固着した拓真はようやっと意味をかみ砕き──。
「はっ?」
すっとんきょうな声を上げた。
* * *
日曜日。
それは時間に追われた現代人にしばしの憩いを届けてくれるハッピーディ。
そんな日に、浮かない表情で立ち尽くす一人の少年。
小池 拓真である。
先ほどから「指定された集合場所」でそわそわと身じろぎをしたり、かと思えば近くのベンチに座り。
やはり立ち上がり、何度も時計を確認したりと。
あからさまに挙動不審な様子をさらしていた。
実際、通り過ぎる人間は何人か胡乱げな表情で彼に視線をやっていたりするのだが。
幸か不幸か、その少年にそんなことを認識し恥じ入るような余裕はなかった。
果てには、約束の時間から大分前に待っているのは心証がよくないのでは。と妙な角度の心配までしてしまう始末だが。
それだけ今現在、彼の内心は穏やかではなかった。
「‥‥っ」
やはり一旦この場を離れて、指定の直前に出直そうと踵を返した。その時。
「さっきから何やってんの?」
「っ?!」
目の前に現れた…というか、いつのまにか自分の背後に居たらしい彼女と中途半端に身をひねった体勢で向かい合う。
「あ、えっと…今日はお日柄もよく…」
「なんだそりゃ」
見るからに様子がおかしい拓真と、極めていつも通りな様子の少女──真希。
その格好も、普段服に頓着しない少年が精一杯着飾った私服と。さっきまで運動してましたと言わんばかりの何の変哲もないジャージ姿。
というか、スポーツバックを担いでいるところから実際部活帰りであることは明らかだ。
そんな全てにおいて対照的な二人は今日、予定を合わせて住んでいる街の都心部で待ち合わせていた。
「待たせた?」
「いや、別に‥‥」
「まだ約束から30分は前だけど」
「…そっちもだろ」
「30分前行動は当たり前だろ」
運動部的な感覚だった。
ともかく、問題なく落ち合うことが出来た彼らは早速目的の場所に向かうことにした。
都心部に居を構える大規模なスポーツ用品店。
真希はそこで新しいスパイクを購入する予定だった。
「あのさ、これ俺いる?」
拓真の疑問ももっともだ。
先ほどから店内のすべての商品をひっくり返すつもりなのかと聞きたくなる様子で、検品していく少女に付き添いなど不要に思える。
アドバイスを求めるわけでも、金銭的にあてにされているわけでもない。
ただ我関せずで物色している少女に、文字通り付いて添えられているだけだった。
彼女の意図が分かったのは、会計の後。
たっぷり一時間近くをかけてようやく選んだスパイクの値段は、目が飛び出るほどではないがやはり高い。
自分の小遣いでは購入すまで半年はかかるであろう金額をさらりと払ってしまう少女に、感嘆の息を吐いていると。
商品の入れられた袋を、眼前にずいっと突き付けられた。
「えーっと?」
「持って」
「あ、はい」
──もしかして目的は荷物持ちか?
そんな推察は続けた真希の行動に否定される。
「で、そのスパイク私に渡して」
「は?」
「いいから」
渡したと思ったら、すぐに返せと言う。
拓真にはその真意が読めないが、言われた通りに彼女に手渡した。
すると、
「ワ―、アリガトー。トッテモウレシイ、ダイジニスル」
「はえ?」
まるでドラマに出演したスポーツ選手のような大根芝居だった。
「じゃ、そういうことで」
「いやいやいや、何がそういうことなんだよ」
説明もなく、意味不明なやり取りをされて困惑することしかできない拓真は戸惑いの声を上げる。
そんな様子に全くの頓着もせず、真希はさらりと言いきった。
「このスパイク、あんたからプレゼントされたってことにするから。口裏合わせといて」
「‥‥」
もはや驚くのも面倒だった。
こいつはこんなに支離滅裂な言動をする女だったか、と。走馬灯のように彼女との記憶が反芻されるが。
ここまででないにしても、確かに周りとズレた発言をよくするうえに。言葉が明らかに足りないやつだったと思い出した。
なぜわざわざそんなことをするのか、ともっともな質問され。
真希は最初から説明を始めた。
現在、アプリによって高校生には不相応な金銭を持っているわけだが。
これを使うためには、避けては通れぬ問題があった。
両親への説明である。
規約によって、アプリのことを他人に口外はできない。
つまりは何か高価なものを購入した際、そのための金銭をどのように得たかの説明が『できない』のである。
知っての通り、彼女の生活は学校を除けば。そのほとんどを陸上に費やされている。
バイトなどをやっている暇は物理的に存在しない。
それなのにもかかわらず、多額の金銭を持っていることが知られれば。何か良からぬ方法を使ったと両親に要らぬ心配をかける恐れがある。
それは彼女の意図したものではなかった。
そこで考え出した策が──、
「俺からのプレゼントってことにする訳ね」
呆れ顔を隠すこともなく、拓真が吐き捨てた。
「なんていうか、こんなことしなくても素直に自分お金で買った。って言えばいいだけじゃないか?」
確かに、お年玉貯金を使った。など、無難な言い訳は幾らでも立てられるだろう。(実際、金の出どころに関して拓真にはそのように噓の説明をした)
「だめ、ウチの両親。そう言うともっと自分の好きなことのために使えって。使った分のお金渡してくるから」
「それはまた何というか…」
娘は両親に負担をかけないよう、自分の金を使いたい。
両親は娘に気遣いのために、自分の金を使ってほしくない。
互いが互いに気を使いあって、堂々巡りだ。
「友達から貰った、って言えばさすがに親切を無下にはできないし。私からもお返しのプレゼントしたって言っとけば、もう個人間で終わった話で何も言えなくなるでしょ」
「理屈としては分かるが‥‥ただ、特別な日でもないのに。こんな高価なもん送る友達って変じゃないか?」
「そこは…ほら。あんたが私に貢いでるってことで」
「…別種の心配かけないか?」
いろんな意味で。
「というか、その…親御さん俺のこと知ってるの?」
「ああ、私もびっくりしたんだけど…」
一度訊ねてみたところ、なんと両親は彼のことを知っていた。
中高と同じ陸上部だったため、保護者会経由で親同士に交流があり。
互いの子供のことも周知していたというわけだ。
もちろん、拓真が退部してからは関係も切れているらしいが。
気のいい人たちだったと、両親は懐かしそうに語っていた。
「ああもう、そんなことはもういいから。もう行こ。そろそろいい時間だし、夕飯でも食べてこう。お礼に奢るから」
「何にもしてないけどね、俺」
驕りは丁重に断った拓真であった。
* * *
相談した結果、夕飯は最寄りのファミレスで取ることになった。
学生にもリーズナブルな店で、メニューの種類も豊富のため無難な選択だっただろう。
「‥‥」
「‥‥」
外食の際は無難な選択をしがちな拓真は、早々にグランドメニューのハンバーグを注文することに決めメニューを閉じた。
ふと向かいの少女に目をやると、彼女はメニューとにらめっこをしている。
その手元には何やら細かい記録がびっちりつけられた手帳。
どうやら食事管理用のメモのようで。メニューに記されたカロリーや栄養成分表記を確認しているようだ。
何ともストイックなこと。
その後、拓真の5倍は時間をかけ彼女は夕食を選んだ。
「ごめん、別に待ってなくてもよかったのに」
「いや、なんとなく…」
最近はどこもセルフオーダーになっている。
真希が選んでいる間に、先んじて自分の注文を通すこともできたはずだが。律儀に少年は待っていたようだった。
しばし沈黙が落ちる。
気まずげに紙おしぼりを手で弄ぶ少女を見かねてか、拓真は少々わざとらしく称賛の言葉を述べる。
「しかし、こんな時まで栄養管理とは。流石は全国選手」
「そうかな…。そう言ってもらえると、よかった」
吐いた後で、これでは嫌味に聞こえないかと。若干背筋を凍らせるが。
どうやら幸いにもそういった穿った捉え方はされなかったらしい。
「やっぱり、普段の食事にもこだわってんだな」
「…別に、こだわってるってわけじゃない」
そう言う、真希の顔はなんともいえない微妙な表情だ。
「私だって、練習が辛かったり。こういうのがめんどくさかったりする時はあるよ。
ただ、その後無性に不安になるだけ」
去年、全国大会で一位を逃したときもそうだったと。真希は語る。
周りは自分より上位の選手が皆三年生だからと、いろいろ慰めてくれたが。
大会が終わった瞬間、彼女の脳裏によぎった言葉は「もっと練習しておけば」であった。
大会前に一秒でも長く練習していれば…そんなたらればな後悔がどこまでも尽きなかった。
それどころか、睡眠の一秒が。カロリーの一キロが、自分をどんどん勝利から遠ざけるのではないか。
そんな思考が、彼女の行動をがんじがらめにしていた。
「‥‥」
──それをこだわりと言うのでは…?
場違いな感想は、流石に飲み込んだ。
「自分でも馬鹿なことしてるって分かってる。煩わしいって思うこともある。
実際、
メニュー選ぶのが長いって愚痴られたり、店によっては食べられるものがなくて空気悪くなったりさ。
だから、他人とご飯食べるのって苦手」
真希な言葉に、拓真は答える。
「俺はいいの?」
「え?」
「俺とは食事してるけど、大丈夫なのか?」
「え、あ…。ホントだ、なんでだろ…」
しばし思案すると真希は、拓真となら気負わずに済むのかな…と仄かに頬を緩める。
その言葉に少々動揺しつつも。彼は嬉しげだった。
なんだかいい雰囲気だが、なんのことはない。
ただ単に、彼女にとって目の前の少年は「どうでもいい」存在というだけだった。
どうでもいいから、迷惑をかけても。
不快にさせても、心は傷まない。
気安い態度と、雑な対応は似て非なるものだが。確かに、似てはいる。
幸いなのは、その幸せな勘違いを拓真どころか。
真希本人も気付いていないことだろう。
思えば、部活以外で人との関わりが出来たのは久しぶりだ。
だからだろう、勝手を忘れていた。
踏み込みすぎたのだ。
料理が配膳され、食事が始まっても雰囲気は和やかだ。
お互いたわいもない会話を繰り返していると、真希は思い出したかのように唐突にその疑問を口にした。
「そういえば、あんた何で陸上辞めたの?」
「───」
空気が凍る。
その言葉の意味を、彼女は実感した。
先ほど二人の間にあった対話の橋が崩れ、底が見えないほど深い渓谷が出現したかのようだった。
なおかつ、対面に座る少年の様子が先ほどとまるで違い。別人のような態度に変わったことに、思わず身震いが起こった。
沈黙。
時間にして一分にも満たなかったであろうその時間が、やけに長く重苦しく感じた。
「えっと…」
まずい事を言ってしまった。それくらいは彼女にも察しがついた。
しかし言葉が出てこない。謝罪も弁明も。
自分の発言の何が彼の逆鱗に触れたかが分からないからだ。そもそも、今彼は怒っているのかどうかすら分からない。
そんな状態で何かを宣っても、薄っぺらい言葉にしかならないだろう。
「ごめん、帰る」
やがて、拓真はそんな素っ気ない一言を残し立ち去っていった。
引き止められなかった。
引き止めるべきかも分からなかった。
しばし呆然と座り込み、卓を眺めることしかできなかった。
テーブルに残されたハンバーグは、未だに湯気をたてている。
しかし、その暖かな香りを届ける相手はもう居らず。その優しさは虚空を迷子になるばかりだった。
「割り勘じゃなかったのかよ…」
そのまま、ハンバーグは冷め切った。