しばし、ファミレスの席で呆然とする真希を再起動させたのは電子音だった。
「?」
その、やけにポップな音に聞き覚えはなった。
音の出どころはジャージのポケットに収められたスマホからだということは分かったが、自分の設定した通知音ではない(デフォルトのまま)。
いぶかしげに思いながらも、確認すると件のアプリからの通知であった。
──こんなこと初めてだ。
通知を開くと、そこには。
『緊急ミッション。本日中に限定対象者に再び会う』
「はっ?!」
なんだこれは。こんなものがあるなんて聞いていない。
──誰から?
それ以上に、彼女を困惑させたのは追加の記載。
『こちらのミッションを失敗した場合、アプリを強制退会処分を下します』
あまりにも横暴だ。
──ちょっと待ってよ…!
時計を確認する。
現在は午後の5時半。
つまりは残り6時間弱の間に拓真と再び会わなければ退会となってしまう。
真希は慌てて会計をし、店を飛び出した。
すぐに辺りを見渡すも、彼の姿はどこにもない。
「まずいぞ…!」
彼の連絡先を真希は知らない。
知っていそうな、共通の知人にも心当たりがない。
このまま街をさまよって、見つけ出すのはほぼ不可能だろう。
となれば、残る可能性は一つしかない。
「自宅だ!」
* * *
小池 拓真は自室にてふて寝を決め込んでいた。
理由はいろいろである。
自分の振舞いへの後悔。
彼女への理不尽な怒り。
様々な要因での自己嫌悪が止まらない。
「?」
玄関の方が騒がしい、こんな時間に来客だろうか?
しばらくすると、足音が部屋に近づいてくる。
そのまま、音の主は部屋に踏み入ってきた。
「母さん、ノックしてっていつも…」
「そりゃ失礼、次から気を付けるわ」
「?!」
思わぬ声に、ベッドから跳び起きた。
先ほどまであっていた少女が、何故か部屋にいる。
「おじゃましまーす」
「ちょ…ちょっと何で!」
目を白黒させる拓真に、真希は一枚の紙を突き付ける。
「会計。あんたの分請求しに来たの」
ファミレスのレシートだった。
「あ…その、ごめん」
奢りを断ったくせに、結局会計から逃げたカタチになっていたことに顔から火が出そうだった。
申し訳なさそうに財布を取り出し、自分の分の金額を支払う。
「確かに。まいどどーも」
「というか、どうやってここに…?」
「まあ、記憶を頼りに」
「?」
「全然覚えてなかったんだけどさ…」
先日、両親に拓真のことを訪ねた時。
ついでに教えられて驚いたのだ。
「私たち、お互いの家に遊びに行ったことあったんだね」
最初に、ミッション対象者のリストで彼のことを思い出した際。「家が近所だ」という情報を自分は知っていた。
つまりその情報を知るような経験があった。
では逆の手順で想起させればいい。
自宅の近所を散策し、デジャブを感じる家を片っ端から当たっただけの事。
もちろん一筋縄ではいかず、
「そこまでして…なんで」
「…まあ、なんとなく」
ミッションにせっつかれただけなので、理由はぼかすしかない。
「なんていうか、心配だったし。下でお母さんと話したけど、なんか落ち込んでるって言ってたし」
「‥‥」
拓真は何か迷うような表情で、ためらいがちに口を開く。
「聞かないの?」
「‥‥」
何を、と聞き返すのは野暮だろう。
「言いたいんなら聞くし、言いたくないんだったら聞かない。気にはなるけど」
「‥‥」
「ま、気長に待つよ」
そう言って、彼女はその場に腰を下ろしくつろぎ始めた。
「え、待つってここで?」
「他にどこがあんだよ」
「いやてっきり…」
確かに文脈的には、「何日でも」というニュアンスのようだが。
実際は「今ここで」ということらしかった。
彼は困惑するが、なんてことはない。
彼女としては『対象の自室に訪れる』というミッションをついでに消化しておこうと考えていただけだった。
「‥‥部屋、昔からこんな感じだった? 全然覚えてないや」
「あの時、俺部屋持ってなかったから」
「そっか」
一言二言だけの会話が続く。
やがて話題も尽き、沈黙が下りたところで拓真が重い口を開いた。
「‥‥一年の時、さ」
「うん」
その歯切れの悪さから、本題であると察した真希は姿勢を正す。
「お前…、
先輩と、付き合ってたじゃん…陸上部の」
‥‥。
「はい?」
陸上部の先輩…?
記憶をさかのぼり、思い出した。
確かに一年の時、当時二年の男子陸上部の先輩と交際したことがある。
理由は特にない。
しいて言うなら、その先輩が当時部のエースだったことと。相手から告白されて、断る理由もなかっただけだった。
しかし、それがなんだ?
* * *
ぽつぽつと、彼は語る。
昔から一緒に居た真希と、これからもずっと一緒に居たかったこと。
だから中学の時、同じ陸上部に入ったこと。
しかし、真希とは違い。結果が出ない自分が情けなかったこと。
彼女が推薦で受かった高校に一緒に通うため、必死に勉強したこと。
そして、
先輩と真希が付き合いだしたことを聞いて、ショックだったこと。
「それで、辞めたの…?」
「‥‥」
彼は無言で答えた。
しかし、それでは不可解な点がある。
「ごめん、うろ覚えなんだけど。確か私が先輩と付き合ったのって大会前だったから6、7月くらいだったよね?
お前が辞めたのって…寒くなり始めてた気がするから。それから大分後じゃない?」
「‥‥」
またしても沈黙。
ここだ、と。真希は直感した。
ここが、彼が部活を辞めるうえで決定的な要因となった部分だ。
「‥‥」
「‥‥」
またしても、深い沈黙が下りた。
ただただ待つ。
「先輩が、よく話してたんだよ。練習前とかに‥‥。
お前との‥‥そういうこと」
「‥‥」
──はっ?!
曰く。
初体験の時から、激しくよがっていた。
曰く。
教えたら、嬉々として行為を覚えた。
曰く。
曰く。
曰く。エトセトラエトセトラ…。
「ちょちょちょ、ちょっと待ったーっ!
は? なに、それ話してたの?! 他の部員の前で?!」
「え、あ…うん」
「ふ、ざっ‥‥っけんなっ! あのボケっ!
あぁぁっ…、なんか一時期男子から変な目で見られるような気がしてたけど。そのせいかよ…!」
「その…あれってホント「本当なわけあるかっ! そもそも三ヵ月くらいで別れたわ! そんな暇あるかっ」
そう、先輩とはすぐに別れていた。
理由は単純。性格の不一致だ。
真希にとって第一は部活だった。
だから練習の時間は何としても確保したかった。
しかし、当時の彼氏は自堕落で実力があるくせに練習をさぼっていたり。
しつこくこちらを遊びに誘って来たり。親しくなるにつれ、どんどん不愉快な面が露呈していた。
果てには、どれだけ誘っても靡かない真希の態度が気に食わなかったのか。
こんなことに打ち込んだって、何かに役に立つこともないなどと吐き捨てた。
その言葉を聞き、真希は完全にキレ。
その場で三下り半を突き付けてやったのだ。
「…はあ。話を聞くに、私の方から振ったのがプライド傷つけたのかね。
いかにもプレイボーイ気取ってたし」
その推察はあたりだった。
陸上部で頭角を現し、外見が整っていた男子は無駄に自信が誇大していた。
結果的に何の発展もせず、しかも相手から振られることにその自尊心を大きく傷つけられ。
尚且つ周りに知られることを忌避した男子は、周りにあることないことを吹聴していたという訳だ。
「そうなんだ…」
「っていうか、直接本当なのか確認すればいいでしょうが」
「…聞けないって」
それはそうだ。
直接そんなこと聞いてくる奴がいたら殴るわ。と彼女は思った。
まとめると、幼馴染の女の子の赤裸々な部分を聞かされ続けることに耐えきれなくなった。
…というのが、事の真相らしい。
「‥‥」
肩の力が抜ける。
こんなに言うのを渋るものだから、どれだけ深刻な事情があったのかと身構えた自分の気苦労を返してほしい。
もちろん、本人としてはそれくらいショックな出来事だったのだろう。
だとしても、一瞬で狼狽するくらいの地雷になるにはあまりにも‥‥。
と。
「そんなにショックだったんだ…」
「‥‥っ」
思わず出た、真希のつぶやきに。
拓真はびくりと身を震わせた。
その反応を見て、にたあ。と、口角を上げる。
「私が先輩と付き合って、先にいろいろ経験したのがそーんなにショックだったんだ」
「‥‥」
「ショックだったんだぁ」
けらけらと笑う少女に、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべるも反撃することはなかった。
女子との関わりが薄い彼も、分が悪い状況だという判断は出来た。
今は耐えるしかないことも。
その後も少年を散々からかった真希は、満足したのかお暇することにした。
もう心配する必要はなさそうだし。
「その、送って行こうか…?」
「ん、大丈夫。すぐ近所だし」
真希は立ち去る直前、振り返りはっきりと言った。
「じゃあ、また明日ね」
「…うんっ」
その晴れ晴れとした表情を確認し、今度こそ彼女は立ち去った。
──今夜はよく寝れそうだ。
夜道を歩く真希を、星々がささやかに照らしていた。