その後、アプリを強制退会することとなったが。
そんなことは既に真希にとってどうでもいいことだった。
晴れて恋人同士となった二人であったが、特に関係性が変化したわけではなかった。
いつも通りに朝に会い。
昼を共にする。
休日は真希の部活の後、少しだけ一緒に過ごす。
振る舞いも、過ごし方も外から見える部分で特に変化はなかった。
それでも、確かに関係は進展した。
今は何も変わらない。
それでも、これからのことを考えるようになった。
これから先も、共に居ると思うようになった。
それだけのこと。
「あれ?」
休日。
拓真の部屋に訪れた真希は、部屋に置かれた学校案内のパンフレットを発見する。
不思議なことではない。
彼女たちは既に高校三年生なのだ。進路のことを考えるのは当たり前と言っていい。
しかし、複数あるパンフレットはどれも共通点があった。
──スポーツ大学…?
そう、パンフレットはどれもがスポーツ学科が存在する大学のものだった。
「あ、ちょっと。見るなよ」
「スポーツ大学に行くつもりなの?」
「…ああ」
隠していたようで、見つかったことに気まずさを覚えつつ。拓真は答えた。
「元々、進学はするつもりだったけど。どの分野に行くまでは決めあぐねてたから…ちょうどいいと思って」
「私のため?」
相変わらず直球だな…。と、拓真は内心呆れる。
「うん。前さ、食事の時に不安になるって話をしてたから。
他にも選手が不安になるときに、手助けできるようになれたらいいなって。
単純だけど」
「ううん」
単純だと自虐する言葉を、真希は否定する。
「別に卑下することないと思う。夢とか目標って決まるときはそんな感じで軽い気持ちが最初なもんだと思うし
私だって…」
そう、自分だって。
その時、まるでそれが呼び水になったように。彼女の中の原点の記憶がよみがえる。
幼少期、無邪気にかけっこで遊んでいる自分。
その隣には共に駆ける男子。
ほぼ横並びの勝負は、辛うじて自分の勝ちだった。
勝った。
そのささやかな喜びは、自分の中に焼き付いた。
すっかりその記憶は忘れても。
その時の感情は。
その時の心の高ぶりは、彼女の心に残り続けていた。
「ふふっ」
「なんだよ、いきなり笑って…」
「何でもない」
彼女はごまかす。
教えない。この事実は彼だけには一生の秘密にすると決めた。
「でも、スポーツ科ってことは。
将来はスポーツドクターかトレーナーとか?」
「スポーツ栄養士、とかもあるかな」
その言葉を聞いた、真希は目を輝かせる。
「いいね、それ。
じゃあ将来は私が選手になって、あんたに日ごろの管理とか専属でやってもらおうかなー」
少女の夢想を聞いた拓真は、
「いや、上手くいってストレートにそういう職につけたとしても。ペーペーの新米に任せないで実績ある人を雇った方がいいと思うぞ」
現実的な返答で返された。
「‥‥」
分かっている。
彼の言葉が正論であり、理屈は通っていること。
しかしながら、自分が恋人と二人三脚で歩む理想の未来を述べた返答がそれは。
いささか情緒がなさ過ぎだと思う。
「そういうこと言ってんじゃないっ」
「ぐっ…!」
不服だったので、脇腹を軽く殴っておいた。
最近、自分の心にアスリートとしての現実的な部分と。
女の子としての夢見がちな部分が同居しているのを感じる。
頭では分かっていても、心が反発する。
難儀なものだ。
「‥‥」
難儀なものだが、それが心地よく感じる自分も。
確かに存在するのだった。
* * *
試験が無事に終わり、赤点どころか例年よりも成績が上がって自他ともに認める最良の結果を残した真希。
そして今日、ついに高校最後の大会を迎える。
正確には、全国大会の地区予選だ。
憂いは何もない。
体調も、完全ではないが不調でもない。問題ない。
控室からトラックへと出場すると、武者震いが起こる。
──大丈夫。
興奮はしている。
しかしちゃんと落ち着いてもいる。
相反するような感情が混ざり合った複雑な精神状態だが、それが自分にとって万全だと経験で分かっている。
──大丈夫、私は勝つ。
所詮は地区予選…などと侮っているわけではない。
油断しているわけでもない。
ただ、自信があった。
それだけだ。
ウォームアップをこなしつつ、会場となっている運動場。
その観客席に目をやる。
──居た。
約束通り、彼はそこにいた。
観戦に来てくれていた。
そのことを認識して彼女は微笑む。
こちらに向かって手を振り何かを叫んでいるようだが、流石に聞こえない。
それでも、気持ちを受け取った証として。彼に向かってうなづいた。
これで十分だ。
浮かれないように。
舞い上がらないように、己を自制し。
彼から目をそらした。
彼女は既に生粋のアスリートだ。
色恋程度で試合に影響が出るほど、心を乱されはしない。
それくらいのセルフコントロールは身に着けている。
──見てろ。
だから、淡々とそう思った。
無駄な交信はなく、ただ態度で示すことにした。
スタート位置に着く。
これはただの通過点だ。
それでも確かに最初の一歩だ。
これが未来へと続いていく。
結果へと続いていく。
そして、
合図が鳴った──。
end mark.