「ホントに使えた…」
放課後、コンビニで買い物をした彩香は呆然と自分のスマホを眺めていた。
正直まだ半信半疑だったが実際にポイントを決済アプリの残高として利用し、ようやく完全に信用するに至ったのだ。
「‥‥」
特に悪いことをした、という訳でも無いはずだが。
しきりに辺りを見渡して人目が無いか気にしてしまう。
そそくさとその場を立ち去った。
奇妙な高揚感は、歩を進めるごとに沈静化し数十メートル先の信号に捕まった時ようやく落ち着いた。
信号待ちの間、今一度スマホを眺める。
今日一日で獲得したポイントは2500円分。
『挨拶をする』100P。
『1秒間目を合わせる』100P。
『3秒間目を合わせる』200P。
『1分間会話をする』300P。
『相手の身体に触れる』500P。
『相手の名前を呼ぶ』500P。
『授業中に落とした文房具を拾う』800P。
内訳はこの通りだ。
今までろくに関わってもいなかったクラスの地味な男子に、いきなり優しくなんてしたら悪目立ちするだろうと。
無理をせず、隙を見てミッションを達成していたが。思いのほか数をこなせた。
彩香は金を稼ぐ目的のために、普段は見向きもしない男子に優しくすることを許容したが。かといって納得しているわけではない。
自分よりも数段レベルの低い男に配慮するなど、プライドと自尊心にヤスリをかけられている気分になる。
そしてそんな状況を周りの人間に認知されるのは更に不愉快だ。
もし仮に、ミッションの対象であるモテない男子から「下手に出ているあいつは、自分たちよりも立場が下」なんて認識されでもすれば軽く殺意が湧くだろう。
なら逆転の発想だ。
自分は立場の弱い奴に優しくしているんじゃなく。
誰にでも分け隔てなく優しくしているのだ。
モテる男子も、モテない男子も。
強者男性も、弱者男性も。
イケメンも、ブサイクも。
金持ちも、貧乏人も。
区別も差別もなく。
現に、今朝がた彩香が挨拶のミッションを行っていたが。
その相手はリストに載っている男子だけでなく、所謂カースト上位の男子や女子にも挨拶を行っていた。
いわばカモフラージュともいえるだろう。
自分とは釣り合わない男子に優しくしているという状況は気に食わないが、誰にでも優しくするために結果として優しくするのは。幾分精神衛生上マシであった。
もちろん、八方美人なんて面倒だし何かしらの反感を買う可能性もあることは理解していたが。
背に腹は代えられん。プライドを守るためだ。
そんな心構えが功を奏し、思わぬ成果もあった。
達成したミッションの最後の一つ。
『授業中に落とした文房具を拾う』に関しては全くの偶然の産物だったりする。
ミッションは誇張抜きで千差万別といっていい種類があり。
達成の通知をアプリ内で受けるまで、そんなミッションがあったことすら知らなかった。
ただ単に、「分け隔てなく優しくする」の延長で。何気なく授業中落ちた消しゴムを拾って手渡しただけだった。
こういうことがあるなら普段から周りに親切に、を心がけた方が不自然じゃないし効率的だろう。
彩香はそういう風に「納得」することにした。
「納得」が出来れば、多少の苦労も屈辱も耐えられると思った。
‥‥当初は働く苦労から逃げるためだったはずが、なんだか別種の苦労をしょい込んでしまっているような気がしないでもないが。
ともかく、今日一日で2500円も稼ぐことが出来たことは事実。
これをひと月、土日を除いて四週間分でざっくり計算すれば2500×5×4で5万円。
学生バイトの平均月収が5万円強という話は聞いたことがあるため飛びぬけて多いとは言えないだろうが、自分は学生生活のスキマ時間でこの金額を手に入れることが出来るのだ。
この事実は彩香の自尊心を大いに満たした。
周りの友人たちが放課後や休日に何時間もびっちりシフトを組み、ひぃこら言って汗だくで得た金を。自分は学生生活の延長で気楽に得ることが出来る。
金を得る、とは別のモチベーションがふつふつと湧いてくるのを感じる。
──この調子なら、欲しかった新作は来週には買えそう。いや、もうちょっと頑張れば手が出なくて諦めてたバッグやアクセサリーだって…!
この先の希望的展望を夢想し、含み笑いが止まらない彩香だったが。
とっくに目の前の信号が青になっていることも気づかず、立ち止まってニヤニヤ笑っている様子
を周囲の人間に奇異な目で見られていた。
そのまま信号は赤になった。
* * *
彩花がアプリを利用し始めてから二週間が経過した。
その間、彩香の生活はバラ色…とまではいかなくとも充実した日々を過ごしていた。
今までのように、学校の自販機や放課後のコンビニで財布の中身と相談するなんて小さな悩みはとは無縁となり。
ショッピングでは以前より確実に多くほしいものを購入できる。
なにより、周りの同級生に自分の財力を見せつけられるのは最高に自尊心が満たされた。
そのためこの時にはもう、モテない男子に優しくすることへの嫌悪感は大分薄れていた。
人間ある程度の徳が得られるのならば、不愉快や苦痛に耐えられるようにできているものだ。
尚且つミッションというソーシャルゲームのような仕様に、彩香は達成感や快楽を感じ始めていた。
実利に加え、分かりやすい成果の実感。
もしかすると彼女が生まれて初めて「やりがい」というものを実感していた日々だったかもしれない。
…その時まで。
「じゃーん」
とある朝。
そんなわざとらしい擬音を口にし、彩香の女友達は手に持ったものを見せつけてきた。
「うっそ…」
その手に握られているものは、ブランドのハンドバッグ。
相当な高級品であり、例えファッションに詳しくない人間でも知っているほど知名度も人気も高い。
現に、グループの女子は口々に羨望の声をあげながらバッグを持つ少女を取り囲む。
すごい。羨ましい。
そんな称賛の言葉が飛び交い、グループは彼女を中心に湧き立つが。
彩香は薄々理解していた。
彼女がどうやってそんなものを買えるくらいの大金を用意したか。
あるいは、誰かから贈られたか。
しかし、誰も指摘しない。
そう決めつけるのは失礼にあたるからか。
はたまた、自身も痛い腹を待っているからか…。
彼女らの場合は後者だ。
実行こそしなかったが、確かに悩んだ事はある。
自分も実行する可能性があった、もしくは今後実行するかもしれない。
だから今他人に指摘して、今後自分がやりづらくなる雰囲気を作りたくない。
周りの女子もそう考えているのだろうと「彩香は」察した。
無論、アプリで収入を得ている彩香も指摘は出来ない。
かえす刀で「では最近金遣いが荒くなったお前は、どうやってその金を得ているのか」と問い詰められれば、『答えられない』からだ。
答えられなければ、自分も同じ事をしていると決めつけられたとしても否定が出来ない。
結果、何も言えない。
何も言えず、ただ目の前の女子が周りから羨望を向けられる様を見るしかない。
そして──、
* * *
「ムカツク…」
放課後、帰路につく彩香の足取りは荒々しかった。
「ムカツクムカツクムカツクムカツク…!」
胸中にはふつふつと煮えたぎるような怒りが渦巻いていた。
原因はもちろん今朝の出来事である。
自分以外が羨望を受けることにもいら立ったが、決定的だったのはバッグを持ってきた女子と目が合った瞬間だった。
「見下しやがって見下しやがって見下しやがって…!」
目が合った瞬間、「彩香が」感じたのはこちらに対する嘲笑だった。
──私よりもブスのくせに、どうせきったねえ親父に媚び売って金をもらったくせに…!
私だって、やろうと思えば同じことが出来るんだよ…! でもやらなかったんだよ、お前と違って! 同じことすれば私の方が上だっつーの!
なんとも失礼な思考が止まらない。
大抵こういう見下しは、自分も相手から似たようなことを思われているものだし。周りから見ると、お互いそんなに大差がなかったりするものだが。
狭量な女子高生であり、怒りで思考が短慮になっている彼女はそんなことに思い至るわけもなく。
帰宅し、自室に入っても怒りは収まらない。
スクールバッグを乱暴に投げ出し、ベッドに倒れこんだ。
枕に対して八つ当たりの拳を振るい、ようやく人心地がつく。
スマホを取り出し、ブラウザで今朝のブランドバッグを調べる。
…やはり今の自分でも逆立ちしたって手が出る金額ではない。
しかし、今の彼女は味わった屈辱の意趣返しをすることに思考がとらわれていた。
彩香はブラウザを移動し、同じブランドのさらに高額な商品を何品か探し出した。
「これだ。これを買えばあのブスに一泡吹かせられる…!」
思考がどんどんと歪んだ方向に進んでいく。
が、幸いだったことが。見つけ出した商品たちは、先ほど逆立ちしても手が出ないバッグよりも数段上の値段だったことだ。
どれだけ捨て鉢になろうと、ない袖は振れん。
同時に不幸だったことは、彼女が手に持つスマホには。その不可能を可能にできるかもしれない手段が入っていたことだ。
すぐさま件のアプリを起動し、ミッション内容を確認していく。
「なにか…、なんかないの! もっと稼げて、効率がいいやつ!」
だが、そううまい話はない。
ミッションには、いわゆるクールタイムのような仕様があり。一度ミッションを達成すると、同じミッションを再開するまで待機時間がかかる。数時間だったり数日だったりとミッションによってその時間はまちまちだが。簡単なミッションで数をこなして大金を稼ぐという手段は使えない。
さらにミッションで獲得できるポイントは平均が数百ポイントほどで、探した中でも最大は5000Pだった。
その内容も…。
「アホかっ。デートする? 相手の家に行く? あんな男子相手にそんなことできるか気色わりぃ!」
アプリを利用しても自分の目論見を達成することが困難であることを察した彩香は、スマホを乱雑に枕へと投げつけた。
床や壁でなく、壊れない公算が高い枕を狙うあたり彼女の性格が透けて見えるようであったが。
枕から反発を受け、二回ほどバウンドしたスマホはマットレスに滑り落ちた。
その瞬間、通知音が響く。
「‥‥?」
自分が設定した通知音ではない。
アプリ内の特殊なものであったようで画面を確認すると。画面下部のメニューバー。
その通知欄のアイコンに通知バッチが表示されていた。
こんなことは初めてである。
思えば使用している間、この手のアプリにはつきものな露骨な広告や評価・レビューの催促などは全くなかった。
だからだろう。
普段そういったアプリの通知にはろくに目を通さない彼女も、興味本位で通知を開いた。
「‥‥機能の解放?」
内容はユーザーとなって一定の基準を満たしたため、機能が解放されたというものだった。
文章をスワイプし、内容を確認した彩香の瞳には困惑が。
しかし内容を理解するにつれ。その後どんどんと喜色があふれ出し、らんらんと輝き始めた。
追加された機能は、ミッション対象の限定化。であった。
アプリ内にある男性のリスト。
その中から一人を選択し、今後その対象にのみミッションが適応される。つまりそれ以外の男性にミッションに該当する行動をとっても、達成扱いにはならなくなるということだ。
一見、達成の機会が減り効率が下がるかに思えるが。それによるリターンはあまりにも大きかった。
限定化を行うと、なんとミッションの報酬がすべて5倍になるのだ。
以前アプリを利用すれば月に5万円ほどが稼げると単純計算を行ったが、それが5倍。
月に25万円を稼ぐことも出来る。
「‥‥クッ、ククク…」
こみ上げるような、端からは僅かに聞き取れるような笑いが止まらない。
まるで悪役のような歪んだ笑みを彼女自身は自覚していなかったが、たとえ他人に見とがめられてもやめることはできなかったであろう。
それほどまでに、その瞳は欲望でどす黒く染まっていた。
ようやっと、漏れ出る歓喜の熱が鎮まり我に返った彩香はあわててアプリ内のリストを表示させた。
相変わらず地味でぱっとしない容姿が並ぶそのリストを、彼女は過去類を見ないほどの真剣さで目を通していく。
どんぐりの背比べのような比較だが、それでもまだマシだと思える相手を選びたい。
相手と自分との関係も重要だ。
効率のいいミッション達成のため、頻繁に関わりに行けるくらいには近く。
周りの人間に不愉快な邪推をされないくらいには遠い関係。
その二つを加味し、やがて彩香はひとりの男子を選んだ。