拓真と仲良くなったきっかけを、真希は覚えていなかった。
幼稚園に入るころには近くにいたような気がしているが、それすらも定かではない。
他人からそうだと言われれば、そのような気がしてくるし。
違うと言われれば違うような気もしてくる。
はっきりしているのは、一緒に走っていたというイメージだけ。
鬼ごっこのような遊びだったか、それとも単純にかけっこでもしていたのか。
走っている自分の隣を、彼は共に駆けていた。
一種の原風景のようなものだろう。
経緯は覚えていなくとも、そうだったという事実は覚えている。
気が付いた時には、よく遊ぶようになっていた男の子。
そのままお互いに成長し、小学校。中学校。…そして高校まで一緒だった。
それに関して、何かしらの意図があったわけではない。
家が近所だったので、小中は同じ学区だったというだけの話であるし。
高校に関しては、真希は推薦によって合格していたため。一般入試は受けていないし、誰かと一緒に勉強もしていなかった。
そのため、彼が自分と同じ高校を第一志望に受験していたことを入学の直前に知ったくらいだった。
旅行中や毎日の登下校でも、たまにあったりするだろう。
全くの赤の他人と、同じ駅で同じ電車に乗って。乗り換えや降車駅まで一致し、しばらく一緒に居ることになるなんて経験。
真希にとって拓真とは、そんな感じの対象だった。
そんな感じの対象だったから、彼女は彼がいつの間にか自分のそばから消えていたことに気付かなかった。
親しくなったきっかけを覚えていなかったように。
疎遠になったきっかけも、彼女は覚えていなかった。
* * *
「おはよ、拓真」
「…おう、おはよう」
朝練のあと、昇降口で拓真を待ち一緒に教室に向かうようになってから一週間。
以前から変化したルーチン、しかし彼女らの生活は何ら代わり映えはしていなかった。
それもそのはず、一日で二人が関わる時間はこの登校から教室に入るまでの数分間しか存在しなかったからだ。
挨拶をして、教室に向かう間ぽつぽつと言葉を交わし。互いの教室に分かれていく。
袖すり合うも多少の縁、なんて言うが。まさしく二人の関係を表すにぴったりな言葉のような気がする。
一瞬、袖をすり合わせるように数分間だけ歩調を合わせる関係。
仮にそれをなんと言うのだろうか?
分からないが、真希はそんな疑問に答えを出す気は特になかった。
暇もなければ、意欲もない。
そもそもそんなに興味もない。
彼女にしてみれば、アプリのミッションをこなす相手にちょうどいい。
付き合いだけは無駄に長い男の子と無理なく関わりが持てればいい、と考えていただけだった。
帰結は謎だが、理由は明確。
彼が一番都合がよかった。
普段部活に勤しんでいるため、他人と一から関係を構築する手間をかけられないが。
幼馴染だった彼ならば、久しぶりに顔を見て気まぐれで関わるようになった。というカバーストーリーにそこまで違和感はないだろう。
同上の理由で、関係を維持するために割く時間がない。
しかし彼とはとっくに疎遠になっているので、今更深くかかわる必要もない。
限定化も済ませているので、この数分間のやり取りでもそこそこなポイントを稼げてもいる。
まさに好都合。
「じゃあ、また」
「あ、おう…」
3年生である彼らの教室があるのは校舎の三階。
階段を上る間も、一言二言会話をし。同線上、先にたどり着く真希のクラスの前で二人は別れる。
5日。土日を除いた一週間続けられた彼らの交流である。
まだいつものこと、とは表現できないだろうが。
慣れ始めたと言える、ささやかなコミュニケーション。
今日の分は、これでおしまい。
* * *
この高校には学食がない。
正確にはなくなった、だが。
生徒数減少だとか、物価高だとか。
はたまた、生徒の食べ残しによる残飯が多すぎることが問題になったとか。
いち生徒である真希が知る経緯は、要領を得ない。
ともかく真相は定かではないが、多数の大人たちが厳正に精査した結果。
彼女が入学する数年前に、学食の廃止が決定したらしい。
当時は生徒や保護者からの反発が大きかったようだが、結果は覆らず学食は閉鎖。
今では学校が契約したパン屋が営業している校内販売に変更された。
そのことに関して、真希が何ら思うところはなかった。
‥‥なかったのだが。
「まじかー…」
校内販売に高校入学からこっち初めて訪れた彼女は、呆然と立ち尽くしていた。
目の前に並べられた、パン屋のロゴがプリントされたフードコンテナには商品がほとんど残っていない。
今まで校内販売を利用したことがなかったため、こんなにも早く商品が無くなるとは知らなかった。
昼休みが始まった直後、人でごった返していた状況を嫌がり。人が減るまで、先に自販機で飲み物を買っていたのだ。
どうせある程度は商品も残っているでしょ。なんて、楽観的に考えていた自分を呪った。
もう一度、商品が載ったコンテナを見やる。
残っているのは、ラスクなど人気が低い商品が数点。
どう考えても腹の足しにはならなさそうだ。
アスリートである真希の食事量は多い。。少なくとも、菓子パンの一つや二つでは満たされぬほどには。
加え、栄養的に偏ってしまうことも購入を躊躇させた。
野菜サンドやBLTといった、バランスのいい総菜を狙っていたのだが。そういった商品は人気が高く、早々に争奪戦になってしまう。
「はあ…」
学食があれば…と。思考内で学校の運営体制に苦言を呈する真希であったが。
今までその体制を特に問題視したこともない癖に、いざ自分がその不利益を被ったときに恨み言を吐いてしまうのは何とも俗人的というか。
人間とはさぞ勝手なものである。
スマホで時間を確認すれば、昼休みが始まってすでに10分以上が経過している。
昼休みは45分なので、残りは30分程度。
彼女は学校から最寄りのコンビニにひとっ走りして買い物をする選択も考慮したが。
やはり、今までそんなことをした経験はないので。往復にどれだけの時間がかかるかも分からない。
そもそも、休み時間に勝手に外出するのは明確な校則違反である。
バレたところで多少説教を食らう程度の処分にとどまるだろうが、陸上部に迷惑がかかるようなことは避けたい。
「‥‥」
数秒で倫理と損得の勘定を済ませた彼女は、売れ残った商品に手を伸ばす…。
「さっきから何やってんの、お前」
直前、声をかけられた。
声の主は。
「拓真…」
件の関係不詳の男子生徒が、そこには居た。
片手には抱えるように校内販売のパンが数点。もう片方には自販機のジュースが握られている。
どうやら、真希とは逆の順番でそれらを購入したようだ。
もしかしたら普段校内販売を利用する生徒にとっては、それが定石なのかもしれない。
「あー、えっと…」
まるでばつが悪いところを見られたとでも言うように、頭をかく。
実際多少の気恥ずかしさを覚えていた。
三年生になって初めて校内販売を利用し、勝手が分からず購入に失敗。
まるで、常識のなさが露呈してしまったかのような気分だ。
「…あっ」
相手の顔が見れず、気まずげに視線をさまよわせたところで。
その腕に抱えた、BLTサンドが視界に入った。
* * *
「いやー、ホントありがと」
彼から購入したサンドイッチを完食し、包み紙を畳みながら手を合わせる。
その合掌は、感謝なのか食後の挨拶なのか判断がつかない拓真は微妙な笑みを浮かべた。
「まあ、よかったよ。ちょうど会うタイミングで」
「うん、グッドタイミングだった」
感謝の意を伝えるため、再び拓真に向けて合掌する。
今度は間違いないだろう。
「…にしても、なんで今日だけパンなんだよ。弁当じゃなかったけ?」
「あー、それにはいろいろ事情が…」
今朝がた、母片の実家から連絡があり。
どうやら昨日の深夜、祖父が体調不良になり病院に担ぎ込まれ急遽入院することとなったということで。母が様子を見に行くことになったのだ。
慌ただしく家を出て行く際、申し訳なさそうに朝食と弁当が用意できない旨を謝られ。むしろこちらが申し訳なくなった。
少しでも罪悪感を減らすために、学校でパンでも買うから問題ないと気にせず母を送り出したのだが。
…結果はこの体たらくであった。
「それはそれは、なんというかお大事に」
「うん…」
結果から言えば、祖父の容体は大したことはなく一週間と経たずに無事退院することになるのだが。
現時点では、未だ連絡などはなく。心配が続いていた。
しばし沈黙。
そんな空気を払しょくしたかったためか、真希は多少わざとらしく言葉を発する。
「そんなことより、お前っていつもここで食べてるの? 昼」
「え、ああ。うん」
現在彼女らがいるのは、現在は使用されていない空き教室だった。
パンを譲ってもらうように交渉したあと、教室とは逆方向に向かう拓真になんとなしについていき。そのまま昼食を共にすることと相成ったわけだ。
「いいの? こんなとこで飯食べて」
「ちゃんと先生に許可とってるから、いいんだよ」
曰く。
昼休みも勉強したいが、教室だと周りの生徒が騒がしく集中できないと交渉し。空き教室の鍵を公的に借りているらしい。
もちろん、普通はそんなに簡単に鍵など借りれないが。
彼は普段優等生で通っており、成績も優秀のため。教師からの信頼の貯金があるとの事。
その話を聞き、そういえばこいつは特進クラスの生徒だったな…と真希は彼のパーソナルな情報を思い出した。
彼女たちの学校は二年に進学する際に、理系文系の選択のほかに。普通コースと特進コースの選択も合わせて行われる。
真希は部活に打ち込んでいたため普通教室を選んだが、彼はいつの間にか部活を辞め特進へ──。
──あ。
彼女は思い出した。
彼が元々、男子陸上部だったこと。
そして自分の知らないうちに部活を辞めていたことで、すっぱり関わり合いが無くなっていったこと。
当初は心配もしていたが、部活動に打ち込んでいくうちに意識から薄れて行ったこと。
やがて、存在自体も気にしなくなったこと。
そんなことを、
今更…思い出した。