【カオ転三次】×よう実 鬼になる一之瀬帆波   作:ねむのき

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第1部 第3章
第1話 「日常の裏の鍛錬」


 応接室の窓から、朝の光がテーブルへ差し込んでいた。帆波は椅子に腰を下ろし、膝の上へ鞄を置いた。昨日、母へ渡した封筒は、もうこの中にはない。その空いた分を思うと、荷物が軽くなった以上に、胸の内が明るくなった。

 もっと、できることがあるかもしれない。

 そう思って、今日も来たいと自分から伝えたのだった。母からは無理をしないよう念を押されている。だからこそ、昨日のように傷を負っても動けたという自信だけで、次も同じようにできるとは思わない方がよい気がした。きちんと教わり、自分で判断できることを増やしたかった。

 エースが向かいの席へ座り、テーブルへ資料を置いた。

 

「続けてやってみたいってことで、いいんだな」

 

「はい。もっと、自分にできることを知りたいです」

 

 帆波が答えると、彼は頷いた。

 

「じゃあ、先に組織の話をしておこう。仕事をするなら、知っておいてもらうことがある」

 

 帆波は鞄を脇へ置き、姿勢を正した。

 ガイア連合は、特殊な力を得た者たちが、生きていくために助け合うところから始まったのだという。今では行政や民間から依頼を受け、各地の異界や悪魔に対処している。昨日見た港や、ジュネスの地下にあった施設も、その活動につながる場所だった。

 

「ただ、何でも面倒を見る組織だとは思わないでくれ。組織に不利益をもたらさない限り、私生活や個人の選択には干渉しない」

 

「学校でのことも、ですか?」

 

「ああ。学校でどういう立場になるか、誰とどう付き合うかは、お前が決めることだ。力のことを隠すのも、誰かに知られるような行動をするのもな。その結果まで、連合が全部引き受けるわけじゃない」

 

 帆波は少し考えてから頷いた。困ったらエースが何とかしてくれると思ってしまえば、学校での一つひとつの振る舞いまで軽くなるかもしれない。けれど、彼が教えてくれたのは、任せておけばよいという話ではなかった。

 

「自分で考えて、責任を持つ、ということですね」

 

「そういうことだ。分からないことは聞けばいい。だが、聞く前から、誰かが都合よく片づけてくれると思うなよ」

 

「はい」

 

 その言葉が冷たいとは感じなかった。教えてくれる人がいることと、自分で何も決めなくてよいことは違う。昨日、戦ってみたいと答えたときにも、彼は帆波の返事を待っていた。

 エースは続けて、依頼を受ける窓口について説明した。一般には各地の支部を利用する者もいるが、全寮制の学校で暮らす帆波が、自由に外へ出て通うことはできない。

 

「お前の場合、ここの臨海支部を使うことになる。ただ、臨海支部は特殊な支部で、ここには一般向けの受付がない。だから、俺が窓口も兼ねる。俺が依頼を見繕ってお前が選ぶ形をとる」

 

「それで、エースさんが直接……」

 

「ああ。何かあれば俺に連絡してくれ」

 

 帆波は頷いた。これからも彼を頼ってよいのだと分かると、それだけで少し嬉しかった。仕事上の担当という意味で言われたのは分かっている。それでも、連絡してよい相手として、この人の名前があることが心強かった。

 

 最初に渡されたのは、金一色のカードだった。帆波は両手で受け取り、光の当たり方で変わる表面を見た。

 

「ガイア連合の身分証だ。なくさないようにな」

 

「はい。大切にします」

 

 鞄へしまうと、次に衣類と靴が用意された。昨日借りた黒いジャージとは違っていた。白を基調としたブルゾンには、肩や腕、背中へ太い黒のラインが走っている。傍らにはシャーベットオレンジの短めのインナーと、セージグリーンのゆったりしたカーゴパンツが畳まれていた。靴はシルバーとライトグレーを組み合わせたもので、見た目には街で履いていても不思議のないスニーカーだった。

 帆波は白い袖へ指を触れた。昨日の戦場を思い出すと、この明るい色の服を着てそこへ立つ姿は、少し意外だった。

 

「これが、戦うときの装備なんですか?」

 

「ああ。お古で悪いが、十分使えるものだ」

 

「中古……なんですか。すごくきれいですね」

 

「普通の服とは違って、洗浄は自動で行われる。ただ、破損したときは申し出てくれ」

 

 帆波は袖から手を離し、改めて装備を見た。洗わなくてよい服というだけでも不思議なのに、これは身を守るためのものなのだという。昨日、爪で裂けた袖を見た後だけに、外見だけでは分からないものがあると感じられた。

 着替えるために別室へ案内され、帆波は一人で服を替えた。ダークグレーのリブ編みのソックスを履き、カーゴパンツの裾を絞る。白いブルゾンを羽織ると、短いインナーのオレンジが胸元から覗いた。鏡の中では、黒いラインが肩の動きを引き立て、ゆったりしたパンツの裾から銀色の靴が見えている。

 

【挿絵表示】

 

 

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 肘を曲げ、腕を伸ばした。服は動きについてきた。不思議とサイズも、自分にあったものに変わっている。肩を回しても重さが邪魔をせず、腰を落としたときにも、膝のところで生地が突っ張らない。防具を着たというより、身体を動かすための服へ着替えた感覚に近かった。

 部屋へ戻ると、エースが足元から肩まで確かめた。

 

「動きにくいところは?」

 

「ありません。普通の服みたいです」

 

「見た目で油断するなよ。守ってはくれるが、当たっていいってことじゃない」

 

「はい。昨日みたいに、避けたつもりにならないようにします」

 

 エースは頷き、テーブルの小さな箱を帆波の方へ寄せた。中に入っていたのはスマートフォンだった。帆波は受け取り、手の中で裏返した。学校の端末とは別の機種だが、ごく普通の携帯電話に見えた。

 

「ガイアコーポレーション製だ。こっちの基地局設備を使うから、学校の端末にかかってる外部連絡の制限は受けない」

 

 帆波は彼を見た。

 

「外へ、電話できるんですか?」

 

「ああ。普通に通話も通信もできる」

 

 画面を見下ろした。まだ何も設定していない端末が、急に別のものになった。昨日は母と直接会えた。今日は、その母へ、ここから声を届けられるものを渡されている。

 

「ただし、使い方は守れ。端末自体には、ほかの人間が見ても異常だと感じないように処理がしてある。見られる分には問題ないが、目の前で外と話してたら、通話の内容まではごまかせない。電話は自室だけでしてくれ」

 

「はい。誰もいないときに、自分の部屋で使います」

 

 帆波は言葉を確かめるように答えた。持っていることを隠すために落ち着かなくなる必要はないが、何をしても気づかれないわけではない。その区別を覚えておこうと思った。

 続いて、報酬の振込先を登録する手順を教わった。帆波は必要な項目を確かめながら聞いた。口座について確認することができれば、母へ尋ねる。そのための電話が、今、自分の手にあるのだった。

 

 支給品の説明が一通り終わると、帆波は新しい靴を見た。早く動いてみたかった。昨日より身を守れる服を着て、今ならどんなふうに戦えるだろう。

 エースは立ちかけた帆波へ、まだだ、と声をかけた。

 

「先に、何を練習するか決めておく」

 

 彼が手元を操作すると、室内のモニターに資料が映った。見出しと図が整理され、その端に、白いブルゾンを着た小さな人物の絵がある。長い髪と、前髪から少し覗く角を見て、帆波は瞬きをした。

 

「……これ、私ですか?」

 

「ああ。その方が分かりやすいだろ」

 

「いつ作ったんですか?」

 

「説明するのに使うと思ってな」

 

 返事を聞きながら、帆波は画面を見た。一晩で作ったのだろうか。文字の量も、図の置き方も、見れば自然に目が進むようになっている。雪山で火を扱い、悪魔を倒し、船を操っていた人が、今は手慣れた様子で説明資料を送っている。その違いが可笑しくもあり、どれだけできることがあるのだろうと、また知りたくなった。

 最初に示されたのは、敵の能力と耐性を見極めることだった。

 

「殴って倒せる相手ばかりじゃない。物理攻撃が通りにくい奴もいれば、離れたところから魔法を使う奴もいる。動けなくされれば、力があっても使えない」

 

 帆波は画面から彼へ目を移した。昨日のガキと戦えたから、次も同じようにすればよいとは限らない。知らない相手を前にしたとき、何を警戒すればよいかを知る必要があった。

 二つ目は、間合いや誘い、フェイントといった駆け引きだった。三つ目は、防御と、不利な状況への対処。画面の中では、一之瀬らしい小さな絵が複数の敵に囲まれ、次の図では位置を変えていた。

 四つ目には、異界での判断と撤退が挙げられた。

 

「出口や地形を見ずに奥へ入るな。勝てるかどうかだけじゃない。戻れるかどうかも考えろ」

 

 帆波は雪の森を思い出し、ゆっくり頷いた。帰る場所が分からないことの怖さは、もう知っている。

 最後に、自在に動く身体を戦術へどう使うかという話になった。複雑に動けることを見せるためではなく、必要な場面で必要な動きを選ぶための練習なのだという。

 帆波はもう一度、五つの項目へ目を通した。強くなるためにすることは、力を強くすることばかりではなかった。

 

 

 

 地下の演習場は、上の応接室より空気がひんやりしていた。60m以上の高い天井に、学校のグラウンドより広い床に立つと、足音が壁へ返り、二人の間の距離が分かりやすく感じられた。帆波は袖口を確かめ、エースの動きを見た。

 最初は、示された身体の動かし方をなぞった。足を置く位置を変え、腰を落とし、上体の向きと腕の動きを合わせる。順序が増えても、頭の中で形を捉えられれば、手足はそのとおりに動いた。途中で身体がもつれたり、力を入れる場所が分からなくなったりしない。

 

「もう一度、今のを」

 

 帆波は頷き、同じ動きを繰り返した。エースは足元と肩の動きを見てから、顔を上げた。

 

「身体操作は十分だな。じゃあ、次は相手が動く」

 

 向かい合って立つと、同じ床の上なのに、急に距離の意味が変わった。彼が動かなければ、どこまで踏み込めば拳が届くかは分かる。だが、こちらが踏み出したとき、その人も動くのだ。

 エースが重心と肩の動きを見せ、何を手がかりに攻撃を避けるか説明した。その後で、帆波が実際に拳を出した。

 狙った位置へ、腕は正確に伸びた。ところが、そこにはもう彼の身体がなかった。大きく跳んで逃げたわけではない。足が少しずれ、肩が引かれただけで、拳は上着の前を通り過ぎた。

 次は踏み込む距離を変えた。やはり届かなかった。伸びた腕へ軽く触れられ、その方向へ流される。身体を立て直すことはできるのに、攻撃が当たるところまで進めない。

 

「どうだ?」

 

「……思ったとおりには、動けてるんですけど」

 

「ああ。動けてるな」

 

「でも、そのとおりに、避けられてます」

 

 口にしてから、帆波は自分の拳を見た。相手がいる場所へ正確に打っても、その場所から動かれれば当たらない。速く、きれいに動けば解決すると思っていたところが、どこかにあった。

 エースが自分の肩を指した。

 

「殴る前に、ここが動く。お前がどこを見てるかも手がかりになる。俺は拳が出てからだけを見てるわけじゃない」

 

 帆波は彼の視線を思い出した。こちらの手だけを追ってはいなかった。足元へも、顔へも、注意が向けられていた。

 

「じゃあ、そこを見せないように……?」

 

「隠すだけじゃない。見せて、そっちへ意識を向けさせてもいい。相手が何に反応するか、確かめろ」

 

 もう一度向かい合った。帆波はすぐには拳を出さず、先ほど打った場所へ視線を向けた。足を踏み入れ、肩を動かす。彼の身体が応じたところで、そのまま打たず、向きを変えた。

 拳は、やはり届かなかった。けれど今度は、エースの足が先ほどより一つ余分に動いた。何も変わらなかったはずの間合いに、小さなずれが生まれていた。

 

「今のだな」

 

 声をかけられ、帆波は顔を上げた。

 

「反応を見てから、動きを変えた。最初から同じ場所を殴りに行くより、考えさせられる」

 

「少し、違いましたか?」

 

「ああ。身体を動かす力はある。それをいつ、どこへ使うかは、これから覚えることだ」

 

 帆波は息を整えながら頷いた。褒められたことが嬉しかった。それ以上に、さっきまで当たらなかった理由の一端が見えたことが面白かった。相手を見る。ただ目を向けるだけではなく、何に反応して、どちらへ動こうとしているかを見る。その難しさを、もう一度試してみたくなった。

 

 練習を終えたときには、肌に汗が浮いていた。帆波は呼吸を落ち着かせ、エースへ向き直った。

 

「明日も、朝から来ていいですか?」

 

「明日は短い依頼をやってみるか。小規模な異界での素材回収だ。実戦も兼ねてな」

 

「はい。お願いします」

 

「学校生活に支障が出ないところからだぞ。今日は帰って休め」

 

 すぐに返事をしかけて、帆波は笑った。自分ではまだ動けるつもりだったが、立ち止まると、練習を続けていた身体の熱が分かった。

 

「それと、自室に戻ったら、スマホの初期設定を済ませておけ。終わったら家に電話してみろ」

 

 その一言で、鞄の中の端末を思い出した。資料を見て、身体を動かしている間も、そこに入っていた。今夜、母へ電話できる。妹がいれば、その声も聞けるかもしれない。

 帆波は鞄へ手を添え、エースを見た。助けてもらったあの日から、この人は、自分では思いつかなかった次の道を幾つも示してくれている。今度は、学校へ戻っても家族から離れきらずにいられるものを渡してくれた。

 

「ありがとうございます。……本当に」

 

 頭を下げてから顔を上げると、彼はいつもの調子で頷いた。

 

「使い方だけは守れよ」

 

「はい。自分の部屋で、ですね」

 

 帆波は微笑んで答え、明日の挨拶を交わして支部を後にした。

 

 夜、自室の机には、二台の端末が並んでいた。学校のものと、今日渡されたもの。扉が閉まっていることを確かめてから、帆波は椅子へ腰を下ろした。昼間に教わった手順を思い出し、画面の指示に従って設定を進める。

 入力を終え、使えるようになった画面を見つめた。たったそれだけの操作の後に、学校へ入ってから届かなかった場所への道が開いている。

 実家の電話番号を入力し、数字をもう一度確かめた。知っている番号だった。忘れていないことが、少し嬉しかった。

 通話の印へ指を触れた。耳へ当てると、呼び出し音が聞こえる。帆波は背筋を伸ばし、空いている手を膝へ置いた。何から話そう。昨日は会えたが、美帆のことも、家のことも、聞き足りないままだった。

 呼び出し音が途切れ、聞き慣れた声が耳元へ届いた。

 

「はい、一之瀬です」

 

 帆波の口元に笑みが広がった。机の向こうにある壁も、閉めた部屋の扉も、その声を遠ざけるものではなくなっていた。

 

「お母さん? 私だけど――」

 




フルアーマーほなみちゃん:
「あの人からもらったお洋服♪」

黒札仲間からお古を集めたエースくん:
「上着は確か、南光太郎なりきりセットのいい奴があったはず。他はさすがにまとめて女性陣に頼むか。俺、ファッションセンスなんざ無いし」
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