原作との差異まとめ
一之瀬クラス(B)
・白波千尋の退学
・クラスポイント542→762
・プライベートポイント1600万消費無し
・神崎がリーダー
Dクラス
龍園クラス(C)
・龍園翔の退学
・クラスポイント540→320
・400万提供なし、龍園の結んだ契約は退学によって破棄
・金田がクラスをまとめようとしている
四月の光は、冬より高い位置から教室へ差し込んでいた。窓際の床にできる明るい帯は短くなり、開いた窓から入る空気には、陽に暖められた土の匂いが混じっている。教室の前面では、壁と一体になった大型モニターが白い画面を広げていた。以前の黒板は撤去され、窓からの反射を受けた画面の端に、生徒たちの姿が薄く映っていた。
机へ鞄を置き、帆波は学校指定のタブレットを取り出した。進級に合わせて全員へ支給された端末には、教科書も、ノートとして書き込むための機能も収まっている。画面を開けば、その日の連絡と授業の教材が並んだ。課題の提出も小テストも、これからはこの端末を使うことになる。
学校の独自サーバーにつながる端末で、自由に外部のサイトを開いたり、好きなアプリを入れたりはできなかった。使えるのは学校が認めたものだけだったが、帆波にはそれでよかった。学校で必要なことを済ませるための道具として、使い方が分かれば困らない。
連絡を確認しながら、放課後までに済ませなければならないことを頭の中で並べる。学校での用事が長引けば、そのぶん支部へ向かうのが遅れる。帰ってからできる課題はあっても、わざわざ持ち越す理由のないものは、ここで終わらせておきたかった。
「帆波ちゃん、おはよう」
顔を上げると、網倉麻子が机のそばに立っていた。人の輪へ入るときも相手の様子を確かめてから話しかける、いつもの柔らかな笑顔だった。帆波も笑みを返す。
「おはよう、網倉さん」
「春休み、ゆっくりできた?」
「うん。よかったよ」
母と美帆の顔が浮かび、答える声は自然に明るくなった。餃子を並べた皿や、帰ると伝えたときの美帆の返信まで思い出しかけて、そこで言葉を止める。学校に知られていない帰省の話を、ここでするわけにはいかなかった。
「網倉さんは?」
「私は、買い物に行ったりしてたよ。新学期になったら着ようと思って、服も買ったんだけど」
網倉は少し笑って、買った服の話をした。帆波は相槌を打ち、似合いそうだね、と答えた。色を聞けばどんな服かは想像できるし、楽しそうに話す顔へ笑顔を返すことも、難しくはない。
けれど、その先をもっと聞きたいとは思わなかった。袖の形や、一緒に店へ行った相手のことへ話題が移るのを聞きながら、机の画面へ一度目を落とす。次の授業までに読んでおきたい箇所があった。話が終わったら、そこを開こうと考えてから、網倉へ視線を戻した。
「今度、時間があったら見に来てよ」
「うん。今日はちょっと用事があるから」
「今日じゃなくてもいいよ。また今度ね」
網倉が気軽に言い直したので、帆波は微笑むだけにとどめた。いつなら行けるかを考えたり、代わりの日を示したりはしなかった。自分の席へ戻っていく背中を見送ると、電子教科書を開き、さっき確かめようとしていた箇所へ目を向けた。
机を挟んだ向こうで、柴田颯が男子たちと端末を見比べていた。身振りを交えながら話す声はよく通り、何人かがそちらへ顔を向ける。誰かの冗談に教室の一角が明るくなっても、帆波の目は画面から離れなかった。
以前なら、自分も話に加わっていたはずだ。輪の外にいる生徒へ目を向け、何を話せば入りやすいかと考え、笑っていない顔があれば気になっていた。誰と誰の間が少し気まずいのか、昨日までと様子の違う人はいないか。そんなことを、頼まれなくても見ていた。
今は、何も気にならなかった。画面を送る手を止め、帆波は教室を見渡した。知っている顔があり、知っている声がしている。名前も、得意なことも、これまで一緒にしたことも覚えている。それなのに、誰の近況にも、その先の話にも、自分から近づきたい気持ちが起こらなかった。
自分はもう、クラスメイトへの関心を完全に失っている。そう認めても、驚きはほとんどなかった。教室へ戻れば何かが変わるのではないかと、期待していたわけでもない。ただ、目の前で確かめて、はっきり分かったのだった。
母と美帆に会えば、聞きたいことはいくらでもあった。今日何を食べたのか、買い物で何を見つけたのか、何でもない話まで知りたくなる。エースへは仕事で気づいたことを話したいし、次に教えてもらうことも楽しみだった。人と話すことそのものに疲れているわけではない。ここの人たちに、自分の時間を使いたいと思わなくなっていた。
帆波は電子教科書へ目を戻した。ここで早く終えておけば、あとで使える時間が増える。今は、そのことの方がずっと大切だった。
パートナー筆記試験への方針を話し合う日、神崎隆二は教室の前で自分のタブレットを操作していた。その画面が正面の大型モニターへ映り、表示を切り替えるたび、教室のどこからでも同じ情報を見られるようになっている。机を寄せていた生徒たちも、端末を持ったまま座っていた生徒たちも、前へ顔を向けた。
帆波も、学校からの試験説明を開いた。通達から二週間以内に一年生と二人一組のペアを作り、その後の筆記試験を受ける。クラスの勝敗は、自分たちとパートナー全員の得点から導かれる平均点で決まる。
彼女が先に目を留めたのは、ペナルティの部分だった。ペアの合計得点が500点以下なら二年生は退学。一年生は三か月間、プライベートポイントの支給が止まる。意図的に点数を下げたと判断された場合は、どちらの学年であっても退学であり、それを第三者が強要した場合も同じだった。
500点以下という表記を、帆波はもう一度確かめた。境目を勘違いしてよいものではない。自分に必要な条件を頭へ入れてから前を見ると、モニターには各クラスの現在のポイントが表示されていた。
Aクラスが1119、Bクラスが762、Cクラスが320、Dクラスが275。神崎がAとBの行を示す。
「Aとの差は357ポイントだ。前の試験では差を縮められなかった。ただ、今回の方針を、今までの試験と同じ感覚で決めるべきではない。まず、どのような戦略で挑むかを話し合いたい」
神崎は表示を切り替え、試験の要点を皆へ見せた。
「全員が退学を避けることが第一だ。そのうえで、クラスの平均点をどう上げるか。各自で相手を探すのか、クラス全体で交渉するのかも含めて、意見を聞かせてほしい」
「学力の高い二年生が、勉強の苦手な一年生を引き受けるのはどうかな」
網倉が口を開いた。端末を机へ置き、周囲の顔を見ながら続ける。
「その代わりに、私たちの方で学力が心配な人には、一年生の成績がいい人と組んでもらうの。お互いに助け合えれば、危ないペアを減らせると思うんだけど」
「いいんじゃないか? こっちだけが得する話じゃないし、相手にも頼みやすいよな」
柴田が頷いた。普段の明るい口調は残っていたが、前に映る試験説明を見つめる顔は真剣だった。
「でも、向こうも平均点で競うんでしょ」
低めの声が、少し離れた席から入った。姫野ユキはタブレットを机へ置き、モニターを見ていた。人の話が途切れたところへ、必要な言葉だけを差し込むような話し方だった。
「できる一年生とできる二年生が組めば、もっと点を取れる。それを崩してまで、こっちを助けてもらえるかな」
「こっちも同じか。学力の高い人が低い一年生を引き受けたら、平均点は上がりにくいよな」
「うん。安全を優先するのか、順位を優先するのかで変わると思う」
姫野の返事に、柴田は少し考えてから神崎へ顔を向けた。
「だったら、クラス同士で話をつけた方がいいのかな。誰か一人だけが損しないようにさ」
「その方法は考えてみたいね」
浜口哲也が、机へ置いていた端末から顔を上げた。
「今年の一年生は、入学直後に学校のシステムを説明されている。僕たちのときとは違って、クラスで協力する必要があることも分かっているはずだよ。向こうに窓口になってくれる生徒がいれば、全体の組み合わせを相談できるかもしれない」
神崎が画面を切り替えた。一年生の名前と評価が並び、それぞれの学力が同じ欄に表示される。生徒会長の南雲が提案したというOAAは、全学年の生徒の能力を、誰からでも見られる形にしたものだった。
学力、身体能力、機転思考、社会貢献度。それぞれの評価と、百点満点で示される総合値が、名前のそばに並んでいる。試験や学校生活に応じて更新される数字を、同じクラスの生徒だけでなく、一年生も三年生も見ることができた。
神崎は総合値ではなく、学力の欄を基準に一覧を並べ替えた。上位へ移った名前を見て、何人かが自分のタブレットでも同じ画面を開く。
「クラス単位で交渉するなら、どこへ持ちかけるかも問題になる」
「一年のAはどうだ? 成績のいい生徒も多そうだし、話がついたら強いよな」
柴田が画面を見上げた。姫野は少し間を置いてから、彼へ顔を向ける。
「その分、向こうも自分たちが有利なのは分かってると思う。欲しい人だけ出してくれるとは思えないけど」
「学力の高い人を紹介する代わりに、低い人とも組んでほしい、とか?」
「そう。クラスで話すなら、向こうも全体の得を考えるでしょ。条件は増えそう」
「じゃあ、BとかCの方が話しやすいかな」
「どうだろ。Aに追いつきたいから、簡単には譲らないかもしれない。Dなら頼める、とも限らないし」
姫野はそこで口を閉じ、一覧へ視線を戻した。柴田が画面を送りながら、考え込むように顎へ手を添える。
「向こうが何を欲しがってるか、まず聞かないと駄目か」
「それと、誰が話をまとめられるかも、まだ分からない」
「ああ、そうか。OAAにそこまでは出ないもんな。代表だと思って話してた相手に、そんな権限なかった、じゃ困るよな」
柴田の言葉に、神崎が頷いた。
「窓口になった生徒が、どこまでクラスの同意を得ているかは確認が必要だ。クラス単位の交渉には利点もあるが、こちらだけで決められない部分も多い」
神崎は出た意見を書き留めた。手元の入力が正面のモニターにも加わり、皆が見ている一覧のそばへ残される。
「個人で相手を探す場合は、どうだろう」
「成績のいい一年生は、ほかのクラスも欲しがるだろ」
渡辺紀仁が椅子の背から身体を起こした。
「知り合いなら頼めるかもしれないけど、入ってきたばっかりだしな。向こうだって、俺たちがどんな先輩か分からないんじゃないか?」
「一緒に勉強しながら、話してみるのはどうかな。苦手なところを教え合えたら、相手のことも分かると思うし」
網倉の提案に、浜口は頷いた。ただ、前の画面へ目を向けると、少し考えてから言葉を継いだ。
「信頼してもらうことは大切だね。ただ、決めるまで二週間しかない。何度か会っている間に、ほかと決められてしまう可能性もあるよ」
「じゃあ、ポイントを出すのはどうだ?」
柴田が言った。何人かが顔を上げる。
「こっちと組んでくれたら、これだけ渡すって。相手にも、分かりやすい得があるじゃないか」
「それなら、まだ仲良くなくても話はできるな」
渡辺が応じた。神崎はすぐには結論を出さず、自分の端末へ目を落としてから顔を上げる。
「資金を使う場合は、ほかの二年生のクラスと競合する。こちらがいくら用意できるかと、相手がどこまで出してくるかを考える必要がある」
「今、クラスで使えるのはいくらなんだ?」
柴田の問いに、神崎は画面へ資金の額を表示した。
「クラス資金として残っているのは、1000万プライベートポイントだ。前回用意した1600万には、毎月クラスで積み立ててきた分と、皆の個人資金が含まれていた。試験後に個人から出してもらった分を返し、その残りがこれになる」
「じゃあ、また個人の分まで集め直すわけじゃないんだな」
「ああ。まずは、このクラス資金を使うかどうかを考えたい」
「1000万なら、結構出せるよな。Aにも、金額で勝てるんじゃないか?」
柴田が言うと、近くの席から頷きが返った。渡辺も神崎へ顔を向ける。
「Aの派閥争いは収まって、今は坂柳が指揮してるんだよな。でも、揉めてた間から、全員でちゃんと貯めてたかは分からないだろ」
「過去の対立が貯蓄に影響している可能性はある。ただ、今も分裂したままだとは考えない方がいい」
神崎が答えた。網倉は自分の端末へ目を落とし、少し考えてから顔を上げる。
「前に貯められなかった分は、今まとまったからって、すぐには取り戻せないよね。私たちの方が用意しやすいかもしれないね」
「でも、毎月もらってた額は、あっちの方が多いよね」
姫野が言い、神崎の表示した資金額からクラスのポイントへ視線を移した。
「今の357だけじゃなくて、これまでの差もある。その分、ずっと多く支給されてたんだから。クラスでまとめてなくても、個人が持ってるかもしれない」
「そっか。クラスの貯金になってなくても、なくなってるわけじゃないんだよな」
柴田は頷き、端末へ視線を下げた。浜口が、その言葉を受けて神崎へ向く。
「今は坂柳がまとめているなら、その蓄えを集められるかもしれないね。過去の対立はこちらに有利な材料だけど、それだけで資金力が上だとは言えないと思う」
「そうだ。それに、金額だけで競うことになるとも限らない」
神崎が言うと、姫野は静かに続けた。
「一年生なら、Aに誘われただけで安心する人もいそう。学力はOAAで見られても、クラスの内情までは分からないでしょ」
「トップのクラスだから、そっちを選ぶってことか」
「うん。同じ額ならAがいいとか。少し安くても、Aと組みたい人はいると思う」
柴田の返事へ姫野が頷く。神崎が手元へ入力すると、モニターの一覧の横へ、検討すべき項目が加わった。資金だけでなく、相手が何を理由にペアを選ぶのかも、皆が見られる位置に残されていく。
「Aには、一位を維持してきた実績がある。こちらがそれを上回るために、いくら余分に払う必要があるかも考えなければならない」
「Dはどうなんだ?あ、今はCか、龍園のいたクラス。前よりは金を出しにくくなってそうだけどな」
渡辺の問いに、柴田が眉を寄せた。
「でも、伊吹と石崎は実際に400万出してるんだよな。Cだから金がない、で済ませるのは危なくないか?」
「ああ。個人でまとまった額を動かせることは、分かっている」
神崎が頷いた。帆波はその名前を聞き、端末の上で指を止めたが、会話には加わらなかった。自分の確認したい条件を見直しながら、説明の続きだけを聞いた。
「前回、司令塔だった金田が、そのままクラスをまとめようとしている。試験には負けたが、司令塔として明確なミスをしたわけではない。支持を大きく失った様子もない」
「それでも、クラス全体がまとまってる感じは、あまりしないよね」
網倉が言うと、浜口も頷いた。
「金田の話を聞くことと、全員で資金を出して協力することは別だね。個人の交渉には気をつけたいけど、今のDがまとまって、こちらの候補を全部押さえるとは考えにくいかな」
「個人は警戒する。でも、クラスとしては今のところ、そこまで脅威じゃないんだな」
柴田が確かめるように言った。神崎は肯定し、相手の資金を低く見積もりすぎないようにと付け加えた。
「Dはどう出るかな」
柴田は自分の画面を切り替えた。
「総合的には、一番資金に余裕がないよな。高い相手は避けて、自分たちの勉強で点を上げる方に力を入れるのかな」
「その可能性はある。だが、資金が少ないから何もできないとは限らない。先ほど出たように、金を使わずに協力する理由を作れれば、交渉はできる」
神崎の答えに、浜口が頷いた。
「こちらが資金を使うなら、Dは同じやり方では競いにくいね。金額の競り合いではAを一番警戒する。ただ、相手が決まるまでは、CもDも見ておいた方がよさそうだ」
「そうだな。成績のいい人は誰でも探せるんだし、同じ相手に声をかけてるかもしれないもんな」
柴田がOAAの一覧へ目を戻した。その隣で、網倉が一度口を開きかけ、少し迷ってから神崎を見た。
「でも、ポイントを使うなら、残りは大丈夫かな」
いくつかの顔がそちらへ向いた。網倉は机の端へ手を添えたまま、続けた。
「また、2000万ポイントが必要になるような試験があったら? 今回使って、そのあと足りなくなったらって思うと、ちょっと心配で」
教室の声が細くなった。帆波は自分の端末から目を上げた。網倉のそばで、渡辺も表情を引き締めている。
「同じような試験が、もう来ないとは言えないよな。今ある分まで使っていいのかっていうのは、確かにある」
「ああ。だから、1000万あるから1000万使う、という決め方はしない」
神崎ははっきり答えた。正面の表示が切り替わり、学校から配信された試験の報酬が映し出される。
「クラスの平均点で一位なら50クラスポイント、二位が30、三位が10、四位は0だ」
「一位と二位で、20か」
柴田が数字を見上げた。姫野は画面を見たまま、少し考えてから口を開いた。
「これまでの試験より、順位で動くポイントは少ないよね。大金を出して一位を取り合うより、少し下を狙う方がよくない?」
「一年生の成績で、少し下ってことか?」
「うん。トップの人たちの取り合いを避けても、十分できる人はいると思う。そこで二位を取れるなら、ポイントを残すのも手じゃないかな」
神崎が一覧へ戻し、最上位の少し下まで画面に収めた。姫野が見ていた辺りへ、ほかの生徒たちの視線も移る。帆波も前へ目を向けたが、名前を覚えようとはしなかった。
「でも、最初から二位狙いでいいのか? Aとの差を縮めたいんだろ」
柴田が尋ねた。姫野は彼を見て、声を荒らげずに答えた。
「一位を取るために、いくら払うかによると思う。Aが出すたびにこっちも増やしてたら、きりがないし。50ポイントもらっても、次に何もできなくなったら困るでしょ」
「それはそうなんだけど、個人報酬もあるよな」
柴田はタブレットを操作し、報酬の欄を確かめた。
「上位五組には10万、上位三割には1万プライベートポイント。いい相手と組んで、そっちも狙えたら、使った分は少し戻るじゃないか。クラスの順位だけで考えるより、得になることもありそうだろ?」
「あると思う。でも、そのためにいくら増やすの?」
姫野が短く問い返した。柴田が画面へ目を落とすと、浜口も自分の端末を確かめ、二人へ顔を向ける。
「上位五組なら、こちらも相当高い点を取らないと難しいね。上位三割の報酬は1万だから、そのために大きく値段を上げたら、報酬だけでは埋まらないと思うよ」
「そうか。相手が優秀なら、誰と組んでも五組に入れるわけじゃないもんな」
柴田は少し口元を曲げ、自分の端末を見た。
「俺なんかは、まず自分の点数を上げないと駄目か」
「そこは、みんな同じだよ」
網倉が言うと、近くで小さな笑いが起きた。柴田も笑い、それから前へ向き直った。
「でも、同じ額で頼めるなら、少しでも学力の高い人の方がいいんだよな。ペアの報酬に入る可能性も、クラスの平均も上がるわけだし」
「ああ。その考え方でいい」
神崎は頷き、報酬の欄をもう一度前へ映した。
「個人報酬も含めて、払う額に見合うかを考える。ただ、上位五組も上位三割も、入れる保証はない。個人に入る報酬が、そのまま全額クラス資金へ戻る前提でも計算しない」
「クラスポイントが増えれば、そのあとの毎月の支給額も増えるんだろ。そっちはどう考えるんだ?」
渡辺の問いに、神崎は画面上の50と30を順に示した。
「今回の20ポイント差にも、先まで続く価値はある。ただ、今すぐ手元から出るポイントと、これから少しずつ受け取る分は分けて考える必要がある。将来取り戻せても、次の試験で必要なときに手元になければ困る」
「個人報酬で増える分も、毎月の分も比べる。でも、一番うまくいったときの額だけを当てにして、使い切ったりはしないってことだね」
網倉が確かめると、神崎は肯定した。姫野はそれを聞いてから、モニターの一覧へ目を向ける。
「最上位を取るために、急に高くなるなら避ければいいと思う。その下でも、安全に合格できて、平均点を上げられるなら十分じゃない」
「じゃあ、条件を比べて、ポイントを使う方がいい相手を取れそうなら使う。ただ、Aに取られたくないからって、どこまでも追いかけない。そういうことだよな」
柴田の問いに、神崎が頷いた。
「そうだ。現時点で一位を諦める必要はない。条件のいい相手を確保できるなら狙う。ただし、相場が上がって勝ち目が薄くなるなら、二位を取りにいく形へ切り替え、資金を残す」
帆波は自分の端末へ目を戻した。神崎たちの話していることは理解できる。けれど、そのために自分も意見を出し、皆の条件を調整したいとは思わなかった。自分に使える額と相手に求める条件が決まれば、その範囲で動けばよかった。
「なあ、先のことまで考えるなら、学力以外も見ておかないか?」
柴田が再び口を開いた。神崎が操作を止めると、彼は一年生の身体能力の欄へ目を向けた。
「筆記は苦手でも、運動が得意な一年生はいるだろ。今回こっちが助けたら、あとで協力してもらえるかもしれないじゃないか。体育祭もあったし、ほかの学年と組む試験もあったんだからさ」
「今のうちに、恩を売っとくってことか?」
渡辺が言うと、柴田は頷いた。
「そう言うとあれだけど、まあ、そうだな。今回だけで終わる関係じゃないし。毎回一から相手を探すより、知ってる人がいた方が動きやすいだろ」
「それは、分かる」
姫野が応じたので、柴田はそちらへ顔を向けた。彼女は机の上で手を重ね、少し間を置いて続ける。
「でも、助けた相手が次も協力してくれるとは限らないよね。別の二年生にもっといい条件を出されるかもしれないし、向こうのクラスの都合もある」
「それもそうだけど、何もしなかったら、つながりもできないじゃないか」
「うん。だから、今回のペアにするかどうかと、知り合っておくかは別でいいと思う」
姫野の言葉に、柴田は口を閉じて考えた。浜口が二人を見てから、神崎へ向く。
「今回の得点を優先する相手と、今後の協力を考えて話す相手を分ければいいんじゃないかな。ペアにならなくても、話すことはできるよ」
「そうだな。将来の関係を作るために、今回の結果を必要以上に落とすことは避けたい」
神崎は頷き、皆の方へ身体を向け直した。
「今回のペアは、学力の高い生徒へ対象を絞る。クラス単位の一括交渉より、資金を使って個別に確保する方が、こちらの必要に合わせやすい。ただし、最上位との競り合いに固執せず、少し下の層まで含めて条件を比べる」
何人かが頷いた。神崎は自分たちと一年生の候補を画面へ並べ、どこで学力の高い相手が必要になるかを示した。仮の組み合わせを動かすと、教室の何人かから別の候補が挙がる。神崎はそれを確かめ、表示を直していった。
「まず、全員が退学を避けられる組み合わせを確保する。そのうえで上を狙う。一部のペアへ資金を集中させて、ほかを危険な状態に残すことはしない。交渉の上限はこちらで割り振る。それを超える条件は、決める前に相談してほしい」
「影響力のありそうな一年生の方は、どうするんだ?」
柴田がすぐに尋ねた。神崎は彼へ頷いてみせる。
「俺が話しに行く。今後、学年をまたぐ試験が行われる可能性はある。今回のペアとは別に、互いに協力できるかを確かめておきたい」
「分かった。それなら、俺も学力を優先して探すよ。運動の方で気になる相手がいたら、神崎に伝えるな」
「頼む。ほかにも、クラス内で発言力がありそうな生徒がいれば教えてほしい。ただし、こちらで決めていない約束まで、その場でしないようにしてくれ」
神崎の言葉に、いくつもの返事が重なった。網倉が女子の間で連絡を確認し、浜口はまだ不安の残っていそうな生徒へ声をかけている。姫野は自分の端末で候補を見直し、柴田は近くの男子へ、誰から接触するかを相談し始めた。
帆波は、その一連のやり取りを自分の席から見ていた。彼らが何を目指しているのかは分かる。けれど、自分もそのために動きたいとは思わなかった。木更津の居住権はまだ手にしていない。母と美帆が安心して暮らす場所を確保するために、蓄えなければならないものがある。教室で話し合いが続く間も、帆波の意識は何度となくそちらへ戻っていた。
家族のために、すべての時間を使いたい。二人と話す時間も、離れている間に仕事をする時間も、自分の意思で選びたかった。学校に在籍し続けるためのことは済ませる。けれど、その先へ自分から手を伸ばし、クラス全体の用事を引き受けるつもりはなかった。
「一之瀬」
神崎に呼ばれ、帆波は顔を上げた。近くへ来た彼は端末を示し、自分に割り当てられた交渉資金の上限を伝えた。
「この範囲で、自分の相手を確保してくれ。これを超える条件が必要になったら、決める前に相談してほしい」
「うん、分かったよ。この金額までなら、私が話を進めていいんだね」
「ああ。OAAの学力を確認したうえで、ほかに交渉が進んでいないかも聞いてくれ。決まったら知らせてほしい」
帆波は金額と条件を確かめて頷いた。使っていい範囲が先に分かっているなら、話をまとめやすい。自分の相手を決めればいいという依頼にも、異存はなかった。
「私が受ける分は、ちゃんと対応するよ」
返事を聞いた神崎は頷き、次の生徒の方へ向かった。帆波も必要なことを記録し、試験の説明画面を閉じる。彼がクラスを動かしてくれることは、今の自分にとってありがたかった。失敗してほしいとも、困ってほしいとも思わない。むしろ、このままリーダーを続けてほしかった。彼が倒れれば、また自分へ時間を求められるかもしれないからだ。
授業が終わると、帆波は提出する課題が残っていないことを画面で確認し、タブレットを鞄へ収めた。教室では交渉の相談が続きそうだったが、今日の連絡と自分の担当は確認してある。席を立ち、誰かに声をかけられる前に廊下へ出た。
背後で、自分の名が会話に混じった。そのあとに白波という名前が聞こえ、そばの声が少し低くなる。
「まだ、あのことが……」
「無理に誘わない方がいいのかもね」
続きは廊下の声に紛れた。帆波は振り返らずに歩いた。そう受け取られているのなら、それでもよかった。戻って説明し直す必要は感じなかったし、理解してもらうために話し合う時間を取りたいとも思わなかった。
今までのように動かなければ、いずれ不満を持つ人は出てくるだろう。冷たくなったと感じる人も、嫌いになる人もいるかもしれない。それは分かっていた。それでも、好かれるために自分の時間を差し出すつもりはなかった。
翌日、仕事がないことを確認できた時間に、帆波は一年生のいる方へ足を向けた。自分のペアを決めるために使えるのは、こういう空いている時間だった。OAAで学力を確認し、神崎へほかの交渉と重なっていないかを確かめてから、候補を選んである。
廊下で相手を見つけると、少し話せるかと尋ねた。友人と一緒にいた一年生は、帆波を見たまま一度返事を止め、それから慌てたように頷いた。
「はい。大丈夫です」
「ありがとう。今度の試験のパートナーについて、相談したいんだ」
帆波は相手の顔を見ながら話した。OAAの評価を見て声をかけたことを伝え、すでに進んでいる話がないかを確かめる。相手は初めこそ言葉を選んでいたが、帆波が頷いて続きを待つと、次第に詳しく答えるようになった。
隣にいた生徒も、会話を聞きながらこちらへ身体を向けていた。帆波がそちらへも微笑むと、目が合った相手の背筋が伸びる。廊下を通る何人かまで足を緩めたが、帆波は気にせず話を続けた。
「条件は、こんなふうに考えてるんだけど、確認してもらってもいいかな」
神崎から指定された範囲内の対価を伝えると、一年生の目が大きくなった。少ない額ではない。帆波は返事を急がせず、自分が求めることと、相手に確認しておいてほしいことを説明した。
「本当に、それだけ出してもらえるんですか?」
「うん。だから、ほかに約束している相手がいたら、先に教えてね。あとから困る形にはしたくないから」
「いえ、まだ決めていません。それに……こちらこそ、一之瀬先輩となら」
そこまで言って、相手は言葉を切った。帆波が首を傾げて続きを待つと、頬へ少し赤みが差したまま、改めて返事が返ってきた。条件を確認する声には、さっきまでよりはっきりした力があった。
互いに必要な確認を終え、話がまとまった。帆波は笑顔で礼を言い、今後の連絡について確かめた。これで自分の相手は確保できた。次に神崎へ知らせようと考えたところで、隣にいた一年生が一歩近づいた。
「あの、私も、何かお手伝いできませんか?」
帆波は顔を向けた。その向こうでも、もう一人が頷いている。話をしていた間に少しずつ近くへ寄ってきた生徒たちが、彼女の返事を待つようにこちらを見ていた。
「試験のこと、まだ相手を探している方がいたら。私でよければ……」
「自分も、Bクラスの人と話してみたいです。一之瀬先輩の助けになるなら」
重なる声を聞きながら、帆波は相手の顔を順に見た。こちらへ向けられる眼差しが、初めて声をかけたときよりずっと近い。帆波が微笑むと、その表情を追うように、彼らも笑顔になった。
「ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいよ」
帆波は明るく答えた。ただ、ここで彼らの希望を一人ずつ聞き、誰と組ませるかまで考え始めるつもりはなかった。神崎がクラスの交渉をまとめている。相手を探している生徒もいるのだから、そちらへつなげばいい。
「クラス全体のことは、神崎くんがまとめてるの。よかったら、紹介してもいいかな?」
すぐに肯定の返事が返ってきた。帆波は自分の相手が決まったことと、ほかにもBクラスとの交渉を希望する一年生がいることを神崎へ連絡した。彼が対応できることを確かめてから、一年生たちへ顔を上げる。
「話せるって。案内するね」
そこまでなら、余分に長い時間はかからなかった。一年生たちを神崎へ引き合わせ、聞いていた希望を簡潔に伝える。神崎はそれぞれの顔を見て礼を述べ、話を聞く場所を示した。
「一之瀬、助かった。ここからは俺が聞く」
「うん。じゃあ、お願いね」
帆波は頷いた。一年生の一人が名残惜しそうにこちらを向いたので、笑顔で小さく手を振る。神崎が次の質問をすると、その生徒も彼の方へ向き直った。
廊下を戻りながら、帆波は今日の予定を確かめた。自分のペアは決まり、必要な報告も済んでいる。クラスの交渉を引き取ることもなかった。教室へ戻ったら、残っている課題を先に終わらせておこうと思った。
学校のプライベートポイントを使い、ここでの受験条件を整える。それが済めば、また自分の時間を家族のために使える。学校の中で資金をどう残すかは神崎たちが考え、自分は決められた範囲で役割を果たせばいい。そのポイントを、母と美帆の居住権のための蓄えと取り違えることはなかった。
席へ戻ると、近くにいた網倉が顔を上げた。
「帆波ちゃん、もう決まったの?」
「うん。自分の分はね」
「そっか、よかった。ほかにも話したい一年生が来てるって聞いたけど」
「神崎くんに紹介したよ。今、話してくれてる」
網倉は安心したように笑った。帆波も笑みを返し、タブレットを机へ置いた。そのあと一年生たちとの話がどう進むのか、確かめに戻りたいとは思わなかった。必要なことがあれば、神崎から連絡が来るはずだった。
授業を受け、課題を済ませ、自分の試験を受ける。学校に在籍するために必要なことを、余計に長引かせず終える。クラスを動かすのは神崎で、自分はその役へ戻らない。その分担に、帆波は何の迷いもなかった。
課題を解き終え、入力した答えを読み返す。提出を済ませて画面を閉じると、今日のうちに終えるつもりだったものは、すべて片づいていた。表示された時刻を見る。予定まで、まだ少し余裕があった。
母と美帆へ、次にどんな話をしようかと思った。声を聞けば、また二人の暮らしを知りたくなるだろう。その暮らしを、この先も守りたかった。自分のいないところでも二人が安心して過ごせるように、まだ必要な仕事がある。
終業後の教室では、神崎たちが大型モニターに映った一覧を見ていた。仮に置かれていた組み合わせが動き、新しい候補の名前が加わっていく。帆波は端末を鞄へ収めて席を立ち、目が合ったクラスメイトへ「また明日」と笑いかけた。
廊下へ出たところで、足取りが少し軽くなった。今日はもう、学校で求められることを済ませている。この先の時間を、ようやく自分の望むことに使えた。