葉の隙間を抜けた日差しが、タブレットの画面に白く映り込んでいた。帆波は身体の向きを変え、自分の影へ地図を収めた。海から吹き込む風は木立に遮られ、道を歩いていると首筋に熱がこもる。画面に並ぶ課題の印を確かめているうちに、胸元のトランシーバーから自分を呼ぶ声が聞こえた。
『一之瀬さん、聞こえますか』
「うん、聞こえるよ。坂柳さん」
『次の指定エリアへ向かう途中に、歴史の課題が出ています。まずはそちらの受付を確認してください。柴田君には、近くの身体能力系の課題を見てもらっています』
帆波は地図の印と、自分のいる場所を見比べた。大きく道を外れる必要はない。指定エリアまでの距離にも、まだ余裕があった。
「分かった。受付が終わっていたら?」
『参加できなければ、そのまま指定エリアへ。ほかの課題を探して遠回りする必要はありません』
「うん。確認したら連絡するね」
送信を終え、帆波はタブレットをしまった。
何を優先するのかが決まっていれば、動くのは難しくない。あちこちへ足を延ばし、受付に間に合わないたびに行き先を考え直すより、その判断を坂柳に任せておける方が楽だった。自分に必要な参加を終えられるなら、それでよかった。
木々の間を進むにつれ、人の声が近づいてきた。課題の受付には簡易の机が置かれ、その向こうに筆記用の席が並んでいる。帆波が近づくと、担当の教員が顔を上げた。
「歴史の課題ですか。すみません、参加枠は埋まりました」
「あ、そうなんですね。分かりました」
返事をしてから、帆波は机の向こうへ目を向けた。
席には三年生が多かった。開始を待つ生徒の一人が、別の席にいる男子へ何かを確かめている。呼ばれた方は短く答え、また前へ向き直った。声を掛けた生徒も、それ以上は話さない。
同じ学年の知り合いが居合わせた。それだけなら、少しも不思議ではなかった。ただ、先ほど確認した別の課題も、三年生で枠が埋まっていた。
帆波は受付の邪魔にならないところまで離れ、トランシーバーを手に取った。
「坂柳さん。歴史はもういっぱいだったよ。ここも三年生が多いみたい」
『分かりました。では、予定どおり指定エリアへ向かってください』
「うん。……ねえ、ほかのところでも、三年生がまとまって参加してるの?」
『ええ。ほかの方からも、似た報告が届いています』
帆波は来た道へ足を向けかけ、もう一度、席に座る生徒たちを見た。
先ほどの課題では、最後まで解答を埋めようとしている生徒がいる一方で、早々に手を止めている三年生もいた。苦手な問題ばかりだったのかもしれない。けれど、得点を求めて急いで集まったにしては、ずいぶん取り組み方に差があった。
「これ、全員が点を取ろうとしてるわけじゃないのかも」
『そう思われた理由を、聞かせていただけますか』
「さっきの課題、三年生の中にも、あまり解こうとしてない人がいたんだ。得意な人に勝ってもらうだけなら、その人たちまで参加する必要はないよね」
言葉にすると、引っかかっていたことがはっきりした。
課題へ参加できる数には限りがある。得意な科目でも、受付へ来たときに枠が埋まっていれば、競うことすらできない。三年生が先に席を取ってしまえば、そのあとに来る一年生や二年生は引き返すしかなかった。
「勝たせたいグループと、残りの枠を埋めるグループがいるんだと思う。ほかの学年を入れないための、穴埋めみたいな感じで」
『ええ。私も、試験前からその可能性を考えていました』
坂柳の返答には、迷いがなかった。
『南雲会長の強みは、ご本人の能力だけではありません。ほかの学年と違い、多くのグループを一つの目的で動かせます。参加枠に限りがある以上、そこを利用なさらない方が不自然でしょう』
「じゃあ、やっぱり南雲会長の指示かな」
『その可能性は高いですね。ただ、三年生が多いというだけでは、近くにいた方々が集まったとも考えられます。ですが、枠を確保したあと、勝つために動いていない方までいたとなれば、話は変わります』
声の向こうで、何かを扱う気配がした。帆波はトランシーバーを耳へ寄せたまま、道の端へ移った。
『こちらに届いている報告と、一之瀬さんの観察を合わせれば、確信が持てます。やはり、得点を集めるグループを、ほかのグループが支えているのでしょう』
「穴埋めの人は、自分が勝てなくても、ほかの学年が入れなければ役目を果たせるんだね」
『はい。競争相手を締め出しておけば、味方同士で結果を調整するのも容易になりますから』
自分たちが受付へ急いでいる間にも、別の三年生が先へ回っている。個々のグループが得意な課題を探すのではなく、大勢を使って、競争する場所そのものを押さえる。仕組みが分かると、枠の埋まった会場を続けて見たことにも納得がいった。
「私が見たのは、そのくらいだよ。全部の課題で同じことをしてるかまでは分からないけど」
『十分です。実際の動きを確かめられたのは助かります。今後は受付状況の情報を、より優先して行き先を選びましょう』
「お願い。着いてから入れないの、ちょっともったいないし」
帆波は、それ以上の調査を申し出なかった。誰が得点を集める役なのか、どれだけの人数を動かしているのか。追いかければ分かることもあるのだろうが、そのために島を歩き回りたいとは思わない。気づいたことを伝え、それが次の無駄足を減らす役に立つなら、自分にも都合がよかった。
『では、まず指定エリアへの移動を。そのあとですが、タイピングの課題へ向かうことはできますか』
「タイピング?」
『今回の報酬は、ポイントと、選択式のキャンプ用品です。食料や水は手に入りませんが、一之瀬さんが使いたいものがあるかもしれません』
帆波はタブレットを取り出し、教えられた課題を開いた。場所と内容に続いて報酬を確認すると、キャンプ用品の候補に折り畳み椅子が載っていた。
地面から座面が離れているだけでも、休むときは楽そうだった。小さく畳めるなら、持ち歩くにも困りにくい。船でクッションや簡易ベッドを思い浮かべていたときには、何が手に入るか分からなかった。今は、欲しいと思える品物が、参加できる課題の報酬として目の前にあった。
「椅子も選べるんだ。これ、ちょっと欲しいな」
『参加する以上は、上位を狙っていただきたいのですが。勝てる自信はありますか』
帆波は画面を見たまま、自分がキーボードを使うときのことを思い返した。学校ではタブレットが基本なので、ほとんど使用したことがない。経験は少なく、キーの位置を全部覚えているわけではない。それでも、打ちたい文字を見つけて指を動かすのには、ほとんど時間がかからないだろう。うっかり隣を押したり、指が追いつかず順番を間違えたりすることもないはず。
「うん。結構速く打てると思う。やってみたい」
『もう一つ。報酬を受け取れば、荷物が増えます。椅子を持ったまま移動しても大丈夫ですか』
「畳んだ大きさも見たけど、これなら大丈夫。自分で持つよ」
『分かりました。では、移動を済ませたあとにそちらへ。食料や水を補う課題ではないことも、忘れないでくださいね』
「うん。ありがとう、坂柳さん」
帆波は画面を閉じ、歩き始めた。歴史の課題へ向かっていたときより、次の場所へ行くのが楽しみになっていた。
指定エリアへの移動を済ませ、タイピングの会場へ着いたときには、まだ受付が続いていた。帆波は参加を申し込み、案内された席へ向かった。日よけの下にパソコンが並び、それぞれの机には、入力する文章を印刷した用紙が置かれていた。
教員が、用紙の文章を制限時間内に入力すること、速さだけでなく正確さも判定されることを説明する。上位者にはポイントが入り、それに加えて、用意されたキャンプ用品から好きな品を選べるという。
帆波は説明を聞きながら、キーボードへ目を落とした。使ったことのあるものとは、キーを押した感触が少し違った。それでも、どれをどのくらい押せば入力できるかは、指を置いてみれば分かった。
隣の席の生徒は、用紙の位置を整えると、目線を下げずに両手をキーボードへ乗せた。別の席でも、指を所定の位置へ置いたまま開始を待っている。皆、手元を見る必要がないらしい。
帆波も用紙を見た。ただし、そのあとでキーボードを見直した。
あんなふうには、打てない。
見ないまま正しいキーへ指を運ぶには、位置を覚えている必要がある。帆波は、そこまで練習していなかった。目で確かめれば間違えずに押せるが、見ないでよいことにはならない。
少し不利かもしれないと思ったものの、報酬の椅子を諦める気にはならなかった。
あれを使ってみて、座り心地がよかったら、エースに話したかった。キャンプの椅子を選ぶときには、何を大事にするのだろう。軽さか、畳んだときの大きさか。自分の使ってみた感想と一緒に、彼の選び方も聞いてみたい。
開始の指示が出ると、帆波は用紙の最初の一節を読み取った。
続いて手元へ目を移し、文字を打ち込む。画面で入力を確認し、用紙の続きへ視線を戻す。その間にも、指は読み取った文章を正しい順番で入力していた。
隣の生徒は、ほとんど手元を見ていなかった。用紙を読みながら指を動かし、ときどき画面へ目を向ける。身につけた技術としては、そちらの方がずっと洗練されていた。
帆波の視線は、用紙とキーボードと画面の間を、忙しく行き来していた。
ただ、その切り替えが速かった。
印字された言葉を捉え、必要なキーを見つけ、打ち込んだ文字列を確かめる。一つ一つに費やす時間が短く、目を移した先でも、文字の形は明瞭に見えた。指は次に押す場所が分かりさえすれば、意図したとおりに動く。離れたキーへ移るときにも迷わず、隣のキーに触れることも、押し損ねることもなかった。
覚えていない位置は、その都度見た。読み取った文章を打ち終える前に続きを確かめ、画面に間違いがないことを確認してから、また手元へ目を落とす。通常なら速さを損なうはずの手順を、帆波は目と指の動きそのもので短縮していた。
用紙の下の方へ進んだところで、少しだけ、可笑しくなった。
これをエースが見たら、何と言うだろう。
ちゃんと位置を覚えれば、もっと楽に打てる。自分でもそう思う。それでも今は、見てから押す方が確実だった。覚えていないことまで、身体が勝手に教えてくれるわけではない。
帆波は最後の文章を入力し、用紙と画面を照らし合わせた。抜けも、誤りも見つからない。終了の操作をして両手を離すと、周囲ではまだ入力が続いていた。
教員が画面を確かめ、帆波の方へ目を向けた。
「入力は、もう終わりですか?」
「はい。確認もしました」
「では、そのまま待っていてください」
帆波は頷き、膝の上で両手を重ねた。待っている間、視線が報酬の置かれた方へ向く。畳まれた椅子を見つけると、さっきまで用紙を追っていたときとは違う意味で、早く結果が知りたくなった。
全員の入力が終わり、集計を待ってから結果が告げられた。
「一位、二年一之瀬」
帆波は顔を上げた。
速さだけではなく、入力の正確さを含めた結果でも一位だった。近くの席にいた生徒が、帆波とキーボードを交互に見る。課題のあいだ、手元ばかり見ていたことに気づいていたのかもしれない。
帆波は少し照れたように微笑んだ。皆が磨いてきたタイピングの技術を、自分は目と指の速さで追い越してしまったらしい。
それでも、欲しかった椅子を選べるのは嬉しかった。
「ポイントに加えて、こちらのキャンプ用品から一つ選んでください」
「折り畳み椅子をお願いします」
迷わず答えると、教員は椅子を渡しながら、開き方と畳み方を教えてくれた。帆波は脚を広げ、座面がきちんと張ったことを確認してから腰を下ろした。
布が体重を受け、背中を支える。座る位置を少し整えるだけで、無理なく身体を預けられた。
「あ、これ、いいですね」
「持ち運ぶときは、しっかり畳んでくださいね」
「はい」
返事をしながらも、すぐには立ちたくなかった。ほんの少し座り心地を確かめるつもりが、脚の置き方を変え、背もたれへ身体を預け直してしまう。
これをどこで使ったか、何を食べながら座ったか。帰るころには、母や美帆に話せることも増えているだろう。エースには、タイピングで手に入れたことから聞いてほしかった。どんな打ち方だったか説明するには、少し困りそうだったが、それも含めて話してみたかった。
帆波は立ち上がり、教わったとおりに椅子を畳んだ。持ち手を確かめてから、トランシーバーを手に取る。
「坂柳さん、終わったよ。一位だった」
『お見事です。報酬も受け取れましたか』
「うん。ポイントと、欲しかった椅子。もう座ってみたけど、結構いいよ」
『それはよかったですね。運べそうですか』
「大丈夫。ちゃんと畳めたし、これなら困らないよ」
『では、次の移動についてお話しします』
帆波は椅子を持ち直し、坂柳の声へ耳を傾けた。タブレットで道を確かめながらも、今度これを開く場所を少し楽しみにしていた。
次に休むときには、さっきより気持ちよく座れそうだった。
初稿は一本指打法でした。