【カオ転三次】×よう実 鬼になる一之瀬帆波   作:ねむのき

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第5話 「帰ったら話したいこと」

 船窓の外を、白い光が流れていった。傾いた波の面が日差しを返し、船の進む向きに合わせて、見える範囲の海が少しずつ入れ替わる。窓越しの景色は行きとよく似ていたが、帆波の肩からは、島で過ごす十四日間を前にしたときの重さが抜けていた。冷房の届く座席に腰を下ろし、背もたれへ身体を預けると、今はもう次の指定エリアを気にしなくてよいのだと、改めて実感できた。

 

 試験は終わった。

 

 坂柳有栖と柴田颯、それに帆波の三人で始まったグループは、六日目に橋本正義、神室真澄、二宮が合流して六人になった。その後、十日目から十二日目にかけての時期に、特殊カード制度によって鬼頭隼も加わっている。最終的には七人となったグループの結果は、総合三位だった。

 

 帆波は膝の上に置いた手を緩め、息をついた。

 

 自分が退学せずに終えられた。それを確かめれば、結果について気にかけることは、もうほとんどなかった。二位との差を考えたり、別の課題に参加していれば何点増やせたかを数えたりする気にもならない。求められたことを聞き、必要な移動と課題への参加を続け、こうして学校へ戻れるところまで来た。それで、今回の試験に費やす時間には区切りがついていた。

 

 周囲からは生徒たちの話し声が聞こえた。帆波はそちらへ顔を向けず、座る位置を少し直した。柔らかな座面が身体を受け止め、空調の風が肌に残る熱を冷ましていく。島の道を歩いているときには意識しなかった足の置き方まで、今は好きに変えられた。

 

 二週間、仕事へ行けなかった。

 

 終わってみれば短かった、とは思わない。木更津支部の居住権へあと少しというところで、母と妹のために積み重ねていたものを、一度止めなければならなかったのだ。その間にも働けていればと考えると、やはり惜しかった。島で試験を受けて得たポイントが、二人の暮らす場所を確保するためのマッカや実績に変わるわけでもない。

 

 早く、続きを進めたかった。母に話を聞いてもらうだけでなく、二人のための場所を用意できたと、自分の言葉で伝えたい。そのためにしていた仕事へ、ようやく戻れる。

 

 窓の向こうで、海面の一部が強く光った。帆波は目を細め、その眩しさから少しだけ視線を外した。

 

 ただ、島で欲しいものが何も手に入らなかったわけではなかった。

 

 頭に浮かんだのは、タイピングの課題で選んだ折り畳み椅子だった。開いた脚の形を確かめ、初めて腰を下ろしたとき、座面の布が身体を受け止めた感触まで覚えている。背中を預けると、思っていたよりもずっと楽で、少し試すだけのつもりが、すぐには立ちたくなくなった。

 

 帆波の口元が緩んだ。

 

 あのときは、椅子が欲しかったから、課題へ向かった。坂柳から勝てるかと聞かれ、自分でも速く打てると思っていたけれど、周りの生徒が手元を見ずに入力の準備をしているのを見たときには、少し感心したものだった。帆波には、それができなかった。用紙を見て、キーを探して、画面を確かめる。指は思いどおりに動いても、覚えていないキーの位置まで分かるようになるわけではない。

 

 それでも一位になれたことを思い返すと、今も少し可笑しかった。キーボードを見ないで打てるようになれば、あんなに目を動かす必要もないのだろう。せっかく身体が正確に動くのに、その身体へ何をさせるかを確かめるため、忙しく手元を見直していた。

 

 エースには、そこも話してみたかった。

 

 ただ一位だったと伝えるより、椅子が欲しくて参加したことや、自分がどんなふうに打っていたかまで聞いてほしい。彼がキャンプの話をするとき、自分にも使ってみた品物の話があるのは嬉しかった。何も知らずに頷くだけだったころより、尋ねたいことも具体的になっている。椅子はどこを見て選ぶのか。持ち運びやすさと座り心地なら、どちらを大事にするのか。聞けることを思い浮かべるだけで、早く顔を合わせたくなった。

 

 仕事の確認が終わっても、そのまま少し話していたい。教えてもらうことが減った分だけ、彼と過ごす時間まで短くなるのは嫌だった。自分でできることが増えるのは嬉しいし、できるようになったところを見てほしい。それとは別に、彼のそばにいる時間も欲しいのだ。島へ向かう船の中で考えたことは、帰りの今も変わっていなかった。

 

 帆波は膝の上の指を軽く重ね直した。

 

 母と美帆にも、椅子の話はできる。試験で何位になったかだけでなく、自分が何を欲しいと思い、それを手に入れたときにどうだったか。母に心配な話ばかり聞かせるのでなく、こんなことがあって楽しかった、と話せるものがある。そのことが、素直に嬉しかった。

 

 出発するときには、十四日間を惜しむだけで使い切りたくないと思っていた。実際に話したくなる経験ができたのだから、その点では、考えていたものを持ち帰れたのだろう。

 

 もっとも、だからといって、二週間働けなかったことまでよかったとは思わなかった。椅子を手に入れた楽しさも、仕事を中断された惜しさも、思い返せばそれぞれに残っている。今さらどちらかに気持ちを揃える必要もなく、帆波は窓の外へ目を戻した。

 

 学校へ帰ったら、また仕事をしたい。

 

 母と美帆が暮らせる場所を確保するために、止まっていた続きを進める。その先を思うと急ぎたい気持ちはあったが、仕事へ戻れるのが楽しみなのは、それだけが理由ではなかった。

 

 自分の力を使い、相手の動きを見て、考えたとおりに身体を運ぶ。向かってくる抵抗を、自分の方が上回っていると分かるあの感覚を、また味わいたかった。六月の戦いのあとに残った満足を思えば、胸の内側に明るい期待が生まれた。あれを楽しかったと感じた自分を、今さら隠すつもりはなかった。

 

 そして、エースと一緒に行きたかった。

 

 隣で彼の話を聞き、戦い方を見て、自分にも任せてもらえるところを増やしていく。彼から教わったことが、自分の動作になっているのを感じるのも好きだった。できるようになったことを見せたくて、それでも、もう一緒にいなくてよいと思われるのは寂しい。欲張りだとは思うけれど、そのどちらも手放したくなかった。

 

 帆波は背もたれへ肩を預け直した。

 

 今いるのは、まだ客船の中だ。仕事へ戻りたいからと立ち上がっても、学校へ着くまでの時間は変わらない。次の行き先を探す必要も、受付に間に合うかを考える必要もないのだから、今はこの座席で休んでいてよかった。

 

 窓の外では、波の向きが変わるたびに、光の筋がほどけていた。帆波はそれをしばらく眺め、楽な位置へ足を落ち着けた。島へ向かっていたときと同じ海を見ながら、帰ったあとに話したいことを、胸の中でもう一度思い返した。




龍園不在なので、宝泉君をどうするか悩みましたが、よく考えてみると、龍園なしのDクラスなど、綾小路君の完全マリオネットだから何の問題も起こらんと思い、大体原作どおりです。
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