【カオ転三次】×よう実 鬼になる一之瀬帆波   作:ねむのき

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第3話 「一日を空けるための取引」

 曲が終わると、画面に流れていた歌詞が消え、次の曲を勧める案内へ切り替わった。音楽が途切れた部屋では、空調の風が天井から下りてくる音が聞こえる。帆波はマイクを机へ置き、隣の坂柳を見た。彼女もマイクを下ろしていたが、こちらと目が合うと、口元へ笑みを戻した。

 

「結局、途中から二人とも怪しかったね」

 

「助け合うにも、双方に知識が必要でしたね」

 

「じゃあ、次はちゃんと知ってる曲にしよう」

 

「その前に、少し休憩をいただいても?」

 

「うん、もちろん」

 

 帆波は選曲端末から手を離した。坂柳が飲み物へ口をつける間、自分もグラスを取る。冷たいものが喉を通ると、思っていた以上に声を出していたことに気づいた。歌っている最中に坂柳と目が合い、どちらからともなく笑ってしまうこともあった。歌の出来より、そういうことの方がよく覚えていた。

 

「そういえば、一之瀬さん」

 

「何?」

 

「体育祭では、どの程度のお力を発揮されるおつもりですか?」

 

 坂柳の視線が、帆波の手元へ下りた。今は普通の色に戻っている手を見て、帆波も質問の意味を理解する。先日説明された体育祭には、自分も参加するつもりだった。ただ、そこで任務のときと同じように動くわけにはいかない。

 

「普通に参加するよ。周りに合わせるつもり」

 

「合わせる、ですか」

 

「うん。学校で本気を出すわけにはいかないしね」

 

 どこまで速く走ってよいか、どの程度の力なら不自然に思われないか。競技へ出れば、相手や周囲を見ながら加減することになる。身体を思いどおりに動かすこと自体には困らないが、走り切った先に目指したいものがあるわけでもなかった。

 

「仕方ないんだけど、ちょっと窮屈かな」

 

「存分に競える場所を、ご存じだからでしょうか」

 

「それもあるかも。せっかく身体を動かすなら、楽しい方がいいよね」

 

 エースに見てもらいながら動くときには、もっと速く、もっと正確にできるようになりたいと思う。彼の見本を目で追い、自分も試して、足りなかったところをまた教わる。あの時間と比べれば、目立ちすぎないように競技を終えるための調整には、それほど気持ちが向かなかった。

 

 坂柳はグラスを置き、帆波を見た。

 

「では、体育祭をお休みするというのは、いかがでしょう?」

 

「……休む?」

 

「ええ。ただし、一之瀬さんからお休みを申し出ていただく、というお話ではありません」

 

 帆波は坂柳へ身体を向け直した。彼女は机の上で指を揃え、説明を続ける。

 

「体育祭と文化祭の二つを通して、AクラスとBクラスが協力する。その条件の一つとして、一之瀬さんには当日の競技へ参加していただかない。代わりに、私も体育祭そのものを欠席いたします」

 

「坂柳さんが、当日の指揮を執らないってこと?」

 

「はい。そのうえで、文化祭では人員などの協力もお約束するつもりです」

 

 坂柳の声は、先ほど歌の相談をしていたときと同じように落ち着いていた。帆波が続きを待つと、彼女は少しだけ首を傾ける。

 

「もしお話が成立しましたら、体育祭当日は、私を臨海支部へ案内していただけませんか?」

 

「それで、二人とも学校には残らないんだ」

 

「ええ。今度は、丸一日かけて拝見したいのです」

 

 帆波は、思わず笑った。先ほど自分の姿を見ていた目を思い出す。もっと知りたいという言葉を、坂柳はその場の感想だけでは終わらせないらしかった。

 

「本当に気になってるんだね」

 

「一度拝見しただけで満足するには、知らないことが多すぎましたから」

 

「支部の許可が取れたらいいよ。でも、クラスが納得するかな?」

 

「ふふ。それは、ご心配なく。私なりに考えがありますので」

 

 何をするつもりなのかと尋ねかけ、帆波は坂柳の顔を見た。自信はあるようだったが、今ここで、必ず承諾させられるとまで言っているわけではない。

 

「じゃあ、私は支部に確認してみるね。勝手に連れていくことはできないから」

 

「もちろんです。そちらのお返事も、お待ちしております」

 

 友人と一日過ごせるなら、帆波も楽しみだった。自分が好きな場所で、坂柳が次に何へ目を留めるのか見てみたい。エースに会えるかもしれないと思うと、期待はさらに膨らんだ。ただ、彼にも仕事がある。会えるとも、一日付き合ってもらえるとも、まだ決まってはいなかった。

 

「交渉の方は、坂柳さんに任せていいの?」

 

「ええ。私から申し上げます。一之瀬さんには、条件として受け入れていただけるかを、確認させてください」

 

「うん。それなら大丈夫だよ」

 

 坂柳は頷くと、机の端末へ視線を移した。

 

「では、今度こそ、お互いに最後まで知っている曲を探しましょうか」

 

「そこも坂柳さんに任せていい?」

 

「それは、ご一緒に考えていただきたいですね」

 

 帆波は笑い、端末を二人の間へ寄せ直した。

 

 

 九月も終わりに近づいた放課後、Bクラスの生徒たちは、体育祭に向けた話し合いのため教室に残っていた。机の上には競技の資料が開かれ、前方へ移った神崎の周りにも、何枚かの紙が置かれている。窓から入る日差しはまだ明るかったが、開いた窓を通る風には、夏とは違う涼しさがあった。

 

 帆波は自分の席で資料を見ていた。近くでは柴田が渡辺と競技について話していたが、神崎が全員へ声を掛けると、二人も前へ顔を向けた。

 

「体育祭の協力先について、先に報告しておきたい。Dクラスとの協力は、断られた」

 

 柴田の眉が上がった。机に置いていた資料を持ち上げかけ、そのまま手を止める。

 

「駄目だったのか。向こうにとっても、悪い話じゃなかったと思うんだけど」

 

「ああ。だから、断られた理由は考える必要がある」

 

「金田が、その場ですぐ断ったの?」

 

 渡辺が尋ねた。普段の会話より少し慎重な声だった。

 

「龍園がいなくなってから、あそこ、何でもすぐ決まる感じじゃないだろ。金田が話を聞いただけで、クラス全員の分まで返事できるのかな」

 

「金田が、どこまでクラス内で確認したかは分からない。確かなのは、協力を受けないという返事があったことだけだ」

 

 神崎はそこで言葉を区切った。浜口が、机の上で資料を揃えながら顔を上げる。

 

「理由が分からないなら、金田くんが決めたとも、クラスが反対したとも、まだ言えないね」

 

「でも、こっちと組むよりいい話があったなら、断る理由にはなるんじゃない?」

 

 姫野が、少し離れた席から言った。声を張ることはせず、資料に落としていた目を神崎へ向けている。

 

「私たちがDクラスと組もうとしたんだから、Cクラスだって考えるでしょ」

 

 渡辺が小さく頷いた。

 

「確かに。上を狙うために、ほかのクラスと組むだけだもんな。別に、思いつかないような作戦じゃないし」

 

「Dクラスと協力できたら、Cクラスにも得があるよね」

 

 網倉が近くの女子と目を合わせてから、神崎へ顔を戻した。

 

「でも、もう組んでるかどうかは、分からないんだよね?」

 

「ああ。今は、可能性として考えている」

 

 帆波は、そのやり取りを聞いていた。神崎が交渉している場にはいなかったから、金田がどんな顔で返事をしたのかも知らない。資料の端を指で押さえ、話が続くのを待った。

 

「CとDが組んでるなら、運動のできるやつが、かなりまとまるな」

 

 柴田が言った。

 

「須藤に、高円寺だろ。Dクラスにも、身体能力の高いやつはいるし」

 

「綾小路くんも、去年の体育祭では速かったよね」

 

 浜口の言葉に、渡辺が顔を上げた。

 

「ああ、最後のリレー。堀北先輩と走ってたときか」

 

「普段の様子だけで考えてたら、そうは見えないけど。去年の走りを見る限り、脅威なのは間違いないよ」

 

 帆波にも、あのリレーの光景が短く浮かんだ。普段は目立つことの少ない綾小路が、走る姿で視線を集めていた。浜口の話へ付け加えるほどのことはなく、そのまま資料へ目を戻す。

 

「それじゃ、別に組めるのはAクラスだけか」

 

 渡辺は言ってから、少し考えるように口を閉じた。

 

「それとも、Cクラスに話して、もしDと組むなら、俺たちも入れないかって聞いてみる?」

 

「その場合も、向こうがBクラスを加える利点を示さないといけないね」

 

 浜口が答えた。網倉が頷き、姫野は椅子の背から少し身体を起こす。

 

「Cクラスは、私たちを追いかけてる側だし。同じだけ得をする話で、受けてくれるとは限らないと思う」

 

「そうだな。組めることと、こちらに有利な条件で組めることは違う」

 

 神崎は全員へ視線を巡らせた。

 

「その協力先の件だが、Aクラスの坂柳から話がある」

 

「向こうから?」

 

 渡辺が聞き返した。神崎は頷く。

 

「ああ。体育祭と文化祭での協力について、提案したいそうだ。これから教室へ来てもらうことになっている。まずは条件を聞いて、そのうえで検討したい」

 

 網倉が小さく頷き、柴田も資料を表示したタブレットを持ち直した。教室のあちこちで短い会話が交わされたが、やがて入口へ目を向ける生徒が増えていった。

 

 坂柳は、鬼頭と神室を伴って現れた。杖をついて入口に立つ姿を見つけ、帆波も顔を上げる。坂柳はこちらへ小さく会釈してから、神崎へ向き直った。

 

「お時間をいただき、ありがとうございます」

 

「皆にも、協力の提案があることは伝えた。条件を聞かせてほしい」

 

「ええ。よろしくお願いいたします」

 

 神室は坂柳の少し後ろで足を止め、教室を見渡した。鬼頭はその隣に立ち、言葉を挟まず神崎たちへ目を向けている。二人とも島で一緒に過ごした顔だったが、今日は同じグループの仲間としてではなく、提案を持ってきたAクラスの生徒としてそこにいた。

 

「まず、協力をご提案する理由から申し上げます。CクラスとDクラスが、既に同盟を結んでいる可能性が高いと考えています」

 

 神崎の目が坂柳へ向いた。柴田も手元から顔を上げる。

 

「根拠は?」

 

「橋本くんが、Dクラスから情報を得ています。龍園君が残っていれば、こんな情報が漏れることなどなかったでしょうが、やはり統制が取れていないのでしょうね。正式な取り決めの内容まで確認できたわけではありませんが、少なくとも、両クラスの協力を想定して準備すべき状況です」

 

「こちらも、その可能性は考えていた」

 

「でしたら、お話は早いですね。相手が組むのであれば、私たちも協力するべきでしょう」

 

 坂柳は、教室を見渡して続けた。

 

「CクラスとDクラスには、学年でも運動能力の高い方々が揃っています。今回は昨年と比べて、団体競技が明らかに少ない。個人の力を生かしやすい体育祭ですから、単独で勝つのは難しいでしょう」

 

 柴田が口を結び、競技一覧へ目を落とした。浜口も同じ箇所を確かめている。坂柳は二人の動きを待ってから、提案へ進んだ。

 

「体育祭では、有力選手を出す競技が、AクラスとBクラスで重ならないように調整したいと考えています」

 

「上位を狙える選手同士を、別の競技へ分けるのか」

 

「はい。私たち同士の競争を減らして、それぞれが得点しやすくするためです」

 

「それで、CとDに勝てると思ってる?」

 

 姫野が尋ねた。坂柳は、ためらわずに首を振る。

 

「勝率が高いとまでは申し上げません。最悪の場合、相手は全種目に有力選手を出してくるかもしれませんから」

 

 坂柳は言葉を弱めず続けた。

 

「ですが、私たちまで同じ競技で競り合えば、相手はさらに戦いやすくなります。協力しても厳しいからと何もしないより、得点の機会を増やす方がよいと考えています」

 

「確実に勝つためじゃなく、相手に上位を占められるのを、少しでも減らすためなんだね」

 

 浜口が言うと、坂柳は頷いた。

 

「ええ。体育祭全体だけでなく、個人順位についても、上位を独占されるのは避けたいところです」

 

 神崎は資料へ目を落とし、やがて坂柳へ視線を戻した。

 

「競技調整の利点は分かった。ほかの条件は?」

 

「一之瀬さんには、当日の体育祭を欠席していただきます。その対価として、私も体育祭そのものを欠席いたします」

 

 帆波へ、いくつもの視線が向いた。網倉が少し目を見開き、柴田は手に持っていた資料を下ろした。渡辺は坂柳を見たまま、ゆっくりと身体を起こす。

 

「……指揮官不在ってことか」

 

「ええ。当日の会場で、私が指示を出すことはありません」

 

 坂柳は渡辺へ頷いてから、神崎へ顔を戻した。

 

「私は身体の都合で、もともと競技には参加できません。ですが、会場で皆さんの動きを見て、判断することはできます。当日発表の競技に対する調整もあります。今回差し出すのは、その役目です」

 

「一之瀬の得点能力と、坂柳の指揮を交換するということだな」

 

「はい。ただし、競技へ出る方が一人減るのは、そちらです。体育祭ではAクラスが優位になる条件として、その分、文化祭ではBクラスが優位になるだけの協力もお約束します」

 

 神崎はすぐには答えなかった。浜口が資料から顔を上げ、姫野も机の上へ両手を置いて坂柳を見る。

 

「文化祭には、私たちのクラスの三分の一の人員を、そちらへ提供いたします。それに加えて、予算枠の共有や、場所と資材の確保にも協力したいと考えています」

 

「三分の一?」

 

 網倉が聞き返した。坂柳は頷く。

 

「ええ。そちらは運営に使える人数が増え、私たちは減ります。体育祭と文化祭を通して、双方に利益がある提案として、ご検討いただきたいのです」

 

 浜口が机の資料から顔を上げた。

 

「それだけ来てもらえるなら、できることは増えるね」

 

「文化祭は三学年十二クラスで競うことになります。上位四位以内で100クラスポイントを狙うのであれば、双方が利益を得られる余地もあるでしょう。少なくともBクラスの皆さんは、体育祭より有利な条件で競えるはずです」

 

「具体的には、何をしてもらえるんだ?」

 

 神崎の問いに、坂柳は少し間を置いた。

 

「人員を提供する上限は、今申し上げたとおりお約束します。その方々に何を担当していただくか、予算枠や場所、資材をどう使うかは、体育祭が終わってから協議しましょう。それぞれの企画や準備状況に合わせて決めた方が、無駄もありませんから」

 

「人数は約束するけど、仕事の中身はあとで決めるってこと?」

 

 姫野が確かめた。

 

「はい。企画によって必要な人間は違うでしょうから、そちらのご希望も伺います。人だけを送って、あとは知りません、という協力にするつもりはありませんので」

 

 姫野は返事をせず、神崎を見た。神崎もすぐには頷かず、資料へ視線を落としている。

 

「一之瀬が出れば、点を取れる競技はあると思う」

 

 柴田が口を開いた。

 

「坂柳が指揮を執らないのも、人を貸してくれるのも分かった。でも、一之瀬が体育祭で取れたはずの点と見合うかは、考えないと」

 

「そうだね。ただ、取れる点を全部決めてしまうこともできないけど」

 

 浜口が応じると、柴田は顔を上げた。

 

「全部勝つって言ってるんじゃないよ。でも、一度も出ないなら0だろ。出た場合と同じには考えられない」

 

「うん。そこは僕も同じだよ」

 

 浜口は頷き、机のタブレット端末を手前へ寄せた。

 

「出場した場合に、どのくらいの持ち点を残せそうか。それと、競技調整でほかの人が増やせそうな分を、比べた方がいいと思う」

 

「欠席した種目の減点もあるよな?」

 

 渡辺がタブレット端末に指を滑らせる。

 

「1種目につき2点だろ。全部出なかったら、最初の10点から——」

 

「0より下にはならない」

 

 神崎が答えた。渡辺の指が止まり、すぐにタブレットの画面の該当箇所へ動く。

 

「ああ、そうか。最低が0なんだっけ」

 

「参加が5競技未満なら、獲得点も没収される。最初から参加しない条件なら、一之瀬の最終的な持ち点は0として考えればいい。そこから欠席分をさらに引く必要はない」

 

 渡辺は該当箇所を読んでから、頷いた。

 

「じゃあ、減点が重なる心配じゃなくて、本来どれだけ取れたかって話だな」

 

「ああ。初期の10点だけを失うと考えるのも違う。出場すれば増やせた可能性がある。その機会を手放すことになる」

 

 神崎の言葉を聞き、網倉が帆波へ目を向けた。

 

「個人の報酬も、そうだよね。帆波ちゃんがいい成績を取れたら、もらえたかもしれない分もなくなるんでしょ?」

 

 帆波が顔を上げると、網倉は資料へ一度視線を戻してから、続けた。

 

「クラスには文化祭で協力してもらえても、それって帆波ちゃん本人の報酬とは別だと思うから」

 

「そこは、確認しておきたい」

 

 神崎が帆波を見る。教室の中でも、こちらへ向き直る生徒がいた。

 

「一之瀬。条件を受ければ、競技で得られたかもしれない個人報酬も狙えなくなる。それも含めて、問題はないか?」

 

「うん。同盟の条件としてそう決めるなら、私は大丈夫だよ」

 

 帆波は頷いた。出場して得点を競うつもりだったときにも、個人報酬を目当てにしていたわけではない。けれど、今はそこまで説明する必要もなかった。条件に含まれることを確かめられたので、そのまま受け入れられると答えた。

 

「分かった。その点は、本人の了承があるものとして検討する」

 

 神崎は全員へ顔を戻した。

 

「ただ、一之瀬が了承したからといって、同盟の条件まで妥当になるわけじゃない。クラスとしては、出場した場合の持ち点と、競技調整や文化祭で得られるものを比較する必要がある」

 

「その競技調整を、Aクラスが守らなかったら?」

 

 後ろの席から男子の声が上がった。

 

「こっちだけ一之瀬さんを外して、そっちは普通に有力な選手をぶつけてきたら、困るだろ」

 

 神室がわずかに目を向けたが、坂柳は表情を変えずに答えた。

 

「その場合は、そちらも一之瀬さんを競技へ戻すことを検討できるでしょう。ただし、既にエントリーしている種目と、参加できる期限や枠の範囲内で、ということになりますが」

 

「いつでも、どの競技へでも戻せるわけじゃないよね」

 

 浜口が確かめると、坂柳は頷いた。

 

「ええ。ですから、調整の内容と、その確認ができる時期も含めて、事前に詰めておく必要があります。学校の規則を、私たちの約束で変更することはできませんから」

 

 浜口は資料の該当箇所を確かめた。柴田もそちらへ目を移し、二人で短く言葉を交わす。網倉は近くの女子に何か尋ね、姫野は坂柳と神崎の顔を交互に見ていた。

 

 帆波は話を聞きながら、机の上へ置いたタブレット端末に目を落とした。自分が出場しない場合の得点や、文化祭で増える人手について、幾つもの意見が交わされている。尋ねられた条件への返事は済ませていた。ここで坂柳の提案を勧めるつもりはなく、クラスとして何を選ぶかは、神崎たちの判断に任せるつもりだった。

 

「提案は理解した」

 

 神崎が口を開くと、いくつか重なっていた声が止まった。

 

「体育祭での競技調整にも、文化祭の協力にも利点はある。ただ、今ここで結論は出せない。クラス内で検討してから、回答させてもらいたい」

 

「もちろんです。十分にご検討ください」

 

 坂柳は焦らせなかった。説明を聞いた生徒たちへ軽く頭を下げ、神室と鬼頭を伴って入口へ向かう。最後に帆波と目が合うと、小さく会釈して教室を出ていった。

 

 

 扉が閉まったあと、しばらく誰も大きな声を出さなかった。渡辺が資料を机へ置き、前の席の背へ片手を掛ける。

 

「……一之瀬を外すって、やっぱり気にしてるんだな。坂柳も」

 

「得点できる人間を、条件で出させないようにするんだからな」

 

 柴田が答えた。先ほどよりも少し強い声だった。神崎は二人の顔を見てから、全員へ問いかける。

 

「坂柳が、この同盟で何を得ようとしているか。そこから整理したい」

 

「CクラスとDクラスに、個人順位の上の方を全部取らせたくないんじゃないかな」

 

 浜口が言った。

 

「組んでいる可能性が高いなら、Aクラスだけで競うより、こっちと競技を分けた方が有利になる。そこは、説明したとおりだと思う」

 

「それに、一之瀬さんが出なければ、Bクラスも抑えられる」

 

 姫野が続けた。帆波の方を一度見てから、神崎へ視線を戻す。

 

「CとDに好きにさせないで、私たちが上に行きすぎるのも防ぐ。その二つがあるんでしょ」

 

「だから、文化祭で三分の一も出すって言えるのか」

 

 渡辺が呟いた。網倉はすぐには頷かず、指先でタブレット端末の画面を伏せた。

 

「でも、文化祭では、本当にこっちの人数が増えるんだよね。そこまで全部、Aクラスだけが得をする話なのかな」

 

「いや。向こうに狙いがあることと、こちらに利益がないことは違う」

 

 神崎が答えた。

 

「それに、坂柳が当日の指揮を執らない点もある。一之瀬を外す条件だけを、こちらの不利益として数えるわけにはいかない」

 

「だったら、Aクラスとの比較では、こっちが有利になるところもあるよね」

 

 網倉が顔を上げた。

 

「帆波ちゃんは競技に出られなくなるけど、神崎くんは残るんだから」

 

「ただ、葛城がいるだろ」

 

 渡辺が言った。網倉の口が止まり、浜口もそちらへ顔を向ける。

 

「坂柳がいないなら、代わりに葛城が指揮を執るんじゃないか? 前にクラスをまとめてたんだから、できないわけじゃないだろ」

 

 神崎はすぐには答えなかった。机へ置いたタブレット端末の上で、指先だけを少し動かしている。

 

「その可能性はある。ただ、代理を誰に任せるかまでは聞いていない」

 

「葛城に任せれば、それで全部同じになるわけでもないと思う」

 

 浜口が口を開いた。

 

「もともと坂柳さんと葛城くんで、支持する人が分かれていたクラスだよね。坂柳さんがいないところで葛城くんが指揮を執って、結果を出したら——」

 

「葛城派が、またまとまるかもしれないってこと?」

 

 網倉の問いに、浜口は頷いた。

 

「うん。だから、安心して丸ごと任せられるのかは、分からない」

 

「もう、その心配がないくらい抑えてるのかもしれないけどね」

 

 姫野が言った。机の資料を見たまま、ゆっくり顔を上げる。

 

「葛城に任せても坂柳の立場が揺れないのか、そもそも別の人に任せるのか。そこは、外からじゃ分からなくない?」

 

「ああ。葛城がいるから影響はないとも、葛城に任せれば必ず派閥が復活するとも言えない」

 

 神崎が引き取った。

 

「だが、坂柳本人が現場にいる場合と、同じだと考える必要もない。Aクラスにも、判断や指揮を引き継ぐ負担はある」

 

 渡辺は一度頷き、資料へ視線を戻した。浜口もそれ以上、葛城が何をするかを決めつけることはせず、競技の一覧へ指を置く。

 

「今回は、当日になって分かる競技もある。事前に坂柳さんが全部決めておけば済む、とは限らないよね」

 

「その場で組み合わせを変えたり、誰を出すか相談したりすることもあるだろ」

 

 柴田が言った。机に置いたタブレット端末から手を離し、神崎をまっすぐ見ている。

 

「それに、一之瀬を外せば俺たちが大きく落ちるって考えてるなら、そこは違うと思う。一之瀬が出てくれたら助かるけど、俺たちだって出るんだから」

 

 渡辺が、少し笑って頷いた。

 

「そうだよな。最初から、一之瀬の分がなくなったら終わり、みたいに考えるのも変か」

 

「うん。帆波ちゃんに全部取ってもらうつもりで準備してたわけじゃないし」

 

 網倉の声には、先ほどより力が戻っていた。姫野は三人の顔を見て、口を開く。

 

「それで、CとDにも勝てるって話にはならないと思うけど」

 

「そこまでは言ってないよ」

 

 柴田は、今度はすぐに返した。

 

「運動のできるやつが多いのは分かってる。体育祭全体なら、あっちが有利だっていうのも。でも、Aクラス相手にまで不利になるかは、別だろ」

 

「そうだね」

 

 浜口が頷いた。

 

「Aクラスの選手と当たらずに済むなら、僕たち自身が取れる点も増やせる。坂柳さんが現場にいない分、当日の対応で、こちらが上回れるところもあるかもしれない」

 

「葛城か、ほかの誰かが、ちゃんと代わりを務めるかもしれないけど」

 

 姫野が言うと、浜口はそちらへ顔を向けた。

 

「うん。だから、そこだけを勝てる理由にはしない。ただ、一之瀬さんが出ないからAクラスが必ず上になる、と決めなくてもいいと思う」

 

 姫野は少し考えてから、資料へ視線を下ろした。神崎が全員を見渡し、話を続ける。

 

「CクラスとDクラスの協力を想定するなら、単独で対抗するより、Aクラスと競技を調整する利点はある。そのうえで、Aクラスとの勝負まで捨てる必要はない」

 

「文化祭には、人を増やして臨めるしな」

 

 渡辺が前のめりに座り直した。

 

「体育祭で勝てる保証はなくても、次の文化祭は少なくとも今よりやりやすくなる。二つまとめて考えるなら、悪くないと思う」

 

「私は、文化祭の仕事をあとでちゃんと相談できるなら、受けてもいいと思う」

 

 網倉が言った。

 

「人数だけ増えて、どうしていいか分からなくならないようにしたいけど。三分の一も手伝ってもらえるなら、できることを考えたい」

 

「競技の組み合わせは、先に確認したいね」

 

 浜口が神崎へ顔を向けた。

 

「一之瀬さんを外す分だけを見て断るのも、文化祭の人数だけを見て受けるのも、どっちも早いと思う。調整できるところを見てから、決めよう」

 

「ああ。今出た懸念も含めて、条件を確かめる」

 

 神崎は教室を見渡した。姫野はまだ考えるように資料を見ていたが、浜口が声を掛けると、自分が気になっている箇所を指で示した。柴田がそこを覗き込み、渡辺も椅子を寄せる。意見が揃ったわけではなかった。それでも、先ほどとは違い、何を確かめるかについて話が進み始めていた。

 

 帆波は、そのやり取りを聞きながら、自分のタブレット端末へ目を戻した。自分が出ない場合に何ができるかを、神崎たちは自分たちで考えている。尋ねられれば答えるが、そこで代わりに結論を出すつもりはなかった。

 

 

 後日、神崎からAクラスと協力することになったと聞いたとき、帆波は顔を上げた。まだ、事前の競技調整を進められるだけの時間は残されていた。

 

「一之瀬は、当日の競技には参加しない。坂柳も体育祭を欠席する。そこまで含めて合意した」

 

「うん、分かったよ」

 

「個人報酬の件も、聞いた内容で問題ないんだな?」

 

「うん。大丈夫だよ」

 

 神崎は頷いた。手元の資料をまとめてから、教室の方へ視線を戻す。

 

「文化祭の人員は、最低でもAクラスの三分の一。具体的な仕事や、ほかの協力方法は体育祭のあとで詰める。決まった以上は、こちらも使える条件を生かすつもりだ」

 

「うん」

 

 帆波が返事をすると、神崎は浜口に呼ばれ、タブレット端末を持ってそちらへ向かった。柴田も加わり、参加する競技について話し始める。渡辺が空いている席へ椅子を寄せ、網倉は女子の方へ確認したいことがあるらしく、別の机へ歩いていった。姫野は少し離れた席で話を聞いていたが、浜口に尋ねられると、手元の端末を示しながら何か答えていた。

 

 帆波も、自分の用事を進めた。臨海支部への再訪について、正式な許可が下りていることを確認する。坂柳を案内できるのは、認められた時間と非機密区画の範囲だった。それで、約束した見学を実現できる。承認された内容を確かめてから坂柳へ伝えると、丁寧なお礼と、楽しみにしているという返事が届いた。

 

 体育祭より前のある日、二人は、以前も一緒に座った喫茶店で向かい合った。

 

 窓辺の光は、初めてお茶をしたころより柔らかくなっていた。坂柳がカップへ添えた指を離し、帆波へ微笑む。

 

「無事に、お話がまとまりましたね」

 

「うん。本当にまとまるとは思ってなかったよ」

 

「ふふ。少しは私のことを、信用していただけましたか?」

 

「最初から信用してたよ。でも、やっぱりすごいなって」

 

 坂柳は少し顎を引き、笑みを深くした。

 

「それは、光栄です」

 

「ちゃんと、みんなが考えられる話にして持ってきたんだね」

 

「私にも、得たいものがありますから。一之瀬さんにお願いする以上、こちらで用意できるものは、用意しなくては」

 

「丸一日の見学?」

 

「ええ。とても楽しみにしています」

 

 迷いのない返事だった。帆波は、その顔を見て笑った。

 

 当日、坂柳はどんなことを尋ねるだろう。自分には見慣れた場所でも、彼女にとっては、足を止めたくなるものがいくつもあるのかもしれない。答えられることなら話したかったし、分からなければ、分からないと伝えればよかった。

 

 支部でエースを見かけたら、坂柳を案内することになったと改めて話したい。彼の顔を見て、声を聞き、仕事の邪魔にならないところで少しでも話せたら嬉しかった。友人と過ごす一日を楽しみにしながらも、その期待は帆波の中に自然に残っていた。

 

「当日はよろしくね、坂柳さん」

 

「こちらこそ。楽しみにしております」

 

 坂柳のカップへ伸びた手が止まり、二人は顔を見合わせた。もう一度同じ返事をしたことに気づいたらしく、彼女が先に笑う。

 

 帆波も笑って、自分のカップを取った。今度は、待ち合わせたあとに自分が案内する番だった。

 




もちろん坂柳には文化祭で勝つ秘策(原作)があります。
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