第1話 「文化祭準備・坂柳有栖の提案」
ケヤキモールへ入ると、通路の向こうから、制服姿の生徒たちが話しながら歩いてきた。店先で立ち止まる者も、連れに呼ばれて歩き出す者もいる。体育祭の日には、生徒が一人もいなかった場所だった。坂柳と二人で歩いたときの静けさを思い出しながら、帆波は神崎と並んで人の流れを避け、カラオケの受付へ向かった。
十月の放課後の光は、ガラス越しに低く差し込んでいた。日向を離れると頬に触れる空気が冷たくなり、案内された部屋の扉を開ければ、今度は室内の暖かさが戻ってくる。今日は歌うために来たのではなかったが、奥のソファに座る坂柳を見つけると、自然に口元が緩んだ。
「有栖ちゃん、お待たせ」
「いらっしゃいませ、一之瀬さん。神崎君も、ありがとうございます」
「ああ。文化祭の件だったな」
神崎が扉を閉める。坂柳の隣では、鬼頭が大柄な身体をソファへ収めていた。こちらへ顔を向けて短く会釈する、その落ち着いた様子は、無人島で同じグループになったときにも見ている。帆波も挨拶を返した。
卓にはマイクが二本置かれていたが、歌は流れていなかった。モニターの映像だけが切り替わり、その光が、重ねられた紙の縁を明るくしている。坂柳は席へ着こうとする、二人へ告げる。
「このあと、CクラスとDクラスの代表にも来ていただきますので、こちらの席へどうぞ」
自分たちと同じ側のソファへ座るよう、促す。対面の席にC・Dの生徒が座れば、お互いの同盟が明確になるだろう。
「4クラスでの会談の前に、同盟相手であるBクラスには構想をお伝えしておきたくて」
「……まさか、四クラスで協力するつもりか?」
神崎の眉が上がった。帆波も坂柳を見ると、彼女は二人の反応を楽しむように微笑んでいた。
「はい。文化祭で競う相手は、同じ学年の四クラスだけではありませんから」
九月一日に文化祭の説明を受けたとき、外部からも客を招くと聞いて、教室ではいくつもの声が上がっていた。三学年十二クラスが売上を競うことや、各クラスへ与えられる大まかな予算も、そのときに示されている。ただ、場所に掛かる費用や予算の詳しい扱いは、追加説明を待たなければ分からなかった。
それに、説明を受けてから、文化祭のことばかり考えていられたわけでもない。特別試験があり、それを終えると体育祭の準備が続いた。出し物の案を話す時間はあっても、腰を据えて準備に取り掛かれる時間は、思っていたほど多くなかった。
「私の方で、今回の提案をたたき台にまとめました。皆さんの了承を得た内容ではありませんので、まずは案としてお聞きください」
坂柳の言葉を受け、鬼頭が資料を二人へ渡した。帆波は神崎とともに一度目を通した。異なる趣向のカフェを同じ場所へ集める構想と、調達の一括化による経費圧縮、共同で行う仕事、Aクラスが取りまとめとして行う仕事、Aクラスが受け取る売上の割合が記されている。特別校舎の一階に三店舗、二階から三階に調理と資材の拠点。配置の案を頭に入れてから、帆波は紙を卓へ置いた。
「違うお店を、近くに集めるんだね」
「ええ。文化祭で飲食店をお探しなら、まずこちらへ、と覚えていただける場所を作りたいのです」
「一つのお店を探すより、そこへ行けば選べる方が分かりやすいかも」
「そのように受け取っていただければ、宣伝もしやすいでしょう?」
帆波が頷く隣で、神崎は少し前へ身体を寄せた。
「うちも、一応、何をするかは決めてある。ただ、場所代や予算の詳しい説明を待って、正式に決めるつもりだった」
「でしたら、今のうちに共同で行う部分を相談しておく意味はありますね」
「ああ。試験と体育祭もあって、具体的な準備はあまり進められていない。今なら、方針を合わせる余地はある。他のクラスも、さほど状況は変わらないだろう」
「まだ発表されていない部分まで、今日決めていただくつもりはありません。費用や状況が明らかになってから詰める部分と、先に協力できる部分を分けて考えたいのです」
神崎は頷き、話の先を促した。
「それで、Aクラスは何を担当する?」
「場所や資材の確保、調達、宣伝、準備と運営の支援です。B・C・Dの三クラスには、それぞれ異なるコンセプトのカフェを運営していただきたいと考えています。Aクラスはパンフレットの販売も行いますので、お客様への案内にも活用できます」
「調理も共同にするんだな」
「同じ材料を使うものや、まとめてできる下準備まで、別々に行う必要はないでしょう。特別校舎の他階を調理と資材の拠点に、一階を三つのお店に使う案です。それぞれの店らしさを残しながら、裏側の仕事を共同にするのです」
「その対価が、各カフェの売上の15%か」
「はい。利益からではなく、売上からいただきます」
神崎はすぐには返事をせず、卓の縁へ置いていた手を引いた。両膝の間で指を組み、少し考えてから口を開く。
「以前の人員の約束は、その中でどう扱う?」
「Bクラスへ、最低でもAクラスの三分の一の人員を提供するお約束は維持します。四クラス共同の仕事を行うことに加えて、Bクラスのカフェに必要な人員は、優先して提供いたします。別の出し物の準備にも応援を出しますので、ほかの二クラスとすべて同じ条件になるわけではありません」
「共同作業へ出した分で、Bへの協力も済ませたとはしないんだな」
「ええ。そこは、先にお約束していますから」
神崎の肩から、わずかに力が抜けた。
「分かった。その条件なら、今の段階で俺は賛成だ」
「ありがとうございます」
「Aクラスと協力すること自体は、すでにクラスでも合意している。今回の共同事業で、その約束がどう活かされるかを説明すればいい。他の二クラスとの話がまとまれば、クラスを説得する自信はある」
神崎が静かに言い切ると、坂柳は微笑んだ。帆波は二人の間で話が進むのを聞きながら、趣向の違う三つの店先を思い描いた。同じ飲み物を出しても、服や飾りつけ、客を迎える言葉で印象は変わる。同じ廊下を歩くだけでも、ずいぶん楽しめそうだった。
「Cクラスは、メイドカフェをなさるようですし。三店舗の違いを出すこと自体は、難しくないでしょう」
「Dクラスは?」
「そちらも含めて、これから相談したいと思っています」
坂柳が答えたところで、扉が開いた。金田が先に入ってきて、眼鏡の奥から室内の顔ぶれを確かめる。その後ろに続いた伊吹は、挨拶を済ませると、空いているソファの端へ向かった。
「もう始めてたの?」
「同盟相手への事前説明です。皆さんへのお話は、これからですよ」
「そう」
伊吹は短く返し、腕を組んで座った。金田がその隣へ腰を下ろすと、ほどなく堀北と綾小路も姿を見せた。
堀北は揃った顔を見渡してから、坂柳へ挨拶した。背筋を伸ばした姿勢にも、言葉を発する前に相手を捉える目にも、会談へ来たという意識が感じられる。その傍らで綾小路は短く挨拶し、勧められた席へ静かに座った。帆波が坂柳の隣で姿勢直して座りなおすと、綾小路と目が合ったので、軽く笑って挨拶を返した。
「綾小路君も、今日はお越しいただけたのですね。体育祭はお休みになられたそうですが」
坂柳が声を掛けると、綾小路は彼女へ顔を向けた。
「ああ。休ませてもらった」
「もう差し支えはありませんか?」
「今は問題ない」
「それは何よりです」
「問題がないなら、今日は少しくらい働いてほしいわね」
堀北の声は、坂柳へ向けていたときより硬かった。綾小路は隣を見たが、言い方につられて顔をしかめることもなかった。
「そのつもりで来た」
「座って話を聞くだけなら、あとで私が伝えることもできるのよ」
「必要があれば、意見も言う」
堀北はそれ以上言葉を重ねず、坂柳へ向き直った。帆波も神崎の肘が動かしやすいよう少し横へ寄り、膝の上へ両手を置いた。斜め向かいでは、綾小路が表情を変えないままこちらを向いていたが、鬼頭が立つと、その動きへ目を移した。
鬼頭が新たに来た四人へ資料を配る。八人で卓を囲むと、先ほどまで空いていたソファも、互いの膝や肩の位置を考えて座る必要があった。坂柳は全員が資料に目を通し、落ち着くのを待って、改めて提案の説明を始めた。
異なるコンセプトのカフェを三つ集め、調達や調理、宣伝を共同にする。準備への人員支援と、Aクラスへの売上15%の移譲。骨格を聞き終えると、堀北が口を開いた。
「三クラスが飲食店をやると、ずいぶん都合よく考えているのね」
「コンセプトが異なれば、同じ場所へ集める意味があります。Cクラスはメイドカフェをなさるようですし、その点は問題ないでしょう」
「メイドカフェをやるとは限らないわ」
堀北の返事は早かった。坂柳は驚いた様子もなく、首をわずかに傾けた。
「クラスの方々は、そう思っていらっしゃらないようですが」
そこで言葉が止まった。堀北の顎が少し上がり、伊吹は組んだ腕を動かさないまま二人を見比べた。
「……誰が情報を漏らしたのかしら」
「そのようなお顔をなさらなくても。準備について相談していれば、何をするかは少しずつ外にも伝わるものです」
「こちらのクラスのことを、ずいぶん気に掛けているのね」
「ええ。満場一致試験のあと、学校へいらしていない方もいたと伺いましたので」
坂柳の声は、それまでと同じ穏やかなものだった。それだけに、室内が静まったことがよく分かった。堀北の手が膝の上で止まり、神崎も口を閉じたまま二人を見ていた。
「退学者を出し、残った方々の間にも混乱が続く。100クラスポイントは、高かったのではありませんか」
帆波は、あの試験で示された最後の選択を思い出した。一人を退学させることと引き換えに得る、追加の100クラスポイント。教室を出たあとにも、その結果は残る。坂柳は、堀北たちが得たものと、そのあとに続いていることを並べていた。
堀北の指が、膝の上で揃えられた。指先に力が入っているのが見て取れた。口元も強張り、次に発した声は先ほどより低かった。
「大きく追い上げられたことが、そんなに怖いのかしら」
「怖がっている相手を、わざわざ共同事業へお誘いするように見えますか?」
「競争相手を、自分の管理できる場所へ置いておきたいのかもしれないわね」
「でしたら、管理されないように交渉なさればよろしいでしょう。今日は、そのためにお集まりいただいています」
坂柳は背筋を崩さず、堀北を見返していた。声を強めることも、追い上げについて言い返すこともない。そのまま、静かに言葉を続ける。
「ただ、今は文化祭のお話をいたしましょう。限られた準備の時間を、こちらで減らす必要はありませんから」
満場一致試験の話を出したのは、有栖ちゃんなのにね。帆波は隣の顔を見ながら、少しだけ口元に力を入れた。ここで笑えば、堀北には別の意味に取られてしまいそうだった。
「堀北」
綾小路が呼んだ。帆波がそちらへ顔を戻すと、彼の目が自分から隣の堀北へ移るところだった。
「今ここで言い合っても、文化祭の条件は変わらない。提案を聞いてから判断すればいい」
「分かっているわ」
「なら、そっちを先にしよう」
堀北はすぐには答えなかった。少しの間を置いてから息を吐き、坂柳へ向き直る。綾小路はそれ以上言葉を足さず、元の姿勢へ戻った。
「……では、聞くけれど。Aクラスが売上の15%を受け取るだけの利点が、こちらにあるのかしら」
「そこをご説明するための場です」
「場所代も予算の詳細も、まだ出ていないのよ。共同にすれば安くなると、今から言い切れる?」
「最終的な費用は、追加説明を待って詰めることになります。ただ、同じものを別々に調達し、似た仕事にそれぞれ人を割くより、まとめた方が無駄を減らせる部分は多いでしょう。今日は、その枠組みに賛同していただけるかを伺っています」
「こちらでも、企画について相談は進めているの。それを他クラスと合わせ直す手間もあるわ」
「ええ。ですから、Cクラスのお店を別のものへ変えていただくとは申していません。特別試験と体育祭が続き、準備に専念できる時間も多くはなかったでしょう。今のうちなら、重ねなくて済む仕事もあるはずです」
堀北は唇を結んだが、その点には反論しなかった。
「近くに三つも店があれば、お客を奪い合うことになるでしょう」
「お客様の行き先は、私たちの三店舗だけではありません。他学年にも飲食店はあるでしょう。離れた場所で一軒ずつ探していただくのと、三種類から選べる場所として来ていただくのとでは、入口が違います。他学年に対して大きな利点となるはずです。また、特別教室棟は予想されたお客様の動線上、最初に目に入る場所です。高額の場所代が予想されるこの場所を、われわれで独占できます」
「三つ全部で、お金を使ってくれるわけではないわ」
「もちろんです。メイドカフェへは入りづらくても、ほかの趣向のお店なら入ってみたい方もいらっしゃるでしょう。その逆もあるはずです。全員に三回払っていただくために、集めるのではありませんよ」
堀北が黙ると、神崎が言葉を継いだ。
「俺も、違う客層を一か所へ呼べるところに意味があると思う。ひと休憩したい客であれば、とりあえずカフェが集まっているエリアを、行先として選択する可能性は高いはずだ」
「来た人が、どこかを選べばいいということね」
「その機会を、別々にやるより増やせるかどうかだ」
神崎は堀北を見て答えた。帆波はその横顔を見てから、坂柳へ目を戻した。彼女はすぐに自分の説明へ引き取らず、二人のやり取りを聞いている。
「一つ、よろしいですか」
金田が少し前へ乗り出した。
「うちは、まだ何も決まっていません。ですので、三つ目のコンセプトについては、こちらでも相談が必要です」
「ええ。Dクラスに決まった企画があることを、前提にはしておりません」
「そのうえで確認したいのですが、坂柳氏。この提案を受けた場合、場所や人員だけでなく、企画や運営の組み立てについても、助力をいただけるのでしょうか」
伊吹の顔が、すぐに金田へ向いた。
「ちょっと。そこまで言う必要ある?」
「あります。何を得られるかは、先に確認しなければなりません」
「自分たちじゃ何もできませんって、言ってるようなものじゃない」
金田は眼鏡へ一度指を添え、伊吹へ向き直った。
「今さら隠しても仕方がないでしょう。企画をまとめて、人を配置して、当日の運営まで考える。うちには、それを十分に進められる体制がありません」
「だからって、他のクラスの前で――」
「決まっているふりをして、あとから困る方が問題です」
声は大きくなかったが、伊吹の言葉はそこで止まった。彼女は金田を睨み、ソファへ背を預ける。腕を組み直したとき、袖を押さえる指に力が入った。
金田は一度息を吐いてから、堀北へ顔を向けた。
「もともとCクラスとの同盟にも、企画面での協力を見込んでいました。身体能力のある生徒を集めれば、店の企画ができるというものではありませんので」
帆波は、体育祭前の教室で出ていた話を思い出した。あのときには、CとDが組んでいる可能性が高いというところまでだった。体育祭のエントリー結果からそれは確実だったが、今は金田自身が、同盟について口にしている。隣の神崎も聞いていたが、過去の交渉へ話を戻そうとはしなかった。
「協力しないと言った覚えはないわ」
堀北が答える。
「ええ。ただ、四クラスで行うなら、どこまでが共同の仕事になるかを明らかにしておきたいのです。Aクラスへ売上を渡すのであれば、企画や運営の助力が含まれるかどうかは重要です」
「含めていただいて構いません」
坂柳の返事は明確だった。
「たとえば、三つ目を和風のカフェにすれば、ほかのお店とは違いを出せます。これは、あくまで候補ですが。何を提供するか、どのようにお客様を迎えるか、必要な仕事をどう分けるか。そこから一緒に相談できます」
「それが得られるなら、大きいです」
「ずいぶん、簡単に頼むのね」
伊吹はまだ不満そうだった。金田が、再びそちらへ顔を向ける。
「簡単ではありません。ですから、どこまで頼めるかを確認しています」
「相手の言いなりになったら、どうするのよ」
「こちらの条件も伝えます。何も決まっていないことまで隠していては、その話もできません」
伊吹が口を閉じた。金田は言い負かしたことを確かめるような顔をせず、坂柳へ向き直った。
「何をするにしても、方向性が決まっていれば、クラスをまとめやすくなります。何を手伝ってほしいのかも言えないままでは、人を動かす話になりませんので」
「ええ。では、まずはそこから相談いたしましょう」
「こちらにも動ける生徒はいます。必要な仕事がはっきりすれば、人を出すことはできます」
「もちろん、Dクラスの皆さんにも働いていただきます。企画を手伝うことと、お店を丸ごと引き取ることは違いますから」
「その方が、こちらも助かります」
坂柳が頷く。その横で鬼頭は口を挟まず、金田と伊吹の間で話が落ち着くのを待っていた。
堀北はしばらく黙っていたが、やがて前へ身体を寄せ直した。
「カフェの準備を共同にして、人が空いたとして。別の企画を行う場合は、どうなるの?」
「今回の対象は、三つのカフェです。各クラスが独立した企画を行う場合、その売上から15%をいただくことはありません」
「材料や人を、そちらへ回せる余地ができるというわけね」
「はい。限られた予算と人員で、できることを増やすための共同事業です」
「ただし、カフェを他クラスへ任せて、自分たちだけ別の企画をするようでは困る」
神崎が言った。
「店ごとの仕事と、共同で必要な仕事を分けて、担当を決める。それを果たしたうえでの話になる」
「そこまで決めるのにも、時間が掛かるわね」
「当日に足りないと分かるよりはいい」
静かな返事だった。神崎は前へ寄せていた身体を一度戻し、肩の位置を変えた。最初から話を聞いている分、同じ姿勢で座っていた時間も長い。堀北も喉を潤してから口を開き、金田は質問を続けかけて、一度息を継いだ。
帆波は、言葉の間が少しずつ長くなるのを聞いていた。誰もがすぐに返事をするのではなく、相手の答えを受けて考える時間が増えている。伊吹は足の位置を変え、背もたれから身体を起こしたが、もう金田を遮ろうとはしなかった。
「綾小路君は、何もないの?」
堀北が隣へ顔を向けた。綾小路は、それまで向けていた視線を上げるようにして彼女を見た。
「今の話なら、カフェ以外を対象にしないところは利点だと思う」
「それだけ?」
「共同にして減らせる負担と、Aクラスへ渡す分を比べることになる。詳しい費用が出る前に、協力の形を決めておくのは無駄じゃないだろう」
綾小路の声は、初めに返事をしたときと変わらなかった。帆波は神崎の言葉を待っていて、堀北が頷いたあとに彼がどこへ目を戻したかまでは追わなかった。
「……そうね。正式な費用が出てから、最終的な調整は必要になるけれど」
「その点は、皆さん同じです」
坂柳が答えた。
「ただ、それまで各クラスが別々に準備を進め、十一月になってから合わせ直す方が、余計な手間も増えるでしょう。今、共同で進める方針を決めておけば、重ねなくて済む仕事があります」
堀北はすぐには返さなかった。坂柳も答えを催促せず、カップへ手を伸ばして喉を潤す。その間に、隣室の歌声が壁越しに遠く聞こえた。
「企画を相談したら、店のことまで全部そっちで決めるわけじゃないのね」
伊吹が口を開いた。
「人手だけ出せばいいって扱いなら、話が違うわよ」
「お店を運営するのは、それぞれのクラスです。共同で調理するものや、お客様のご案内に関わる部分は相談していただきますが、Dクラスのご意見を伺わずに決めるつもりはありません」
「……それなら、いいけど」
金田は伊吹へ念を押さず、坂柳へ頷いた。
「こちらは、まず共同で進めることと、企画・運営の相談ができることを持ち帰ります。店の方向性については、そのうえで相談させてください」
「Bクラスも、共同で進める方向で説明する」
神崎の言葉に、帆波も隣で頷いた。運営の細かな話は彼が引き受けている。自分から責任を取り戻そうとは思わなかったが、そこで過ごす一日には、楽しみなものが増えていた。
「三つ並んだら、お店の前も一緒に考えた方がよさそうだね」
帆波が言うと、堀北がこちらを見た。綾小路も同じ方を向いていたが、表情は静かなままだった。
「呼び込みのこと?」
「うん。自分のお店の声だけ大きくしても、隣が困っちゃうかなって。お店ごとに、入り口の雰囲気も違うだろうし」
「そこも、準備の段階で合わせておきましょう」
坂柳が答える。
「お客様をお迎えする前に、廊下で競り合っては仕方ありませんから」
「せっかく違う雰囲気にするなら、呼び方も合わせたいよね」
「一之瀬さんなら、お上手そうですが」
「それは、やってみないと分からないよ」
帆波が笑うと、神崎の口元も少し緩んだ。坂柳と目を合わせてから向かいへ顔を戻すと、綾小路と視線が重なった。何か意見があるのかと思って少し待ったが、彼は口を開かず、堀北が話を戻す声へ静かに顔を向けた。
最後まで残ったのは、売上の15%に対して、Aクラスが何を引き受けるかという確認だった。坂柳は割合を変えず、その代わり、準備と運営への助力を曖昧な好意ではなく、Aクラスの役割として約束した。正式な場所代や予算の詳細が発表されたあとに詰める部分も、そこで区別された。
「では、基本方針には賛成するわ」
堀北が言った。背もたれへ預けていた身体を起こし、坂柳を正面から見る。
「カフェ以外の独立企画は対象外。それから、共同で行う仕事は、担当を曖昧にしない。費用が発表されたら、それを踏まえて調整する。その条件でクラスに話す」
「はい」
「Aクラスへ渡す分がある以上、こちらも遠慮なく働いてもらうつもりよ」
「もちろんです。そのための対価ですから」
坂柳の微笑みに、堀北はそれ以上言い返さなかった。金田も賛同し、神崎が頷く。まだ相談を重ねるところは残っていたが、三つのカフェを共同で支えるという方針は、ようやく一つの話としてまとまった。
卓の上には、使われないままのマイクがあった。帆波はそれを見て、ここがカラオケルームだったことを改めて思い出した。歌の順番を待つ代わりに、八人で言葉を受け渡していたような時間だった。
先に立った堀北に続き、綾小路も腰を上げた。帆波が隣の神崎から顔を戻すと、ちょうど彼と目が合った。
「じゃあ、また」
「うん。またね、綾小路君」
返事を受けても、彼の表情は変わらなかった。堀北が扉へ向かってからも一拍ほどこちらへ顔を向けていたが、すぐに続いて部屋を出ていく。伊吹も長く座っていた脚を伸ばしてから立ち、金田へ顔を向けた。
「終わったなら、行くわよ」
「ええ。坂柳氏、企画の相談は改めてお願いします」
「お待ちしております」
金田と伊吹が去ると、神崎も帆波を見た。
「一之瀬は、どうする?」
「私は、もう少し有栖ちゃんと話していくね」
「分かった。クラスへの説明は、俺から進める」
「うん。お願い」
神崎は頷き、坂柳へ挨拶して部屋を出た。鬼頭も坂柳と言葉を交わして席を離れる。最後の扉が閉まると、急にソファが広くなった気がした。
帆波は空いた場所へ少し移り、坂柳の近くへ座り直した。カップを手に取ると、指先へ伝わる温かさは、初めのころより和らいでいた。坂柳もお茶を飲み、それから小さく息をつく。
「ずっと話してたね。喉、大丈夫?」
「ええ。ですが、少し休みたいところでした」
「うん。私も、ここでは歌わずにこんなに長く座ってたの、久しぶりかも」
「マイクを使っていただいてもよろしかったのですが」
「会議中に?」
「皆さん、よくお聞きになったと思いますよ」
「余計に話しにくくなっちゃうよ」
笑って返すと、坂柳の肩もわずかに揺れた。会談の間にも笑みはあったが、今は相手の返答を待つためのものではない。帆波もカップを口元へ運び、その顔を眺めた。
体育祭の日、支部を案内したときには、有栖が知らないものを見せる側だった。今日は反対に、彼女の考えたものが形になっていくところを見せてもらった。人の反対や質問を受けても、すぐには譲らず、それでいて話を終わらせもしない。帆波には、それも彼女らしい楽しみ方に思えた。
「退屈ではありませんでしたか?」
「ううん。面白かったよ。同じ話でも、みんな、気になるところが違うんだなって」
「一之瀬さんは、お店が並んだあとのことを考えていらっしゃいましたね」
「うん。歩いて見て回ったら、楽しそうだと思って」
「当日は、働いていただく側ですよ?」
「分かってるよ。お客さんを案内するのも、楽しそうだなって」
坂柳が微笑んだ。帆波はカップを下ろし、少しだけ身体を彼女の方へ向けた。
「有栖ちゃんは、ずっと楽しそうだったね」
「そう見えましたか」
「うん。反対されても、困ってる感じはしなかった」
「考えていらっしゃることを、お話しいただけましたから。何もおっしゃらずに賛成されるより、分かることはあります」
「伊吹さんと金田君も?」
「ええ。どこを助けてほしいか、はっきり伺えたのはよかったです」
帆波は頷いた。話が進むほど、同じ共同事業という言葉の中に、別々の期待があることが分かってきた。神崎は、すでに決まっているAクラスとの協力を活かして、クラスを動かそうとしている。金田は、決まっていない企画を運営できる形へ整える助力を求めている。堀北は、自分たちの方針を活かしながら、渡す分以上のものを得られるかを確かめていた。
「ちゃんと、お店になるといいね」
「そのために、これから働いていただきます」
「私も?」
「もちろん。一之瀬さんにも」
そう言われると、帆波は笑った。クラスの順位のために何もかも引き受ける気持ちは戻らなかったが、文化祭で何をするかは、自分でも楽しみにできた。有栖の考えた場所で、普段とは違う役になって客を迎える。それは、それだけでやってみたいことだった。
「ところで、一之瀬さん。お仕事の方はいかがですか? 文化祭への参加は問題なさそうでしょうか」
「うん。まだ任務を受けられない状態が続いてるから、今回は準備から参加できるよ」
「では、楽しみにしていてもよろしいのですね」
「もちろん。訓練には行くけど、ちゃんと時間は取れるから」
母と美帆にも、文化祭のことを話したかった。何を準備して、どんな客が来て、自分はどう迎えたのか。学校での出来事を聞きたがる母にも、美帆にも、楽しんだことをそのまま伝えられる。まだ始まっていないのに、二人の返事を思い浮かべると嬉しくなった。
それから、エースにも聞いてほしかった。支部へ行けば、訓練で試したいことや、前よりうまくできるようになったことがある。彼に見てもらいたいし、新しく教わったことなら、できるようになるまでそばにいてほしい。その時間のあとにも、文化祭の話ができたら、もう少し長く一緒にいられる。
「何か、楽しそうなことを考えていらっしゃいますね」
坂柳に言われ、帆波は顔を上げた。
「そんなに分かる?」
「ええ。先ほどとは、少し違うお顔でしたので」
「お母さんと美帆に、文化祭の話をしたいなって。あと、エースさんにも」
「皆さんにお話しすることが、たくさんできそうですね」
「うん。今日はまだ、相談しただけだけど」
「でしたら、これからたくさん楽しんでいただかないといけませんね」
帆波が頷くと、坂柳はカップを下ろして微笑んだ。
「私も、楽しみにしております。一之瀬さんがお客様をお迎えするところを」
「有栖ちゃんも来てくれる?」
「もちろんです。共同事業のお店が、どうなっているか確かめる必要がありますし」
「それだけ?」
少し顔を寄せて尋ねると、坂柳の笑みが深くなった。
「友人のお仕事ぶりも、拝見したいと思っています」
「じゃあ、ちゃんと練習しておくね」
「ええ。期待しております」
帆波は背筋を伸ばし、客を迎えるつもりで微笑んでみせた。けれど、坂柳と目が合うと、先に笑ってしまった。彼女も口元へ手を添え、声を抑えきれずに笑う。
まだ店も、当日の自分も出来上がってはいなかった。それでも、目の前の友人をこんなふうに笑わせる時間なら、準備の途中にもきっとある。帆波がカップを取ると、坂柳は思いついたように首を傾けた。
「コスプレ妖怪カフェなどでしたら、一之瀬さんの鬼のお姿も活かせるのではありませんか」
「南雲先輩が、大規模なお化け屋敷をやるって噂があるよ。それだと被っちゃうんじゃないかな」
「……それは、残念ですね」
言葉ほどには困っていない顔だった。それでも名残惜しそうにこちらを見るので、帆波はカップを持ったまま笑った。
坂柳と堀北の話し合いはちょっと苦戦しました。堀北はこの段階ではもっとトゲトゲしていた気もするし、クラスのためにもっと冷静に慣れていた気もしまして。