現地の霊能者との顔合わせには、エースも同席していた。
待っていたのは、この土地に古くから続く家の当主だった。落ち着いた色の上着を隙なく着こなし、帆波が挨拶すると、席を勧める前にきちんと立って迎えてくれた。
当主の力は、レベル16。この地域では最も高いのだと、エースから事前に聞いていた。ただし、得意としているのは占術で、戦闘に特化した能力ではない。呪殺が通じる相手には対抗できても、それを防ぐ同程度の相手との戦いでは厳しいという。
紹介を終えると、当主はスマートフォンによく似た端末を取り出した。
「失礼ですが、アナライズをさせていただいてもよろしいでしょうか。ご一緒する方の力を、確認しておきたいので」
「はい。大丈夫です」
帆波が答えると、当主は礼を言い、端末をこちらへ向けた。操作する指が止まったのは、それから間もなくだった。
画面を見たまま、当主が黙った。次いで顔を上げ、帆波を見てから、もう一度表示を確かめる。
「……レベル96?」
帆波は思わずエースを見た。聞き慣れている自分の数字とは違う。測り直すのだろうかと思っていると、当主の方が先に口を開いた。
「一之瀬さんは、黒札でいらっしゃるのですか?」
「いえ、金札です」
答えると、当主はさらに意外そうな顔をした。帆波が何か説明を足すより先に、エースが端末へ目を向けた。
「Dレベルで測るのはやめた方がいいですよ。正規のアナライズを入れてください」
「ああ……まだ、こちらを使っておりまして」
「その表示のままだと、こちらの数字と混同しますからね。今後も連合とやり取りするなら、替えておいた方がいいです」
当主は端末を手元へ戻し、頷いた。
「承知しました。手配しておきます」
帆波は二人のやり取りを聞いてから、少しだけエースへ身を向けた。
「エースさん。Dレベルって、普通のレベルとは違うんですか?」
「ああ。大体、普段使っているレベルを三倍すればいい」
「三倍……」
先ほど告げられた数字を頭の中で割ると、いつもの自分のレベルになった。帆波はようやく頷いた。
「急に知らない数字が出たから、びっくりしました」
「測り方の表記が違うだけだ。強さが変わったわけじゃないからな」
「はい。分かりました」
「それと、ガイア連合の中では、今までどおり普通のレベルを使ってくれ。報告するときもだ。混ぜると話が合わなくなる」
「はい。そっちで覚えておきます」
帆波が答えると、エースは短く頷き、当主へ向き直った。
「一之瀬は力はありますが、霊能に関してはまだ素人です。知らないことも多いので、その辺りはよく教えてやってください。よろしくお願いします」
帆波は彼の横顔を見た。自分へ注意するだけでなく、一緒に働く相手にも、何ができて何を知らないのかを伝えてくれる。そのうえで頼んでくれたことが、嬉しかった。
「承知しました。こちらこそ、力を貸していただくのですから。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」
当主が帆波へ顔を向けた。先ほどの数字に驚いた様子はまだ目元に残っていたが、声は落ち着いていた。
「私も、戦いとなればお任せしなければならないことが多いでしょう。互いに分かることを伝えながら進められればと思います」
「はい。よろしくお願いします」
帆波は頭を下げた。強さの数字を見せただけで、何でも知っていると思われずに済んだ。知らないことを聞いていいと言ってもらえると、これからの説明にも、気負わず耳を傾けられそうだった。
当主は端末をしまい、机へ広げた資料に手を添えた。
「では、まず、こちらで分かっていることからお話しします。事前にお渡しした資料には、目を通していただけましたか」
「はい。隣町の教会が疑わしいとのことですよね。占術では、教会の中を確かめられないんですか?」
帆波が尋ねると、当主は頷いた。
「結界に弾かれています。何度か試しましたが、内側の様子までは届きませんでした」
「それじゃ、この情報は……」
「人に聞いて、話を照らし合わせ、確かめられるところへ足を運んで集めたものです。隣町ですから、このあたりにも関わりがある人間は多い。この土地で長く暮らしておりますから、話をしに来てくださる方もいます。ただ、一般方では、聞き込みで分かることにも限度があります。本当に事件に関わりがあるのかどうか、判断はむずかしい」
当主の指が、机へ広げた資料の一つに触れた。そこには、確認できたことと、まだ裏付けのないことが分けて記されている。帆波は初め、力を使えばこうしたことがまとめて分かるのだと思いかけていた。けれど、並んでいるのは、一度に得られた答えではなかった。
「結界で見えないからといって、その中で何も起きていないことにはなりません。人がいなくなっている以上、調べる手段はあります」
淡々とした言い方だった。得意な方法を塞がれたことへの愚痴より、次に何をしたかが先に出てくる。帆波は資料から当主へ目を戻した。
「ここまで調べても、まだ、足りないんですね」
「この神父が関わっている可能性は非常に高いと考えています。ただ、怪しい場所を絞り込めたことと、中で何が行われているかを証拠として示せることは別です。そこを確かめるには、もう少し近づかなければならない」
当主はそこで言葉を切った。
「相手に気づかれた場合、私では対処しきれない恐れがあります。ですから、力を貸してくださる方を待っていました」
帆波は頷いた。自分がここまでの調査を引き受け直す必要はない。その先へ進むために、できることを加えればよかった。
まずは、事前に分かっている場所を、自分の目で確かめることになった。霊的な素養を持つ少女として接点を得られるかもしれないという案も伝えたが、最初から教会へ入り込み、奥まで案内させると決めたわけではない。
「本格的な調査協力は明日からとしましょう。今日は時間も遅くなってきました。まず現地の様子を見るところまででお願いします。下見をして地理を把握していただき、実際に何か気が付いたことがあれば、これまで調べたこととも照らし合わせます」
「はい。分かったことは、ちゃんとお伝えします」
帆波が答えると、当主は表情を和らげた。傍らで話を聞いていたエースも、こちらへ顔を向ける。
「今話した方針で進めてくれ。何かあったら、すぐに呼べよ」
「はい。エースさんも、お気をつけて」
「ああ。そっちもな」
外へ出ると、吐いた息が街灯の光の中で白くなった。地面に残っていた昼の熱も薄れ、建物の間を抜ける風が、制服の裾を動かしている。
帆波は襟元へ指を添えた。肌に触れる布は柔らかく、袖を曲げても、銃撃を防ぐほどのものを着ているという感触はなかった。防御符は服の下に収まり、結界符も取り出せる場所にある。通信機へ手を伸ばせば、エースに声を届けられた。
彼はもう、別の仕事へ向かっている。
それを思うと少し寂しかったが、顔合わせまで一緒に来てくれたことが嬉しかった。当主へ、自分の知らないことを教えてほしいと頼んでくれた。その言葉を思い出すたびに、胸の辺りが温かくなる。
通りへ目を戻したとき、建物の窓に、自分の姿が薄く映った。見慣れない制服を着ていると、違う学校へ通う生徒になったようだった。額の生え際は、いつものように前髪で隠れている。
「こんばんは」
背後から掛かった声に、帆波は振り向いた。
年配の男が立っていた。清潔に整えられた黒い聖職服と、襟元の白。胸元には銀のロザリオが下がり、片手には使い込まれた聖書を抱えている。柔らかく細められた目と、こちらを急かさない微笑みが、資料で確認した顔に重なった。
思っていたより、ずっと早かった。
「こんばんは」
帆波は少し戸惑ったように返した。男は距離を詰めすぎず、立ち止まったまま話し始めた。
「何か、お困りではありませんか」
「え?」
「失礼。少し、心細そうに見えたものですから」
「……ちょっと、誰に話せばいいのか分からないことがあって」
「私でよければ、お話を伺いますよ」
男の声は穏やかだった。帆波はすぐには口を開かず、胸の前で指を重ねた。
これはチャンスかもしれない。
相手の顔を一度見てから、言いにくそうに視線を落とす。
「信じていただけないかもしれないんですけど……恐ろしいものを見てしまって」
そこで言葉を切り、続きを話してもいいのか迷うように唇を結んだ。何を見たのか、自分でもうまく説明できない少女のように。
神父の微笑みは深まった。
「恐ろしいもの、ですか」
「はい。でも、ほかの人には見えていなかったみたいで。私にしか見えてないのかなって思ったら、誰にも聞けなくなっちゃって……」
「それは、心細かったでしょう」
帆波は小さく頷いた。自分の力も、ここへ来た目的も明かさず、不安を聞いてほしがっているように男の顔を窺う。
「変だって、思いませんか?」
「そういうお話をなさる方も、いらっしゃいます。独りで抱えて、怖い思いをなさる必要はありませんよ」
「……私だけじゃ、ないんですか?」
「ええ。ここでは寒いですから、よろしければ教会へいらっしゃいませんか。落ち着いて、お話を伺いましょう」
示された方角は、事前に聞いていた場所と一致していた。相手から接点を作ってきたうえに、自分の拠点へ誘っている。
帆波は少し迷う様子を見せてから、頷いた。
「……少しだけなら」
帆波が答えると、神父は嬉しそうに頷いた。
「ええ。こちらですよ」
男が先に立って歩き始めた。帆波は鞄を持ち直し、少し遅れて後を追った。教会へ向かう道は、事前に聞いたものと合っている。
神父が前へ視線を戻したところで、帆波は歩調を緩めた。顔をわずかに伏せ、スマホを相手に見えないように操作した。
「対象から接触がありました。誘いを受けて、今、教会へ向かっています」
当主へ、次いでエースへ、同じ要点を伝えた。こちらから話しかけたのではなく、相手が近づいてきたこと。今は神父と二人で歩いており、教会で話を聞くつもりであること。それだけを知らせ、連絡を終える。
顔を上げると、神父が少し先で振り返った。
「寒くありませんか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
帆波は小さく笑い、離れた分だけ歩調を速めた。男の横へ並ぶより少し後ろで、再び足を揃える。歩きながら隙を伺ってスマホを確認すれば、当主からは、これから近くへ向かって待機する。エースからは、無理と油断はしないようにと返信がきていた。
当主も、エースも、自分がどこへ向かっているかを知っている。そのことを確かめてから、帆波は前方の教会へ目を向けた。
礼拝堂には、通りの風が届かなかった。扉が閉まると外の音が遠のき、壁と天井へ囲まれた静けさが残った。帆波は椅子の間を進む神父の背を追いながら、室内へ目を配った。
神父と自分のほかには、人の気配を感じなかった。奥の部屋にも、通路の先にも、帆波の感覚に触れる者はいない。少なくとも、教会の地上部分で、今、誰かが動いている様子はなかった。
「どうぞ」
勧められたところへ腰を下ろすと、神父も近くに座った。聖書を置く手つきは丁寧で、傷んだ紙の角にも慣れているようだった。
「人は、自分の理解できないものに出会うと、恐ろしくなるものです」
帆波は頷いた。
「はい。誰に話していいのかも、分からなくて」
「独りで抱える必要はありません。ここでは、耳を傾ける者がいます」
神父は祈りや救いについて、ゆっくりと語った。人には自分で気づいていない資質があり、それを恐れて遠ざけるだけでは、与えられたものの意味を知ることができないのだという。
「では、どうしたらいいんでしょうか」
「導いてくれる者と出会うことです。暗い道でも、灯りを持つ者が前にいれば歩けるでしょう」
「……その人についていけば、いいんですか?」
「ええ。今は見えなくても、やがて分かるようになります」
帆波は感心したように顔を上げた。男は満足そうに頷き、彼女が考えるように黙ると、その時間も待ってくれた。
言葉だけを聞いていれば、安心してもおかしくない。怖がらなくていいと言われ、分からないことを聞いてもらえる。それは帆波が、かつて切実に欲しかったものでもあった。
けれど、あの日のエースは、帆波が何を望むかを聞いてくれた。自分にできることを説明し、選べる道を教えてくれた。今日も、仕事を断っていいと言った。
目の前の神父が同じことをしてくれるかどうかは、まだ分からない。
「私みたいな人って、ほかにもいるんですか?」
「ええ。あなただけではありません」
「そうなんですね……」
帆波は安堵したように肩を落とした。もっと聞きたいという表情で、相手の言葉を待つ。
やがて神父は、もう少し落ち着いて話せる場所があると言った。帆波はすぐには立たず、教会の奥へ向けられた視線を追った。
「そっち、ですか?」
「大丈夫ですよ。怖がることはありません」
返事をする代わりに、小さく頷いた。
階段を下りると、空気の匂いが変わった。外気に触れにくい場所の、冷たく動きの少ない空気だった。その先には、古い石壁に挟まれた廊下が延びている。等間隔に設けられた電灯が、石の凹凸へ同じ向きの影を落としていた。
神父の後ろを歩きながら、帆波は廊下を確かめた。幅1メートル、脇へ分かれる道はない。階段から続く一本道で、端に扉が一つある。男がそこへ手を伸ばすより前に、帆波は扉の位置と、その外側に残る廊下の幅を見た。
ここで相手と向き合うことになっても、背後から近づくには一本道を通るしかない。壁との距離も、足を置ける場所も分かった。帆波はそれを頭へ収めてから、開かれた扉へ顔を向けた。神父に促されて室内へ入る。
中に、人がいた。
複数の少女が、こちらを見た。床にLEDランタンが置かれ、少女たちの顔を不気味に照らしている。壁際に身体を寄せている者も、顔を上げるまでに時間の掛かった者もいる。新しく来た帆波を見ても、声を掛けようとはしなかった。
「……ここ、何ですか」
帆波は細い声を作った。神父との距離を測りながら。少し室内へ踏み込む。少女たちを見るふりで部屋を確かめる。彼女たちのほかに、犯人側と見られる者はいない。出入りできるのは、今、神父が立っている扉だけだった。
少女の一人が帆波を見て、それから神父へ目を向けた。縋るような視線ではなかった。男の顔を確かめると、すぐに伏せられてしまう。伏せた顔からも、絶望が見て取れた。
「私、帰ります」
帆波は一歩、横へ移動した。神父の身体が動き、出口との間に立ちふさがる。
「慌てることはありません。落ち着いて、こちらの話を聞きなさい」
「帰るって、言ってるんです」
恐れた声を重ねながら、帆波は男と扉の位置を見た。少女たちは誰も、扉へ向かおうとしない。逃げられると思っていないように、部屋の奥で身を寄せ合って動かずにいた。
腹の底に、熱が生まれた。
捜されていた少女たちが、ここにいた。迎えられ、話を聞いてもらった先で、帰ることを認められなくなっている。
帆波は逃げようとする少女の動きで扉へ向かい、行く手を塞ぐ身体へ両手を当てた。
「どいて……!」
腕を伸ばす。力を抑えたままでも、神父の身体は戸口から廊下へ押し出された。男が足を踏み直し、崩れた姿勢を戻そうとする。視線がそれた間に、帆波は室内へ結界符を設置した。
動作は短く、迷いなく終わった。少女たちへ一度目を向け、それから帆波自身も外へ出る。内側からの退出を妨げない結界を抜け、先ほど確かめておいた廊下へ足を置いた。
神父は符を見ていなかった。自分が押し退けられたことへ意識を向けたまま、帆波を見ている。
「なるほど。もう、力には目覚めているのですね」
その顔に、薄い笑みが戻った。
「覚醒していれば、普通の人より力が強いのも不思議ではありません。しかし、それで何でもできると思ってはいけませんよ」
男が回転拳銃を取り出した。帆波にはどんな銃か、詳しくはわからないが、打たれたらどうなるのかは明白だった。
「これには、かなわないでしょう。大人しくなさい」
帆波は息を詰め、肩を縮めた。胸元へ寄せた指を震わせ、銃口から逃れたいのに足が動かないように立つ。
「……撃たないで」
神父の口元が緩んだ。銃を向けたまま、一歩近づいてくる。
帆波は男の足を見ないようにして、その位置を捉えていた。ここまで近づけば手が届く。もう少し寄れば、叫ぶより先に口も塞げる。石壁の位置は、部屋へ入る前に確かめてあった。
疑わないのだろうか。
押し退けられた相手が、怯えているように見えれば、それでもう安心できる。こちらの力がどれほどかも知らないまま、銃を持っているのは自分だから勝てると思っている。
帆波は俯き、笑いそうになる口元を隠した。指の震えだけは止めずに、男がもう一歩踏み込むのを待った。
間合いに入った。
そう判断した瞬間、帆波の手が動いた。拳銃を叩き落とすと同時に踏み込み、片手で神父の口を覆う。そのまま身体ごと押し込み、古い石壁へ背を押しつけた。
男の目が見開かれた。落ちた銃へ目を向ける余裕さえ与えず、帆波は片腕だけで相手を壁の少し高い位置に留めた。足を浮かせ、バタついている様子が支配感と全能感を刺激した。
「本当に、気づかなかったんですね」
帆波は顔を上げた。もう声を震わせる必要はなかった。口元が自然に緩み、いつもの明るい響きが石壁の間へ通った。
「私が、怖がってるふりをしてるって」
男が何か言おうとした。唇の動きは掌に遮られ、言葉にならない。
帆波はその顔を見ながら、変わろうと思った。
額の右側で角が伸び、身体の中心から広がった色が、首筋を、腕を、脚を伝っていく。制服の袖口から覗く肌が褐色へ変わり、最後に、男の口を覆う指先まで色が届いた。ストロベリーブロンドの髪の間から現れた漆黒の角が、電灯の光を受けた。
相手を押さえている腕は、少しも揺れなかった。
神父の見開かれた目が、帆波の手から顔へ動いた。角へ向けられた視線が止まり、それから、逃げ道を探すように左右へ走る。
「銃があれば、大丈夫だと思った?」
帆波は笑った。
「でも、もう持ってないね」
神父の片手が衣服へ向かった。何かを取り出そうとしたのだろう。帆波は空いている手でその腕を捉え、途中で止めた。男が力を込めて引いても、指一本分さえ動かせない。
もう片方の手が、口を塞ぐ帆波の腕へ掛かった。帆波は相手の腕を片手で抑えたまま、強引に動かしてもう片方の腕とまとめて、相手の胸へ押し付けた。
神父の全身が強張り、腕が力を増し、足を壁につけ、腹筋に力が入り、肩が壁から離れようとする。帆波はそれを見てから、押さえる力をわずかに強めた。男の背が壁から離れることはなかった。
面白かった。
さっきまで、神父は帆波へ何をさせるかを決めていた。話を聞かせ、奥へ連れていき、銃を向ければ大人しくなると思っていた。それが今は、自分の手を動かすことさえできない。
男が息を吸い、喉へ力を込めた。仲間を呼ぶつもりなのか、ただ叫ぼうとしたのか。どちらにしても、帆波の掌の下から漏れたのは、意味を持たない呻き声だけだった。
「そんなに驚かなくてもいいのに」
こちらを見る目が、先ほどまでとはまるで違う。弱者と思った少女から、何も分からない化け物へと、認識が変わっていく。その瞬間を間近に見ていると、胸の奥から笑みが込み上げた。
けれど、いつまでもこうしている仕事ではなかった。
帆波は口を塞いだ手を動かさず、掴んだ腕へ力を加えた。両腕の骨が折れ、男の身体が強く反応する。身体を支えたまま脚を折り、立って抵抗する余地を奪う。
悲鳴になりかけた声は、掌の下で途切れた。帆波は空いた手でハンカチを取り出し、口を押さえていた手を離す。うめき声を漏らそうとする口に素早く布をねじ込んだ。もう叫べないことを確かめてから、抵抗できなくなった男へ蹴りを入れ、意識を失わせた。
動かなくなった神父を見下ろし、帆波は息を吐いた。これ以上、力を使う必要はない。
廊下の先へ目を向けても、近づいてくる者の気配はなかった。落ちた拳銃を男の手が届かないところへ移し、それから普段使っているスマートフォンを取り出した。画面を確かめると、通信は可能だった。
当主へ連絡を入れる。
「一之瀬です。教会の地下で、攫われた人たちを見つけました。神父は抵抗できない状態にしています」
相手の声が、すぐに引き締まった。帆波は階段から一本道の廊下を通り、端の部屋へ入ったこと、室内に少女たちがおり、結界符で外から入れないようにしたことを順に伝えた。
「こちらから感じ取れる範囲では、ほかに人はいません」
「分かりました。ただ、仲間がいる可能性はまだあります。今は、それ以上動かずに待っていてください」
「はい」
「保護に当たれる女性たちを連れて、こちらから入ります。周囲へ知られないように近づきますので、その場を確保しておいていただけますか」
「分かりました。待っています」
通話を終えてから、エースにも連絡した。少女たちを発見し、神父との対決を終えたこと、自分に怪我はないことを伝える。
「当主さんが、保護する人たちを連れて来てくれます。今は、ここで待つように言われています」
「分かった。そのまま警戒して待っていてくれ」
「はい」
声を聞くと、胸の内側が少し緩んだ。まだ終わってはいない。けれど、彼も自分が無事だと知ってくれた。そのことを確かめてから、帆波は電話をしまった。
変身を解除し、少女たちへは、助けに来る人がいると声を掛けた。神父がもう入ってこないことを伝えても、すぐに顔を上げられない者がいた。帆波は返事を急かさず、廊下と部屋の様子を見ながら待った。
やがて、階段の方から人の近づく気配がした。当主と、その後ろに続く女性たちだった。
帆波は合流し、改めて状況を説明した。女性たちが少女たちへ声を掛け、身体の状態を確かめ始める。自分が話しかけたときには固くなっていた少女が、今度は小さく頷いた。
「こちらは、お任せしても大丈夫ですか」
「ええ。ありがとうございます」
その返事を聞いてから、帆波は当主へ向き直った。神父への対処を引き継ぎ、教会の中にほかの危険がないか、二人で確かめることになった。
再び鬼形態へと変じ、帆波は歩いた。自分が感じ取れない場所まで安全だと決めつけず、当主の確認に合わせて足を止める。人の気配を探り、扉の向こうを警戒しながら、一つずつ確かめていった。
壁際を通りかかったとき、帆波は足を止めた。
ほかの場所とは違う。鬼形態で鋭くなった感覚が、壁の向こうにある空間を捉えていた。近づいて見直すと、一見つながっているような壁面に、隠された扉の境目があった。
「ここ、何かあります」
当主も足を止めた。帆波が示した場所を調べ、表情を引き締める。
「……隠してありますね」
「開けますか?」
「お願いします。ただ、中はまだ分かりません。私も警戒しますから、気をつけて」
帆波は頷き、相手が位置を取るのを待った。向こう側へ意識を向けてから壁の隙間に指をねじ込み、力を込める。隠すための細工も、閉じておくための抵抗も、彼女の力の前では無力だった。
扉が開く。帆波はすぐには中へ踏み込まず、当主と共に内側を確かめた。
人はいなかった。代わりに、そこには隠して保管されていた書類があった。
当主が内容を調べ始めると、頁を追う目が次第に険しくなった。帆波には、記されたものすべての意味までは分からない。けれど、少女たちを捜していたときの資料とは、書かれている側の立場が違うことは分かった。
「過激派のものですか?」
「ええ。これは……」
当主は別の書類も確かめ、それから顔を上げた。
「これがあれば、こいつらは終わりです」
その言葉を聞いて、帆波はようやく肩の力を抜いた。
神父一人を止めても、ほかの者が同じことを続けるのなら、少女たちは安心して帰れない。けれど、当主は、これで終わらせられると言った。ここまで地道に調べてきた人が、その根拠を手にしていた。
「じゃあ、あの人たちも、もう攫われずに済むんですね」
「そうできるよう、ここからは私たちが動きます。この資料を、ただ見つけただけで終わらせはしません」
帆波は頷いた。自分には読み取れない意味を、当主は知っている。使い方を知る人へ渡せることが、今は心強かった。
教会を出ると、夜の空気が頬へ触れた。鬼形態を解除した肌を風が撫で、帆波は制服の襟元へ指を添えた。入る前と同じ布なのに、ずいぶん長く着ていたような気がした。
当主が近くへ来て、声を落とした。
「保護した女性たちは、ご家族のもとへ帰します。霊能の資質については、私の家で責任を持って対応しますので、その点も心配なさらないでください」
「よかった……。自分に何が起きてるのか、分からないままだったら、不安だと思って」
「ええ。今度こそ、きちんと相談できるようにします」
帆波は、部屋の中でこちらを見た少女たちを思い出した。助けを求めた先で、また同じ目に遭うのではないかと恐れずに済むなら、それがよかった。
「発見していただいた資料があれば、ほかの対処も正規の手段で進められます。今回の調査任務は、これで完了です」
当主は帆波へ向き直った。
「対象を撲滅する条件まで達成したものとして、規定どおり、証拠取得のみの場合の二倍のマッカをお支払いします」
「ありがとうございます」
「急ぎの対処が終わり次第、報酬を手配します。ガイア連合の支部で受け取っていただけますか」
「はい。分かりました」
仕事が終わったのだと、そこでようやく実感した。少女たちは帰れる。見つけた資料は、この人が使ってくれる。自分がここに立ち続けなければならないわけではなくなった。
エースへ、改めて報告したかった。当主に教わったことも、うまくできたことも、まだ分からないこともある。
そして、神父の顔が変わった瞬間を思い出すと、それらとは別に、胸の奥が温かくなった。自分が何を楽しんでいたのかは、あとでもう少し考えてみたかった。
「一之瀬さん」
呼ばれて顔を上げると、当主が手を差し出していた。
「今回は、本当に助かりました。機会があれば、またお力をお借りしたい」
帆波はその手を見てから、笑顔で応じた。
「はい。私にできることでしたら、また」
差し出された手を握る。力を込めすぎない、いつもどおりの握手を返しながら、帆波はまっすぐ当主の顔を見た。
スカウターをボンッとするには少し足りないほなみちゃん。
春先から仕事しまくったのにこの数値なのは、相手が希少+レベルアップに繋がらない仕事も受けていたから。
ちと、展開がご都合主義すぎるかなと思いましたが、長々書いても仕方ないと割り切り。
神父は油断せずに、天使召喚していれば結構戦えたんですが、狭い通路で肉弾戦になったのが敗因。
グロ展開は自重。当主の発見した資料には、グロが満載だった。