【カオ転三次】×よう実 鬼になる一之瀬帆波   作:ねむのき

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第3部
第6話 「十二月を待つ日々」


 教室の窓は閉められていたが、廊下から入ってくる生徒が扉を開けるたびに、冷たい空気が床近くへ流れ込んだ。十一月も下旬になると、朝の光は以前より低いところから差し、机の脚の影を通路へ長く伸ばしている。帆波は椅子へ腰を下ろし、鞄から授業で使うものを取り出した。

 

 近くでは、網倉たちが北海道で何を食べたいかを話していた。寒さを心配する声に、着るものを揃えなければという話が続く。帆波も、話を振られると顔を上げた。

 

「帆波ちゃん、寒いところって平気?」

 

「どうだろう。ずっと外にいるなら、ちゃんと用意しないとだよね」

 

「だよね。こっちと同じつもりで行ったら、絶対寒いよね」

 

 網倉が自分の腕を抱えるようにすると、隣の女子が笑った。帆波も笑い、机の上へ端末を置いた。

 

 北海道へ行ったら、何が見られるだろう。家族へ話せることも増えるだろうし、有栖とも、学校の中とは違うところで会えるかもしれない。エースは寒い場所でのキャンプもするのだろうかと考え、今度聞いてみようと思った。

 

 星之宮が教室へ入ってきたのは、その少しあとだった。

 

「みんな、ちょっと聞いてくれる?」

 

 いつもより話し出すまでの間が長かった。机へ荷物を置いた星之宮が教室を見渡すと、近くの会話から順に静まっていく。

 

「修学旅行のことで、学校からお知らせがあります」

 

 網倉がこちらへ向けていた身体を前へ戻した。帆波も星之宮を見た。

 

「北海道への修学旅行は、延期することになりました」

 

 教室のあちこちで声が上がった。

 

「え、延期?」

 

「いつに?」

 

 問いが重なると、星之宮は少し手を上げた。

 

「国内外の情勢が悪くなっていることを受けて、安全を優先した判断よ。理事長が決めたことだから、今の予定のまま実施することはありません」

 

「じゃあ、別のところに行くんですか?」

 

「今は、行き先を替えて実施するという話でもないの。いつ行けるかも、まだ決まっていません。新しい予定が決まったら、改めて知らせます」

 

 帆波は机の上の端末へ目を落とした。学校からの通知にも、同じ内容が記されている。延期という言葉をもう一度読み、それから顔を上げた。

 

 楽しみにしていなかったわけではない。知らない場所へ行き、違う景色を見られる機会がなくなったのは残念だった。けれど、それより先に、予定を組み直す必要があるのだと思った。

 

「もう、何買うかまで考えてたのに」

 

 網倉が小さく呟いた。隣の女子も肩を落としている。

 

「寒さの心配、しなくてよくなっちゃったね」

 

「……うん。せっかく相談してたのにね」

 

 帆波が答えると、網倉は困ったように笑った。

 

 星之宮への質問は、しばらく続いた。中止ではないのか、冬の間には行けるのか。けれど、まだ決まっていないことへの答えは変わらなかった。

 

「残念なのは分かるけど、安全に行って帰ってこられないと困るでしょう。そこは、分かってね」

 

 その声を聞きながら、帆波は通知を閉じた。

 

 世界の様子が変わっていることは知っている。支部で話を聞くだけでなく、仕事を任される事情にも、その影響は現れていた。エースが、本来はもっと段階を踏ませるつもりだったと話したときの顔を思い出す。

 

 それでも、学校で修学旅行の延期を告げられると、遠くにあったものが、また一つ、普段の生活へ触れたように感じられた。

 

 母と美帆が木更津にいることを思うと、帆波は静かに息を吐いた。二人の暮らす場所を決め、実際に移ってもらうところまで進められていてよかった。今からもう一度、行き先を探さなければならないわけではない。

 

「一之瀬」

 

 休み時間に神崎から呼ばれ、帆波は顔を上げた。彼の近くには浜口もいて、手元の端末で何かを確かめていた。

 

「このあと、学校から追加の連絡があれば共有する。今のところは、さっきの説明以上のことは分からない」

 

「うん。分かった」

 

「授業や提出物の予定は変わらないそうだ。それだけ、取り違えないようにしてくれ」

 

「旅行がなくなった分、課題までなくなってくれたらよかったんだけどな」

 

 近くで聞いていた渡辺が言うと、浜口が笑った。

 

「延期でしょ。なくなったって決まったわけじゃないよ」

 

「そっちは、そうなんだけどさ」

 

 柴田も何か言いかけ、神崎の顔を見て口を閉じた。その様子に笑いが起こる。残念がる声は消えなかったが、次の授業の準備を始める者もいた。

 

 帆波も教科書を開いた。旅行へ行かなくなったからといって、今日の授業を受けずに済むわけではない。机の上を整え、必要なところへ筆記用具を置く。窓の向こうでは、細い雲がゆっくりと流れていた。

 

 

 

 十一月は、そうして終わっていった。

 

 十二月に入ると、放課後、教室を出るころには窓の外が暗くなっている日も増えた。暖かい室内から廊下へ出ると、制服の袖口へ冷気が触れる。帆波は鞄を持ち直し、呼び止められれば足を止め、必要な連絡を聞いてから歩き出した。

 

 授業を受け、課題を出し、神崎から頼まれたことには答える。クラスの話し合いがあれば席にいて、自分に尋ねられたことを伝えた。その先を引き取ろうとは思わなかった。神崎が皆の意見を聞き、浜口が声を掛け、ほかの生徒たちも自分の考えを話している。

 

 話が終われば、帆波は次に自分がしたいことへ気持ちを向けた。

 

 支部へ行く日は、エースに会えるかどうかが気になった。別の仕事で姿が見えないこともあったが、会えたときには、その日に聞きたかったことを思い出しながら近づいた。訓練を見てもらえるなら嬉しかったし、短く話せるだけでも、そのあとまで気分がよかった。

 

 教会での仕事も、普段の生活の中で、ときどき思い出した。

 

 当主が情報を整理していた手つきや、資料の意味を説明してくれた声。見つかった少女たちが、保護に来た女性へ小さく頷いたところも覚えている。自分の知識では分からないことが多く、教わらなければ、どこを確かめるべきかも見落としていただろう。

 

 その一方で、神父が帆波を見上げた顔は、別の感触を伴って残っていた。

 

 怖がっていると思われていた。何も知らず、従うしかないと思われていた。その相手の目の前で、自分が何者かを見せたとき、男の顔から確信が失われた。

 

 思い出すと、今も口元が緩んだ。

 

 戦って圧倒するだけでは、ああはならなかっただろう。こちらが見せているものを、相手が自分で見抜いたつもりになっていた。その違いを、帆波はまだ鮮やかに覚えていた。

 

 けれど、次の仕事がすべて同じようになるとは思っていない。何をするかは内容を聞いて決めるし、知らないことは教わる必要がある。あの顔をもう一度見たいという気持ちが浮かんでも、それだけで任務の方針が決まるわけではなかった。

 

「一之瀬さん?」

 

 呼ばれ、帆波は顔を上げた。

 

 喫茶店の向かいの席で、有栖がカップを持っていた。白い指が取っ手へ添えられ、こちらを見る目に、薄い笑みが浮かんでいる。

 

「何か、楽しいことを思い出していらっしゃいました?」

 

「え?」

 

「少し、お顔が緩んでいたものですから」

 

 帆波は自分の頬へ手を当てかけ、途中で下ろした。

 

「うん。ちょっと、前のこと」

 

「そうでしたか」

 

 有栖はそれ以上、内容を尋ねなかった。カップをソーサーへ戻し、窓の外へ一度目を向ける。

 

「修学旅行は、残念でしたね」

 

「そうだね。行ったら行ったで、きっと楽しかったと思う」

 

「ずいぶん、あっさりしていらっしゃるのね」

 

「だって、私が行きたいって言っても、今から行けるわけじゃないし」

 

 帆波が答えると、有栖は小さく笑った。

 

「それは、そうですけれど」

 

「有栖ちゃんは、楽しみにしてた?」

 

「普段とは違うところで、普段とは違う様子を見られるでしょうから。そういう楽しみはありましたよ」

 

 誰の、とは言わなかった。有栖の視線が自分へ戻ってきたので、帆波は笑って首を傾げた。

 

「私、そんなに変わるかな?」

 

「さあ。確かめる機会は、先になってしまいましたね」

 

 帆波はカップを持ち上げた。温かさが指へ伝わり、口をつけると、紅茶の香りが近くなった。今日は客へ運ぶ側ではなく、向かいに座っている。そうして彼女と話している時間も、自然に楽しかった。

 

「また、別のところへ遊びに行けたらいいね」

 

「ええ。お誘いをお待ちしています」

 

「有栖ちゃんからでも、いいんだよ?」

 

「では、私が先に思いついたときは、そういたしましょう」

 

 穏やかな返事に、帆波は頷いた。次に何をするか、その場で決める必要はなかった。会いたいと思ったときに連絡して、互いに都合が合えば会う。その先があることは、もう疑わずにいられた。

 

 店を出るころには、外の明かりがガラスへ映り込んでいた。有栖の歩調へ合わせて進み、別れるところで手を振る。彼女の姿を見送ってから、帆波は鞄の中のスマートフォンを取り出した。

 

 日付を確かめると、十二月二十五日まで、まだ少し間があった。

 

 今年のクリスマスは、木更津で母と美帆に会える。それを考えると、旅行が延期になった残念さとは別に、楽しみな気持ちが膨らんだ。

 

 何を話そうかと思うと、すぐに幾つも浮かんだ。学校であったこと、有栖と話したこと、仕事の合間に知ったこと。二人へ話せる範囲を選んでも、聞いてほしいことは十分にあった。自分ばかり話さずに、母と美帆の最近のことも聞きたかった。

 

 美帆は、また何かを先に質問してくるかもしれない。母は帆波が食べている途中でも、足りているかを気にするだろう。そういう顔を思い浮かべるだけで、帰ったときの食卓が少し近く感じられた。

 

 スマートフォンをしまい、帆波は歩き出した。明日も授業があるし、済ませておく課題もある。支部へ行けば、エースへ聞きたいこともあった。

 

 冷たい風に前髪が動き、帆波は指で軽く整えた。二十五日までに、二人へ持ち帰れる話が、もう少し増えていそうだった。

 




坂柳理事長は有能です。しかし、どうしようもない。
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