【カオ転三次】×よう実 鬼になる一之瀬帆波   作:ねむのき

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第2話 「ケヤキモールでの再会」

 喫茶店の扉を開けると、冷房の風に混じって、焙煎した豆の香りが届いた。外では肌に残っていた朝の湿気が、店内へ入った途端に薄れる。窓から差す光は床に明るい四角を作り、その端で、テーブルの脚が細く影を伸ばしていた。帆波は扉を閉め、店員へ軽く会釈を返してから、奥へ目を向けた。

 探していた人は、すぐに見つかった。エースは席に座り、片手に持ったコーヒーカップを口元へ運んでいた。濃いグレーの上着も、その下の白いワイシャツも、雪山で見たときと同じように目に映った。ただ、今は肩へ雪が落ちてくることもなく、背後には木々の代わりに喫茶店の壁がある。その当たり前の違いを確かめながら、帆波は足を速めた。

 エースがカップを下ろし、こちらへ顔を上げる。

 

「よう。久しぶりだな」

 

「エースさん! お久しぶりです」

 

 思っていたより、声が弾んだ。帆波は彼の前で立ち止まり、両手を身体の前で揃えた。会ったら話したいことを幾つも考えていたのに、顔を見ると、まず笑みがこぼれてしまった。あの森でしか会えなかった人が、いつも買い物に来る場所で、自分を待っていてくれた。そのことを、もう少し確かめていたかった。

 エースは席を立った。手を伸ばせば袖に触れられる距離まで近づいてきて、帆波の顔を見た。

 

「無事に戻れたようだな」

 

「はい。昨日、帰ってきました」

 

 戻ってこられました、と言い直したくなった。学校までの船旅のことだけではなかった。けれど、彼の前でまた何度も礼を繰り返すより、今はちゃんと顔を見て答えたかった。帆波が頷くと、エースも短く頷いた。

 

「じゃあ、行くか。ついて来い」

 

「はい」

 

 返事をしてから、帆波はテーブルへ目を落とした。白いカップには、まだコーヒーが残っている。エースは伝票を探す様子も、店員を呼ぶ様子もなく、店の奥へ向かっていた。

 もう飲まなくていいのだろうか。会計は済んでいるのかもしれないが、カップまでそのままにしてよいのか、少し気になった。帆波は彼とテーブルを交互に見て、一歩遅れて後を追った。

 朝の店内に、ほかの生徒の姿はなかった。カウンターの内側では一人の店員が手を動かし、別の店員が奥の棚へ食器を戻している。帆波たちが近づくと、そのうちの一人が作業の手を止め、客席の端へ出てきた。

 

「こちらへどうぞ」

 

 店員が示したのは、奥の壁に設けられた扉だった。客が自由に出入りする場所には見えなかったが、案内された客が通ることまでおかしい造りでもなかった。店員は扉を開け、帆波が通れるよう脇へ寄った。エースが先に入り、帆波も会釈をして続いた。

 扉の向こうは、飾りの少ない短い通路だった。客席と違って照明は実用的で、壁際には台車が寄せられている。厨房へ入る必要はなく、何かを跨いだり、狭い荷物の間を抜けたりすることもなかった。店の人に連れられて用事のある場所へ向かうなら、こういうところを通ることもあるだろう。帆波はそう思いながら、前を行くエースの背中を見た。

 通路は途中で折れ、先に外の明るさを細く含んだ扉があった。客席からその先を見通すことはできない。帆波が一度だけ振り返ると、まだ開いていた最初の扉越しに、店員がエースのいたテーブルへ向かうところが見えた。残っていたコーヒーを、迷いなく盆へ載せている。

 戻ってくるかどうか、聞かなくても分かるのだろうか。そう考えている間に、案内してくれた店員が静かに扉を閉めた。

 

「お気をつけて」

 

「ああ」

 

 エースは短く応じ、外へ続く扉を押し開けた。帆波も礼を言って、差し込む光の中へ足を踏み出した。

 

 外気が腕へ触れ、店内で冷えた肌に朝の暖かさが戻った。帆波は脇へ寄ってから振り返り、建物を見上げた。すぐ上には庇があり、その向こうへ、窓の少ない壁面が続いている。配管が壁に沿って延び、地面近くの設備からは、低く一定の運転音が聞こえていた。

 ケヤキモールの裏側だった。買い物に来るときに見るガラスや看板は、ここからは見えなかった。商品をきれいに並べた店先の代わりに、搬入に使うらしい扉や、建物を動かすための設備がある。ついさっきまでいた喫茶店の明るい客席も、この壁の向こうだと思うと、少し不思議だった。

 裏口の前からは建物沿いの通路が続いていた。客の出入りする側とは壁で隔てられ、生徒の姿は見当たらない。エースは行き先を確かめるまでもなく歩き始め、帆波はその隣へ追いついた。

 

「お店の人、エースさんのこと、よくご存じなんですね」

 

「まあな。あの店は、俺たちの組織の、いわゆるフロント企業が経営してるんだ」

 

「フロント企業……ですか?」

 

 言葉を繰り返すと、エースはこちらへ目を向けた。

 

「表向きは普通の喫茶店だ。実際、客に出すのも普通のコーヒーだしな」

 

 帆波は、テーブルに残っていた白いカップを思い出した。あまりに普段どおりに置かれていたので、自分がそれを気にしていたことまで、今になって少し可笑しくなった。

 

「店員も、事情を知ってる奴しかいない。覚醒者ではないが」

 

「そうなんですか? じゃあ、私みたいに力があるわけじゃなくても……」

 

「ああ。そういう人間もいる」

 

 帆波は閉じた裏口へ目を戻した。自分が店内へ入ったときも、奥へ案内されたときも、店員の態度は穏やかだった。何か特別なものを見るような視線も向けられなかった。その人たちが、悪魔や異界の存在を知っているのだという。

 自分は、何も知らずにここへ買い物に来ていた。店員と客として言葉を交わした相手の中にも、エースの知っている世界に関わる人がいたのかもしれない。帆波はもう一度前を向き、隣を歩く彼の顔を見た。雪山から帰っても、この人のいる場所は遠いままだと思っていた。それが、こんなに近くにあった。

 昨日、船から見た港のことが、胸に浮かんだ。大きな船と、倉庫と、そこで働いていた人々。あの場所も、エースの組織と関係しているのだろうか。喫茶店まで運営しているなら、ずいぶん前から、この島に関わっているのかもしれない。学校ができるより前から、ということもあるのだろうか。

 考えてみても、手がかりはなかった。ただ、自分が気づかなかったことと、そこに何もなかったことは、同じではないのだと感じられた。

 

「そういえば、あれから体調はどうだ?」

 

 エースの声に、帆波は顔を上げた。考え事をしていても、彼の歩く速さには自然についていけていた。

 

「大丈夫です。特に変わったことはありません」

 

「力の加減で失敗したり、何かトラブルを起こしたりは?」

 

「それも大丈夫です。普通に生活できていますよ」

 

 帆波は片手を軽く開き、また閉じた。荷物を持っても、扉を開けても、自分がしようと思ったとおりにできた。もう、何かに触れるたび手を引っ込める必要はない。教えてもらったことが、そのまま暮らしの中で役に立っていた。

 

「エースさんに教わっておいて、よかったです。あのまま何も分からずに戻っていたら、困ってたと思います」

 

「問題がないなら、それでいい」

 

 そう答えた彼の表情が、わずかに和らいだように見えた。帆波は頷きながら、胸の内が温かくなるのを感じた。自分がうまくできていることを、まずこの人に知ってほしかったのだと気づく。あの森で手を取って教えてくれたときと同じように、今も自分のことを気にかけてくれる。それが嬉しかった。

 ほかにも話したいことはあった。普通に戻れたことも、誰にも角を気づかれていないことも、昨日の船で驚いたことも、聞いてほしかった。けれど、急いで一度に話さなくてもよい気がした。今は、彼が隣を歩いている。自分が話し始めれば届く距離に、その声を返してくれる人がいた。

 

 建物沿いの通路を抜けると、前方にフェンスが見えてきた。近づくにつれ、金属の網目や、それを支える太い柱がはっきりする。その向こうには学校の通路とは違う広さの空間があり、コンクリートの建物が見えた。

 帆波は歩みを緩めた。昨日、海の上から見た境界の一部なのかもしれない。遠くでは一本の線だったものが、今は目の前に立っていた。

 大きな検問所があるわけではなかった。フェンスには人が通るための、フェンスを切り取ったような扉があり、エースはその前で足を止めた。上着から鍵を取り出し、錠へ差し込む。帆波が見ている前で、ごく普通に鍵が回された。

 扉が開くと、フェンスの向こうへ道がつながった。通れるのだと思ってから、帆波は、自分がまだそこに立っていたことに気づいた。昨日は見つめることしかできなかった場所へ、今日は入ろうとしている。

 

「ほら、こっちだ」

 

 エースが声をかけた。帆波は彼を見上げ、開かれた扉の先へ目を向けた。何をする場所なのか、どんな人たちがいるのかも、まだ分からない。けれど、知らないから足がすくむということはなかった。彼が説明すると約束してくれた世界を、自分でも見てみたかった。

 それに、雪山では、この人についていかなければ帰れないと思っていた。今は、帰る場所を知ったうえで、それでも彼と一緒に行きたいと思っている。帆波は手にしていた鞄を持ち直し、少しだけ近くへ寄った。

 

「はい。お願いします」

 

 エースが先へ進む。帆波もその後に続き、開いた扉を通って、フェンスの内側へ足を踏み入れた。




それはストーカーだよエースくん:
対象の個人情報は取得暗記済、シミュレーションは完璧だ!

地方名家出身(非覚醒者)の店員:
「私が案内する」
「いや、私が!」
「俺が!」
「男はひっこんでろ!」
「うるせーあの美少女をみろ。おまいらなんかお呼びじゃねんだよ」
「こちらへどうぞ」(抜け駆け)
「「「あ」」」
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