第1話『三週間ぶりの再会』
(――サイガが狭間劇場で第一次ルーチェモン戦役の歴史を最後まで見届け、四人の管理者と別れてから三週間後。)
(数え切れないほどの世界と時間が交差する場所、狭間劇場。その最奥に位置するVIPルームには、今日も穏やかな時間が流れていた。)
(深い紺色を基調とした室内には金色の装飾が施され、天井には星空を思わせる無数の光が瞬いている。中央の円卓には五人分のティーカップが並べられていたが、そのうち一つだけは、まだ誰にも使われていなかった。)
【イグドラシル】
(緑色の髪を揺らしながら、空席へ視線を向ける)
「……ねえ、ホメオスタシス。今日も五人分なんだね」
【ホメオスタシス】
(白いティーポットを静かに置き、淡い金色の瞳を細める)
「ええ。いつ訪れてもよいように、用意しておきたいのです」
【崑崙】
(ソファに深く腰掛け、手元の本から顔を上げる)
「ふふ。三週間、か。僕たちにとっては短い時間だけれど、彼にとってはどうだろうね」
【ホメロス】
(金色の髪を指先で整えながら、優雅に紅茶を口へ運ぶ)
「うふふ。案外、わたくしたちのことを忘れてしまっているかもしれませんわよ?」
【イグドラシル】
「それはないと思うな。あれだけ長い歴史を一緒に見届けたんだから」
【ホメロス】
「あら、冗談ですわ。けれど……またお会いできたら嬉しいですわね」
(四人の視線が、自然と部屋の入り口へ向けられる。)
(三週間前、一人の青年がこの場所で原初のデジタルワールドの歴史を見届けた。十闘士の戦い、三大天使の誕生、そしてルーチェモンの封印。遠い過去の出来事を観測し終えた彼は、再会を約束して白い扉の向こうへ帰っていった。)
(彼が観測した歴史は、彼自身が生きる時間とは異なる。第一次ルーチェモン戦役の終結から三週間が経ったわけではない。あの日、狭間劇場を後にしたサイガにとって、三週間という時間が過ぎたのだ。)
(それ以来、あの扉が開くことはなかった。)
(――そのとき。)
(コン、コン。)
(静かな室内に、控えめなノックの音が響いた。)
【イグドラシル】
「……え?」
【崑崙】
(本を閉じる)
「おや。これは珍しいね」
【ホメロス】
(口元に手を添える)
「あらあら……もしかして?」
【ホメオスタシス】
(扉の向こうにある気配を確かめ、柔らかく微笑む)
「……ふふ。どうぞ、お入りください」
(重厚な両開きの扉が、ゆっくりと開かれた。)
(そこに立っていたのは、三週間前と変わらない姿の青年――サイガだった。)
【イグドラシル】
(ぱっと表情を明るくし、勢いよく立ち上がる)
「サイガ!」
(彼女は数歩駆け寄ったところで足を止め、嬉しそうに笑った。)
「ふふっ。本当に来てくれたんだね!」
【ホメロス】
(立ち上がり、ドレスの裾を軽く整える)
「まあ! お久しぶりですわ、サイガ。三週間ぶりですわね」
【崑崙】
(口元に小さな笑みを浮かべる)
「ふふ。思ったより早い再訪だね。もっとも、君がまた来るだろうとは思っていたけれど」
【ホメオスタシス】
(サイガの前まで歩み寄り、両手を胸元で重ねる)
「おかえりなさい、サイガ。……またあなたに会えて、嬉しいです」
【サイガ】
(四人の顔を順番に見て、満面の笑みを浮かべる)
「ただいま、みんな! 久しぶり!」
(以前と変わらない部屋を見渡し、懐かしそうに目を細める。)
「なんだか不思議だね。三週間しか経ってないのに、すごく久しぶりな気がするよ」
【イグドラシル】
「私たちもだよ。さあ、入って。今日はゆっくりできるんでしょう?」
【サイガ】
「うん! 今日は特に予定もないからね」
【ホメロス】
(嬉しそうに手を合わせる)
「それは素敵ですわ! でしたら、まずはお茶にいたしましょう。ちょうど焼き菓子も用意してありますの」
【崑崙】
「ちょうど、ね。ふふ。三週間ずっと用意していたようにも見えるけれど」
【ホメロス】
(涼しい顔で微笑む)
「あら、崑崙。細かいことを気にする殿方は好かれませんわよ?」
【崑崙】
「おやおや、これは失礼」
(軽口を交わす二人に、イグドラシルがくすくすと笑う。サイガもつられて笑いながら、以前と同じソファへ腰を下ろした。)
(円卓には温かな紅茶と色とりどりの焼き菓子が並んでいる。五つ目のカップにも紅茶が注がれ、ようやく全員の席が埋まった。)
【ホメオスタシス】
(サイガの前に小さな皿を差し出す)
「どうぞ。以前、あなたが気に入っていたお菓子もありますよ」
【サイガ】
「あっ、これ覚えててくれたんだ! ありがとう、ホメオスタシス!」
【ホメオスタシス】
「ふふ……もちろんです」
【イグドラシル】
(向かいの席に座り、興味津々といった様子で身を乗り出す)
「それで、サイガ。この三週間はどう過ごしていたの?」
【サイガ】
「普通に過ごしてたよ。でも、たまにここで見た景色を思い出してた」
【崑崙】
「ほう。特に印象に残っているのは?」
【サイガ】
(少し考え込む)
「やっぱり、十闘士のみんなかな。あんなに大きな戦いを見届けたのは初めてだったし……最後まで諦めなかった姿が、ずっと心に残ってるんだ」
【ホメロス】
「彼らの歩んだ歴史は、決して容易なものではありませんでしたものね」
【サイガ】
「うん。でも、それだけじゃないんだ」
(四人を順番に見渡す。)
「みんなと一緒に過ごした時間も、すごく楽しかった。だから、また来たいって思ったんだよ」
(イグドラシルが一瞬だけ目を丸くする。)
【イグドラシル】
「……そっか」
(すぐに柔らかな笑顔を浮かべる。)
「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいな。私たちも、君が来るのを楽しみにしていたんだよ」
【崑崙】
「少なくとも、空席を片づけようと言い出す者は一人もいなかったね」
【ホメロス】
「うふふ。だって、またお会いできると信じていましたもの」
【ホメオスタシス】
「この場所は、あなたが望む限り、いつでもあなたを迎えます」
(サイガは照れくさそうに頬をかき、紅茶を一口飲んだ。)
(甘い香りと穏やかな笑い声が、広いVIPルームを満たしていく。しばらくは歴史の話も、世界の管理についての話もなかった。ただ、三週間ぶりに再会した五人が、それぞれの近況を話し、冗談を交わし、同じ時間を楽しんでいた。)
(やがてサイガは、部屋の中央に浮かぶ、今は何も映していない巨大な観測スクリーンへ視線を移した。)
【サイガ】
「……ねえ、みんな。一つ聞いてもいい?」
【イグドラシル】
「もちろん。どうしたの?」
【サイガ】
「前に見た歴史って、ルーチェモンが封印されたところで終わったよね」
【ホメオスタシス】
「ええ。第一次ルーチェモン戦役の終結ですね」
【サイガ】
「その後、デジタルワールドはどうなったのかなって、ずっと気になってたんだ」
(スクリーンへ目を向ける。)
「戦いが終わったからって、すぐに全部元通りになるわけじゃないでしょ? 壊れた場所もあったし、みんな大変だったと思うから……」
【崑崙】
(感心したように目を細める)
「ふふ。なるほど。君が気にしていたのは、勝利の後に残された世界のことか」
【ホメロス】
「物語では、平和が戻ったところで幕を閉じることも多いですけれど……そこに暮らす者たちの時間は、終わりませんものね」
【ホメオスタシス】
(ゆっくりと立ち上がる)
「では、少しだけ続きを見てみましょうか」
(彼女が手をかざすと、スクリーンに淡い光が灯った。)
(そこに映し出されたのは、かつて激戦が繰り広げられた原初のデジタルワールドだった。)
(戦いの傷跡が残る大地。崩れた山々。かつて集落があった場所には瓦礫が散らばっている。しかし、その風景の中には小さな変化が生まれていた。)
(デジモンたちが力を合わせて家を建て直し、荒れた土地に新たな植物を育て、失われた道をつなぎ直している。)
【サイガ】
「……そっか。みんな、頑張ってるんだね」
【ホメオスタシス】
「はい。大きな戦いは終わりましたが、傷ついた世界を癒やすには長い時間が必要でした。それでも、彼らは自分たちの力で歩き始めたのです」
(映像の中で、小さなデジモンが運ぼうとしていた木材を落とす。すると、近くにいた別のデジモンたちが駆け寄り、一緒に持ち上げた。)
【イグドラシル】
「ふふっ。こういう光景、私は好きだな」
【崑崙】
「世界の復興は、管理者が命令しただけで成立するものじゃない。そこに生きる者たち自身が、明日を望まなければね」
【ホメロス】
「誰かが守った平和を、今度は皆で育てていくのですわ」
(サイガはスクリーンから目を離さず、ゆっくりと頷いた。)
(戦いの終わりは、歴史の終わりではない。それは、新しい日々の始まりでもあった。)
【ホメオスタシス】
「サイガ。あなたは、この時代の何を見てみたいですか?」
【サイガ】
(少し考えてから、彼女たちへ振り返る)
「その前に、みんなは戦争が終わってどう感じたの?」
(予想していなかった質問だったのか、四人は一瞬だけ顔を見合わせた。)
【イグドラシル】
「……私たちの気持ち?」
【サイガ】
「うん。みんなは僕が来るずっと前から、あの世界を見守っていたんでしょう? きっと安心したと思う。でも、それだけじゃなかったんじゃないかなって」
【崑崙】
「ふふ。歴史の続きを尋ねられると思っていたけれど、まさか僕たち自身に興味を向けるとは」
【ホメロス】
「うふふ。サイガらしい質問ですわね」
(ホメオスタシスはスクリーンの光を少し弱め、ソファへ戻った。)
【ホメオスタシス】
「……そうですね。では、私からお話ししましょうか」
(彼女は両手でカップを包み、しばらく紅茶の水面を見つめた。)
「最初に感じたのは、安堵でした。ルーチェモンが封印され、十闘士が守ろうとした未来が確かに残されたのだと……そう思ったのです」
(穏やかな声だった。しかし、その言葉の合間には、わずかな沈黙があった。)
「けれど、喜びだけではありませんでした」
【サイガ】
「……悲しかった?」
【ホメオスタシス】
(小さく頷く)
「はい。失われたものも、あまりに多かったですから」
(スクリーンには焼け落ちた森や崩れた街、誰もいなくなった広場が映し出される。)
「私は世界の均衡を見守る存在です。ですが、均衡が取り戻されたという事実だけで、すべてを喜ぶことはできませんでした」
「平和が訪れたとしても、帰ってこない者たちがいます。故郷を失った者たちもいます。そして、戦いが終わったことを、まだ知らない者たちもいたのです」
【サイガ】
「……うん」
【ホメオスタシス】
「だから私は、彼らが再び笑える日を見届けたいと思いました」
(映像が切り替わり、一軒の家を建て終えたデジモンたちが喜び合う姿が映った。)
「こうした小さな喜びが、一つずつ積み重なっていくこと。それが、私にとっての戦争の終わりだったのかもしれません」
【サイガ】
「……そっか。ホメオスタシスって、やっぱり優しいね」
【ホメオスタシス】
(少し驚いたように瞬きし、微笑む)
「ふふ……ありがとうございます」
【イグドラシル】
「ホメオスタシスらしい答えだね。私は、ちょっと違ったかな」
【サイガ】
「イグドラシルは?」
【イグドラシル】
(天井の星々を見上げる)
「正直に言えば、少し怖かったんだ。あれだけ大きな戦いが終わって、ようやく平和になった。でも、本当にこれで大丈夫なのかなって」
「世界って、思っている以上に複雑なんだよ。壊れた場所を修復するにも、暮らしを立て直すにも時間がかかる。それに、一度失われた信頼は、建物みたいに組み直せば元通りになるわけじゃないからね」
【サイガ】
「……確かに。戦っていた相手同士が、すぐに仲良くできるとは限らないもんね」
【イグドラシル】
「そういうこと。でもね、復興の様子を見ていて、考えが少し変わったんだ」
(スクリーンに、壊れた橋を修復するデジモンたちが映る。異なる集落から集まった者たちは、最初こそ互いに距離を取っていた。しかし、一体が足場を踏み外した瞬間、反対側にいたデジモンが咄嗟に手を伸ばした。)
【イグドラシル】
「こういうことが、あちこちで起きていたんだよ。昨日まで知らなかった相手を助けたり、昔は仲が悪かった集落同士が協力したり」
「もちろん、うまくいかないこともあったけどね。それでも、みんなが自分で未来を作ろうとしていた。だから私は、安心したというより……期待したんだと思う」
【サイガ】
「期待?」
【イグドラシル】
「うん。この世界は、これからどんなふうに変わっていくんだろうって。管理者がすべてを決めなくても、そこに暮らすデジモンたちは、自分たちで道を見つけられるんだよ」
【サイガ】
「なんだか、イグドラシルらしいね!」
【イグドラシル】
「ふふっ。そうかな?」
【崑崙】
「君は途中から観測記録をずいぶん楽しそうに眺めていたからね」
【イグドラシル】
「ちょっと、崑崙! それは別の話でしょ!」
【ホメロス】
「うふふ。未来への期待が勝ってしまったのでしょう?」
(イグドラシルの抗議に、部屋の空気が和らいだ。)
【崑崙】
「さて。次は僕かな」
【サイガ】
「崑崙はどう思ったの?」
【崑崙】
「僕は、戦争が終わった瞬間に疑問を抱いたよ。平和とは、いったい何をもって成立したと言えるのか、とね」
【サイガ】
「……どういうこと?」
【崑崙】
「敵がいなくなれば平和なのか。戦闘が止まれば平和なのか。それとも、誰もが安心して眠れるようになって、初めて平和と呼べるのか」
【サイガ】
「難しいね……」
【崑崙】
「ふふ。そうだろう? ルーチェモンの封印は間違いなく大きな転換点だった。でも、その先の世界がどうなるかは、まだ決まっていなかったんだ」
(スクリーンには、荒れた土地に小さな畑を作るデジモンたちが映っている。)
「だから僕は、彼らがどんな選択をするのかを観察することにした。何を学び、何を受け継いでいくのかをね」
【サイガ】
「それで、どうだった?」
【崑崙】
「……面白かったよ」
【イグドラシル】
「崑崙、それだけだと誤解されるよ?」
【崑崙】
「おや、そうかい?」
(崑崙は楽しそうに笑う。)
「もちろん、苦しみを面白がったわけじゃない。僕が興味を持ったのは、彼らが何度失敗しても、別の方法を考え続けたことさ」
「一度壊れた橋を同じように作り直して、また崩れてしまった集落があった。そこで彼らは、以前とは違う材料を使い、別の場所に橋を架けたんだ」
【サイガ】
「失敗したからこそ、新しい方法を見つけられたんだね」
【崑崙】
「その通り。歴史とは、勝者の記録だけではない。名も残らない者たちが積み重ねた、無数の選択の記録でもあるんだ」
「僕はそれを見て、少し安心したよ。彼らには、自分たちの歴史を続ける力があるのだとね」
【サイガ】
「……崑崙も、ちゃんとみんなのことを信じてたんだね」
【崑崙】
「ふふ。僕が信じていないように見えたかい?」
【サイガ】
「ううん。ただ、崑崙はいつも冷静だから」
【崑崙】
「なるほど。では、今後はもう少し感情を表に出す努力をしようかな」
【イグドラシル】
「えー? 崑崙が?」
【崑崙】
「……その反応は少々心外だね」
(再び笑い声が広がる。そして、サイガの視線は最後の一人へ向けられた。)
【サイガ】
「ホメロスは?」
【ホメロス】
(優雅にカップを置き、微笑む)
「わたくしは……寂しさを感じましたわ」
【サイガ】
「……寂しさ?」
【ホメロス】
「ええ。あれほど長く続いた戦いが終わったのですもの。安堵も喜びも、もちろんございました」
「けれど、あの戦いの中で懸命に生きた者たちの姿を思い返すと、胸の奥に静かな寂しさが残ったのです」
(ホメロスはスクリーンに映る空を見つめる。)
「戦いの記録には、勇敢な者たちの名前が残ります。ですが、誰かを待ち続けた者、傷ついた仲間を看病した者、明日の食事を用意した者……そうした方々も、同じ時代を生きていたのですわ」
【サイガ】
「……うん」
【ホメロス】
「わたくしは、その方々のことも忘れたくありませんでした」
(彼女の声は、いつもより少しだけ静かだった。)
「大きな戦いが終わると、人々は新しい時代へ目を向けます。それは素晴らしいことですわ。でも、過ぎ去った時間に置いていかれる想いもございます」
「だからこそ、わたくしは記録を大切にしたいと思ったのです。誰かが生きた証は、たとえ小さなものであっても、失われてよいものではありませんもの」
【サイガ】
「……それって、僕がここで歴史を見せてもらったことと同じだね」
【ホメロス】
(嬉しそうに目を細める)
「うふふ。そうかもしれませんわね」
(四人の答えを聞き終えたサイガは、改めて円卓を囲む友人たちを見渡した。)
【サイガ】
「みんな、それぞれ違うことを考えてたんだね」
【イグドラシル】
「そうだね。同じものを見ていても、感じ方まで同じとは限らないから」
【崑崙】
「むしろ、違うからこそ話す意味があるんだよ」
【ホメオスタシス】
「サイガ。あなたは、私たちの話を聞いてどう感じましたか?」
【サイガ】
(少し考え込んでから、静かに答える)
「……僕、今まで戦争が終わるって、もっとはっきりしたことだと思ってた」
「でも、みんなの話を聞いて、少し考えが変わったよ。戦いが終わっても、そこから頑張らなきゃいけないことがたくさんあるんだね」
(四人に向かって笑いかける。)
「それに、みんながそんなふうに世界を見守っていたことも知れて、嬉しかった。ありがとう!」
【ホメオスタシス】
「ふふ……どういたしまして」
【イグドラシル】
「私たちも、久しぶりに当時のことを話せてよかったよ!」
(サイガはしばらくスクリーンを眺めていたが、やがてもう一つの疑問を口にした。)
【サイガ】
「ねえ、みんな。世界を見守るって、具体的にはどんなことをするの?」
【イグドラシル】
(楽しそうに笑う)
「おっ、今度は私たちのお仕事についてだね!」
【崑崙】
「ふふ。『見守る』という言葉は便利だけれど、その実態は一つではないからね」
【ホメロス】
「わたくしたちが四六時中、椅子に座って世界を眺めているだけだと思われても困りますもの」
【サイガ】
「えっ、違うの?」
【イグドラシル】
「違うよ! ……まあ、こうして座って眺めている時間もあるけどね」
【崑崙】
「今まさに、その最中だからね」
【イグドラシル】
「もう、崑崙!」
(いつもの軽口にサイガが笑うと、ホメオスタシスがそっと手を上げた。)
【ホメオスタシス】
「では、実際の例をお見せしましょう」
(スクリーンが三つの画面に分かれ、森と川、山の斜面が映し出される。)
「私たちは世界の状態を観測しています。大地や海、空間を構成するデータの流れ、そこに生きるデジモンたちの活動、そして世界全体の均衡です」
【サイガ】
「例えば、森が枯れちゃったら、ホメオスタシスが直すの?」
【ホメオスタシス】
「……必ずしも、そうではありません」
(彼女は穏やかに首を横へ振る。)
「季節の移り変わりによって葉が落ちることも、寿命を迎えた木が倒れることも、自然な営みの一部です。それらをすべて元に戻してしまえば、かえって世界の循環を妨げることになります」
【サイガ】
「そっか……。変わること自体が悪いわけじゃないんだね」
【ホメオスタシス】
「ええ。その通りです」
(中央の画面が大きくなった。山間を流れる川が倒木によってせき止められ、下流の集落ではデジモンたちが不安そうに川を見つめている。)
【ホメオスタシス】
「このような状況でも、私は直ちに倒木を消してしまうとは限りません」
【サイガ】
「えっ? どうして?」
【崑崙】
「君ならどうするか、考えてみるといい」
【サイガ】
「僕だったら……まず、近くにいるデジモンたちに危ないって教えるかな。それから、みんなで木をどかせないか考える」
【ホメオスタシス】
(嬉しそうに微笑む)
「はい。私も、まずは彼ら自身が状況に対応できるかを見守ります。危険を察知し、協力して乗り越えることも、大切な経験だからです」
「ただし、世界そのものの異常によって、彼らの力ではどうすることもできない危機が生じた場合には、私が介入することもあります」
【サイガ】
「……なるほど。何でも助けるんじゃなくて、必要なときに助けるんだね」
【ホメオスタシス】
「守ることと、すべてを代わりに決めることは、同じではありませんから」
【イグドラシル】
「それに、私たち四人はそれぞれ違う世界を管理しているんだよ」
【サイガ】
「あっ、そうだったね!」
【イグドラシル】
「私はキャメロット、崑崙はシャンバラ、ホメロスはイリアス。そしてホメオスタシスはThe ORIGINだね」
【崑崙】
「僕たちは友人同士だけれど、担当する世界まで同じというわけではないんだ」
【サイガ】
「じゃあ、みんなのお仕事のやり方も違うの?」
【ホメロス】
「基本となる役割には共通する部分がございますけれど、世界の性質や管理方針によって違いもありますわ」
【イグドラシル】
「例えば私は、データの循環とか、領域同士の接続とか、世界全体の仕組みがちゃんと動いているかを見ることが多いかな」
(彼女が手を動かすと、無数の光点が枝のような経路でつながった模型が現れた。)
【サイガ】
「へえ……。なんだか、大きな街の交通整理みたいだね」
【イグドラシル】
「ふふっ! それ、結構いい例えかも!」
【崑崙】
「もっとも、交通整理をしている最中に、道路そのものが変化することもあるけれどね」
【サイガ】
「ええっ、それは大変そう!」
【イグドラシル】
「そうなんだよ。でも、私はそういう変化を見るのも好きなんだ。世界が成長しているって感じられるからね」
【サイガ】
「じゃあ、崑崙は?」
【崑崙】
「僕が特に大切にしているのは、変化の意味を見極めることかな」
「例えば、別々に暮らしていたデジモンたちが一つの集落を作り始めたとする。それは食料の不足が理由かもしれないし、新しい文化の誕生かもしれない」
【サイガ】
「同じ出来事でも、理由はいろいろあるってこと?」
【崑崙】
「その通り。表面に現れた結果だけを見て判断すれば、間違った介入をしてしまう可能性がある。だから僕は、原因と結果のつながりを重視しているんだ」
【イグドラシル】
「それで調べているうちに、別の疑問を三つくらい見つけちゃうんだよね」
【崑崙】
「ふふ。知識とは、そうして広がっていくものさ」
【サイガ】
(笑いながら)
「ははっ、崑崙らしいや!」
(最後にサイガは、ホメロスへ顔を向けた。)
【サイガ】
「ホメロスは、やっぱり歴史の記録を大事にしてるの?」
【ホメロス】
「ええ。それも大切なお仕事の一つですわ」
(彼女の周囲に何冊もの光り輝く書物が現れる。ページをめくるたび、小さな映像が立ち上がった。)
「世界では毎日、数え切れないほどの出来事が起こっています。大きな戦いもあれば、誰かが初めて友達を作ったという、小さな出来事もございます」
(ホメロスは一冊の書物を開き、小さなデジモンが仲間から花を受け取る光景を映し出した。)
「わたくしは、こういう記録も好きですの。誰かにとっては何でもない一日でも、この子にとっては、ずっと忘れられない日になるかもしれませんでしょう?」
【サイガ】
「……うん。そうだね」
【ホメロス】
「うふふ。世界の歴史とは、特別な者たちだけが作るものではありませんもの」
(光の書物が静かに閉じられ、空中へ溶けるように消えていった。)
【サイガ】
「……なんだか、みんなのことが少し分かった気がするよ」
【ホメオスタシス】
「ですが、サイガ。一つだけ覚えておいてほしいことがあります」
(彼女は少し真剣な声で続ける。)
「私たちは世界を管理しています。けれど、そこに生きるデジモンたちの人生を、私たちが所有しているわけではありません」
「彼らが何を願い、誰と出会い、どのような未来を選ぶのか。それは、彼ら自身のものなのです」
【サイガ】
「……うん」
【ホメオスタシス】
「私たちが守りたいのは、彼らが自らの意思で歩んでいける世界です」
【サイガ】
(スクリーンの中で笑い合うデジモンたちを見つめる)
「……そっか。だから、みんなは『支配する』じゃなくて、『見守る』って言うんだね」
【ホメオスタシス】
「ふふ……ええ。その通りです」
(少しの沈黙のあと、イグドラシルがぱん、と手を合わせた。)
【イグドラシル】
「さて! せっかくサイガが来てくれたんだし、難しい話ばっかりじゃもったいないよね!」
【サイガ】
「え?」
【イグドラシル】
「紅茶のおかわり、どう? それから、さっきの焼き菓子もまだあるよ!」
【ホメロス】
「あら、賛成ですわ。お話に夢中で、すっかり冷めてしまいましたものね」
【崑崙】
「ふふ。仕事の説明をしていたはずが、結局お茶会に戻るわけだ」
【イグドラシル】
「いいじゃない! 三週間ぶりの再会なんだから!」
【サイガ】
(笑顔でカップを差し出す)
「じゃあ、もう一杯もらおうかな!」
【ホメオスタシス】
「はい。どうぞ」
(温かな紅茶が注がれ、甘い香りが再び室内に広がる。観測スクリーンの向こうでは、復興を続けるデジタルワールドに夕暮れが訪れていた。)
(サイガは一枚の焼き菓子を手に取りながら、再びスクリーンを見上げる。)
【サイガ】
「……ねえ、ホメオスタシス。さっき、三大天使が戦後の世界を支えたって言ってたよね」
【ホメオスタシス】
「ええ」
【サイガ】
「僕、あの三人が戦いのあと、どんなふうに過ごしていたのかも気になるな」
【ホメオスタシス】
「では、少しだけ時間を進めてみましょう」
(夕暮れの集落がゆっくりと遠ざかり、代わって雲の上にそびえる荘厳な神殿が映し出された。)
(白い柱が並ぶ広間。柔らかな光に包まれたその場所には、三つの天使の姿があった。)
(セラフィモン、オファニモン、ケルビモン。)
【サイガ】
「あっ、みんなだ!」
【ホメオスタシス】
「彼らは戦いの後も、世界のために力を尽くしていました。各地の復興状況を確かめ、争いの再発を防ぎ、困難を抱えたデジモンたちの声に耳を傾けていたのです」
(映像の中では、三大天使が各地から届いた報告に目を通している。セラフィモンが全体の状況を整理し、オファニモンが支援を必要とする集落について話し、ケルビモンが復旧の遅れた地域への対応を検討していた。)
【サイガ】
「……なんだか、戦っていたときとは違う顔をしてるね」
【イグドラシル】
「ふふっ。剣を振るうだけが、世界を守る方法じゃないからね」
【ホメロス】
「平和な日々を支えることも、彼らの大切な務めでしたの」
【崑崙】
「もっとも、彼らだけですべてを解決したわけではない。各地のデジモンたちが、自分たちで暮らしを立て直したことも忘れてはいけないね」
(スクリーンには、三大天使の神殿から各地の集落へと映像が移り変わる。)
(新しく開かれた市場では、異なる地域のデジモンたちが品物を交換している。森では小さな苗木が植えられ、街道では旅人たちが行き交っていた。)
(それは、十闘士が戦い抜いた先に生まれた、ありふれた日常だった。)
【サイガ】
(しばらく黙って映像を見つめる)
「……よかった」
【ホメオスタシス】
「サイガ?」
【サイガ】
「うん。前に見たときは、ずっと戦いが続いていたから。こうして普通に暮らしてるみんなを見ると、なんだか安心するんだ」
(彼は小さく笑った。)
「十闘士のみんなが守りたかったのって、きっとこういう景色なんだろうね」
【ホメオスタシス】
(静かに頷く)
「……ええ。私も、そう思います」
(観測スクリーンの中で、集落の灯りが一つ、また一つとともり始めた。)
(かつて争いによって引き裂かれた土地に、新しい道ができる。離れていた者たちが再び出会い、失われた場所には別の暮らしが芽吹いていく。)
(それは決して、すべてが元通りになったという意味ではない。失われたものを抱えたまま、それでも明日へ向かう者たちの姿だった。)
【サイガ】
「……ねえ、みんな」
【イグドラシル】
「ん? どうしたの?」
【サイガ】
「僕、今日ここに来てよかったよ」
【ホメロス】
「あら。まだ帰るには早いですわよ?」
【サイガ】
(笑いながら)
「分かってるよ! そうじゃなくて……前に見た戦いの続きが、こんなに大切なものだって知れたから」
「それに、みんながどういう気持ちで世界を見守っているのかも聞けたしね」
【崑崙】
「ふふ。歴史の観測に来たはずが、管理者への質問会になってしまったけれどね」
【サイガ】
「それも楽しかったよ!」
【イグドラシル】
「じゃあ、次は私からもサイガにいろいろ質問しちゃおうかな!」
【サイガ】
「ええっ? 僕に?」
【イグドラシル】
「もちろん! 私たちばっかり答えるのは不公平でしょう?」
【ホメロス】
「うふふ。でしたら、まずはサイガがこの三週間で食べた、一番おいしいものについて聞きたいですわ」
【崑崙】
「それはずいぶん平和な質問だね」
【ホメロス】
「あら、平和な時間なのですもの。何か問題がありまして?」
【崑崙】
「いや。まったくないね」
(五人の笑い声が重なった。)
(それからしばらく、狭間劇場のVIPルームでは、デジタルワールドの歴史とは関係のない話が続いた。)
(サイガが三週間の出来事を話せば、イグドラシルは興味津々で質問を重ね、崑崙は時折冗談を挟み、ホメロスは楽しそうに相槌を打つ。ホメオスタシスはそんな四人を穏やかに見守りながら、空いたカップに紅茶を注いでいた。)
(やがて、円卓の上に置かれていた焼き菓子も、残りわずかになった。)
【サイガ】
(最後の一枚を見つめる)
「……これ、誰が食べる?」
【イグドラシル】
「サイガが食べていいよ。せっかく来てくれたんだし」
【ホメロス】
「ええ。遠慮なさらず」
【崑崙】
「ふふ。三人とも同じことを言うなら、僕も譲るとしよう」
【サイガ】
「えっ、いいの?」
【ホメオスタシス】
「もちろんです。あなたのために用意したものですから」
(サイガは少し考えたあと、焼き菓子を手に取った。)
【サイガ】
「じゃあ……五人で分けようよ!」
【イグドラシル】
「えっ?」
【サイガ】
「だって、せっかくみんなで集まれたんだもん。最後まで一緒に食べたいなって」
(四人は顔を見合わせる。)
【崑崙】
(小さく吹き出す)
「ふふ。なるほど。実に君らしい提案だね」
【ホメロス】
「うふふ。では、五等分にいたしましょうか」
【イグドラシル】
「ちっちゃくなっちゃうけど、それも楽しそう!」
【ホメオスタシス】
(柔らかく微笑む)
「……はい。皆でいただきましょう」
(五つに分けられた小さな焼き菓子が、それぞれの皿に置かれる。)
(ほんの一口分しかない菓子を、五人は同じタイミングで口へ運んだ。)
【イグドラシル】
「……ふふっ。やっぱり、ちょっと小さすぎたかな?」
【サイガ】
(笑顔で首を振る)
「そんなことないよ。すごくおいしい!」
【ホメロス】
「うふふ。わたくしも、いつもよりおいしく感じますわ」
【崑崙】
「味そのものは変わらないはずなのにね。不思議なものだ」
【ホメオスタシス】
「……きっと、誰と分かち合うかも、大切なのでしょう」
(その言葉に、サイガは大きく頷いた。)
(スクリーンの向こうでは、デジタルワールドの夜が静かに更けていく。集落の家々には温かな灯りがともり、明日へ備えるデジモンたちが眠りにつこうとしていた。)
(世界を守った英雄たちの戦いは終わった。けれど、彼らが守り抜いた未来は、今もこうして続いている。)
(そして、狭間劇場でもまた、三週間ぶりに再会した五人の時間が続いていた。)
【サイガ】
(満足そうにソファへ背中を預ける)
「……また来てもいい?」
【イグドラシル】
「もちろん! 何回でも来てよ!」
【崑崙】
「ふふ。次はどんな質問を持ってくるのか、楽しみにしているよ」
【ホメロス】
「今度はもっとたくさん、お菓子を用意しておきますわね」
【ホメオスタシス】
(サイガをまっすぐ見つめ、微笑む)
「あなたの席は、いつでもここにあります」
(サイガは四人の言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。)
【サイガ】
「……ありがとう、みんな!」
(円卓を囲む五人の笑顔を、天井の星々が静かに照らしていた。)
(――三週間ぶりの再会。)
(その日、サイガが見届けたのは、世界を救う大きな戦いではなかった。)
(誰かと再び会える喜び。失われたものを忘れず、それでも未来へ進もうとする強さ。そして、同じ時間を分かち合えることの温かさ。)
(それらもまた、守り抜かれた平和の一つの形なのだろう。)
(狭間劇場のVIPルームには、夜が更けてもなお、五人の楽しげな声が響いていた。)
――幕間・第1話『三週間ぶりの再会』 完――