(中央聖域――北方との協定が結ばれてから、幾週間かが過ぎていた。)
(白亜の建造物が立ち並ぶ聖域では、今日も多くのデジモンたちが行き交っている。北方へ続く交易路には荷車が往来し、以前は遠い土地でしか手に入らなかった食料や資材が、中央の市場にも並ぶようになっていた。)
(その光景を、聖域の高台から三体の天使が見下ろしていた。)
【エンジェウーモン】
(市場を眺めながら、穏やかに微笑む)「北方から届いた薬草のおかげで、救護施設でも助かる命が増えました。協定を結べて、本当によかったですね」
【アルケーエンジェモン】
(腕を組み、交易路に目を向ける)「ああ。警備隊からも、道中の争いが減ったと報告を受けている。互いに協力することが、これほどの成果につながるとはな」
【ホーリーエンジェモン】
(静かに頷く)「北方の者たちが、自分たちの暮らしを守りながら協力してくれたからこその成果だ。あの協定には意味があった」
(だが、その言葉の後、ホーリーエンジェモンの表情がわずかに曇る。)
【エンジェウーモン】
「……何か、気になることが?」
【ホーリーエンジェモン】
(手にした書簡に目を落とす)「北方の集落に、中央聖域から新たな会合の通知が送られた。議題は、各地の生活規則の統一だ」
【アルケーエンジェモン】
「規則の統一……? 待て。それは先日の協定で、各集落の自治を認めたはずではなかったか?」
【ホーリーエンジェモン】
「そのはずだ。だからこそ、確かめなければならない」
(書簡には、ルーチェモンの承認を示す印が押されていた。)
⸻
(狭間劇場。観測映像を見つめていたサイガが、小さく首を傾げる。)
【サイガ】
「でも、ルーチェモンは協定を認めたんだよね? それなのに、また規則を統一しようとしているの?」
【ホメオスタシス】
(静かに頷く)「ええ。彼にとって、協定は平和へ至るための一つの段階だったのでしょう。しかし、北方の者たちにとっては、自分たちの暮らしを守るための約束だったのです」
【イグドラシル】
「同じ約束でも、受け取り方が違うんだね。ふふっ……まだ話し合いで解決できるかもしれないけれど」
【崑崙】
「問題は、ルーチェモンが相手の答えを本当に受け入れるつもりがあるのか、ということだろうね」
【ホメロス】
(扇を口元に添える)「うふふ……三体の天使たちも、その答えを知りたがっているようですわ」
(観測映像が、中央聖域の謁見の間へと移る。)
⸻
(ルーチェモンは、三体の天使からの報告を静かに聞いていた。)
【ホーリーエンジェモン】
(恭しく頭を下げる)「ルーチェモン様。北方との協定について、確認したいことがございます」
【ルーチェモン】
「うん。何かな?」
【ホーリーエンジェモン】
「新たな規則統一の会合についてです。北方の集落には、独自の生活規則を定める権利を認めました。今回の会合が、その約束を損なうことはありませんか?」
【ルーチェモン】
(落ち着いた表情で)「約束を破るつもりはないよ。だけど、今のままでは地域ごとに違う決まりが残ってしまう。それでは、いつかまた争いが生まれるかもしれない」
【エンジェウーモン】
「ですが、違いがあること自体が争いの原因とは限りません。北方の方々は、自分たちの暮らしを大切にしているだけです」
【ルーチェモン】
「もちろん、それは理解しているつもりだよ」
(ルーチェモンは微笑んだ。)
【ルーチェモン】
「だから、すぐに変えろとは言わない。時間をかけて、みんなに同じ秩序の大切さを知ってもらいたいんだ」
【アルケーエンジェモン】
「……もし、それでも彼らが望まなかった場合は?」
(謁見の間に、短い沈黙が落ちる。)
【ルーチェモン】
「そのときは、もう一度説明するよ。きっと分かってもらえる」
【アルケーエンジェモン】
「それでも拒まれたら?」
【ルーチェモン】
(わずかに目を細める)「……なぜ、拒む必要があるのかな?」
(三体は、すぐには答えられなかった。)
【ルーチェモン】
「僕は誰かを苦しめたいわけじゃない。争いのない世界をつくりたいだけなんだ。そのために必要なことを、みんなにも理解してほしい」
【ホーリーエンジェモン】
(顔を上げ、静かに告げる)「ルーチェモン様。私たちも、その理想を信じています。ですが……平和を望む者が、必ずしも同じ道を選ぶとは限りません」
【ルーチェモン】
「……そうだね」
(その返答は穏やかだった。けれど、以前のように三体の言葉を受け止めているのか、彼らには分からなかった。)
(ルーチェモンは再び微笑む。)
【ルーチェモン】
「心配しなくていいよ。僕が、みんなを正しい未来へ導くから」
(その言葉を聞いたホーリーエンジェモンは、静かに視線を伏せた。)
⸻
(謁見の間を後にした三体は、長い回廊を歩いていた。)
【エンジェウーモン】
「……あの方は、変わってしまわれたのでしょうか」
【アルケーエンジェモン】
「分からない。今も平和を願っている。それだけは疑いようがない」
【ホーリーエンジェモン】
「だからこそ、難しいのだ」
(ホーリーエンジェモンが足を止める。)
【ホーリーエンジェモン】
「我々が忠誠を誓ったのは、あの方の力だけではない。異なる者の声に耳を傾け、誰も見捨てようとしなかった、その姿勢に心を動かされたからだ」
【エンジェウーモン】
(胸元に手を添える)「……はい」
【アルケーエンジェモン】
「ならば、我々にはまだできることがある。北方の者たちの声を、もう一度あの方へ届けよう」
【ホーリーエンジェモン】
「ああ。最後まで、言葉を尽くそう」
(三体は再び歩き始めた。)
(このとき、彼らはまだ、ルーチェモンのもとを去ると決めたわけではなかった。)
(だが、三体が守りたいと願うものと、ルーチェモンが実現しようとする秩序。その間に生まれた隔たりは、もはや見過ごせるものではなくなっていた。)
⸻
(中央聖域の謁見の間での話し合いから、三日が過ぎた。)
(その朝、聖域の各所に、一枚の布告が掲げられた。)
(市場の入り口、交易路の検問所、集落へ向かう街道の分岐点。人々が必ず目にする場所には、中央聖域の紋章が刻まれた新たな規則が並んでいた。)
(その名は――『中央共通秩序規則』。)
【パタモン】
(布告の前で首を傾げる)「えっと……これからは、集落同士の取り決めも中央聖域に報告しなきゃいけないんだって」
【テントモン】
(文字を追いながら)「交易の決まりも統一されるようですな。これまで村ごとに違っていた交換の方法も、中央の基準に合わせると……」
【ピヨモン】
「でも、それって悪いことなの? 決まりが同じなら、分かりやすくなるんじゃない?」
【テントモン】
「便利になることもあるでしょうな。ただ……」
(テントモンは布告の末尾に目を向けた。)
【テントモン】
「中央の規則と異なる慣習については、順次見直しを求める……とあります」
【パタモン】
「見直しって、変えなきゃいけないってこと?」
【テントモン】
「そこまでは書かれておりません。ですが、どう判断されるかは中央次第ですな」
(周囲に集まったデジモンたちの間にも、戸惑いが広がっていた。)
(交易が便利になることを喜ぶ者もいた。争いを防ぐためには共通の決まりが必要だと考える者もいた。)
(しかし、長く守ってきた集落の慣習がどうなるのか、誰にもはっきりとは分からなかった。)
⸻
(中央聖域の執務室。)
(ホーリーエンジェモンは机の上に広げられた布告を見つめていた。その傍らには、エンジェウーモンとアルケーエンジェモンが立っている。)
【アルケーエンジェモン】
(低い声で)「聞いていないぞ。こんな規則を発表するなど」
【ホーリーエンジェモン】
「私もだ。先日の会合では、北方との協議を続けると聞いていた」
【エンジェウーモン】
(布告を手に取る)「この規則は、北方だけでなく、すべての集落に適用されるのですね……」
【ホーリーエンジェモン】
「ああ。ただし、中央聖域が認めた例外は除く、とある」
【アルケーエンジェモン】
「例外を認めるかどうかも、中央が決めるということか」
(ホーリーエンジェモンは黙って頷いた。)
【エンジェウーモン】
「ルーチェモン様は、争いを減らすために考えられたのでしょう。ですが、これでは……」
【ホーリーエンジェモン】
「先日の協定で約束した自治が、形だけのものになりかねない」
(そのとき、執務室の扉が開いた。)
【使者のデジモン】
(頭を下げる)「失礼いたします。北方の岩角集落より、中央聖域に抗議の書簡が届いております」
(アルケーエンジェモンが顔を上げる。)
【アルケーエンジェモン】
「……もう届いたか」
【使者のデジモン】
「はい。先の協定に反するのではないかと、説明を求めております」
【ホーリーエンジェモン】
「書簡を預かろう。私からルーチェモン様にお伝えする」
(使者が去った後、三体は顔を見合わせた。)
【エンジェウーモン】
「今度こそ、きちんとお話ししなければなりませんね」
【ホーリーエンジェモン】
「ああ」
【アルケーエンジェモン】
(拳を握る)「俺たちは、あの方を信じてきた。だからこそ、黙って従うわけにはいかない」
⸻
(狭間劇場。観測映像を見ていたサイガが、困惑したように口を開く。)
【サイガ】
「ルーチェモンの考えも、分からなくはないんだ。決まりが統一されれば、争いは減るかもしれない。でも、北方の人たちには自分たちで決めていいって約束したんだよね?」
【ホメオスタシス】
(静かに頷く)「ええ。ルーチェモンは秩序を整えることが平和につながると信じています。しかし、その秩序を受け入れるかどうかを選ぶ自由も、また大切なものなのです」
【イグドラシル】
「規則の内容そのものより、決め方が問題になっているんだね。ふふっ……三体の天使たちも、そこを気にしているみたい」
【崑崙】
(腕を組む)「一度認めた自治を、後から中央の判断で制限できる。そういう仕組みを作ってしまったわけだ」
【ホメロス】
「善意から始まったとしても、相手の意思を確かめなければ、押しつけになってしまいますわね」
【サイガ】
「……三体は、ルーチェモンを止められるのかな」
【ホメオスタシス】
(観測映像へ視線を戻す)「それは、これから交わされる言葉にかかっているのでしょう」
⸻
(中央聖域、謁見の間。)
(ルーチェモンは三体を迎えると、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。)
【ルーチェモン】
「みんな、どうしたの? そんなに揃って」
【ホーリーエンジェモン】
(深く頭を下げる)「ルーチェモン様。新たに発表された中央共通秩序規則について、お話がございます」
【ルーチェモン】
「ああ、あれだね。これからの世界には必要なものだと思うんだ」
【ホーリーエンジェモン】
「規則の必要性は理解しております。しかし、北方の集落とは、独自の生活規則を認める協定を結んだばかりです」
【ルーチェモン】
「うん。だから、すぐに全部を変えてもらうわけじゃないよ」
【エンジェウーモン】
「ですが、布告には、中央の基準に合わせて見直すよう記されています。集落の方々は、いずれ自分たちの決まりを失うのではないかと不安に思っています」
【ルーチェモン】
「不安になる必要なんてないのに」
(ルーチェモンは不思議そうに首を傾げた。)
【ルーチェモン】
「みんなが同じ決まりを守れば、余計な争いをしなくて済む。違う集落の者同士でも、安心して暮らせるようになるんだよ」
【アルケーエンジェモン】
(一歩前に出る)「その考えは理解できる。だが、彼らが望んでいないなら、どうする?」
【ルーチェモン】
「望んでもらえるように説明するよ」
【アルケーエンジェモン】
「説明を聞いた上で、それでも望まなかったら?」
【ルーチェモン】
(少しだけ表情を曇らせる)「……アルケーエンジェモン。どうして、そんなことばかり聞くの?」
【アルケーエンジェモン】
「必要だからだ」
(謁見の間に、緊張が走る。)
【アルケーエンジェモン】
「俺たちは北方へ行き、彼らと話し合った。自分たちの暮らしを守りたいという願いを聞いた。その上で協定を結んだんだ」
【ルーチェモン】
「知っているよ。僕も、その報告を受けて認めた」
【アルケーエンジェモン】
「ならば、その約束を守ってほしい」
(ルーチェモンの笑みが消えた。)
【ルーチェモン】
「……僕が約束を破ったと言いたいの?」
【ホーリーエンジェモン】
「そう申し上げたいのではありません。ただ、今回の規則は、協定の意味を変えてしまう恐れがあります」
【ルーチェモン】
「意味を変える……?」
【ホーリーエンジェモン】
「自治を認めるということは、中央と異なる選択をする権利も認めるということです」
(ルーチェモンは、しばらく黙っていた。)
【ルーチェモン】
「……でも、その選択が新しい争いを生んだら?」
【ホーリーエンジェモン】
「そのときは話し合い、必要ならば仲裁いたします。それが、我々の結んだ協定です」
【ルーチェモン】
「争いが起きてからでは、遅いこともあるんだよ」
(その声は、少しだけ強くなっていた。)
【ルーチェモン】
「誰かが傷ついてからでは遅い。取り返しのつかないことになってからでは、どんなに後悔しても戻せない」
【エンジェウーモン】
(悲しげに目を伏せる)「……はい。だからこそ、私たちも争いをなくしたいのです」
【ルーチェモン】
「だったら、どうして分かってくれないの?」
(ルーチェモンは三体を見つめた。)
【ルーチェモン】
「僕は、みんなが安心して暮らせる世界をつくろうとしている。それなのに、どうして君たちは、違う決まりを残すことにこだわるの?」
【エンジェウーモン】
「……違う決まりを守ることが、誰かの幸せにつながる場合もあるからです」
【ルーチェモン】
「その幸せのために、別の誰かが苦しむかもしれない」
【エンジェウーモン】
「それでも、相手の声を聞くことをやめてはいけません」
【ルーチェモン】
「聞いているよ!」
(突然響いた声に、三体が息を呑む。)
(ルーチェモン自身も、自分の声の大きさに驚いたようだった。)
【ルーチェモン】
(小さく息を整える)「……ごめん。怒るつもりはなかったんだ」
【ホーリーエンジェモン】
「ルーチェモン様……」
【ルーチェモン】
「だけど、僕は間違ったことをしているつもりはない。これから先、もっと多くのデジモンが一緒に暮らすようになる。そのとき、みんなを守るための共通の秩序が必要になるんだ」
(ルーチェモンは、三体へ向き直った。)
【ルーチェモン】
「だから、この規則を撤回するつもりはないよ」
(ホーリーエンジェモンの手が、わずかに握り締められる。)
【ホーリーエンジェモン】
「……承知いたしました」
【ルーチェモン】
「分かってくれた?」
【ホーリーエンジェモン】
(静かに首を横に振る)「いいえ。ですが、今はこれ以上、言葉を重ねても同じ結論に至るのでしょう」
(ルーチェモンは何も言わなかった。)
【ホーリーエンジェモン】
「失礼いたします」
(三体は一礼し、謁見の間を後にした。)
(その背中を、ルーチェモンは黙って見送っていた。)
⸻
(謁見の間の扉が閉まる。)
(長い回廊を歩きながら、三体はしばらく言葉を交わさなかった。)
【エンジェウーモン】
(ぽつりと呟く)「……あの方は、私たちの言葉を聞いてくださっていました」
【アルケーエンジェモン】
「ああ」
【エンジェウーモン】
「でも……受け入れては、くださらなかった」
【ホーリーエンジェモン】
「まだ、終わったわけではない」
(ホーリーエンジェモンは足を止めた。)
【ホーリーエンジェモン】
「規則が実際にどう運用されるか、確かめよう。北方からの抗議にも、中央として返答しなければならない」
【アルケーエンジェモン】
「……それでも、何も変わらなかったら?」
【ホーリーエンジェモン】
(少しの沈黙の後)「そのときは、我々自身が何を守るべきか、決めなければならない」
(エンジェウーモンが静かに顔を上げる。)
【エンジェウーモン】
「……はい」
(三体の胸には、まだ同じ願いがあった。)
(ルーチェモンと共に、争いのない世界を築きたい。)
(だが、その願いを守るために、いつまでもルーチェモンの傍らにいることが正しいのか。)
(その問いに、三体はまだ答えを出せずにいた。)
⸻
(中央聖域の西側には、古くから残されている小さな庭園があった。)
(今では白亜の建造物に囲まれているが、ルーチェモンが初めてこの地に降り立った頃、そこはただの草原だった。)
(庭園の中央には一本の大樹が立っている。その木陰で、三体の天使は足を止めた。)
【エンジェウーモン】
(大樹を見上げ、懐かしそうに微笑む)「……覚えていますか。私たちが初めて、ルーチェモン様に忠誠を誓った日のことを」
【アルケーエンジェモン】
「ああ。忘れるはずがない」
【ホーリーエンジェモン】
(静かに頷く)「あの頃は、まだ中央聖域も小さかった。争いを終わらせるために、我々は各地を巡っていたな」
【エンジェウーモン】
「ええ。傷ついた方々を癒やし、食べ物を分け合えるようにして……。誰かが笑顔になるたび、あの方は本当に嬉しそうでした」
(柔らかな風が、木々の葉を揺らした。)
【アルケーエンジェモン】
(大樹の幹に手を当てる)「俺があの方に従おうと決めたのは、力の強さに惹かれたからじゃない」
【ホーリーエンジェモン】
「……ああ」
【アルケーエンジェモン】
「争いを止められるほどの力を持ちながら、相手を打ち倒すことより、話し合うことを選んだ。その姿を見て、俺は思ったんだ。この方になら、守るべきものを託せると」
【エンジェウーモン】
「私も同じです。どんなに小さな声にも耳を傾けてくださる方でした」
【ホーリーエンジェモン】
「私が誓ったのは、あの方の命令に無条件で従うことではない。あの方と共に、誰もが安心して暮らせる世界を築くことだった」
(三体の間に沈黙が落ちる。)
【エンジェウーモン】
(少し俯く)「……それなら、今の私たちは、誓いを破ろうとしているのでしょうか」
【アルケーエンジェモン】
「なぜ、そう思う?」
【エンジェウーモン】
「ルーチェモン様のお考えに反対し続けています。あの方が正しいと信じて進もうとしている道を、私たちは止めようとしている……」
【ホーリーエンジェモン】
(穏やかに首を横に振る)「反対することと、裏切ることは同じではない」
【エンジェウーモン】
「……ホーリーエンジェモン」
【ホーリーエンジェモン】
「もし、あの方が誤った道へ進もうとしているのなら、それを伝えることも我々の役目だ。たとえ、あの方に望まれなくとも」
【アルケーエンジェモン】
「俺もそう思う。守ると誓ったからこそ、見過ごせないことがある」
(アルケーエンジェモンは中央聖域の塔を見上げた。)
【アルケーエンジェモン】
「だが……俺はまだ、あの方を敵だとは思えない」
【エンジェウーモン】
「私もです」
【ホーリーエンジェモン】
「ああ。我々が信じたルーチェモン様が、消えてしまったわけではない」
(ホーリーエンジェモンは、かつて三体で誓いを交わした場所へ視線を落とした。)
【ホーリーエンジェモン】
「ただ、あの方は今、自分の判断が最も多くの者を救うと信じておられる。その確信が強くなるほど、異なる考えを受け入れることが難しくなっているのだろう」
【エンジェウーモン】
「……もう一度、お話しできないでしょうか」
【アルケーエンジェモン】
「何度でも話せばいい。だが、言葉だけでは足りないのかもしれない」
【ホーリーエンジェモン】
「どういうことだ?」
【アルケーエンジェモン】
「俺たちは中央聖域にいる。北方の者たちが何を恐れているのか、報告を通してしか知らない。ならば、もう一度現地へ行こう。彼らの声を直接聞き、その言葉を持ち帰るんだ」
【エンジェウーモン】
(顔を上げる)「……はい。それなら、私にもできることがあります」
【ホーリーエンジェモン】
「よし。北方からの抗議に対する返答を待つ間に、各集落の状況を確認しよう」
(三体は頷き合った。)
(だが、そのときだった。)
(庭園へ続く石畳の道から、一体の使者が駆け込んできた。)
【使者のデジモン】
(息を切らしながら)「ホーリーエンジェモン様! 皆様、こちらにいらっしゃいましたか!」
【ホーリーエンジェモン】
「何事だ?」
【使者のデジモン】
「北方の岩角集落への返答が決まりました。ルーチェモン様のご判断です」
【アルケーエンジェモン】
「……何と?」
【使者のデジモン】
「中央共通秩序規則は予定どおり施行する。ただし、各集落の事情については、今後も説明を受け付けるとのことです」
【エンジェウーモン】
「……規則の変更は、認められなかったのですね」
【使者のデジモン】
「はい。それと……もう一つ」
(使者はためらうように言葉を切った。)
【ホーリーエンジェモン】
「続けてくれ」
【使者のデジモン】
「今後、各地で行われる規則の説明と運用確認について、三名の天使様にも協力するようにと……ルーチェモン様からのご命令です」
(アルケーエンジェモンの表情が険しくなる。)
【アルケーエンジェモン】
「……俺たちに、この規則を広めろというのか」
【使者のデジモン】
「詳しい内容は、改めてお伝えするとのことです」
(使者は一礼し、庭園を後にした。)
(残された三体は、しばらく言葉を失っていた。)
【エンジェウーモン】
(胸元に手を添える)「……私たちが、納得できていない規則を……」
【アルケーエンジェモン】
「北方の者たちに説明しろというのか」
【ホーリーエンジェモン】
(目を閉じる)「……まだ、命令の詳細を聞いていない。まずは確かめよう」
【アルケーエンジェモン】
「だが、もし俺たちの役目が、ただ従わせることだけだったら?」
(ホーリーエンジェモンは、すぐには答えなかった。)
(やがて、ゆっくりと目を開く。)
【ホーリーエンジェモン】
「そのときは……我々が交わした誓いの意味を、もう一度考えなければならない」
(大樹の葉が風に揺れる。)
(かつて三体が忠誠を誓った場所で、彼らは初めて、自分たちの進む道がルーチェモンの望む道とは異なるのかもしれないと、はっきり意識していた。)
⸻
(狭間劇場。)
【サイガ】
(観測映像を見つめながら)「……三体とも、ルーチェモンのことが嫌いになったわけじゃないんだね」
【ホメオスタシス】
「ええ。むしろ、今も深く敬愛しているのでしょう。だからこそ、あの方の変化に苦しんでいるのです」
【イグドラシル】
「ふふっ……忠誠って、何でも言うことを聞くこととは違うんだね」
【崑崙】
「そうだね。ただ、命令を下す側がそれを理解しているとは限らない」
【ホメロス】
(静かに目を細める)「同じ理想を抱いていても、選ぶ手段が違えば、いつか道が分かれることもありますわ」
【サイガ】
「……まだ、間に合うといいけど」
【ホメオスタシス】
(穏やかに、しかしどこか寂しげに)「ふふ……彼らも、きっと同じことを願っているのでしょうね」
⸻
(中央聖域。庭園での話し合いを終えた三体の天使は、再び謁見の間を訪れていた。)
(高い天井から降り注ぐ光の下、ルーチェモンは三体を待っていた。その表情は穏やかで、いつもと変わらない。)
【ルーチェモン】
(微笑みながら)「来てくれたんだね。ちょうど、君たちにお願いしたいことがあったんだ」
【ホーリーエンジェモン】
(静かに一礼する)「中央共通秩序規則の件でしょうか」
【ルーチェモン】
「うん。北方の集落をはじめ、各地に新しい規則を説明してほしいんだ。君たちなら、みんなも安心して話を聞いてくれると思うから」
【エンジェウーモン】
「……ルーチェモン様。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
【ルーチェモン】
「もちろん」
【エンジェウーモン】
「もし、規則の説明を受けた方々が、これまでの暮らしを変えたくないと望まれたら……私たちは、どうすればよいのでしょう」
【ルーチェモン】
「不安を取り除いてあげてほしい。新しい秩序が、みんなを守るためのものだって」
【アルケーエンジェモン】
「それでも、受け入れなかったら?」
【ルーチェモン】
(わずかに眉を寄せる)「……また、その質問?」
【アルケーエンジェモン】
「答えていただきたい」
(ルーチェモンは小さく息をついた。)
【ルーチェモン】
「みんなが好き勝手に決まりを作っていたら、争いはなくならない。だから、最後には同じ秩序を受け入れてもらわなければならないんだ」
【ホーリーエンジェモン】
「……それは、相手が望まなくとも、従わせるということでしょうか」
【ルーチェモン】
「従わせるんじゃないよ。正しい道へ導くんだ」
【ホーリーエンジェモン】
「その道が正しいかどうかを、決めるのは誰なのでしょう」
(ルーチェモンは、まっすぐにホーリーエンジェモンを見た。)
【ルーチェモン】
「……僕だよ」
(謁見の間が静まり返った。)
【ルーチェモン】
「僕は、誰よりも多くの争いを見てきた。どうすればみんなが傷つかずに済むのか、ずっと考えてきた。だからこそ、僕が導かなければならないんだ」
【エンジェウーモン】
(悲しげに)「ルーチェモン様……」
【ルーチェモン】
「君たちも、僕と同じ願いを持っているはずだよね?」
【ホーリーエンジェモン】
「はい。争いのない世界を望む気持ちは、今も変わりません」
【ルーチェモン】
「だったら――」
【ホーリーエンジェモン】
(静かに言葉を遮る)「ですが、私たちは、誰かの意思を奪うことで平和を築きたいとは思いません」
(ルーチェモンの目が見開かれる。)
【アルケーエンジェモン】
「俺たちは、あんたが争いを止める姿を見てきた。敵対していた者たちの声にも耳を傾け、互いに歩み寄れる道を探していた」
【エンジェウーモン】
「傷ついた方々に手を差し伸べ、どんなに小さな願いも大切にしてくださった……。私たちは、そんなあなたを信じていました」
【ルーチェモン】
「……今だって、同じだよ」
【ホーリーエンジェモン】
「ならば、どうか思い出してください。あなたが初めて、この世界に平和をもたらそうとしたときのことを」
(ルーチェモンは答えなかった。)
【ホーリーエンジェモン】
「私たちが忠誠を誓ったのは、あなたの命令に従うためだけではありません。あなたと共に、誰もが安心して暮らせる世界を築くためでした」
【ルーチェモン】
(声を低くする)「……つまり、君たちは僕に従わないと言うの?」
(ホーリーエンジェモンは、隣に立つ二体へ目を向けた。)
(エンジェウーモンは涙をこらえるように目を伏せ、それでも静かに頷いた。)
(アルケーエンジェモンも、決意を込めて頷き返す。)
【ホーリーエンジェモン】
(ルーチェモンへ向き直る)「……はい」
【ルーチェモン】
「…………」
【ホーリーエンジェモン】
「私たちは、中央共通秩序規則を各地に受け入れさせるための任務を、お引き受けすることはできません」
【ルーチェモン】
「……どうして?」
【ホーリーエンジェモン】
「それが、私たちの守るべき平和とは異なるからです」
(ルーチェモンは三体を見つめた。)
【ルーチェモン】
「僕は……君たちを信じていたのに」
【エンジェウーモン】
(震える声で)「私たちも、今なおあなたを信じたいと願っています」
【ルーチェモン】
「だったら、どうして僕のそばにいてくれないの?」
(その問いには、怒りよりも深い困惑が滲んでいた。)
【アルケーエンジェモン】
「……そばにいるだけでは、守れないものがあるからだ」
【ルーチェモン】
「僕が、間違っているって言うの?」
【ホーリーエンジェモン】
「あなたの願いが間違っているとは思いません。ですが、その願いのために、他者の選択を認めなくなってしまったのなら……私たちは、それを正しいとは言えません」
(長い沈黙が流れた。)
(やがて、ホーリーエンジェモンは片膝をついた。)
【ホーリーエンジェモン】
「ルーチェモン様。これまで、あなたのもとで仕えられたことを、心から誇りに思っています」
(エンジェウーモンとアルケーエンジェモンも、静かに膝をつく。)
【エンジェウーモン】
「あなたに救われた命が、数えきれないほどあることを……私たちは決して忘れません」
【アルケーエンジェモン】
「俺たちも、あんたと同じ未来を目指していた。それだけは、嘘じゃない」
【ホーリーエンジェモン】
(深く頭を下げる)「ですが、私たちは本日をもって、あなたのもとを離れます」
(ルーチェモンは、何も言わなかった。)
【ホーリーエンジェモン】
「……これが、私たち三体の決断です」
(しばらくして、ルーチェモンが口を開いた。)
【ルーチェモン】
「……そう」
(その声は、ひどく静かだった。)
【ルーチェモン】
「君たちまで、僕の考えを分かってくれないんだね」
【エンジェウーモン】
「……申し訳ありません」
【ルーチェモン】
「謝らなくていいよ」
(ルーチェモンは、三体から視線を逸らした。)
【ルーチェモン】
「……行っていい」
(三体は最後の一礼をすると、ゆっくりと立ち上がった。)
(扉へ向かう足音が、広い謁見の間に響く。)
【ルーチェモン】
「……ねえ」
(三体が振り返る。)
【ルーチェモン】
(背を向けたまま)「僕は、必ず平和な世界をつくるよ」
【ホーリーエンジェモン】
「……私たちも、そう願っています」
(重い扉が、静かに閉じられた。)
(こうして、かつてルーチェモンに忠誠を誓った三体の天使は、中央聖域を去ることを選んだ。)
(それは戦いの始まりではなかった。)
(少なくとも、このときはまだ。)
(ただ、同じ平和を願っていた者たちの道が、初めて明確に分かれた瞬間だった。)
⸻
(狭間劇場。)
【サイガ】
(観測映像を見つめたまま)「……行っちゃったんだね」
【ホメオスタシス】
「ええ。三体は、ルーチェモンへの忠誠よりも、自分たちが守るべきだと信じたものを選んだのです」
【イグドラシル】
(寂しそうに微笑む)「ふふっ……誰も、争いたかったわけじゃないのにね」
【崑崙】
「それでも、互いに譲れないものがあった。こういう別れ方もあるんだろうね」
【ホメロス】
(閉じた扇を胸元に添える)「誓いを捨てたのではなく、誓いを守るために離れた……。そう考えると、切ない決断ですわ」
【サイガ】
「……ルーチェモンは、これからどうするんだろう」
(観測映像には、誰もいなくなった謁見の間が映っていた。)
(ただ一体、玉座の前に立ち尽くすルーチェモン。)
【ルーチェモン】
(閉ざされた扉を見つめながら、小さく呟く)「……どうして、分かってくれないんだろう」
(その問いに、答える者はいなかった。)
【ホメオスタシス】
(静かに目を伏せる)「……彼が求めた平和は、確かに多くの命を救いました。けれど、その光がすべての者を同じ方向へ導こうとしたとき、初めてそこから離れる者たちが現れたのです」
(観測映像が、ゆっくりと暗転していく。)
――第7話「天使たちの決断」完――