ひとつの物語が終わった。
原稿用紙に最後の句点を記して、思い切り伸びをする。執筆で凝り固まっていた躰がほぐれていくのを感じながら、珈琲でも飲もうと思って立ち上がる。
珈琲といっても、大豆や麦、さつまいもなどを煎って細かくした代用品だ。本物の味を知っている身としては不満がないわけではないが、こればかりは仕方がない。
もうすぐ日付が変わるという時間帯。執筆に集中していたからか眠気は一向に来ず、かといってやることもない。
今しがた書き上げた原稿は雑誌に載せるためのもので、これが最終回だった。あとは馴染みの編集者に渡せば、自分の仕事は終わる。
明日にでも出版社に出向くかな──そんなことを考えつつ珈琲を飲んでいた時、不意に編集者から言われた言葉が甦った。
たしか、原稿を渡した時の雑談だったと記憶している。いま書いている『泡沫の記憶』の連載が終了して単行本になったら、新たに書き下ろしで一冊出しましょうという話になっていたのだった。
それ自体はとても嬉しいことではある。小説家としてそれなりに長い時間を過ごしてきたが、小説を書き下ろしたことは数えるほどしかない。知名度が上がってきた証拠でもあるし、物書きとして誇れることだ。
ただ、編集者が提案してきた内容をきいて、とても困ってしまった。
自伝を出しませんか──そう提案してきたのだ。
こんな零細小説家の自伝なんて誰が読むんだと思ったが、自分にファンがいることは把握しているし会ったこともある。小説ではなく小説家の方に興味を持つということも珍しくはないだろうし、それで読者の方々が楽しんでくれるならいいかな、と思ってしまった。
だが、ここで問題が生じる。
自分の半生を、この時代の人間が受け入れてくれるかという問題だ。
物事に流行り廃りがあるように、小説にも時代に即した内容というものがある。かくいう自分も、それを研究して形にしてきた身だ。
そして自分の半生は、この時代に即した内容とは言い難い。どれだけの人が受け入れてくれるか、わかったものではない。
なので一旦は保留にして、目の前にある原稿に取り掛かっていたのだが、それを片付けてしまうと、やはりこの問題が浮上してくる。
小説家として生計を立てるならば、やめた方がいいと思う。
だがその一方で、自分がこれまで辿ってきた道程を形にしたいという想いもあった。
大衆に受け入れられなくてもいい。こんな物語があったということを知ってもらいたい。自分の物語を──そして彼らの物語を、この手で残したい。
そしてそれこそが、小説の本質であると思った。
書いてみるか──そう思ったが、記憶というものは摩耗していくものであり、過去に起きた出来事を全て覚えている訳ではない。
それに、どうせ書くなら自分の物語だけではなく、自分と関わってきた人々の物語も書いてみたい。なので、少し特殊な方法を取ることにした。
この世界には“異能力”という、人智を超えた力が存在する。かくいう自分も異能力を使うもの──異能力者であり、人ならざる奇跡を起こすことができる。
目を軽く瞑り、左の掌を宙に向ける。すると微かな重みと共に、ひんやりとした革の感触が伝わってきた。
虚空から現れたのは一冊の本。自分の意図を読み取ったかのように頁が捲られていき、それと同時に過去の記憶が鮮明に浮かんできた。
懐かしさを感じて目を細めながら、新しい原稿用紙を取り出す。
タイトルはひとまず空欄。小説を書く前に、昔きいた言葉を巻頭文として掲げることにした。
“物語とは、変化を前提とした悲劇である”
この物語を象徴するに相応しい言葉だと思う。
なにせこの小説は、自らの力で悲劇を喜劇に変えたものたちの物語なのだから。
過去の記憶はどんどん展開されていく。
自分が知らないところで起きた出来事までもが、鮮明に浮かんでくる。
それに背中を押されるようにして、ペンを走らせ、文字として紡いでいく。
まずは、いつもの祈りの言葉から。
“登場人物、そして読者の皆様に、物語の祝福のあらんことを──”