千年の旅路、エデンの石板 〜フリーレンと失われた世界〜 作:龍改二
ウッドパルナの村から東へ抜ける街道は、すでに道としての体を成していなかった。
赤黒く変色した土はひび割れ、立ち枯れた木々が墓標のように林立している。その荒涼とした大地の果てに、天を突くように聳え立つ古塔があった。外壁は風化して崩れかけているものの、塔全体を覆うように淀む異質な魔力の塊が、そこが魔族の巣窟であることを雄弁に物語っていた。
三人が塔の正面に広がる石畳の広場へと足を踏み入れた、その時だった。
ズズン、と地響きが足元からせり上がり、塔の巨大な扉の前に積み上げられていた赤茶色の瓦礫が、まるで意思を持ったかのように隆起し始めたのである。
ゴリゴリと岩石が擦れ合う轟音が響く。赤茶色の石材が複雑に噛み合い、魔力の光が継ぎ目を走るやいなや、それは見上げるほどの体躯を持つ『石の巨人』へと姿を変えた。まるで城壁そのものが立ち上がったかのような威圧感で、巨人がゆっくりとこちらを見下ろす。
「うわっ、なんだこいつ、でけえ!! こいつが村を襲った例の魔族か!?」
シュタルクが咄嗟に大斧を抜き放ち、半歩下がりながら叫んだ。しかし、隣に立つフリーレンは眉一つ動かさず、赤褐色の杖を軽く構えたまま冷静に分析する。
「いや、これはゴーレムだね。ただ与えられた命令に従うだけの、魔法で造られた自律式の人形だよ。……核となる魔力の術式が、かなり精巧に組まれている」
「つまり、門番というわけですね。これを作った主である魔族が、この塔の奥にいると考えるのが自然でしょう」
フェルンが木製の杖を構え、静かに魔力を練り上げる。
その瞬間、ゴーレムが咆哮のような風切り音を立てて踏み込んできた。感情のない巨体に似合わぬ俊敏さで振り下ろされる、丸太を束ねたように太い石造りの巨腕。
「っ、おらあぁっ!!」
シュタルクが前へと躍り出て、大斧の腹でその質量攻撃を正面から受け止めた。ドォンッ! と大気が爆ぜるような衝撃音が響き、シュタルクの足元の石畳が蜘蛛の巣状に砕け散る。ミシミシと骨が軋むほどの重圧に顔を歪めながらも、シュタルクは一歩も引かずに巨腕を押し返した。
「今だ、二人とも!!」
シュタルクが作り出した一瞬の隙。それを見逃すはずもなく、背後からフリーレンとフェルンの杖が同時に閃いた。
夜闇を切り裂く二条の白紫の閃光、ゾルトラークの斉射が、ゴーレムの分厚い胸板から肩口にかけてを正確に撃ち抜く。高度な防御術式が施された赤茶色の石材も、二人の魔法使いによる高密度の魔力貫通の前には紙同然だった。
風穴を開けられ、内部の魔力核を破壊されたゴーレムは、ピタリと動きを止めた。そして次の瞬間には魔力の結合を失い、ガラガラと乾いた音を立ててただの瓦礫の山へと崩れ落ちていった。
「ふぅ……なんとか一発でいったな」
シュタルクが肩で息をしながら大斧を下ろし、それからハッとしたように後ろを振り返った。
自分たちが歩いてきた森の街道。しかし、そこには松明の灯りひとつ見えず、人の気配も全くない。戦闘の轟音は遠くまで響いていたはずだが、後から追いかけてくると言っていた村の男たちの姿はどこにもなかった。
「……来ませんね、村の人たち」
フェルンが暗い森を見つめ、少しだけ冷ややかな声で呟いた。その瞳には、やはり裏切られたのではないかという一抹の不安と、かすかな失望がよぎっている。
だが、フリーレンは振り返ることすらなく、瓦礫を乗り越えて塔の入り口へと歩いていった。
「まだ準備に時間がかかってるんだろうね。怯えていた人たちが武器を取るんだ、無理もないことだよ。……行くよ、先に入って待っていよう」
フリーレンの迷いのない背中に、フェルンは小さく息を吐き、シュタルクと顔を見合わせてからその後ろへと続いた。
塔の内部は、外の空気以上に重苦しい瘴気に満ちていた。
螺旋状に続く石の階段には、かつてここで戦った誰かのものと思しき古い血痕や、砕けた武具の破片が散乱している。道中に配置されていた数体の下級魔物をフェルンの速射で蹴散らしながら、三人は慎重に、しかし着実に上階へと歩を進めていった。
やがて、最上階の一つ手前にある、一際大きく開けた大広間へと辿り着いた。
天井は高く、周囲の壁には不気味な意匠の柱が並んでいる。そしてその部屋の最奥、上階へと続く階段を背にするようにして、一体の異形の戦士が佇んでいた。
全身を覆うのは、何らかの巨大な魔物の骨を削り出して作られたかのような、白く禍々しい『骨の鎧』だった。頭部までもが髑髏を模した兜にすっぽりと覆われており、その素顔を窺い知ることは出来ない。手には禍々しい魔力を帯びた大剣が握られている。
「……お前が、村の女の人たちを攫った魔族だね」
フリーレンが杖を向け、静かに問いかけた。
骨鎧の戦士がゆっくりと顔を上げる。兜の奥の暗がりから、くぐもって反響するような、男とも女ともつかない無機質な声が響いた。
『……いかにも。村の女どもは、この上の部屋に閉じ込めてある。案ずるな、まだ誰一人として殺してはいない……村の男どもが、自らの手で故郷を滅ぼし尽くすまではな』
「人質は無事か! だったら、お前をぶっ飛ばして全員返してもらうぜ!」
シュタルクが床を蹴り、疾風のごとき速さで間合いを詰めた。大斧を高く振り上げ、渾身の力で骨鎧の脳天へと叩き込む。
ガキィンッ! と。
甲高い金属音が部屋に木霊した。骨鎧の戦士は片手で無造作に大剣を振り上げ、シュタルクの重い一撃をいとも容易く受け流してみせたのだ。
「なっ……!?」
衝撃で体勢を崩しかけたシュタルクは、即座に二撃、三撃と連撃を繰り出す。だが、骨鎧の戦士は最小限の足捌きと的確な剣の角度だけで、シュタルクの猛攻をすべて綺麗にいなしていく。余計な力みのない、極限まで洗練された見事な剣捌きだった。
「くそっ……!」
シュタルクが一旦距離を取って飛び退く。だが、そこで彼は奇妙な違和感に気が付いた。
骨鎧の戦士は、大剣を構えたままその場から一歩も動こうとしないのだ。今の攻防の中で、シュタルクの隙を突いて反撃する機会はあったはずなのに、ただ受け流し、防御に徹するだけで、こちらへ攻め込んでくる気配がまるでない。
(なんだこいつ……? これだけの腕がありながら、なんで攻めてこねえんだ? まるで、こちらの出方や……何か別のものを待って『様子を見ている』みたいな……)
シュタルクの困惑は、後方に控えるフリーレンとフェルンも同じだった。
二人はすでに杖を構え、いつでも攻撃魔法を放てる態勢にある。もしフリーレンたちが本気で魔力を解放し、飽和攻撃を仕掛けたなら、どれほど手練れの戦士であろうと骨鎧ごと粉砕できるかもしれない。
だが、フリーレンは撃たなかった。いや、撃てなかったのだ。
「……フェルン、大技は使えないよ。この魔族、防御の術式にかなりの魔力を割いている。もし私たちのゾルトラークが剣で弾かれて周囲の柱に当たれば、この古い塔ごと崩落しかねない」
「はい……。すぐ上の階に村の女性たちが囚われている以上、建物を壊すような危険な賭けには出られませんね」
フェルンが唇を噛む。出力を抑えた牽制の魔法では、あの見事な剣技の前には全て叩き落とされるだけだろう。かといってシュタルクの近接戦闘だけでは、完全に守りを固めた相手の防壁を崩しきれない。
なぜ攻めてこないのか分からない不気味な魔族と、人質の安全を考慮して攻めあぐねるフリーレンたち。
大広間には、互いの呼吸音だけが響く異常な膠着状態が流れていた。
骨鎧の戦士は、沈黙のまま入り口の方へと視線を向けている。兜の奥の瞳が、まるで『誰も来ないこと』を確かめ、絶望を深めているかのように見えた、その時だった。
「「――うおおおおおっ!!」」
突如として、階下から地鳴りのような男たちの咆哮と、無数の足音が響き渡ったのである。
ハッとシュタルクたちが振り返ると、大広間の入り口から、松明と武器を手にしたウッドパルナの村人たちが雪崩れ込んできた。先頭を走る村長をはじめ、若者から老人まで、手には錆びた剣や槍、さらには農具の鍬や鎌までがしっかりと握られている。彼らの顔は恐怖で蒼白になり、足はガタガタと震えていたが、その瞳にはもう、かつての虚ろな光はなかった。
「た、旅のお方! 遅くなって申し訳ありません!!」
「俺たちも戦うぞ! 妻や娘を、俺たちの手で取り戻すんだ!!」
約束を守り、恐怖を振り切って駆けつけた村人たち。その姿を見た瞬間、シュタルクの顔にぱっと明るい笑みが広がった。フェルンもまた、信じられないものを見るように目を見張り、そして小さく安堵の息を漏らした。
だが――村人たちの姿を目にした瞬間、それまで静まり返っていた骨鎧の戦士の空気が、劇的に変貌した。
『……来た、だと……? あの臆病者どもが、なぜ今になって……!!』
くぐもった声に、明確な動揺と、そして激しい激情が混じる。
次の瞬間、骨鎧の全身から赤黒い瘴気が爆発的に噴き上がった。これまで見せていた静かな防御の構えをかなぐり捨て、大剣に禍々しい魔力を纏わせると、猛烈な攻勢へと転じたのである。
『遅い……遅すぎるのだ!! 今さら英雄気取りなど、許さん!!』
大剣が一閃され、圧縮された魔力の斬撃が嵐となって広間を吹き荒れる。
「フェルン!」
「はいっ!」
フリーレンとフェルンが即座に前へと進み出て、六角形の防御魔法を展開した。凄まじい衝撃波が防壁を叩き、バチバチと魔力の火花が散り、石畳が抉れて濛々たる砂煙が広間を覆い尽くす。
「「うわあああっ!?」」
あまりの威圧感に、駆けつけたばかりの村人たちが思わず足を止め、怯んだように後ずさる。
しかし、その砂煙を切り裂いて、一人の赤髪の戦士が真っ直ぐに前へと躍り出た。
「怯むなあああっ!!」
シュタルクだった。彼は大剣を振りかぶる骨鎧の戦士の懐へと恐れずに飛び込むと、振り下ろされた必殺の斬撃を、大斧の刃で真正面から受け止めた。ガギィィィンッ!! と火花が散り、互いの武器が激しく鍔迫り合いを演じる。
「ぐ、うっ……! 見ろ、こいつの剣は俺が止めてる! 今なら絶対に届く!!」
シュタルクは全身の筋肉を膨張させ、血管を浮き上がらせながら、魔族の大剣を力ずくで下へと抑え込んだ。骨鎧の戦士の体勢が崩れ、その胸元に大きな隙が生まれる。
シュタルクは血を吐くような咆哮で、背後の男たちへと叫んだ。
「俺に続けッ!! お前らの手で、過去にケリをつけろおおおっ!!」
その叫びが、村人たちの魂に最後の火を点けた。
「「おおおおおっ!!」」と恐怖を塗り潰すような雄叫びを上げ、若い男が、そして村長たちが一斉に駆け出した。彼らが渾身の力で突き出した槍が、剣が、そして錆びた鍬が、シュタルクによって身動きを封じられた骨鎧の戦士の胴体へと、次々に突き刺さっていく。
村人たちの決死の一撃を受け、骨の鎧がまるでガラス細工のように呆気なくひび割れた。
ガシャンッ!と音を立て、白い骨の装甲がボロボロと床へと崩れ落ちていく。
「や、やったか……!?」
荒い息を吐きながら村人たちが武器を引き抜き、シュタルクが距離を取る。
しかし、鎧が砕け散ったその中から現れた姿を見て、広間の全員が息を呑み、凍りついた。
骨の兜が割れ落ちた瞬間、ふわりと夜闇に広がったのは、長く美しい、くせっ毛のある金色の髪だった。
血を流し、膝から崩れ落ちるようにして床に倒れ込んだのは、紛れもなく――先ほど森の墓前で出会い、彼らを村へと導いたあの女戦士、マチルダだったのである。
「……え……? マチルダ、様……!?」
フェルンが杖を握る手を緩め、信じられないといった様子で声を震わせる。
シュタルクもまた、自分の斧と、血を流して倒れている女性の姿を交互に見つめ、蒼白な顔で立ち尽くした。
「おい、嘘だろ……。なんで、あんたが魔族の鎧なんか……。どういう、ことだよ……!?」
混乱と衝撃が広間を支配する中、ただ一人、フリーレンだけが驚いた様子も見せず、静かに歩み寄っていた。
千年を生きるエルフの瞳は、深い哀しみと、すべてを理解したような静謐な光を湛えて、床に横たわるマチルダを見つめていた。
「……やっぱり、そうだったんだね。マチルダ」
フリーレンの静かな声が、静まり返った塔の広間に虚しく響き渡った。