千年の旅路、エデンの石板 〜フリーレンと失われた世界〜 作:龍改二
砕け散った白い骨鎧の破片が、石畳の上で乾いた音を立てて転がる。
その中央に崩れ落ちたマチルダの肩からは、赤黒い血がじわりと滲み出し、長く美しい金色のくせ毛を濡らしていた。荒い息を吐く村の男たちも、武器を握りしめたまま言葉を失い、ただ呆然と目の前の光景を見つめている。
静まり返った塔の広間に、フリーレンの靴音だけがコツ、コツと静かに響いた。
エルフの魔法使いはマチルダの前に立ち止まると、翡翠色の瞳を細め、遠い記憶の頁をめくるように語り始めた。
「……私はね、何百年も前――この時代から見れば、二十年ちょっと前のことだけど――まだウッドルートと呼ばれていた頃のこの村へ来たとき、ある仲の良い兄妹を見たことがあるんだよ」
フリーレンの声は、どこまでも淡々としていながら、深い慈しみを帯びていた。
「村一番の強そうな戦士の兄と、その後ろをいつも一生懸命について回る、小さな妹だった。まだすごく幼かったけれど、その子の髪は、君と同じ……くせっ毛のある長い金色の髪だったよ。マチルダ、君は……英雄パルナの妹だね」
その言葉に、村長をはじめとする年配の村人たちが「まさか……!」「パルナの妹の、あのマチルダちゃんか……!?」と息を呑んだ。二十年前、兄の後を追って森へ消え、そのまま魔物に食い殺されたと思われていた少女。
マチルダは床に手をついたまま、震える肩を揺らして低く笑った。やがて顔を上げた彼女の瞳には、底知れない絶望と、煮えたぎるような憎悪の炎が揺らめいていた。
「……ええ、そうです。私がパルナの妹です……!」
彼女は自分を取り囲む村の男たちを、血の滲むような目で睨みつけた。
「私は、兄さんを見捨てたお前たちを、どうしても許せなかった! 『必ず後から行く』と約束しておきながら、恐怖に負けて家に閉じこもり、兄さんをたった一人で死なせたお前たちを、心底憎んでいた! だから……お前たちの手でこの村を破壊させ、すべてを滅ぼしてやろうと思ったのです!!」
悲痛な叫びが広間の壁に反響する。二十年という歳月をかけて澱のように積み重なった復讐心。村人たちはその言葉の刃に貫かれ、誰も目を合わせることができずに深くうなだれた。
しかし、その重苦しい空気の中で、フェルンが静かに一歩前へと進み出た。木製の杖を下ろした彼女の瞳は、マチルダの痛みを真っ直ぐに見つめていた。
「……マチルダ様。もし本当に村を滅ぼすつもりだったのなら、その強大な力で最初から直接皆殺しにすれば済んだはずです。でも、あなたはそうしなかった。女性たちを誰一人傷つけず、わざわざ人質にとってまで、男たちに自分たちの手で村を壊すよう命じた……」
フェルンの言葉を引き継ぐように、シュタルクもまた大斧を背中に戻し、マチルダの前に膝をついた。
「あんた、本当はみんながここへ来るのを待ってたんだろ。俺たちと戦ってた時も、こっちの出方を伺うふりをして、村の人たちが決起して駆けつけてくるまでの時間を稼いでたんだ」
シュタルクは自分の掌を見つめ、静かに続けた。
「それに、あんたの剣をこの斧で受け止めたとき、確かにとんでもなく重い一撃だったけど……妙な違和感があった。今なら分かるぜ。あんたの剣には、俺たちや村の人たちを殺そうっていう『殺意』が、最初からこれっぽっちもなかったんだ」
図星を突かれたマチルダの唇が、わなわなと震える。
「ち、違う……私は、こいつらを絶望させるために……」と首を振る彼女に、フリーレンは優しく、しかし決定的な言葉を告げた。
「自分の心には嘘をつけないよ。君は、お兄さんが命を懸けて守ったこの村の人たちに、今度こそ恐怖に打ち勝って立ち上がってほしかったんだ。……マチルダ。君は、魔族じゃない」
その一言が、マチルダの心を縛り付けていた最後の鎖を解き放った。
大きく見開かれた彼女の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ち、頬を伝って石畳を濡らした。
「……兄さんだって……本当は、怖かったんです……!」
堰を切ったように、幼い少女のような嗚咽が漏れた。
「あの夜、森へ向かう前……兄さんの手が震えているのを、私は見ていました。それでも兄さんは、『みんなが後から来てくれるから大丈夫だ』って笑って、村の人たちを信じて出ていったのに……! 誰も、来なかった……!」
涙を拭おうともせず、マチルダは胸の奥に秘めていたドロドロとした葛藤を吐き出した。
「兄さんを見殺しにした村人たちを憎みました。けれど、どれだけ憎んでも、兄さんが最期まで愛し、信じ抜いたこの村を、私はどうしても捨てきれなかった……! だから、もう一度だけ確かめたかったのです。この人たちは本当に、兄さんが命を捧げる価値もないほどの卑劣な臆病者なのかと……!」
彼女は自らの血塗られた手を見つめ、自嘲するように笑った。
「二十年前、兄さんを追って一人で森へ入った幼い私に、声をかけてきた『本物の魔族』がいました。『お前の兄を裏切った人間どもに復讐したくはないか。望むなら力を与えよう』と……。その甘言に乗り、魂を歪めて魔物の力を手に入れてしまったのは、他の誰でもない、私自身の弱さです……」
その告白に、村長がたまらず前へと進み出て、床に額を擦り付けるようにして土下座した。後ろにいた男たちも、武器を捨てて次々に膝をつく。
「すまなかった、マチルダちゃん……! お前さんをそんな苦しみの中に追いやり、魔物に変えてしまったのは、あの時約束を破ったわしら大人の情けなさだ……! 本当に、本当にすまなかった……!」
「もう、いいんです、村長さん……」
マチルダの身体から、ふわりと淡い光の粒子が立ち昇り始めた。魔物の力で繋ぎ止められていた彼女の命の灯火が、静かに尽きようとしていたのだ。
しかし、その表情にはもう、一片の憎しみも苦悶も残されてはいなかった。
「あなた方は今日、恐怖を乗り越えてここへ来てくれました。……兄さんの信じたウッドパルナの村は、やっぱり間違っていなかった。これでようやく、兄さんに胸を張って報告ができます……」
透き通っていく手で、マチルダは懐から小さな布包みを出し、フリーレンへと差し出した。
「旅の魔法使い様……。これを、森にある兄の墓前に蒔いてはいただけませんか。私がずっと、大切に持っていたものです」
「うん。ちゃんと届けておくよ」
フリーレンが小さな包みを受け取ると、マチルダは満足そうに目を閉じ、本当に穏やかな、少女の頃のままの微笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございました。……さようなら、私の愛した村の人たち……」
最期の言葉とともに、マチルダの身体は無数の光の粒となって弾け、塔の天窓から差し込む風に乗って、夜空の彼方へと静かに溶けて消えていった。
その後、最上階の扉を破った一行と村の男たちは、そこに閉じ込められていた女性や子供たちと無事に再会を果たした。
怪我一つない家族を抱きしめ、男たちも女たちも声を上げて泣きじゃくった。その温かな涙の輪から少し離れた場所で、フリーレンたちは静かに彼らを見守っていた。
* * *
夜が明け始めた頃、一行は村人たちと共にウッドパルナの村へと戻った。
半分ほど壊されてしまった家々や荒れた畑が朝靄の中に浮かび上がっていたが、村人たちの表情は不思議と晴れやかだった。
村の中央広場で、村長は改めてフリーレンたちの前に向き直り、深く頭を下げた。
「言葉では言い尽くせぬほどの恩義を受けました。パルナを見捨て、幼かったマチルダちゃんを魔物に変えてしまったのは、魔族のせいだけではございません。すべては、恐怖から目を背け続けたわしら大人が情けなかったからです」
すると、村長の隣に立っていた彼の妻もまた、涙を拭いながら一歩前へと出た。
「いいえ、男衆だけの罪ではありません。二十年前、私たちが夫や父を失いたくないあまりに、森へ向かおうとする彼らの袖を掴んで引き止めてしまったのです。その負い目が、ずっとこの村を縛り付けておりました」
罪を認め合い、過去と向き合った村人たちの瞳には、確かな強さが宿っていた。
「ですが、もう逃げません。これからのウッドパルナは、何よりも『勇気』を重んじる村になると、パルナとマチルダの名に懸けて誓います。壊れた家はわしらの手で建て直し、魔物を恐れて閉鎖していた西の鉱山の採掘も再開してみせます。もしまた魔物が出ても、今度こそ村の皆で力を合わせて立ち向かいますとも」
力強く宣言した村長は、そこでふと気づいたように柔和な笑みを浮かべた。
「……そういえば、今さらになってしまいますが、あなた方のお名前をまだお聞きしておりませんでしたな。差し支えなければ、ぜひお教えください。復興した村の広場にあなた方三人の銅像を建て、英雄パルナとともに、この村を救った恩人としていつまでも語り継ぎましょう」
思いがけない申し出に、フェルンとシュタルクは同時に目を丸くして顔を見合わせた。
「えっ、ど、銅像ですか……? いえ、なんだか気恥ずかしいですね、私たちが後世に語り継がれるようなことなんて……」
フェルンが頬をわずかに染めて視線を逸らし、シュタルクも照れくさそうに鼻の下を擦りながら頭を掻いた。
「そ、そうだよな。俺たちはただちょっと背中を押しただけで、戦ったのはあんたたちなんだし、わざわざ名乗るようなもんじゃ……」
「フリーレンだ。こっちはフェルンとシュタルク」
二人がモジモジと言い淀んでいる横から、フリーレンが実に淀みない、平坦な声で即答した。
「……まじかよ」
「フリーレン様、遠慮とかないのですか?」
呆れたようにツッコミを入れるシュタルクとフェルンに対し、フリーレンは「え?」とでも言いたげにキョトンとした顔を向けた。
「だって、聞かれたから答えただけだよ。それに、私は前の旅でもう何度も銅像になってるし、今更気にしてもしょうがないでしょ」
エルフは少しだけ遠い目をして、懐かしそうに口角を上げた。
「まあ、ヒンメルがここにいたら、『後世に僕の美しさを正しく伝えるためだ』とか言って、ここから何時間もポーズで悩むところだけどね。今回は普通の立ち姿でいいよ」
「ははは、左様でございますか! フリーレン様、フェルン様、そしてシュタルク様ですな。確かに心に刻みましたぞ!」
村長は豪快に笑うと、改めて三人の手を握りしめた。
「いつかまた、必ずこの村を訪れてくだされ。そのときは必ずや、見違えるほど活気あふれるウッドパルナの姿をお見せしますからな!」
村中の人々からの温かい感謝と歓声に背を押されながら、三人はウッドパルナの村を後にした。
帰り道、三人は森の空き地にあるパルナの墓前へと立ち寄った。
フリーレンは懐からマチルダに託された小さな布包みを取り出すと、その中にあった数粒の小さな植物の種を、墓石の周りの土へと丁寧に蒔いた。
「……これでいいね、マチルダ」
フリーレンがぽつりと呟き、種の上に優しく土を被せた、その瞬間だった。
蒔かれたばかりの種が淡い翠色の光を放ち始めたかと思うと、その光が波紋のように周囲の空間へと広がっていった。あの遺跡の台座で石板を嵌め込んだ時と同じ、神話時代の抗いようのない魔力の奔流が三人を包み込む。
「っ、またこの光……!」
シュタルクが腕で目を覆い、フェルンがフリーレンのローブの裾を掴む。
純白の閃光が視界を染め上げ――そして、穏やかな小鳥のさえずりとともに、光はすっと収まった。
「……ここは……」
目を開けたシュタルクが、驚いたように周囲を見回した。
先ほどまで頭上を覆っていた赤黒い瘴気の雲は跡形もなく消え去り、抜けるような青空から、暖かな木漏れ日が降り注いでいた。肌を刺すような重い魔力も消え、澄み切った森の空気が肺を満たす。
足元に目をやれば、先ほどまでは手入れされ綺麗だったパルナの墓石が、長い年月を経たかのようにすっかり風化し、角が丸くなって苔むしていた。そして、その朽ち果てた墓石を取り囲むようにして、見たこともないほど鮮やかな白い花々が、一面に咲き誇っていたのである。
「……大気中の魔力の質が、完全に落ち着いている。どうやら、元の時代に戻ってきたみたいだね」
フリーレンが空気の匂いを嗅ぐようにして呟いた。理屈ではなく、身体の奥底にある感覚が「現代へ帰還した」のだと告げていた。
三人が花畑を抜けて高台へと出ると、眼下の盆地に広がる光景に、フェルンとシュタルクは思わず息を呑んだ。
数百年前に魔族に襲われ、跡形もなく滅亡し、地図から消え去っていたはずの場所。そこに今、赤い屋根の家々が立ち並び、煙突から白い煙が立ち昇る、大きくて活気のある集落が広がっていたのである。
「おい、あそこ……! 村が、あるぞ!?」
駆け下りるようにして森を抜け、村の入り口へと向かった三人の前に、立派な木製の看板が掲げられていた。シュタルクがそこに彫られた文字を声に出して読み上げる。
「『四百年の歴史と伝統が息づく、勇気の村・ウッドパルナ』……だとさ」
「一体、どういうことなのでしょうか。フリーレン様のお話では、この村は数百年前に滅んでいたはずでは……」
困惑するフェルンの隣で、フリーレンは村の奥で賑やかに行き交う人々の姿を眺めながら、小さく肩をすくめた。
「私たちが過去に干渉したことで、歴史そのものが変わったんだ。……まったく、女神様の魔法は本当に理屈が通らないね。フランメやゼーリエが見たら、頭を抱えるだろうな」
村の中へと足を踏み入れると、そこは多くの旅人や商人で賑わう、明るく平和な街並みになっていた。
広場の中心には、かつての村長が約束した通り、古い英雄パルナと、彼と共に村を救ったという『三人の旅人』の銅像が誇らしげに建っていた。
ただ、その銅像は少しばかり奇妙な姿になっていた。
四百年という長い歳月、村人たちによって毎日欠かさず、それはもう熱心に布で磨き上げられてきたのだろう。金属の表面は鏡のようにピカピカに光り輝いていたが、大切に磨かれすぎたせいで表面がすっかり摩耗し、顔の造作や衣服の細かい意匠、さらには台座に刻まれていたはずの三人の名前までもが、つるつるに擦り減って消えてしまっていたのだ。
自分たちのものらしき、のっぺりとした輝く塊を見上げ、フェルンとシュタルクは微妙な表情で顔を見合わせた。
「……これでは、誰が誰だか全くわかりませんね」
「ああ、村の人たちが頑張って磨きすぎたんだろ……。まあ、正直ちょっとホッとしたけどさ」
後世に名前と姿が残る気恥ずかしさから思わぬ形で解放され、二人が小さく安堵の息を漏らす横で、フリーレンはつるつるになった自分の銅像の頭をペチペチと叩きながら、どこか満足げに目を細めた。
「いいんじゃないかな。忘れられて錆びつくよりずっといいよ。……これだけ擦り減ってるってことは、それだけ長い間、村の人たちの心が籠められてきたってことだろうしね」
そんな師匠の言葉に、二人も「それもそうですね」「違いないな」と柔らかく微笑み合った。
広場から続く大通りにはいくつもの露店が並び、その多くが、西の鉱山で採掘されたという『色とりどりの美しい鉱石』を並べて売っていた。赤、青、黄色、緑と、太陽の光を反射してキラキラと輝く石の山に、フリーレンの翡翠色の瞳が吸い寄せられる。
「見てよフェルン。村長たちが言ってた通り、平和になって鉱山の産業が復活したんだね。すごく綺麗だし、記念に一つ買っていかない?」
「要りません」
目を輝かせる師匠を、フェルンは氷のように冷たい声で一刀両断した。
「『不思議な魔力が籠もった幸運の石』という謳い文句で売られていますが、探知してみれば、微弱な魔力を感じるのはこの緑色の石だけで、他の色はただの色がついた綺麗な石ころです。……しかも、緑色の石だけ値段が他の倍以上しますし、お店の方も分かっててやってますよね、コレ」
「あ、ほんとだ、緑だけ高い。商魂たくましいなぁ……」
すっかり平和ボケしたようなやり取りを交わす二人の横で、苦笑いを浮かべていたシュタルクが、ふと露店のテーブルの片隅に視線を落とし、「ん?」と眉をひそめた。
色とりどりの鉱石が並ぶ端の方、商品の重し代わりにでも使われているのか、赤茶けた奇妙な『石板の欠片』が無造作に転がっていたのだ。
「なあフェルン、フリーレン。これって……」
シュタルクが指差した先を見て、二人の魔法使いの表情が引き締まった。
「……はい。とても古い魔力を感じます。あの遺跡のミミックから出てきた石板と、全く同質のものですね」
「おじさん、ちょっと聞くけど、この隅っこにある石板はいくら?」
フリーレンが尋ねると、恰幅のいい店主の男は「ああ、それかい?」と赤い石板を手に取った。
「こいつは鉱山の奥底を掘ってたら偶然出てきたもんでね。面白い柄で気に入っててな、売り物じゃねえんだ。……だが、お前さんたち、見たところ腕の立つ冒険者だろ? もし俺の頼みを一つ聞いてくれるなら、礼としてこいつをタダで譲ってやってもいいぜ」
「依頼、ですか?」
「ああ。実はな、鉱山のさらに奥に新しい鉱脈が見つかったんだが、入り口に古臭え魔法の結界が張られてて、誰も中に入れねえ場所があるのさ。お前さんたちの魔法でその扉を開けてきてくれるなら、こいつはくれてやるよ」
フリーレンはフェルンとシュタルクを振り返り、「だってさ。どうする?」と首を傾げた。答えなど最初から決まっているかのように、二人は頷いた。
* * *
村の西にある採掘場は、ツルハシの音と活気ある鉱夫たちの掛け声で満ちていた。
店主から教えられた通り、一行が坑道の最深部へと進んでいくと、そこにはゴツゴツとした岩肌とは明らかに異なる、精緻な幾何学模様が刻まれた巨大な石扉が立ち塞がっていた。表面には淡い光の膜が張り巡らされ、物理的な侵入を拒んでいる。
「ふぅん……。それなりに強固な結界の術式みたいだけど、何百年も放置されて、かなり劣化しているね。これなら簡単に解除できるよ」
フリーレンは赤褐色の杖を石扉へと向けると、結界の構造を瞬時に解析し、術式の継ぎ目へと正確に自身の魔力を流し込んだ。パリン、と薄い氷が割れるような澄んだ音が響き、扉を覆っていた光の膜が霧散する。ゴゴゴゴ……と重々しい音を立てて、石扉がひとりでに左右へと開いていった。
「すげえ、本当に開いたぞ……っておい、あれ……。中、見てみろよ」
松明の火を掲げて奥を覗き込んだシュタルクが、ごくりと唾を飲み込んだ。
開かれた石扉の奥は、採掘場ではなく、あの北部高原の遺跡とよく似た、静謐な石造りの小部屋になっていた。そしてその中央には、見覚えのある石の台座がひっそりと鎮座していたのである。
台座にはすでにいくつかの赤い石板が嵌め込まれていたが、やはり一箇所だけ、不自然に欠けている部分があった。
「……店主から貰った赤い石板、ピッタリ嵌められそうだな」
シュタルクの呟きが、静かな部屋に落ちる。
一度ならず二度までも現れた、過去へと繋がる神話時代の遺物。フェルンは杖を握り直し、隣に立つ師匠の横顔を見つめた。
「フリーレン様。……どうしますか?」
その問いに、フリーレンはすぐには答えず、開かれた扉の奥に佇む台座をじっと見つめていた。
思い浮かぶのは、消えていったマチルダの穏やかな笑顔と、四百年の時を超えて咲き誇っていたあの白い花畑。そして、かつての旅でヒンメルが語った『人を助ける』という言葉。
やがてフリーレンは、店主から預かってきたばかりの赤い石板の欠片を懐から取り出すと、迷いのない足取りで台座へと歩み寄った。
「行こう、二人とも」
白いツインテールを揺らし、振り返ったエルフの瞳には、いつもの穏やかで、どこか楽しげな旅人の光が宿っていた。
「私たちがここへ導かれたのは、きっと偶然じゃないよ。……まだどこかの時代に、助けを求めている人たちがいるのかもしれないからね」
「……まったく。フリーレン様は本当に、寄り道がお好きですね」
「へへっ、そうこなくっちゃな!」
息を呑みつつも覚悟を決めたフェルンとシュタルクを背に、フリーレンは小さな手を伸ばし、赤い石板を台座の窪みへと――ガコッ、と力強く嵌め込んだ。
再び溢れ出す蒼白い光が、三人の姿を包み込んでいく。
千年の時を生きる魔法使いと、その若き仲間たちの奇妙な時間旅行は、まだ始まったばかりだった。
あとがき
これにて第1章「疑心のウッドパルナ」は結びとなり、物語は第2章「激憤のエンゴウ」へと続きます。
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