千年の旅路、エデンの石板 〜フリーレンと失われた世界〜 作:龍改二
第5話 予言の水晶
蒼白い光の奔流が収まると、三人の肌を撫でたのは、乾ききった熱風と硫黄の匂いだった。
フリーレンがゆっくりと瞼を開ける。時刻は昼間のはずだったが、頭上の空は分厚い灰色の雲と火山灰に覆われ、世界全体が薄暗い黄昏のような陰鬱な色彩に沈んでいた。
「……また、飛ばされたみたいだね。魔力の澱み方からして、ここも過去の世界だ」
フリーレンが周囲を見回す。視線の先には、天を焦がすように黒煙を噴き上げる巨大な火山が聳え立っていた。ゴォォ……と地底から響くような低い鳴動が絶えず足元に伝わってくる。ただの自然現象ではない、どこか禍々しく、煮えたぎるような魔力の気配がその火口からは漂っていた。 そして、その火山のすぐ麓には、荒涼とした岩肌にへばりつくようにして、小さな集落が築かれているのが見えた。
「おい、あの山、今にも噴火しそうじゃねえか……? なあフリーレン、知ってる山か?」
シュタルクが眉をひそめて尋ねると、フリーレンは火山の稜線と周囲の乾いた植生を見渡し、小さく首を傾げた。
「うーん、私は見たことはないかな。この気候と環境からすると、北部高原じゃなくて、たぶん南側諸国のどこかだと思うけど」
その言葉に、隣で黙って火山を見上げていたフェルンの紫色の瞳が、わずかに揺れた。 南側諸国。それは、戦乱によって両親と故郷を失い、ハイターに拾われるまで彼女が幼少期を過ごした、遠く懐かしい生誕の地である。
「……あれは、エンゴウ火山ですね」
フェルンがぽつりと呟いた。独特の霊峰のシルエットと、山肌を覆う赤茶けた岩の色には、幼い頃に遠くから眺めた記憶や、地図で見た覚えがあった。
「私の故郷があった南側諸国の、外れの方に位置する火山です。私の記憶や本で読んだ限りでは、何百年も活動していないという静かな山のはずですが……。それにしても、あの山のすぐ麓に村があったという話は、一度も聞いたことがありません」
かつて自分が戦火に追われた南側諸国の、さらに数百年前の過去。すでに失われてしまった故郷の土地に、このような形で再び足を踏み入れることになるとは思ってもみなかったのだろう。フェルンはどこか複雑そうな、郷愁とも戸惑いともつかない微妙な面持ちで、噴煙の下に広がる見知らぬ集落を見つめていた。
そんなフェルンの横顔に気づいたシュタルクは、一歩前へ出て振り返ると、少しだけ気遣うように声を明るくした。
「……そっか、フェルンの故郷の近くなのか。まあ、何百年も前にあの村に何があったのかは分からねえけど、とにかくあの麓の村まで行ってみようぜ」
「……ええ、そうですね。参りましょう」
フェルンは小さく息を吐いて気持ちを切り替え、木製の杖を握り直した。 三人が頷き合い、ゴツゴツとした岩場の続く山道を下り始めた、その時だった。 カサリ、と乾いた草木が揺れる音がしたかと思うと、岩陰から三体の異様な影が飛び出してきた。
それは、ひどくアンバランスな体躯をした獣型の魔物だった。
緑と紫の毒々しい色味の毛皮に、貧弱で華奢な上半身に対して異常なほど肥大・発達した筋骨逞しい下半身。太く頑丈な尾を地面に降ろし、長い後ろ脚と合わせてまるで三脚のように直立してこちらとの間合いを測っている。
頭部にはウサギのように細長い耳がついており、周囲の音を拾うようにピクピクと動いていた。鼻先が前に伸びたシカを思わせる面長な顔郭をしているが、その双眸には草食獣のような穏やかさも知性のかけらもなく、ただ濁った殺意だけが宿っている。
そして何より不気味なのは、その短い両の前脚に、二振りの錆びついた剣を器用に握りしめていることだった。
「っ、魔物だ! 下がれ二人とも!」
シュタルクが即座に大斧を構えて前に出る。
それとほぼ同時に、先頭の一体が左右の後ろ脚を揃え、鋼のバネが弾けるような猛烈な勢いで地面を蹴った。不規則な軌道を描く凄まじい跳躍。魔物は空中でコマのように身を捻りながら、両手の剣をシュタルクの首筋めがけて振り下ろした。
「っとぉ!」
ガキィンッ! と火花が散る。シュタルクは大斧の柄で二刀の斬撃を正確に受け止め、力任せに弾き返した。
魔物は空中で器用に体勢を立て直すが、フリーレンの杖から放たれたゾルトラークの光線がその胴体を狙って殺到した。
しかし――魔物は着地の瞬間に再び強靭な脚のバネを爆発させ、目にも留まらぬ速さで真上へと跳躍し、光線を紙一重でかわしてみせたのだ。
「へえ、すごい脚力だね。……でも、空中なら逃げ場はないよ」
フリーレンの翡翠色の瞳が冷たく光る。跳び上がった魔物の周囲を囲むようにして、瞬時に三つの魔法陣が展開された。逃げ場を完全に塞がれたまま放たれた十字砲火のゾルトラークが、魔物の身体を空中で跡形もなく吹き飛ばす。
黒い霧となって消滅する一体目を見届けながら、フリーレンは残る二体へと視線を移した。二体の魔物はすでに地を蹴り、左右からジグザグに跳ね回るような高速移動でこちらへ肉薄しつつあった。
「速いな。……フェルン」
「問題ありません」
フリーレンが短く声をかけるのと、フェルンが木製の杖を振るうのは同時だった。
予備動作すら感じさせない、圧倒的な速射。フェルンの杖先から放たれた二条の白紫の閃光は、魔物が自慢の脚力で次の跳躍へと移るその一瞬の硬直を正確に捉え、二体の胴体を同時に貫いた。魔物たちは自らが撃たれたことすら認識できないまま、慣性に従って地面を転がり、そのまま黒い塵となって風に消えた。
「……私より速い。流石だね、フェルン」
「フリーレン様の教え方がよろしかったからです」
事も無げに杖を下ろす師弟の後ろで、シュタルクは斧を担いだまま、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
(……最後のフェルンの魔法、速すぎて全然見えなかったぞ。敵に回すのだけはやめよう……)
* * *
魔物の襲撃を退けた三人は、やがて火山の麓にある村へと到着した。
火山灰や噴石から身を守るためだろう、村には木造の建物はなく、どれも簡素だが頑丈そうな石造りの家々が並んでいた。村の中央広場には、燃え盛る炎を模した巨大な石像――立派な『炎の精霊像』が据えられており、その周囲には赤い布や奇妙な祭具が飾り付けられている。
道行く村人に話を聞いてみると、この村の名は火山と同じく『エンゴウ』といい、背後に聳える霊峰を神聖な『炎の山』として崇め、炎の精霊を祀って暮らしているのだという。
ただ、今日の村全体はなにやら忙しなく、村人たちは皆、薪や松明の束を抱えてあちこちを行き交い、どこかそわそわと浮き足立った雰囲気に包まれていた。
そんな賑わいの中を歩いていたフリーレンが、ふと広場から外れた路地裏にある一軒の建物に目を留めた。
他の家と同じ石造りの小さな小屋だが、入り口には古びた紫色の布が垂れ下がり、奇妙な香の匂いと、どこか胡散臭い魔力の気配が漂っている。
「……ん。あそこ、ちょっと面白い魔力を感じるね」
「フリーレン様、見るからに怪しいお店ですよ。変な魔導具を買わされても困りますし、先に村長さんの家へ――って、聞いてますかフリーレン様!?」
フェルンの制止もどこ吹く風で、フリーレンはスタスタと歩いていくと、入り口の布を無造作にめくって石小屋の中へと入っていってしまった。「あーあ……」と肩を落とすシュタルクと、こめかみを押さえるフェルンも、慌ててその後を追う。
小屋の内部は薄暗く、いくつもの蝋燭の火が揺らめいていた。棚には乾燥させた薬草や動物の骨、出所の知れない鉱石などが雑然と並び、部屋の中央にある丸テーブルの前には、深いフードを目深に被った一人の老婆が座っていた。テーブルの上には、鈍い光を放つ大きな水晶玉が置かれている。
「ふぇっふぇっふぇ。ようこそおいでなさった、旅のお方々」
老婆はしわがれた声で笑うと、フードの奥から鋭い眼光を覗かせた。
胡散臭さ満点の演出にフェルンとシュタルクが警戒して身構える中、フリーレンだけは老婆の纏う魔力の揺らぎをじっと見つめ、静かに口を開いた。
「……君は、ただの占い師じゃないね。かなり高度な術式を扱える、本物の魔法使いだ」
「ほう、ひと目でそれを見抜くとはな。わしは予言師パミラ。……わしの予言は百発百中、必ず当たるぞい。今日、おぬしらのような奇妙な旅人がここへ来ることも、すべて分かっておった……」
パミラが意味ありげに目を細める。しかし、合理的な現代の魔法体系を学んできたフェルンは、眉をひそめて師匠へと尋ねた。
「予言、ですか? フリーレン様、魔法で未来が分かるなどということが、本当にあり得るのですか?」
「未来視の魔法の一種だね。膨大な情報と魔力の流れから先の事象を演算する、魔法の高みに近い極めて複雑な術式だけれども、理論上は不可能じゃないよ。ゼーリエみたいな神話時代の魔法使いなら、いくつか知っているはずだ」
フリーレンの言葉に、シュタルクは「マジかよ……」とパミラを見直したように呟いたが、それでもまだ半信半疑といった様子で首を傾げた。
「でもさ、未来が分かるって……ほんとかよ? 俺たちみたいな通りすがりの人間のことまで分かるような、そんなすごい魔法が使えるのか?」
「ふぇっふぇ、信じられんかね、少年? ……では、証拠に占ってしんぜよう。おヌシの身にこれから降りかかる未来をな」
パミラが低く威厳のある声で告げ、テーブルの上の水晶玉へと皺だらけの両手をかざした。途端に室内の空気が張り詰め、蝋燭の炎が風もないのに大きく揺らぐ。そのただならぬ雰囲気に、シュタルクは「ごくり」と固唾を飲んだ。
「……では、まずはおヌシらの名前を聞こうか」
「それは予言で分からねえのかよ」
「……なんだか、一気に胡散臭くなりましたね」
ずっこけそうになるシュタルクと、ジト目で冷ややかに言い放つフェルン。パミラが「こほん、手順というものがあるのじゃ!」と咳払いをする中、フリーレンはマイペースに名乗った。
「私はフリーレン。こっちはフェルンとシュタルクだ」
「ふむ。そっちの赤い頭がシュタルク少年じゃな。……では、始めるぞい」
パミラは目を閉じ、水晶玉に魔力を流し込み始めた。
「ムムム……見えろ、見えろ……はああ……!!」
水晶玉の内部に、白い靄のような光が渦を巻く。やがてパミラはカッと目を見開くと、シュタルクを指差して厳かに言い放った。
「ふむ、見えたぞ! おヌシ、近いうちに『受難の相』が出ておるな。……『熱い水』には気をつけよ。さもなくば痛い目を見るぞい」
「……は? 熱い水? 熱湯のことか? 俺、お湯かぶって火傷でもするのか?」
拍子抜けしたように目をパチパチさせるシュタルクに、フリーレンが真顔で首を傾げた。
「え、でもシュタルクは戦士だし、熱湯を浴びたくらいで火傷なんてしないでしょ」
「……いや、するよ!? 人間なんだから普通にするだろ!」
「そうかな。アイゼンなんて、地下遺跡で溶岩を頭から浴びてもピンピンしてたよ。ハイターがドン引きしてた」
「フリーレン様、それはアイゼン様がおかしいだけです。一般的な基準にしないでください」
フェルンが冷静に訂正を入れる。シュタルクは大きくため息をつくと、再びパミラに向き直った。
「ていうかさ、婆さん、予言ってそれだけか? 未来が見えるって言うから、俺はてっきりもっとこう、俺の人生がどうなるとか、世界がどうとか、規模のデカいもんなのかと思ってたぜ……」
「そうです。お湯での火傷に対する注意喚起くらいなら、私にだってできます」
「むむっ、礼儀を知らん若者どもじゃな! わしの占いにケチをつけるとは!」
パミラはぷりぷりと怒って机を叩くと、今度はその視線をフリーレンへと向けた。
「……よい。ならば、そっちの白い髪の嬢ちゃんを占って、わしの本当の力を見せてしんぜよう。おヌシの歩む未来の道筋を、すべて暴いてやるわい!」
パミラは先ほどよりも遥かに強い魔力を練り上げ、水晶玉へと両手を押し当てた。
「ムムム……ッ! フリーレンとやら、おヌシの未来は……む? ……なんじゃ、これは……!? 終わらん……どこまで行っても、時間の果てが……んなあッ!?」
突如、パミラの顔からみるみるうちに血の気が引いていった。
水晶玉の内部で渦巻いていた光が、制御を失ったかのように激しく明滅し、キィィィンと耳鳴りのような高音が部屋中に響き渡る。短命な人間であるパミラの術式が、エルフであるフリーレンの『途方もなく永く、果てしない未来の時間』を読み込もうとしたことで、演算の許容量を遥かに超える過負荷を起こしたのだ。
ピシッ……と不吉な音が鳴った次の瞬間。
パァンッ!! という破裂音とともに、テーブルの上の水晶玉が粉々に砕け散った。
「うわあっ!?」
「ちょ、大丈夫ですか!?」
反動で椅子から転げ落ちそうになったパミラへ、シュタルクとフェルンが慌てて駆け寄り、その肩を支える。
パミラは額に脂汗を浮かべ、ぜえぜえと肩で息をしながら、震える指でフリーレンを指差した。そのフリーレンもまた、少しだけ驚いたように翡翠色の瞳を見開いていた。
「はぁ、はぁ……フ、フリーレンと言ったな……。おヌシ、一体何者じゃ……。ただ者ではあるまい……!」
「私はただの通りすがりのエルフだよ」
フリーレンは砕け散った水晶の破片に視線を落とし、それからパミラの顔を真っ直ぐに見据えた。
「……それに、ただ者じゃないのは君の方だ。今の未来視の術式、私の人生の先にある時間を強引に引きずり出そうとしたね。並の魔法使いじゃ到底扱えない、複雑で高度な術式だ。……本当に凄い魔法使いだよ」
フリーレンの純粋な称賛に、パミラはハッとしたように息を呑み、やがて観念したように「……こほん」とわざとらしく咳払いをしてフリーレンの言葉を遮った。
呼吸を整えて椅子に座り直した老婆の顔からは、先ほどまでの道化じみた胡散臭さが消え失せ、深い苦悩と焦燥が滲み出ていた。
「……実力のほどは、今のやり取りで嫌というほど分かった。フリーレンよ、そして若い二人よ。……折り入って、おヌシらに頼みたいことがある」
パミラは真剣な眼差しで三人を見渡した。
「外の様子を見て気づいたかもしれんが、今夜、この村では火山の炎の精霊に感謝を捧げる『ほむら祭り』が開かれる。そして祭りの最後には、村の平和を祈って、村人全員で順番に山頂の火口へと燃える松明を投げ込む『火送りの儀』が執り行われるのじゃ」
「へえ、お祭りか。だから村の人たち、あんなに忙しそうにしてたんだな」
シュタルクが頷くが、パミラは激しく首を横に振った。
「いかん! 断じていかんのじゃ! 今年の祭りだけは、何があっても執り行ってはならん!」
「……どういうことですか?」
フェルンが尋ねると、パミラは砕けた水晶の欠片をギリ、と握りしめた。
「わしは見たのじゃ。何日も前から、何度も、何度も……。今夜の祭りで火送りの儀が終わるとき、あの火口から恐ろしい災厄が呼び覚まされ、空から降り注ぐ業火によって、この地も、村の人間もすべて終わりを迎えるという未来を、見たのじゃ!」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。
冗談やハッタリではない。先ほどのフリーレンに対する未来視で、彼女が『本物の予言師』であることはすでに証明されている。
「それなら、すぐに村の人たちに伝えて避難させるべきでは?」
「言ったわい! 喉が枯れるほどな! しかし、あの頭の固い村長や村の連中は、何百年も続いてきた伝統の祭りを汚すなと怒り狂い、せめて祭りを延期せよとわしが何度忠告しても、まるで耳を貸さんのじゃ!」
パミラは立ち上がると、三人の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「よそ者のおぬしらにこんなことを頼むのは、筋違いだと分かっておる。だが、今のわしにはもう、おぬしらに縋る他に道がないのじゃ……! 恥を忍んで頼む。どうかこの村を……エンゴウを、破滅の未来から救ってはくれんか!」
震える老婆の必死の懇願。
フェルンとシュタルクが視線を向けると、フリーレンは赤褐色の杖を軽く握り直し、いつものように淡々と、しかし力強く頷いてみせた。
「いいよ。……そういう依頼なら、断るわけにはいかないね」
かくして三人は、迫り来る破滅の夜を阻止するため、熱狂に浮き足立つエンゴウの村へと再び足を踏み出すのだった。