ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ― 作:r3ir3i
## Scene 01 ―― 知らせ
翌朝の食堂には、柔らかな光が差し込んでいた。昨日サーニャとエイラが加わって、長いテーブルはまた一段と賑やかになっていた。
「だからね、あのときシノが急に前へ出て――」
「急に、じゃないよ。ちゃんと通信したでしょう」
「ええっ、したっけ?」
「したよ」
向かいでは、リーネが昨日の戦闘の話をしていて、ペリーヌが時折アブソルの説明に訂正を加えていた。
「私たちが小型を押さえている間に、あなた方が中型の装甲を崩したのですわね」
「うん。リーネとペリーヌがいてくれて助かったよ」
「当然ですわ。四人で出撃したのですから」
澄ました顔の答えに、満足げな響きが混じっていた。
少し離れた席で、サーニャが両手でカップを包んでいた。隣のエイラが、眠そうな彼女を何度も気遣っている。
「サーニャ、もうちょっと寝てたっていいんだぞ」
「ううん。みんなと一緒に朝ご飯を食べたかったから」
「……そっか」
シャーリーは、志乃の方へ身を乗り出していた。
「なあ、秋水の高出力、実際に見てみたいんだけどなあ」
「条件が揃ったら、ですね。アブソルと確かめてからになります」
「だよな。あたしも、無茶させるつもりはないさ」
「シャーリー、またシノの機械の話してるー!」
「機械じゃなくてストライカーだって」
「どっちもおんなじー!」
食堂の扉が開き、ミーナが入ってきた。
「朝食中にごめんなさい。今日は、嬉しいお知らせがあります」
真っ先に反応したのは、リーネだった。
「……もしかして」
「ええ。宮藤さんと服部少尉が、今日の午前中に到着するそうよ。それから、美緒も二人に付き添ってくるの。しばらくは引き継ぎや訓練の支援をしてもらう予定よ」
「芳佳ちゃんが……!」
「やったー! 芳佳が来るんだ!」
「さ、坂本少佐もですの!?」
ペリーヌが勢いよく顔を上げ、言葉を探すように口を閉じてから、慌ててカップを持ち直した。
「ペリーヌ、すごく嬉しそう」
「と、当然ですわ! 坂本少佐がいらっしゃるのですから!」
笑い声の中で、志乃はカップを机に戻した。
坂本美緒。扶桑皇国海軍の少佐。数々の作戦で名を上げ、後進の指導にも力を注いできた人。名前は知っていた。会ったことは、一度もない。
「ねえ、シノ。坂本少佐って、刀を使う人なんだよね」
アブソルが声を落とした。
「うん。そう聞いてるよ」
「じゃあ、シノと話が合うかもね」
志乃は少し考えた。
「……そうだといいね」
## Scene 02 ―― 到着
午前十時を少し過ぎた頃、滑走路では、扶桑からの連絡便を迎える支度が進んでいた。
「まだかなあ……」
空を見上げるリーネの隣で、ペリーヌが何度目か分からないほど時計を見ていた。
「落ち着きなさいな。もうすぐ到着するでしょう」
「二人とも、さっきから同じことしてるぞ」
「そ、そんなことありませんわ!」
遠くから、プロペラの音が近づいてきた。
「あっ、来た!」
ルッキーニが滑走路の向こうを指さした。志乃は音の方へ顔を向け、高度と距離が少しずつ変わっていくのを捉えた。隣で、アブソルが様子を口にしていく。
「もう車輪が出てるね。……あ、降りた。今、滑走路を走ってる」
輸送機が地上員の誘導で止まり、扉が開いた。最初に顔を出したのは、短い黒髪の少女だった。
「わあ……! あっ、リーネちゃん!」
「芳佳ちゃん!」
宮藤芳佳とリーネは、ほとんど同時に駆け出していた。手を取り合って、嬉しそうに笑う。その後ろから、荷物を抱えたもう一人の少女がタラップを下りてきた。
「宮藤さん、荷物を……! あ、もう!」
服部静夏だった。呆れたような、どこか安心したような顔をしている。
「ごめん、服部さん!」
「いえ、その……お友達と会えてよかったですね」
機内から、豪快な笑い声が響いた。
「はっはっは! 宮藤、到着早々から元気だな!」
黒髪を束ねた扶桑の女性士官が、姿を見せた。坂本美緒少佐。
「坂本少佐!」
「おお、ペリーヌ! 元気そうで何よりだ!」
シャーリーとルッキーニが声を掛け、ハルトマンが軽く手を振る。ミーナが歩み寄った。
「美緒。お帰りなさい」
「久しぶりだな、ミーナ」
「長旅だったでしょう?」
「なに、大したことはない。宮藤が途中で人助けを始めて、乗り継ぎに遅れそうになったくらいだ」
「さ、坂本さん! 荷物を落として困っている人がいたんです!」
「分かっているとも。助けるなとは言わん。時間も少しは気にしろと言っているんだ」
「私もそう申し上げたのですが……」
「服部さんまで!」
ミーナは笑いながら、ふと振り返った。
「そうだわ。新しく着任した隊員も紹介しておくわね。柊少佐、クルス大尉、こちらへ」
志乃とアブソルが並んで歩み出た。
「こちらが、柊志乃少佐とアブソル・R・クルス大尉。先日着任して、もう作戦にも参加してもらっているの」
その名前が聞こえた瞬間、坂本の笑みが、ほんのわずかに止まった。
――柊志乃。
知っている名前だった。本人を目にするのは、初めてだった。
「柊志乃です。初めまして、坂本少佐。このたび、501に派遣されました。よろしくお願いいたします」
「アブソル・R・クルス大尉です! よろしくお願いします!」
坂本は、一拍遅れて敬礼を返した。
「あ、ああ。坂本美緒だ。……よろしく頼む」
声が、いつもより少し硬かった。
「同じ扶桑の方とご一緒できて、嬉しいです。以前から、お名前は伺っておりました」
「……そうか。私も……名前は知っている」
それきり、言葉が続かなかった。
志乃は、坂本の声が途中で止まったことに気づいていた。足の運びも、敬礼の手も、どこかためらっている。ただ、それが何によるものなのかは、志乃には分からなかった。
「……美緒?」
ミーナが首を傾げた。いつもの美緒なら、同じ扶桑のウィッチ、それも刀を使うと聞いている相手を前にして、黙っているはずがない。
「ん? ああ、何でもない。はっはっは! 新しい仲間が増えるのは喜ばしいな!」
笑い方は、変わらなかった。けれどミーナには、いつもの調子を無理に取り戻したように聞こえた。
その横で、芳佳が志乃の方へ向き直っていた。目が一瞬、両眼を覆う黒い帯に留まる。それでも芳佳は、すぐにまっすぐ顔を見て笑った。
「初めまして! 宮藤芳佳です!」
「服部静夏少尉です。よろしくお願いいたします!」
静夏の声は、少しだけ固かった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。お二人とも、扶桑の方なんですね」
「はい! 柊少佐も扶桑のご出身なんですか?」
「ええ。ただ、ここ何年かは欧州にいることが多くて」
「不慣れなことも多いと思いますが、精一杯務めます。どうぞご指導ください」
姿勢を正した静夏に、志乃は少しだけ口元を緩めた。
「私も、ここへ来たばかりです。一緒に覚えていきましょう」
「……はい!」
静夏は意外そうに瞬いて、それから元気よく答えた。
「アブソル大尉も、よろしくお願いします!」
「うん! よろしくね、宮藤さん!」
初対面の挨拶が交わされるのを、坂本は少し離れて聞いていた。報告書に書かれていた名前。四年前、会ったこともない少女の出撃について、自分が意見を述べたこと。その本人が今、何事もなかったように目の前で挨拶している。
坂本は、それをまだうまく受け止められずにいた。
## Scene 03 ―― 四年前
司令室で、芳佳と静夏の受け入れの手続きが済んだ。
「二人とも、長旅お疲れさまでした。部屋の案内はリーネさんにお願いしてあるから、今日は無理をしないでね」
「はい! ありがとうございます!」
「ご配慮、感謝いたします!」
坂本が、机に封筒を置いた。
「本部からの申し送りだ。補給と訓練の日程についても、要ることはまとめてある。私は二人の付き添いと、引き継ぎや教導の手伝いだ。今の501の指揮は、お前に任せる」
「ええ。助かるわ」
「宮藤。仲間が揃ったからといって、羽目を外しすぎるなよ。服部も、あまり気を張りすぎるな。自分の仕事をきちんとやればいい」
「はい、坂本さん!」
「はい!」
二人が敬礼して出ていくと、司令室には書類をめくる音だけが残った。
「……美緒。何か、気になることでもあるの?」
ミーナが言った。
「なぜ、そう思う」
「さっきのことよ。柊少佐と話していたとき、あなたらしくなかったから。無理に聞こうとは思わないわ。でも、何かあるのなら、話してくれてもいいのよ」
坂本は窓の外に目を向けた。滑走路の向こうを、整備員たちが格納庫へ戻っていく。
「……お前には敵わんな」
「ふふっ。付き合いが長いもの」
坂本は、机の向かいに腰を下ろした。
「あいつとは、今日が初対面だ。クルス大尉ともな」
「それなら、どうして」
「四年前のことだ」
坂本は、両手を組んだ。
「私は、柊の出撃について、上官に再検討を進言したことがある。……本人に会いもせずにな」
―――
1941年。欧州、連合軍の前線拠点。
雨上がりの空に、低い雲が残っていた。曇った窓の作戦室で、地図に攻撃予想方向と味方の行動予定が書き込まれていく。
「今回の警戒区域はこちらです。敵の出現位置が定まっていないため、各隊で互いの後方を確認する必要があります」
坂本は、配られた名簿に目を落とした。見慣れた名前に混じって、扶桑出身のウィッチが一人。
柊志乃。
年齢は、まだ若い。添えられた説明のある項目で、坂本の目が止まった。
両眼の視力喪失。通常のシールド形成不能。
「……失礼。この柊というウィッチについて、確認したい。両眼の視力がなく、シールドも展開できないとある。それで、今回の任務に参加するのか」
「編成表では、その予定です」
坂本は資料を読み返した。敵の攻撃を空間を歪めて逸らす固有魔法。周りの位置や距離を、視覚とは違うやり方で捉えられるらしい。けれど、その力がどこまで届き、どんな条件で働くのかは、紙の上からは分からなかった。
「認識できないところからの攻撃には、対応できないのだな」
「そのように書かれています」
坂本は地図に目を移した。敵の出現方向を絞れない空域。味方同士の距離が開きかねない隊形。不意の接近に気づけず、シールドも張れないとすれば、本人だけでなく、助けに向かう者まで危険に晒すかもしれない。
「同行するクルスは」
「彼女も参加予定です。長く柊と行動を共にしていると聞いています」
資料には、二人が実際にどう飛び、どう互いを守るのかまでは書かれていなかった。
「……この情報だけでは、危険が大きすぎるのではありませんか。少なくとも、柊を今回の出撃に加えるかどうか、再検討していただきたい」
上級士官は、名簿と地図をしばらく見比べてから言った。
「……分かりました。編成について確認しましょう」
坂本は敬礼した。
戦場では、危険を見過ごした結果、誰かを失うことがある。仲間を守りたい。その思いに、偽りはなかった。
ただ、坂本はその場で、もう一つの選択をしなかった。柊本人に話を聞くこと。あるいは、長く隣を飛んできたクルスに、二人の戦い方を確かめること。二人は別の区画で出撃の支度をしていて、坂本とは顔を合わせていなかった。
坂本は資料を読み、資料から判断した。それで十分だと、そのときは考えていた。
―――
同じ日の午後、別の待機区画。
「……え? シノの出撃、なくなったんですか?」
アブソルが、作戦担当者の言葉を聞き返した。
「編成の再検討により、柊は今回の作戦から外れることになった。後の任務については、改めて通達する」
「承知しました」
隣の志乃は、落ち着いた声で答えた。担当者が去ると、アブソルが口を尖らせた。
「さっきまで、出るって話だったのにね。……残念じゃない?」
「残念ではあるよ。でも、作戦に要る人を決めるのは指揮官だからね」
「まあ、私たちのこと、まだあんまり知らないんだろうなあ」
「そうだろうね。危ないと考えるのも、無理はないよ」
あまりにいつもどおりの言い方だったので、アブソルは少しだけ肩の力を抜いた。
この決定に坂本の進言が関わっていたことを、二人がその場で知ることはなかった。そして坂本もまた、二人の姿を見ることはなかった。
―――
しばらく後、同じ地域で行われた別の作戦に、志乃とアブソルは参加した。坂本は別の任務に就いていて、顔を合わせる機会はなかった。
数日後に届いた作戦報告に、坂本はその名前を見つけた。柊志乃。その隣に、アブソル・R・クルス。
一方が速く前へ出る。もう一方が、離れた位置から敵の動きを捉えて接近方向を知らせる。志乃はそれを受けて進路を変え、敵へ迫る。アブソルは自分の機体に合った距離を保って、援護射撃で敵の動きを縛る。志乃が見落としやすい方向から敵が来ればアブソルが知らせ、アブソルが急な機動を強いられそうになれば、志乃が先に進路を押さえる。
坂本は、報告書を持つ手を止めた。
「……何だ、これは」
優れた二人が、並んで飛んでいたのではない。違う機体で、違う役目で、一つの戦いを最初から最後まで組み立てていた。坂本の胸に残ったのは、戦果よりも、その過程だった。
視力がない。シールドを張れない。それは事実だ。あのとき懸念した危険も、消えたわけではない。けれど報告書には、その条件の下で二人が積み上げてきた工夫が、はっきりと書かれていた。
あの考え自体を、間違いだとは思わない。だが、自分は本当に、分かろうとしたのだろうか。二人が何をできて、何を警戒し、どうやって互いを守っているのか。知る手段はあった。本人たちは、あの基地にいたのだ。一度、話を聞けばよかった。それすらしないまま、坂本は二つの欠点を並べて、結論へ近づこうとした。
その後も、二人の名前を報告書で目にすることはあった。別の地域での活動記録。新しい作戦。二人は各地の空を飛び続けていた。けれど坂本は、結局一度も、本人たちと会うことはなかった。
―――
「……すまん。少し長い話になったな」
坂本が顔を上げると、ミーナは首を横に振った。
「いいえ。……そういうことがあったのね」
「だから今日、あいつに何を言えばいいのか、分からなくなった」
「柊少佐は、当時のことを知っているの?」
「編成が変わったことは覚えているだろう。だが、私の進言についてどこまで聞いているかは分からん」
窓の外を、車両のエンジン音が通り過ぎた。
「私は、出撃を危ないと考えたことを後悔しているわけじゃない。あのときの情報なら、慎重な判断を求める必要はあった。だが、何ができるのかを確かめようとしなかった。それは、私の未熟さだったと思っている」
「あなたが仲間を守ろうとしたことも、本当なのね」
「ああ」
「だったら、その気持ちまで否定する必要はないと思うわ。でも、今のあなたは、あの頃よりずっと多くの人と飛んできたでしょう? それなら、これからどう接するかも、自分で決められるはずよ」
坂本はしばらく黙っていた。それから、小さく笑った。
「……お前は、昔からこういうときに容赦がないな」
「そうかしら」
「そうだとも。……ミーナ。柊とクルスの飛行訓練は、近いうちにあるか。できれば、見学させてほしい。報告書は何度も読んだ。だが、飛んでいるところは、まだ一度も見ていないんだ」
ミーナは微笑んだ。
「もちろん。きっと、驚くわ」
## Scene 04 ―― それぞれの午後
昼過ぎの食堂では、久しぶりに顔を合わせた仲間たちの話が続いていた。
「宮藤さん。荷物の整理は終わりまして?」
「あっ、まだです!」
「到着早々、何をしているんですの!」
「ふふっ。後で一緒にやろうね、芳佳ちゃん」
別の席では、ルッキーニが静夏に身を乗り出していた。
「ねえねえ静夏、扶桑って、どんな虫がいるの? 大きいやつ!」
「む、虫ですか?」
真面目に考え込む静夏の隣で、シャーリーが吹き出した。
その賑わいから少し外れたところで、志乃は食後のお茶を飲んでいた。
「柊少佐! 隣、いいですか?」
芳佳の声が近づいてきた。
「どうぞ」
「皆さんから、少佐とアブソル大尉のお話を聞いたんです。リーネちゃんが、昨日の戦闘ですごい連携を見たって!」
「それなら、リーネさんたちの活躍も聞きましたか?」
「はい! 二人とも、すごく頑張ったって!」
「私も、二人がいてくれて助かりました」
芳佳は嬉しそうに頷いた。
「私も早く、一緒に飛びたいです!」
「そのときは、よろしくね」
「はい!」
迷いのない声だった。困っている人がいれば、考えるより先に手を差し伸べるのだろう。そんなまっすぐさが、声だけで伝わってきた。
芳佳は少し言い淀んでから、尋ねた。
「あの……基地の中は、もう慣れましたか?」
それが、帯のことを気遣った問いだということは、志乃にも分かった。
「まだ知らないところもありますけれど、だいぶ覚えました。歩くのに困ることは、ありませんよ」
「そうですか。よかった!」
芳佳の声が、ほっと緩んだ。
「宮藤さんは?」
「私、さっきから廊下を二回も間違えちゃって」
志乃は、思わず小さく笑った。
「それなら、今度一緒に歩いてみましょうか。私もまだ、入ったことのない部屋がありますから」
「本当ですか!」
「宮藤さん! まずはお部屋の荷物を片づける約束でしょう!」
少し離れたところから、静夏の声が飛んだ。
「あっ、そうだった! すみません、柊少佐!」
慰ただしい足音が遠ざかっていく。志乃はそれを聞きながら、少しだけ口元を緩めた。
―――
午後の格納庫では、翌日からの訓練に備えて整備が進んでいた。シャーリーとアブソルが、開いた秋水の外装を並んで覗き込んでいる。
「へえ。ここに負荷が集まるんだな」
「そうなの。だから高出力を使った後は、必ず確かめてるんだ」
「二人とも、また機械のお話?」
椅子の上で足を揺らしていたルッキーニが、口を尖らせた。
「じゃあ、この工具取ってくれる?」
「はーい!」
「走るなよ! そこ、部品が並んでるから!」
入口に、坂本が姿を見せた。
「おお、賑やかだな」
「坂本少佐! よかったら、こっちも見ていってくださいよ」
「ほう。それが噂の試製秋水か」
坂本は少し離れたところから、機体を眺めた。
「……ずいぶん変わったものを使うんだな」
「扱いは難しいですけど、あの子には合ってるんです。ちゃんと点検して、必要なときだけ高出力にする。そういう約束にしてるんですよ」
アブソルの答えに、気負いはなかった。
「よく分かっているんだな」
「長い付き合いですから!」
坂本も、今度は自然に笑みを返した。
「坂本少佐も、シノの刀を見たら面白がると思いますよ。あいつ、二本使うんです」
シャーリーが何気なく言った。
「聞いている。……いつか、見せてもらいたいものだ」
「きっとシノも喜びますよ!」
アブソルの無邪気な答えに、坂本は一瞬だけ言葉を失った。それから、頷いた。
「ああ。そうだといいな」
## Scene 05 ―― 廊下の角
夕方、廊下の曲がり角の手前で、志乃は一つの足音を捉えた。
少し速く、迷いのない歩き方。けれど角の向こうで、その足音が止まった。
「……柊少佐か」
「はい、坂本少佐。本日は、長旅お疲れさまでした」
「なに、大したことはない。それより、昨日はネウロイを撃破したそうだな」
「はい。ビショップ曹長とクロステルマン中尉にも、助けられました」
「そうか。二人もよくやっているようだな」
坂本の声が、少し和らいだ。
「近いうちに、訓練を見学させてもらうことになった。差し支えなければ、二人の飛び方も見てみたい」
「もちろんです。ぜひ、よろしくお願いいたします」
「……ああ」
坂本が、一度だけ口を開きかけた。息を吸う音がして、それから何も続かなかった。四年前のことを言おうとしたのか、今日ようやく会えたことを言おうとしたのか、坂本自身にも分からなかった。いずれにせよ、廊下の角で切り出す話ではない。
「……では、また明日だな」
「はい。失礼します」
志乃は敬礼して、廊下の先へ歩いていった。坂本は、その足音が遠ざかるまで立っていた。
志乃が自分をどう思っているのか、まだ知らない。四年前の進言を知っているのかどうかさえ、分からない。それなのに、気後れしているのは自分だけだった。
「……何を緊張しているんだ、私は」
自嘲するように呟いて、坂本は歩き出した。
## Scene 06 ―― 揃った名簿
夜の会議室に、第501統合戦闘航空団の隊員たちが集まっていた。
「本日、宮藤さんと服部少尉が到着しました。これで、再編に向けた顔ぶれが揃ったことになります」
ミーナが一同を見渡した。
「明日から、部隊全体での訓練と、今後の作戦に向けた調整を始めます。まだ一緒に飛んだことのない組み合わせも多いから、少しずつ確かめていきましょう。柊少佐には、訓練空域と進入方向を、出発前にもう一度口頭で確認します」
「ありがとうございます」
「クルス大尉は、引き続き試製秋水の点検を優先してちょうだい。高出力については、整備が十分に済んでから判断します」
「了解しました! シャーリーにも、手伝ってもらえることになりました!」
「おう、任せろ!」
「二人とも、記録を残すのを忘れるなよ」
「はーい!」
「……本当に分かっているのか」
ミーナは笑ってから、資料を閉じた。
「皆さん。顔なじみの仲間も、新しく加わった仲間も、得意なことはそれぞれ違います。だからこそ、一緒に飛ぶときには、何ができるのか、何を助けてもらいたいのか、きちんと伝え合ってください」
その言葉に、坂本は顔を上げた。
分からないことは尋ねる。相手を知る。言葉にすれば、当たり前のことだった。四年前の自分は、その当たり前のことをしなかった。
「第501統合戦闘航空団。これより、再編任務を本格的に始めます。これからも、よろしくお願いします」
「了解!」
いくつもの声が重なった。
―――
会議が終わり、皆が思い思いに席を立った。
「芳佳ちゃん、明日の朝は一緒に行こうね」
「宮藤さん、寝坊はしないでくださいね!」
「シノ、ちょっとだけ格納庫寄っていかない?」
「もう遅いよ。確認は明日にしよう」
「えー、ちょっとだけ!」
「……少しだけ、なら」
その近くで、サーニャが顔を上げた。
「……柊少佐。明日の訓練、もし一緒に飛べるなら、よろしくお願いします」
「もちろん。私も楽しみにしているよ」
「わ、私も一緒に飛ぶからな!」
慌てて口を挟んだエイラに、志乃は穏やかに頷いた。
「ええ。頼りにしています」
坂本は、その光景を少し離れたところから眺めていた。
かつて、名簿の上にあったのは二人の名前だけだった。今、二人の周りには、もっと多くの仲間がいる。誰もが同じ力を持っているわけではない。同じ飛び方ができるわけでもない。それでも、互いの違いを知れば、必要な場所で手を貸すことはできる。
机の上に残った名簿の、柊志乃という名前の横に、もう欠点だけが浮かぶことはなかった。どう飛ぶのか。何を見つけ、何を見落とすのか。どう仲間を頼り、どう仲間を助けるのか。まだ知らないことは、たくさんある。
「……美緒?」
隣へ来たミーナに、坂本は顔を上げた。
「ああ。明日が楽しみだと思ってな」
四年前、自分は名簿の一行から判断を始めた。明日は、同じ空を飛ぶ彼女たちを、この目で確かめたい。その思いだけは、確かだった。
(第09話 終)