ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ― 作:r3ir3i
## Scene 01 ―― 翌朝の格納庫
翌朝、格納庫の奥で、金属の触れ合う小さな音がしていた。
「……もう一回、こっち側を見てみようか」
「昨日もそこは確かめただろ?」
「飛んだ後は別だよ。あの出力を使ったんだから」
アブソルとシャーリーが、作業台を挟んで試製秋水を覗き込んでいた。外装の一部が外され、接続部を照らすランプの光がシャーリーの手元に落ちている。
「昨日は、思ったより長く維持できたからなあ」
「うん。シノの魔法力は、まだ余裕があったと思う。でも、機体の方は別。……ここ、少しだけ摩耗が増えてる。交換しておこう」
「予備は?」
「持ってきてるよ。こればっかりはね。シノが飛べなくなったら困るし」
シャーリーが感心したように口笛を吹いた。
二人の少し後ろで、志乃は作業台の縁に指先を置いていた。
「私も何か手伝おうか」
「シノは記録、確認してくれる?」
「読んで聞かせてくれるならね」
「あっ、そうだった」
アブソルは笑って紙束を取り上げ、昨日の運転時間を読み上げ始めた。志乃は数字を聞き、要るところを口で確かめていく。その横から、シャーリーが身を乗り出した。
「なあ、シノ。あんなに長く高出力を保って、きつくなかったのか?」
「足元の振動が、少し。ですから、最後は出力を戻しました」
「怖くはなかった?」
「怖いというより、壊したくなかったんです」
「ははっ。作った本人の感想としては、そっちか!」
志乃は小さく笑った。自分たちで整備し、少しずつ飛べるようにしてきた機体だ。無茶をして失うつもりは、最初からなかった。
「今日は高出力なし。ミーナ中佐にも、整備が終わるまでは飛ばさないって報告してあるからね」
「うん。分かったよ」
「珍しく素直だね」
「いつも素直なつもりだけど」
「そうかなあ?」
「二人でやってると、こんな感じなんだな」
シャーリーが笑った。
昨日の夕暮れについて、二人は何も話さなかった。確かめる必要はなかった。片方が道具を求め、もう片方がそれを渡す。志乃が音と手触りを頼りに外した部品を並べ直し、アブソルが次の点検箇所を知らせる。それで、十分だった。
## Scene 02 ―― 地上の一日
午前十時、基地の門を補給車両が次々とくぐってきた。
ネウロイとの戦いが続く欧州では、部隊への補給だけでなく、解放された土地への物資の輸送も大事な仕事だった。降ろされる箱には、飛行用の部品や燃料関連の資材に混じって、包帯や消毒薬、保存食も積まれている。
「これ、あっちの倉庫ですね!」
「宮藤さん、待ってください。箱の番号を確かめてからです!」
伝票を抱えた芳佳を、静夏が慌てて呼び止めた。
「えっと……三番倉庫、二列目……あれ?」
「ほら、違うでしょう!」
「ごめん、服部さん!」
二人は顔を見合わせて、同時に笑った。そばで荷を降ろしていたリーネも微笑む。
「芳佳ちゃん、こっちは私が見ておくね。服部さん、そっちの一覧をお願い」
「はい。こちらの列、医療品で間違いありません。次の車両は……」
昨日の訓練で何度も報告の遅れを指摘された静夏は、今日は分からないことをそのままにしないよう気をつけているらしかった。
「柊少佐。秋水の具合はどうかしら」
背後からミーナの声がした。
「接続部に摩耗がありました。交換部品が揃えば、また通常の飛行はできそうです」
「それならよかった。昨日は素晴らしい飛行だったけれど、機体は大切にしてね」
「はい。アブソルにも言われました」
ミーナが微笑んだ。
昨日はずっと空にいた。今日の基地は、地上の声で賑やかだった。荷物を数える声。工具を探す声。車両を誘導する声。どれも、基地が動いている音だった。
―――
昼の食堂で、芳佳はまだ興奮の残る声で、昨日の夕方の飛行の話をしていた。
「またその話か。感心するのはいい。だが昨日の訓練で、お前にはほかに覚えておくことがあっただろう」
「はい。進路を変える前に報告します!」
「うむ」
「宮藤だって、午後にはちゃんと直してたじゃない」
ハルトマンが笑い、芳佳が嬉しそうに顔を上げた。
斜め向かいで、静夏が姿勢を正した。
「私も昨日は、柊少佐に助けていただきました。気づいたときには、もう少佐が間隔を取ってくださっていて……次は、私も周りを見て飛びたいです」
「助けた、というほどではありませんよ。飛んでいる間は、お互いに位置を直し合うものですから」
志乃が言った。
「周りが見えるようになれば、服部さんもきっと楽になります」
「私もです! 柊少佐みたいに、周りの人が飛びやすい場所を作れるようになりたいです!」
芳佳が身を乗り出した。
「でも、どうやってあんなに早く、みんなの位置を掴んでいるんですか?」
志乃はカップを置いた。
「私の場合は、少し特殊なんです。皆さんと同じように見ているわけではありませんから」
「……あ」
芳佳の言葉が止まった。帯のことに思い至ったらしい。
「いえ、そういう意味じゃなくて……」
「大丈夫ですよ。分かっています」
志乃は軽く首を振った。
「ただ、どれだけ位置が分かっても、相手が何を考えて動くかまでは分かりません。だから、声を掛けてもらえると助かるんです」
「はい!」
「芳佳ちゃん、昨日もずっと質問してたもんね」
リーネが笑った。
「うん。分からないこと、まだいっぱいあるから」
「それなら、私も同じです」
「柊少佐でも、ですか?」
「ここへ来てから、初めて知ることばかりですよ」
芳佳は少し考えて、それから笑った。
「じゃあ、これから一緒に覚えていきましょう!」
明るい声が、食堂に響いた。志乃は、その声を聞くのが嫌いではなかった。
## Scene 03 ―― 伸ばされた手
午後二時、倉庫の前では、補給品の仕分けが続いていた。整備員に交じって、芳佳と静夏も医療品の箱を運んでいる。
背の高い木箱が、荷台の端に寄せられていた。二人の整備員が吊り具を外し、別の一人が台車を用意している。
「そこの留め具、もう外れてるぞ!」
「待ってくれ、こっちがまだ……」
乾いた音が鳴った。積み荷が傾き、箱の角が荷台の縁を滑って、支えようとした整備員の腕をかすめた。男が声を上げて膝をつく。地面に落ちた箱から、木の割れる音がした。
「下がって! まだ揺れてる!」
静夏の声が響いた。
志乃は少し離れたところにいた。倒れた箱の位置。散らばった木片。膝をついた整備員と、その周りに集まる人の形。音と空間の変わり方で、何が起きたのかは分かった。
真っ先に駆け寄ったのは、芳佳だった。
「大丈夫ですか!」
「……ああ。腕を、切ったみたいだ」
「服部さん、救護の人を呼んでくれる?」
「はい! すぐに!」
静夏が走り出した。芳佳は男の傍らに膝をつき、落ちた箱から十分に離れていることを確かめた。
「お怪我を見せてください」
「いや、大したことは……」
「大丈夫かどうか、ちゃんと確かめたいんです」
急かさない、けれど迷いのない声だった。裂けた袖の下に、細長い傷があった。血が滲んでいる。
「芳佳ちゃん、腕を支えるね」
リーネが反対側へ回り込んだ。志乃は、二人の少し後ろに立っていた。芳佳が相手の身体に合わせて膝の位置をずらすこと。リーネに腕を支えてもらうまで、傷を無理に動かさないこと。そうした動きが、志乃には分かった。
「私、治癒魔法が使えます。治してもいいですか? あとで医務室でも診てもらいましょう。まずは、出血を落ち着かせます」
「……頼むよ」
芳佳が、傷の上に両手をかざした。その手に灯る光を、志乃が見ることはない。それでも、芳佳の手元に集まる魔法力の気配は、かすかに感じ取れた。相手に寄り添う距離。声を掛けるまでの間合い。傷ついた人へ、ためらわずに手を伸ばす動き。光が見えなくても、何が行われているのかは分かった。
「少し、じっとしていてくださいね。痛かったら、すぐ言ってください」
さっきまで荷物の行き先を確かめていたときとは、少し違う声だった。落ち着いていて、柔らかい。周りの話し声が、自然と小さくなっていく。
「……よかった。出血、落ち着いてきたよ」
リーネの声に安堵が混じり、男の肩から少しずつ力が抜けていった。
「大丈夫ですよ。もう少しですから」
その声を聞いたときだった。
志乃は、わずかに息を止めた。
かつて、こんなふうに声を掛ける人がいた。傷ついた誰かを見つけると、ためらわずそばへ行って、痛みが引くまで何度でも話しかけていた人。手を差し伸べるのが、ひどく自然だった人。
――――。
志乃は、そっと一歩下がった。芳佳とリーネの邪魔にならないよう、さらに半歩。それだけのつもりだった。けれど、志乃はそこに留まらなかった。
「大丈夫です。もう少しで終わりますからね」
優しい声だった。
志乃は何も言わず、静かに人の輪を離れた。治療に気を取られた人々の中で、その小さな動きを気に留める者はいなかった。
倉庫の角を曲がる。足音が、少しだけ速くなった。志乃は、それを直そうとはしなかった。
## Scene 04 ―― 夕方の格納庫
負傷した整備員は、芳佳の処置と衛生兵の確認を受け、大事には至らなかったという。
志乃が格納庫へ戻ると、アブソルが作業用の布で手を拭いていた。
「おかえり、シノ」
「ただいま。そっちはどうだった?」
「終わったよ。シャーリーが代わりの部品を持ってきてくれてさ。明日には地上試運転できそう。……そういえば、倉庫で怪我した人がいたんだって?」
「うん。でも、大事には至らなかったよ。宮藤さんが治療してくれたんだ」
「へえ! あの子、治癒魔法が使えるんだよね」
「そうだね」
志乃は、作業台に並ぶ部品へ手を伸ばした。
「……手際がよかったよ」
アブソルは、その返事を聞いていた。短い間があった。いつもなら、志乃はもっと詳しく様子を話す。今日は、それ以上続かなかった。
アブソルは、理由を訊かなかった。
「それじゃあ、今日はシノの仕事も終わりだね。この箱だけ閉めてくれれば!」
「はいはい。……留め具、少し歪んでるね」
「あ、ほんと? 開け閉めが多いからかなあ。今度、こっちも替えよう」
二人は、いつもの話に戻っていった。格納庫の外から、ルッキーニの声が聞こえた。
「ねえー! ご飯、まだー?」
「まだ早いぞー!」
シャーリーの返事に、アブソルが吹き出した。
「元気だねえ」
「そうだね」
志乃も笑った。その笑い方は、いつもと変わらなかった。
## Scene 05 ―― 夜
夕食のあと、宿舎の廊下は昼間よりずっと静かになっていた。どこかの部屋から話し声が漏れ、遠くでハルトマンが何か言い、バルクホルンが注意する声がする。
志乃は部屋に戻り、腰の後ろのホルスターを外した。古い拳銃。銃身の形。革の擦れたところ。指でなぞると分かる、金属の小さな刻印。手に馴染んだ重さを確かめてから、机の上に置いた。それからケープを脱ぎ、いつもの場所に掛けた。
少しだけ、長い一日だった。
ベッドに腰を下ろし、息をつく。目を閉じても開けても、何も変わらない。けれど、部屋の形や、机までの距離は分かる。
昼間の倉庫で、芳佳が手を伸ばしたことを思い出した。傷ついた相手を前にして、あの子はほんの少しもためらわなかった。当たり前のように膝をつき、落ち着くように声を掛けていた。
志乃は、少しだけ口元を緩めた。
――いい子だな。
その感想は、本心だった。
廊下の足音が減り、建物が静かになっていく。志乃は毛布を引き寄せて横になった。いつもより少し早く、眠りが訪れた。
―――
遠くで、銃声がした。
魔導エンジンの音。頬を打つ風。
『……右手、二機! 待って、もう一機いる!』
通信の向こうで、アブソルが叫んでいる。
足元の振動が、今の試製秋水とは違った。もっと昔から使い慣れた、別のストライカーの音だった。周りには、いくつもの敵がいる。黒い装甲の色は分からない。けれど、空間の中に占める形と大きさと距離は分かった。いくつもの塊が、風の中で動いている。
『私が前に出る。アブソル、右をお願い』
『了解!』
『零、後ろを頼むよ』
少し遅れて、穏やかな声が返った。
『うん。気をつけてね、シノ』
その声を、志乃は知っていた。何度も呼ばれた名前。何度も一緒に聞いた風の音。
志乃は速度を上げた。アブソルの射撃が続き、敵の一機が砕ける。別の方角から、もう一機。志乃は身体をひねり、自分に迫った攻撃を空間を歪めて逸らした。その反動に合わせて、進路を変える。
『シノ、無理してない?』
『大丈夫。そっちは?』
『うん。こっちも平気』
いつもの会話だった。
『……これで、終わりかな?』
『周りを確認する。まだ油断しないで』
志乃は、意識を遠くへ伸ばした。風。味方の位置。少し離れたところで、零が高度を保っている。
一瞬、空が静かになった。
『――シノ、後ろ!』
アブソルの声が、鋭く響いた。振り向くより早く、知覚の端に新しい反応が現れた。中型のネウロイ。それまで、そこには何もいなかった。
近い。近すぎる。
敵が向きを変える。その正面にいるのは、零だった。
『零、離れて!』
叫ぶと同時に、志乃は進路を変えた。零の機体も身をひねる。けれど、敵の向きはなおも彼女を追っていた。
自分に向けられた攻撃なら、逸らせる。けれど、零の前に盾を作ることはできない。
志乃は、ありったけの力で機体を加速させた。敵と、零。二つの位置が、急速に近づいていく。
『零――っ!』
―――
志乃は、目を覚ました。
しばらく、身体を動かさなかった。敵はいない。魔導エンジンの音も、銃声もない。あるのは宿舎の壁と、ベッドの輪郭。廊下の向こうで小さく鳴る、誰かの足音。
呼吸を整える。手のひらには、何も握っていなかった。
志乃は、ゆっくりと起き上がった。同じ夢を、前にも見ている。いつも同じところで終わるとは限らない。けれど、敵が現れたときのアブソルの声も、零へ向かって叫んだ自分の声も、忘れようがなかった。今夜は、そこで途切れた。
ベッドの縁に腰掛けたまま、志乃は机の方へ顔を向けた。そこに、さっき外した拳銃がある。立ち上がりはしなかった。ただ、机までの距離を確かめた。
昼間、芳佳が整備員に掛けていた声が、ふと戻ってきた。
『大丈夫ですよ』
そのあとで、男が安心したように息をついたことも。
志乃は、ゆっくり息を吐いた。
あの人は、助かった。それでよかった。
窓の外を、風が通り過ぎていく。もう一度横になろうとして、志乃は少し思い直した。それから静かに立ち上がり、水差しのある場所へ歩いていった。
今夜の夢の続きを、誰かに話すつもりはなかった。
(第11話 終)