ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ― 作:r3ir3i
## Scene 01 ―― 朝の店
翌朝の港町は、汽笛で目を覚ました。
石畳の通りを荷馬車が行き交い、店先では商人たちが板戸を外している。潮の匂いに、どこかで焼き上がったパンの匂いが混じっていた。
武器商店にも、朝から声が響いていた。
「よいしょっと!」
木箱を抱えたアブソルが、店の奥から出てきた。蓋を釘で打ちつけた箱は、両腕で抱えると顎の下まで届いている。
「店長、これどこに置くの?」
「そいつは軍への納品分だ。奥の倉庫に頼む」
「はーい」
返事をするより先に、足はもう倉庫へ向いていた。
店の中には、銃器や弾薬、革の装備品が並んでいる。壁際には銃架。カウンターの後ろには、細かな部品を収めた小さな引き出しが、壁一面に並んでいた。
この店は、軍から正式な取引先として認められている。町の客に銃や装備を売る一方で、部隊から修理を請け負い、注文に応じて部品や装備品を手配する。納める品は一つ残らず帳簿に記され、引き渡しには軍の担当者が立ち会うことになっていた。
店長は今日の予定を指でなぞり、帳簿を閉じた。
「今日は忙しくなるぞ」
「そうなの?」
「午前中に軍の連中が来る。港から荷も届く」
「げっ。両方?」
「両方だ。だから頼りにしてるぞ」
「……はあい」
口を尖らせたアブソルを見て、店長が笑った。
「毎度言うが、無理に手伝わなくてもいいんだぞ。お前さんは軍人なんだからな」
「毎度言うけど、好きでやってるの」
箱を抱えたまま、アブソルは振り返りもせずに返した。この店で暮らし始めた頃から、何度繰り返したか分からないやり取りだった。
「はっはっは。そうだったな」
奥の扉が開き、女将が顔を出した。
「二人とも、朝から元気ねえ」
「おはよう!」
「おはよう、アブソルちゃん。今日は荷物が多いの?」
「昼までには片づけたいんだがね」
店長が答えると、女将は頷いた。
「じゃあ、お昼はしっかり食べてもらわないとね」
それから、後ろを振り返る。
「シノちゃん、そろそろ行きましょうか」
「……はい」
女将の後ろから、志乃が出てきた。
両眼を覆う黒い帯は、昨日と変わらない。けれど肩にケープはなく、飾り気のない上着の袖から、空の買い物籠を提げた手がのぞいている。それだけで、昨日屋上へ降りてきた姿とは、ずいぶん印象が違って見えた。
「二人とも、どこ行くの?」
「市場よ。今夜の分も買っておこうと思って」
「いいねえ。おいしいものよろしく!」
「ふふっ。任せてちょうだい」
アブソルは木箱を抱え直してから、志乃の方へ首を伸ばした。
「あ、シノ。秋水の点検、午後に回してもいい? この調子だと、朝は手が空きそうにないや」
「うん。それでいいよ」
「ありがと!」
「……行ってきます」
志乃が告げると、店長がカウンターから手を上げた。
「おう、気をつけてな」
「いってらっしゃーい!」
アブソルの声に送られて、二人は店を出ていった。扉のベルが鳴り止むのを待ってから、店長は袖をまくった。
「さて。俺たちも仕事だ」
「はーい!」
## Scene 02 ―― 市場
石畳の広場は、朝から人で埋まっていた。
露店が両側に並び、木箱に詰めた野菜や果物が通りへせり出している。氷を敷いた台の上では、魚が銀色の腹を並べていた。パン屋の前には、焼き上がりを待つ人の列ができている。
「さあさあ、今日はいいのが入ってるよ!」
「奥さん、こっちも見ていって!」
「おい、荷車を通すぞ!」
戦争が始まってから、品物の揃わない日は珍しくなくなった。それでも、呼び声の大きさは変わらない。
「さて、今日は何を作ろうかしら」
籠を腕に掛けた女将が、楽しそうに露店を見回した。
「……昨日は、ずいぶんご馳走になりました」
「あら、手伝ってもらったのは私の方よ。今日はお魚にしようかしらね」
「いいですね」
「新鮮なのがあればいいんだけど」
志乃は女将の半歩後ろを歩いた。
人の流れは、絶えず形を変えていた。荷車が近づけば脇へ寄り、立ち話の輪があれば、その外側を回る。駆けてきた子供の頭が、志乃の腰の横を擦り抜けていった。
露店に並ぶ品の色を、志乃は知らない。それでも、木箱の角や台の高さ、石畳の継ぎ目にある小さな段差は、空間を捉える魔法の感覚の中にはっきりとあった。行き交う足音と、聞き慣れた店の呼び声。この広場では、それが道しるべになった。
「あら? シノちゃんじゃない!」
果物屋の店先から、声が飛んできた。志乃は足を止め、声の方へ顔を向けた。
「……おはようございます」
「まあ、いつ帰ってきたの?」
「昨日です」
「そうだったの! 最近見かけないから、気になってたのよ。お仕事だったんでしょう?」
「……はい」
「なら仕方ないわねえ。無事でよかったわ」
店の女性は、台越しに身を乗り出していた。女将が隣で、小さく笑う。
「ほらね。みんな待ってたのよ」
志乃は何も言わず、頭を下げた。
「そうだ、今朝はいいリンゴが入ってるの。いつもの、お願いできる?」
女性は木箱を一つ、台の手前へ引き寄せた。
「……はい」
志乃は箱の縁に手を掛け、リンゴを一つずつ手に取った。丸みに沿って指先を滑らせ、へたの窪みに触れ、掌の上で重さを量る。いくつかは箱へ戻し、いくつかは女将の籠へ移していく。迷う様子はなかった。
「やっぱり、シノちゃんに選んでもらうのが一番ね。見た目がよくても、軽いのは中がすかすかなんだから」
「……形と、重さだけですよ」
「それが一番大事なのよ」
女性は嬉しそうに笑い、志乃の選んだ分を紙袋へ移した。
「毎度あり! シノちゃんの分、一つおまけしておくわね」
「……ありがとうございます」
「いいのよ。今度はもう少し、ゆっくりしていってね」
―――
魚屋の前では、氷の溶ける音がしていた。
「おーい、女将さん! 今日は何にするんだい?」
「夕飯にいいお魚が欲しいんだけど」
「だったら、ちょうどいいのがあるよ! 今朝揚がったばかりさ」
台の上の魚を女将が覗き込む。その隣へ目を移したところで、店主の声が一段大きくなった。
「おっ、なんだ、シノも一緒か!」
「……おはようございます」
「帰ってきてたんだな! そういや、昨日の夜もピアノを弾いてたんだって?」
志乃は、わずかに顔を上げた。
「……ご存じなのですか」
「うちの倅が聴いたらしくてな。えらくいい曲だったって言ってたぞ。今度は俺も聴きに行かないとな!」
返す言葉を探すように、志乃は少しだけ間を置いた。
「……お待ちしています」
「おう、言ったな!」
店主は手際よく魚を包み、紐を掛けた。それから、台の端からもう一包みを取り上げる。
「こっちはおまけだ。シノの帰還祝いさ」
「あら、いいの?」
「いいってことよ!」
志乃は深く頭を下げた。顔を上げたときには、店主はもう次の客へ声を張っていた。
二人は包みを籠に収め、次の店へ向かった。
「……女将さん」
「なあに?」
「いつも、皆さんに気を遣わせている気がします」
女将は足を止めた。少しして、小さく笑った。
「気を遣ってるんじゃないのよ。みんな、シノちゃんが帰ってきたのが嬉しいの」
「……そうでしょうか」
「ええ。あなたがここにいると、いつもの町に戻ったみたいでね」
志乃は答えなかった。女将もそれ以上は言わず、また並んで歩き出した。籠の中で、リンゴが一つ転がる音がした。
## Scene 03 ―― 店の午前
入口のベルが鳴った。
「いらっしゃい!」
店長が顔を上げると、作業着の男が入ってくるところだった。脇に、新聞紙で包んだ細長いものを抱えている。
「よう、店長。こいつを見てくれないか」
包みを解くと、使い込まれた革の負い革が出てきた。金具の周りが黒ずみ、縫い目が何か所か浮いている。
「ずいぶん傷んじまってな。まだ使えると思うか?」
「どれどれ……こりゃ長く使ってるな」
「気に入ってるんだよ。替えるのも惜しくてな」
「アブソル、ちょっと見てくれるか」
倉庫から顔を出したアブソルが、負い革を受け取った。縫い目に指を添え、革を軽く折り曲げる。金具の付け根で、乾いた繊維がかすかに鳴った。
「ここ、かなり弱ってるね。このまま使うと、肝心なときに切れるかも」
「やっぱりそうかい」
「でも、全部替えなくていいと思うよ。店長、同じ幅の革、まだ残ってたよね?」
「奥の棚にあるはずだ」
「じゃあ、ここだけ取り替えれば直せる。ただ、今日はちょっと立て込んでるから、仕上がりは後日になるけど」
「構わんさ。頼むよ」
男が帰っていくと、アブソルは負い革を修理待ちの棚へ収めた。
「買い替えた方が早いこともあるんだけどね」
「まあな。だが、長く使ってりゃ愛着も湧くもんさ」
「……分からなくもないかな」
―――
十時を少し回った頃、店の前に軍用車両が停まった。
降りてきたのは、補給担当の将校と数人の兵士だった。将校は扉をくぐるなり、帽子の庠に手をやった。
「失礼する。いつも世話になっている」
「お待ちしてましたよ。品は揃えてあります」
店長が帳簿を手に取り、奥へ声を張る。
「アブソル! 軍の方がいらしたぞ!」
「はーい!」
作業用の上着についた埃を払いながら、アブソルが倉庫から出てきた。将校は驚いた様子もなく、軽く会釈した。
「大尉。少佐がお戻りになったそうですね」
「昨日ね。耳が早いなあ」
「港の噂は、補給所にもすぐ届きますので。お変わりなく?」
「いつもどおり。本人に訊いても『問題ない』しか言わないけど」
将校が小さく笑った。挨拶はそれで済んだ。将校は控えの書類を、店長ではなくアブソルの方へ差し出した。
「では、いつものように」
「はいはい、検品ね」
アブソルは書類を受け取り、木箱に下がった札を一つずつ読み上げ始めた。店長が帳簿の数字を拾い、将校が控えに印を付けていく。三人の手順に、確かめ合う言葉はほとんど要らなかった。軍服を着ていれば大尉と呼ばれる彼女も、この店では、店長と並んで箱を数える店の人間だった。この補給将校がそれを当たり前のこととして扱うようになってから、もうずいぶんになる。
―――
店の裏手では、軍用車両の荷台から木箱が降ろされていった。
「大尉、お持ちします!」
若い兵士が、慌てて駆け寄ってくる。見ない顔だった。
「ん? 大丈夫だよ」
「しかし……!」
「放っておけ」
荷台の脇から、年嵩の兵士が声を掛けた。
「言っても聞かん方だ。それより、反対側を持って差し上げろ」
「は、はい!」
「さすが、分かってるね!」
二人で抱えた木箱が、倉庫の暗がりへ運ばれていく。年嵩の兵士は肩をすくめ、次の箱に手を掛けた。この店へ荷を運ぶのは、彼にとってもう何度目か分からない仕事だった。
しばらくして、倉庫の奥から声が響いた。
「店長ー! こっちの箱、伝票と数が合わないよー!」
店長と将校が覗くと、アブソルが木箱の横にしゃがみ込んでいた。積まれた箱を、指先で一つずつ叩いていく。
「ほら、ここの分。注文より一箱少ない」
伝票を覗き込んだ店長が、眉を上げた。
「……本当だな」
「申し訳ありません。こちらの確認不足かもしれません」
「いえいえ。こういうこともありますよ。不足分だけ後日お願いできますかな」
「承知しました。すぐに確認させます」
「じゃあ、こっちは先に片づけちゃうね!」
アブソルが立ち上がり、再び木箱の運ばれる音が響き始めた。荷下ろしが済むと、今度は軍への納品分を積み込む。中身と伝票を照らし合わせ、引き渡した品に、店長と将校が一つずつ印を付けていった。
最後の箱が荷台に収まる頃には、日はすっかり高くなっていた。
## Scene 04 ―― 昼の食卓
市場からの帰り道、籠はずっしりと重くなっていた。
「少し持とうかしら」
「大丈夫です」
志乃は籠を持ち直した。女将はその腕を見て、小さく笑った。
「いつもありがとうね、シノちゃん」
「……いえ。私も、好きでやっていることですから」
「あら、そうなの?」
「……はい」
「それならよかったわ。私も、シノちゃんとお買い物するの楽しいもの。お店の人たちも、あなたが来ると喜ぶでしょう?」
志乃は少し考えた。
「……皆さん、親切ですから」
「ふふっ。それだけじゃないと思うけどね」
志乃は女将の方へ顔を向け、続きを待った。女将はそれ以上を言わなかった。
通りの先から、木箱を降ろす音と、聞き慣れた声が届いてくる。
「アブソルちゃんたち、まだ忙しそうね」
「……手伝ってきましょうか」
「シノちゃんは、もう十分手伝ってくれたわよ。買ってきたものを片づけたら、少し休んでちょうだい」
「……分かりました」
―――
昼を過ぎて、店の裏手はようやく静かになった。
「……終わったあ!」
アブソルは両腕を突き上げ、そのまま背中を反らした。
「思ってたより、ずっと多かったじゃん!」
「ご苦労さん。助かったよ。女将たちも帰ってきてる。そろそろ昼飯だ」
「ご飯!?」
反らしていた背中が、すぐにまっすぐ戻った。アブソルは店の奥へ駆けていく。
「まったく、現金な奴だな」
店長は苦笑して、その後に続いた。
―――
夜は酒場になるバーも、昼間は窓からの光が床に落ちるだけの、静かな部屋だった。
「はい、お待たせ!」
女将が大鍋から皿へシチューをよそっていく。煮込まれた肉と野菜に、形の崩れかけたジャガイモ。隣の籠には、焼きたてのパンが積まれていた。
「わあ! いただきまーす!」
アブソルはスプーンを掴むなり、一口目を頬張った。
「……んんっ! おいしい!」
「そう? それならよかったわ」
志乃も静かにスプーンを運ぶ。
「……美味しいです」
「たくさん食べてね」
女将がカウンターへ戻ると、アブソルは志乃の方へ身を乗り出した。
「で、市場どうだった?」
志乃は少し考えた。
「……リンゴを、一つおまけしてもらった」
「なにそれ、いいなあ!」
「それに、お魚も」
女将がカウンターから振り返った。
「シノちゃんの帰還祝いですって。今夜はそれよ」
「やったあ!」
「魚屋さんなんて、昨日のシノちゃんのピアノの話までしてたわ」
「ははっ! もう広まってるんだ」
アブソルの笑い声に、志乃は小さく顔を傾けた。
「……そうらしいね」
店長がパンをちぎりながら笑った。
「この町じゃ、噂が回るのは早いからなあ」
アブソルの皿は、もう底が見え始めていた。
「……おかわりある?」
「もちろん」
「お前、ついさっき疲れたって言ってただろう」
「ご飯は別!」
「はっはっは!」
笑い声が、昼のバーに響いた。志乃はそれを聞きながら、ゆっくりとシチューを口へ運んでいた。
## Scene 05 ―― 屋上の整備台
午後の屋上を、港からの風が吹き抜けていた。
整備台に試製秋水が固定されている。アブソルは推進機構の点検口を開け、工具の先で内部を一つずつ当たっていた。その隣に、志乃が立っている。
「……どう?」
「んー……正直、思ってたよりは悪くないかな」
「そっか」
「ただし!」
アブソルが顔を上げた。
「問題ないって意味じゃないからね」
「……うん」
「本当に分かってる?」
「分かってるよ」
昨日、志乃から預かった運用記録には、クレタ島での飛行の詳細が残されていた。巡航の時間、高度の変更、それから高出力運転。最後の項目の数字を、アブソルは昨夜のうちに三度読み返していた。
「……これ、本当にすごい速度だったんだね」
「うん」
「よく機体が持ったなあ」
「想定の範囲内だよ」
「その想定が怖いんだってば!」
志乃は答えなかった。アブソルは息を吐き、推進機構の奥へ工具を差し入れた。
「ここ、少し負荷が残ってる。今すぐ使えなくなるわけじゃないけど、次に飛ばす前に調整した方がいいね。しばらく預かるよ」
「……お願いするね」
工具を置いて、アブソルは機体の外装に手のひらを当てた。
「……それにしても、面白い機体だよねえ、これ」
その声からは、さっきまでの呆れた調子が抜けていた。
「普通のストライカーとは全然違うんだもん。最初に引き取ってきたときなんて、どうなることかと思ったよ。まともに飛ばせる状態じゃなかったもんね」
「そうだったね」
「それを二人であれこれいじって、今じゃちゃんと実戦に出せるんだから」
「……アブソルのおかげだよ」
外装に触れていた手が、止まった。
「……え?」
「私一人では、ここまで仕上げられなかった」
アブソルは少しの間、何も言わなかった。それから、照れくさそうに工具を拾い上げた。
「……何よ、急に」
「本当のことだよ」
「はいはい! だったら、もうちょっと大事に使ってよね!」
「……善処する」
「善処じゃなくて!」
志乃が首を傾ける。その仕草に、アブソルは堪えきれずに吹き出した。
「……まったく!」
しばらく、工具の音だけが続いた。
「……ねえ、シノ」
「なに?」
「今回、一緒に飛んだ人たちって、どんな人だったの?」
志乃は少し考えた。
「……賑やかな人たちだった」
「それ、昨日も聞いたよ」
「……そうだったね」
アブソルは笑った。
「でも、楽しかった?」
間があった。港の方で、汽笛が一つ鳴った。
「……うん。悪くなかったよ」
アブソルの手が、また止まった。それから、少しだけ嬉しそうに笑った。
「……そっか」
それきり、彼女は何も訊かなかった。
## Scene 06 ―― 工房のような部屋
夕方、仕事が一段落した頃だった。
「ねえ、シノ。ちょっと部屋まで来てくれない?」
アブソルの部屋は、廊下を挟んで志乃の部屋の向かいにあった。
「どうぞ!」
扉を開けた途端、油と金属の匂いがした。
壁際に銃架が並び、何挺もの銃が収められている。拳銃に小銃、古い型のものから比較的新しいものまで。どれも手入れが行き届き、決まった場所に収まっていた。机の上には工具と分解図、書きかけのメモ。棚には部品を仕分けた小箱が並び、壁にはストライカーユニットの資料が何枚も留めてある。
十九歳の娘の部屋というより、小さな整備工房だった。
戸口で一歩足を止めた志乃が、部屋の中へ顔を向けた。
「……相変わらずだね」
「何が?」
「物が多い」
アブソルの口が開いた。
「シノに言われたくない!」
「……そうかな」
「そうだよ! だいたい、ちゃんと整理してるんだから。どこに何があるか、全部分かってるんだよ?」
「そうだろうね」
「……もう!」
アブソルは苦笑して、机の上の図面を取り上げた。
「それより、これ。秋水の次の調整案」
「……もう考えたの?」
「もちろん! 昨日からずっと考えてたんだ。ここを見直せば、機体への負荷を減らせるんじゃないかなって」
図面を机の上へ広げかけて、アブソルの手が止まった。
「あっ……ごめん。口で説明するね」
「うん」
志乃が椅子に腰を下ろし、アブソルはその向かいに座った。図面はたたまれ、代わりに机の上の部品が一つ、二人の間に置かれた。
「まず、今回の飛行記録なんだけどね……」
話しながら、アブソルの手はよく動いた。部品を持ち上げ、角度を変え、志乃の指先へ触れさせる。志乃は黙って聞き、必要なときだけ短く問いを返した。
「……そこを変えると、巡航にも影響が出ないかな」
「そう! そこが問題なんだよね」
「なら、別の方法が要るね」
「うん。だから今、考えてるところ!」
銃と資料で埋まったアブソルの部屋と、必要なもの以外は何もない志乃の部屋。正反対の二つの部屋の住人は、一つの機体の話になると、昔から時間を忘れた。
窓の外の光が、少しずつ傾いていった。
―――
階下から、女将の声が上がってきた。
「アブソルちゃーん! シノちゃーん! 夕飯よー!」
「ご飯!」
アブソルが椅子から跳ねるように立ち上がった。志乃は小さく息を吐いた。
「……続きは後にしようか」
「そうだね! 食べたら、また考えよっと!」
二人は部屋を出た。
廊下には、階下から料理の匂いが上がってきていた。港の汽笛が遠くで鳴り、一階では、店長が表の扉を閉める音がする。
階段の途中で、アブソルが振り返った。
「早く早く! 今日は何かな!」
「……魚だと思うよ」
「……あっ、そうだった!」
自分で笑い出したアブソルの声が、階段を転がるように下りていく。志乃はその後を、一段ずつ下りていった。
(第02話 終)