ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ― 作:r3ir3i
## Scene 01 ―― 外出の支度
それから、数日が過ぎた。
武器商店の日々は、ほとんど変わらなかった。朝になれば店長が店を開け、アブソルが倉庫から箱を運び出す。志乃は女将と市場へ出かけ、午後には屋上で秋水の調整に付き合った。軍から注文が入った日は、店長とアブソルが帳簿を挟んで、夕方まで倉庫を行き来した。
夜になれば、バーに灯りが入った。女将が陽気な曲を弾いて手拍子が起こる晩もあれば、志乃が静かな曲を弾いて、店じゅうが黙り込む晩もあった。
港には毎日のように軍の船が出入りし、通りで兵士とすれ違うことも珍しくない。戦争は、まだ終わっていなかった。それでも、この町では人々が暮らしていた。
ある日の午前。
「……よしっ!」
アブソルは机に広げていたメモをまとめ、上着の内ポケットへ押し込んだ。
「シノ、準備できた?」
「うん」
今日は二人で街へ出ることになっていた。アブソルが探している部品を見に行くついでに、店長から頼まれた届け物も済ませる。
志乃が身につけているのは、白を基調にした、ケープ風の外套だった。肩から背へ緩やかに広がる生地は、任務で使う黒いケープよりずっと軽い。襟元には小さな徽章が一つ留めてあった。端正な仕立てに軍装の名残はあるものの、戦場で見せる姿とは、まるで別人のようだった。
両眼を覆う黒い帯だけは、いつもと同じだ。
アブソルは紺の外出着だった。身体に合った上着の、襟や肩の線に、軍人らしいきっちりとした仕立てが残っている。こちらにも控えめな徽章がついていた。
並べば、色は違っても、どこか揃いのように見える。もっとも、アブソル本人は姿見の前で襟を整え、満足そうに頷いただけだった。
「よし。これなら一日歩き回れるね!」
一階では、店長がカウンターで帳簿をつけていた。
「おう、出かけるのか」
「うん! 昨日話した部品、探してくる!」
「だったら、ついでにこいつを頼めるか」
店長はカウンターの下から、厚紙で包んで紐を掛けた小さな包みを取り出した。
「駅の向こうの武器店、分かるだろ。先日頼まれてた交換部品だ」
「ああ、あそこね! 了解!」
アブソルが包みを受け取ると、店長は志乃へ顔を向けた。
「シノも、すまんな。こいつの買い物に付き合わせちまって」
「いえ。私も、少し街を歩きたかったので」
「そうか。……ただし、アブソル」
「なに?」
「余計なもんまで買い込んでくるんじゃないぞ」
「えー! まだ何も買ってないじゃん!」
「いつもそう言ってるだろうが。……シノ、頼んだぞ」
「……はい」
「ちょっと、シノまで!」
志乃は答えなかった。帯の下で、口元だけがわずかに緩んだ。
「……行ってきます」
「おう、気をつけてな」
「いってきまーす!」
入口のベルが鳴り、二人は並んで通りへ出ていった。
## Scene 02 ―― 駅前の武器店
昼前の日差しが、石造りの建物の壁を白く照らしていた。
開け放した窓から、店主たちの呼び声がこぼれてくる。荷馬車が石畳を鳴らし、道端では子供たちが輪になって何かを蹴っていた。
「……いい天気だねえ」
アブソルが空を仰いだ。
「こういう日は、どこか遠くまで行きたくなるよね」
「……部品を探すんじゃなかったの?」
「あ、そうだった!」
アブソルは笑い、志乃の隣へ並び直した。
「ねえ、こうして二人で出かけるの、久しぶりじゃない?」
志乃は少し考えた。
「……そうかもしれないね」
「でしょ? いつも任務ばっかりだったもんね」
角を曲がったところで、向かいから兵士が二人歩いてきた。港の駐屯地の顔だった。二人は歩調を緩め、慣れた調子で会釈した。
「少佐、大尉。お出かけですか」
「うん、買い物! 今日は非番だから、敬礼はなしでね」
「了解です」
笑って通り過ぎる兵士たちへ、志乃は足音の方へ顔を向けて、小さく頭を下げた。
「……すっかり顔を覚えられちゃったね」
「何年もいるからね」
「そっか。もう、そんなになるんだ」
アブソルは少しだけ空を見上げ、それから弾むような足取りで先へ出た。
―――
駅へ続く通りに、古い武器店があった。
入口の上の看板は、長い年月の雨風で木目が浮き上がっている。店内には軍用から狩猟用まで、さまざまな銃と装備が並んでいた。
「こんにちはー!」
「おう、いらっしゃい!」
奥の作業台から、白髪交じりの男が顔を上げた。
「なんだ、アブソルじゃないか!」
「久しぶり! 店長から届け物だよ」
アブソルが包みをカウンターに置くと、男の顔がほころんだ。
「おお、もう届いたか! 助かるよ。こっちは在庫が切れちまっててな」
紐を解きかけたところで、男はアブソルの後ろに気づいた。
「……おっ? シノも一緒か!」
「……こんにちは」
「元気にしてたか? この前、女将さんと市場を歩いてたって聞いたぞ。みんな、お前さんが帰ってきて喜んでたよ」
「……ありがとうございます」
男は目を細め、それから二人を見比べた。
「それにしても珍しいな。部品探しなら、いつもアブソル一人で来るだろう」
「今日はシノも暇だったから、付き合ってもらってるの!」
「なるほどなあ。大変だな、シノ。こいつの買い物は長いだろう?」
「……ええ」
「ちょっと、シノ!?」
志乃は顔色一つ変えずに続けた。
「以前、留め具を一つ買うのに、半日掛かったことがあります」
「はっはっは! そうだろう、そうだろう!」
「もー! 二人してひどい!」
頬を膨らませたアブソルの声は、それでも楽しそうだった。男は受け取りの伝票に記入して、アブソルへ渡した。
「ほら、確かに受け取った。また何かあったら寄ってくれ」
「うん!」
「……失礼します」
ベルが鳴り、二人は店を後にした。
## Scene 03 ―― 一通の電報
その頃、武器商店では、店長が昼前の帳簿整理を終えようとしていた。
「……よし、これでいいな」
ペンを置き、椅子の背にもたれる。アブソルがいないと、倉庫から聞こえる賑やかな声もない。店の中では、壁の時計の音が妙に大きかった。
入口のベルが鳴った。
「いらっしゃい!」
入ってきたのは、革鈎を肩から下げた配達員だった。
「失礼します。電報のお届けです。こちらのお店宛てに」
差し出された封筒の宛名を、店長は一つずつ読んだ。
柊志乃少佐。アブソル・R・クルス大尉。
それから、差出人の名。
アドルフ。
「……ああ」
店長は小さく頷いた。
「二人とも、今は出かけていてな。俺が預かっておこう」
「では、受領の署名をお願いします」
用紙に名前を書き、配達員を送り出す。ベルの音が消えると、店にはまた時計の音だけが戻ってきた。
店長は手元の封筒に目を落とした。
この名前から電報が届くのは、もう何度目になるか分からなかった。二人がここで暮らし始めてから、同じことを何年も繰り返してきた。電報が届き、ほどなく二人が店を離れる。数日で戻ることもあれば、何週間も帰らないこともある。そしてある日、何でもない顔をして、またあの屋上へ降りてくるのだ。
最初の頃は、この封筒を見るだけで落ち着かなかった。今は、二人が発つまでに自分が何をしておけばいいのかを知っている。
封は切られていない。中身は分からない。それでも、差出人と、二人揃った宛名を見れば、おおよその見当はついた。
「……二人揃って、か」
封筒をカウンターの引き出しへ収め、店長は椅子を立った。
倉庫の棚には、納品を待つ装備や交換部品が並んでいる。店長は帳簿を開き、弾薬を保管している区画へ向かった。用途と規格ごとに分けられた保管箱の表示を、帳簿と一つずつ照らし合わせていく。探しているのは、アブソルが普段使っている銃に合うものの記録だった。
「……こいつは足りそうだな。こっちは、少し心許ないか」
不足しそうな品目に、鉛筆で印をつける。
軍への派遣となれば、弾薬は配属先の補給計画に従って支給される。店の在庫を勝手に持ち出せるわけではない。それでも、何が要るのか、どこへ手配を頼めばいいのかを前もって掴んでおくことはできた。アブソルは自分の銃と弾に、人一倍こだわる。
「……あいつなら、まず弾の心配をするだろうな」
小さく笑って、店長は別の棚へ移った。装備を梱包する布、予備の革帯、留め具。傷みのないものを選んで、作業台に揃えていく。
「……シノの分も、見ておくか」
どこまで必要になるかは分からない。頼まれたわけでもない。ただ、出かける朝に、つまらないことで二人を困らせたくなかった。
「こんなところで、何をしているの?」
背後から声がした。振り返ると、倉庫の入口に女将が立っていた。
「ん? いや、ちょっとな」
女将の目が、作業台に揃えられた品と、店長の手元の帳簿へ移った。それだけで、彼女には分かったようだった。
「……いつもの人?」
「ああ。宛名は二人だ」
「……そう」
女将は、それ以上は訊かなかった。作業台の上の革帯を一本取り上げ、留め具の具合を確かめてから、店長の揃えた列に戻す。
「今度は、長くなりそうかしら」
「さあな。中身は見てない。二人が帰ってきてからだ」
「そうね」
倉庫の小さな窓から、通りの話し声が入ってくる。少しして、女将が言った。
「じゃあ、今夜は『電報の日』の献立ね」
電報が来た晩には、二人の好物を並べる。いつからか、女将がそう決めていた。店長は笑って頷いた。
「そうしてやってくれ」
女将が店の奥へ戻っていく。店長は揃えた品を棚へ戻し、品目を書き留めた紙だけを帳簿に挟んだ。
それから、何事もなかったように店先へ戻った。窓の外では、人が行き交っている。何も変わらない、昼下がりの港町だった。
## Scene 04 ―― 金物店と飴
港に近い商店街で、アブソルは通りの角に足を止めた。
「……こっちだったかな。前に来たことあるんだけど、確かこの辺りだったはずなんだよね」
志乃は、少しだけ顔を上げた。
行き交う足音。通り沿いに並ぶ建物の形。その少し先、路地の奥から、金属を叩く硬い音が規則正しく響いてくる。
「……あっちじゃないかな」
「ん?」
「路地の奥から、作業の音がする」
アブソルが目を凝らした。
「……あっ、あそこだ!」
細い路地の先に、小さな金物店があった。店先に工具や金具が吊るされ、奥からは機械の唸りが聞こえてくる。
「そうそう、ここ! よく分かったね!」
「音がしたからね」
「便利だなあ」
「……そうかな」
「そうだよ!」
アブソルは嬉しそうに、もう店の中へ入っていた。
「すみませーん! ちょっと特殊な留め具を探してるんだけど」
奥から顔を出した店員に、アブソルは内ポケットのメモを差し出した。
「こういう形のもの、あるかな」
「……ああ、なるほど。似たようなものなら、あったと思いますよ。寸法が合うかは分かりませんが」
店員が棚の奥から小箱を持ってくる。中には、細かな金属部品がいくつも収められていた。
「……おお!」
アブソルの目が輝いた。一つを摘まみ上げ、持参した部品と並べて、光にかざす。
「……どう?」
隣から志乃が尋ねた。
「形はいいんだけど、少し違うんだよね。使えなくはないと思う。でも、秋水に組み込むなら、もうちょっと確かめたいかな」
アブソルは部品を、そっと志乃の手のひらに載せた。志乃はそれを指先で転がし、縁の角をたどる。
「……確かに、ここが少し厚いね」
「でしょ? これ、いくつか買ってもいい?」
「ええ、もちろん」
店員が頷き、アブソルは嬉しそうに笑った。
志乃は手のひらの部品を返しながら、言った。
「……ずいぶん楽しそうだね」
「え?」
「部品を探しているときは、特に」
アブソルは一瞬、目を丸くした。それから、にっと笑った。
「そりゃそうだよ! 探してたものが見つかると嬉しいじゃん。それに、これで秋水が少しでも良くなるかもしれないんだから!」
「……うん」
志乃は小さく頷いた。
「頼りにしているよ」
アブソルの手が止まった。
「……もう、またそういうこと言う!」
「……?」
「何でもない! すみません、これお願いします!」
―――
買い物を済ませる頃には、昼を少し過ぎていた。
「よかったー! 見つかって!」
アブソルは小さな紙袋を、大事そうに胸の前で抱えていた。
「……まだ試してないよね?」
「それはそうだけど! まずは手に入れないと始まらないじゃん!」
「……確かにね」
商店街には、昼食を求める人が行き交っている。パン屋の前を過ぎたところで、アブソルの足が急に止まった。
「シノ、ちょっと待って!」
駆け寄った先は、小さな菓子店だった。店先にガラス瓶がいくつも並び、色とりどりのドロップが詰まっている。
「フルーツドロップ、少しください! えーっと、レモンと……苺もある?」
「あるわよ」
小さな紙袋を受け取ると、アブソルはさっそく一粒ずつ摘まみ出した。
「はい、シノ。苺とレモン、どっちがいい?」
「……苺を」
志乃の手のひらに、小さな粒が一つ載せられた。アブソルは残ったレモンを、自分の口に放り込む。
「……んー、おいしい!」
志乃も飴を口に含んだ。
「……甘いね」
「飴だもん!」
―――
港へ続く大通りを、二人は飴を転がしながら、ゆっくり歩いた。
軍用車両が通り過ぎると、道端の人々が少し脇へ寄る。遠くの埠頭では、輸送船が出港の支度をしていた。
アブソルは飴を片頬に寄せた。
「ねえ、さっきの部品、帰ったら試してみてもいい?」
「構わないよ。……ただし」
「ん?」
「無理な改造はしないようにね」
アブソルが足を止めた。志乃は静かに続けた。
「前にも、そう言ってたよね?」
次の瞬間、アブソルは吹き出した。
「あははっ! それ、私の台詞じゃん!」
笑いながら、志乃の肩を軽く叩く。
「シノも言うようになったねえ!」
志乃は答えなかった。口元に、かすかな笑みだけが残っていた。
しばらく、二人は黙って歩いた。港からの風が、白い外套の裾と、短い金髪を揺らしていく。
「……でもさ」
アブソルが、ぽつりと言った。
「こういうの、やっぱり好きだなあ」
「買い物のこと?」
「それもあるけど。こうして二人で歩いてるの。何か特別なことするわけじゃないんだけどね」
アブソルは前を向いたまま、笑った。
「なんか、いいじゃん」
志乃は、しばらく黙っていた。それから、静かに頷いた。
「……そうだね」
それだけだった。それで、アブソルには十分だった。
通りの先に、見慣れた武器商店の看板が見えてきた。
## Scene 05 ―― 二人宛ての電報
「ただいまー!」
ベルの音より先に、アブソルの声が店に飛び込んだ。
「おう、帰ったか」
「部品、見つかったよ! 届け物もちゃんと渡してきた!」
「そうか。ご苦労さん」
「……ただいま戻りました」
「おかえり、シノ」
店長はそう言って、カウンターの引き出しから封筒を取り出した。
「昼前に届いた。いつもの人からだ」
紙袋を掲げていたアブソルの腕が、ゆっくり下りた。
「……アドルフ?」
「二人宛てだ。中身は見てない」
名前を確かめる必要は、もうなかった。この店で「いつもの人」と言えば、一人しかいない。アブソルの表情から笑みが消えたわけではない。ただ、その下で何かが一段、姿勢を正したようだった。
「……ありがとうございます」
アブソルが封筒を受け取った。
「開けるよ、シノ」
「うん。お願いするね」
紙に書かれた文字は、志乃には読めない。だから、電報を読み上げるのは昔からアブソルの役目だった。
封を切り、電報用紙を取り出す。目を落としたところで、アブソルの手が止まった。
「……アブソル?」
「うん。ちょっと待ってね」
もう一度、最初から目で追い直す。それから、ゆっくりと読み上げた。
「……第501統合戦闘航空団、だって」
店の中が静かになった。
「関係各所との調整が終わって、私たち二人の派遣が決まったって。正式な命令書は後から届く。合流先と時期も、追って連絡する。……それから、現地での作戦指揮は、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐の下に入ることになるって」
「……分かった」
志乃は小さく頷いた。
「アドルフらしい書き方だね」
「うん。必要なことしか書いてない」
第501統合戦闘航空団。その名は、もちろん知っていた。各国から精鋭のウィッチを集めた、連合軍の統合戦闘航空団。そして、つい先日エーゲ海で共に飛んだシャーリーとルッキーニが、かつて所属していた部隊でもある。
「……501か」
志乃が小さく呟くと、アブソルが顔を上げた。
「何か知ってるの?」
「先日の作戦で、一緒に飛んだ人がいるよ」
「あっ、そうなんだ! じゃあ、知り合いがいるかもしれないんだね!」
アブソルの声が、少し明るくなった。
「よかった。知らない人ばっかりより、ちょっと安心するよね」
「……そうだね」
店長は、二人のやり取りを黙って聞いていた。それから、帳簿に挟んでいた紙を一枚抜き出した。
「で、いつ発つ」
「正式な命令書が来てからだって。まだ先みたい」
「そうか。なら、それまでにこいつを片づけとけ」
カウンターに置かれた紙には、弾薬の規格と数量が、店長の癖のある字で並んでいた。アブソルはそれを覗き込み、思わず笑った。
「……もう調べてあるし」
「いつものことだろうが。足りなそうなのに印を付けといた。何が要るか決まったら、軍の担当に回しておく」
「了解。今回は少し多めに見とく。長くなりそうだから」
「シノも、梱包の布と革帯は出してある。足りないもんがあったら言え」
「……はい。いつもありがとうございます」
「礼はいい。部屋はいつもどおり、そのままにしとく」
「うん。いつもどおりね」
アブソルの返事は軽かった。何度も交わしてきた言葉だった。出かける前に、部屋をそのままにしておくこと。帰ってきたら、何でもない顔で「ただいま」と言うこと。この店で、それを約束と呼んだ者はいない。それでも、二人はいつも、そのとおりに帰ってきた。
店長は鼻を鳴らし、それから、アブソルが胸に抱えた紙袋へ目をやった。
「それより、お前。結局何を買ってきたんだ?」
「あっ、そうだった! 見て見て、これ!」
紙袋の口が開き、小さな金具がカウンターに転がり出る。
「……また細かいもんを買ってきたな」
「秋水に使えそうなんだよ!」
「ちゃんと試してから使えよ」
「分かってるって!」
いつもの賑やかな声が、店に戻ってきた。
志乃はそれを聞きながら、手の中の電報を指先でなぞった。紙の手触りは、ほかの紙と何も変わらない。そこに何が書かれているのかは、さっきアブソルの声で聞いたとおりだった。
「……アブソル」
「ん?」
「出発する前に、秋水を仕上げておきたい」
アブソルは志乃の方を見て、それから力強く頷いた。
「任せて。今度は、私も一緒に飛ぶんだから!」
「……うん」
少し間を置いて、志乃は続けた。
「頼りにしているよ」
今度は、アブソルの手は止まらなかった。
「……うん! もちろん!」
## Scene 06 ―― いつもの灯り
夕暮れの港町に、仕事を終えた人の姿が増え始めていた。
一階では店長が閉店の支度をしている。奥からは、女将が何かを炒める音と、いつもより多い鍋の音が聞こえてきた。
二階のアブソルの部屋では、机に買ってきた部品が並べられていた。アブソルは図面と見比べながら、ときどき部品を志乃の手へ渡す。
「……ねえ、シノ。501って、どんなところなんだろうね」
「……さあ、どうだろうね。詳しいことは、まだ聞いていないから」
「そっかあ。どんな人がいるのかなあ」
志乃は、手の中の部品を転がした。
「……賑やかそうではある」
「え?」
「以前会った二人は、ずいぶん賑やかだったからね」
「あははっ! じゃあ、きっと楽しいところなんだろうね!」
志乃は答えず、ただ静かに頷いた。
机の端には、昼までなかった一通の電報が置かれている。
窓の外で、汽笛が鳴った。
「シノちゃーん! アブソルちゃーん! 夕飯よー!」
階下から上がってきた声に、アブソルが図面から顔を上げた。
「はーい!」
―――
バーの奥のテーブルには、もう皿が並んでいた。
「……あ」
席に着いたアブソルが、小さく声を漏らした。
香ばしく焼けた肉に、厚く切ったパン。煮込みの鍋の隣には、果物を載せた小さな焼き菓子まである。
「これ……」
「ええ。今夜はこれよ」
女将はそれだけ言って、皿をもう一枚置いた。
アブソルは何か言いかけて、やめた。それから、いつもの調子で笑った。
「……店長、もう喋ったでしょ」
「喋っとらん。封筒を見せただけだ」
カウンターの向こうで、店長がグラスを拭きながら答えた。
志乃は席に着いたまま、テーブルの上へ顔を向けていた。皿の数と、並んだ器の形。煮込みと、焼けた肉の匂い。電報が来た晩には、決まってこの献立が並ぶ。何度目の夜なのかは、もう数えていなかった。
「……いただきます」
志乃は、小さく手を合わせた。
「いただきまーす!」
アブソルの声が、それに重なった。
その夜も、武器商店とバーには、いつもの灯りがともっていた。
(第03話 終)