ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ―   作:r3ir3i

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## Scene 01 ―― 出発の朝

 

出発の朝は、いつもより少しだけ早く始まった。

 

港の汽笛が、まだ静かな町に響いていた。パン屋の煙突から細い煙が上がり、港へ向かう荷馬車がゆっくりと石畳を進んでいく。

 

「アブソルー! そっちの荷物はもういいのか?」

 

一階から、店長の声が上がった。

 

「はーい! 今行く!」

 

階段を駆け下りてきたアブソルは、両手に旅行鞄を提げていた。今朝は外出着ではなく、黒い軍服に、片方の肩だけを覆う短いケープ。肩につかない長さの金髪が、足取りに合わせて揺れている。

 

「よいしょっと! これで全部!」

 

「……本当か?」

 

「本当だって!」

 

「工具も、替えの部品も?」

 

「大きいのは全部、軍の輸送に預けたよ」

 

「向こうへ着いてから、あれを忘れた、これを忘れたと言い出すんじゃないぞ」

 

「毎回それ言うよね!」

 

「毎回言わせるからだ」

 

階段から、もう一つ足音が下りてきた。

 

「……おはようございます」

 

志乃も、黒い軍服に身を包んでいた。肩から身体を覆う長いケープ。袖口は手元を隠すほど深く、その内側に二振りの黒刀が収められている。腰の後ろには、古い拳銃のホルスター。そして、両眼を覆う黒い帯。任務に出るときの、いつもの志乃だった。

 

「おう、シノ。おはよう」

 

「おはよ、シノ!」

 

「……おはよう、アブソル」

 

志乃は、床に置かれた鞄の方へ顔を向けた。

 

「……ずいぶん多いね」

 

「これでも減らしたんだよ! シノの荷物が少なすぎるの!」

 

「必要なものは揃ってるよ」

 

「それは知ってるけどさあ……」

 

店長が壁の時計に目をやった。

 

「さて、そろそろ出ないとな」

 

「ちょっと待ってね!」

 

店の奥から、女将が出てきた。布で包んだ小さな籠を抱えている。

 

「はい、これ。列車の中で食べられるように、サンドイッチを作っておいたの」

 

「えっ、本当!? やったあ! ありがとう、女将さん!」

 

「シノちゃんの分も、ちゃんと入っているからね」

 

「……ありがとうございます。朝早くから、すみません」

 

「あら、いつもお買い物を手伝ってくれるお礼よ」

 

「それは、私が好きでしていることですから」

 

「ふふっ。そうだったわね」

 

女将は嬉しそうに頷いた。

 

「じゃあ、帰ってきたらまた一緒に行きましょう。約束よ、シノちゃん」

 

「……はい。楽しみにしています」

 

## Scene 02 ―― 駅へ

 

朝の通りを、四人で歩いた。

 

店長が手押し車に鞄を載せ、アブソルと並んで先を行く。少し後ろに、志乃と女将。港からの風が、二人の黒いケープを揺らしていた。

 

「あら、シノちゃん!」

 

店先に木箱を並べていた果物屋の女性が、手を止めた。

 

「おはようございます」

 

「今日はずいぶん早いのねえ」

 

「この子たち、今日からまたお仕事なのよ」

 

女将が答えると、女性は一度だけ言葉を切った。それから、すぐにいつもの声に戻った。

 

「そう。じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい! 帰ってきたら寄ってちょうだいね。いいリンゴ、選んでもらわなきゃいけないんだから」

 

志乃の口元が緩んだ。

 

「……はい。そのときは」

 

少し先では、魚屋の店主が開店の支度をしていた。

 

「おう! シノ! アブソル! なんだ、また出かけるのか!」

 

「うん! 今度は大陸の方まで!」

 

「そうかそうか! しっかりやってこいよ! ピアノはまだ聴きに行ってねえんだからな!」

 

「……行ってまいります」

 

「おう、元気でな!」

 

その声を背中に受けながら、四人は通りを進んだ。

 

「毎回これだよね」

 

アブソルが笑った。

 

「出かけるたびに、町じゅうに見送られてる気がする」

 

「当たり前だろう。何年こうしてると思ってる」

 

店長が言った。

 

任務のために町を離れ、また帰ってくる。二人にとっても、この町にとっても、何度も繰り返してきたことだった。それでも、出かけるたびに誰かが声を掛け、帰るたびに誰かが待っている。それが、二人には嬉しかった。

 

―――

 

駅のホームでは、長い客車を連ねた機関車が白い蒸気を吐いていた。

 

軍服の兵士や、大きな鞄を抱えた旅行者たちが行き交っている。駅員の呼び声。貨物を積み込む音。蒸気の噴き出す音。

 

「……よし。ここでいいな」

 

店長が手押し車を止め、アブソルが鞄を受け取った。

 

「大きな装備は、全部向こうへ送ったんだったな」

 

「そうそう。秋水も、私のストライカーもね」

 

「受領書の控えは?」

 

「持った!」

 

「弾薬と銃器の書類は?」

 

「それも!」

 

「なら、大丈夫だな」

 

店長が頷く。その隣で、志乃が静かに口を開いた。

 

「……店長。色々と、お世話になりました」

 

店長は一瞬、目を丸くした。それから、笑った。

 

「なんだ、今生の別れみたいなことを言って」

 

「……そういうつもりでは」

 

「分かってるよ」

 

店長は志乃の肩を軽く叩いた。

 

「いつもどおりだ。また帰ってくればいい。向こうで困ったことがあったら連絡しろ。軍の補給を通す必要はあるだろうが、こっちで手配できるものなら手伝ってやる」

 

「うん! 頼りにしてる!」

 

アブソルが答えた。

 

女将は、志乃の前に立った。

 

「シノちゃん。身体には気をつけてね。無理をしすぎちゃだめよ」

 

志乃は少しだけ黙った。

 

「……気をつけます」

 

「ふふっ。そうしてちょうだい」

 

女将が、志乃の手を取った。温かい手だった。

 

「帰ってきたら、また美味しいものを作ってあげるからね」

 

志乃は、その手をそっと握り返した。

 

「……楽しみにしています」

 

「もちろん、アブソルちゃんの分もあるわよ。何が食べたいか、今から考えておいてね」

 

「えー! 迷っちゃうなあ!」

 

「お前はもう、帰ってきたときの飯の心配か」

 

「だって、女将さんの料理だよ?」

 

「はっはっは! まあ、それもそうだな」

 

発車を知らせる鐘が鳴った。

 

二人は鞄を持ち上げ、店長と女将へ向き直った。

 

「……行ってまいります」

 

「いってきまーす!」

 

「おう。行ってこい!」

 

「行ってらっしゃい、二人とも」

 

客車に乗り込むと、機関車が長い汽笛を鳴らした。車輪が、ゆっくりと回り始める。

 

「店長ー! 女将さーん!」

 

窓から身を乗り出して、アブソルが手を振った。ホームの二人も、手を上げている。

 

「気をつけてねー!」

 

女将の声が届いた。

 

「……はい」

 

志乃は小さく答えた。その声はきっと、ホームまでは届かなかった。それでも、窓の方へ向かって頭を下げた。

 

列車が速度を上げていく。二人の声が遠ざかり、やがてホームそのものが後ろへ流れていった。

 

アブソルは窓から身を引き、座席に腰を下ろした。

 

「……行っちゃったね」

 

「うん」

 

窓の外を、町の屋根が遠ざかっていく。石造りの家並み。港へ下る通り。何年も暮らしてきた町。

 

「……また帰ってこようね」

 

「もちろん」

 

## Scene 03 ―― 列車と海峡

 

列車は、ブリタニアの田園を走っていた。

 

線路の継ぎ目を越えるたび、規則正しい振動が座席の下から伝わってくる。

 

「……いい景色! 畑がずーっと向こうまで続いてるよ。あ、羊もいる。結構たくさん!」

 

窓に額を寄せたまま、アブソルが言った。昔から、志乃と出かけるときにはこうして景色を口に出す。志乃が頼んだわけではない。いつの間にか、そうなっていた。

 

「楽しそうだね」

 

「そりゃあ、こんなにいい天気なんだもん。それに、こうしてのんびり列車に乗るのも久しぶりだし。いつも空を飛んでばっかりだったからさ」

 

窓の向こうの色を、志乃は知らない。けれど、アブソルが何を眺めて、何を楽しんでいるのかは、その声だけで十分に伝わってきた。

 

「ねえ、帰りも列車だったらいいね。荷物も多いし!」

 

「……帰りには、減っているかもしれないね」

 

「え?」

 

「全部使い切っていたら、少なくなるでしょう」

 

アブソルが目を丸くした。

 

「使い切る前提なの!?」

 

「……前提ではないよ」

 

「その言い方、ちょっと本気っぽいんだけど!」

 

アブソルが笑い出し、志乃も小さく笑った。

 

向かいの座席の老婦人が、手元の本から顔を上げた。

 

「まあ、仲がいいのねえ」

 

「えへへ。昔から一緒なんです!」

 

「お二人とも、軍の方?」

 

「はい!」

 

「そう。大変ねえ」

 

老婦人は、二人の黒い軍服を見て、目を細めた。

 

「どうか、気をつけてね」

 

「ありがとうございます!」

 

「……お気遣い、ありがとうございます」

 

老婦人は満足そうに微笑んで、また本に目を落とした。

 

―――

 

昼が近づいた頃、アブソルが籠を膝に載せた。

 

「女将さんのお昼ご飯! そろそろ食べてもいいよね?」

 

「……もう、お昼?」

 

「もうちょっとでね!」

 

布をほどくと、紙で丁寧に包んだサンドイッチが並んでいた。

 

「えーっと、卵と……こっちはお肉だ。シノはどっちにする?」

 

「卵をもらおうかな」

 

「はい!」

 

渡された包みを、志乃は膝の上で開いた。柔らかいパンに、ほどよい塩気。食べ慣れた味だった。

 

「……美味しいね」

 

「でしょ! 帰ったら、お礼言わなきゃね」

 

「うん。きっと、また遠慮するだろうけど」

 

「『いいのよ、シノちゃん』って?」

 

アブソルが女将の口調を真似ると、志乃の口元が緩んだ。

 

「……そうだろうね」

 

窓の外を、緑の丘がゆっくりと流れていく。二人はサンドイッチを食べながら、しばらく他愛のない話をした。戦争のことも、次の任務のことも、今だけは口にしなかった。

 

―――

 

午後、列車は海峡沿いの港に着いた。

 

岸壁には、軍の輸送船、物資を積んだ貨物船、それから海峡を渡る連絡船が並んでいる。兵士たちが積み荷の確認に追われ、輸送担当の士官が名簿を手に行き来していた。

 

「クルス大尉、柊少佐ですね」

 

声を掛けてきた士官が、名簿の二人の名に印を付けた。

 

「輸送手配は完了しています。ストライカーユニットと装備品については、別途、貨物の受領記録をお渡しします」

 

「こちら、出発地の控えです」

 

アブソルが差し出した書類に、士官は目を通した。

 

「……試製秋水と、モスキート系の機体ですね。こちらの記録と一致しています。現地での引き渡しは、ベルギカ側の担当者からご案内します」

 

「よかった……」

 

アブソルは、ほっと息を吐いた。

 

「問題なさそう?」

 

「今のところはね。でも、向こうで現物を見るまでは安心できないかな」

 

―――

 

連絡船は、穏やかな波を越えて大陸へ向かっていた。

 

甲板には海風が吹きつけ、遠くを護衛の艦艇が並んで進んでいる。手すりの近くで、アブソルが大きく伸びをした。

 

「……うーん! 気持ちいい!」

 

志乃の長いケープが、風を受けて膨らんでいた。

 

「寒くない?」

 

「全然! シノは?」

 

「私も大丈夫だよ」

 

アブソルは海の方へ目を戻した。

 

「なんか、不思議だね。いつもは空を飛んでるでしょ? こうして下から空を見上げるの、新鮮だなあって」

 

「……なるほど」

 

しばらくして、志乃が口を開いた。

 

「……ベルギカも、復興が進んでいるのかな」

 

「どうだろう。まだ大変なところも多いんじゃないかな」

 

「……そうだね」

 

昨夜、二人で屋上から聞いた港町の音。四年前の、瓦礫に埋もれていた通り。それを一つずつ片づけ、造り直してきた人々。

 

「向こうも、あの町みたいに元気になってくれたらいいね」

 

「……うん」

 

波の音が続いた。

 

「……ところでさ。501に着いたら、まず何しようか?」

 

「着任の挨拶だよ」

 

「そりゃそうだけど! その後だよ!」

 

「……機体の確認?」

 

「そう! それ!」

 

「分かってたよ」

 

「ほんと、シノには隠せないなあ」

 

船は、夕暮れの海峡を渡っていった。

 

―――

 

翌朝、二人を乗せた列車は、ベルギカの田園を走っていた。

 

窓の外には煉瓦造りの家並みと、広い農地が続いている。ところどころに、戦争の傷が残っていた。屋根の一部が失われた家。修理の途中で止まった橋。窓を板で塞いだ建物。

 

「……こっちも、だいぶ復興してるみたい」

 

窓の外を見ていたアブソルが言った。

 

「まだ壊れた建物もあるけど、お店も開いてるし、人もたくさん歩いてるよ」

 

「それなら、よかった」

 

列車が速度を落とし始めた。志乃は立ち上がって、ケープの裾を整えた。

 

「忘れ物は?」

 

「大丈夫! 今回はちゃんと確認したよ!」

 

「……そっか」

 

「その言い方、信用してないでしょ!」

 

「そんなことはないよ」

 

## Scene 04 ―― サン・トロン

 

駅のホームに降りると、一人の兵士が近づいてきた。

 

「柊志乃少佐、アブソル・R・クルス大尉でいらっしゃいますか。第501統合戦闘航空団より、お迎えに参りました」

 

「ご苦労さまです」

 

志乃が敬礼を返し、アブソルも続いた。

 

「手荷物は大丈夫です。その代わり、輸送してもらった装備のことを確認したいんですけど」

 

「ストライカーユニット二機を含む貨物は、基地への移送が進んでおります。現地で担当者からご説明します」

 

駅前で待っていた車両に乗り込み、しばらく揺られた先に、サン・トロン基地の正門があった。

 

広い敷地に、格納庫と整備施設、兵舎が並んでいる。滑走路の方からはエンジン音が響き、地上員たちが機材を運んでいた。

 

「……へえ! 結構広いね。格納庫も大きいし、整備する場所もちゃんとありそう。秋水も、ゆっくり点検できそうだね」

 

窓に顔を寄せたまま、アブソルが言った。

 

車両は、司令部として使われている建物の前で停まった。降りた志乃は、建物の方へ顔を向けた。入口へ続く階段の段数。扉の位置。その周りを行き交う人の数。初めて来る場所の形が、少しずつ志乃の中に描かれていった。

 

「……行こうか」

 

「うん!」

 

―――

 

「こちらで少々お待ちください。司令官へ到着を報告してまいります」

 

案内の兵士が去ると、廊下には静けさが戻った。窓の向こうで、格納庫へ出入りする車両の音がしている。

 

「……ねえ、シノ」

 

アブソルが声を落とした。

 

「ちょっと緊張してきた」

 

「珍しいね。いつもは、あまり気にしないのに」

 

「まあ、そうなんだけど。新しい部隊だし、ここで暮らすことになるし」

 

志乃は少し考えた。

 

「いつもどおりでいいと思うよ」

 

アブソルは一瞬黙り、それから笑った。

 

「……うん!」

 

廊下の向こうから、複数の足音が近づいてきた。

 

「……あら? もしかして、あなたたちが」

 

落ち着いた女性の声だった。

 

三人のウィッチが立っていた。先頭に、軍服をきちんと着こなした女性。その隣に、背筋を伸ばした生真面目そうなウィッチ。そして二人の後ろを、どこか気の抜けた足取りで歩いてくる金髪の少女。

 

「あっ! ミーナ、この二人じゃない?」

 

少女が声を上げた。

 

志乃は声の方へ向き直った。三人の立ち位置と背丈を捉え、先頭の一人へ正面を合わせて、背筋を伸ばす。アブソルも隣に並んだ。

 

「柊志乃少佐です。このたび、第501統合戦闘航空団への派遣を命じられ、着任いたしました」

 

「アブソル・R・クルス大尉です! よろしくお願いします!」

 

先頭の女性は、二人の姿を確かめた。両眼を覆う黒い帯。手元まで隠れる長い袖の黒いケープ。その隣の、短い金髪と、片方の肩だけを覆うケープ。資料で読んだとおりの二人だった。

 

ただ、資料には書かれていないこともあった。名乗る前から、帯を巻いた顔が、まっすぐに自分の方を向いていたことだ。

 

「初めまして。第501統合戦闘航空団、隊長のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケです。長旅、お疲れさまでした」

 

「よろしくお願いいたします、ヴィルケ中佐」

 

隣の女性が、一歩前に出た。

 

「ゲルトルート・バルクホルン少佐だ。よろしく頼む」

 

「よろしくお願いいたします」

 

志乃の顔が、声に合わせてバルクホルンの方へ移った。迷いのない動きだった。バルクホルンはそれを見届けてから、志乃の装いへ目を移した。資料には、二振りの刀を使うと書いてあった。だが、腰にも背中にも、それらしいものは見当たらない。

 

わずかに眉が寄った。それに気づいたのか、後ろの少女がひょいと顔を覗かせた。

 

「ねえねえ!」

 

「エーリカ。まずは名乗れ」

 

「あ、そうだった。エーリカ・ハルトマン中尉。よろしくね!」

 

「よろしく、ハルトマン中尉!」

 

アブソルが気さくに返すと、ハルトマンは二人を見比べ、それから志乃の方へ身を乗り出した。

 

「ねえ、柊少佐。本当に刀を二本使うの?」

 

「ええ」

 

「どこに持ってるの?」

 

「エーリカ!」

 

バルクホルンの声が飛んだ。

 

「着いたばかりの人間に、いきなり何を聞いている!」

 

「えー、だって気になるじゃん!」

 

「少しは順序というものを考えろ!」

 

「はいはい」

 

そのやり取りに、アブソルが思わず吹き出した。

 

「……何か?」

 

バルクホルンが振り返る。

 

「あっ、いえ! なんだか、うちの店長と私みたいだなあって」

 

「……店長?」

 

「ね、シノ?」

 

志乃は少し考えて、頷いた。

 

「……そうだね。賑やかな人たちだね」

 

バルクホルンが目を丸くした。ハルトマンは一瞬きょとんとしてから、声を上げて笑い出した。

 

「あははっ! 面白い人たち!」

 

「エーリカ!」

 

ミーナも、こらえきれずに小さく笑った。

 

「ふふっ。もう、二人とも」

 

それから、改めて二人に向き直る。その声には、さっきまでの柔らかさに、指揮官の落ち着きが重なっていた。

 

「まずは着任の手続きを済ませましょう。それから、基地をご案内しますね」

 

## Scene 05 ―― 基地の案内

 

司令室の大きな机には、書類が整然と並んでいた。壁には周辺の基地と連絡路を記した地図が掛かっている。

 

「どうぞ、掛けてください」

 

二人が腰を下ろすと、ミーナは一枚の書類を取り上げた。

 

「改めて、第501統合戦闘航空団への着任を歓迎します。指揮関係については説明を受けていると思いますが、確認させてね。第501での作戦行動中は、私の指揮に従っていただきます。訓練や通常の警戒任務についても同様です」

 

「承知しております。命令に従います」

 

「了解しました!」

 

ミーナは頷き、手元の資料に目を落とした。

 

「二人の戦闘記録には目を通しました。ずいぶん、色々な場所で戦ってきたのね。ブリタニアの防衛にも参加していたそうね」

 

「……はい」

 

「今の生活の拠点も、その頃から?」

 

「任務をきっかけに、あの町に滞在するようになりました」

 

「そうだったのね。私も、ブリタニアには色々と思い出があるわ」

 

その声に、懐かしむような響きが混じった。ミーナはそれ以上は言わず、資料の頁を移した。

 

「それから、装備のことです。柊少佐の試製秋水と、クルス大尉のモスキート型。どちらも、通常の補給や整備だけでは対応しにくい部分があるようですね」

 

「特に秋水は、まだ調整中のところが多いので。点検は私がやるつもりですけど、工具や交換部品の置き場所は相談させてください」

 

アブソルが答えると、ミーナは頷いた。

 

「整備担当とも話しておきましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

ぱっと明るくなったアブソルの顔に、ミーナが微笑んだ。

 

「機械が好きなのね」

 

「はい! 銃もストライカーも、大好きです!」

 

「頼もしいわね。……柊少佐、あなたの固有魔法についても確認したいことがあります。ただ、それは明日以降にしましょう。今日は長旅の後ですし、まずは休んでください」

 

「お気遣い、ありがとうございます」

 

少し間を置いて、志乃が続けた。

 

「……ヴィルケ中佐。一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」

 

「もちろん」

 

「今後、作戦資料などを確認する際、必要な内容を口頭でも説明していただけると助かります」

 

ミーナは、すぐに頷いた。

 

「ええ、もちろんよ。普段の資料についても、何か不便があったら遠慮なく言ってね」

 

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 

―――

 

司令室を出ると、廊下でバルクホルンとハルトマンが待っていた。

 

「終わったか」

 

「ええ。これから施設を案内するわ」

 

「なら、私も同行しよう」

 

「じゃあ、私も行く!」

 

「お前は暇なのか」

 

「今はね!」

 

「……まったく」

 

ミーナは笑いながら歩き出した。会議室、通信室、それから広い食堂。

 

「食事は、基本的にここで取ってもらいます。まだ再編の途中だけれど、これから隊員も増えるから」

 

「ご飯もおいしいよ!」

 

ハルトマンが言うと、アブソルが勢いよく振り返った。

 

「本当!?」

 

「うん!」

 

「それは楽しみ!」

 

二人が顔を見合わせて笑い、バルクホルンが息を吐いた。

 

「お前たちは、食べ物の話ばかりだな」

 

「トゥルーデだって食べるでしょ?」

 

「そういう問題ではない!」

 

志乃は、そのやり取りを少し後ろで聞いていた。

 

「……仲がいいんですね」

 

バルクホルンが振り返る。

 

「皆さん、ずいぶん親しいんだなと思って」

 

「そうそう、昔から一緒なんだよ!」

 

「エーリカ!」

 

「本当のことでしょ?」

 

「……それはそうだが」

 

バルクホルンは、少しだけ顔を背けた。

 

―――

 

格納庫の扉の向こうには、整備台と工具棚が並んでいた。壁際には部品の木箱が積まれ、作業員たちが忙しく行き来している。

 

「……わあ、すごい! 設備が整ってる! これなら秋水の整備もできそう!」

 

アブソルの目が輝いた。そこへ作業員の一人が近づいてくる。

 

「失礼します。柊少佐、クルス大尉。お預かりしていたストライカーユニットと装備品が到着しております。受領の確認をお願いできますか」

 

「もちろん!」

 

格納庫の奥に、札の付いた木箱がいくつも並んでいた。

 

「試製秋水一式、モスキート型ストライカー一式。装備品についても、記録上はすべて到着しています」

 

アブソルは受領表と札を一つずつ照らし合わせ、それから保護材に包まれた秋水の周りを一周した。

 

「外装は大丈夫そう。でも、接続部はちゃんと見たいかな。こういうのは最初が大事だからね」

 

「……お願いするね」

 

少し離れたところから、バルクホルンが秋水を眺めていた。

 

「……これが試製秋水か。ロケット式の推進機構を持つと書かれていたが」

 

「はい。通常の巡航に加えて、必要なときだけ高出力で運転します」

 

志乃が答えた。

 

「高出力時の負荷は?」

 

「大きいです。ですから、整備と運用には注意が必要になります」

 

「扱いが難しそうだな」

 

「ええ。ですが、私には合っています」

 

バルクホルンは志乃の方を見た。

 

「……なるほど」

 

それ以上は訊かなかった。実際の運用は、飛ぶところを見てから判断すればいい。そう考えている顔だった。

 

「あっ、こっちも届いてる!」

 

別の木箱の前で、アブソルが声を上げた。中には、長い銃器ケースが収まっている。留め具を外すと、大型の対物ライフルが姿を見せた。

 

「……大きいねえ。これ、何ミリ?」

 

覗き込んだハルトマンが訊いた。

 

「20ミリだよ! 装甲の厚いネウロイを相手にするときに役に立つんだ」

 

「対物射撃か」

 

バルクホルンも近づいてきた。

 

「中距離から遠距離の援護が中心です。シノが前に出るときは、後ろから支えることが多いですね。連続射撃が要るときは、別の銃に持ち替えます」

 

「状況によって使い分けているわけだな」

 

「はい!」

 

「なんだか面白そう!」

 

「今度、整備するときに見せてあげるね!」

 

「ほんと? やった!」

 

「……エーリカ。勝手に触るんじゃないぞ」

 

「分かってるって!」

 

「大丈夫ですよ。私も一緒に見ますから」

 

アブソルが言うと、バルクホルンは少しだけ表情を緩めた。

 

「……それなら、安心だな」

 

―――

 

装備の確認を終える頃には、午後もだいぶ回っていた。

 

「……よしっと! ひとまず全部揃ってる。でも秋水は、明日もう一回ちゃんと見るからね」

 

「分かってるよ」

 

「本当に?」

 

「もちろん」

 

「ならよし!」

 

二人のやり取りに、バルクホルンが小さく笑った。

 

「ずいぶん慣れているんだな」

 

「昔から一緒だからね! シノが何を考えてるか、なんとなく分かるときもあるし!」

 

志乃が、アブソルの方へ顔を向けた。

 

「……それは、困るね」

 

「なんで!?」

 

ハルトマンが吹き出した。

 

「あははっ! 面白い二人が来たね、ミーナ!」

 

ミーナも、小さく微笑んだ。

 

「……そうね」

 

## Scene 06 ―― 新しい部屋

 

宿舎の廊下で、ミーナが足を止めた。向かい合う二つの扉に、それぞれ部屋番号が付いている。

 

「お二人の部屋は、ここです。別々だけれど、すぐ近くにしておきました」

 

ブリタニアの店の二階と、同じ並びだった。

 

「ありがとうございます!」

 

アブソルが自分の部屋の扉を開けた。ベッドと机、衣装棚。窓から基地の一角が見える。

 

「結構広い! 机も大きいし、色々置けそう!」

 

「……色々?」

 

バルクホルンの眉が上がった。

 

「何を置くつもりだ」

 

「えーっと、工具とか、部品とか……」

 

「待て。ここは居室だぞ」

 

「分かってますよ! ちゃんと片づけますから!」

 

「トゥルーデ、私の部屋にもそれくらい言ってくれればいいのに」

 

「お前の部屋は、そもそも片づけろと言っているだろう!」

 

ハルトマンが楽しそうに笑い、ミーナが小さくため息をついた。その声にも、笑みが混じっていた。

 

―――

 

志乃は、向かいの扉を開けた。

 

ベッドと机。壁際の衣装棚。窓の下の小さな椅子。必要なものは揃っている。けれど、机の位置も、ベッドの向きも、窓までの距離も、ブリタニアの部屋とは違っていた。

 

志乃は壁沿いにゆっくりと歩き、部屋の形を一つずつ確かめていった。

 

「……どうかしら」

 

入口から、ミーナが尋ねた。

 

「問題ありません。ありがとうございます」

 

「慣れるまでは、何かと不便かもしれないけれど」

 

「少しずつ、覚えていきますので」

 

「無理はしないでね。夕食の時間になったら、呼びに来ます」

 

扉が閉まり、部屋は静かになった。

 

志乃は旅行鞄を机の横に置き、ケープを外した。両袖の内側から、二振りの黒刀を収納機構ごと取り外して、机の上へ横たえる。腰の後ろに手を回してホルスターを外し、古い拳銃をその隣に置いた。

 

小さな金属音がした。

 

そこで、志乃は手を止めた。

 

見慣れない部屋。聞き慣れない廊下の音。遠くで唸る航空機のエンジン。ブリタニアの店とは、何もかもが違う。

 

志乃は小さく息を吐いた。

 

「……悪くないね」

 

そう呟いて、荷物をほどき始めた。

 

―――

 

夕方の食堂では、長いテーブルの一角で、ミーナとバルクホルン、ハルトマンが食事を取っていた。

 

「お待たせしました!」

 

「……失礼します」

 

「どうぞ、座って」

 

テーブルには、肉と野菜の煮込みと、焼きたてのパンと、スープが並んでいた。

 

「いただきまーす! ……んんっ! おいしい!」

 

「ね! ここのご飯、結構いいんだよ!」

 

ハルトマンとアブソルが顔を見合わせて笑う。バルクホルンが息を吐いた。

 

「お前たちは、本当に食べることが好きだな。もう少し落ち着いて食べられんのか」

 

「あははっ! トゥルーデって、面倒見がいいんですね!」

 

「……トゥルーデ?」

 

バルクホルンの目が丸くなった。アブソルも、はっと口を押さえた。

 

「あっ、すみません! ハルトマン中尉がそう呼んでたから、つい!」

 

「いいじゃん! みんな呼んでるよ?」

 

「エーリカ!」

 

バルクホルンは呆れたように息を吐き、それからアブソルの方を向いた。

 

「……まあ、構わん。いちいち言い直すほどのことでもない」

 

アブソルは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。

 

「……ありがとう!」

 

「……ああ」

 

「ふふっ。すっかり打ち解けたみたいね。柊少佐も、遠慮しなくていいのよ」

 

「ありがとうございます。ただ、私はこのくらいが落ち着きますので」

 

「それなら、無理に賑やかにする必要はないわ」

 

志乃の口元が、かすかに緩んだ。

 

「ねえ、シノって呼んでもいい?」

 

ハルトマンが身を乗り出した。

 

「ええ。構いませんよ」

 

「やった! じゃあシノ、明日、飛ぶの?」

 

「……まだ、分かりません」

 

「明日はまず、機体の最終点検と能力の確認だろう。訓練の日程はその後だ」

 

バルクホルンが言うと、ハルトマンは口を尖らせた。

 

「えー、早く見たいのに」

 

「焦る必要はない。まずはこちらの体制に慣れてもらうことが先だ」

 

「そうね。明日は簡単な説明と確認をしましょう。……でも、今日はもう仕事の話はおしまい」

 

「あれ? ミーナがそんなこと言うなんて珍しいね」

 

「そうかしら?」

 

「うん! じゃあ、もう一杯スープもらってこようかな!」

 

「エーリカ! まだパンが残っているだろう!」

 

「後で食べるよー!」

 

「あっ、私も!」

 

「……お前もか」

 

アブソルとハルトマンが並んで鍋の方へ向かい、バルクホルンが頭を抱えた。ミーナと志乃は、小さく笑った。

 

## Scene 07 ―― 最初の夜

 

日が沈むと、基地の建物に明かりが入った。格納庫では、まだ整備員たちが作業を続けている。工具の音と、時折通り過ぎる車両のエンジン音。廊下を行き交う足音。

 

志乃は、自室の机に向かっていた。

 

荷物の整理は、もう終わっている。机の上には、拳銃とホルスター。その隣に、二振りの黒刀を収めた機構。机の端には、ブリタニアから持ってきた点字の本が一冊。

 

本を開き、指先で点字を辿る。数頁進んだところで、志乃は手を止めた。

 

廊下の向こうから、話し声が聞こえていた。少し低い、きびきびとした声と、それに答える明るい声。

 

「……賑やかだね」

 

扉が叩かれた。

 

「シノー? 入ってもいい?」

 

「うん」

 

アブソルが顔を覗かせた。

 

「まだ起きてたんだ」

 

「少し本を読んでたよ」

 

アブソルは部屋に入ってきて、ぐるりと見回した。

 

「もう片づいてる。なんか、もうシノの部屋って感じだね。物が少ないところとか」

 

「……アブソルの部屋は?」

 

「え?」

 

「片づいた?」

 

アブソルは一瞬、黙った。

 

「……まあ、だいたい!」

 

「そっか」

 

志乃は何も言わなかった。ただ、口元がわずかに緩んだ。

 

「……シノ。絶対、何か言おうとしてるでしょ」

 

「そんなことはないよ」

 

「ほんとかなあ」

 

アブソルは笑って、椅子を引いて腰を下ろした。

 

「……ねえ。今日、どうだった?」

 

志乃は少し考えた。

 

「……いい人たちだったね」

 

「でしょ! ミーナ中佐は優しそうだし、バルクホルン少佐は真面目だし、ハルトマン中尉は面白いし」

 

「ずいぶん気が合いそうだったね」

 

「えへへ、そうかな? それに、整備施設もよかったし!」

 

「……そこなんだ」

 

「そこも大事だよ! あれなら、秋水もちゃんと調整できそう」

 

アブソルは笑って、それから少しだけ声を落とした。

 

「……でもさ、不思議だよね。こうして新しいところに来るの。今までも色々な場所に行ったけど、任務が終わったら帰るってことが多かったでしょ? でも今回は、ここで暮らすんだよね」

 

「……そうなるね」

 

「自分の部屋があって、食堂があって、新しい人たちがいて。……なんか、変な感じ。でも、楽しみだなあ」

 

志乃は、その声を聞いていた。

 

アブソルは昔から、新しいものが好きだった。初めて触れる銃。初めて開ける機械。初めて訪れる町。面白いものがあれば、すぐに目を輝かせる。

 

志乃の方は、どこへ行っても、あまり変わらなかった。初めての場所でも、慣れない人々の中でも、静かに周りの形を確かめ、自分の役目を果たしてきた。

 

けれど。

 

「……私もだよ」

 

アブソルが顔を上げた。

 

「楽しみにしている。ここで、どんな人たちと一緒に飛ぶことになるのか」

 

アブソルは、少し驚いたように志乃を見た。それから、嬉しそうに笑った。

 

「……そっか! じゃあ、明日から頑張らないとね」

 

「そうだね」

 

窓の外で、夜の基地がいつもどおりに動いていた。

 

「よし、そろそろ寝よっか。おやすみ、シノ!」

 

「うん。おやすみ」

 

扉が閉まり、志乃は一人になった。

 

武器商店では、夜になると、店長と女将の話し声が階下から聞こえた。酒場が賑わう晩には客の笑い声が、そしてときどき、女将の弾く明るいピアノが上がってきた。

 

今は、そのどれも聞こえない。廊下を歩く足音と、遠くの整備の音。それから――

 

「もー! トゥルーデってば!」

 

「エーリカ! 明日は朝から予定があるんだぞ!」

 

廊下の向こうから、さっき聞いたばかりの声が響いてきた。

 

志乃は、思わず小さく笑った。

 

あの店とは違う。けれど、ここにも人の暮らしがあって、誰かを気に掛ける声がある。

 

志乃は本を閉じて、机の端に置いた。ベッドに腰を下ろす。

 

「……おやすみなさい」

 

誰に向けたわけでもない、小さな呟きだった。

 

(第05話 終)

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