ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ― 作:r3ir3i
## Scene 01 ―― 出発の朝
出発の朝は、いつもより少しだけ早く始まった。
港の汽笛が、まだ静かな町に響いていた。パン屋の煙突から細い煙が上がり、港へ向かう荷馬車がゆっくりと石畳を進んでいく。
「アブソルー! そっちの荷物はもういいのか?」
一階から、店長の声が上がった。
「はーい! 今行く!」
階段を駆け下りてきたアブソルは、両手に旅行鞄を提げていた。今朝は外出着ではなく、黒い軍服に、片方の肩だけを覆う短いケープ。肩につかない長さの金髪が、足取りに合わせて揺れている。
「よいしょっと! これで全部!」
「……本当か?」
「本当だって!」
「工具も、替えの部品も?」
「大きいのは全部、軍の輸送に預けたよ」
「向こうへ着いてから、あれを忘れた、これを忘れたと言い出すんじゃないぞ」
「毎回それ言うよね!」
「毎回言わせるからだ」
階段から、もう一つ足音が下りてきた。
「……おはようございます」
志乃も、黒い軍服に身を包んでいた。肩から身体を覆う長いケープ。袖口は手元を隠すほど深く、その内側に二振りの黒刀が収められている。腰の後ろには、古い拳銃のホルスター。そして、両眼を覆う黒い帯。任務に出るときの、いつもの志乃だった。
「おう、シノ。おはよう」
「おはよ、シノ!」
「……おはよう、アブソル」
志乃は、床に置かれた鞄の方へ顔を向けた。
「……ずいぶん多いね」
「これでも減らしたんだよ! シノの荷物が少なすぎるの!」
「必要なものは揃ってるよ」
「それは知ってるけどさあ……」
店長が壁の時計に目をやった。
「さて、そろそろ出ないとな」
「ちょっと待ってね!」
店の奥から、女将が出てきた。布で包んだ小さな籠を抱えている。
「はい、これ。列車の中で食べられるように、サンドイッチを作っておいたの」
「えっ、本当!? やったあ! ありがとう、女将さん!」
「シノちゃんの分も、ちゃんと入っているからね」
「……ありがとうございます。朝早くから、すみません」
「あら、いつもお買い物を手伝ってくれるお礼よ」
「それは、私が好きでしていることですから」
「ふふっ。そうだったわね」
女将は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、帰ってきたらまた一緒に行きましょう。約束よ、シノちゃん」
「……はい。楽しみにしています」
## Scene 02 ―― 駅へ
朝の通りを、四人で歩いた。
店長が手押し車に鞄を載せ、アブソルと並んで先を行く。少し後ろに、志乃と女将。港からの風が、二人の黒いケープを揺らしていた。
「あら、シノちゃん!」
店先に木箱を並べていた果物屋の女性が、手を止めた。
「おはようございます」
「今日はずいぶん早いのねえ」
「この子たち、今日からまたお仕事なのよ」
女将が答えると、女性は一度だけ言葉を切った。それから、すぐにいつもの声に戻った。
「そう。じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい! 帰ってきたら寄ってちょうだいね。いいリンゴ、選んでもらわなきゃいけないんだから」
志乃の口元が緩んだ。
「……はい。そのときは」
少し先では、魚屋の店主が開店の支度をしていた。
「おう! シノ! アブソル! なんだ、また出かけるのか!」
「うん! 今度は大陸の方まで!」
「そうかそうか! しっかりやってこいよ! ピアノはまだ聴きに行ってねえんだからな!」
「……行ってまいります」
「おう、元気でな!」
その声を背中に受けながら、四人は通りを進んだ。
「毎回これだよね」
アブソルが笑った。
「出かけるたびに、町じゅうに見送られてる気がする」
「当たり前だろう。何年こうしてると思ってる」
店長が言った。
任務のために町を離れ、また帰ってくる。二人にとっても、この町にとっても、何度も繰り返してきたことだった。それでも、出かけるたびに誰かが声を掛け、帰るたびに誰かが待っている。それが、二人には嬉しかった。
―――
駅のホームでは、長い客車を連ねた機関車が白い蒸気を吐いていた。
軍服の兵士や、大きな鞄を抱えた旅行者たちが行き交っている。駅員の呼び声。貨物を積み込む音。蒸気の噴き出す音。
「……よし。ここでいいな」
店長が手押し車を止め、アブソルが鞄を受け取った。
「大きな装備は、全部向こうへ送ったんだったな」
「そうそう。秋水も、私のストライカーもね」
「受領書の控えは?」
「持った!」
「弾薬と銃器の書類は?」
「それも!」
「なら、大丈夫だな」
店長が頷く。その隣で、志乃が静かに口を開いた。
「……店長。色々と、お世話になりました」
店長は一瞬、目を丸くした。それから、笑った。
「なんだ、今生の別れみたいなことを言って」
「……そういうつもりでは」
「分かってるよ」
店長は志乃の肩を軽く叩いた。
「いつもどおりだ。また帰ってくればいい。向こうで困ったことがあったら連絡しろ。軍の補給を通す必要はあるだろうが、こっちで手配できるものなら手伝ってやる」
「うん! 頼りにしてる!」
アブソルが答えた。
女将は、志乃の前に立った。
「シノちゃん。身体には気をつけてね。無理をしすぎちゃだめよ」
志乃は少しだけ黙った。
「……気をつけます」
「ふふっ。そうしてちょうだい」
女将が、志乃の手を取った。温かい手だった。
「帰ってきたら、また美味しいものを作ってあげるからね」
志乃は、その手をそっと握り返した。
「……楽しみにしています」
「もちろん、アブソルちゃんの分もあるわよ。何が食べたいか、今から考えておいてね」
「えー! 迷っちゃうなあ!」
「お前はもう、帰ってきたときの飯の心配か」
「だって、女将さんの料理だよ?」
「はっはっは! まあ、それもそうだな」
発車を知らせる鐘が鳴った。
二人は鞄を持ち上げ、店長と女将へ向き直った。
「……行ってまいります」
「いってきまーす!」
「おう。行ってこい!」
「行ってらっしゃい、二人とも」
客車に乗り込むと、機関車が長い汽笛を鳴らした。車輪が、ゆっくりと回り始める。
「店長ー! 女将さーん!」
窓から身を乗り出して、アブソルが手を振った。ホームの二人も、手を上げている。
「気をつけてねー!」
女将の声が届いた。
「……はい」
志乃は小さく答えた。その声はきっと、ホームまでは届かなかった。それでも、窓の方へ向かって頭を下げた。
列車が速度を上げていく。二人の声が遠ざかり、やがてホームそのものが後ろへ流れていった。
アブソルは窓から身を引き、座席に腰を下ろした。
「……行っちゃったね」
「うん」
窓の外を、町の屋根が遠ざかっていく。石造りの家並み。港へ下る通り。何年も暮らしてきた町。
「……また帰ってこようね」
「もちろん」
## Scene 03 ―― 列車と海峡
列車は、ブリタニアの田園を走っていた。
線路の継ぎ目を越えるたび、規則正しい振動が座席の下から伝わってくる。
「……いい景色! 畑がずーっと向こうまで続いてるよ。あ、羊もいる。結構たくさん!」
窓に額を寄せたまま、アブソルが言った。昔から、志乃と出かけるときにはこうして景色を口に出す。志乃が頼んだわけではない。いつの間にか、そうなっていた。
「楽しそうだね」
「そりゃあ、こんなにいい天気なんだもん。それに、こうしてのんびり列車に乗るのも久しぶりだし。いつも空を飛んでばっかりだったからさ」
窓の向こうの色を、志乃は知らない。けれど、アブソルが何を眺めて、何を楽しんでいるのかは、その声だけで十分に伝わってきた。
「ねえ、帰りも列車だったらいいね。荷物も多いし!」
「……帰りには、減っているかもしれないね」
「え?」
「全部使い切っていたら、少なくなるでしょう」
アブソルが目を丸くした。
「使い切る前提なの!?」
「……前提ではないよ」
「その言い方、ちょっと本気っぽいんだけど!」
アブソルが笑い出し、志乃も小さく笑った。
向かいの座席の老婦人が、手元の本から顔を上げた。
「まあ、仲がいいのねえ」
「えへへ。昔から一緒なんです!」
「お二人とも、軍の方?」
「はい!」
「そう。大変ねえ」
老婦人は、二人の黒い軍服を見て、目を細めた。
「どうか、気をつけてね」
「ありがとうございます!」
「……お気遣い、ありがとうございます」
老婦人は満足そうに微笑んで、また本に目を落とした。
―――
昼が近づいた頃、アブソルが籠を膝に載せた。
「女将さんのお昼ご飯! そろそろ食べてもいいよね?」
「……もう、お昼?」
「もうちょっとでね!」
布をほどくと、紙で丁寧に包んだサンドイッチが並んでいた。
「えーっと、卵と……こっちはお肉だ。シノはどっちにする?」
「卵をもらおうかな」
「はい!」
渡された包みを、志乃は膝の上で開いた。柔らかいパンに、ほどよい塩気。食べ慣れた味だった。
「……美味しいね」
「でしょ! 帰ったら、お礼言わなきゃね」
「うん。きっと、また遠慮するだろうけど」
「『いいのよ、シノちゃん』って?」
アブソルが女将の口調を真似ると、志乃の口元が緩んだ。
「……そうだろうね」
窓の外を、緑の丘がゆっくりと流れていく。二人はサンドイッチを食べながら、しばらく他愛のない話をした。戦争のことも、次の任務のことも、今だけは口にしなかった。
―――
午後、列車は海峡沿いの港に着いた。
岸壁には、軍の輸送船、物資を積んだ貨物船、それから海峡を渡る連絡船が並んでいる。兵士たちが積み荷の確認に追われ、輸送担当の士官が名簿を手に行き来していた。
「クルス大尉、柊少佐ですね」
声を掛けてきた士官が、名簿の二人の名に印を付けた。
「輸送手配は完了しています。ストライカーユニットと装備品については、別途、貨物の受領記録をお渡しします」
「こちら、出発地の控えです」
アブソルが差し出した書類に、士官は目を通した。
「……試製秋水と、モスキート系の機体ですね。こちらの記録と一致しています。現地での引き渡しは、ベルギカ側の担当者からご案内します」
「よかった……」
アブソルは、ほっと息を吐いた。
「問題なさそう?」
「今のところはね。でも、向こうで現物を見るまでは安心できないかな」
―――
連絡船は、穏やかな波を越えて大陸へ向かっていた。
甲板には海風が吹きつけ、遠くを護衛の艦艇が並んで進んでいる。手すりの近くで、アブソルが大きく伸びをした。
「……うーん! 気持ちいい!」
志乃の長いケープが、風を受けて膨らんでいた。
「寒くない?」
「全然! シノは?」
「私も大丈夫だよ」
アブソルは海の方へ目を戻した。
「なんか、不思議だね。いつもは空を飛んでるでしょ? こうして下から空を見上げるの、新鮮だなあって」
「……なるほど」
しばらくして、志乃が口を開いた。
「……ベルギカも、復興が進んでいるのかな」
「どうだろう。まだ大変なところも多いんじゃないかな」
「……そうだね」
昨夜、二人で屋上から聞いた港町の音。四年前の、瓦礫に埋もれていた通り。それを一つずつ片づけ、造り直してきた人々。
「向こうも、あの町みたいに元気になってくれたらいいね」
「……うん」
波の音が続いた。
「……ところでさ。501に着いたら、まず何しようか?」
「着任の挨拶だよ」
「そりゃそうだけど! その後だよ!」
「……機体の確認?」
「そう! それ!」
「分かってたよ」
「ほんと、シノには隠せないなあ」
船は、夕暮れの海峡を渡っていった。
―――
翌朝、二人を乗せた列車は、ベルギカの田園を走っていた。
窓の外には煉瓦造りの家並みと、広い農地が続いている。ところどころに、戦争の傷が残っていた。屋根の一部が失われた家。修理の途中で止まった橋。窓を板で塞いだ建物。
「……こっちも、だいぶ復興してるみたい」
窓の外を見ていたアブソルが言った。
「まだ壊れた建物もあるけど、お店も開いてるし、人もたくさん歩いてるよ」
「それなら、よかった」
列車が速度を落とし始めた。志乃は立ち上がって、ケープの裾を整えた。
「忘れ物は?」
「大丈夫! 今回はちゃんと確認したよ!」
「……そっか」
「その言い方、信用してないでしょ!」
「そんなことはないよ」
## Scene 04 ―― サン・トロン
駅のホームに降りると、一人の兵士が近づいてきた。
「柊志乃少佐、アブソル・R・クルス大尉でいらっしゃいますか。第501統合戦闘航空団より、お迎えに参りました」
「ご苦労さまです」
志乃が敬礼を返し、アブソルも続いた。
「手荷物は大丈夫です。その代わり、輸送してもらった装備のことを確認したいんですけど」
「ストライカーユニット二機を含む貨物は、基地への移送が進んでおります。現地で担当者からご説明します」
駅前で待っていた車両に乗り込み、しばらく揺られた先に、サン・トロン基地の正門があった。
広い敷地に、格納庫と整備施設、兵舎が並んでいる。滑走路の方からはエンジン音が響き、地上員たちが機材を運んでいた。
「……へえ! 結構広いね。格納庫も大きいし、整備する場所もちゃんとありそう。秋水も、ゆっくり点検できそうだね」
窓に顔を寄せたまま、アブソルが言った。
車両は、司令部として使われている建物の前で停まった。降りた志乃は、建物の方へ顔を向けた。入口へ続く階段の段数。扉の位置。その周りを行き交う人の数。初めて来る場所の形が、少しずつ志乃の中に描かれていった。
「……行こうか」
「うん!」
―――
「こちらで少々お待ちください。司令官へ到着を報告してまいります」
案内の兵士が去ると、廊下には静けさが戻った。窓の向こうで、格納庫へ出入りする車両の音がしている。
「……ねえ、シノ」
アブソルが声を落とした。
「ちょっと緊張してきた」
「珍しいね。いつもは、あまり気にしないのに」
「まあ、そうなんだけど。新しい部隊だし、ここで暮らすことになるし」
志乃は少し考えた。
「いつもどおりでいいと思うよ」
アブソルは一瞬黙り、それから笑った。
「……うん!」
廊下の向こうから、複数の足音が近づいてきた。
「……あら? もしかして、あなたたちが」
落ち着いた女性の声だった。
三人のウィッチが立っていた。先頭に、軍服をきちんと着こなした女性。その隣に、背筋を伸ばした生真面目そうなウィッチ。そして二人の後ろを、どこか気の抜けた足取りで歩いてくる金髪の少女。
「あっ! ミーナ、この二人じゃない?」
少女が声を上げた。
志乃は声の方へ向き直った。三人の立ち位置と背丈を捉え、先頭の一人へ正面を合わせて、背筋を伸ばす。アブソルも隣に並んだ。
「柊志乃少佐です。このたび、第501統合戦闘航空団への派遣を命じられ、着任いたしました」
「アブソル・R・クルス大尉です! よろしくお願いします!」
先頭の女性は、二人の姿を確かめた。両眼を覆う黒い帯。手元まで隠れる長い袖の黒いケープ。その隣の、短い金髪と、片方の肩だけを覆うケープ。資料で読んだとおりの二人だった。
ただ、資料には書かれていないこともあった。名乗る前から、帯を巻いた顔が、まっすぐに自分の方を向いていたことだ。
「初めまして。第501統合戦闘航空団、隊長のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケです。長旅、お疲れさまでした」
「よろしくお願いいたします、ヴィルケ中佐」
隣の女性が、一歩前に出た。
「ゲルトルート・バルクホルン少佐だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いいたします」
志乃の顔が、声に合わせてバルクホルンの方へ移った。迷いのない動きだった。バルクホルンはそれを見届けてから、志乃の装いへ目を移した。資料には、二振りの刀を使うと書いてあった。だが、腰にも背中にも、それらしいものは見当たらない。
わずかに眉が寄った。それに気づいたのか、後ろの少女がひょいと顔を覗かせた。
「ねえねえ!」
「エーリカ。まずは名乗れ」
「あ、そうだった。エーリカ・ハルトマン中尉。よろしくね!」
「よろしく、ハルトマン中尉!」
アブソルが気さくに返すと、ハルトマンは二人を見比べ、それから志乃の方へ身を乗り出した。
「ねえ、柊少佐。本当に刀を二本使うの?」
「ええ」
「どこに持ってるの?」
「エーリカ!」
バルクホルンの声が飛んだ。
「着いたばかりの人間に、いきなり何を聞いている!」
「えー、だって気になるじゃん!」
「少しは順序というものを考えろ!」
「はいはい」
そのやり取りに、アブソルが思わず吹き出した。
「……何か?」
バルクホルンが振り返る。
「あっ、いえ! なんだか、うちの店長と私みたいだなあって」
「……店長?」
「ね、シノ?」
志乃は少し考えて、頷いた。
「……そうだね。賑やかな人たちだね」
バルクホルンが目を丸くした。ハルトマンは一瞬きょとんとしてから、声を上げて笑い出した。
「あははっ! 面白い人たち!」
「エーリカ!」
ミーナも、こらえきれずに小さく笑った。
「ふふっ。もう、二人とも」
それから、改めて二人に向き直る。その声には、さっきまでの柔らかさに、指揮官の落ち着きが重なっていた。
「まずは着任の手続きを済ませましょう。それから、基地をご案内しますね」
## Scene 05 ―― 基地の案内
司令室の大きな机には、書類が整然と並んでいた。壁には周辺の基地と連絡路を記した地図が掛かっている。
「どうぞ、掛けてください」
二人が腰を下ろすと、ミーナは一枚の書類を取り上げた。
「改めて、第501統合戦闘航空団への着任を歓迎します。指揮関係については説明を受けていると思いますが、確認させてね。第501での作戦行動中は、私の指揮に従っていただきます。訓練や通常の警戒任務についても同様です」
「承知しております。命令に従います」
「了解しました!」
ミーナは頷き、手元の資料に目を落とした。
「二人の戦闘記録には目を通しました。ずいぶん、色々な場所で戦ってきたのね。ブリタニアの防衛にも参加していたそうね」
「……はい」
「今の生活の拠点も、その頃から?」
「任務をきっかけに、あの町に滞在するようになりました」
「そうだったのね。私も、ブリタニアには色々と思い出があるわ」
その声に、懐かしむような響きが混じった。ミーナはそれ以上は言わず、資料の頁を移した。
「それから、装備のことです。柊少佐の試製秋水と、クルス大尉のモスキート型。どちらも、通常の補給や整備だけでは対応しにくい部分があるようですね」
「特に秋水は、まだ調整中のところが多いので。点検は私がやるつもりですけど、工具や交換部品の置き場所は相談させてください」
アブソルが答えると、ミーナは頷いた。
「整備担当とも話しておきましょう」
「ありがとうございます!」
ぱっと明るくなったアブソルの顔に、ミーナが微笑んだ。
「機械が好きなのね」
「はい! 銃もストライカーも、大好きです!」
「頼もしいわね。……柊少佐、あなたの固有魔法についても確認したいことがあります。ただ、それは明日以降にしましょう。今日は長旅の後ですし、まずは休んでください」
「お気遣い、ありがとうございます」
少し間を置いて、志乃が続けた。
「……ヴィルケ中佐。一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
「今後、作戦資料などを確認する際、必要な内容を口頭でも説明していただけると助かります」
ミーナは、すぐに頷いた。
「ええ、もちろんよ。普段の資料についても、何か不便があったら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
―――
司令室を出ると、廊下でバルクホルンとハルトマンが待っていた。
「終わったか」
「ええ。これから施設を案内するわ」
「なら、私も同行しよう」
「じゃあ、私も行く!」
「お前は暇なのか」
「今はね!」
「……まったく」
ミーナは笑いながら歩き出した。会議室、通信室、それから広い食堂。
「食事は、基本的にここで取ってもらいます。まだ再編の途中だけれど、これから隊員も増えるから」
「ご飯もおいしいよ!」
ハルトマンが言うと、アブソルが勢いよく振り返った。
「本当!?」
「うん!」
「それは楽しみ!」
二人が顔を見合わせて笑い、バルクホルンが息を吐いた。
「お前たちは、食べ物の話ばかりだな」
「トゥルーデだって食べるでしょ?」
「そういう問題ではない!」
志乃は、そのやり取りを少し後ろで聞いていた。
「……仲がいいんですね」
バルクホルンが振り返る。
「皆さん、ずいぶん親しいんだなと思って」
「そうそう、昔から一緒なんだよ!」
「エーリカ!」
「本当のことでしょ?」
「……それはそうだが」
バルクホルンは、少しだけ顔を背けた。
―――
格納庫の扉の向こうには、整備台と工具棚が並んでいた。壁際には部品の木箱が積まれ、作業員たちが忙しく行き来している。
「……わあ、すごい! 設備が整ってる! これなら秋水の整備もできそう!」
アブソルの目が輝いた。そこへ作業員の一人が近づいてくる。
「失礼します。柊少佐、クルス大尉。お預かりしていたストライカーユニットと装備品が到着しております。受領の確認をお願いできますか」
「もちろん!」
格納庫の奥に、札の付いた木箱がいくつも並んでいた。
「試製秋水一式、モスキート型ストライカー一式。装備品についても、記録上はすべて到着しています」
アブソルは受領表と札を一つずつ照らし合わせ、それから保護材に包まれた秋水の周りを一周した。
「外装は大丈夫そう。でも、接続部はちゃんと見たいかな。こういうのは最初が大事だからね」
「……お願いするね」
少し離れたところから、バルクホルンが秋水を眺めていた。
「……これが試製秋水か。ロケット式の推進機構を持つと書かれていたが」
「はい。通常の巡航に加えて、必要なときだけ高出力で運転します」
志乃が答えた。
「高出力時の負荷は?」
「大きいです。ですから、整備と運用には注意が必要になります」
「扱いが難しそうだな」
「ええ。ですが、私には合っています」
バルクホルンは志乃の方を見た。
「……なるほど」
それ以上は訊かなかった。実際の運用は、飛ぶところを見てから判断すればいい。そう考えている顔だった。
「あっ、こっちも届いてる!」
別の木箱の前で、アブソルが声を上げた。中には、長い銃器ケースが収まっている。留め具を外すと、大型の対物ライフルが姿を見せた。
「……大きいねえ。これ、何ミリ?」
覗き込んだハルトマンが訊いた。
「20ミリだよ! 装甲の厚いネウロイを相手にするときに役に立つんだ」
「対物射撃か」
バルクホルンも近づいてきた。
「中距離から遠距離の援護が中心です。シノが前に出るときは、後ろから支えることが多いですね。連続射撃が要るときは、別の銃に持ち替えます」
「状況によって使い分けているわけだな」
「はい!」
「なんだか面白そう!」
「今度、整備するときに見せてあげるね!」
「ほんと? やった!」
「……エーリカ。勝手に触るんじゃないぞ」
「分かってるって!」
「大丈夫ですよ。私も一緒に見ますから」
アブソルが言うと、バルクホルンは少しだけ表情を緩めた。
「……それなら、安心だな」
―――
装備の確認を終える頃には、午後もだいぶ回っていた。
「……よしっと! ひとまず全部揃ってる。でも秋水は、明日もう一回ちゃんと見るからね」
「分かってるよ」
「本当に?」
「もちろん」
「ならよし!」
二人のやり取りに、バルクホルンが小さく笑った。
「ずいぶん慣れているんだな」
「昔から一緒だからね! シノが何を考えてるか、なんとなく分かるときもあるし!」
志乃が、アブソルの方へ顔を向けた。
「……それは、困るね」
「なんで!?」
ハルトマンが吹き出した。
「あははっ! 面白い二人が来たね、ミーナ!」
ミーナも、小さく微笑んだ。
「……そうね」
## Scene 06 ―― 新しい部屋
宿舎の廊下で、ミーナが足を止めた。向かい合う二つの扉に、それぞれ部屋番号が付いている。
「お二人の部屋は、ここです。別々だけれど、すぐ近くにしておきました」
ブリタニアの店の二階と、同じ並びだった。
「ありがとうございます!」
アブソルが自分の部屋の扉を開けた。ベッドと机、衣装棚。窓から基地の一角が見える。
「結構広い! 机も大きいし、色々置けそう!」
「……色々?」
バルクホルンの眉が上がった。
「何を置くつもりだ」
「えーっと、工具とか、部品とか……」
「待て。ここは居室だぞ」
「分かってますよ! ちゃんと片づけますから!」
「トゥルーデ、私の部屋にもそれくらい言ってくれればいいのに」
「お前の部屋は、そもそも片づけろと言っているだろう!」
ハルトマンが楽しそうに笑い、ミーナが小さくため息をついた。その声にも、笑みが混じっていた。
―――
志乃は、向かいの扉を開けた。
ベッドと机。壁際の衣装棚。窓の下の小さな椅子。必要なものは揃っている。けれど、机の位置も、ベッドの向きも、窓までの距離も、ブリタニアの部屋とは違っていた。
志乃は壁沿いにゆっくりと歩き、部屋の形を一つずつ確かめていった。
「……どうかしら」
入口から、ミーナが尋ねた。
「問題ありません。ありがとうございます」
「慣れるまでは、何かと不便かもしれないけれど」
「少しずつ、覚えていきますので」
「無理はしないでね。夕食の時間になったら、呼びに来ます」
扉が閉まり、部屋は静かになった。
志乃は旅行鞄を机の横に置き、ケープを外した。両袖の内側から、二振りの黒刀を収納機構ごと取り外して、机の上へ横たえる。腰の後ろに手を回してホルスターを外し、古い拳銃をその隣に置いた。
小さな金属音がした。
そこで、志乃は手を止めた。
見慣れない部屋。聞き慣れない廊下の音。遠くで唸る航空機のエンジン。ブリタニアの店とは、何もかもが違う。
志乃は小さく息を吐いた。
「……悪くないね」
そう呟いて、荷物をほどき始めた。
―――
夕方の食堂では、長いテーブルの一角で、ミーナとバルクホルン、ハルトマンが食事を取っていた。
「お待たせしました!」
「……失礼します」
「どうぞ、座って」
テーブルには、肉と野菜の煮込みと、焼きたてのパンと、スープが並んでいた。
「いただきまーす! ……んんっ! おいしい!」
「ね! ここのご飯、結構いいんだよ!」
ハルトマンとアブソルが顔を見合わせて笑う。バルクホルンが息を吐いた。
「お前たちは、本当に食べることが好きだな。もう少し落ち着いて食べられんのか」
「あははっ! トゥルーデって、面倒見がいいんですね!」
「……トゥルーデ?」
バルクホルンの目が丸くなった。アブソルも、はっと口を押さえた。
「あっ、すみません! ハルトマン中尉がそう呼んでたから、つい!」
「いいじゃん! みんな呼んでるよ?」
「エーリカ!」
バルクホルンは呆れたように息を吐き、それからアブソルの方を向いた。
「……まあ、構わん。いちいち言い直すほどのことでもない」
アブソルは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「……ありがとう!」
「……ああ」
「ふふっ。すっかり打ち解けたみたいね。柊少佐も、遠慮しなくていいのよ」
「ありがとうございます。ただ、私はこのくらいが落ち着きますので」
「それなら、無理に賑やかにする必要はないわ」
志乃の口元が、かすかに緩んだ。
「ねえ、シノって呼んでもいい?」
ハルトマンが身を乗り出した。
「ええ。構いませんよ」
「やった! じゃあシノ、明日、飛ぶの?」
「……まだ、分かりません」
「明日はまず、機体の最終点検と能力の確認だろう。訓練の日程はその後だ」
バルクホルンが言うと、ハルトマンは口を尖らせた。
「えー、早く見たいのに」
「焦る必要はない。まずはこちらの体制に慣れてもらうことが先だ」
「そうね。明日は簡単な説明と確認をしましょう。……でも、今日はもう仕事の話はおしまい」
「あれ? ミーナがそんなこと言うなんて珍しいね」
「そうかしら?」
「うん! じゃあ、もう一杯スープもらってこようかな!」
「エーリカ! まだパンが残っているだろう!」
「後で食べるよー!」
「あっ、私も!」
「……お前もか」
アブソルとハルトマンが並んで鍋の方へ向かい、バルクホルンが頭を抱えた。ミーナと志乃は、小さく笑った。
## Scene 07 ―― 最初の夜
日が沈むと、基地の建物に明かりが入った。格納庫では、まだ整備員たちが作業を続けている。工具の音と、時折通り過ぎる車両のエンジン音。廊下を行き交う足音。
志乃は、自室の机に向かっていた。
荷物の整理は、もう終わっている。机の上には、拳銃とホルスター。その隣に、二振りの黒刀を収めた機構。机の端には、ブリタニアから持ってきた点字の本が一冊。
本を開き、指先で点字を辿る。数頁進んだところで、志乃は手を止めた。
廊下の向こうから、話し声が聞こえていた。少し低い、きびきびとした声と、それに答える明るい声。
「……賑やかだね」
扉が叩かれた。
「シノー? 入ってもいい?」
「うん」
アブソルが顔を覗かせた。
「まだ起きてたんだ」
「少し本を読んでたよ」
アブソルは部屋に入ってきて、ぐるりと見回した。
「もう片づいてる。なんか、もうシノの部屋って感じだね。物が少ないところとか」
「……アブソルの部屋は?」
「え?」
「片づいた?」
アブソルは一瞬、黙った。
「……まあ、だいたい!」
「そっか」
志乃は何も言わなかった。ただ、口元がわずかに緩んだ。
「……シノ。絶対、何か言おうとしてるでしょ」
「そんなことはないよ」
「ほんとかなあ」
アブソルは笑って、椅子を引いて腰を下ろした。
「……ねえ。今日、どうだった?」
志乃は少し考えた。
「……いい人たちだったね」
「でしょ! ミーナ中佐は優しそうだし、バルクホルン少佐は真面目だし、ハルトマン中尉は面白いし」
「ずいぶん気が合いそうだったね」
「えへへ、そうかな? それに、整備施設もよかったし!」
「……そこなんだ」
「そこも大事だよ! あれなら、秋水もちゃんと調整できそう」
アブソルは笑って、それから少しだけ声を落とした。
「……でもさ、不思議だよね。こうして新しいところに来るの。今までも色々な場所に行ったけど、任務が終わったら帰るってことが多かったでしょ? でも今回は、ここで暮らすんだよね」
「……そうなるね」
「自分の部屋があって、食堂があって、新しい人たちがいて。……なんか、変な感じ。でも、楽しみだなあ」
志乃は、その声を聞いていた。
アブソルは昔から、新しいものが好きだった。初めて触れる銃。初めて開ける機械。初めて訪れる町。面白いものがあれば、すぐに目を輝かせる。
志乃の方は、どこへ行っても、あまり変わらなかった。初めての場所でも、慣れない人々の中でも、静かに周りの形を確かめ、自分の役目を果たしてきた。
けれど。
「……私もだよ」
アブソルが顔を上げた。
「楽しみにしている。ここで、どんな人たちと一緒に飛ぶことになるのか」
アブソルは、少し驚いたように志乃を見た。それから、嬉しそうに笑った。
「……そっか! じゃあ、明日から頑張らないとね」
「そうだね」
窓の外で、夜の基地がいつもどおりに動いていた。
「よし、そろそろ寝よっか。おやすみ、シノ!」
「うん。おやすみ」
扉が閉まり、志乃は一人になった。
武器商店では、夜になると、店長と女将の話し声が階下から聞こえた。酒場が賑わう晩には客の笑い声が、そしてときどき、女将の弾く明るいピアノが上がってきた。
今は、そのどれも聞こえない。廊下を歩く足音と、遠くの整備の音。それから――
「もー! トゥルーデってば!」
「エーリカ! 明日は朝から予定があるんだぞ!」
廊下の向こうから、さっき聞いたばかりの声が響いてきた。
志乃は、思わず小さく笑った。
あの店とは違う。けれど、ここにも人の暮らしがあって、誰かを気に掛ける声がある。
志乃は本を閉じて、机の端に置いた。ベッドに腰を下ろす。
「……おやすみなさい」
誰に向けたわけでもない、小さな呟きだった。
(第05話 終)