ストライクウィッチーズ ― あの空の続き ― 作:r3ir3i
## Scene 01 ―― 二日目の朝
翌朝、サン・トロン基地の一日は、格納庫の扉が開く音で始まった。
まだ冷たい空気の中を、整備兵が工具箱を抱えて歩いていく。滑走路の端では、地上員が飛行区域の標識を一つずつ確かめていた。
志乃が自室の扉を開けると、ほとんど同時に向かいの扉も開いた。
「シノ! おはよう!」
「おはよう、アブソル」
「ねえ、もう朝ご飯食べられるかな」
「まずは、食堂へ行ってみようか」
二人は並んで廊下を歩いた。昨夜覚えた廊下の長さ、曲がり角までの歩数、階段の位置。扉の向こうを行き来する足音。初めての基地でも、一度通った道は、少しずつ志乃の中で形を持ち始めていた。
「今日、飛べるかなあ」
「機体の状態次第かな」
「だから早く見たいんだよね。秋水、輸送でどこか緩んでないか気になって」
「……朝ご飯より先に?」
アブソルは一歩分、考えた。
「……朝ご飯を食べてから、すぐ!」
「そうだろうね」
―――
食堂では、ハルトマンがパンを片手に、まだ眠そうな顔で椅子に沈んでいた。隣でバルクホルンが今日の予定表を広げている。
「おはよー」
「おはよう、柊少佐、クルス大尉」
「おはようございます! わあ、今日もおいしそう!」
料理の方へ目を向けたアブソルに、バルクホルンが苦笑した。
「……先に挨拶を済ませたらどうだ」
「えっ、しましたよ!」
「……そうだな。失礼した」
あっさり引き下がったバルクホルンに、ハルトマンが笑う。
「トゥルーデ、新しい二人には優しいね」
「お前も少しは見習え」
少し遅れて、ミーナが食堂に入ってきた。志乃とアブソルが姿勢を正すと、ミーナは手で軽く制した。
「そんなにかしこまらなくていいわ。まずは朝ご飯を食べましょう」
食器の音が落ち着いた頃、ミーナが二人の方へ向き直った。
「今日は、装備の最終点検と能力の確認をお願いしたいの。点検で問題がなければ、午後は飛行試験も行う予定よ」
「本当ですか!」
アブソルの顔が明るくなった。
「ええ。ただし無理な飛行はしないこと。試製秋水の負荷については、特に慎重に判断したいわ」
「そこは私がちゃんと見ます!」
「やった。じゃあ今日、二人が飛ぶところ見られるんだ」
パンをかじりながら、ハルトマンが顔を上げた。
「お前も付き合ってもらうぞ、エーリカ」
バルクホルンが予定表から目を上げた。
「最初は二人だけで飛んでもらう。その後、私たちも合流する」
「……そっか」
ハルトマンは少し考え、にっと笑った。
「じゃあ、楽しみだね」
## Scene 02 ―― 格納庫
午前九時。整備台に固定された試製秋水は、外装の一部を開かれていた。
「……よし。ここの緩みはなし。輸送でずれたところもないみたい。よかったあ」
アブソルが工具を置くと、後ろから声が掛かった。
「随分、念入りだな」
バルクホルンだった。
「普通の巡航なら、そこまで神経質にならなくてもいいんですけど。高出力を使うと、負荷の掛かり方が変わるんです。ここは先に確かめておかないと」
アブソルは推進部を指した。
「なるほど。機体の限界を、使う側でも把握しているわけか」
「うん。シノも、その辺は分かってるよ」
少し離れた場所で、志乃が顔を向けた。
「高出力は、必要なときだけにしています」
「それならいい。速さは武器だが、帰投できなくなるようでは困るからな」
「ええ。同感です」
穏やかな返事だった。バルクホルンは、少しだけ意外そうに志乃を見た。あれだけの経歴から想像していたような、力を誇るところがない。機体の扱いについては、むしろ驚くほど慎重だった。
「……クルス大尉。そちらの銃も、今日使うのか」
「はい! 射撃場で状態を見たいんです」
アブソルが長い銃器ケースの蓋を開けると、いつの間にか来ていたハルトマンが覗き込んだ。
「これ持ったまま飛ぶの?」
「うん。固定する場所とか姿勢には気をつけるけどね」
「へえ。腕が疲れそう」
「最初は苦労したよ! でも使ってるうちに癖も分かるし、今は気に入ってるんだ」
「好きなんだね、銃」
「大好き!」
即答に、ハルトマンが吹き出した。その傍らで、志乃は静かに二人の会話を聞いていた。
「……何か、おかしいか」
バルクホルンが尋ねると、志乃は小さく首を傾けた。
「いえ。いつもどおりだな、と」
「……そうか」
バルクホルンも、少しだけ笑った。
## Scene 03 ―― 二人だけの空
昼過ぎ、飛行場の一角に五人が集まった。上空には薄い雲が浮かび、風は穏やかだった。
ミーナが訓練計画書を広げる。
「今日はまず、お二人だけで飛んでもらいます。普段どんなふうに飛んでいるのか、二人がどう連携するのかを見せてほしいの。指定空域で隊形の変更、旋回、上昇と降下。それから武装の確認。安全を確かめられたら、私たちも合流します」
ミーナは空域の図を机に置き、それとは別に、方位と高度と立入禁止区域を一つずつ口で伝えた。志乃は聞き終えてから、いくつか確かめた。
「南側の境界は、海岸線より手前ですね」
「ええ。今日はその先へ出ないでちょうだい」
「分かりました」
「必要以上の高出力は使うなよ」
バルクホルンが言った。
「はい。秋水は通常巡航で確認します。高出力は、別途許可をいただいてからにします」
「ねえ、二人で飛ぶときって、ずっと並んでるの?」
ハルトマンが訊いた。
「そんなことないよ。シノは前に出ることが多いし、私は後ろから見ることが多いかな」
「へえ。じゃあ、見てれば分かるか」
―――
二機のストライカーが、順に駆動音を立てた。アブソルが膝を軽く曲げて機体の具合を確かめ、志乃は足元に伝わる振動で接続部に異常がないことを確かめる。
『柊少佐、クルス大尉。指定空域への離陸を許可します』
『柊、了解しました』
『クルス、了解!』
先に浮いたのはアブソルだった。無理のない加速で上昇し、その後を追って志乃が地面を離れる。上空で、二機の位置が揃った。
「……普通の離陸だな」
観測位置で双眼鏡を構えたバルクホルンが言った。
『シノ、始めようか』
『うん』
短い通信の直後、志乃が加速した。
二機が離れる。アブソルは追わなかった。志乃が描く鋭い曲線の内側へ入ることもせず、速度を保ったまま別の弧を描く。最初は、ただ機体の性能の差に見えた。
次の旋回で、様子が変わった。
志乃が右へ深く折れたとき、アブソルはすでに右前方へ抜けていた。志乃が向きを変え終える頃には、アブソルの機首が、ちょうどその次の進路を押さえている。志乃が高度を上げても、アブソルは上がらず、斜め下に残った。二機の間に、広い空間が開いた。
「……ん?」
手すりに肘をついていたハルトマンが、肘を離した。
「今、アブソル、置いていかれたんじゃないよね」
「ああ。次に柊少佐が通る位置を取っている」
バルクホルンが言い終わるより早く、上昇を終えた志乃が横へ流れた。その進路の先に、アブソルがいた。二機は近づき、すれ違い、また離れる。アブソルの銃口が向くはずの方向を、志乃は一度も横切らなかった。
二人は同じ軌道を飛ばない。速度を揃えようともしない。通信もほとんどない。それなのに、要るときには互いがすぐ援護に移れる距離へ収まっている。
「……面白いね」
ハルトマンの声から、さっきまでの気楽さが消えていた。
「シノが速いのは分かる。でもアブソル、あの機体であの位置を取るの、すごく難しいよ。曲がり始めてから追ってたら絶対に間に合わない。シノが動く前から、次の場所に行ってる」
「しかも、勝手に先回りしているのではない」
バルクホルンが続けた。
「柊少佐の方も、そこにクルス大尉が来ることを前提に進路を選んでいる」
ミーナは、手元の戦歴資料に目を落とした。二人が共に出撃した年月と作戦名が、何行にもわたって並んでいる。紙の上の記録が、急に重さを持った。
「……あの二人には、あれが普段の飛び方なのね」
―――
『次は二つの通過点を使用してください』
ミーナが無線を入れた。事前に位置を伝えてあった二つの標識。一つ目へ志乃が先行し、アブソルは後方の、まったく別の角度から周りを見渡せる位置に残る。
一つ目を抜けた直後、ミーナがもう一度通信を入れた。
『通過順序を変更します。次は北側から二つ目へ進入してください』
打ち合わせにはなかった指示だった。
志乃は慌てて北へ切り返さなかった。一度緩い弧を描き、アブソルから離れる方へ進む。アブソルは反対側へ機体を向けた。隊形はますます崩れたように見えた。
『シノ、北側は私が押さえるよ』
『任せたよ』
それだけだった。アブソルが広い旋回を終えて二つ目の北側へ入った頃には、秋水はもう標識へ向きを変えていた。別々の方向から近づいた二機の、一方が進入を終えた瞬間、もう一方が後ろを押さえる。
『二つ目、通過します』
「……決められた順番を覚えて飛んでいるわけではないのね」
ミーナが言った。
「相手ができる動きを知っているから、急な変更にも合わせられる。よほど繰り返してきたのだろう」
バルクホルンの答えに、ハルトマンが小さく笑った。
「これ、私も混ざってみたいな」
## Scene 04 ―― 武装確認
射撃場に安全区域が設けられ、地上員の退避と標的の設置が確かめられた。
『クルス大尉。先に射撃をお願いします』
『了解しました!』
アブソルが大型の対物ライフルを構えると、さっきまでの明るい声が消えた。
標的までの距離。自分の機体の揺れ。風の流れ。意識を向けた先の位置を、彼女の魔法が細かく捉えていく。ただ、その魔法は弾を導いてはくれない。狙いを定め、機体を落ち着かせ、引き金を引く瞬間を選ぶのは、アブソル自身の腕だった。
『……撃ちます』
重い発射音が、飛行場に響いた。装甲板を模した標的の一部が、大きく跳ねる。
「……音がすごいね」
ハルトマンが目を丸くした。
『一発目、異常なし。弾着、確認しました』
「当てるだけなら、優秀な射手は他にもいる」
バルクホルンが言った。
「だが、射撃の姿勢に入るまでが速い。機体の揺れもよく抑えている」
「さっきの飛び方とつながってるね。撃ちたい位置を、先に取ってる」
『次は柊少佐です。通常速度で進入してください。高出力運転は使用しないこと』
『了解しました』
志乃が向かったのは、刀を抜く動作と近い間合いでの姿勢を確かめるための、軽い模擬標的だった。身体を少し傾けて進入の角度を整え、速度は必要以上に上げない。標的との距離が縮まっていく。
「ねえ、刀、どこから出すんだろ」
ハルトマンが身を乗り出した。
「資料では、袖の内側とあった」
バルクホルンが答えた、次の瞬間だった。
志乃の長い両袖から、二本の黒い刀身が現れた。
反りのない、細長い直線。先端まで幅がほとんど変わらず、切先も尖っていない。志乃は左右の柄を握ったまま標的へ寄り、片方の刃で進入側の板を断ち、もう一方で残りを切り離した。
刀身が袖の内側へ戻るまで、余分な振りは一つもなかった。
「……ほんとに二本なんだ」
ハルトマンが呟いた。
「坂本少佐とは、ずいぶん違う刀だな」
「ええ。美緒が見たら驚くでしょうね」
ミーナが微笑むと、無線から志乃の声が返った。
『……光栄です』
## Scene 05 ―― 五機の空
しばらくして、ミーナ、バルクホルン、ハルトマンの三機が滑走路から浮かび上がり、待機していた二人と空域で合流した。
『ここからは五人で飛びます。柊少佐、クルス大尉。まずは私たちの隊形に合わせてください』
ミーナを先頭に、隊形が動き始めた。右旋回。高度の変更。間隔の調整。志乃とアブソルは、二人で飛んでいたときよりも慎重に距離を取った。自分たちのためだけに、空を空けてもらうわけにはいかない。
『柊少佐、一機分下がってくれ』
『了解しました』
『クルス大尉、その位置で維持』
『はい!』
二人の関係を崩さないまま、他の機体の指示にも合わせている。バルクホルンは振り返り、無線には乗せずに小さく呟いた。
「……なるほど」
―――
最後は、模擬空戦だった。
ミーナが上空で判定役を務め、バルクホルンとハルトマンが迎撃に回る。志乃とアブソルの目標は、指定された空域への進入。弾も刃も使わない。あらかじめ決めた攻撃角度と距離、進路の優劣を、ミーナが判定する。
『制限時間内に目標空域へ進入してください。高出力運転は許可しません。危険な接近は避けること』
『承知しました』
『了解!』
バルクホルンが少し離れた位置へ移り、ハルトマンがその上方を取った。
『トゥルーデ。さっきの飛び方、よかったね』
『ああ』
『じゃあ、ちゃんと試そうか』
『無論だ』
二人の声は、地上にいたときとは違っていた。
志乃は、相手の二機の位置と距離を捉えていた。ただ、捉えられるのは形と動きまでだ。次に何を仕掛けてくるかは、分からない。
『シノ、いつもどおり行こう』
『うん』
『訓練開始』
―――
最初に進路を塞いだのは、バルクホルンだった。正面で高度を上げ、目標へ続く最短の経路を押さえる。志乃はすぐには突破せず、速度を少し落として右へ流れた。バルクホルンがそれを追い、塞ぐ角度を変える。
その瞬間、上にいたハルトマンが動いた。音もなく落ちてくるように高度を下げ、志乃の右後方へ回り込む。正面のバルクホルンに志乃の意識を向けさせたまま、背後で攻撃位置を取る角度だった。
アブソルは、その進路に気づいていた。正面のバルクホルンから目を離さずに、ハルトマンの距離と向きと、志乃の後ろへ入り込むまでの時間だけを拾う。
『シノ、右後ろ。上から』
『了解』
志乃は振り返らなかった。わずかに高度を下げ、アブソルが援護に入れる側へ滑る。ハルトマンはすぐに進路を直したが、志乃の背後へ回る角度は、もう失われていた。
『そこなら、私が見るよ』
アブソルはハルトマンを追わない。相手が通るはずの位置を先に取って、模擬の射線を作る。ハルトマンは鋭い旋回でその線を抜けた。避ける動きには無駄がなかった。けれど、その間に志乃は次の進路を確保していた。
「……あは。そっか、そっちが見てるんだ」
ハルトマンは、すぐに狙いを変えた。
今度はアブソルだった。急な機動が得意ではないモスキート系の機体に向かって、ハルトマンが一気に角度を変える。アブソルは小さく逃げ回ろうとはせず、速度を保って大きな弧を描いた。ハルトマンがその外側へ回り込み、射線を取りにいく。正しい攻め方だった。そのまま続けば、旋回でアブソルが不利になる。
『シノ、今度はこっち』
『了解』
アブソルは逃げ切ろうとしていたのではなかった。志乃が間に合う進路を、選んで飛んでいた。志乃がアブソルの後ろを横切り、ハルトマンの接近経路を押さえる。このままアブソルを追えば、志乃の模擬射線に入る。志乃を避ければ、アブソルとの距離が開く。
ハルトマンは迷わず後者を選び、二人の進路から一気に上昇して離れた。
「……取れないなあ」
その声に悔しさはなかった。面白いものを見つけたときの声だった。
『トゥルーデ、分かる?』
『ああ。柊少佐が速いから成り立っているわけではない。クルス大尉が、どこを飛べば相手の進路を絞れるかをよく分かっている』
アブソルが離れた場所に援護できる位置を作り、近づいた相手の進路を志乃が押さえる。必要なら、その役が入れ替わる。二人は互いの代わりに戦おうとはしていなかった。自分にできることを続けているだけで、相手の苦手な状況が生まれにくくなっていた。
―――
『エーリカ。左右に分けるぞ』
『うん!』
今度は二人が同時に動いた。バルクホルンが正面を塞ぎ、ハルトマンが上から回り込む。片方に対応すれば、もう片方が有利な位置を取る。志乃の認識の外から仕掛けるにも、アブソルに急な旋回を強いるにも、理にかなった攻めだった。
志乃は二機の距離を捉えていた。けれど、二つの攻撃の意図を、一人で同時に読み切ることはできない。アブソルの探知も、二機を同じ精度で追い続けられるわけではなかった。
『シノ』
『うん。分かってる』
志乃が速度をわずかに落とし、アブソルが位置を詰めた。離れていた二機が、短い時間だけ寄り合う。
『……そこだ』
バルクホルンが進路を切り、ハルトマンが高度を落として二人の隙間へ踏み込もうとした。
アブソルは、もう身体を向けていた。その前方に、淡い光の面が広がる。普通のウィッチより、少しだけ大きなシールド。その縁が、すぐ傍に寄った志乃の進路まで覆っていた。
『防護位置、確認』
ミーナが判定を告げた。ハルトマンが攻撃の角度を得るより先に、アブソルが守りの位置へ入ったことは明らかだった。
ハルトマンはすぐに機体を起こし、シールドの縁を避ける角度へ回った。アブソルは追わず、シールドもすぐに解いた。その短い間に、志乃はもう別の進路を取っていた。
『ありがとう』
『いいよ!』
「……先に動いていたのか」
バルクホルンが呟いた。シールドを張ってから志乃が動いたのではない。あの光は、志乃が次の位置へ移るための、数秒を作るためのものだった。
―――
『残り一分です』
目標空域は、すぐ先にあった。
バルクホルンとハルトマンは、正面から追い詰めるのをやめて、前後に分かれていた。突破を急げば背後を取られ、警戒し続ければ時間が切れる。バルクホルンは目標の手前に、ハルトマンはそのさらに上にいる。
『アブソル。先に出る。後ろは頼める?』
『任せて!』
志乃が進路を変えた。鋭い加速だが、高出力には入れていない。バルクホルンが真正面から迎えた。
『柊少佐。ここは通さん!』
志乃は答えず、そのまま近づいた。迎撃の位置に入る、その直前で進路を折る。正面を抜けるためではない。バルクホルンに、自分の方へ機体を向けさせるためだった。
「……誘いか!」
バルクホルンが気づいたとき、アブソルはもう動いていた。志乃を追ってはいない。大きな弧を描いて、ハルトマンが目標へ向かうときに必ず通る空間を押さえていた。
「……そっちか」
ハルトマンが鮮やかに切り返して、アブソルの線を避けた。けれど、アブソルが作る隙間は、ほんの数秒あればよかった。
『シノ、今!』
志乃がバルクホルンの進路の外側をすり抜け、速度が落ちきる前に目標へ向きを変えた。追うハルトマンの前を、アブソルが別の角度から押さえる。
『右上、来るよ』
『了解』
志乃がわずかに高度を変え、ハルトマンは最短の追跡線を失った。
『柊少佐、目標空域への進入を確認。判定、到達!』
志乃はすぐに速度を落とし、指定の安全高度へ向かった。アブソルが近づいて、いつもの斜め後方に入る。
『お疲れ、シノ!』
『アブソルも。ありがとう』
遠くで、ハルトマンが笑った。
「……ははっ。やられたなあ。どっちかを狙ったつもりが、もう一人の方に誘導されちゃうんだよね」
『ああ。最後まで、どちらが何をするのか読ませなかった』
バルクホルンが息を吐いた。
『だが、まだ一度目だ。次は、こちらも考えるぞ』
『もちろん! ミーナ、もう一回は?』
『今日はここまでよ。二人の機体の確認も兼ねているんですから』
『えー!』
ミーナの指示で、五機は基地へ向かって隊形を整えた。今度は志乃とアブソルも、三人の作る隊形の中に収まっている。互いを見失わず、他の機体の進路も妨げない。その飛び方は、二人きりで飛んでいたときと同じくらい落ち着いていた。
## Scene 06 ―― 講評
夕方の会議室の机に、訓練の記録が並べられた。
「皆さん、お疲れさまでした。機体の状態は良好。試製秋水の高出力運転については、整備の確認が進んでから改めて試験します」
「はい! その方が助かります」
ミーナが記録を閉じると、バルクホルンが顔を上げた。
「まず言っておきたい。見事な連携だった」
アブソルが目を丸くし、志乃は静かに頭を下げた。
「恐縮です」
「ただ速いだけでも、射撃が巧みなだけでもない。互いの動きを妨げず、常に次の動作へ移れる位置を保っていた。あれほど洗練された二機の動きは、私も滅多に見ない」
「トゥルーデがここまで言うの、珍しいね」
「事実を述べているだけだ。それに、弱点が見えなかったわけではない」
バルクホルンは二人に向き直った。
「柊少佐は、不意の攻撃に対処しにくい。クルス大尉は、急な旋回で敵を振り切る戦い方には向かない。違うか」
「そのとおりです」
「はい!」
二人の答えが重なった。
「だから、無理に同じことはしないようにしてるんです」
アブソルが続け、志乃が引き取った。
「私が見落とすものは、アブソルが教えてくれます。彼女の援護が要るときは、私が行く。それが、私たちのやり方です」
「最初はシノの後ろを取れば何とかなるかなって思ったんだけど、アブソルが先に気づいちゃうんだよね」
ハルトマンが顎に手を当てた。
「気づいたとき、何をするかが決まってるからね。でも、ハルトマン中尉の切り返しはすごかったよ。あれは別の対策がいるかも」
「でしょ? 次はもうちょっと意地悪に飛ぶよ」
「お手柔らかにお願いします」
志乃が穏やかに言うと、ハルトマンはかえって楽しそうに笑った。
「今日見たのは、二人の強いところよ」
ミーナが言った。
「でも、この先も二人だけで飛ぶわけではありません。ほかの隊員と組めば、今までとは違う守り方や戦い方ができるはずです。そのためにも、まずは皆と少しずつ飛んでもらいたいの」
「承知しました。こちらも学ばせていただきます」
「私も! 今日、みんなと飛べて楽しかったです!」
「模擬戦は、あくまで今日の条件での判定だ」
最後に、バルクホルンが付け加えた。
「次に、こちらが同じように動くとは限らん」
「はい。それが訓練の意味だと思います」
志乃が答えると、バルクホルンの口元がわずかに緩んだ。
「……話が早くて助かる」
## Scene 07 ―― 夜の格納庫
夜の格納庫には、まだ一角だけ灯りが残っていた。
「……よしっと。大きな問題はなさそう。高出力を使ってないから、今回は思ったより楽だったかな」
アブソルが工具を片づける傍らで、志乃が頷いた。
「ありがとう」
「どういたしまして! ……それにしても、今日は面白かったね。ハルトマン中尉、あんな角度から入ってくるとは思わなかったよ」
「切り替えが速かった。警告がなかったら、危なかったね」
「えへへ、そこは任せて。でも、次も同じようにいくとは限らないからね」
「うん。そのときは、また考えよう」
しばらく、工具の触れ合う音だけが続いた。
「……ねえ、シノ。最初に二人で飛んでるとき、みんな見てたでしょ」
「うん」
「ちょっと不思議だったなあ。いつもみたいに飛んでるだけなのに」
「私たちにとっては、いつものことだからね」
「でも、ああやって見てもらえるの、なんか嬉しかったな」
「……うん」
格納庫の入口から、声が響いた。
「おーい、二人ともー! まだやってたの?」
ハルトマンだった。後ろにバルクホルンもいる。
「もう終わるよー!」
「点検が済んだのなら、もう休め。明日も予定がある」
バルクホルンは腕を組んでから、少しだけ言い淀んだ。
「……それと、今日の飛行は、私も参考になった」
アブソルが目を丸くした。
「えっ。ありがとうございます!」
「恐縮です」
「次は、こちらももっと工夫させてもらう」
「私たちも負けないよ!」
「ふふっ。楽しみにしてる!」
遠くから、夕食の支度ができたと知らせる声が聞こえた。
「……あっ、ご飯! 行こ、シノ!」
「うん」
格納庫の灯りが落ち、四人は並んで外へ出た。
訓練のための一日だった。けれどその日、501の三人は一つのことを知った。並外れた戦歴を持つ二人は、それぞれが強いだけではない。互いの速さも遅さも、できることもできないことも知ったうえで、一緒に飛んでいる。
(第06話 終)