【謙虚堅実】朝霧様を見守るスレ【孤高の王子様】   作:麗華様親衛隊

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8話

 二年生になって、ひと月がたった。

 放課後のサロンは、今日もお菓子でいっぱいだった。

 僕は、いつもの窓際の、いちばん隅のソファで、フィナンシェを食べていた。三つ目だった。隣では、柚葉が、きれいな手つきで紅茶を飲んでいる。

 少し離れたところでは、『あさぎりさまを見守る会』のお姉さんたちが、今日も静かに僕を見守っていた。何を見守っているのかは、よく分からない。僕は、フィナンシェを食べているだけだ。

 四つ目に手を伸ばしたとき、目の前に、影ができた。

 

「朝霧」

 

 顔を上げると、鏑木くんが立っていた。

 腕を組んで、眉間にしわを寄せて、僕を見下ろしている。後ろには、にこにこした円城くんもいた。

 サロンが、しんとした。

 

「勝負だ」

 

「……なんの」

 

「運動会で言っただろう。次は勝つって。お前も、『次』って言った」

 

 言った気がする。

 でも、あのとき僕が言った「次」は、お弁当のことだった。お弁当は、もう、とっくに食べた。去年の秋に。

 

「……もう、たべた」

 

「何をだ!」

 

 円城くんが、ぶふっ、と吹き出した。

 見守る会のお姉さんたちが、「まあ……」と息をのんだ。

 

「朝霧様、勝負はもう済んだ、とおっしゃりたいのね」

 

「同着で十分、ということかしら」

 

「なんて欲がないの……」

 

 欲はある。お弁当は、五段とも食べた。

 

「ごめんね、朝霧くん。雅哉、運動会からずっと、朝霧くんと勝負したかったんだって。でも、次の運動会は秋だから、待てないんだってさ」

 

「秀介、余計なことは言わなくていい」

 

 鏑木くんは、僕をまっすぐににらんだ。

 

「朝霧。勝負の種目は、お前が決めていい」

 

「……なんでも、いい」

 

 鏑木くんが、ぎゅっとこぶしを握った。

 

「……なんでもいい、だと。どんな勝負でも負けないってことか」

 

 そういう意味ではない。フィナンシェの続きが食べたい、という意味だ。

 お姉さんたちが、また「まあ……」と言った。

 

――――――――――

 

「最初の勝負は、これだ」

 

 鏑木くんは、一枚の紙を、テーブルにばんと置いた。

 昨日の、算数のテストだった。右上に、赤いペンで大きく「100」と書いてある。昨日返ってきたばかりなのに、もう、しわしわだった。何回も見たらしい。

 

「初等科は、順位が出ない。だから、点数で勝負だ。お前のテストを出せ」

 

「……テスト」

 

 昨日、たしかに算数のテストが返ってきた。

 どこにやったかは、覚えていない。

 僕がランドセルの中をのぞこうとすると、隣で、柚葉が静かにカップを置いた。それから、自分の鞄から、きれいに四つにたたんだ紙を取り出した。

 

「こちらです」

 

 僕の、算数のテストだった。

 鏑木くんが、柚葉を見た。円城くんも、柚葉を見た。

 

「……なんで、お前が持ってるんだ」

 

「凪に持たせると、お菓子の包み紙と一緒に捨ててしまうので。返ってきたテストは、私が預かって、凪のお母様にお渡ししています」

 

 柚葉は、テストを広げて、テーブルに置いた。

 右上に、赤いペンで「100」と書いてあった。しわは、ひとつもなかった。

 

「……引き分けか」

 

「……ひきわけ」

 

 僕がうなずくと、鏑木くんは、ぐっと唇を噛んだ。

 

「ちっとも、うれしそうじゃないな。百点くらい、当たり前ってことか」

 

 うれしくないわけではない。フィナンシェのほうが気になるだけだ。

 円城くんが、僕のテストの端っこを指さした。

 

「朝霧くん、ここ、何か描いてあるね」

 

 端っこに、鉛筆で、小さなプリンの絵が描いてあった。テストが早く終わったので、描いたのだ。

 

「……プリン」

 

「ふうん。プリン」

 

 円城くんは、ふふ、と笑って、それ以上は何も言わなかった。

 

――――――――――

 

「次の勝負は、秀介が決めろ。俺が決めたら、ずるいとか言われそうだからな」

 

「えっ、僕? そうだなあ」

 

 円城くんは、少しだけ考えるふりをして、テーブルの上のお菓子を見た。

 

「じゃあ、目かくしをして、お菓子の名前を当てる勝負は? 僕は甘いものはあまり食べないから、審判をするよ」

 

「……お菓子だと?」

 

 鏑木くんは、ちょっとだけいやそうな顔をした。でも、すぐに腕を組み直した。

 

「いいだろう。どんな勝負でも、受けて立つ」

 

 僕は、フィナンシェを置いて、背筋を伸ばした。

 この勝負は、好きだ。

 コンシェルジュさんが、白いナプキンで僕たちに目かくしをして、小さなお皿にお菓子をひとつずつ乗せて運んできてくれた。サロンにいる子たちが、ソファのまわりに集まってきた。

 

「朝霧様と鏑木様が、勝負を……!」

 

「目かくしをなさったお二人、まるで絵本の王子様みたい……」

 

 一問目。

 口の中で、さくっと音がした。バターのいい匂いがした。

 

「クッキーだ」

 

「……サブレ。……アーモンド、はいってる」

 

「せ、正解でございます。より詳しくは、アーモンドのサブレでございます」

 

 二問目。

 ふわっとして、しゅわっと消えた。

 

「……メレンゲ、か」

 

「……マカロン。……なか、フランボワーズ」

 

「……正解でございます」

 

 コンシェルジュさんの声が、少しだけ小さくなった。

 三問目。

 これは、鏑木くんがすぐに答えた。サロンで、いつも食べているやつだ。

 

「チョコだ。ビターのほう」

 

「……ビター。……ちょっとだけ、オレンジ」

 

「……オレンジ?」

 

「……オレンジピールが、ほんの少しだけ、練りこんでございます……」

 

「入ってたのか!?」

 

 鏑木くんは、毎日食べているのに、知らなかったらしい。

 四問目。

 しっとりして、甘くて、バターの匂いがした。さっきまで食べていたのと同じ、フィナンシェだった。

 でも、少し違った。

 

「……フィナンシェ。……でも、きのうのと、ちがう」

 

 サロンが、しんとした。

 

「……バター、かわった」

 

 目かくしの向こうで、コンシェルジュさんが、ひゅっと息をのんだ。

 

「……おっしゃる通りでございます。本日から、バターの仕入れ先を変えまして……」

 

 目かくしを外すと、コンシェルジュさんは、青い顔で胸に手を当てていた。

 

「……あの、朝霧様。前のバターのほうが、お好みでしたでしょうか」

 

「……どっちも、おいしい」

 

「さようでございますか……」

 

 コンシェルジュさんは、ふらふらと奥へ戻っていった。

 円城くんが、にこにこしながら手を挙げた。

 

「というわけで、朝霧くんの勝ち」

 

 鏑木くんは、目かくしをむしり取った。顔が、真っ赤だった。

 

「こんなの、勝負じゃない! お菓子の勝負なんか、ノーカウントだ!」

 

「雅哉、どんな勝負でも受けて立つって言ったよね」

 

「言ってない」

 

「言ったよ」

 

「……言ったけど、ノーカウントだ」

 

 円城くんは、おなかを押さえて笑っていた。

 お姉さんたちは、うっとりしていた。

 

「バターの違いまでお分かりになるなんて……」

 

「きっと、幼いころから、本物だけを召し上がってきたのよ」

 

 本物だけではない。なんでも食べてきた。

 

――――――――――

 

 鏑木くんは、しばらく黙って、僕をにらんでいた。

 それから、ぽつりと言った。

 

「……朝霧。お前、俺のことを、ライバルだと思ってないだろう」

 

「……ん」

 

 思っていない。

 鏑木くんの眉間のしわが、今日でいちばん深くなった。

 

「なんでだ。俺とお前は、同着だったんだぞ」

 

「……らいばるは、もう、いる」

 

 隣で、柚葉が、はっとした顔をした。

 

「凪、それは――」

 

「誰だ」

 

 僕は、サロンの入り口のほうを指さした。

 入り口のそばのソファのかげで、吉祥院さんが、ちょうど、そうっとサロンから出ていこうとしているところだった。

 

「……きっしょういんさん」

 

 吉祥院さんの足が、ぴたりと止まった。

 

「……プリンの、ひと」

 

 柚葉が、両手で顔をおおった。

 円城くんが、「あっ」と小さく言った。たぶん、テストの端っこのプリンを思い出したのだと思う。

 鏑木くんは、くるりと振り向いて、ずんずんと入り口のほうへ歩いていった。サロンにいるみんなが、道をあけた。

 吉祥院さんは、逃げようとして、間に合わなかった。

 

「おい」

 

「……ご、ごきげんよう、鏑木様」

 

「お前が、朝霧のライバルなのか」

 

 吉祥院さんは、すごい速さで首を横にふった。巻いた髪が、ぶんぶん揺れた。

 

「ち、違いますわ! わたしは、ただ、給食のプリンを、一つ、いただいただけです!」

 

「……プリン?」

 

 鏑木くんは、ゆっくりと僕のほうを振り返った。

 

「朝霧。プリンが、なんだ」

 

「……さいごの、ひとつ」

 

「……は?」

 

「……さいごの、ひとつ、だった」

 

 鏑木くんは、口を開けて、閉じて、また開けた。何も出てこないみたいだった。

 その隙に、吉祥院さんは、「では、ごきげんよう!」と、とてもきれいなおじぎをして、ものすごい速さでサロンを出ていった。出ていく前に、一度だけ、僕のほうをきっとにらんだ。

 円城くんは、ソファの背もたれにつかまって、声を出して笑っていた。いつもの、ふふ、という笑い方ではなかった。

 

「あははっ、プリン……プリンだって、雅哉……!」

 

「笑うな、秀介」

 

 鏑木くんは、僕と、吉祥院さんが出ていった扉と、笑っている円城くんを、順番に見た。それから、ものすごく疲れた顔で言った。

 

「……変なやつら」

 

 それきり、鏑木くんは、部屋のまんなかの大きなソファに戻っていった。お皿のチョコレートを、いつもより、たくさん口に入れていた。オレンジが入っているか、確かめているみたいだった。

 お姉さんたちは、ひそひそと言い合っていた。

 

「朝霧様が、鏑木様ではなく、麗華様をライバルに……」

 

「きっと、何か深いお考えが……」

 

 深い考えは、ない。プリンの恨みがあるだけだ。

 

――――――――――

 

 帰りの車の中で、柚葉は、ずっと黙っていた。

 僕は、サロンでもらったフィナンシェの包みを、膝の上で開けた。

 

「凪」

 

「……ん」

 

「鏑木さまには、言わないでくださいと、言いました」

 

「……きかれた、から」

 

「聞かれても、です」

 

「……かくすほうが、ながい」

 

 柚葉は、深いため息をついた。柚葉のため息は、二年生になっても、まだ深くなり続けている。

 僕は、フィナンシェを半分に割って、柚葉に差し出した。柚葉は、少しだけ迷ってから、受け取った。

 しばらく、二人で黙って食べた。新しいバターのフィナンシェも、やっぱりおいしかった。

 

「……凪」

 

「……ん」

 

「お菓子当てですけれど」

 

 柚葉は、フィナンシェを見つめたまま、小さな声で言った。

 

「うちのお菓子なら、凪は、どれくらい分かりますか」

 

「……ぜんぶ」

 

「全部、ですか」

 

「……柚んちのは、ぜんぶ、わかる。いちばん、たべてる」

 

 柚葉は、フィナンシェを持ったまま、しばらく固まっていた。それから、窓のほうを向いた。耳が、少しだけ赤かった。

 

「……そうですか」

 

 それきり、柚葉は、家に着くまで窓の外を見ていた。

 ため息は、もうつかなかった。

 

――――――――――

 

 次の日、廊下で円城くんに会った。

 

「おはよう、朝霧くん。昨日は、あんなに笑ったの、久しぶりだったよ」

 

「……ん」

 

「雅哉ね、ノートに勝負の記録をつけ始めたんだ。こう書いてあったよ」

 

 円城くんは、楽しそうに指を折った。

 

「『朝霧 〇勝〇敗一分。お菓子はノーカウント』だって。次は何で勝負するか、もう考えてるみたい。よろしくね」

 

 円城くんは、ふふ、と笑って、行ってしまった。

 教室に入ると、吉祥院さんが、自分の席から、じっと僕を見ていた。

 目が合うと、吉祥院さんは、口の形だけで、何か言った。

 たぶん、「おぼえてらっしゃい」だった。

 僕は、少し考えた。

 ライバルに、にらまれた。

 すごく、ライバルっぽい。

 僕は、吉祥院さんに、こくんとうなずいた。

 吉祥院さんは、なぜか、机に突っ伏した。

 

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